【完結】青の炎妃はご機嫌ナナめ   作:蒸しぷりん

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喜色も混じれば泥となり

 

 

 

 カーテンの隙間から朝日が差し込み、硝子の花瓶がその光を屈折させている。

 初めは慣れなかった宿の天井にも、もはや新鮮味を感じなくなっていた。船の解体パーツが主だったアステラよりも、こちらはどこかの国の伝統を感じるデザインが多い。

 リュカは自分の体温の移った毛布を剥がして温かい床へと降りた。窓を開けると、湿った雪や泥の匂いがする。

 既に起きていたジャックに蜜を与えながら、リュカは今日の朝食はどうしようかとぼんやり考えていた。できるだけ拠点内に居られるよう、今は新たな調査は受注せず、運営側の仕事を手伝うことにしている。元々その場に付いている者はいるが、探せばいくらでもやる事はあるもので、それなりに忙しい日々を送っていた。

 

 ふいに金属でドアを叩く鈍い音が聞こえ、リュカは顔を上げる。寝間着に上着を羽織って出迎えると、そこにはパンパンの鞄を肩に掛けたアイルーがちょこんと立っていた。郵便配達係には、どこも似た性分のアイルーがその職に就くのだろうか。故郷近くの港でも、同じように重そうな鞄を背負うアイルーをよく見かけたものだった。

「おはようございますニャ。リュカ・エイモズさんですニャ? お手紙が届いてますニャ」

 リュカが礼を言って受け取ると、アイルーはぺこりと形容するしかない勢いで頭を下げ、次の部屋へと歩いて行った。

「何だろう……うわ」

 封筒に手を突っ込むと、何やら格式ばった数字の並ぶ書面が出てくる。家賃の請求だった。

 そういえば、暫くアステラに戻っていない。ジェナを残していく訳にもいかないからとこちら(セリエナ)に滞在していたが、これほど長期になると思っていなかったため、手続きも不十分だった。ジェナが知れば、呆れた顔をするに違いない。

「あちゃ〜。流石にもう帰らないとだよね、ジャック」

 ジャックは不思議そうに首を傾げる。ふわふわな頭を撫でながら、リュカは溜め息を吐いた。果たして自分一人で帰って良いものだろうか。いくら気まずくなっているとはいえ、それはあまりに冷徹なのではないか。だが、それをジェナにどう伝えるべきか。

「この際、腹を括るしかないよなぁ……」

 あまりにも自分が臆病で嫌になってしまう。

 

 リュカは溜め息を吐きながら頭をがしがしと掻いた。手紙を仕舞おうとした時、ころん、と何かがポーチの中で転がった。それを認めた途端、アイデアがぽんと浮かびリュカは目を見開く。

「そうだ……!」

 独り善がりなのは変わらないかもしれない。それでも、一歩を踏み出さなければ何も変わらないことは解っているつもりだった。

 

***

 

 雲越しに見える太陽が頭上に来る程度の時間になると、食堂や居住区からは肉の脂や香辛料などに火の通る、良い匂いが漂い始める。それを合図にするように人々は仕事の手を止め、いそいそと腹拵えをしに戻るのだった。

 

 その人物が報告書のページを捲る度に、暖炉から広がる橙色の光が長い髪を滑る。露わになった尖る耳は、ドアの無い司令室の寒さの為か赤くなっていた。おそらく、髪を一つに纏めて帽子の中に入れ込むのも一苦労なのだろう。

「ほう……”数多の龍が生まれし時、命の雫が落とされん”、ですか。何やら意味深長なようですが。この方、まだ少年心を忘れられていないんでしょうかね」

「ユウラさんって意外と辛辣ですよね」

「おやまあ、それはそれは」

 リュカの呟きに対し、ユウラは優雅に笑った。口元に当てられた袖口からは、ほんのりと不思議な落ち着く香りが漂ってくる。

 こちらへ呼び出すのもどうかとは思ったが、存外ユウラは快く研究基地から気球に乗って来てくれたのだった。どうやら、この件以外にもセリエナで済ませたい用事があったらしい。

 ユウラは兵器置き場での一件以降、暫くはどこか暗い面持ちでいた。「親は子より先に逝くものですから」と自分自身を納得させるように言っていたが、今は冗談を飛ばせるくらいには傷も癒えたようだった。

 

 リュカは口元に手を当てる。

「この時は、古龍達が繁殖期で気が立っているから他の生物が身を潜めていると思ったんですけど。それだけじゃなくて、その"命の雫"っていうのにも関係があるのかな」

「どうでしょう。少なくとも、豪雨のような災害を指しているのだとしたら、雫などとは言わないでしょうけれど」

 ユウラは、顔の横に落ちてきた髪を耳にかけた。長い時を生きる古代竜人は、独特の感性を持っている。各地に残された文章は、戯れで書かれたようなものもあれば、その地の変化を表す重要なメッセージも存在した。

「うーん、やっぱり直接会って話を聞くのが一番手っ取り早いんじゃないですか?」

 リュカが首を傾げると、ユウラは面白そうに首を横に振る。

「あの方々は、こちらが探してすぐに見つかるようなヒト達ではありませんよ。この上なく気まぐれなのです」

「そういえばそうでした」

 リュカは自身の発言の迂闊さを恥じた。それを振り払うように咳払いをし、話題を切り出す。

「それにしても、寿命が長いと言われている古龍の繁殖自体が稀なことの筈ですよね。古龍渡りの頻度が高くなっていたのも、ゼノの影響が大きいかもって結論は出たけど……あれはどちらかというと、寿命を悟って死にゆく古龍の行動だし」

 リュカが言わんとしたことを察したように、ユウラは微笑んだ。

「今重要なのは、その対となる事象だということですね。わたしも長いことテスカト種の調査を行ってきましたが、繁殖を目にするのは今回が初めてです。生物は日照時間によってホルモンが影響されて繁殖期を迎えるものが多いけれど、古龍に関しては一年のうちの特定の季節に繁殖する、というような規則はまだ見つかっていません」

 リュカは深く頷く。生物の領域は未知のことばかりで、それらを識る度に胸が熱くなるのを感じた。

「古龍というカテゴリのないカテゴリにこちらが勝手に当て嵌めているだけで、彼らも生物ですから、交尾によって子を成すのでしょう。出産に関しては、貴方が苦労してナナ・テスカトリを観察してくれたおかげで、貴重なデータが取れましたしね。感謝しています」

 ユウラに褒められて、リュカは少し頬を赤くした。

 これまで古龍種での繁殖行動が確認されているのは、マガラ種が生殖細胞を撒き散らした騒動と、今回のテスカトの出産の二つだった。冥灯龍ゼノ・ジーヴァが繭から出てきた時には赤ん坊のようだったと青い星は語ったが、絶命してしまった為に事実は定かではない。

 さらに、先日発表された文献によると、現大陸でも古龍の番が生殖行動を行い、雌は腹に卵を抱えていたという。現地のハンターの討伐により、卵は全て母親の胎内で死んでしまったとのことだったが、少なからず関係はあるだろう。

 

「まあ、今は分からないことばかりですが、出来れば早いうちに真実を知りたいものです。……何より、語り口が亡国の伝説のようで気味が悪い」

 それまで笑みを湛えていたユウラの顔に、ふっと影が差す。

 ユウラの表情や呟いたことの意味が分からず、リュカは僅かに眉を顰めた。だがリュカが質問する前に、ユウラは小さく溜め息を吐いた。

「まったく、不穏なベビーラッシュですね。当龍たちとしては喜ばしいのでしょうけれど」

 とんとん、と資料を整えると、ユウラは表紙に確認のサインと判子を押した。こうした報告書は一冊の本としてではなく、厚い帳簿の中に綴じ込まれる。その為、いつ書かれたものか等が一目で分かるよう、体裁をきちんとしておく必要があった。

「いずれにせよ、調査を行う必要はあるでしょうね。調査班のリーダーさんに報告しましょう」

 リュカはこくりと頷いた。その時、ぐう、と自身の腹から間抜けな音が響いてしまう。考えてみれば、朝食を摂ってから随分経っている。こんな時でも腹時計は正直なもので、リュカは赤面してますます縮こまった。

 一方でユウラは快活に笑う。

「報告、ご苦労様でした。ちょうど良い時間ですから、休憩にしましょうか」

 リュカが口を開く前に、もう一度腹が返事をする。ついに堪え切れなくなって、リュカも吹き出した。

 

***

 

「わ、っと」

 勢いよく傾く身体を自分で制御できず、慌てて側にあったパーテーションの縄を掴む。すっかり細くなってしまった足で、滑らないように雪道を歩くのは想像以上に困難だった。

 筋肉というものは、日常の中でも無意識に使っているらしく、長期間の非日常的な生活で驚くほどに弱ってしまった。ジェナの年齢でこの様なのだから、大きな怪我や病気をせずに生き延びてきた一期団が、いかに超人的な生存力を持っていたかが身に染みる。勿論、淘汰された上で残った人々なのだから、当然の結果ではあるのだけれど。

 ジェナは額に浮いた冷や汗を拭い、溜め息を吐いた。まだ心の臓は強く脈打っており、冷たい空気を何度も肺へと要求している。

 

 再び滑らないように慎重に歩幅を狭めていると、自分とは対照的にきびきびと歩く何人もの調査員とすれ違った。

 居住区を抜けると、人々が中央エリアと呼ぶ広間に出る。ふと何か大きなものが動くのが見え、何気なくそちらに目をやる。生態研究所では、簡易な杭で囲まれただけのリフトの上で、艶やかな毛並みのバフバロが鼾をかいていた。数名のハンターが見張っているという状況でも、絶妙な濃度調整をされた麻酔からは覚めることができない。

 自身が麻酔から醒めた時の寒気と声が嗄れる感覚を思い出し、ジェナは無意識に腕をさする。部屋は確かに暖かいのに、何故か助けも求められず、ここが自分の居るべき場所ではないのだとぼんやり思ったのだった。実際には呼び鈴を鳴らせばすぐにスタッフが来てくれたのだけれど、床に臥せっている時には不思議なことを考えてしまうものだ。

 

(あ、そうだ)

 せっかく退院できたのだから、そろそろリュカに会ってみても良いかもしれないと、ふいに思った。こちらから突き放してしまった以上、向こうからは線を踏み越えては来ないだろう。短い付き合いではあるが、彼はそういう人だと直感が告げていた。こういう安易な思い込みこそが、自分が誤った選択へと導いているというのに。

 そもそも、リュカはまだセリエナに残っているのかどうかも知らない。もしかすると、任務で既にアステラか研究基地へと行ってしまっているかもしれないと気づく。

 すぐに会うことが叶わないということを理解した瞬間、深く落胆してしまった。拒絶しておいてこちらの都合が良くなったら会いたいなど、随分と自分勝手なものだ。こんなに感情のアップダウンが激しいのは、きっと月のもののせいだろう。

 

 溜め息を吐くと、白い塊が空気中に留まってから空へと上って解ける。それをぼんやりと眺めていると、集会所の扉が開くのが見えた。

 ふらふらと中から出てきた、比較的若い男女集団。つい目で追ってしまったが、そのうち一人は見覚えのある顔だった。向こうもこちらの視線に気づいたらしく、ヘラヘラと笑いながら指を差してくる。

「お、ジェナじゃァん。なんでこっちいんの? 今夜俺ンち泊まっていけよ〜」

 ジェナはぐっと眉を顰める。せっかく退院できた晴々しい日に、下品な酔っ払いに絡まれるだなんて。つくづく自分は運が無い。そもそも、知り合った時には自分も酔いが回っていたからといって、何故こんな奴と会話をしてしまったのか。

 無視しようとしたが、首まで茹蛸のようになった同期は、ジェナの腕を掴んできた。振り払おうとするも、男性ハンターの力には勝てない。

「離してよ、アンタなんかに着いていく訳ないでしょ。見てわからないの、病み上がりなのよこっちは」

「ケッ、つれねェな! もう一回お前の乳揉ませろよォ〜!」

 ジェナの顔にサッと赤みが差した。伸びてきた手を咄嗟に叩き落とす。酔っているとはいえ、人前で下世話な暴露をされるなど、この上ない屈辱だ。

 やはり男装をやめるのでは無かった、と吐き捨てたくなるような後悔が滲む。こういうことに巻き込まれるのが嫌で、わざわざ自分の体型に合わない防具で身体を隠していたというのに。

「てめェ、やりやがったな」

「魚の餌にでもなってろ、クソ野郎」

 ジェナが低い声で牽制する。それまで酔っ払いの愚行だとへらへらしていた周囲の空気も、凍り付くように張り詰めたのが分かった。

 一拍遅れて、隣にいたガンランス使いが慌てて酔っ払いの頭を叩く。

「おい、酔い過ぎだぞオマエ。謝れよ」

「いってェな、何すんだよ! ……お前の。お前のせいで、オレが叩かれたじゃねェか!」

 男はガンランス使いに唾を飛ばしながら文句を言い、再びジェナに詰め寄ってくる。酒臭い息がムッと押し寄せた。

 襲われる。そう思った途端、本能的な恐怖に捕らわれ、ジェナは思わず目を瞑ってしまった。相手がモンスターならこの一瞬が命取りとなる為、すぐに逃げられる。だが人間の男相手では、どうしても無防備になってしまう瞬間があった。

 

 しかし、いつまでも痛みは襲って来ない。場の空気が変わった気配を感じ、ジェナはゆっくりと目を開ける。

 まず目に映ったのは、青年が男を羽交い締めにしている光景だった。腕が震えているのは、それだけの力がそこに込められているからなのだろう。見たことのないような形相に、ジェナは一瞬それが束の間の相棒だった青年だと気づけなかった。

 むしろ、それがリュカであると分かった途端、強烈な違和感が胸を満たした。会えた喜びよりも、助けに来てくれたことへの安堵よりも、何よりも。

(あたしは、この目を知ってる……?)

 瞳孔が開いたその瞳には、何故か見覚えがある。今まで、リュカのこんな表情は見たことがなかったというのに。この既視感はなんなのだろうか。脳が、理解することを拒んでいるような気がした。

 実際の時間としては、リュカが男を拘束していたのはほんの僅かな時間だった。ジャックはリュカの近くをひらひらと飛んでいる。戦意を無くした男を乱雑に地面へ投げ捨てると、リュカは冷たく見下ろした。

「顔を見せるな。二度と」

 腹の底を這うような声だった。

 

「本当ごめんね、オレらでキツく言い聞かせておくから」

 一緒に飲んでいた者らは、何度も頭を下げて男を引きずって行った。それを見届ける前に、リュカがこちらを振り返る。リュカはとうにいつもの表情に戻っていたのに、ジェナは思わず小さく肩を跳ねさせてしまった。

「ジェナ、怪我はない?」

「え、ええ。助けてくれて、ありがとう」

 ジェナの反応を見たからか、リュカは必要以上にこちらから距離をとって話していた。そうやって気を遣わせてしまうのは申し訳ないと思いつつも、傍へと行けない自分がいることも事実だった。

「退院できたんだね。具合はどう?」

「お陰でこの通りよ」

「それなら良かった、ほっとしたよ」

 リュカの寂しげな笑顔に、胸を締め付けられる。リュカと再会できるという、願ってもないチャンスだったというのに。こんな形となってしまったことが、辛かった。

 助けてくれたこと自体は感謝している。けれど、見られたくない場面を他でもないリュカに見られてしまったことや、結局誰かに助けられなければ自身の身を守れない自分自身への嫌悪もあり、素直になれなかった。本当は、これまでのことを謝ってまた以前と同じように過ごしたかったというのに。

 俯くジェナに、リュカは努めて明るい声を掛ける。

「ぼく、ちょうどお昼を食べに行こうかなと思ってたんだ。良ければだけど、ジェナもどう?」

 ジェナは目を瞬かせる。少し考えてから、頷いた。

「そうね。あたしも、久しぶりに外のご飯が食べたいわ」

 ジェナの返事を聴くと、リュカは安心したように表情を綻ばせた。

 

 アイルーを模した屋根の建物には、匂いにつられて盛んに人々が出入りしている。煙突から出る煙は、舞い落ちる雪を溶かしながら空へと消えていくのだった。

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