【完結】青の炎妃はご機嫌ナナめ   作:蒸しぷりん

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第五章 深い火傷が癒えるには
燻る炎は尚消えず


 

 

 

 窓を遮る分厚い布の隙間から、白い光が差し込んでいる。部屋を仕切るそれぞれのカーテンの中からは、静かである分、衣擦れや咳き込む音などがやけに大きく響いた。

 

 自分のベッドを囲うカーテンが閉められ、足音が遠くなっていくのを聞き届けると、ジェナはゆっくりと身体を起こした。ずっと安静にしていたからか、随分と筋肉が落ちてしまったように思う。骨が折れてしばらく固定されていた両腕も、動きはするが自分のものではなくなってしまったかのようだった。浮腫んだ左腕にはコルセットのようなものが巻かれており、まだ元の太さに戻ることができずにいる。

 

 サイドテーブルの上に乗せられたトレーには、いくつかの食器が整然と並べられていた。木製のお椀の蓋を開けると、ほかほかと湯気が立ち上った。とろっとしている真っ白なそれをスプーンで掬い、口に運ぶ。すると小麦や乳のほのかな甘みとコクに、優しい風味が広がった。

 ちゃんと薬ではない味が感じられるというのは、なんと素晴らしいことだろう。ようやく口からものが食べられるようになり、ジェナは改めて自分は生きているのだと実感していた。点滴は外れていないけれど、これは抗菌薬らしい。ニ、三日前までは人に食べさせてもらっていたが、今はリハビリにもなるからと自分で食べている。

 パン粥のほか、刻んだ根菜やベーコンなどがごろごろ入ったオムレツに野菜と魚介のスープ、林檎のコンポートの添えられたヨーグルトと、栄養満点のメニューはいずれも柔らかく調理されている。貴重な卵や砂糖も惜しみなく使われているのは、栄養を補うためだけでなく、怪我や病に侵された調査員らの英気を養うためでもあった。中には現大陸に帰還しなければいけないほどに重傷の者もおり、彼らの心を癒すためにも食事には重きが置かれていた。

 

 結局全部は胃が受け付けず、パン粥を数口分残してしまった。食べ物を残すのは気が引けるけれど、数日前まで何も口にしなかったことを考えれば頑張ったほうだと思う。蓋をして食器を元の位置に戻すと、ジェナはベッド横に足を下ろして靴を履いた。

 歯ブラシをコップに置いて顔を上げると、鏡に自分の姿が映る。皮膚組織の再生を促すため顔全体に塗られた軟膏が、朝日をてらてらと照り返していた。

 ごく短時間の曝露だったのがまだ幸いだったが、炎妃龍の龍炎と溶岩地帯のガス混じりの熱気が、ジェナの肌を激しく焼いていた。爛輝龍との戦闘でも顔に火傷を負ったけれど、こんな短期間に同じような傷を受けてしまうとは思っていなかった。ハンターとして武器を取った以上覚悟はしていたけれど、もしかすると二度と元の顔に戻らなくなるかもしれない。

 どちらかと言えば滅尽龍に吹き飛ばされたことでの打撲や骨折の方が重傷ではあったけれど、精神的なショックではこちらの方が勝っていた。

 ジェナは、自分の瞼や頬を右手で包み込む。軟膏が付いたことも気にせず、その手を首から左胸へと沿わせ、子宮の上を撫ぜた。病衣を着ているとはいえ、女性専用の部屋でもなく、側から見ればぎょっとする光景だろう。だが今のジェナにそんなことを気にしている余裕はなかった。

(あたしは……生を終えるまでに、他人より早く女としての全てを失うのかもしれない)

 ふとそんな思いが過ぎる。部屋の中央にある鏡に映る、左右対称の閉め切られた空間がより孤独感と圧迫感を助長させた。しばらく鬱々とした気持ちを抱えながら立ち尽くしていたが、やがてこちらへ向かってくる足音が聞こえ、ジェナはハッと目を見開く。そして窓際の自分の空間へと逃げるように滑り込んだ。

 

 声を掛けられて返事をすると、鼻筋に雀斑の散る調査員が、遠慮のない勢いでカーテンを開けた。今日の予定のほか、血圧やら傷の具合やらを手早く確認しながら、調査員は思い出したように口を開いた。

「そうそう、オズモンドさんに面会の申請がありましたよ。どうします?」

 ジェナはすっと胸が冷えて鼓動が速くなるのを感じ、束の間黙り込む。あれから、リュカとは会っていない。無事だったということは確認したけれど、その後の顛末も知らなかった。

 この姿を見たとしても、きっとリュカは何も言わないだろう。それでも突き放すような態度をとってしまった以上、彼の前でどんな顔をしたら良いのか分からなくなっていた。

「ウルムー装備のハンターだったら、断ってほしいです」

 ジェナが重々しく告げた一方で、調査員はあっけらかんと首を横に振った。

「ううん、あの男の子じゃなくて。ゆるいウェーブヘアの、あなたと同じくらいの歳の女性だったわ」

 その言葉を聞いた瞬間、ジェナは目を見開いた。セルマがわざわざセリエナまで来てくれたに違いない。親しい人に会いたいという気持ちと自分の弱っている姿を他人に見せたくないという気持ちが綯交ぜになっていた今、親友の存在が有り難かった。ジェナが喜色を浮かべて承諾すると、調査員はにこやかに立ち去った。

 

 小部屋の並ぶ廊下を抜けると、明るく開けた空間に出る。窓際のソファの背凭れ越しに栗毛のウェーブヘアを見た瞬間、ジェナは療養施設にしては少し大き過ぎるくらいの声で呼びかけた。

「セラ! 会いたかったわ」

「やっほ〜、ジェン」

 ジェナはセルマの隣に腰掛けた。ひんやりとした手を握ると、セルマは怪我に響かない程度にゆらゆらと手遊びを始める。親友のいつもの仕草に、つい頬が緩んでしまった。

「来てくれてありがとう」

「ううん、全然。怪我は大丈夫?」

 いつも眠たそうな二重の目には、心配そうな色が浮かんでおり、ジェナは苦笑を浮かべる。

「まだ本調子とは言えないわね。立場が逆転しちゃったわ」

「本当にね。交互に入院なんかしなくていいっての」

 セルマはジェナの冗談に柔らかな口角を上げる。だが、ジェナが瞬きをした時には既にその笑みを収めていた。ぎゅ、と握り合った手に力が入ったのを感じ、ジェナは顔を上げた。

「ねえ。あの子はどうしたの? ナナ・テスカトリの調査なのに、あんただけが怪我したって聞いてるけど」

 セルマの目に浮かんだ剣呑な光に、ジェナは一瞬呑まれそうになってしまう。

「……誰から聞いたの」

「イライザ」

 ジェナは内心ああ、と納得した。直接会ってはいないが、元同室の彼女も導きの地に明るいハンターの一人だ。おそらく救助された際に、救護班の護衛をしていたのだろう。イライザは世話焼きだが、意図をより正確に伝えようとするには、少し言葉が足りないことがあった。

 セルマはきっとジェナの味方として立ってくれるつもりなのだろう。親友の心象を察して、どう説明したものかと息を細く吸った。

 おそらく、説明次第ではリュカが責められる形になってしまう。ジェナはこの姿を見られるのが居た堪れないというだけで、リュカのことは今でも好ましく感じているし、彼のせいでもないと思っている。

 束の間考えたのち、ジェナは息を長く吐き出した。

「誤解しないで聞いてほしいんだけど……話すと、長くなるわ」

 

 ジェナが一つ一つ慎重に言葉を選んで伝え終えた時も、セルマは眉間に皺を寄せたまま口を硬く引き結んでいた。ジェナはそれ以上言葉を重ねても蛇足だと思い、セルマの反応を待つ。

 廊下を通る調査員が、ちらちらとこちらの様子を気にしているのは分かっていた。普段はぽつぽつと人が来るこの部屋にも、今日は誰も来ない。勿論、セルマのことだから大声を出したりはしないだろうが。

 

 暫くの沈黙の後、セルマは乱暴に前髪をかき上げて、溜め息を吐いた。

「わたしだってハンターだし、どう予防しようとしたって怪我をすることくらい分かってる。あんたが、安定して危険な調査を継続できるくらいに優秀だってこともね」

 セルマが顔を上げる。

「でも、わたしがジェナの隣に居られない間、あんただけが大変な思いをしないようにって、そう思って代わりを見つけたわけ。あんたが居ない時に、あの子に直接その意図も伝えてある」

 ジェナは目を見開いた。セルマがそこまで根回しをしていたとは。自分はそこまで保護されるべき人間だと思われていたのか。

「あのね、セラ。あたしを大事に思ってくれてるのはすごく嬉しいわ。でも、そこまでしなくても」

 ジェナが遠慮がちに言うと、セルマは首を振った。

「これはわたしのエゴ。わたしは、あんたにこれ以上傷ついてほしくないの。あんたの隣に立つのは誇らしいけど、本当はモンスターにも人にも、傷一つ付けられたくないと思ってる。

 だからこそ、あの子が許せないし、あの子に任せるっていう判断をした自分が、心底憎らしくてたまらない」

「セラ……」

 セルマの声が、段々と潤んでいく。元々妹気質ではあったとはいえ、まるで駄々を捏ねる少女のような態度に、ジェナは困惑しつつも再び口を開く。

「大丈夫よ、セルマ。あたしは生きてる。勝手に居なくなったりしないわ」

「頭では分かってる。でも、今でも震えが止まらない。あんたの病気が見つかった時も、心底ぞっとしたよ」

 セルマはすっとジェナの胸元を指差した。詰め物をしていない左胸は、切り取った分だけ凹んでいる。

「手術で取っても、再発したらどうしようって、ずっと眠れなかった。この前のマム・タロトの時だって、アステラにテオ・テスカトルが来た時だってそう。──その腕も」

「……!」

 ジェナは唇を噛んだ。改めて指摘されると、苦いものが広がった。セルマには、病の影響は全て話してある。どうしてこんな有様になったのかも分かっているからこそ、彼女は腹に据えかねているのだろう。

 

 窓の外にはしんしんと雪が降っているが、分厚い硝子が隔てているため、部屋の中は暖かい。

 飲み物が置けるくらいのテーブルの上で、震えながら握りしめられている手を、ジェナはそっと撫でる。傷だらけの、綺麗な手だった。

 ジェナよりも余程強かなセルマが、まさかこれほどまでに思い詰めて自分の隣に居たなど、夢にも思わなかった。愛されている、というだけでは少し足りない。執着に近いけれど、どこかもっと透明な何かだ。

 

 セルマは胸の中に燻るものを、そのままの熱量で吐露した。

「わたしにはもう、失うものは何もない。今まで酷い生き方をしてきたし、家族ともとっくに縁を切ってるし。でも、唯一あんたは……あんただけは、いつだってわたしの味方でいてくれたから」

 その言葉に、セルマと出会った時のことが脳裏に浮かんだ。新大陸へ向かう船の中で、年齢が近いこともあり二人はすぐに意気投合した。だが初めの頃のセルマは今以上に警戒心が強く、腹の底では他人を信用していなかった。後から知ったことだが、セルマは幼い頃より血の繋がった家族から惨たらしい仕打ちを受けていたのだという。一緒に過ごす時間を重ねる中で、少しずつ彼女の表情が柔らかくなっていったのだった。

 セルマの悲痛な思いの丈に、ジェナは自分の視界が熱く滲んでいくのを感じていた。

「別にあんたの人生を縛りたいわけじゃない、あんたと一線を超えたいと思ってる訳でもない。ただあんたのことが大好きだから、しあわせでいてほしいんだよ、ジェン……」

 セルマの目尻は、マスカラが滲んでしまっている。ジェナは思わず親友を抱き締めた。傷の痛みなどどうでも良いと思える。セルマが休みの時だけに付けている香水の香りも、今日はしなかった。

「あたしもよ、セラ。心配掛けて本当にごめんなさい。こんな無茶、二度としないわ」

 

 熱くなったセルマの背を撫でていると、控えめな足音が後ろから近づいてくる。今日はジェナの担当ではない筈のコストネルは、こちらに目を向けず、さりげなく塵紙をソファの肘置きに置いていってくれた。ジェナは後でお礼を言おうと思いながら、一枚箱から取って親友に渡した。

 

 調査員らが常駐しているステーションを過ぎると、すぐに出入り口となる。ジェナはセルマの手を借りながらそこまで歩くと、眉を下げて微笑んだ。

「一緒にお茶でもできたら良かったんだけどね」

「何言ってるの、わたしはお見舞いに来たんだよ」

「遠いのに、わざわざ来てくれてありがとう。宿はとってあるの?」

「うん。せっかくだし、何かお土産でも買って帰ろうかな」

「それなりに日持ちするものなら、ポポミルクのキャラメルが美味しかったわよ」

「えっ何それ美味しそう」

 普段通りの会話をしつつ、再びセルマはジェナの手を取って手遊びをした。やがて、名残惜しそうに離れる。

「じゃあね。明日帰る前に、また寄るから」

「ありがとう。待ってるわ」

 セルマを見送ると、後ろから雀斑の調査員が歩み寄ってくる。そういえば今日は午前中に検査があると言っていた。もしかすると、話が終わるまで待っていてくれたのかもしれない。

 ジェナは点滴台を押し、調査員の隣で薄暗い廊下を歩いて行った。

 

***

 

 暖炉の火がパチパチと音を立てている。その暖気は離れるにつれて薄くなり、入り口付近は風は無くとも外と変わらない気温になっていた。

 

「──以上が報告となります。後日、アステラにも同様の報告書を持参します」

 司令エリアの広いテーブルを、分厚い毛皮製の防具を纏ったハンターらが囲んでいる。その中で、一回り小柄な青年が説明を終えて後ろへ下がった。

「ご苦労だった、エイモズ。引き続き、ナナ・テスカトリとその子ども達の調査を継続してほしい。ただし、安全第一でな」

 調査班リーダーがリュカへ労うような視線を向ける。だがその対角で手が挙がった。

「待ってください、指南役」

 声の主である五期団の編纂者に、皆が視線を向ける。彼女は丸い目を釣り上げ、一歩前へ乗り出した。

「炎妃龍は我々に敵意を抱いていました。焼け焦げた設備と地面がその証拠です。拠点を知られた以上、生かしておく訳にはいきません」

 リュカは唇を噛み締めた。そういう意見が来ることは覚悟はしていたが、いざ耳にするとすぐには頷けなかった。

 その意見に対し、隣で腕を組んでいたハンターが手を挙げて反論する。

「しかし、古龍の繁殖を目の当たりにできる機会はこの上なく貴重ですよ。一生に一度出会えるかどうか」

「それでも、です。ここが焼かれたらどうするつもりですか」

 擁護派と敵対派で、意見が食い違う。司令エリアは一気にざわざわと騒がしくなった。調査班リーダーも、眉間に皺を寄せて考えあぐねている。

 

 そんな中、一人のハンターがテーブルをダン、と叩いた。その瞬間、一気に皆が口を閉じてそちらへと視線を向ける。

「彼女はただ、羽ばたいていた。それだけです」

「は……?」

 視線に一切怯むことなく、イライザはきっぱりと言い放った。先ほどの編纂者は反論をしようとしたが、イライザはハンターらを押し除けてリュカの腕を掴んで見せる。

「だってほら、この子は大きな怪我をしていない」

「そんな屁理屈……!」

「今までだってこんなことばかりだった。違いますか? これくらいで怖気付いて、何が新大陸古龍調査団よ。情報をむしり取るくらいじゃなきゃ」

 イライザが言い放つと、初めは反対していた者も、虚を突かれたように目を見開いた。それから、少しずつ賛成の意見に傾いていった。

 皆が落ち着いたのを見計らって、調査班リーダーが再び口を開く。

「調査団の方針としては、観察を続けることとする。だが相手は子育て中の母親だ、くれぐれも注意するように。再襲来があった場合には、即座に討伐に切り替えよう、いいな?」

 若き司令官の言葉に、皆が頷いた。

 

 解散した後も、リュカは暫くの間呆然としていた。本来、自分自身が言うべきであったことも言えず、情けなさが押し寄せてくる。

 だが少なくとも、最悪の結果は免れたと言うべきか。リュカは深呼吸をし、肺を冷たい空気で充した。

 その後ろ姿を見て、雪の除けられた階段を上ってくる人影が一つあった。

 

 




ここまでお読みいただきありがとうございました。久しぶりの登場なので補足すると、ジェナ⇨ジェン、セルマ⇨セラはお互いの愛称です。
セルマは陽脚とは違うタイプの虐待を受けていて、その生い立ちから若干の愛着障害があります。

今後も引き続きお楽しみいただけると幸いです。
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