【完結】青の炎妃はご機嫌ナナめ   作:蒸しぷりん

28 / 50
されど気高き我が魂よ─凍てる嘆きと戴く冠─

 

 お妃さまは、既に限界が近くなっていました。はじめは新鮮だった寒さは、炎でましになっているとはいえ、身体に障ります。

 お腹の赤ちゃんに何かあったらどうしようと、お妃さまは自分の行いをとても後悔しました。ものを知らないことは、時に大きな災いをもたらすこともあるのだと、王さまがかつて教えてくれたことを思い出しました。

 

 それでも、どうしても大好きな王さまに会いたいのです。お妃さまは、辺りの匂いを一生懸命嗅ぎました。王さまがここに居たことは間違いありません。でも、それなら一体どこへ行ってしまったのでしょう。

 もしかしたら、行き違いになってしまったのかもしれないと思いました。王さまはお妃さまがお城で待っていると思って、先に帰ってしまったのかも、と。

 だとしたら、金色や銀色と一緒に行けば良かったのかしらと首を傾げます。でも、谷の王さまは確かに「強い者の集う場所にお行き」と言ったのです。お城に帰るべきなら、最初からそう言ってくれた筈でした。尤も、谷の王さまが本当のことを言っているとも限りませんけれど。

 

 その時、こちらを観察していた小さい生き物の中で、お妃さまの方へと歩いてくるものがありました。棒を背負った、真っ白でふわふわしているそれは、慎重にゆっくりと、ですが確かに近づいてきます。

 よく見てみれば、その姿には見覚えがありました。相手はこちらから隠れているようでしたが、今までも時折視線を感じることがあったのです。油断をしていたのか、たまにその白いふわふわが岩陰から見えていることがありました。

 ふわふわの腕に付いたこれまた白い蛾が、鬼灯のような目でじっとこちらを見ているのが怖くて、お妃さまは後退りしました。

 お妃さまの緊張が最も高まる直前で、ふわふわの生き物は何かを雪の上に置きました。そして、お妃さまの方を向いたまま後ろに下がっていったのです。

 いま攻撃をしてしまえば自分はやられないという期待に似た焦りと、相手の巣の中でそんなことをしては自分が危険な目に遭うという冷静な考え。両親からの教えや経験に基づいたそれらの思考が巡った後、お妃さまは後者を選びました。

 

 ふわふわが置いていったものからは、離れていてもとても懐かしい匂いを感じました。お妃さまは、ふわふわが自分から十分に離れるのを確認すると、一目散にそれに飛びつきました。

 雪の上にそっと置かれていたのは、明け方の空を燃やすお日さまのような色の毛でした。間違いありません。これは王さまの立派なたてがみの一部です。

 でも、その毛の周りの雪は、お妃さまのものと違って溶けることはありません。抜けてから時間が経ってしまっているようです。すれ違っていたとしても、そんなに経っている筈がないのに、です。

 

 お妃さまは遠く離れたふわふわを見つめました。なぜあなたがこれを持っているの? と。

 ふわふわは何もせず、じっと俯くばかりです。こちらに襲いかかってくる様子もありません。──とても、嫌な予感がしました。

 お妃さまは、鳴きながら辺りをうろうろと歩き回ります。王さまに、その声に応えてほしくて。何度も、何度も鳴きました。それでも、返事はありません。

 周囲の小さな生き物の方を見ても、俯くばかり。王さまが来た筈なのに、色や角の形以外は王さまによく似た姿のお妃さまに対して、何もしてこないのです。それなのに、王さまのたてがみを持っているなんて。

 

 もしかしたら、王さまはこの場所で長い眠りについてしまったのではないかと。だから、形見を渡されたのではないかと。

 身体がすうっと氷のように冷えていくような心地がしました。そして、炎が燃料を飲み込んで大きくなるように、お腹の中から沸々と熱い何かが込み上がってきました。

 

 お妃さまはとうとう、自分が知らないうちに"女王さま"になっていたことに気づいてしまったのです。

 

 

 

***

 

 

 

 一気に上昇した気温に、針葉樹に積もっていた雪がぱらぱらと落ちる。

 炎妃龍は、慟哭した。否、そうとしか見えないような悲痛な咆哮を上げた。

 

 遠い場所でも腹に響くモンスターの咆哮に、誰もが反射的に身構える。縄張りの侵入者への威嚇、同種の雌に他の雄より強いとアピールすること、仲間への警戒の呼び掛け、傷つけられた怒り。その多くは、戦闘開始の合図だ。

 セリエナにはハンターの多く所属する四期団と五期団が集まっているため、こうした際に必要以上に狼狽えないのは大きな強みだった。

 

 炎妃龍は頻りに唸り声を上げ、うろうろと歩き回っている。警戒対象が近くにいない時の歩き方とは違い、同じ場所を行ったり来たりするのを繰り返していた。

 その場の空気は、弓を限界まで引き絞った時のように張り詰めていた。一体何が炎妃龍の感情失禁及び、こちらを攻撃対象と見做すトリガーになるか分からない。誰もが一歩も動けない状況が続いていた。

 

「あのふわふわクンが八つ当たりされないといいけど」

 ブルネットの女性は、縄をつなぐ杭に肘をついたまま細く溜息を吐いた。炎妃龍の姿が確認され、至急兵器置き場に召集されたのは、青い星を中心とした推薦組と調査班リーダーのみ。そんな中、テスカト夫婦の調査を担当していたリュカにも急遽来てほしいと先ほど声が掛かっていた。

 噂によると、あの炎妃龍は彼の姿を見ても、近づき過ぎた際に威嚇はすれど攻撃はしてこなかったという。単に温厚な個体だったのか、リュカの距離感の取り方が絶妙だったのか。

 だが、これまでがうまく行っていたからといって、此度もそうなる確証はない。知性のある古龍とはいえ相手は野生のモンスターで、しかも今は混乱している。彼女と一切関わりのなかった推薦組よりは、炎妃龍が激昂する可能性がほんの僅かに下がるかもしれない、というだけだ。

 しかし拠点のすぐ側まで古龍が飛来した今は、その"ほんの僅か"が多くの人の運命を決めることになる。

「イライザ、こっちに来てくれ。避難ルートを再確認する」

「わかった、いま行く」

 同期の声にイライザは、ちらりと炎妃龍を見て、ゆっくりと後ろに下がった。

 

 炎妃龍を刺激しないようにと、残りの人員は拠点での待機令が出ていた。それは、拠点の大規模な損壊の防止と、非戦闘員を安全に逃すのを任されていることを意味している。

 前線拠点セリエナから切り立った山を一つ越えてしまえば、すぐに狩人たちの繰り出す渡りの凍て地へと出てしまう。最近開拓された西キャンプも、老練の氷牙竜の縄張りと程近い為、安全とは言えない。

 大感謝の宴の時期に灯籠を飛ばす海沿いの陸地もあるけれど、そこへ辿り着くには兵器置き場へと近づく必要があった。

 

 とはいえ、まだ動くには時期尚早と言えた。炎妃龍が高台を越えてこちらへと飛来するならば、龍の翼に人の足は追いつけない。万が一気が立った炎妃龍が多くの人々が逃げた方へと来てしまえば、青い星たちも間に合わなくなってしまうだろう。

 唯一、逃げ遅れる可能性の高い怪我人と病人だけは、すぐに避難できるよう準備が整えられていた。救護病棟の入り口に繋がる廊下は、怪我人やら救護班員やら医師やらでごった返していた。自力で歩けない者は車椅子やベッドの上で待機しており、不安な面持ちで落ち着かない者、戦線に出られないことを悔やむ者、外に興味を示している者など、その反応は様々であった。

 入院している者の殆どは普段モンスターと相対しているハンターだが、自身が病床にあり丸腰の今は、一般人と何ら変わりはない。物々しい雰囲気の中で、内心の不安が怒りとして発現する者もおり、それを救護班員が宥める声も廊下の囁き声に混じっていた。

 

 そんな中、車椅子に腰掛けた女人がひとり、窓からじっと兵器置き場を見ていた。その首から上や手の殆どを覆うようにガーゼや包帯が巻かれており、中でも浮腫んだ左腕はその全体がベルトで圧迫されていた。

「傷の痛みは大丈夫?」

 白衣を着た調査員に声を掛けられ、女人──ジェナは頷いた。今は痛み止めが効いているおかげか、我慢できないほどの苦痛ではない。

 不意に拠点中に鳴り響いた警報音で目が覚め、気づけば着の身着のままで病室から運び出され、今に至る。事情を知ったのは、調査員による一言程度の簡易な説明と、廊下で盛んに交わされる囁き声からだった。

 本当は外に出て様子を見たかったけれど、ただでさえ忙しそうな彼女達の仕事を増やすわけにはいかない。それに、テスカトの調査をしていたジェナは誰よりも様子が気になるだろうからと、ここまで連れてきてくれたのは彼女の厚意だった。掠れ声でジェナが礼を言うと、調査員は切れ長の目を和らげた。首に掛かった名札には、コストネルと書いてある。

 ここからでは防護壁を支える柱に隠れてよく見えないけれど、真っ白な雪に炎妃龍の青はよく映えた。攻撃しているような様子は無いため、まだ戦闘体制になっていないらしいことは辛うじて分かる。

「テオ・テスカトルの時も肝が冷えたけど、今はそれ以上ですね。何も起こらないといいけど」

 コストネルの呟きに、ジェナは頷いた。

 もし先日の戦いで大怪我を負っていなければ、調査に携わった自分もあの場にいたかもしれない。滅尽龍の捨て身の攻撃を受けてなお生きているのだから、まだ運が良かったほうだけれど、内心複雑だった。

(リュカ……)

 白い防具が雪に溶け込んで見づらかったけれど、先ほど炎妃龍の前でしゃがむような仕草をしたハンターは間違いなくリュカだという確信があった。そうでなければ、炎妃龍があんな反応をした筈がない。

 リュカを拒絶してしまった記憶が蘇り、ジェナは俯く。ジェナの言葉を聞いた瞬間の、あの表情が脳裏に焼き付いて消えない。ずっと調査をしてきた炎妃龍よりも、ジェナの方が大事だとまで言ってくれたのに。彼がその言葉を口にすることは、どれだけ大きな意味を持つだろう。そこに、何よりも切実で純な想いが表れていた。

 ジェナは右手を握り締めた。大切な人を傷つけたのは自分なのに、何を一丁前に傷ついているのか。今はただ、ここで彼の無事を願うしかない。

 ジェナは、再び炎妃龍に意識を戻す。硝子の棺で眠ったという逸話の姫君が目覚めることができたのは、それが御伽話だったからだ。リュカと共に最期を見届けた、流氷の棺の奥底で眠る炎王龍は、もう二度と目を覚ますことはない。

 

 やがて、炎妃龍の動きが変わった。牙を剥き、リュカに向けて身体を低くしている。それを見て、ジェナは血の気が引いていくのを感じていた。

 炎妃龍はおそらく、リュカが炎王龍の命を奪ったと勘違いをしている。当然だろう、炎王龍が海で亡くなったことなど、彼女には知る由も無いのだから。

(違うわ、そうじゃないのに……!)

 しかしジェナの思いが、遠く離れた炎妃龍に届く筈がない。

 炎妃龍が再び吼えると、鬣が内側からぽうっと光り、蒼や橙の火の粉がスワロフスキーのように彼女を輝かせる。美しいその姿は、炎妃龍が臨戦体制になったことを示すものだった。

 数日前、あの滅尽龍を一瞬で燃やし尽くしてしまった炎妃龍だ。いくら出産が迫っているからといって、逆鱗に触れれば人一人、否この拠点を一瞬で火の海にすることは容易いだろう。ハンターとしてのリュカの実力を信頼していないわけではないが、それでも焦燥が胸を締め付けた。

 思わず立ち上がりかけたジェナの肩に、そっと、だが動けないくらいの力で手が添えられる。見上げれば、人数確認を行なっていたコストネルが、こちらを黒真珠のような瞳で見つめていた。

「あなたはまだ動いてはだめ。心配でしょうけど、安全なところに居るのがあなたの仕事です」

「でも……」

「今あちらに行ったとて、あなたに何ができますか? 私はここの職員だけれど、ずっとハンターを相手にしているからある程度のことは想像できる。あなたのやるべきことを見失わないで」

 厳しい言葉だった。だが、彼女の言葉は的を正確に射ている。ジェナは唇を噛み締め、頷いた。

 

 炎妃龍がリュカの方へと駆けてゆく。冷え固まった溶岩すら砕く前脚が、あっという間にリュカへと迫る。逃げる素振りすら見せないリュカに、ジェナは全身の血が凍りつくような感覚を味わった。

 だが、その爪がリュカを切り裂く前に、炎妃龍は唐突に減速した。彼女の歩幅ではあと数歩の距離が進めず、ゼエゼエと肩で呼吸をする。煌々としていた鬣からも、いつしか光が消え掛かっていた。

 ブレスを吐けば、目の前のリュカなど簡単に焼くことができてしまうのに、その気力すら無いようだった。だが抵抗は諦めていないようで、呻き声の中に時折威嚇をするような唸りが混じった。

 

 ジェナは理解してしまった。とうとう、陣痛が始まったのだと。炎妃龍の姿にかつての自分を重ねかけて、首を振る。

(あれはあたしが味わったものとは似ても似つかない、尊い痛みだわ)

 母の胎で大きく育った子が、真っ暗な世界から出て外の光を浴びようとしている。あの子は、今この瞬間も生きている。その事実に、訳もわからないまま視界が滲み、頬のガーゼが水を吸っていく。

 無事に生まれてほしかった。炎妃龍に、自分は叶わなかった母親となる喜びを知ってほしかった。だが彼女が人間に敵意を抱いた今、少しでも攻撃をしてきたならば、こちらは彼女を討つしかなくなってしまう。拠点を知られてしまった以上、たとえ撃退に成功したとしても、棲家まで追い掛けて命を奪う他ない。そうなれば、せっかく生まれた赤ん坊も母親なしでは生きてゆかれまい。

 

「陣痛には波があるから、まだ暫くは生まれないでしょうけど。もしここで生まれてしまったら、ナナはここから動けなくなってしまうし、私達もこの拠点を手放す訳にはいかない」

 コストネルの言わんとすることを察し、ジェナは目を瞑った。誰かを攻撃しても、ここで出産しても、いずれにしろ炎妃龍とその子龍は命が尽きるまで武器を向けられ続ける。そもそもこの気温の中では、いくら母親の傍にいても赤ん坊は凍え死んでしまうだろう。親子も自分達も助かる道は無いものかと考えても、何も思いつかなかった。

(リュカ、どうか無事でいて……!)

 リュカ自身の為にも、炎妃龍と子龍の為にも。そして無責任ながら、自分の為にもそう願ってしまっている。いつしか、炎妃龍への思い入れはリュカに匹敵するほどにまで膨れ上がってしまった。こちらが一方的に共感しているだけだというのに。

 だがジェナの願いはきっと、拠点にいる多くの者の願いでもあるだろう。仲間が命を落とすことも、無垢な命が消えてしまうことも、望む者はそうそう居ない。

 それを裏付けるように、リュカと炎妃龍を見つめる皆の眼差しは、真剣な光を宿していた。

 

 

 

 痛みの持続時間は短かったようで、炎妃龍は体勢を立て直す。本当はすぐにこんな所から立ち去りたいだろうに、自身から番を奪ったであろう相手を前にして、彼女が背を向けることはない。

 リュカは、静かに涙を流していた。炎妃龍の悲嘆を前に、頬を手で拭うこともなく。ジャックが心配そうに上がってくるが、今のリュカには応える余裕がなかった。

(重いお腹を抱えて、せっかくここまで辿り着いたのにね。彼がここに来なければ、こんなことにはならなかった)

 瞬きをすると、頰が引き攣れる。気温の影響で不規則に暴れる雪風で、涙が凍っていくのだった。

 不幸な運命に翻弄される彼女を哀れに思う気持ちはある。だが、自分は新大陸古龍調査団のハンターだ。甘ったれた姿勢が、大事なものを失う引き金となることは痛い程に理解していた。もう二度と、自分の身勝手で全てを失う惨めさは味わいたくない。

 

 リュカは敵意や殺気は決して抱かず、だが得物だけはすぐに手に取れるように身構える。どうか、自分が勝手に愛着を感じていた龍に、この鋒を向けることにならないようにと。

 

 だが、炎妃龍は再び牙を剥いた。

 




ここまでお読みいただきありがとうございます!

ジェナは自身のことを卑下していますが、わたし自身は流産の痛みがお産の痛みに劣るなどということは全く無いと思っています。どちらもその瞬間に痛みを感じていたことは確かで、それは他人がどうこう口を出せることではありません。
センシティブな話題が多くなっていきますが、結末を見届けていただけると幸いです。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。