【完結】青の炎妃はご機嫌ナナめ   作:蒸しぷりん

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されど気高き我が魂よ─口無き者の祈りごと─

 

 炎妃龍が、再び蒼炎を纏う。

 その熱は辺りを揺らめかせ、見た者に彼女が今にも儚く消えてしまいそうだという錯覚を与えた。

 だが、炎妃龍の怒りは消えるどころかさらに燃え盛ってゆく。長い咆哮が終わる頃には、婚姻色だと分からないほどに鬣が青白く光り、発火した粉塵が彼女の全身を覆うように咲き誇っていた。

 震えるほどに美しく、身を炙られるように恐ろしい、敵意を示す炎妃龍の最終形態。誰もが、もはや道を違えるしかないのだと諦めた。

 

「間も無く熱波が来るよ。もし引火してここに閉じ込められたら、逃げられなくなる。あんた達は岩陰へ逃げな!」

 テントに控えていた青い星は、自身の相棒とリアの背を、半ば抱え込むようにしてテントの裏口へと連れて行った。

「でも……!」

 受付嬢は意思のこもった眼差しで頷いたが、勝気なリアは食い下がろうとした。青い星は人差し指をすっと立て、シックなルージュの引かれた唇を弓形にした。

「熱い風が吹き荒んでいる間は、決して岩陰から顔を出しちゃあいけないよ。わかったね?」

「なーに、まだ最悪な事態が起こるって決まったわけじゃないんだ。心配するなよな!」

 青い星と自身の相方の言葉に、うら若き才女は渋々ながらも頷いた。

「健闘を祈ります、相棒!」

「俺も準備はできているぞ」

 受付嬢の言葉とは裏腹に、意気揚々としている調査班リーダーに、青い星は呆れ顔で溜息を吐いた。

「もしあんたが斃れたらどうするんだい、司令官。あんたの仕事は拠点の指揮管理じゃないの、さあこの娘達を連れて行っておくれ!」

 青い星は、ガタイの良い調査班リーダーすらもグイグイと出口へ押し込む。納得が行かないと顔にでかでかと書いてあったが、皆の指南役はやがて編纂者二人を連れて拠点への裏道を上っていった。

 

 青い星とエイデンがテントの垂れ幕を持ち上げて、敷居を跨ぐ。その直後、水滴の混じる熱風が全身を包んだ。

 エイデンが空気中の雪が瞬時に溶かされていると気づいたのは、翼を大きく広げた炎妃龍の姿を認めた時だった。モンスターにとっては羽ばたくのは日常的な行動でも、そこから生じた風圧は、人間の身では動けなくなるほどに強い。それに加えて、炎妃龍の翼にはびっしりとビロードのような体毛が生えており、燃焼性のそれらは彼女自身の高体温によって凶器と化す。

 ましてや龍炎を纏っている今はその威力が増している。引火した粉塵が雪の溶けた地面に燃え移り、青い絨毯のようになっていた。

 

 その熱気の向こうに、背景と同化してしまいそうな人影が見える。白に身を包んだ人影は焼けた靴で踊ることなく、棍棒と共に宙を翔け、雪の上へと舞い降りた。

 彼の元へと駆け出そうとしたエイデンを、青い星が咄嗟に止める。

「ちょっと待って」

「なんでだよ、加勢するためにテントを出たんだろ」

「そうだけど……何か違和感があった。まだ出るべきじゃない気がするのさ」

 眉を顰めて炎妃龍と青年を凝視する女傑の横顔を、エイデンはまじまじと見る。彼女が"導きの青い星"と呼ばれる所以は、肉体と精神力の強さ、それに付随する調査数の多さだけではない。彼女が誰よりも抜きん出ているのは、その観察眼と違和感を察知する能力だった。狩人にとってそれは必要な感覚だが、気のせいだと無碍にしてしまう者も少なくない。尤も、その感覚を捨てなかった者だけが生き残り、この組織に入団しているのだが。

 推薦組として度々共に調査に出かけていたエイデンも、それはよく知っている。やがて表情を緩め、自身も視線を彼女と同じ方へと向けた。

「ふーん。なら、アンタの感覚を信じてみようかな」

「すまないね、勢いを削いでしまって」

 低い声で呟いた青い星に対し、エイデンは歯を見せてにかっと笑った。

「だってさ、それってナントカの功ってヤツだよな?」

「あんたの口も削いでやろうかしらね」

「それは勘弁ッス!」

 

 苛立ったような咆哮が、再び木々に積もった雪を振るい落とした。

 避けられたからと諦める訳もなく、炎妃龍は次々に熱波を放つが、彼は風の届かない場所へと飛んで躱してしまう。彼の腕から飛び立つ虫は、滑らかな翅で光を反射しながら炎妃龍を撹乱した。

 炎妃龍は顔の周りを飛び回られるのを嫌がり、激しく首を振って前脚を振り乱す。口端から炎が漏れるが、それを吐き出しはしなかった。

「なんでブレスを吐かないんだろうな」

 エイデンがぽつりと呟く。テスカト種の得意とする火炎ブレスを吐いてしまえば、青年も猟虫もすぐに焼き払えるだろうに。

 青い星は横に流した髪を指でくるくると弄りながら、炎妃龍をじっと見つめた。

「あの体勢、腹を庇っていると見て間違いはないだろうね。憶測だけれど、大方、炎を吐くのもしんどいんじゃないのかい」

「マジか。いよいよヤバいんじゃない?」

「まあ、いざとなったら走るさ」

 掌を天へ向けてくい、と親指で指し示され、エイデンは口角を上げた。

 

 

 

 歴戦のハンター達に見守られながら、リュカは再び棍棒を地面に突き刺し、宙へ舞い上がった。いくら体力を消耗しない立ち回りを心掛けているとはいえ、避け続けるのは流石に堪える。

(しかもこの足場じゃ、なぁ……!)

 雪が溶けてぬかるんだ地面は滑りやすく、先ほどから幾度かバランスを崩した。ずっと同じ場所に留まっている炎妃龍は良いが、こちらは悪路をずっと走らされているようなものだ。棍棒が地面に刺さった時の感覚も不安定になってきており、リュカは安全地帯を求めて炎妃龍の周囲に円を描くような形で熱風から逃げ続けていた。

 リュカの足が地面に向かって降りている間に、炎妃龍が大きく胸を開く。しまった、と思った時にはその巨大な翼が振り下ろされていた。

「熱ッ……!」

 咄嗟に武器の射出機構で側方に飛んだものの、僅かに火の粉混じりの風が頬に当たり、次の瞬間吹き飛ばされる。それまでは、炎妃龍の起こす風圧の周囲にできた気流に押されることはあったものの、直接当たることは無かった。

 なんとか受け身を取り、直後に来た前脚を避ける。だがリュカは内心、鳩尾に氷を当てられたような心地がしていた。

(もし今のが直撃していたら、間違いなく推薦組が駆け付けてくる筈。ああ、こんなこと考えてる場合じゃないのに……!)

 この後に及んでまで、自分は迷いを抱えている。炎妃龍がリュカとジャックに敵意を示した以上、もうどちらかが尽きるしか道はないのに。攻撃に当たっていないのだからまだ何か希望はある筈だ、と無意識が奥底に押さえつけている自身の懇願を引き摺り出す。

 すぐそこのテントに控えている推薦組は、調査団のハンターと編纂者の中でも、これまでの功績から発言力が大きい。そんな彼らが、このギリギリの状況で自分達に猶予を与えてくれているのだということは、痛いほどに解っていた。

 

 ただ無闇に命を奪うのは、ハンターではない。その行為の意味は後から見出されることもあるけれど、多くは自分達の生活を守り、豊かに循環させるために狩る。生命のやり取りに高揚を覚えるのは致し方ないとしても、その感覚だけは手放してはいけないものだ。それができなかった者は、堕ちる。

 だが、拠点に飛来しこちらへ敵意を示している炎妃龍は、十二分に狩る理由を満たしていると言えた。それでも武器を取ることができないのは、親子に生きていてほしいという己のエゴだ。我儘だ。今まさに、昔と同じ過ちを繰り返そうとしている。

 リュカは操虫棍の持ち手をきつく握り締めた。前歯と下唇は、鉄臭い味がする。

(ぼくがやらなきゃ。吹けば飛ぶような、半端な同情は我が身を滅ぼすって、痛いほどわかってるだろッ……!)

 

 その時、周囲の温度が上がると同時に、地面からこれまで以上に大きな、雪由来の水蒸気の塊が濛々と立ち込める。霧が一瞬尾によって払われ、視界が疎になった。

 炎妃龍の王冠と鬣の輪郭が、無数の火花を散らしながら、優雅に空へと舞い上がるのが見える。これまでの風圧を起こす構えと似た、だが明らかに異なる挙動。

「……!」

 リュカは絶望した。自分は今から、災害が起きる瞬間を目の当たりにするのだ、と。雪は熱によって溶け、拠点を支える木材や針葉樹に引火し、風で人々の営んできたものの形は崩れる。外にいる人々も、避難はするだろうが全員無事とは限らない。

 何より、彼女の目の前にいる自分とジャックに、身を隠す大盾も防御壁もない。

 

 青の火花で、目が眩む。結局ハンターである自分が形見を渡すことにはなったけれど、どうすることもできないままで足も動かない。燃え尽きるのはユウラか己か、ただそれだけの違いでしかなかった。

 

 

 

 次の瞬間、目の前を覆ったのは、黄金の城壁だった。身体を抱き込まれ、キンと冷えた金属が頬に当たって鳥肌が走る。

「おい何考えてんだよ! ずっと見てたなら、あの攻撃がどんだけヤバいか分かるだろ!?」

「あ……」

 エイデンだった。普段陽気な彼は、眼差しに厳格な色を浮かべ、低い声でリュカを怒鳴りつけた。呆然としたリュカが視線を彷徨わせていると、鈍い光が目に映る。金属だと思ったものは、古龍の硬質な甲殻だった。彼が助けに来てくれたのだと、一拍遅れて気がつく。

 口の中で礼を言いつつ俯くリュカをよそに、すぐに切り替えたエイデンは眉間に皺を寄せる。どう見てもヘルフレアの構えを取っていたのに、いつまで経っても、すべてを薙ぎ払う暴風と凄まじい蒼炎は襲ってこない。

「まさか、フェイントか!?」

 エイデンが身構える。リュカは盾の間から顔を少し出し、様子を窺った。

 

 炎妃龍の四肢は、確かに地面に着いている。だが、彼女は既に攻撃の体制を解き、クンクンと剥き出しになった泥の匂いを嗅いでいた。

「なんだ?」

 炎妃龍の鼻の先には、地面の窪みがあった。大きく歪な円形の上縁に、いくつかの細いもので引っ掻いたような跡も残っている。

 それは一つではなく、転々と続いていた。窪み──足跡が示す方向からは、潮の匂いがする。

「そうか、あの時の……」

 リュカは息を飲み、静かに瞼を閉じる。

 炎妃龍の激昂によって雪が溶け、炎王龍の残した痕跡がくっきりと浮かび上がっていたのだった。ヒトの足跡程度ではすぐに踏み潰されて消えてしまうけれど、大型の古龍となれば話は別だ。水で薄まっているとはいえ、雪越しでなくなったそれらからは、より亡き炎王龍の匂いが感じられるのだろう。

 

 炎妃龍は地面に鼻を擦り付けるようにしながら、しばらくその足跡を辿っていた。だが、やがてそれが岩山を越えて海へと繋がっていることに気がついたようで、顔を上げた。リュカ達が攻撃してこないことを確認するように振り向き、牙を剥いて唸ると、兵器置き場を囲む柵をぴょんと翼を広げて飛び越える。滑りやすい岩肌を慎重に降りながら、炎妃龍は続く足跡を辿った。

 

 リュカはエイデンと顔を見合わせ、翼竜呼びの指笛を鳴らした。

 炎妃龍を刺激しないようにガブラスの如く距離を取りながら追っていくと、やがて流氷の浮かぶ海が近づいてくる。セリエナの北西にあるこの海岸は、宴の時期に祈りを込めた灯籠を飛ばす場所だった。そしてその祈りの中には、弔いの念を込める者もいる。

 古龍天候の中でも、陽が沈めば辺りは暗くなっていく。炎妃龍の炎に照らされ、流氷は刺激を受けた夜光虫のように青白く光っていた。

 炎妃龍が流氷に足を掛けると、それはすぐに沈んで海水に浸かる。炎妃龍は驚いて足を引っ込め、尻尾の毛を膨らませて唸った。そして再び辺りの匂いを嗅ぎ始める。おそらく、別の方向に炎王龍が行っていないことを確かめる為だろう。

 だが、炎王龍がどこにも行っていないこと──海の方へと飛んでいったことを知ると、炎妃龍は悲しげな声を何度も何度も上げた。それがあまりに哀れで見ていられず、リュカは目を閉じる。一方で、エイデンは尚も厳しい眼差しを炎妃龍に向けていた。

 

 炎妃龍は、徐に翼を広げる。リュカはもはや彼女に飛ぶ気力も無いのではないかとすら思っていた。だが、炎妃龍は青く逞しい一対の翼でぐん、と空気を掴み、先ほど蹲っていたとは思えないくらいに高く舞い上がった。

 彼女は、独りで征くのだろう。海の底に沈んだ亡き骸の座標も分からないまま、番が目指そうとした地へと。そしてそれはきっと、彼女の生まれ育った地だ。

 蒼い粉塵が、濃紺へと変わっていく空で輝く。まるで導虫のような光は、セリエナから徐々に遠ざかっていった。

 

「あいつ! ……いや」

 エイデンは咄嗟に追い掛けようと翼竜に指示を出し掛け、途中でそれを辞めさせる口笛を吹いた。翼竜は困惑した様子を見せたが、大人しくその場に留まる。

 リュカは自身よりも経験を重ねた同期の横顔を見た。やんちゃさの残る丸い目には、何かを諦めたように寂しげな、しかしどこか満足げな光が浮かんでいた。

 リュカは再び小さくなっていく炎妃龍へと視線を戻す。思えば、炎王龍の最後を見届けた時には、ジェナが隣にいた。彼女の勁い眼差しと、炎妃龍への思いを吐露した際の暗い影が脳裏に浮かび、リュカは細く溜息を吐く。ジェナに隣に居てほしかったという思いと、無理やり押し込めていた後悔が綯交ぜになり、下唇を噛む。

 腕を細いもので掴まれるような感覚に、リュカはそちらを見やる。少し上のほうまで来たジャックの身体を撫でると、リュカは首を振った。

 いずれにせよ、炎妃龍もその子も元気でいてほしいと思う。これ以上悲しい出来事が起きないように。調査団が指し示した選択が、どうか誤っていないようにと。

 

 それから間も無く、炎妃龍の姿は海の向こうへと消えていった。

 

 

 

 ようやく寒さの戻ったセリエナでは、ギャラリーが散り始めていた。炎妃龍を刺激しないようにと物陰に身を潜めていた人数は結構なもので、それはハンターでなくとも自然と身についた護身術であった。

 行き先は仕事場であったり、食堂であったり、居住区であったり。いま目の当たりにした出来事を記したくてうずうずとしている者もいれば、息の詰まる緊張から解放されて疲れ切った者もいる。

 直線距離では兵器置き場から近い居住区は、雪が溶けていつも以上にぬかるんでいた。泥で滑って転びかける者もおり、足元に注意するよう呼び掛けられている。

 人気が疎になった頃、凸凹と足跡の残る帰路を辿っていた編纂者は、無言で隣を歩くハンターの手を取った。どうしたのかと顔を上げたハンターは、その小刻みに震える唇に息を飲む。ハンターは傍らにいたオトモアイルーに優しく微笑んで見せると、片割れの手をしっかりと握り返した。

 

 息急き切って戻ってきた相棒と合流した青い星は、彼女の言葉に穏やかに応える。二人並んでセリエナへと続く階段を上っている最中、すれ違った顔見知りを、無意識に目の端で追っていた。

(ナナ・テスカトリも、マムガイラのあの娘も、そしてわたしも。一体、どこで運命のほつれを見逃してしまったのかしらね)

 自分自身の努力では、どうにもならないこともある。出会いも共に過ごせる時間も、多少自力で引き寄せることはできても、それだけだ。別れすらも、きっと定められているのだろう。

 想う相手と、共に在ることだけが幸せとは思わない。むしろ近くにいればいるほどに遠ざかってしまう場合もある。

 だが、他人には偉そうに持論を講じておきながら、青い星自身ももう会えないひとを想わずにはいられなかった。

 

 豊かな黒い髪に、いくつもの雪の結晶が静かに舞い落ちる。自然の力で規則正しい形をとったそれらは、宿主が暖炉の灯る部屋に入ると、雫へと変わっていった。

 




ここまでお読みいただきありがとうございます!
お産が本格的に始まるのは、あと40時間ちょい後かなぁ。
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