幽境の谷の上層は、常に砂粒の混じる風が吹き荒んでいる。だが中腹あたりには、風の勢いが弱まる場所があった。
「さて、全員揃っているな」
凛とした声が岩壁の中で響く。その主──調査班リーダーを囲うようにして、多くの調査員が集まっていた。重装備に身を包む者もいれば、風景に溶け込むような地味な装いの者もいる。そしてある者は武器を携え、ある者はペンや試料の容器を握っている。いずれも共通するのは、強い好奇心と未知への興奮が眼差しから溢れ出ていることだった。
「本調査のターゲットは赤龍ムフェト・ジーヴァだ。予想通り第二層にいるようだが、手筈は拠点で説明した通りだ。アステラから来た者も、じいちゃ──総司令から詳しく聞いているだろうが、それぞれの班長の指示に適宜従うように」
その言葉に、皆が頷く。調査班リーダーが傍らにいた受付嬢に目配せをすると、彼女はギルドに提出する書類に印を捺した。この調査が、正式に認められたものだという証明だ。
先日の調査の後、ギルドからは今回発見されたモンスターが、正式に完全新種のモンスターであると同定された。学名をムフェト・ジーヴァ──"完全なる霊魂"の意──そして別名を赤龍といった。なんとも少年心を忘れないネーミングだと皮肉を溢した調査員もいたのは、ここだけの話である。
若き司令官の言葉を聴きながら、先頭に立つ女傑は静かに腕を組んだ。その防具の隙間からは僅かに包帯が覗いているが、誰も指摘する者はいない。
「最終目標は討伐だ。奴を見失うなよ」
調査班リーダーは、いつにも増してよく通る声で言った。任務を命じながらも、灰青色の目からは「無事でいろ」という言葉が伝わる。その言葉を皮切りに、各々の班長はチームメンバーに声を掛けた。
それぞれの話し合いが終わる頃、ジェナは楽器の吹き口を覆うようにして息を吹き込む。金属部分の多いこの狩猟笛は、冷えてピッチが下がりやすい。
その時、近づいてきた足音にジェナはふと顔を上げる。セルマが、眉間にグッと皺を寄せてこちらを見つめていた。
「またあんたと一緒に仕事ができて嬉しいよ、ジェン。でも、くれぐれも無理はしないで」
セルマはジェナを強く抱き締める。ジェナは楽器を片手で持ち、もう片方の手をセルマの背へと回した。柔らかな栗色の髪から漂う花の香りが、鼻腔を通り抜ける。
「ええ、分かってるわ。あんたもね、セラ」
互いに頷き合うと、セルマは自身の班へと戻っていった。華奢でその背丈こそジェナよりも小さいが、逞しい後ろ姿だ。
ジェナと同じ班のボウガン使いは、全体に粉塵を撒いた。それは吸い込んだ者の交感神経に作用し、神経伝達物質の分泌を活性化させる。
ジェナはもう一度息を吹き込み、ある程度温まったのを確認すると、唇で震わせた空気を楽器に伝えた。その音に、皆が振り返って聴き入る。今回、狩猟笛使いはジェナ一人だった。こんなに大勢に見られるのは久しぶりで、手に汗が滲む。けれど祈りを込めて、音を奏でた。この調べが、皆を怪我から守ってくれるようにと。どうか加護がありますようにと。
演奏を終え、ジェナは皆に頭を下げる。セルマを含めた何人かは拍手をしてくれた。そしてその先頭にいた青い星はウインクをして指笛を吹き、飛び立った。
ジェナはほっと息を吐く。セリエナで調査への参加希望を伝えた時、青い星は初め首を縦には振らなかった。それはそうだろう、あれほどまでに皆の安全を願っていたのだから。
しかし、どちらかといえば口下手なジェナが、自身にできることや意思を懸命に伝えると、青い星は表情を緩めた。そして柔らかく微笑み、頷いて見せたのだった。
(アステラに戻るだけの猶予があって、よかったわ)
いつの日にかマム・タロトに挑んだであろう誰かの落とした武器は、彼女が身に纏う潤沢な金属によって鍛えられていた。そこからこの武器も発見されたが、ジェナが参加した調査では狩猟笛使いはいなかったため、譲られていたのだった。ジェナは自宅に眠っていた楽器の手入れをし、調査班に合流した。
しかし、ジェナがこれまで愛用していたリルン=グレイシアは弦であった。皇金の龍笛が属するバグパイプ型は狩猟笛の基本の型とはいえ、大きなブランクがある。正直練習する時間も足りていなかった。音色は洗練されていないが、効果は十分であると信じたい。
「ああ、いい音ね。こんな名器がずっと眠っていたなんて信じられない」
キャスリーンは目を閉じ、恍惚とした表情で呟く。
「ちょっとキャシーったら、変な言い方しないで頂戴。しかもその腕章ってあたし達の護衛役が付けるやつでしょ。ゴリゴリに戦力になるあんたが、どうして残ってるのよ」
「やぁね、ゴリゴリだなんて。アタシは正真正銘アンタ達の護衛よ。実力を買われたってワケ」
腕を腰に当て、キャスリーンはやれやれと首を横に振る。ジェナはキャスリーンの顔と彼女の背負う大剣を交互を見て、目を瞬かせた。
「護衛って……盾武器じゃないのに?」
「盾武器使いが足りてないのよ。あのヒト達は前線にも一定数必要でしょ」
大丈夫だろうかと一瞬心配になったが、それだけ前線に人員を割いているということだ。先発隊と一緒に行った調査班リーダーも、考えがあってこのような構成にしたのだろう。自分達援護チームは、彼らを精一杯サポートしなければならない。
「スリンガーはすぐに射出できるようにしてある? 先発隊の信号弾が上がる前に、ポーチの中身も再度確認してね」
援護チームの班長が声を掛ける。自分達が呼ばれるのは、おそらく赤龍の攻撃が苛烈になった時。幸い、斥候によりドクテングダケ由来の毒や閃光は有効だという情報を得ている。乱用しては対処法を編み出されてしまう為、ここぞという時に確実に当てなければならない。
「いよいよだな」
「うん。オズモンドさんにゴールドさん、だっけ。頑張ろうね」
同じ班のボウガン使い達は隣で談笑していたが、ジェナとキャスリーンにも声を掛ける。
「ええ。よろしくね」
「アンタ達のことも頼りにしてるわよ、シャヒン兄妹」
その時、火薬の音と共に信号弾の光が弾ける。
「行こう、皆。くれぐれも気をつけて」
班長の言葉を聞くやいなや、彼以外の四人も指笛を吹いた。
***
援護部隊が到着すると、エイデンはにかりと笑う。
「よーし、順調だな。皆、気を緩めんなよ!」
暗がりの中、赤龍は目を爛々と光らせていた。その視線の先にいるのは、青い星。執拗に追い回しては、鋭い牙で噛みつこうとしている。
赤龍の巨躯には、ジェナが以前見た時とは異なり、細かい傷が沢山刻み込まれていた。一つ一つは浅いようで、血が滲む様子はない。だが、赤龍の怒りを買うには十分だったようだ。
シャヒン兄妹の妹は岩陰に潜み、薬草の粉末が入った薬莢をリロードした。そして赤龍の近くに来ると、スコープを覗き込み、青い星のハンマーに狙いを定める。
飛び出した弾丸は、ハンマーの柄に当たった直後粉塵を撒き散らした。青い星はそれを吸い込み、「ありがとね!」と叫んで赤龍の攻撃を避ける。
その間、シャヒン兄は前線で戦っている近接武器使いの間合いを考慮しつつ、翼に向かって弾丸を打ち込んだ。その薬莢には、毒が含まれている。高い代謝能力は、メリットにもデメリットにもなる。程なくして毒が効いてきたのか、赤龍は苦しげに唾液を吐き出した。
シャヒン兄妹の他にもガンナーはいるが、彼らは赤龍の体力を奪うことに特化している。現に、弾傷も翼を中心として体表のあちこちに認められた。
ジェナが演奏をしている間、キャスリーンは赤龍との間で大剣を構えていてくれる。一度薙ぎ払うように光線が放たれ、身を固くしたが、キャスリーンの機転によってジェナに当たることは無かった。
「ありがと、キャシー」
「こちらこそ。さあ、アタシもちょっとは火力にならなきゃね!」
そう言うとキャスリーンは駆け出し、赤龍の首元に向かって大剣を振り下ろす。青い星に執心だった赤龍も、キャスリーンや他の近接武器使いを無視する訳にもいかず、その巨躯で暴れ回った。それを躱すようにして、キャスリーンは再び後陣へと戻る。大変な立ち回りだろうに、上手いものだ。
人数が多いということは、当たる的も多いことを指す。地割れと共に起こる爆発に巻き込まれる者もおり、その度に回復弾や円筒、粉塵が撒かれた。
援護チームは今回、ネコタクの代わりも任されている。戦闘不能となった者がいた場合は、危険な場所から救い出してキャンプで救護班へと引き継がなければならない。
その時、赤龍が翼を広げ、周囲にいたハンターが強風に煽られる。安全な場所で待機していた受付嬢とリアは、すぐさま叫んだ。
「皆さん逃げてください!」
「石柱へ走って! 早く!」
ハンター達は蜘蛛の子を散らすようにして全速力で駆け出す。その間にも、冷気のような青い光が地面を這い始めていた。
***
それは遡ること、数日前。
帰還した青い星一行を見て、拠点にいた皆は目を見張った。今の彼女らを表現するには、満身創痍、それ以外の言葉が見当たらない。
「やっぱここって寒いよな〜!」
「はいはい、心配は有り難いけど、早く暖かい部屋に行かせておくれ」
二人は食堂の入り口を潜ると、どっかりと腰を下ろした。青い星の腰のマントやパンツは砂やら焦げ跡やらで汚れ、肌が露出している部分も痛々しい傷がいくつもある。エイデンも鋼龍の堅い装甲で守られてはいるが、歩く際に痛そうに顔を顰めていた。
その時、赤い頭巾にふくよかなフォルムのアイルーが階段を降りてくる。アイルー──料理長は、人だかりの中心にいた青い星らを見て、いつも柔らかく細めている目をまんまるにした。
「あらあら、あら。おじょーちゃん達、ちょっと休んだほうがいいわ。オバーチャン、すぐにお腹に優しいもの作ってあげーる」
厨房に戻ろうとする料理長に、エイデンが声を掛ける。
「ご心配ドーモ。温かいメシは今すぐ食べたいところだけど、こう見えて擦り傷ッスよ、二人とも。とんでもなくヤバいのは避けたからな」
「まー、そうなの? とにかく、温かいごはんが必要ね」
料理長は厨房のアイルー達に指示を出し、食事の支度を始めた。
「大人数で行きたいところだけど、あれを皆が食らったら一気に全滅だ。どうしたものかしらね」
青い星の言葉に、ジェナを含めた調査員らは顔を強張らせた。不穏な雰囲気の中、滑らないように床板を踏み締める音が聞こえ、受付嬢が振り返る。
「司令官!」
セリエナの若き司令官こと調査班リーダーは、軽く手を上げる。だが、青い星とエイデンの姿を見て、表情を曇らせた。
「戻ってきてくれて、本当に良かった。無事とは言えないかもしれないが」
「命からがら、ってところさね。もう、しつこいのなんのって。ラージャンかと思ったよ」
掠れた声で苦く笑った青い星は、懐から帳面を取り出した。何人かは、後ろでぴくりと眉を動かした大団長を見やる。
「ところで青い星。あれ、とは?」
ブロンドの髪をサイドテールにした編纂者が、凛々しい声で問いかける。
「ん? ……ああ」
青い星は給仕アイルーに出された花茶に息を吹きかけ、ゆっくりと嚥下する。そして、ポーチから真っ黒に溶け落ちた何かを出した。
それを見た瞬間、皆は凍りつく。
「──こいつが"こう"なった原因さ」
それは、青い星が被っていたティアラだった。冰龍イヴェルカーナの素材を用いられたそれは、熱によって鍛え直され、硬度を増すという特性を持つ。だが、高すぎる温度によるものか化学物質によるものか、今や木に滴る樹液のようになってしまっていた。
「ヘルフレアとは比べ物にならないぜ。俺達、よく生きて帰ってきたよな〜」
「笑い事じゃないわ」
リアの鋭い肘鉄砲を脇腹に食らい、エイデンは悶絶して転げ回ったのだった。
***
赤龍は地面に向かって青い炎のような光を吐き出し続けている。
とぼけた弓使いは赤龍をちらりと見た。
「うわ、コレかぁ……!」
「んなこと言ってる暇があったら走れ馬鹿!」
相方の姉御肌な剣斧使いは、彼の首根っこを掴んで走った。
何があっても立ち止まるな、振り返るなという言いつけを守り、調査員らは仲間の待つ岩陰に駆け込む。いずれも自分のことで精一杯で、周囲を気にする余裕は無かった。
やがて赤龍は炎を吐くのを止め、舞い上がった。真珠のように小さな雫が、赤龍の口からゆっくりと落とされる。祈りのようにも産卵のようにも見える神聖な光景に、岩陰から見ていた者は目を奪われる。
「見るんじゃない! 死にたいのかい!!」
青い星の剣幕に、皆すぐに顔を引っ込めた。
その直後。
雫から、眩い光と共に凄まじい熱波が放たれた。
岩陰に隠れていたハンター達は、目を開けた途端唖然とした。周囲は全て焼き払われ、地獄のような光景となっている。だが燃焼するための媒体が無い為か、その炎は長くは留まらなかった。
「皆、怪我はないか!?」
隠れていた調査班リーダーの声掛けに、それぞれの班長が応答する。どうやら、全員無事に逃げられたようだ。
強大なブレスを吐いたせいか赤龍も消耗したようで、地面からエネルギーを吸収し始める。その間に、ハンター達は阻止せんと各々が攻撃を叩き込んだ。
安全を確認すると、リアは技術班リーダーの開発した機械を地面に差し込む。そしてその数値を読み取り、皆に聞こえるように叫んだ。
「エネルギー量、中量! いい調子よ!」
その言葉に、セルマは眠そうな目を見開く。
「これで中量? わぁヤバい。まさか、またやってくるんじゃないだろうね」
同じ岩陰に隠れていたジェナは、相方の反応に苦笑いをした。
「そのまさかよ、多分ね。……あれ、阻止できたりしないかしら」
「ちょっとジェン、何考えてるの」
セルマは険しい顔で、スリンガーを弄っていたジェナの腕を掴む。
「大丈夫よ、根拠が無いわけじゃない。危険だと思ったらすぐに逃げるわ」
「……信じるからね、その言葉」
セルマはジェナの肩に手を置くと、再び太刀の柄を後ろ手で握って前線へと走り出した。
赤龍は尚も暴れ回る。堅牢な甲殻も、ハンター達の懸命な努力により少しずつダメージを受けているようだった。その証拠に、先程のエネルギー吸収の後にも回復していない傷がある。
「その調子だ! 一気に叩き込むよ!」
班長の一人であるガンランス使いが、皆を激励する。彼が斬り上げた時、赤龍の眼球を鋒が掠めた。ガンランス使いはすかさず上方に砲撃を撃ち込む。すると悲鳴が上がり、赤龍が大きく怯んだ。
まともに砲撃を受けた片目は、今の状態ではおそらく失明してしまっただろう。回復をされなければ、であるが。ハンター達はここぞとばかりに傷ついた箇所や関節、柔らかい場所を狙って攻撃した。僅かであるが、所々から血液が滲むのが見える。やはり赤龍も生き物であるということには、変わり無いようだ。
体勢を立て直した赤龍は、目を光らせ、すかさず翼を広げた。再びあの攻撃を放つ気だと、ハンター達は必死に石柱を探す。
直後、薄暗い峡谷が突如強烈な光に包まれた。
「!?」
こんなに早く放たれるのかという驚愕。凄まじい熱波が襲ってこないこと。そして一拍遅れて、立っていられないような地響き。
目を開けたハンターらは、やがて飛んだ筈の赤龍が地べたでもがいていることに気がついた。
「誰かは知らんけど、ナイスゥー!」
お調子者の言葉と共に、チャンスを逃すまいと皆は赤龍の方へと駆けていく。
その様子を、ジェナは石柱の陰で見ていた。それから、自身の手のひらへと視線を移す。じわじわと熱い感情が込み上げ、頰が緩んだ。
「まさか、成功するなんて!」
自分にもできることはあったのだと、ジェナは一人ガッツポーズをする。一か八かの挑戦であったが、賭けてみる価値はあったということだ。咄嗟のことだったため、合図をせずに閃光弾を打ってしまったことは申し訳なかったけれど。
出鼻を挫かれた赤龍は、再び同じ攻撃をすることはせず、エネルギーを求めて四肢を広げる。そして背を曲げ、青白い光を吸収した。その翼が、星座のように輝く。
一部のハンターは、おそるおそる編纂者らのいる後方へと視線をやった。
「エリアのエネルギー、枯渇しました! 皆やったわ!」
リアの声に、歓声が湧き起こる。遠くで、セルマがジェナにグッドサインを出してくれた。
その時、赤龍が咆哮をあげ、再び翼を広げた。また先ほどの攻撃かと皆は身構えたが、青白い炎が吐かれることはなく、巨体は地面を飛び越えて下層へと降りていく。
「赤龍が最下層に移動するぞ! 大詰めだ、気を締めてかかれ!」
皆がまだ浮ついている中、調査班リーダーは厳しい声音で言った。
「おや、このまま調査を続ける気かい。……仕方ないね、やってやろうじゃないの」
青い星は汗を拭い、炎妃の王冠を被り直す。それは番を喪った若き炎妃龍ではなく、死地を求めて渡ってきた老女の形見であった。いくつもの戦いを生き抜いてきた妃の素材は、どんな熱をも通さない。
「床の穴から翼竜で追うぞ! 急げ!」
エイデンの言葉に、翼竜を呼ぶ指笛の甲高い音がいくつも響き渡った。
下層からは、妖しげな光が漏れている。隠り世へと近づいていくのを感じながら、調査員らは己を鼓舞するのだった。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
いよいよワイルズ発売ですね。わたしは一歩遅れて禁足地へと赴きますので、皆さん楽しんでくださいね。
ちなみに編纂者などを入れずハンターのみで数えた場合、人数は全員では十六人ですが、ジェナの班は五人。