「おお、あなたは確かテスカトの調査を担当されていた方ですな」
背後からの穏やかな声に振り返るが、声の主は見当たらない。だが視線を少し下げれば、尖りシルエットの笠の下に柔和な笑みを湛えた学者が立っていた。
「私は獣人族の研究をしている者です。先日はよくぞ無事に戻られました」
「どうも、ありがとうございます」
リュカがぎごちなく答えると、学者はまだ白くなっていない顎鬚を撫でた。
「実は、龍結晶の地での調査に慣れているあなたに、折り入ってご相談したいことがあるのです。どうかこの老骨の話を聞いてくださいませんかな」
「相談? ぼくに、ですか」
リュカはきょとんとした。最近こんなことばかり起きているような気がする。
「ええ。あの地にガジャブーが住んでいることは既にご存じでしょう」
「ああ……はい。前にドドガマルの観察をしていたら、背後からチクッとやられました」
まだあの地の生態調査が進んでいなかった頃、リュカはドドガマルが硬い岩石を咀嚼しているのを見かけた。もっと近くで見てみたい一心でそちらに歩いていると、不意に甲高い声が聞こえた。そしていつの間にか背後を左右に震える不気味なお面に囲まれていて、気づけば意識を飛ばしていた。当時を思い出すと鳥肌が立つ。
リュカが苦笑を浮かべながら答えると、獣人学者は上品に笑った。
「それは災難でしたな、彼らは縄張り意識が強いものですから」
学者は笑いを収めると、再び髭を触った。
「現在、リオスの希少種や件の古龍が繁殖していると聞いています。それに伴い、我々の調査も止められておりまして」
武力を持たない学者がフィールドワークを行う際には、原則ハンターが護衛をすることになっている。今までは慣例程度の認識で、手続きをする時間も調査に当てたいからと、ふらりと一人で出掛けてしまう者もいた。だが陸珊瑚の台地の件で犠牲が出てからは、ランク条件を満たしたハンター同伴が調査団の規則となった。
しかし、既に危険度の高い古龍が観測されている場合などの例外もある。そうした際には好奇心の塊である学者らも、拠点で大人しくしているしかないのだった。リュカも、"生態調査それいけ捕獲班"の爺さま方を説得するのに苦労した記憶がある。
「彼らは一見意思疎通が難しいように思えますが、ハンターの協力により一部の種族と友好関係を結んでおります。
そして友好的な部族は勿論ですが、そうでない部族のことも心配なのです。どうか、私の代わりに様子を見に行ってくださいませんか」
リュカの中で、高い社会性を持つ獣人族や奇面族はヒトに近い認識だった。痛い目に遭ったこともあり、正直あまり気は進まないが、自分が適任だということも分かっている。
リュカが渋々了承すると、獣人学者は嬉しそうに目を細めて礼を言った。
「ところで、あなたはガジャブー語が分かりますかな?」
「エッ会話する前提なんですか!? いえ……というか、一部のアイルー以外で分かる人なんているんですか」
「ほっほっほ。私も齧る程度ですがね」
言ってしまってから、そういえばプロフェッショナルが目の前に居たんだった、とリュカは己の失言を恥じた。獣人学者はそんなことは気にも留めず、朗らかに続ける。
「心配なら、通訳を付けましょう。リオーネ、リオーネや。こっちへ来ておくれ」
学者が呼び掛けると、書類の奥からアイルーが顔を覗かせた。所謂アメショと呼ばれる、白と茶がかった灰色の縞模様のアイルーは、本の山の間を素早く潜り抜けて走ってくる。
「あたしに何かご用ニャ?」
「この方と龍結晶の地に行ってほしいのです。ガジャブー語の通訳をお願いできますかな」
「ちょうど調査レポートを書き終わったところニャ、タイミングがよかったのニャ。ハンターさん、あたしはリオーネですニャ。よろしくニャ!」
「ぼくはリュカ、こっちはジャック。よろしくお願いします」
「あら、アナタ虫さんを連れてるのニャ? あたしの地方には居なかったけど、最近は虫使いのハンターさんが増えたもんニャ〜。ジャックくんも仲良くしてくれると嬉しいニャ!」
リオーネは大分おしゃべりな質らしい。まるで商店の女主人と話しているような気分になる。
「それで、ガジャブー語って言ったわよね。アナタ、そんな格好でアジトなんかに行ったら暑くて倒れちゃうニャ。クーラードリンクは持ったのニャ?」
「ばっちりですよ、ありがとう」
リュカは、確かジェナにも同じようなことを言われたな、と懐かしく思いながら微笑んだ。リオーネはウンウンと頷いて再び喋り始める。
「なら大丈夫ニャ。ウチの旦那さんもよくうっすいユクモノ装備で凍土に出かけたりしてたニャ、懐かしいニャ〜。今も雪の中をあんな寒そうなドレスで駆け回って、もうちょっと落ち着くってことを覚えてほしいのニャ」
リオーネの言葉に、リュカは彼女が誰のオトモアイルーなのかピンと来てしまった。だが、彼女の隣を歩いているイメージは無かったと記憶していたけれど。
そんなリュカの様子をよそに、リオーネはちゃきちゃきと話を進めていく。
「それじゃあ、準備してくるからちょっと待っててほしいニャ。集合は門で大丈夫ニャ?」
「うん。ぼくもすぐ用意してきます」
二人の会話をにこにこと眺めていた獣人学者は「よろしくお願いいたします」と恭しく頭を下げた。それから何かを思いついたように眉を上げ、懐を探って折り畳まれた紙を取り出す。
「そうそう、既にご存知かとは思いますが、今のあの地はとても危険です。移動にはガジャブーの隠し通路を借りてください。調査団に友好的な部族が利用している通路は、この地図に書いてあります」
「分かりました。お気遣いありがとうございます」
受け取った地図を見る限り、ガジャブーの隠し通路と示されている場所にはいくつか心当たりがある。リュカはそれを折らないようにポーチに仕舞うと、学者に頭を下げてその場を後にした。
相変わらず吹き付ける潮風は冷たいが、雪は混じらなくなってきた。エンベロープの中で囂々と燃える火の熱も相まって、そこまで寒さは感じない。
最近開発された小型の気球は、凍て地の気流にも耐え得るような設計になっている。依頼を受けた三期団の気球乗りは、納期よりも一週間も早く作り上げてしまった。そのおかげで、セリエナからの出張調査もしやすくなったのだった。
操縦士が風を読んでいるのを横目に、リオーネはリュカに尋ねる。
「そういえば、リュカさんは見たところお若そうニャ。どうしてこっちに来たのニャ?」
唐突な質問に、リュカは束の間閉口してしまう。これまでも何度か同じ質問をされたが、毎度どう言い訳をしていたのか思い出すのに少し時間がかかった。
調査団への入団にあたって、条件次第ではギルドからその調査員の家族に金一封が渡される。二度と生きて戻らないかもしれない家族と引き換えに渡されるそれが、大事な食い扶持となる家庭も少なくはなかった。
リュカも、タンジアの港でこちらに手を振る両親の昏い眼差しが忘れられずにいる。隣に、兄の姿は無かった。
「……未知の生き物に出会いたかったから、ですかね」
決して嘘は吐いていない。現に、リュカは今の生活に生き甲斐を見出す瞬間も沢山あるのだから。
リオーネは一瞬リュカの表情が翳ったのを見逃さなかったが、「素敵な理由だわ」と朗らかに笑った。
「ここはどうしたって経験を積んだヒト達が集まるから、若い子のフレッシュさが眩しく見えるのニャ。あのよく食べるお嬢ちゃんも、旦那さんを本当によく支えてくれてるの」
リオーネが伸びをすると、白いものが混じる毛並みが日に照らされる。その目には、何かを懐かしむような光が浮かんでいた。
「あたしも、あなたくらいの頃は破天荒だったものニャ。新大陸に行けるオトモアイルーは一匹だけだって聞いた時、あたしが選ばれないことは分かってたの。だから、すぐに別の新大陸行きが決まってるハンターさんと契約を結んで、船に乗り込んじゃったのニャ」
「ワオ……」
破天荒にも程があるエピソードの暴露をされ、リュカは思わず目が点になってしまう。リオーネはそんな様子を見て、けらけらと笑った。
「ほーんと、怖いもの知らずだったニャ。でも、当時はダンナ──ヴァイオレットさんじゃなくて、あたしのオットのことニャ──だけ旦那さんと抜け駆けなんて、許せなかったのニャ。今となってはいい思い出だニャ」
新大陸古龍調査団は正式に手順を踏んで試験に合格した者のほか、思考や技術の腕を買われて引き抜かれた者など、入団の経緯は様々だ。リオーネの機転ならば面接でうまく切り抜けたのだろうが、アイルーの採用基準が気になる。
「まあ、そんなことはいいのニャ。あなたはオトモは雇わないのニャ?」
リュカは目を瞬かせたが、腕に掴まる相方を見てにこりと笑った。
「ジャックが一緒にいてくれるので」
「そうね、既にパートナーが居るんだものね。野暮だったわニャ」
明らかにジャックを指す文脈であったのに、パートナーという単語に、思わずどきりとしてしまう。隣に居たいと望む相手は、あくまでも仕事で一時的に組んだだけだというのに。自分が想っていても、あちらはそうでないのだということが分かってしまった今、一瞬浮かんだ思い上がりのビジョンが虚しく思えた。
一人悶々とする中、嗅ぎ慣れた甘ったるい匂いが鼻腔を掠め、リュカは顔を上げた。曇天を衝く山脈と巨大な結晶は、魅了された者から我を失う。
ぱんぱんと頬を叩き、リュカは地図を広げた。
峡谷の龍脈を辿った先にある南側のベースキャンプ周辺には、黒みがかった柱状節理がよく見られる。今もなお活発に続いている火山活動は、昔はこちらの方まで影響を及ぼしていたのだろう。テスカト種もこの地を塒としている為、より活性化されているのかもしれない。
ベースキャンプで操縦士と別れ、リュカとリオーネはゴツゴツとした岩場を歩く。どちらも巣に籠って子育てをしているとはいえ、古龍や金銀火竜らがいる現在、バルノスと呼ばれる凶暴な翼竜も姿を消していた。
「今日はうるさいのが居ないから歩きやすいのニャ、なんて呑気なこと言ってる場合じゃないニャね」
遠くで鳴る火山雷のほかに音が聞こえない状況も、テスカトの調査を担っているリュカにとっては慣れたものだった。だが、普段から棲息している生物らが防衛反応を示している状態を、普通と思ってはいけない。
現に、空間そのものが巨大な晶洞のようになっている広場にも、いつも踊っている奇面族達の姿は無かった。
その時、辺りを見回していたリオーネが「あら?」と首を傾げる。
「この壁に落書きなんてあったかしら。でもこれはガジャブーの文字じゃないわ、あたしには読めないニャ」
リオーネの指す方を見ると、結晶の張り出す黒々とした岩肌に、何かで引っ掻いたような跡があった。モンスターが縄張りを主張する痕跡とは異なり、何かを表すような絵は、リュカにも見覚えがある。
「古代竜人が残したものかも。ユウラさんなら読めるかなぁ」
以前ユウラから送られてきた手紙には、古代竜人から助言を受けた旨のことが書かれていた筈だ。本人が直接聞いたのか、同伴の者が訳したのかどうかは知らないが、少なくとも自分達よりは解読できるだろう。
リュカはポーチから特殊な双眼鏡を取り出した。従来のズームアップ機能だけでなく、写真を記録することもできるということで、今や調査団には無くてはならないものとなっている。
写真を撮って、調査記録帳にも書き留めようとした時、視界の端に何かが見えてリュカは顔を上げた。見覚えのある面が三つ、今度は背後ではなく真下からこちらを見上げていた。
「げっ、ガジャブー……!」
顔を引き攣らせるリュカに、リオーネはけらけらと笑った。
「大丈夫よ、緑の塗料のお面は友好的な種族なのニャ。ほら、着いていくニャ」
そう言うや、リオーネはガジャブーの消えていった洞穴へと歩いていってしまう。洞穴は草の根でびっしりと覆われており、大きな蛇の通り道のようにも見えた。
いくつかガジャブー達の抜け穴を潜り抜けると、何やらぽっかりと広がる空間に出た。あちこちに焚き火があり、洞窟の中でも明るい。特徴的な紋様があちこちに描かれていることから、どうやらここがガジャブーのアジトのようだ。
踊るガジャブー達の奥に、一際大きく豪勢な面を被った個体がいた。リオーネが耳打ちしてくれたが、あれが族長らしい。
リオーネは族長に挨拶をし、何やら話し始めた。騒ぎながら踊っているか襲ってくる姿しか見たことが無かったが、ガジャブー達は存外大人しくしている。よく考えれば、あの時襲われたのも彼らの縄張りを侵してしまったからだったのだろう。リュカは自分の視野の狭さを恥じた。
その時、ガジャブーのうちの一人が、ジャックを興味深そうに見つめていることに気がついた。他の個体より一回り小さく、体つきも筋肉質というよりはむちむちしていることから、子どもかもしれない。
小さなガジャブーは、おっかなびっくりといった様子で近づいてくる。リュカは微笑み、面の奥に見える、彼もしくは彼女の視線に合わせてしゃがんだ。
「ジャックっていうんだ。噛んだりしないから安心して」
「×●!? ▲●×……!」
ガジャブーはおそるおそるジャックを撫でる。元々人懐こいジャックも、心なしかいつもより嬉しそうに身を委ねていた。
「ふふ。仲良くなってくれて嬉しいな」
リュカは自分の中で、ガジャブーへの苦手意識が薄れていくのを感じた。何事もチャレンジなくしては始まらない。
ふと思いつき、リュカは小さなガジャブーに話しかけた。
「こんなこと言われても困るかもしれないんだけどね、実はぼく今すごく悩んでるんだ。ちょっと聞いてくれる?」
「×⚪︎◎!」
「ありがとう。ぼく大事なひとがいるんだけど、最近うまくいってなくて。何かいい方法はないかな」
ガジャブーは分かっているのかいないのか、ホギャホギャと返事をしてくれている。リュカは構わず喋り通した。
「へえ、やっぱりそう思う? ぼくもさぁ、距離を取るばかりじゃ何も解決しないと思うんだよね」
その時、ガジャブーは懐から何かを取り出した。青色が綺麗な原石は、アステラでも時折見かける宝石のようだ。
「キョウダイ、●×▲?」
リュカはガジャブーから自分でも聞き取れる単語が出てきたことに驚いたが、交流をしているうちに向こうも言語を覚えたのだろう。
だが意味がわからずリュカが首を傾げていると、ガジャブーはそれをさらに強く差し出した。
「あら、その子物々交換がしたいみたいニャ」
「ああ成程」
ガジャブーから受け取った鉱石をポーチに仕舞うと、リュカは中身を物色した。手が硬い感触にあたり取り出すと、それは暇つぶしに自分で削り出したブーメランだった。密度が低い骨で作られたそれは武器には向かず、言ってしまえばおもちゃのようなものだ。
「こんなのはどうかな」
リュカはブーメランのやり方を実践し、ガジャブーに手渡す。するとガジャブーは大いに喜び、ぴょんぴょこ跳ねた。こういう一面は素直に愛らしい。リュカが和んでいる中、ジャックはその様子を不思議そうに眺めていた。
族長との会話を終えたリオーネは、メモをポーチに仕舞いながらこちらへ来た。
「ネルギガンテみたいに襲ってきたりもしないし、今のところ危ないことも無く過ごしているみたいニャ」
「そっか、それなら良かった」
リオーネは「さて」と立ち上がった。
「ガジャブー達の無事を報告しに戻らないとニャ。今日はムスメ達のお迎えがあるから、なるべく早く帰りたいニャ」
リュカは首元をぱたぱたと仰ぎながら頷いた。
ガジャブー達に別れを告げ、鍾乳洞を通ってキャンプに戻る。漏れ出る光はすっかり茜色になっていて、時間の経過を示していた。
「ところで、随分盛り上がってたニャね。もうガジャブー語が解るようになっちゃったのニャ?」
「ううん、さっぱり。適当に話してみたら、なんか分からないけど通じました!」
「ニャハハハ! それでこそ新大陸のハンターだニャ!」
リュカが朗らかに笑うと、リオーネはグッドポーズをしてくれたのだった。