【完結】青の炎妃はご機嫌ナナめ   作:蒸しぷりん

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燃ゆる生命の道導

 

 

 

 まだ陽が沈む時分ではないというのに、空は一面ロゼ色に染まっている。ちらちらと舞っている筈の雪は、冷え固まって結晶となる前に悉く水の姿へと戻ってしまう有様だ。

 

 空にポツリと浮かぶ小さな点だったものが、重たそうに腹を抱えて、ゆっくりと舞い降りてきているのが視認できるまでには、そうかからなかった。空模様を変えた張本龍──ナナ・テスカトリ自身やその身体を包む炎は青いというのに、周囲はまるで暖かな陽だまりに照らされたかのようになっている。

 

 今まさに炎妃龍が舞い降りようとしている兵器置き場には、知らせを聞いた少数の精鋭と、調査班リーダーを中心とした要人らだけが待機していた。そして不用意に刺激しないよう、テントの外に出ているのは青い星と調査班リーダーの二人のみ。とはいえ、繁殖期を除けばハンターが単独の時にしか姿を見せないと言われるほど警戒心の強い炎妃龍であれば、待機している人々の気配には容易に気づいてしまうだろうが。そもそもセリエナにいる殆ど全員を兵器置き場に集めた炎王龍来訪時の方が奇妙だったのだから、これは妥当な対応と言えるだろう。

 

 ただでさえ通常デザインよりも大きくはだけた防寒具の襟元をぱたぱたと扇ぎつつ、調査班リーダーは唸った。

「じいちゃんからの手紙の通りだな。前回と同様、迎撃するかどうかはひとまず様子を見てから判断しよう」

「わかったよ、司令官。──しかし、初動は古龍の中でもピカイチなお妃サマだからね。わたしらも、臨戦体制になっておくに越したことはない」

 青い星は、紫のアイシャドウで彩られた双眸を細めた。普段は調査で飛び回っており殆ど拠点に戻ってこない彼女が、半月ほどセリエナに留まっていた理由。それこそが今目の前で起こらんとしている、怒れる炎妃の飛来への備えであった。

 相棒が板を踏む音が近づいてくると、青い星はぼそりと呟いた。

「滋養をつける為に火薬を食べに来た……訳じゃなさそうだね」

「ええ。報告書を読んだ限り、近海で息絶えたテオ・テスカトルの番が彼を探しに来た、という説が有力です」

 若い娘の生真面目な回答に、青い星は憂いを帯びた眼差しを青い龍へと向けた。

「哀れで、そして惨めなものよ。取り残される側ってのはね。それにわたしらは、番の訃報を伝える術すら持たないんだから」

 青い星が重く吐いた溜息は、白い塊となり虚空へと立ち昇って解けてゆく。人間離れした功績を数多く残し、いつしか導きの青い星と呼ばれるようになった。その横顔がつくり上げられる過程には、他者の不憫な境遇を憐れむだけでなく、実体のある悲しみとして捉えられるだけの経験があった。

 ふいに手を握られ、青い星はハッと物思いから覚める。受付嬢は「だからこそ」と、真っ直ぐな目で青い星を見つめた。

「せめて結末を見届けましょう、私たちの目で」

「そう……そうね。できることを、やらないと」

 この娘のこういうところに、自分は随分と救われている。青い星の口からは、今度は微かな笑いが小さな塊となって漏れた。

 

「彼女を憐れむ暇があるのか、なんてお前には言う必要は無いな。──念の為、あの学者先生にも来てもらっているが」

 冗談を言ってからすぐに真剣になった調査班リーダーの表情に、青い星は「ああ」と納得した。ユウラ・パパダキスは、前線拠点へと炎王龍が飛来する切欠となった人物だった。あの炎王龍が育ての父親のような存在だったらしいということは後に噂となったが、それ以前に炎龍夫妻の行動を観測してきた学者でもあった。

「それこそ暫くは様子見だよ、あんたの言う通りね。ここ最近は感覚が麻痺してしまっているけれど、面識の有無が必ずしも良い影響を与えるとは限らない」

 青い星はちらりと後ろへ目線をやった。テントを囲うようにして立て掛けられた篝火は、不安定な気流によって揺れている。

 その時、こちらを認めて警戒を露わにした炎妃の咆哮が、木々に積もった雪を地面に落とした。

 

***

 

 炎妃龍は怯えていた。

 番の起こした爆発かもしれないと、凍えながらも藁にも縋る思いで音を辿った先に有ったのは、一つの峡谷を占める何かの巣だった。

 視認できる以上に、あちこちから気配や微かな殺気を感じる。これまでは、規模の大きな群れや複雑に組まれた巣など、ホギャホギャと喧しい小さな生き物くらいしか見たことがなかった。一体、どこにどれだけの数が潜んでいるのか。威嚇に加えて、自らを奮わせる為に放った咆哮さえも、頼りなく聞こえた。

 少し上の方には、棒のような何かから立ち上る黒煙が幾筋か見える。しかしそれらはどうにも番のものとは異なるようで、これ以上近づく気にはなれなかった。

 

 やっとここまで来たのに、手掛かりすらも見つけられないのか。か細い鳴き声を上げた時、火薬の匂いの中に微かに忘れられない匂いがした気がして、炎妃龍は目を見開いた。爆発音とは違い、間違えようのない匂いだった。希望を見出して元気を取り戻した炎妃龍は、改めて足元へと目を向けた。

 どうせ縄張りの中に入ってしまったのだから、宙にいても地に降りても同じだろう。ホバリングを続けていた炎妃龍は、意を決して雪の中へと足を踏み入れた。そのあまりの冷たさに、足先から全身の毛が逆立つような感覚が走り、思わず飛び上がってしまう。

 本当にこんなところに番が来たのだろうか。腹の子に障るから早く切り上げなさいと、金色の竜に警告されたことを思い出す。しかし、番に繋がりそうな糸の切れ端をようやく見つけたのだから引き下がれない。

 炎妃龍は咆哮と共に炎を纏い、すぐに攻撃ができるようにした。それを見た小さな生き物が警戒を強める気配を感じたが、今は構っている時間はない。

 炎妃龍は、ふと先ほどよりは脚が冷たくないことに気がついた。下を見やれば、雪とやらが自分の周りから少しずつ溶け始めている。成程、炎を纏ってさえいれば多少は寒さを凌げるのかと納得した。

 炎妃龍は小さな生き物たちの動向に目を光らせながらも、攻撃をすることはせずにゆっくりと足を踏み出した。

 

***

 

 外見よりもずっと広く感じるテントの中は、炎妃龍が降り立ったことにより暑いくらいの気温となっていた。

「あーあ、氷麗角が先に来ると思ってたのにな。賭けに負けちまった」

 垂れ幕の隙間から外の様子を覗き込んでいる相方に、リアは呆れたように溜息を吐いた。

「馬鹿な賭けはいつか身を滅ぼすわよ、エイデン。それに、あの龍が恨んでるのは、こっちじゃなくてアステラの人達でしょうし」

「はは、違いないな」

 アステラまで炎王龍を追いかけに来た、角に強力な冷気を纏った風翔龍は、"氷麗角"という異名をつけられた。拠点の人々は、調査団に対して敵意の無かった炎王龍に手を貸す形となり、第二の侵入者を追い出すことに成功した。束の間の共闘相手であり第一の侵入者でもある炎王龍は、目的を果たすとさっさと飛び去ってしまい、ここセリエナへと訪れたのだった。

 あのアステラ防衛戦からは、まだ一月も経っていない。それなのにこんな短期間の間に二回も古龍が拠点へと来訪するなど、夢にも思わない出来事だった。ちなみに、一部の酔狂な学者は目を輝かせている。

 

「あの、私も外の様子を見ても?」

 遠慮がちに声を掛けられ、エイデンは素早く安全を確認すると、声の主に手招きをした。ユウラは礼を言ってエイデンとリアの間にしゃがみ、熱気の発生源を覗き込んだ。

 炎妃龍は時折唸り声を上げつつも、頻りにクンクンと辺りの匂いを嗅いでいる。彼らが共に在った頃の仲睦まじい様子を思い出し、ユウラは胸の痛みに顔を歪めた。ここまで来たのなら、彼女はやはり番の逝去を知らないのだろう。ずっと見守ってきた龍の、雪で薄まっているであろう匂いに縋る姿に、なんとかできないものかと思考を巡らせる。もしかすると、自分に強く匂いが残っているかもしれない。

「あ……」

「どうしたんスか?」

 とある事を思いつき、懐を弄り出したユウラを、リアとエイデンは不思議そうに見つめた。ユウラが取り出したのは、赤い毛糸で編み込まれたお守りだった。それは仄かな熱を宿しており、触れずともその周囲の空気までもが微かに暖かい。二人はすぐに何の毛で出来ているかを理解して息を飲む。

「私は炎王龍の形見を持っています。それをうまいこと渡すことができれば、彼女も理解してくれるかもしれません」

 ユウラの言葉に、リアが口を開くより先にエイデンがきっぱりと首を横に振る。

「いいや、それは危険すぎます。もし俺たちに番を殺されたと勘違いすれば、ナナはきっと恐ろしい速さであなたに炎を吐きかける筈だ」

 俺はそれを知っている、とエイデンは目を伏せた。それまでの剽悍さは、鳴りを潜めている。その顔に浮かんだ激しい痛みの記憶に、リアは相方の肩をそっと抱いた。

「それなら、どうすれば……」

「いずれにしろ、ナナは近いうちに匂いを辿ってここを嗅ぎ当ててしまうでしょう。だとすればそれは懐に仕舞っておいて、警戒状態にならないうちに、あなたの顔を見せてしまうのが得策かもしれません」

 つまり、炎王龍自身の匂いは残っているが血の匂いを纏っていないユウラであれば、自分達が直接手を下していないと証明できるのではないか。リアは「でも」と付け加えた。

「これはかなり、無鉄砲な案だわ。炎王龍はあなたと交流があったみたいですけれど、炎妃龍は違うでしょう? あたくしの相棒やヴィオラさんが付いているとしても、ナナがもし急に激昂でもしたら対処できない」

 リアの忠告に、ユウラは唇を噛んだ。確かに彼女の言うことは的を射ているし、あの炎王龍が特殊な個体であったからと、本来持つべき警戒心が緩んでいる自覚はあった。ヴィオラとエイデン──青い星たち推薦組は確かに卓越した狩猟技術を持っているし、窮地に陥った際の判断力も非常に優れているけれど、そこに自分という荷物がいることがどのような意味を持つくらい、ユウラにも理解できる。

 その時、エイデンが何かを思いついたように「あっ」と顔を上げた。

「そういえば、テオとナナの調査をしてたハンターがいたよな。そいつはどうしたんだろう」

「ああ、エイモズ君のことでしょうか。彼も、確かセリエナに残っていた筈です。……そうですね、彼ならば或いは」

 ユウラは、結果次第では手放すことになるかもしれないお守りに額を付けると、瞼を閉じてぎゅっと握り締めた。隙間風で冷たくなっていた指先と額から、おてんとうさまの温もりが伝わってくる。まるで彼が傍に居るかのような心地を覚え、ユウラは顔を上げた。

 

 

 

 一方その頃、兵器置き場の南側。峡谷の小高い場所にあるセリエナでは、人々がいつも以上に忙しなく働いていた。

「ちょっとマジで来ちゃったの!? ねえねえ、これってクーラードリンクを飲めば良いの? それともホットドリンク?」

「知らないよ。ってかあんた、耐寒の護石いつも付けてるんだから、ホットドリンクなんて飲まなくても良いんじゃない」

「こんなの気休めだもん、寒いものは寒いんです〜。……あ、テオの時は変わらなかったけど、もしかしたらナナが来たらちょうど良い気温になるかも!」

 緊急事態だというのに、肝っ玉の座った女性陣は手と同じくらいに口をよく動かしていた。ドンドルマのように拠点へ古龍が来るような事態に慣れている者もいるが、そうでない者さえも惑わずにてきぱきと自らのやるべきことをこなしている。これはイヴェルカーナ来襲時より、細々と続けてきた訓練の甲斐もあるだろう。アステラの防衛のために撃龍杭砲がセリエナに無い今、リーサルウェポンというよりは人々の連携が重要だった。

「ありったけの水を持って来い! 今度こそ拠点を燃やされたら困る!」

 ナナ・テスカトリの放つ熱波──通称ヘルフレアは、テオ・テスカトルの起こす大爆発による影響範囲を遥かに凌駕する。セリエナに飛来したテオ・テスカトルは酷く衰弱していたこと、そして彼がこちらに敵意を示さなかったことから、拠点の炎上は杞憂に終わった。しかし、繁殖期のナナ・テスカトリは非常に気性が荒いという報告が相次いでいる。この個体は比較的温厚とされているものの、先日の導きの地では大規模な縄張り争いが起きたという報告書が張り出されていた。

「はっは、心配せずとももう手配できているよ。流石はボスだよね」

 物資補給係が後ろをくい、と指差す。その先には、四期団を中心とした調査員達が水の入った桶を手に兵器置き場への階段を降りていた。雪や氷だけでなく、一定の水量を保つ川が流れているのは拠点にとって重要だ。

「彼女、ホント堂々としていて恰好いいわよねえ。セリエナを燃やされちゃうのは困るけど、燃やされちゃったらと思うとワクワクしちゃう!」

 ボスと呼ばれた当の本人──物資班リーダーは、相変わらず掴みどころのない笑みを浮かべている。そのよく光る黒い瞳は、矛盾すら楽しむ余裕はそこから生まれているのだと思わせる何かを感じさせた。

「洒落にならないこと言わないでくださいよ」

「あーらそうかしら。でも頼もしい五期団くん達がいるじゃない」

 降り立った炎妃龍は未だに明確な攻撃はしてきておらず、睨み合いが続いているらしい。血気盛んな炎妃龍がああまで静かだと、かえって肝が冷えるものがある。

 若干引き気味のハンター達に、おっとりした武具屋が弾丸の入った木箱を運びながらあっけらかんと言い放った。

「女の子にとって冷えは大敵なのにね〜。もしあのナナがアタシの友達か娘だったら、妊婦がこんな所に来るなんて〜、って叱り飛ばしちゃうかも〜」

 この人も大概で、嫋やかな外見に似合わず心臓に剛毛が生えている。ハンター達はさらに一歩後ずさった。

 

 皆声は抑えているものの、相乗効果で中央エリアは賑やかになってしまっている。それらの会話を聞き流していたリュカは薬品を箱に詰める手を止め、兵器置き場──ではなく、ジェナの眠る棟へと目を向ける。彼女が身動きを取れない今、もし炎妃龍の吐き出した火炎があの建物に当たりでもしたら。考えるだけで吐き気がした。周囲はなんとも呑気なものだが、リュカは心底恐ろしくて笑う気にはなれなかった。

 その時、見知った後ろ姿が目の端に映り、そちらへと視線を移す。火竜の翼膜で出来た装衣を配っているイライザに声を掛けようか迷ったものの、今はその時ではないと口を結んだ。

 

 睨み合いが始まってから、一体どれほどの時間が経ったのか。リュカの元に向かって、滑りやすい階段を駆け上がってくる人影があった。

 

 それと同時に、二度目の空気を震わせる咆哮が前線拠点セリエナへと響き渡った。

 




ここまでお読みいただきありがとうございます。
ナナは人間で言うところの妊娠39週2日くらいなので、本当にあと少し。自然なお産のタイミングばかりは神のみぞ知る、です。
そして少しネタバレになってしまったような気もしますが、エイデンの体験はLOTGをご参照ください。
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