【完結】青の炎妃はご機嫌ナナめ   作:蒸しぷりん

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落日

 

 

 

 嗚呼。

 太陽の冠を戴く王は、瞼を閉じた。

 

 胸の中央が、ドクドクと早鐘を打っている。

 不定期に訪れる痛みは、そうとはっきり判るくらいには間隔が短く、強くなっていた。

 

 足底は冷や汗で濡れているだろうが、今は雪の冷たさでそれがどちらの感覚なのか判らぬ。

 どちらにせよ、身体が悲鳴を上げていることは確かだ。無理をしてあの鱗紋の少ない若造の相手をしたことも祟っているに違いない。

 もうすぐ己の命は終わりを迎えることだろう。

 そうなる前に、と炎王龍は目の前の小さな存在をじっと目に焼き付ける。

 

 私の大事な大事な子ども。

 青みがかった鬣は、生まれてくる筈だった実の娘と同じなのやもしれぬ。

 だが、娘は妻の胎からこの世に出る前に逝ってしまった。実際に姿を目にしたのは骨になってしまった後だったため、本当のところは分からない。

 娘だと知ったのも、頭蓋骨にある小さな角の形を見たからだった。

 

 そんな時、妻子を一度に喪い悲嘆に暮れる己の前に現れてくれた、哀れな迷い子。

 のちに、この子の帰る場所を奪ってしまったのは己だと気がついた。

 しかし私は贖罪の方法を知り得なかった。だからこそ、己が帰る場所となるべく決心したのだ。

 共に眠り、共にそれぞれに合ったものを食し、共に大地を駆けた。僅かではあったが、己の中ではずっと輝き続ける瞬間であった。

 

 いずれこの子も成長して己の家族を持つだろうと、子の行く末に思いを馳せた。その時に、この子の種族の仕来りを知らないようでは話にならぬ。

 彼らは巣立ちをしないようであったが、己の懐にいつまでも居させてはこの子の為にはならぬだろう。だから一度は自ら身を引き、他の群れの元へと導いた。

 それでも、長い年月の果てにこの大陸まで追いかけてきてくれたのだ。

 はじめは私だと気がついていないようだったけれど、今思い出してくれたのだから構わない。

 これまで、ある程度の距離を置くのは成長したこの子にとって大切なことなのだろうと、敢えて気づかないふりをしていたが……本当は、こうして傍に寄り添いたかったのだ。

 最期に無理をしてでも追いかけてきて良かったと、心から思う。

 

 苦しむ私を見て、子の顔が心配そうに歪む。ヒトは表情で感情を伝えるのだと知ったのは、この子との時間の中でのことだ。

 久方振りにこうして触れ合えたのに、こんな思いをさせたくはない。呼吸も苦しいが、心配をかけないようにしなければ。

 

 己が病に蝕まれていることに気付いたのは、この子の姿を見かけなくなってからだった。

 ヒトの都合は解らぬ。だが、このままでは二度と逢えなくなってしまう。そんな焦りが、己が身を動かした。

 残される妻と生まれてくる赤ん坊に会えないことは心残りだが、あの場に残ったとしても己が逝くのが先だったろう。

 それならば、叶う望みだけでもと我儘な行いをしてしまった。この子の仲間を辿って巣を探し、ようやくここまで辿り着いたのだ。

 

 大地の糧となる前に、最期にどうしても慈しみ育てた我が子に会いたかった。

 愚かやもしれぬが、血の繋がりや種族の違いなど些細なものだと思っていたのだ。

 

 子は、頬を擦り寄せてきた。

 何か鳴き声を上げているが、ヒトの鳴き声は複雑すぎて正確には理解ができない。共に暮らしていた時も、仕草や行動で互いの意思を伝え合っていた。

 

 それでも、幼い頃のように縋り付いてくる小さな身体が愛おしい。妻と共にこの子や赤子の成長をずっと見守っていられたなら、どんなに幸せだったろう。

 だが、私は長く永く生きた。頑丈だった身体も流石にガタが来ていて、休みたいと訴えている。

 

 さあ、時は満ちた。名残惜しいが、もう行かなばならぬ。

 これ以上ここに留まっていては、生命の炎が先に燃え尽きてしまうだろう。愛子に屍を見せるのはあまりにも酷だ。

 

 

 

 炎王龍はユウラをじっと見つめ、心底愛おしげに頬擦りをする。

 そして、踵を返してゆっくりと冷たい潮風の吹く方へ歩き出した。

 

 

 

***

 

 

 

「驚いたな。古龍とあれほどまでに親密になることがあるなんて……」

 

 去っていく炎王龍の背に、調査班リーダーが感心したように呟く。

 

 彼は新大陸の生まれだが、新大陸古龍調査団に所属しているからといって特別古龍との関わりが多いというわけではない。

 むしろ、古龍の危険さをよく知った大人たちに囲まれて育ったため、彼らに対しての姿勢は慎重ですらあった。

 

「万が一に備えて護衛の支度を整えますか?」

「……いや、必要ないだろう。テオ・テスカトルではなく他の脅威が想定されれば、そちらに警戒してもらう」

「承知しました」

 

 提案した五期団のハンターは、司令官の言葉にやや目を見開きつつも承諾して下がった。

 

「イヴェルカーナが居なくなったとはいえ……あの氷の稀聖を討伐したハンターと互角に渡り合う、氷刃佩くベリオロスのいる凍て地にまで来るなんてね。それも、あの学者サン(竜人たった一人)に会う為だけに」

 

 青い星が腕を組んで唸った。

 氷刃佩くベリオロスは、元々渡りの凍て地の中でも調査団の未調査地域に生息していたモンスターだ。

 老練の彼は特殊個体として位置付けられ、古龍に負けずとも劣らない知性と豊富な経験があった。

 青い星が例に挙げた、彼と交戦したハンターすら軽くはない怪我を負っていたのは、皆の記憶に新しい。

 

「そんな危険を冒してまで逢いたかった人、か……」

 

 ジェナがぽつりと呟くと、リュカはちらりとそちらを見る。

 一方で、青い星はやれやれと首を振った。だがその表情はどこか嬉しそうだ。

 

「まったく、素晴らしい愛を見せつけてくれるじゃないの。ねえ?」

 

 青い星が後ろにいた編纂者を肘で突くと、彼は苦笑を浮かべて助け舟を求めるように隣へ目線を動かした。

 巨大な刃で隠れて、視線の先に居るのが誰かまでは分からなかったが。

 

 そんな時、場の流れを変えたのは雪を穿つエッジが板を叩く音。それは若き司令官の方へと響く。

 

「司令官、ご報告が」

 

 足速に人並みを掻き分けて来たのは、医療班のうち獣人やポポ、翼竜などを診る者だった。

 

「直接診ていないため定かではありません。ですが他の先生方と相談したところ、炎王龍の状態を鑑みるに心ノ臓の病を患っている可能性が高いと判断されました」

「そうなのか?」

 

 彼は「簡単に言えば、ですがね」と眉間のしわを寄せたまま頷いた。

 怪我をしているわけでもなく、急に激痛が走るものとしては複数の要因が挙がる。

 脳血管の疾患であれば、いくら痛みに強い龍といえどこうして立ってはいられないだろう。

 末期の癌であれば、もっと癌細胞に栄養を奪われて身体は痩せ細っているだろう。

 腹膜炎であれば、もっと若い個体に発症するだろう。

 臓器の捻転であれば、瞹気やえずく様子が見られるだろう。

 

 他にも可能性はあるだろうが、現時点で最も有力なのは心疾患の説だったと彼は言う。

 

「他のモンスターであれば除外するものですが、古龍という長命な生き物ですので。

 最初に龍が痛みを感じているような様子を見せてから、二十分が経過しましたから……あの苦しみ方からすると、おそらくもう一刻と持たないでしょう」

 

 その言葉に調査班リーダーは目を見開いた。

 

「なんだって? もしそうなれば、生命エネルギーが暴発するかもしれない……!」

「いぇーい! ドカーン!」

 

 爆発好きな五期団ハンターのはしゃぎ様に、皆は一斉に凍て地の小川よりも冷たい視線を向けた。

 彼は目を瞬かせ、クリクリと視線だけを動かす。

 

 若き司令官はゴホン、と咳払いをした。

 

 古龍の絶命時には、エネルギーが解放されることもあるという。ゾラ・マグダラオス誘導作戦の目的は、熱エネルギーが暴発して新大陸が火の海になることを防ぐためだった。

 アステラで多くの者が目にした、威力の抑えられた超新星爆発(スーパーノヴァ)でさえ竜巻を消し飛ばすのだ。あの爆発さえ、己の生命に影響が及ばない程度に調整されていただろう。

 後ろで聞いていたソードマスターは、ふむ、と唸る。

 

「かの龍の力をもってしては、此処は保たぬだろう。手を打つなら早い方が良い」

「でも、イヴェルカーナの絶命時には何も起こりませんでしたよ。その後の地殻変動だって、アン・イシュワルダが原因でした」

 

 受付嬢が首を傾げる。それに対して、エイデンが返した。

 

「だとしても、テオ・テスカトルは炎の龍ッス。絶命時、どんな高熱を発するか分からないぜ。そうなれば、爆発物の置かれたここはおしまいってわけさ。蒸気機関や工房が熱でやられちまう可能性だってある」

 

 その一言で、精鋭たちの顔に険しい色が浮かぶ。

 アステラが無事だったからといって、こちらも同じようになるとは限らない。

 

 せっかく築き上げてきたセリエナが、もし見るも無惨な姿になってしまったら。その場合、少なくはない死傷者も出る筈だ。

 故意ではないとはいえ、この龍を許すことはできないだろう。

 そうなる前に、なんとか防がなければならない。

 

「大砲に詰めてある弾以外、全て運び出そう。アステラは戦闘に巻き込まれたそうだが、ここにクシャルダオラは居ない。セリエナを守ることが優先だ」

 

 調査班リーダーは、その場にいた調査員を素早く二つに振り分けた。

 自身の役割を果たすべく、彼らはすぐに動き出す。

 

 幸い、炎王龍は長くここに留まるつもりはないらしく、外海へと向かって歩き出した。

 だが、あまり近くで絶命されては場所によっては雪崩が起きたり、津波が押し寄せたりする可能性もある。

 酷なことだが、早く遠くへ行ってほしいというのが見守っている多くの者の思いだった。

 

 ただ一人を除いて。

 

 

 

***

 

 

 

 お天道様はゆっくりと、だが確実に雪の溶けた泥に足跡を残していく。

 

 はじめのうちこそ追いかけようとしていたユウラだったが、お天道様の足取りを見てやがて足を止めた。

 もう、振り返ることは無いのだろうと──一度止まってしまえば、再び歩み出す力はもう残らないのだろうと確信したのだ。

 

 吹曝になりビリビリと這うようだった頬の痛みが、ほんの僅かに和らぐ。

 顎へと伝ったそれが凍ってしまったことに気づいたのは、お天道様の逞しい翼が徐に持ち上げられた時だった。

 だがそれは、すぐに次の雫によって溶かされていく。

 

 先ほどやっとのことで口にした思いの丈。あまりに必死で、自分でも何を言ったのかはほとんど覚えていない。

 

 無意識のうちに記憶を奥底に仕舞い込んでいたのは、調べ物をしているうちに自身の集落についての書物を目にしてしまった為だった。

 その書物には、炎王龍によって集落が飲み込まれたのだと書かれていたのだ。あまりの衝撃に、数日まともに食事さえ喉を通らなかった。

 だが共に暮らしていた頃、そして今のお天道様を見れば、他の生き物の暮らしを故意に奪うような龍ではないと解る。

 だから貴方を赦すと。そう、伝えた。

 

 鈍色の空に、銀青の髪が靡く。それはさながら、炎妃龍の焔のようだ。

 その蒼炎の中、お天道様は雪の降り頻る北の空へと飛ぶ。そして足場の悪い谷を抜けると、再び歩き出す。

 それを幾度か繰り返し、やがて海際へと到達すると、今までより一層大きく翼を広げた。

 

 ユウラは、夢中になって駆け出した。

 

「あ、ちょっと!」

 

 同僚が呼び掛けるが、その声はユウラの耳には届かない。

 かの龍の挙動に目を配りつつも、調査員らは各々の役割を果たす。

 組織としては団体行動を乱すのは御法度だが、いまのユウラを責める者は居なかった。

 何故なら、ここにいるほとんどが別離の悲しみを知っているからだ。たとえ別種の交わりだとしても、その絆を理解するだけのこれまでの経験と適応力がある。

 ここまで来たらそっとしておいてやろうというのが、皆の見解だった。

 

 漏れた嗚咽が、白く空へと溶けていく。

 

 あの時、かみさまが助けに来てくれた、と救われたような気持ちになっていたのだ。

 でもお天道様は、人智を超えたかみさまだけれど霊的な神様ではなかった。

 確かに、大元の原因はお天道様だったのかもしれない。けれど、家族も故郷も何もかもを失ったユウラを、庇護してくれた。まるで我が子のように愛してくれたのだ。

 

 お天道様はふらつきながらも、空へと高度を上げていく。

 妻子の待つであろう龍結晶の地を目指すのか、それとも瘴気の谷で死を待つのか、はたまた別の場所を目指しているのか。

 ここからでは、お天道様の目的は分からない。

 

 だが、もう二度と会えないことだけは理解できてしまっている。

 胸が張り裂けそうに痛い。つらく過酷な道のりだったろうに、最期に自分の顔を見に来てくれたのだ。

 小さくなっていく後ろ姿を目に焼き付けようと、ユウラはただただ空を見て追いかけた。後から後からと滲んでくるものが邪魔なのに、振り切ることができない。

 兵器置き場の砦に登り切ってしまうと、もう先には進めなかった。

 内まで凍みた丸太に手を着き、息を切らしてその場にしゃがみ込んだ。

 

 最期に頬擦りをしてくれた時の温もりと優しい眼差し、そして伝えてくれた沢山の愛情が身に染みる。

 ユウラはひとり、橙色の寒空へと微笑んだ。

 

「ありがとう……っありがとう、私のおとうさん」

 

 その囁きは誰の耳に届くこともなく、静かに雪の中へと吸い込まれていった。

 

 

 

***

 

 

 

「これで、一安心かしらね」

 

 青い星がぽつりと呟く。

 各々の仕事をしながらも、その場にいたほとんどの者が同じことを思っていた。

 それまで黙っていたリュカは、ジェナと目を合わせて調査班リーダーの元へと歩み寄った。

 

「どうした」

「ぼくらで、彼の様子を見に行っても良いでしょうか。思い入れのある個体ということもあるけど……伝えてあげたいんだ、彼の最期を」

 

 それが誰に対するものかを、調査班リーダーはすぐに察した。彼は交互にリュカとジェナの顔を見る。

 彼らの眼差しから真剣な光を認め、やがて若き司令官は頷いた。

 

 海原を滑る凍てついた風が、耳元で唸る。刺すような冷たさのそれは、他のモンスターの毛皮を借りたとしても身を蝕んでいく。

 自分達を乗せてくれている翼竜も、そう長くは持たない。

 こんな寒さの中、炎王龍はよくセリエナまで飛んできたものだ。それはかの龍の愛情深さを表す指標として、これ以上ない行動だった。

 

 とうに遠くへ行ってしまったと思っていたが、炎王龍にはすぐに追いついた。

 もう、早く飛ぶ力は残されていないのだ。こちらにも気づいてはいるだろうが、反応する気力もないようだった。

 それでも今羽ばたくのを止めれば、さらに冷たい水が身を包むだろう。

 

 ジェナがそんなことを考えていた矢先、ふらふらと飛んでいた炎王龍の身体が大きく傾いた。

 

「ああっ……」

 

 その燻んだ赤い身体は、わずかな火の粉を散らして海へと落ちていく。

 思わずそちらへ向かおうとしたジェナを、リュカが手を伸ばして止めた。

 振り返ると、リュカの目元が真っ赤になっているのが見えた。それは寒さによるものだけではないだろう。

 

 大きな水飛沫を一つあげ、炎王龍の姿は見えなくなった。

 紺碧の海面に、白い泡の模様だけが浮かぶ。いくら待てども、その泡が再び増えることはもう二度となかった。

 懸念されていたエネルギーの暴発も起こらなかったようだ。獲物を待ち構える捕食者がかの龍を喰らいに来たのか、それともただ沈んでいっているのか。

 できれば後者であってほしい、というのが二人の願いだった。

 

 誰もが想像していた以上に、呆気ない最期だった。

 だが、彼は敢えて愛する者に囲まれる死を選ばなかったのだ。これで、これで良いのだろう。

 

「……彼は、きっとこれで安心して眠れる。行こう、ジェナ」

「…………ええ」

 

 

 

***

 

 

 

 後にその出来事はクエストとして処理され、ソードマスターによって「滅日」と名付けられた。

 百事に凶であるという日を指すその言葉。人々の拠点に来る筈のない古龍が来訪するという事態は、聞き齧っただけでは大厄災を連想させる。

 だが、それだけの意味ではないことは、その場に居合わせた皆が理解していた。

 

 

 

 そのクエストが書類として出来上がる頃。

 青い星らを導いた龍の消えた場所にて、蒼い炎が静かに揺らめいていた。

 




テオ・テスカトルが大好きなんです。ここまでお読みいただきありがとうございます。

動物の心筋梗塞は極めて稀で、その程度も軽いそうな。ただ、弱肉強食の世界に生きてはいても永い時を生きる古龍という種ならばもしかすれば、という妄想の産物です。だから現実世界の獣医さんはこういう判断はしないと思います。
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