【完結】青の炎妃はご機嫌ナナめ   作:蒸しぷりん

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後悔残して火は消えて

 

 

 

 時はやや遡り、地面に降りる影が僅かに傾く辺りの頃。

 

 つい先ほどまでは生ぬるい潮風が頬を撫でていたのに、今は雪混じりの突風が肌を刺している。

「すごいねジャック、こんな場所ぼく初めてだ」

 飛ばされまいと腕にしがみついているジャックは、きょろきょろと辺りを見回すように小さな頭を動かしている。紅い触角やふさふさした体毛は、風でぺたんこになっていた。

 噂を耳に挟むのみだった導きの地は、ジェナの言う通りなんとも不思議な場所だった。遠目では様々な種類の木々に覆われた豊かな島といった印象だったのに、少し高度を下げてみれば大蟻塚の聳える砂地、水源の豊かな陸珊瑚の礁など、新大陸の古龍の亡骸で創られた循環がまるでジオラマのようになっている。本来ならばこれほどまでの地形や気温の変化が、一所に密集している訳がない。

 地図は確認してきたものの、リュカが自分がどこに向かっているのかよく分からないまま翼竜にぶら下がっていた。風の流れは不安定で、自分よりはこの地に慣れている筈の翼竜も飛びづらそうにしている。

 

 だが、この心臓を跳ねさせているのは期待だけではない。リュカは不安で締め付けられた肺になんとか酸素を送ろうと、口を窄めて深く息を吸う。

(──ああ、杞憂で終わってくれないかな)

 セリエナの掲示板に貼り出されていたのは、一枚の通知。所謂、緊急クエストと呼ばれる類の書類だった。その難易度を示す星印は、普段リュカが受注しているものよりも二つも多い。ターゲットは、荒地地帯で観測されたナナ・テスカトリ一頭。観察クエストの扱いだが、やむを得ない場合は討伐も可と記載されていた。そして、クエスト参加者の名札は一名分しか貼られていなかった。

 リュカは唇を噛む。いくらあの個体が比較的温厚とはいえ、古龍を相手にするクエストに一人で行ってしまうだなんて。炎妃龍にパーティ戦で臨む危険性は理解している。だが、身重の古龍の周りに何が集まってくるかなど、指示を出した司令官は承知している筈なのに。

 ふと聞こえてきた鳴き声に、リュカは眉間に込めた力を緩めて視線を下げた。強者の集う地だと聞いているが、その割には木々の間からアプトノスやらアプケロスやらが長閑に寝そべっているのが見える。炎妃龍が付近にいるというのに、なんという呑気さだろう。この平穏が、かえって不気味だった。

 

 その時、身の毛のよだつような咆哮が後ろからこだまする。リュカとジャックは身体を硬くし、次の声を待って耳を澄ませた。これは飛竜種の一部が危機状態に陥った際に番を呼ぶ声だ。

 直後、二度目の咆哮と共に黒々とした──否、鈍く光を弾く銀青の竜が脇目も振らずに飛び去っていくのが見えた。広げられた逞ましい銀翼は、まるで刃物のように大気を切っていく。

(リオレウス……にしては随分と黒っぽい。光の加減で違う色に見えているのかな……いや、違う。あれは……!)

 リュカは目を見張った。白銀の火輪と称される体色。導きの地という特異な環境を生息地にしていること。そして巨体をものともしない風の扱い。それらの特徴から導き出される説は、彼が火竜の中でも希少種と呼ばれる個体であるということだった。リオレウスそのものは生息域も広く、比較的多く観測される。しかし去年新大陸でも確認された亜種や希少種などは、その名が表すように滅多にお目にかかれない。実際、調査を担当する龍結晶の地でも他のハンターからの亜種の発見報告があったが、リュカはその姿すら見たことがなかった。ましてや希少種など、相見えるとは思いもしなかった。その姿を瞼に焼き付けようと目を凝らす。

 リオレウス希少種が飛び去った方角は、地図を見る限りは行き止まりだった。だがさらに下層を書き記した二枚目へと目を移すと、赤々とした溶岩が描かれている。そこに、身重の炎妃龍が居るという確信があった。そして、おそらくジェナも。

 次の瞬間、下から襲い来るすさまじい熱波。リュカが翼竜を逃し、慌てて飛び込んだ時に目に映ったのは、銀火竜と共に弾き飛ばされ、力なく宙を舞う女人の姿だった。

 心ノ臓が止まるかと思うのと裏腹に、身体は咄嗟にそちらへと駆け出していた。もし今の衝撃に加えて銀火竜の巨体に下敷きにされてしまったら。

「間に合えッ!」

 熱波と共に、あちこちに折れた棘が散らばる。間一髪だった。

 自分も大きく体勢を崩しながらも、なんとかジェナの身体を抱き留め、這いつくばって銀火竜から離れる。すれすれのところを毒のある鉤爪が通り、肝が冷えた。洞窟の奥にはマグマの中に蒼く光る体毛が見え、炎妃龍がその場にいることだけが分かった。

 そこからはどうやって過ごしたか、よく覚えていない。熱気でまともに息もできないままにジェナを抱えて走り、大慌てで近くに控えていたネコタクを呼んでいた気がする。とにかく必死だった。

 

***

 

 昼下がりでも鬱蒼とした上層部に設置されたベースキャンプは、緊迫した雰囲気に包まれていた。ネコタクアイルー達が見守る中、鋭く指示が飛び交って迅速に手当てが行われていく。

 リュカは足の位置をずらして僅かに背伸びをし、応急処置が行われている隙間から様子を窺った。ぐったりとしたジェナの口元を覆うマスクの表面を、定期的に水滴が覆う。その呼吸が弱いことは、知識のないリュカにも分かった。

 銀火竜の巨体が盾になってくれたのは幸いだったが、武器もろとも折れたジェナの両腕は、関節でないところからおかしな方向へ曲がってしまっている。それに加えて、表出した皮膚は赤い水脹れがあったり白くなっている部分があったりと、酷い有様だった。熱傷を負った部分は清潔なガーゼで保護され、水で冷やされている。

(あれ……?)

 ジェナの胸元には、左にだけ保護剤越しでもわかるような不自然な凹みがあった。そこにあったものを筋肉ごとくり抜かれたような凹みは、果たして今回受けた傷だろうか。そこまで考えて、治療を受けて無防備な異性の胸を凝視してしまった無礼に気づき、慌てて視線を外す。

 

 救護班が処置を行っている合間にも、大小様々な爆破音と敵意に満ちた咆哮は続いていた。もしあの場でジェナとリュカもターゲットにされていたとしたら、ここまで逃げ切れていなかっただろう。

 ジャックに目配せをし、武器を背負い直す。その拳は、小刻みに震えていた。春に思いを馳せる時期にあれだけ後悔したのに、再び我が事に大切な人を巻き込んでしまった。しかも、またしても自分がその場に居ない時に。

 ハンターになってからも、これまでふらりと誰かと一緒にクエストに行くことはあっても、一定期間ペアを組んで狩りをすることは無かった。それは、その相手に自分の尻拭いをさせたくなかったからだ。自分でやりきれない時に誰かを頼ることと、自分の失態を庇ってもらうのとでは訳が違う。青い、頑固だ、などと言われたとしても、それだけは線を引いていたかった。そして、同じ失敗だけは繰り返すまいと、そう思い続けてきたのにこの様だ。

 歯を食い縛るリュカに、救護班の護衛ハンターが同情を含んだ眼差しを向けた。背負う武器とその装いから見るに、おそらく彼女も導きの地の調査に携わっていたのだろう。

 

 自身の指笛を聞いた翼竜が来る前に、リュカはちらりと後ろを振り返る。

 若い竜人族の医師が端的に指示を出しつつ、救命衣に身を包んだ調査員の男女と共に治療を施していく。ジェナはまだ意識があるのか無いのかぐったりとしていて、されるがままだった。

 知りうる限りの状況や予測される怪我の範囲・種類は説明したし、ジェナに対して自分ができることはこれ以上無い。中継地点に運ばれるのか、研究基地もしくはセリエナまで戻るのか。行きと同じように空路なのか、海路を使うのかも詳細はまだ分からないが、ハンターとしてやるべきことは道中のモンスターを退けることのみだろう。

 冷静な自分と、無意識に腹の奥に燻る激しい何かが共存しているような感覚。動じずにいられている部分すら、それが本当にそうなのか特定できる術は今はない。もはや、自分は何に対して鳩尾を炙る怒りを覚えているのかすら判別がつかなかった。

 

 その時、頭上から甲高い鳴き声と共に影が落とされた。リュカは避難場所から飛んできた翼竜の方へ左腕を伸ばす。頭で考えずとも、これまでこなしてきた順序の通りに体が動いていた。

「待って」

 スリンガーのトリガーを引こうとした時、それまでの業務の話とは明らかに異なると判る声がした。それが自分に向けられたものだと気づき、握ろうとした手を緩める。

「仕返し、しに行くんですか」

「えっ」

 リュカは思わず振り向いた。声の主と視線は合わない。黒髪を耳の位置で一つに束ねた細面の男は、管の繋がる結露した袋を搾り出しながら問いかける。淡々としたその声質は硬くはないが、聴いた者にはっとさせる響きを伴っていた。

「あなたの事情は詳しくは知らないし、大きなお世話かもしれません。でも、このまま彼女を残して行って、本当に後悔しない?」

 その時、初めて自分がスリンガーだけでなく、操虫棍の持ち手にも指を掛けていることに気が付いた。ジャックはどことなく心配そうにこちらを見上げている。

 

 いま自分はなんと言われた? 仕返し。自らに害を与えた相手にやり返すこと。確かに今の自分を客観的に見ればそう見えるかもしれない。だがそんなこと、滅相も──無いとは、言い切れなかった。

 リュカが返事に窮していると、彼は炎妃龍と同じ黄金色の瞳でこちらを一瞥し、すぐに視線を戻して治療を続けた。まだ会話は終わっていないと抗議をしたくなるが、自身の置かれた状況を顧みて首を振った。

 元々救護班が来る際に付いてきた護衛のハンターはいるが、古龍の暴走で気が立っている周囲のモンスターに襲われる可能性が高い。そうなれば人手が多い方が良いのは明白で、自分が抜ければジェナ達を守れなくなるリスクも跳ね上がる。

 それに、もしもこのまま飛び立ったら、危険の回避などと理由を付けてあのモンスター達へ無闇に武器を向けてしまうかもしれない。激怒している炎妃龍だけでなく、手負の金火竜もその番もいる。そしておそらく、ジェナの防具に刺さっていた棘の主も。冷静な判断力を失った今の自分が行けば、あっけなく致命傷を負い調査団の労働力を失うことになる可能性もある。

「ぼくは……」

 リュカは自分の手を見た。自分が発端となったならば、己の尻拭いくらいはしなければ。いま責任を取ることは、狂乱状態になった古龍達を止めることではない。

 ふいに腕を掴まれるような感覚がして、そちらへと目をやる。すると、いつもは腕から動かないジャックが、肩まで登ってきていた。

 まるで自分の選択を肯定してくれているかのようだ。猟虫が人間の言葉や感情の機微を理解している訳ではないだろうが、今のリュカにはそう思えた。

 

 自分を呼んだのにどうして飛ばないのか、とでも言いたげにこちらを見つめる翼竜の口に餌を放り、その嘴を撫でる。それから一つ息を吸い、空間の外へと繋がる狭い入り口を潜った。

 匍匐前進で出てきたリュカの頭上から、ふいに声が掛けられる。

「来たね、ふわふわクン」

 足を組んで立っていた護衛ハンターは、使い古された八つ折りの地図をポーチから取り出した。まだリュカは口すら開いていないのに、護衛ハンターは全てお見通しといったように不敵な笑みを浮かべた。

 護衛ハンター──彼女はイライザと名乗った──は定期的にセリエナから導きの地へと通っているらしく、地理やモンスターの縄張り等の危険な空域にも詳しかった。特に今回は飛行能力を有する身重のナナ・テスカトリ、リオス希少種の番、ネルギガンテが関わっている。イライザは起こりうるリスクを考慮し、少しでも安全で早く着く最適なルートを導き出した。

「──分かった? それじゃあ後衛をお願い。……それにしても、さっきの話を聞いて察したよ。キミ、セルマちゃんが言ってた子でしょ」

 唐突な話題にリュカは目を瞬かせた。

「知り合いなんですか?」

「こっちに来たばかりの頃、同室だったの。そこのジェナちゃんと一緒にね」

 イライザはちらりとベースキャンプの様子を見て、飛行船に置いてある火打石を打ち付けた。リュカは息を飲み、その罪悪感に頭が下がった。

「ごめんなさい。ぼくがペアを組んでいながら」

「アハハ誰に謝ってるの? 面白い子。確かにキミの行動は遅かった。……でも、あの書類、上から人数制限はされていなかった。ここの荒地のことも詳しいんだから、キミを呼ばないっていう判断ミスをしたのはジェナちゃん」

「そんなこと──」

 否定しようとして顔を上げると、どきりとして背筋が伸びた。イライザは笑みなど浮かべてはおらず、そのエキゾチックな目元に鋭い光を宿していた。瞬時にこれはリュカへの慰めなどではないと理解する。ややあってイライザは厳しい表情を崩し、首をすくめた。

「ま、後の祭りだけどね。今はジェナちゃんの無事を祈りましょ」

 その時、中で処置をしていた女人から声が掛かる。

「こちらの準備は整いました。今から至急セリエナへとジェナ・オズモンドさんを移送します。護衛をお願いします」

 途方もなく長く感じていたが、実際は四半刻も経っていなかったらしい。リュカとイライザは頷き、球皮の膨らんだ飛行船の傍で控えていた翼竜へと合図した。

 

***

 

 上空からセリエナが見えた時には、既に拠点内では受け入れ準備が進められていたらしい。徐々に高度を下げ、拠点に着陸した飛行船へと人々が駆けてゆく。

 毛布に包まれた身体を目にして、リュカは足元が凍り付いたような感覚を味わった。

「え……ジェ、ナ……?」

 ジェナの焼け爛れた左腕は、右の二倍ほどにまで膨れ上がっていた。どんなに重い怪我でも、こんな状態になるのは見たことがない。火傷でこれほどまでに腫れてしまうものだろうか。もしこのまま、腫れが引かずジェナの腕が使えなくなってしまったら。自分が間に合わなかったせいで、彼女のハンター人生を途絶えさせてしまったことになる。

 ショックを受けて呆然としているリュカに、傷口を保護していた妙齢の女性が慮るような声色で伝える。

「傷で身体の中の巡りが滞って、浮腫んでしまっているの。でも今は火傷の治療が優先されます。あなたもお辛いでしょうけど、火傷はとても痛いから、目が覚めたら寄り添ってあげて」

 彼女の黒真珠のような瞳は、真摯な眼差しをリュカに向けた。逆に言えば、寄り添うことしかリュカにはできないということだ。

 ジェナが処置室へと運ばれていくのを、リュカはただただ見つめていた。

 

 ふいに視界に大きな白いものがちらつき、リュカはハッと意識を戻す。ジャックは元気のないリュカを心配してくれたらしい。相棒を抱き留め、リュカは近くにあった椅子へふらふらと座り込む。

(──それにしても、まさかあの名前で呼ばれるなんて)

 意識の朦朧としたジェナに呼ばれた名前が、記憶の奥にしまい込んだその顔が、ぐるぐると頭の中を掻き回している。

 ギヨーム・エイモズ。それがリュカの兄の名前だった。大好きだった、そしてリュカの罪悪感の象徴でもある存在。家を出てからは、消息すらつかめていない。

 偶然、名前が同じだけの他人を呼んだのかもしれない。偶然だと思いたかった。ジェナの眼差しにこもった熱が、瞼を焼き付いて離れない。

 リュカは唇を噛み締め、暫くの間ジャックの頭を撫で続けていた。




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