【完結】青の炎妃はご機嫌ナナめ   作:蒸しぷりん

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陽だまり擽る雪の風

 

 セリエナの東側にある門を潜って少し歩くと、崖沿いの細い道に出る。進んでいくと、野生のギンセンザルのいる温泉沿いの洞窟に入るのだが、彼らは凍て地の奥にいる個体よりも好奇心が強い。まさに、ヒトの域と自然の境目のような場所だった。

 

「足元に気をつけてね」

「ええ、ありがとう」

 リュカが先導し、ジェナはその後をついて行く。岩肌は硫黄などの成分で黄色く変色し、ぬめりがあった。その表面を流れる温泉も相まって大変滑りやすくなっており、スパイクのある靴でもしっかりと踏み込まないといけない。筋力の落ちているジェナには短距離でも一苦労で、ペースが落ちる度にリュカは止まってくれた。

 あのまま食堂で食事をしても良かったのだが、込み入った話をするには人が多かった。セリエナは土地の都合上、人目につかない場所を見つけるのは至難の業で、住まいのある者以外はこうした外れにまで足を運ぶ必要がある。宿も既にチェックアウトしてしまった為、こうするしかなかった。

 

 しばらく足場の悪い道を進むと、開けたところに出る。そこは温泉の付近ではあるが風向きの影響で硫黄の臭いも少なく、明るい光も差し込んでいた。雪が反射する昼時の日差しは少し眩しいけれど、リュカには今の二人を照らすなら、これくらいの明るさがちょうど良いように思えた。ジェナは日焼けを気にするだろうからと、ぬかるんでいない木陰を探す。

 リュカは鞄から厚めに織られた布を取り出し、比較的平らになっている場所にそれを敷く。ジェナが促されるままに靴を脱いでいるうちに、リュカは手提げの中から紙袋を取り出した。折り込まれていた端を開くと、小麦やスパイスの良い匂いが辺りに漂う。それを布の上に置くと、リュカもジェナの隣に腰掛けた。

 

 あまり知られていないが、料理長からそのまま提供される食堂だけでなく、集会所でもテイクアウトができる。湿度と温度の高いアステラと違い、早めに食べ切ることを前提とされている訳ではないが、なるべく味が落ちないうちに食べようとする者が殆どった。

 半分にカットされたブールは、中もこんがりと焼かれており、スパイス入りのソースに負けない程に小麦の香ばしい匂いを漂わせている。かぶりついた時に肉の脂とソースが口端から溢れ、リュカは慌ててナプキンに手を伸ばした。近くにあったそれをジェナが手渡すと、リュカは照れ臭そうに礼を言って口元を拭う。

「ワオ、ジェナってこういうの食べるのも上手いね」

 咀嚼していた一口を飲み込むと、ジェナは首を傾げた。

「そう? 別に普通じゃない」

「だってほら、ぼくの手なんかベタベタだよ」

 まったく、器用なのか不器用なのか。手を拭いているリュカの横顔に、ジェナは表情を緩めた。こんなに穏やかな時間を過ごすのは、随分久しぶりな気がする。まるで暖かな日差しが、胸の中まで差し込んでいるように感じた。

 

「ところで、改めてになるけど、退院おめでとう」

 ジェナは苦笑いしながら応える。

「ありがとう。随分と苦労をかけちゃったわね」

「ううん、全然だよ。……今日、ジェナが一緒に来てくれて、よかった」

 リュカは「ずっと心配だったんだ」と寂しげに微笑んだ。その笑顔が浮かべられるようになるまで、様々な葛藤と後悔があったことは、口にしなかった。

 束の間リュカを見つめたのち、ジェナは視線を落とす。やがて包み紙の端を手で弄びながら、あたしはね、と切り出した。

「どうしてだか、あんたの前では格好つけていたいのよ」

 自嘲的な笑みの裏では、これまでの時間を濃縮した何かが顔を覗かせている。リュカはそれに気づきつつ、正直な気持ちを述べた。

「そんなことしなくても、ジェナは格好良いよ。ぼくは、君の生き方を尊敬してる」

 リュカの目が、真っ直ぐにこちらを見ている。けれどジェナは、それに向き合うことができずにいた。

「お世辞なんていらないわ。また情けないところを見せちゃったんだもの」

「お世辞じゃ──」

 リュカは咄嗟に否定しようとしたが、口を閉じて首を横に振るだけに留める。どんなに言葉を重ねても、ジェナの深い部分にある意識を変えるどころか、さらに奥へと追いやるのみだと気づいてしまった。

 

 ジェナはリュカの表情を見て、胸が小さな針で刺されたように感じた。自分の弱いところを見せたくない。それは信頼ゆえか、その対角にあるものか。迷ったのち、彼の腕に手を添える。

「でもね、リュカ。さっき庇ってくれたことも、あんたが溶岩の中から助けてくれたって聴いた時も、すごく嬉しかった。その気持ちに偽りはないの」

「ジェナ……」

 どの言葉を選べば気持ちが伝わるのか、少女という齢など、とうに過ぎたのに分からずにいる。こんなにも心を寄せてくれている彼に、これ以上悲しい思いはさせたくない。けれど、拒絶の末に距離を置くのも違うような気がしていた。

 

「あたし、自分で思ってた以上に、あんたのことが大切みたいなのよね」

 気づけば、言葉が勝手に溢れ出ていた。言ってしまってから、口元を抑える。視線を上げると、リュカは丸い目をさらにまんまるにして固まっていた。

「え、えっ。ほんと? あの、それって、どういう……?」

 リュカのあまりに自身なさげな様子に、ジェナはつい吹き出してしまう。自分に対する異性のこの態度が、どういうことを意味しているかくらいは理解しているつもりだった。

 そして同時に、リュカもジェナのことをそのように捉えていたのだということに、えもいわれぬ心地になる。だがそれは、決して嫌ではなかった。

「好きな意味に捉えてもらって、構わないわ」

 ジェナが「多分合ってるから」と付け足すと、白い肌が耳からじわじわと染まっていく。やがてその顔が、くしゃりと歪んだ。

「ぼくも、ぼくもジェナが大事だよ。うわぁ……それ、自惚れてもいいのかな」

「自惚れって……もう、どれだけ自己評価が低いのよ」

 こちらまで恥ずかしくなってきて、ジェナは顔を背ける。その間にも、リュカは風牙竜のようになった頬を両手で包み、悶えていた。

「えっと、ちょっと待ってね。まさか、こんなこと言ってもらえると思わなくて。うわぁどうしよう、ぼくすごく格好悪いかも」

 ジェナはくすくすと笑った。

「別にいいじゃない。格好つけなくたって」

「もう、ジェナったら」

「あら、何よ」

「……なんでもない!」

 まだ年若い相方の初々しさが好ましい。この様子では、キスでもした日には倒れてしまうかもしれない、とジェナは破顔する。

 同時に、安堵に胸を撫で下ろしていた。不安だったのは、お互い様らしい。それまでの不穏な感情の渦が、温かい色に塗り替えられていく。このひとの隣は、いつでも陽だまりのようだった。それを忘れていた時間は、なんと勿体無いのだろう。

 

 ツンツン、と細い足で突かれ、リュカはそちらへ顔を向ける。見やれば、ジャックが首を傾げていた。猟虫に感情がどの程度あるのかは分からないが、明らかに不満そうに見える。

「あああ、放ったらかしにしてごめんね、ジャック。きみのこと忘れてた訳じゃないんだよ」

 ジャックはしばらくモゾモゾとリュカの腕を歩き回ったのち、いつものポジションに落ち着く。リュカとジェナは、顔を見合わせて笑った。

 食べ掛けだったことを思い出し、ジェナは再び包みを持ち上げる。温暖な場所と違い、セリエナの近くでは食べ物に蟻も寄ってこない。不安と緊張で鈍くなっていた味覚は戻り、味が鮮明に感じられるようになっていた。だが、リュカはよく味わえていないような顔で、カスクートを齧っていた。

 ジェナは満ち足りた顔で瞼を閉じる。自分に対して、こんなにも一生懸命になってくれる人がいるだなんて思わなかった。

 香辛料の匂いが混じる、爽やかな風が吹いてくる。長閑な時間に、ジェナは長く息を吐いた。

 

***

 

 ふいに手を包み込まれた感触に、ジェナは顔を上げる。笑顔を向けようとしたけれど、リュカを見て頬の筋肉が止まる。

「あのね、ジェナ」

 ジェナの手を握る彼のそれは、微かに震えていた。

「ぼくも、きみに確認しなきゃいけないことがあるんだ」

 その瞳には、激しい苦悩が浮かんでいる。ジェナは心ノ臓が冷たく早くなっていくのを感じていた。

「なに?」

 リュカは何度も口を開いては、閉じてしまう。ジェナは次の言葉が出るのをひたすらに待った。リュカは決心したように大きく息を吸い、吐き出す。

「もしかしたら、って話なんだけどね。──ジェナはギヨーム・エイモズ、って人を知ってる?」

「……!」

 まさか、リュカの口からその名を聞くとは思わなかった。かつてジェナの村の危険を救い、心奪われた人物。子の父親となるかもしれなかった人物。何度忘れようとしても、忘れられなかった人物。

 否、何度も面影を感じていてはいたのだ。けれど、その度にそんな筈はないと否定していた。よく似た瞳でも、こちらに向けられる眼差しとその温度は、全く違うものだったのだから。

 ジェナは努めて冷静を装って尋ねた。

「知ってるわ。その人が、どうしたの?」

 リュカはやっぱり、と溢した。それから、重々しく続ける。

「今こんなことを話すのもどうかとは思ったんだけど……ジェナの、大事な人だったんじゃないかなって思って。その……なんというか、ジェナが名前を呼んでるのを、聞いちゃったから」

 ジェナは少し目を見開く。自分はいつ彼の人の名を口にしたのだろう。だが、何よりも。

「そうだったの。大事な人……そうね、今もずっと忘れられないことは確かかしら」

 随分と遠回しに聞かれているように感じた。まるで、分厚い布を一枚隔てているような。リュカが本当に言いたいのは、そんなことでは無いだろう。

 だがリュカの顔は、もはや真っ青になっていた。彼にとっても、開けるのがつらい扉なのだろうか。ジェナが心配になって手を伸ばすと、リュカは頭を下げた。

「気づいてるかも、しれないけど。ギヨームは、ぼくの兄なんだ」

 

 その言葉を聞いた途端、ジェナは胸から口に掛けて苦い水のようなものが、ゆっくりと湧いてくるのを感じていた。驚きよりも、やはり、という落胆の方が占めているだろうか。

「あなたの瞳を見た時、出身を聞いた時から。何か繋がりがあるかもしれない、とはなんとなく思っていたわ。でも……そう。そうなのね」

 リュカは無言で頷く。ジェナは瞬きをし、俯いた。そっとリュカの手が離れていく。

 同じ瞳に見つめられることに、喜びを覚えてしまった。それはリュカだからではなく、ギヨームを重ねていただけなのかもしれない。そんな自分の浅はかさや幼さが、許せなかった。過去にばかり縋りついて、目の前の相手を疎かにしているだなんて。

 

(とっくに、気づいてる。あれは、自分の顔に泥が付かない、都合の良い女に手を出しただけだって。あたしが、勝手に甘い幻想に塗り替えていただけだわ)

 少女時代の相方が、自分の兄にレイプをされたのだと知ったら、リュカはどんな気持ちになるだろう。リュカの面持ちを見れば、それすらも知っていたのかもしれないと思えてくる。ジェナはおそるおそるではあるが、掘り下げてみることにした。

「あたしと繋がりがあったとして、何が知りたいの?」

 リュカはもう泣きそうな顔をしていた。天真爛漫で底抜けに明るいかと思いきや、その笑顔の裏に時々深い影が垣間見える。ジェナは、そんな相方を苦しめるものの正体を、知りたかった。

 

「うまく説明できるか、分からないんだけど。……聞いて、くれる?」

 ジェナはゆっくりと頷いた。

「ええ。勿論よ」

 明るく差し込んでいた光が、太陽が雲に隠されたことで翳っていく。日差しが弱まると、途端に底冷えしてくるような寒さを感じた。

 

 山の向こうで、数羽のケイコクチョウが一点を囲うようにして飛んでいる。そのけたたましい鳴き声は、離れていても空間そのものを伝って響いてくるのだった。

 

 

 

 

 

 

 




ご無沙汰しております。
ここまでお読みいただきありがとうございます。

ちょっとリアルが多忙なもので、不定期更新とはなりますが、暖かく見守っていただけますと幸いです。
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