そのいのちは、燃えた。
小さな灯火はやがて赤い焔となり、青を慈しみ。
父となるも、子と対の青を喪い、生の惨さを呪い、儚さを悲しみ。
孤独の傷を舐め合い、新たな青に出会い、己の生に光を見出して。
長い長い生涯。
他のいのちと比べれば永遠のよう。
それでも尚、龍の生は己が魂の望みを叶えてくれはしなかった。
龍の願いは数あれど、残された時間はあと僅か。
それならば、せめて贖罪の機を我に与え給えと。
そして……──。
***
紅い翼が空を掴み、風が起こるたびに周囲の雪が溶けていく。辺りには濛々と水蒸気が立ち込め、熱の源すらも覆い隠していた。
湿った雪の匂いと何かが焦げたような匂いが混ざり、なんとも言えないものとなっている。
「遂にお出ましだよ、牙を持つ太陽が」
ルージュの隙間を通った低く艶のある音が、呟きへと形を成す。
青い星を中心として、戦闘に特化した精鋭らは熱源を見上げていた。その視線は敵意を押し隠しつつも、歓迎ムードとも言い難い。
「……何が目的かは知らないけど、
鋼龍の防具を纏った青年──エイデンはその眼差しに険しい光を浮かべ、武器の柄を強く握った。普段の陽気さも、今ばかりは鳴りを潜めている。
彼の故郷に被害をもたらした炎妃龍は、炎王龍の対となる龍だ。目の前にいる龍はその個体でなくとも、思うところがあるのだろう。
編纂者リアは、そんなバディの傍らにそっと寄り添うように立った。
実際、いつ炎王龍が暴れ出しても戦闘要員ができる限り減らないよう、彼に姿を見せる際の班とその順番も決めてあった。
推薦組で編成された精鋭チームはトップバッターだ。それは、こちらにはこれだけの戦力があるのだと知らせる為の牽制でもあった。
流石に調査班リーダーなどの、組織運営における要人は安全を第一に立ち回ることになっているが。
炎王龍がただ其処に在るだけで、漂う空気感はがらりと厳かなものとなる。セリエナの兵器置き場が、まるで宮殿や城に変わってしまったかのようだ。
ここには可動式の速射砲や大砲、防護壁なども設置されていた。これはイヴェルカーナの襲来が予測された際に、二期団をはじめとする調査員たちが至急で造り上げた設備だ。
それらで時間を稼ぎ、撃龍杭砲を完成させて第一次のセリエナ防衛戦を堪え切ったのは記憶に新しい。
尤も、その作戦はイヴェルカーナが防護壁に執着してくれたからこそ、
機構が凍り付いてしまわないよう、十分に整備もしてある。ここに居るのは経験も豊富な者たちであり、それらを活用してうまく立ち回れさえすれば、古龍相手でも劣ることはまず無いと思われた。その時点で油断をするような若輩者もセリエナには居ない。
だが、幸か不幸か少しずつ舞い降りる炎王龍の動きは覚束なかった。当然だろう、あんな激戦の後に遠距離を移動してきたのだから。
そして何より、極寒の空気は炎を司る龍にとっては猛毒以外の何物でもなかった。
あと少しで着陸するという時、龍はフッと力尽きたように羽ばたくのをやめてしまった。
「ああっ……」
間も無く、その巨体はズン、と音を立てて崩れ込む。龍の体温で、地面の雪が溶けてしまっていたことが皮肉だった。
あの高さでは骨折には至らないだろうと推測されるが、骨密度が低下した老個体であれば体重に耐えられないかもしれない。
「まあ、そうなるだろうな」
「どうして……こんなになってまで、ここに来る必要があったっていうの?」
ギャラリーの一部からは心配げな声が上がる。いくら拠点に侵入してきたモンスターとはいえ、警戒状態でないならばそこに在るのは体温のある生命なのだ。
しかし炎王龍の目的が不明である以上、無闇に近づくこともできない。
やむ事なく降り続く雪は、炎王龍の角や冠を白く化粧しては溶けて老いた身体を濡らしていく。
寒空の下に在る炎王龍の姿は、美しくも哀れだった。やはりかの龍が最も燃え盛るのは炎の宮殿に座している時なのだ。
調査団の者たちは、ひたすらに待った。
統率する若き司令官も、自らの判断を誤らないよう慎重に、かつ冷静に場をじっと観察している。
重い沈黙の中。雪混じりの甲高い風の音、そして鞴のような呼吸音とパチパチと何かが燃える音だけが響く。
やがて炎王龍はふらつきながらも徐に立ち上がり、四つの脚で地面を掴む。
その蒼い眼差しは、周囲へと向けられた。
炎王龍は、すう、と息を吸った。
己を取り囲むのは、姿形は異なれど先程の"巣"にいた者たちと同じもしくは近縁の生き物。そして探し求める者の、おそらくは仲間だ。
だが、いま見えている中には居そうにない。折角ここまで来たというのに、徒労に終わるのだろうか。
冷たい空気を取り込み続けた呼吸器も、疲れを無視して動かし続けた翼も、地面に打ち付けた場所も、どこもかしこも痛い。
それでも、ようやくここまで辿り着いたのだ。この機を逃すわけにはいかない。もし会えなかったとしたら、失意にこの身体は動かなくなってしまうだろう。
炎王龍は、大小様々な鋭い牙の生え揃った口を大義そうに開く。
そして、細く鳴いた。獣によく似た、しかし唸りとは異なる声。これまでの威厳が嘘のような、どこか寂しげな声。
オォウ、オゥゥ……と切ない鳴き声が響いては雪に消えていく。
「歌姫ならぬ、歌ジジだな」
青い星の後ろで何人かが吹き出した。
発言主のとぼけた弓使いは、すぐさま「こんな時に馬鹿言ってるんじゃないよ」と相方の姉御肌な剣斧使いに引っ叩かれる。
そんなことは構いもせずにじっと炎王龍を観察していた受付嬢は、ううんと唸った。
「仲間を呼んでいるのでしょうか……でも、テスカトのこんな声は聞いたことがありません。ナナ・テスカトリを呼んだとしても、一体何をするつもりなんでしょう」
「さあ、どうなのかしらね。リオスは瀕死になるとおどろおどろしい声で番いを呼ぶけど、これは危険を知らせるものとは違うんじゃないかい?」
受付嬢の呟きに、青い星が返す。彼女らの後ろ姿は、相棒というよりは歳の離れた姉妹や師弟のように見える。
「今のところ、敵意は無さそうだな。アステラからの報告にあった通りだ」
調査班リーダーが青い星の隣に並ぶ。それから振り返り、指令を出した。
「武器はまだ出すなよ。極力、炎王龍を刺激しないようにして観察を続けるぞ。後続部隊もゆっくり出てきてくれ」
調査班リーダーが先程の元凶をチラリと見ると、弓使いは気まずそうに頭をかいた。
人々は頷き、炎王龍の前に姿を表しては待機を続ける。そんな中、テントの近くにいる編纂者と学者のみが筆を走らせていた。
炎王龍が降り立ってから、どれほどの時間が経っただろう。一刻、もしかすればまだ数分しか経っていないのかもしれない。
この寒さで何もせずにじっとしていると、身体の芯から冷え込んでくる。事前に支給されていたホットドリンクさえも、気休めだった。
ヒトの身でこの様なのだから、寒さを苦手とする炎王龍にとってはもっと過酷だろう。
だが炎王龍はそんな様子は見せず、未だにキョロキョロと辺りを見回して落ち着かない様子で歩き回っている。時折クンクンと匂いを嗅いでは、再び鳴き声を上げるばかりだった。
その時、受付嬢が瞬きをし、指を唇に当てた。
「……もしかして、テオ・テスカトルはここに目的の何かがあるって確信したんじゃ。私には、その匂いが残っているからああしているように思えます」
「確かに一理あるわね。……でも、だとすればそれは一体誰なの? 心当たりのある人はいないのかしら」
リアは辺りを見回すが、誰もが首を横に振る。
限界が近いのだろう。次第に炎王龍の周囲にも、雪が溶けずに降り積もるようになっていった。
赤い筈の鬣は、雪のせいで白いのか、老いのせいで白いのか最早判別がつかない。欠けた角に六花が積もるさまは、哀愁を帯びていた。
やがて炎王龍は息を深く吸い込み、一際大きな声で唸った。その後、フ、フ、と息を吐き出す音を立てる。
その時、テントの傍らで弾かれたように顔を上げた者がいた。
「……あれ? この声、どこかで……」
ユウラは目を瞬かせ、眉を顰める。
ずっと観察してきた龍だが、研究の為に見ている時には聞いたことのない声。初めて聞く筈なのに、なぜか耳の奥に同じ波長が残っている。
(故郷の近くで炎王龍は観測されていないし、こんな声は聞いたことはない筈。それなら、私はいつどこで聞いた?)
ユウラはもっとよく聴こうと、耳当ての付いた帽子と襟巻きを外した。目を閉じて耳を澄ませる様子を、同僚の学者が目の端で見る。
すると一際強く吹いた雪風が、束ねられていた髪を大きく靡かせた。
ちらちらと何かが視界に入り、炎王龍はふとそちらを見遣る。
青みがかった髪を認めたその時。炎王龍は、目を見開いた。
それまで早く揺れていた豊かな尾が、垂直になる。
古龍は表情で感情を伝えることはない。
だが素人目でもそうと分かるくらいには、炎王龍の蒼い双眼からは喜色と安堵が溢れ出ていた。
「どうやら、見つけたみたいだね」
青い星が炎王龍の視線の先を見遣ると、皆の目が一斉にユウラの方へと向いた。
「え……私?」
ユウラは困惑を隠せなかった。
研究の為に他の者よりも近くへ行く機会があったとはいえ、その対象に探されるような関わりはしていない。
炎王龍への憧憬の念も懐かしさも、勝手に自分が抱いているものの筈だ。
それなのに、何故。
「あの龍はあなたを探していたんじゃないですか、ユウラさん」
隣で学者がそっと促すと、ユウラはまだ状況を飲み込めていないながらも頷く。
炎王龍が歩み寄ってくると、人の壁は自然に解けていった。ユウラもそれに合わせて足を踏み出す。
その時、着港を知らせる笛の音が鳴り響いた。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
約一ヶ月ぶりの更新となってしまいました。
タイトルにフフッとなってくださった方は同志です。
元はこのタイトルではないですが、おそらくどのクエストをモチーフにしているか、そろそろお分かりになるのではないでしょうか。
次回も楽しんでいただけると幸いです。