青の炎妃はご機嫌ナナめ   作:蒸しぷりん

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爆炎と颶風の狭間で

 

 

 大粒の雫が皮膚を叩く。ぽつぽつと形容するにはやや重すぎるそれは、吹き荒れる風によって弾丸のように威力を増した。

 沈みこむような雲は、龍の怒りとともに内に秘めた水の重みに耐えきれなくなっていた。

 

「兵器を覆え! 火薬は濡らすな!」

 

 調査員たちは上空を警戒しつつ、船の帆やら毛皮やらで弾薬箱を覆う。

 火薬は薬莢の内部に入っているとはいえ、濡れてしまえば使いものにならなくなるためだ。

 

 その渦中。

 しとどに濡れた鋼の翼は、憤怒の形相で雲下の太陽を追う。

 皆が火薬を守るのに必死になっている中、呆気にとられてその様子を見ていたハンターが口の中で呟いた。

 

「あれ、クシャの角ってあんな形だったっけ」

 

 風翔龍の角は、灰水晶が結晶化していく過程のような甲殻が重なり、対をなす形となっている。

 かの龍の角もつい先程までは、誰もが思い浮かべる形をしていた。

 だが、今は。まるでキリンの角が二つになったような。かといってキリンのそれと違い鋭く尖っているわけではなく、霜が張り付いているかのような。

 そんな美しくも奇妙な角が、風翔龍の頭を飾っていた。

 

「いいえ、あんなものは初めて見ました。老齢とみられる個体でも、角そのものに大きな変化はなかった……これは大発見ですぞ!」

「力の暴走なのか、意図的なものなのか。若さや病が原因か、はたまた別のものなのか……実に心躍るな」

 

 これまで確認されたことのない現象に、学者たちは目を輝かせた。一方で傍にいたハンターは必死で彼らを壁の中へと戻す。

 

「先生方、前に出ないでください! 吹き飛ばされたいんですか!?」

「おお、それは名案」

「迷案ですよッ!」

 

 風翔龍の角は極低温だという。それは素手で触れれば、たちまち皮膚に張り付き全身の熱を奪われてしまうほど。

 あの角は、周りの雨粒が瞬時に凍りついたものだろうか。

 

 話題の中心にいる風翔龍は、小さくなっていく炎王龍の背に向けて再び咆哮を放った。まるで、まだ負けていないとでも言うように。

 炎王龍はちらりと一瞥したが、すぐに何事もなかったかのように翼を上下させる。一度決着は付いたのだから、もう相手をしてやる義理は無い。

 

 風で掻き消されている筈の唸り声が、人々の耳に届く。それは龍の憤怒を目にした者の幻聴なのか、本当にここまで届いている音なのか。

 

 風翔龍は、待ち伏せをしていた龍と同一とは思えない勢いで炎王龍に突っ込んだ。かの龍がもし人間ならば、こめかみに青筋が浮かぶのが見えただろう。

 こうなっては流石の炎王龍も応戦しないわけにはいかない。風翔龍の体当たりを避けると再び翼を広げて吼えた。

 

 風翔龍が身に纏う風は粉塵を吹き飛ばすことは可能だが、生憎いま炎王龍が纏っているのは炎だ。下手をすれば風翔龍に不利な立ち回りになる。

 全て見通したような眼差しを向けられ、悉く腹の立つ老いぼれだ、と言わんばかりに風翔龍は低く唸った。

 

「風翔龍ってさ、元々錆びたクシャルダオラを指す言葉として用いられていた呼び名だったらしいんだ」

「え?」

 

 双眼鏡を覗いていたリュカがふいに呟く。ジェナは目を瞬かせた。

 

 クシャルダオラの外殻は金属質であるため、古くなると赤く錆びていく。そして、錆ついて硬く可動域の狭くなった甲殻の下には、脱皮の時を待つ新しい純白の甲殻が眠っているという。

 新雪のような色のクシャルダオラの話は、ハンター達の間では半ば都市伝説のようなものとして扱われていた。それを目にした者の数は指折りで数えられるほどに少ないからだ。

 しかし脱ぎ捨てられた抜け殻は、あちこちで発見されている。先日、渡りの凍て地の頂上でも発見されたらしい。

 

 脱皮直後の非常にデリケートな時に外敵から狙われないため、脱皮前のホルモンバランスの変化によるストレスが溜まっているため。

 そんな理由からか、錆びたクシャルダオラは非常に気性が荒い。

 普通のクシャルダオラは一般的には鋼龍の名で通っている。目の前にいる龍も、一見錆びているようには見えなかった。だが。

 

「あの龍の執念、まるで錆びてる時みたいだ。一体何がそんなに気に食わなかったんだろう」

「何かの復讐のつもりだったのかしらね。それにしては随分と力量差があったようだけど」

 

 黒い風を纏った風翔龍は、炎王龍にがむしゃらに攻撃をしていく。

 後ろ脚で蹴り飛ばし、鋼身の側面を叩きつけ、小さいが鋭利な牙を剥いて。骨格の近いモンスターならば大抵が行うだろう攻撃の数々。

 あれでは炎で炙られるうえ、余計な体力を消耗するだろうに、当の本龍は気にも留めていない。

 炎王龍は躱したり往なしたりして上手いことダメージを逃していた。だが、蓄積されたそれは身体に堪えたらしい。

 そもそも炎龍という種は、ずっと滞空して戦うような戦法は用いない。一戦目からの疲労が、老いた炎王龍の動きを鈍らせていた。

 

 体当たりを喰らった相手がふらりと一瞬よろめいたのを、風翔龍が見逃す筈がない。

 びゅう、と再び空気の流れが変わる。

 風翔龍の口元の空気が見る見るうちに歪んでいき、小さな牙の間で何やら白い粒の混じった球が形成されていく。

 やがて吐き出された弾丸は、炎王龍へと真っ直ぐ向かった。

 

 炎王龍は咄嗟に上空へ回避するが、直後に大きく後退した。と言うよりも、吹き飛ばされたと形容するのが相応わしい。

 球が直撃したわけでは無いのにもかかわらず、だ。見れば、翼の下端も一部が白くなっている。

 炎王龍を通り過ぎていった氷混じりの球は、やがて空中で解けていった。

 

 風翔龍の攻撃がそれで終わる筈もない。今度は長い首と胸を反らせ、大きく息を吸い込んだ。

 風翔龍は肺にあたる器官を十分に膨らませると、一点に集中させた空気を海に向けて吐き出した。

 圧された空気は海面に当たると、水を巻き上げて回転を起こす。はじめは小さかったそれは、瞬時に風翔龍の体躯を包み込むほどの竜巻となった。

 いくら龍の炎といえども、あれに呑まれれば勝つ術はない。

 周囲の空気や海がかき混ぜられ、異様なエネルギーが溜まっていく。

 

 そして恐るべきことに風翔龍はもう一つの竜巻を作り出し、炎王龍を両側から挟んだ。

 これでは後ろしか空いていない。考え無しに逃げようとすれば、風翔龍の思う壺だ。

 

「……あの竜巻、まさか放って置いたらこっちに来るんじゃないの?」

「た、大砲とかでどうにかエネルギーを分散できないか?」

 

 調査団にも緊張の色が走る。

 吹き付けられる暴風により、雨が波のような形となってアステラを濡らした。

 

「まったく、ハチミツ盗られたアオアシラみたいな執念深さだな」

 

 バリスタに弾を込めていたハンサム先輩は、水を吸って束になった髪を後ろに撫でつける。

 

「テオはだいぶ疲れてるみたいだ。海上でやられちゃったらそれまでだけど、もし陸地を求めるならこっちに降りてくる可能性が高い」

「そろそろ備えないといけないってわけね」

 

 リュカ達の言葉に、周囲の人々は気を引き締めた。

 

 風翔龍が作り出した竜巻に、炎王龍は束の間考える。ここで焦りを見せないのは、多くの経験を積んでいる故。

 その時間は僅か数秒にも満たなかった。

 

 炎王龍は風翔龍に飛びつき、前脚でがしりとその首の根と脇腹を掴む。

 予備動作から体当たりをされると踏んでいた風翔龍は驚き、逃れようと翼を激しく動かした。しかし炎王龍の強靭な前脚は、その程度では離れない。

 絡み合った二頭の身体は互いの押す力が拮抗し、空中で鈍と紅の塊が動き回る。

 

 燃える翼が後ろの竜巻に触れんばかりに近づいた、その刹那。

 炎王龍は内側に身体をたわめ、身体の周囲にはバチバチと音を立てて火の粉が弾ける。

 それは先程の爆発の前に起こったものとよく似ていたが、いま活発に燃焼しているのは局所ではない。炎王龍の身体を覆う規模である。

 見まごうことない、超新星爆発の名を冠する攻撃の予兆。

 

「む……?」

 

 訝しむ声は、風に巻かれて消える。

 

 明らかに異様な様子に、風翔龍は必死にもがいた。だが、身体を掴まれていた時点で結末は決まっていたのだ。

 

 辺りが一瞬にして煌々と照らされる。

 その直後。宴で打ち上げられる花火の比ではない耳を劈くような爆音が、アステラ上空に低く轟いた。

 

 爆発の際に発生したエネルギーに相殺され、二つの竜巻は水蒸気となって霧散していく。

 爆風によって起きた波が、二度三度と船着き場の床板を覆う。アイルーの中にはひっくり返る者もいた。

 

「どうなったの……?」

 

 ジェナは口の中で呟き、濡れたレンズを拭って双眼鏡を覗く。流石のリュカも、心なしか不安そうな表情だ。

 今のダメージを喰らえば、鋼の鎧を持つ風翔龍とて無傷では済まないだろう。

 良くて骨折と熱傷、悪くて絶命。たとえ前者だとしても、渦の中へ落下して顔を海面に浮かせるほどの力が残っていなければ、まず助からない筈だ。

 

 雨と立ち込めた霧が邪魔をして、よく見えない。

 ジェナは双眼鏡に押し付けた下瞼にぎゅっと力を入れていた。

 しかし、別の方向から見ていたガンナー隊の一人は目を見開いた。

 

「避けろッ!!」

 

 次の瞬間、巨大な何かが水蒸気を突き破ってアステラ方面へと突っ込んできた。

 幸いそれが直撃した者は居なかったようだが、人々は何事かとそちらを見やる。

 だが彼らの目が捉える前に、それは音を立ててアステラの入り口に続く足場へと着陸した。否、墜落と言う方が正しいか。

 そこでゼエゼエと肩で息をする身体からは、じっとりと濡れた鬣が重そうに垂れ下がっている。──炎王龍だった。

 

「ふむ……やはりか。本来、炎王龍が座すは灼熱地帯。こう雨に打たれては、爆発の質も落ちるというものよ」

 

 ソードマスターが甲冑の下で呟く。

 炎王龍の起こした大爆発は、あれほどの威力がありながら完全なものではなかったのだ。もし何の障害もなく終えていたならば、衝撃波も今の比ではなかっただろう。

 爆発の予兆に違和感を覚えていたのは、炎王龍と因縁のある彼と、交戦経験のある数名のみだった。

 

 対する風翔龍はというと。

 流石に無傷とまではいかず、身体のあちこちに焼け焦げた痕があった。そのうちいくつかはひしゃげている。

 風翔龍は黒い煙を鬱陶しげに振り払う。爆風など浴びて気持ちの良いものではない。

 それでも、空に留まり続けた。

 爆発の瞬間、即座に大気を操り自分の周囲に冷気の層を作り出していたのだ。

 そして駄目押しとばかりに吐いたブレスによって、限界の近かった炎王龍は吹き飛ばされた。

 

 炎王龍は悔しげに空を見るも、未だ立ち上がることができない。どうやら、先程の大爆発で力を使い果たしてしまったようだった。

 それは老いが原因か、はたまた病が原因か。苦しげに腹を上下させ、じっと蹲っている。

 

 ジェナとリュカをはじめとして、炎王龍の状態を知っている者達は息を詰めて様子を見つめていた。

 ヒトに近い種を除き、多くの生き物は痛みを表に出そうとしない。

 飼われたアプトノスの餌の食いつきが悪いと思ったら病に罹っていた、歩き方がおかしいガーグァの足の裏に棘が刺さっていたなど、よく観察しなければ判らないことが殆どだ。

 だが、この炎王龍は誰が見ても苦痛に苛まれていることは明らかだった。それほどまでに、身体が悲鳴を上げているのだろう。

 

 その一方で、これは好機とばかりに、風翔龍の角を取り巻く空気が再び白く凍りついてゆく。

 この風翔龍は、応戦経験そのものは少ないのだろう。それはその場で見ていた誰もが感じていたことだった。

 しかし、おそらくは。それを補えるだけの体力と、大気を──風を操る才に恵まれた。

 

 風翔龍は炎王龍の側へと舞い降り、空中で体を捻る。

 みるみるうちにかの龍の身体を囲むように風が起こり、海面からは水が、近くの樹木からは葉や枝が巻き上げられた。

 このまま竜巻が直撃すれば、アステラにも大きな被害が出る。防護壁の裏にあるものも吹き飛ばされる勢いだ。

 

 風翔龍は身体をたわめる。

 閉じられていた鈍色の翼が、展開される。

 

 叫び声が、アステラにこだました。

 

 次の瞬間、辺り一面がカッと眩い光に焼かれる。

 人々が声に従い目を覆う中、ドプン、と何かが海中に落ちる音だけが響いた。黒々とした水面に白い泡が広がっていき、辺りには束の間の静寂が訪れる。

 

「あーあ、とうとう喧嘩を売っちまったよ。あのおっかねえ龍によお!」

 

 咄嗟に閃光弾を放ったのは、あの頰に火傷痕のある軽弩使いだった。彼の相棒の盾斧使いは「アイツやりやがったな」と言わんばかりに苦笑している。

 ガンナー隊と弓撃隊は一斉に風翔龍の落ちた場所へと照準を向け、あるいは弦を引き絞っている。

 それに続き、バリスタや大砲の側にいた者達も武器の向きを合わせた。

 

 もう逃れることはできない。

 間違いなく、かの龍からは敵と見做された筈だ。

 あの風の凶器は、間も無くこちらへも向けられる。一度視界を奪うという手段を使ってしまった為、しばらくは同じ手には引っかからないだろう。

 

 重い水の膜を突き破るように、再び濡れた鋼の身体が現れる。

 その眼差しは、心底憎たらしげにアステラの人々を舐め回していた。

 

 数では圧倒的にこちらの方が有利だ。

 しかし立地上ある程度固まった布陣である為、大規模な竜巻を起こされれば一気に戦力が削がれてしまう。

 通称ネコタクと呼ばれる救助アイルーの数も、怪我人の治療をする場や人数も足りない。

 高齢の学者などは壁の中に隠れているが、彼らのことも守り切れるかどうか。

 

 まるで蜘蛛の糸が風で震えているかのような緊張感が、アステラ中を包んでいる。

 風や波の音、そしてギリギリと弦が引き絞られる微かな音だけが響いていた。




随分お待たせしてしまいましたが、一話完結は夢でした。
次話は明後日あたりに投稿できたらなと思っております。宜しくお願い致します。

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