青の炎妃はご機嫌ナナめ   作:蒸しぷりん

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第一章 夫婦喧嘩はガルクも食わない
ドレスコードは純金で


 ぽた、ぽた、と高い天井から雫が落ちる。だがそれは結露でもなく雨漏りでもない。

 世にも奇妙なことに、雫の一粒一粒が金色に光り輝いているのだ。

 

 

 惑星の中身をぶち撒けたのではないか。そう錯覚するような、猛烈な熱と光のエネルギーが暴れ狂う。

 息を飲むような黄金の宮殿はもはや、主以外のすべてを拒絶していると言えた。

 

「……まったく。龍とヒトの領域は、こうまで違うものかしらね」

 

 素早く納刀した狩人はポーチから水筒を取り出し、頭から中身をかぶった。地上では冷たく喉を潤したそれは、沸騰するほどに熱されている。

 だがその熱湯さえも、ここでは生ぬるく感じた。

 

 この状況が生き物によって作り出されたものだなどと、誰が信じるだろう。しかし、その事実を証拠付けるように、隅々まで金で縁取られた黒い鱗が大きくうねった。

 

 

 ここは新大陸を血管する地脈の一角に造られた、古くより存在する自然の宮殿。

 金が水のように降り注ぐという、現実離れした光景も、ここではまったく珍しくない。それどころか、壁も床も見渡す限りすべてが黄金だ。

 滴り落ちる金属は、天井から氷柱のように垂れ下がり、豪華なシャンデリアを形成していた。

 上層では隙間から差し込む空の光も、地下深くには届かない。それでも黄金の輝きは決して失われることはない。何故なら、"光源がそこに存在する"からだ。

 

 みるみるうちに、周囲の温度が上昇していく。

 喉から胸部にかけてがコオォ……と赤熱化したかと思うと、とてつもない熱さの龍の吐息が吐き出された。

 雄火竜リオレウスのものとは、そもそも質が異なる。後者が炎の球を吐き出すならば、前者は熱そのものを吐き出しているようであった。

 

「ッ! ……あら。やるじゃない女神さま」

 

 間一髪。

 灼熱の奔流の直撃を免れた狩人は、焼けた喉で呟く。

 呼吸すら困難な空間は、体温を下げようと皮膚が分泌した汗も瞬時に蒸発してしまう様だ。

 

 気の遠くなるような年月を地の底で過ごす龍が、人間の言葉など知る由もない。

 だが焦熱の元凶はその高慢な口ぶりに憤慨するように、首をもたげて唸るような咆哮をあげた。

 

 "それ"は身体だけを見て例えるならば、蜥蜴のよう。しかし蜥蜴というにはあまりにも巨大で、強靭な生命力を持ち合わせていた。

 黄金で造られた豊かな乳房や羽織りは、彼女の怒りと共に溶け落ち、金色の敷物と化した。高価な金糸の織物など、この光景を前にすればくすんで見えることだろう。

 

 美の権化。豪華絢爛。これらの言葉がこれほど似合う龍が、かつてこの世に存在しただろうか。

 黄金の地母神とも謳われるかの龍を、人々は爛輝龍マム・タロトと呼んだ。

 

 

 

 爛輝龍は海豚のような声を上げて身体をたわめるや、地面ごと抉るような体当たりをしてきた。

 常の竜とは桁違いな巨躯は、人の身で避けるにはかなりの労力と判断力を要する。

 なんとか仲間が巻き込まれていないことを確認すると、狩人の一人が声を張り上げて鼓舞した。

 

「もう少しの辛抱よ! それまでこんがり肉にならないように!」

「ふっ、あんたもね。ジェナ!」

 

 ジェナと呼ばれた女性は「言われなくても」と武器の吹き口にふっくらとした唇を当てた。

 既に四人が疲弊しているのは明らかだった。勿論、古龍の調査を担えるだけの精鋭が集められている。

 とはいえ、避けることの叶わない熱による水膨れやびらんだらけの皮膚に、数々の打撲などの怪我。そして何より身体を苛む熱が、狩人たちの気力を削いでいた。

 そもそも地母神の怒りを前にして、ここまで生き延びられていること自体が奇跡と等しい。

 

 鋭く息を吸い、収束させた空気で弦を震わせると場違いな──否、ある意味ではよく似合う嫋やかな音色が響き渡る。

 凍て刺すレイギエナの魂が込められた狩猟笛リルン=グレイシア。

 その調律は聴いた者の気分を落ち着かせ、ジリジリと炙られていた皮膚の痛みの感覚を遠のかせた。

 同時に焦りや恐怖が和らいだことで、狩人たちの動きが目に見えて俊敏になる。

 

「せっかくここまで追い詰めたんだ、あの馬鹿でかい角を持ち帰ってやろうじゃねえか!」

 

 五期団の男は軽弩(ライトボウガン)の銃口を高く構え、爛輝龍の頭部に向けて数発撃ち込んだ。そのうち二発が角の付け根に着弾し、地母神は僅かに顔を引く素振りを見せる。

 

 爛輝龍の最大の特徴は、雲羊鹿を彷彿とさせる、己の頭部よりも巨大な巻角だ。

 そして狩人たちが求めているものこそ、この角だった。彼らが所属するのは新大陸古龍調査団。古龍調査のプロフェッショナルである。研究サンプルの獲得を目的として、狩人たちは地母神の住まう黄金郷へと足を踏み入れていた。

 調査は幾度となく重ねられ、地母神のまとう金属やら足跡などの痕跡やらは、十分に手に入った。一期団が追うことの叶わなかった古龍を知るために、次に欲しいのがその大角というわけである。

 

 角は執拗に狙われ続け、右側の表面にはヒビが走っていた。

 だがその王冠は、纏った黄金が剥がされて傷つけられてもなお輝きを失わない。彼女こそがこの宮殿の主であることを、如実に表していた。

 

 ジェナは角から視線を外さず、左手の小型の弩を構えた。

 それこそが調査団が新大陸で生きていくうえで作り出した数々の機能を持つ装備、スリンガーである。付属の金属の爪(クラッチクロー)は持ち主の体重を支えられるほどに頑丈だった。

 

「そろそろ折れてもいい頃、なんだけど……ねっ!」

 

 ジェナはクローを支えとして、まるで大道芸のように笛をくるくると回した。そして勢いよく蹴り上げて息を吹き込むと、ピシピシと音を立てて爛輝龍の胸に霜が張り巡らされる。

 片や規格外の高温、片や超低温。発生した氷は瞬時に溶かされて蒸気となったが、爛輝龍は後ずさった。

 そして下がった頭部へ向けて、ジェナはクラッチクローを撃ち込んだ。金属の鉤爪は爛輝龍の角を捉え、ワイヤーが巻き戻ると同時にジェナは空高く跳躍する。

 

「雌火竜に炎妃龍、そしてあんた。よくもこう熱いオンナばかりが集まるものだわ」

 

 自らの角を狙われていると悟った爛輝龍は、ブレスを吐こうと咄嗟に口を開いた。しかし先ほど胸元に打ち込まれた氷で、造熱器官の温度が十分に上昇せず、吐き出すのに間に合わない。

 白金に煌めく角を脚台にすると、ジェナは長く連れ添った愛器を振りかぶった。

 

「折れろおぉぉおッ!!!!」

 

 するとそれまでの硬さが無かったかのように──否、硬かったからこそ。岩に割れ目ができるように、その角は一息に折れて地面へと落下した。直後、大出血が起きる。

 爛輝龍の熱でも固化すらしない血液は、黄金の床を真紅に染めた。

 

 古龍の最も大事な器官を。自分が折り取ったのだ。

 ジェナは着地すると、息を整えながら口角を上げた。駆け寄ってきた仲間の称賛に、ジェナは手を振って応える。

 

 人間を意にも介さずに闊歩していた爛輝龍も、こちらを明確に脅威と見做したことだろう。

 警戒心の強い古龍のことだから、これで爛輝龍は地脈の奥深くへと姿を消す筈だと。

 そう、誰もが思っていた。

 

 

 

「なんだコイツ、逃げない……?」

 

 盾斧(チャージアックス)使いは、訝しげにフィールドの中央を見つめる。その言葉に、残りの三人はハッと振り向いた。

 

 彼の視線の先には、柱へと蛇のように巻きついた地母神の姿があった。誰も見たことのない構えに、精鋭たちは身構える。

 地母神の眼差しは爛々と光っており、殺意が剥き出しになっていた。

 

「ウソでしょ。まだやろうっての?」

「……わたし、救難信号撃ってくる」

 

 そう告げて背を向けた太刀使い。

 だが、彼女が黄金の宮殿を脱出することは叶わなかった。

 

「うわあああっ! 何これっ!?」

 

 宮殿を揺らがせたのは、圧倒的な質量を伴った熱。ただその一言に尽きる。

 爛輝龍は岩に巻きついたまま、超高温のブレスを上に向かって吐き出している。

 やがて熱によって天井は白熱し、溶かされた黄金が雨のように降り注ぎはじめた。だがそれは雨よりもずっと質量が大きく、粘度をも併せ持つ。

 

「外側に逃げろ、早く!」

 

 目に入れば失明、などと生易しいものではない。液状になるまで熱された金属は防具を焼き、その中の皮膚や筋肉すらも焼く。

 ジェナの後ろで悲鳴が上がる。振り返れば、軽弩使いが顔を押さえて苦悶していた。

 盾斧使いが血相を変えて助けに走る。哀れだが、もう元通りの顔に戻ることはないだろう。

 

 脅威は降り注ぐ黄金だけではない。ただでさえ獄熱だったというのに、一気に上昇した気温も侵入者へと容赦なく牙を剥いた。

 次第に頭がジンと重くなり、意識が朦朧としてくる。ジェナは覚束ない手つきでクーラードリンクの瓶を開け、中身を飲み干した。こんなものは気休めだ。

 脳まで茹だってしまえば、人間の身体は使い物にならなくなる。何の変哲もないタンパク質は、この凄まじい熱の中はそう長く耐えられない。

 

 地母神の怒りは、すでに頂点に達していた。当然だろう、己の最も尊ぶ王冠を奪い取られたのだから。輝く黄金を捨てても、唯一手放さなかったものを。

 爛々と燃える横長の瞳孔が、ジェナを捉える。

 

「逃しちゃくれないってわけね、女神さま。いいわ、やってやろうじゃない」

 

 ジェナは笛を握りしめ、不敵な笑みを浮かべた。

 伊達に"白き風"の紋章を背負って新大陸で生き抜いてきたわけではない。危険なモンスターの集う『導きの地』の調査だって、うまいこと数をこなしているという自負があった。

 

 ジェナは体全体を使ってリズムをとり、この後のイメージを頭の中で固めた。残りの二人も続く。

 金属が頬を流れ落ちるような状態で固まっていたが、軽弩使いも諦めてはいないらしい。何よりも、諦めたら死が待つのみということを、皆が経験則で分かりきっていた。

 

 これ以上熱を吐き出しても意味がないと悟ったのか、爛輝龍は黄金の重さをものともしない強靭な四肢で駆け寄ってきた。

 彼女が口を開けると、ずらりと並んだ鋭い牙が目の当たりになる。

 四人は各々で回避し、地母神に向かって武器を構えた。

 

 だが怒りに燃えた爛輝龍がそれで許す筈がない。強靭な尾で狩人たちがいた場所を薙ぎ払うと、黄金が抉れる。

 太刀使いはスウッと息を吸うと、瞬時にその尾をいなした。

 鍛えられた刃とその太刀筋は、揺らめく空気の中でも鋭く光る。

 

「がッ……!?」

 

 だが、直後に聞こえたのは息が詰まったような彼女の声。

 見やれば、人の身体よりも二回りほど大きな角が太刀使いにのし掛かる形になっていた。

 

「セルマ!!」

 

 爛輝龍は尾を避けられることを承知した上で、太刀使いに悟られる前に足元にあったそれを飛び道具として使ったのだ。

 プライドの高い地母神ならば、自らの角を杜撰に扱うことなどしないだろう。そんな狩人たちの油断をついてきたのだった。

 例えるならばそれは、ハンマーをいくつか束ねた重量が、そのまま身体に乗っているようなものだ。

 

「あぅ、う、動けない……!」

 

 早くあの角を退けなければ、潰された部分が機能しなくなってしまう。

 だが何よりも。

 ズン、ズン……とわざと速度を落とした足音が、残酷にも近づいてきていた。

 

「待って……セルマ……!」

 

 そんな言葉など、怒れる龍には届かない。咄嗟に駆け出したものの、それが何の意味もないことは分かっている。ジェナとセルマが居た位置は、フィールドの端と端だ。

 爛輝龍はジェナと同じ方向を向いているため、閃光玉は効かないだろう。この笛では高周波を出して驚かせることもできない。

 どう頑張っても、親友を助けられないのか。

 どこまでも無力な自分に吐き気がした。

 

 その時、爛輝龍の欠けた角の付け根で何かが光った。直後、爛輝龍は悲鳴を上げて大きくのけ反る。

 

「なに……?」

 

 ジェナは状況を飲み込めず、きょろきょろと辺りを見回す。

 

「救難部隊だ! 怪我人は下がれ!」

「お疲れ。後は任せてくれよな!」

 

 声の方に振り向くと、爛輝龍を怯ませた者に続き、武器を背負った人々が黄金郷へと降りてきたのが見えた。

 彼らは広く顔を知られている。何故なら彼らこそが、調査団の誇る推薦組だからだ。

 

「よかった、助かった……!」

 

 盾斧使いは安堵の息を漏らす。他の二人もほっとした表情を見せる中、唯一ジェナだけがあんぐりと口を開けていた。

 

「は?」

 

 爛輝龍の頭から、人影が飛び降りる。危なげもなく着地したその横顔にも見覚えがある。むしろ心当たりしかなかった。

 

「青い星だ、助けに来てくれたんだ!」

 

 人影──その女性は、推薦組の中でずば抜けた狩猟能力を持っている。人一倍鮮やかに任務をこなすうちに付けられた二つ名こそが、調査団の希望とされる"導きの青い星"だった。

 青い星は大きく跳躍し、角が無くなって曝け出されたその場所に飛び込む。そして首の上で、情け容赦なく鎚を振り下ろした。

 

 骨が砕けた、嫌な音が響く。その直後、龍の身体が崩れ落ちて動かなくなった。

 だが、爛輝龍はまだ息絶えたわけではない。ただ脊椎を外し、首から下の神経を断っただけだ。彼女の四肢は、もう二度と動くことはないだろう。

 

 青い星は間髪を開けず、力を溜めるような動作の後に岩を駆け上がる。

 爛輝龍はなおも抵抗するように睨み付けていたが、もうこの身体ではどうにもできない。

 そして青い星は再び鎚を振り上げ、頭部と頸の境目に打ち当てた。地母神は悲鳴すら上げられないまま、地面へと崩れ落ちる。

 爛輝龍はもう、ピクリとも動かない。そうして辺りには静寂が生まれた。

 

「……はあ?」

 

 古龍の絶命と共に、周囲の温度が緩やかに下がっていく。まるで、先程までの熱気が嘘だったかのように。

 そのうち、仲間から歓声が湧き上がった。これまで成し得なかった爛輝龍の討伐を果たしてしまったのだから。

 だが推薦組が仲間たちを助けてくれている中、ジェナはただ突っ立っていることしかできない。

 これからというところだったのに。すべて横から掻っ攫われたのだと気づくまで、かかること数分。

 

 その時後ろからとん、と肩を叩かれた。

 徐に振り向いた先には、凛と背を伸ばした青い星。彼女は晴れやかに笑った。

 

「あんたが奴さんの角を折っておいてくれて助かったよ。ありがとね」

 

 ジェナはしばらく呆然としていた。だがやがて拳を握りしめ、わなわなと唇を震わせた。

 最後に止めを刺すところだったのに。自分はまだやれたのに。美味しいところだけ持っていかれた……!!!!

 

「はあああああーーーーッ!?!?」

 

 

 殺気の消えた黄金郷に、ジェナの絶叫がわんわんと響いた。

 

 これは優秀なのにいつもちょっぴりツイてない、女ハンターの物語。

 


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