風に乗って、砂埃が舞っている。その中に、砂粒でも虫でもない何かが混じっているのが気になった。
翼竜の羽ばたきには然程影響しないが、人間の身体では呼吸がしにくい。
山々の間にぽっかりと空いた空間は、岩壁に囲まれた峡谷のような場所だった。滝や川も流れ込んでいるというのに、導きの地とは思えない程に生命の濃度が薄く、植物すらも見当たらない。
所々、岩肌には何か白く薄いものが張り付いており、ひらひらと風に靡かれている。宴の際に集会所の受付嬢らが飾っていた布のようにも見えるそれは、神秘的ながらもどこか不気味だった。
「まるで、あの世とこの世の境目みたいな場所だ。あの世ってのが実在するかは知らないけれど」
「あんたがスピリチュアルな話をするなんて、珍しいな。明日は槍でも降るのか?」
四期団の編纂者が茶化すと、青い星はぴしゃりと言い返す。
「降るかもね、あんたの頭上を狙って」
「おお、そりゃあ恐ろしいな」
年長者らが戯れているのを、ジェナは呆気に取られて見ていた。
(なんて緊張感がないの……こんな所で雑談ができるほど、感覚が麻痺してるのかしら)
身体を撫でつける風が肌寒く感じ、ジェナは震えた。爛輝龍マム・タロトの黄金郷を調査した時にも洞窟を歩き回ったが、あの場所とは似ても似つかない。主が生命活動を終えて枯れかけた状態ですらも、ここまでの薄気味悪さは感じなかった。
「こっちだ」
普段寡黙な人物の発言は、並よりも力を持つ。峡谷に響いていた小声は、たちまち水を打ったように静かになった。
竜人族のハンターに続き、皆が翼竜に指示を出す。あと少しで着くという頃、大団長はにやりと口角を上げて推薦組の二人を見た。
「得意のハナは効いてきたか?」
「今にも曲がってしまいそうですわ」
青い星は当て付けのように言うと、スリンガーのグリップを握った。降り立った地面はあちこちひび割れてはいるが、あまり乾燥しているようには見えない。
大峡谷と似た、だがあちらとは異なる風景。降り立った受付嬢は、呆けたように辺りを見回していた。だが、ひとつ息を吸うと表情を引き締め、大団長の方を振り返る。
「確認します!」
四期団の編纂者は、近くにあった石柱に触れた。表面はぬめりがあり、何より不自然に隆起している。
「鍾乳石じゃないようだし、崖が崩れて落ちてきた訳でも無さそうだな。なんだこれは」
青白い膜のような何かは、いくつかの石柱にもへばり付いていた。受付嬢はそれを手に取り、指の腹で厚みや質感を確かめる。
「この感触は、何かの抜け殻のような。特徴的な翼膜──いえ、『幽膜』……」
「……!」
青い星は目を見張った。その険しい横顔を見て、受付嬢の頭の中で点と点が繋がる。
「まさか!」
大団長は頷き、後ろに目線をやる。その先を辿り、小走りでそちらへ向かった青い星と受付嬢は息を飲んだ。
崖の上で何かがこちらを見下ろして──否、それそのものに生命は感じられない。推薦組らは目を見張る。
「ゼノ・ジーヴァ!!」
「あれが……」
初めて目にするジェナと生態調査員、四期団の編纂者は言葉を忘れてその抜け殻を見つめた。その姿は、水棲生物のような滑らかな皮膚であっただろうことが見て取れる。
異常の原因と考えられていた滅尽龍ネルギガンテが制されても尚、各地で暴れる古龍らの活動が沈静化せず、調査団が頭を抱えていた頃。大団長と竜人族のハンターによる探索の末、青い星と受付嬢がその根源を暴き出し、記録に残した。秘奥に眠る古龍渡りの根源は、後日ギルドによって冥灯龍ゼノ・ジーヴァと名付けられた。
青い星は眉を顰める。
「ゼノ・ジーヴァはわたしが確かに討伐した筈。呼吸は止まっていたし、瞳孔も散大していた。しかも生まれたての赤ん坊の巨躯が、あの高さから落ちたんだ。生き返ってここまで来たとは思えない」
「ボクも旦那さんと一緒に戦ったし、最期も見届けたのニャ」
青い星は何ともないように言ってのけたが、ジェナは彼女が僅かに拳を握ったのを見逃さなかった。それは脅威の存在に対してか、生まれてきた新たな生命を自身の手で絶ったことに対してなのか。
繭から羽化したゼノ・ジーヴァは、初めは皮膚も柔らかく、翼も縮んでおり飛行も不可能であったことから、幼体であるという説が囁かれた。それでもかの龍が溜め込んだエネルギーは非常に強力で、竜人族のハンターは重傷を負ってしまったのだそうだ。
ゼノ・ジーヴァの討伐後、戦闘によって脆くなった地盤が崩れ、地脈の収束地の奥底に落ちていったのだという。青い星自身も巻き込まれかけたが、大団長によって救出されたのだとか。
受付嬢は辺りを見回し、再び口を開いた。
「もう何度も脱皮を繰り返しているようです。ということは……!」
「──別の個体が孵化し、調査団の目の届かないところで密かに育っていた。私たちが調査できている部分なんて、ほんの一握りだものね」
生態調査員が静かに呟く。
「でも、悉くを滅ぼすネルギガンテを追って導きの地が発見されても、暫くはこんな変化はなかったような……あっ!」
受付嬢と生態調査員は顔を見合わせた。
「そうだわ、ネルギガンテよ! あの個体が溶岩地帯で力尽きて豊富な栄養源となったのが、最後の一押しになったんじゃないかしら」
二人の言葉に、青い星が付け足した。
「もしかすると導きの地は元々あったのかもしれないけど、あんな激烈な変化が自然に起こるとは考えにくい。でも、龍脈のエネルギーを集められる奴がここに居るなら、或いは……」
自らの目で見届けてきた者の言葉は重い。大団長は逞しい腕を組んだ。
「やはり、そう思うか。まずい事になったな」
今回、導きの地の変化はあったとはいえ、調査団には直接大きな被害が出ている訳ではない。再び討伐作戦が敢行されるのか否か。しかも相手は何度か脱皮を繰り返し、以前相見えた個体よりも適応能力を得ている可能性が高い。
ここで危険な賭けに出て、青い星を筆頭とする優秀なハンターを失うのは、調査団としても大きな痛手だ。
「仮に幼体が成体になったのなら、多くの生き物が次に行うのは生殖よね」
生態調査員の言葉に、ジェナは脳裏に炎妃龍や金火竜らが浮かぶ。彼女らも、この異変の主によって影響を受けているのだろうか。繁殖が重なったのも、必然なのかもしれない。ここに調査団が辿り着いたことも、自浄作用という言葉で片付けられるものなのか。
各々が思考を巡らせていると、竜人族のハンターが大団長の方を振り返る。過酷な地で生き延び続けてきた一期団の紋章が、光を弾いた。
「戻って作戦会議を」
「うむ。急ごう」
踵を返そうとしたその時、突如として風が吹き荒れた。青い星が幽膜が靡く方向の逆へと目を向けた途端、巨大な影が崖の上から迫ってくる。
「何か来たのニャ!」
青い星のオトモアイルーが叫ぶ。その影は狭い岩壁をものともせず、砕け散った岩がジェナ達のいる場所にも降り注いだ。
「急げ!」
大団長の一言で、皆は一斉に駆け出した。近くで待機していた翼竜を呼び、空へと舞い上がる。大団長は皆の様子を確認すると、自らも翼竜の留め金目掛けて楔を投合した。
間一髪でしなる尾を躱すと、一行は明るい方へと逃れる。ロープから落ちないようにしながら、受付嬢は谷の底に佇むそれを見た。
「あれは……」
ゴーグルに付属するレンズのピントを合わせていくと、見えたのは巨大な翼と赤黒い甲殻。惨爪竜オドガロンのものと似た、しかし遥かに巨大なそれは、骨格だけならば冥灯龍ゼノ・ジーヴァと類似している。
龍はこちらを追いかけることはせず、その場に留まることにしたようだった。安堵したのも束の間、谷の底からは、自身の縄張りを主張するような咆哮がこだました。
導きの地の上空を出ると、風の流れは多少穏やかになった。
広がる海の向こうには、巨大な龍結晶と火山が見える。そんな中、翼竜の鳴き声と、風が身を切る音だけが響いていた。峡谷を出てから、皆一様に言葉を見つけられずにいる。大団長ですら言葉を発さないのだから、一層怖ろしい。
自分達が目にしたものは、果たして現実なのか。夢でも見ていたのではないか。これまでも古龍という人智を超えた生物達を調査してきたというのに、自分達が今まで見てきたものとは次元が違うと肌身で感じた。
おそらく、あの存在こそが谷の主だったのだろう。一瞬の出来事であったが、ひとまずあの龍の縄張り意識の強さは分かった。追ってこないだけ幾分かましだが、脅威であることには変わりはない。
重苦しい空気を破るように、受付嬢は口を開いた。
「途中、浅層に安全そうな場所を見つけました。調査の続行をする場合、あそこにベースキャンプを立てましょう」
こんな状況でも、冷静に周りを見ているとは。ジェナは舌を巻いた。
「ああ、そうだな。まずはそれからだ」
「とんでもないものを見つけてしまったけど、一先ず全員ここにいる。それだけでも良かったじゃないの」
大団長に続き、青い星も励ましの言葉をかけた。それまでの空気が一変し、皆は労い合う。
そんな中、ジェナは近づいてくる妖しげな結晶を見ながら、大きく息を吸い込んだ。おそらく大怪我から回復したばかりの自分は、今回の調査からは外されるに違いない。
(──決してあんたじゃ力不足、というわけじゃない)
脳裏に、青い星から掛けられた言葉が蘇る。以前ならば、大きな功績を上げるチャンスだと思っただろう。これまで築き上げてきたキャリアに加えて、自身の存在意義も揺らがぬものとなると。そして、調査に参加できないことにも大いに憤っただろう。
しかし、彼女の大袈裟なまでに皆を守ろうとする姿勢を目の当たりにした今、そんな無謀なことをする気にはなれなかった。
(あたしが、守りたいものは……)
リュカの悲しげな顔が浮かぶ。もう二度と、彼のあんな表情は見たくない。彼はもう、アステラに帰ってしまっただろうか。
群れを成す翼竜が鳴く。どこか切ないその声は、空へと消えていった。
***
暖炉の中で、薪がパチパチと音を立てている。既に陽が落ちて薄暗くなり始めているセリエナでは、火は安心感をもたらしてくれるものだった。
皆からの報告を聞いた調査班リーダーは、眉間に皺を寄せる。
「検視だけのつもりが、すごい事になったな。環境生物の異変に、傷ついたジンオウガ亜種。それにゼノ・ジーヴァのものらしき抜け殻に、謎の巨大なモンスターか……」
青い星は腕を組み、暖炉に照らされた調査班リーダーの横顔を見た。
「へえ、オレもその場で見てみたかったな」
エイデンが口を挟み、リアも頷く。推薦組の彼らは、真っ先に会議に呼ばれたのだった。
「環境生物は、私たちなんかよりずっと環境の変化に敏感よ。あの子達がおかしな行動をとっていたのも納得がいく」
「ジンオウガ亜種も、そいつから逃げてきたのかもしれないな」
生態調査員と四期団の編纂者も意見し、これまでの状況の関連性を認める。情報の少ない現時点ではこじつけかもしれないが、相関がないとは皆思えなかった。
ジェナは周りの勢いに気圧されつつも、相槌を打つ。リュカとジャックがこの場にいないことに少しだけ落胆したが、すぐに意識を切り替えた。
「あの龍はゼノ・ジーヴァと瓜二つという訳ではありませんでしたが、共通する点は多々ありました。骨格や二本の角、翼の形状などが挙げられます」
受付嬢の発言に、青い星も頷く。
「覚えてると思うけど、ゼノ・ジーヴァは地脈の収束地──龍脈のエネルギーがとんでもなく豊富な場所で羽化していた。あの場所とは全く違ったけれど、共通するのは生き物がいないってことだわね」
「今回の場所──そうだな、仮に幽境の谷とでも名付けるか。あそこに龍結晶は見当たらなかった」
大団長の言葉に、竜人族のハンターが首を振る。
「目には見えずとも、あの時と似た、ただならぬ力を感じた。それらが強すぎて、小さなもの達は生きられないとも言える」
人間には感じられない、竜人族ならではの感覚があるのだろう。龍脈のエネルギーが最も濃い地脈の収束地を見つけたのも彼だったという。ジェナは、ふとユウラが炎王龍と対面していた時のことを思い出した。
それまでずっと話を聞いていたリアが、口を開く。
「つまり幽境の谷には不可視のエネルギーが沢山あって、その最奥に棲んでいるあの龍は、それらのエネルギーを元にして生きている可能性があるということですね」
竜人族のハンターは頷いた。
「もしかすると死を纏うヴァルハザクみたいに、媒体から効率的にエネルギーを吸収できるようにしてたりして」
受付嬢が呟くと、青い星は「なるほどね」と腕を組み直す。
各々が自身の考察を述べる中、調査班リーダーは咳払いをした。
「今の時点では、憶測しかできない。すぐにでも調査を頼みたいところだが、あまりにも危険だ。今回はマム・タロトの時みたいに調査を何度かに分けて……そうだな、人数を増やして臨みたいと思う」
「ほう、合同調査ってことかい?」
「そいつは面白い取り組みだな」
青い星と大団長は面白そうに眉を上げる。
「ああ。まずはある程度調査して、奴の生態を知りたい。危険だと思ったらすぐに引き返してもらう。だが本当にゼノ・ジーヴァの育った姿だとすれば……いや、討伐するかどうかの判断は、調査が進んでからにしよう」
最後の言葉に、現場を見てきた誰もが息を呑んだ。あれほどの脅威を、本当に討伐できるのか。そして。
(拠点に飛来したナナ・テスカトリは、明らかにこちらに敵意を示していたし、脅威だったのに生かした。今回の龍も、状況次第ではそうなるのかもしれない。その線引きは一体、どこにあるのかしら)
おそらく、ジェナだけがそう思っていた訳ではないだろう。調査班リーダーも、迷いながら指揮をとっている。冥灯龍と同じように新大陸で生まれた命として。新大陸古龍調査団の一員として。
そんな中、エイデンが陽気に笑った。
「いやぁ、今回も面白そうなことになってきたッスね! 腕が鳴るぜ」
「ええ。あたしも是非参加するわ」
リアも相方の方に腕を置いて頷く。いつも通りの彼らを見て、青い星はやれやれと表情を崩した。
「今回の調査に参加できるハンターのマスターランクは二十四以上とする。俺も指揮を取るから、十分に準備をしてから幽境の谷に向かおう。それから──」
調査班リーダーはテーブルを囲う皆の顔を見回す。
「今回も無事に戻ること。いいな?」
若き司令官の凛々しくも温かい眼差しは、彼の祖父の面影を感じる。そんな彼の、司令という建前の願いを叶えようと、皆は力強く頷いた。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
原作に沿わせている部分もありますが、オリジナル展開もありますので見届けていただけると幸いです。