緑色の光が岩の隙間から漏れ、奇妙なガスが充満している。そこは瘴気の谷にも似た、人間が長居してはいけないと感じる雰囲気を醸し出していた。翼竜も指示に従って飛んではいるが、何体かは怯えた鳴き声を出している。
「なぁに、ここ。気味が悪い」
セルマは顔を顰めて呟く。
斥候の際に赤龍が立ち去った後、編纂者らによって幽境の谷周辺の調査が行われた。いつかの龍が帰ってくるかも分からない。そんな中で発見されたのが、この最下層だった。
その時はまだ技術班リーダーのエネルギー計測器が完成していなかったが、上層や中層とは比べ物にならない程のエネルギーがここに集まっていることは、想像に難くなかった。
「ついに最下層だ! もうどこにも逃げ場はない。そしておそらく、ここが赤龍の根城だ。
エネルギーの枯渇も狙いたいところだが、キャンプに戻った者達が来るまでには、なるべく安全な立ち回りを心掛けてくれ」
調査班リーダーの言葉に、先発隊の者達は頷いた。
「あれを見てください。あんな岩、前回の調査では確認できませんでした」
受付嬢が地表に転がった、鋭い岩を指差す。
「天井が崩落してきたもののようね。上も脆くなっていることが予測されるから、頭上にも注意しましょう」
「崩れてきた岩でも、あの攻撃を防げると良いんだけれどね」
リアと青い星が苦々しげに呟く。あちこちに認められる岩片は、中層で隆起していた石柱よりははるかに脆そうだった。もしあの攻撃を放ってきた場合、盾になり得るかは分からない。
「これはあくまでも想像ですが。幽境の谷に存在する岩は、単に熱や衝撃に強いというだけでなく、あの雫から放出される物質を通さない性質か何かがあるのかもしれません」
受付嬢の言葉に青い星がハッと顔を上げた直後、赤龍がこちらを認めた。
赤龍は長い首を伸ばして咆哮を上げる。同時に、それまで吸収していたのと逆方向に地面の亀裂へと光が迸った。
「ムフェト・ジーヴァの様子が急変! ご注意を!」
着地と同時に、受付嬢が叫んだ。
赤龍の翼はエネルギーの吸収が終わったにも関わらず、星空が浮かび上がっている。追い詰められたことで常にエネルギーを吸収し続けるようになったのか。もしくは、戦闘中に地中から吸収したエネルギーで身体がさらに成長し、糖のように体内でエネルギーの新生のようなことができるようになってしまったのか。
いずれにせよ、エネルギーが継続するなど、まるで特殊な鉱物による核分裂の連鎖反応のようだ。
目や口内だけでなく、甲殻の隙間──特に胸元までが白く輝く様は、これまで以上に冥灯龍ゼノ・ジーヴァを彷彿とさせた。金火竜や銀火竜の劫炎状態と似てはいるものの、そもそもの規模が違う。
「これまで以上に赤龍の直下での爆発が増えるだろう、皆警戒するように!」
調査班リーダーの掛け声と共に先発隊は再度陣形を組み、赤龍へ攻撃を始めた。
尚も自らを取り囲むハンター達に、赤龍は苛立ったように飛びかかる。攻撃の為に空中へ飛び上がっていたセルマと、クラッチクローで張り付いていた剣斧使いは、赤龍の巨体に弾き飛ばされた。
「大丈夫か!」
調査班リーダーが声を掛ける。だが、それぞれ受け身を取れていたようで、合図を出すなりすぐに前線に戻った。赤龍が彼女らに執着していなかったのが幸いか。
その時、赤龍は天井に向かってブレスを吐いた。直後、幾つもの大岩やら瓦礫やらが落ちてくる。それはハンター達のいる場所だけではなく、編纂者らにも危機が迫っていた。
「上だ! 避けろ!!」
エイデンが叫んだおかげで、皆なんとか直撃をせずに済んだものの、怪我をした者もいたようだった。赤龍は、第一層でエイデンが岩を崩して自身に当てたことを覚えていたのかもしれない。
亀裂の入った地面のあちこちには、大小さまざまな岩が転がっていた。これらに躓けば最後、容赦なく赤龍の牙に晒されることだろう。
その時、上空から翼竜の鳴き声が響く。
「ガンナーおよび援護隊、到着しました!」
受付嬢が皆に伝える頃には、痛み止めと止血効果のある粉塵が撒かれていた。戦闘中は興奮状態となるため出血しにくくはなるが、それでも薬があれば多少は安心できる。
堅牢な甲殻を傷つける音に加わったのは、火花と共に弾丸が続けて撃ち出される音、引き絞られた弦が弾けて矢が空を切る音。急に人数が増えた為か、赤龍は少し攻撃前の動作に迷うような動きを見せた。状況としては第二層と変わらないのだが、やはりかの龍の経験の浅さが見て取れる。
赤龍のブレスは炎を纏っていることに加え、このフィールドもかなりの高温である為、常に脱水のリスクと隣り合わせだ。ハンター達は、この隙に回復薬で水分を補給した。
赤龍が口を大きく開けると、喉の奥が青く輝き始める。それは走るエイデンを執拗に追いかけ、やがて圧縮されたブレスが吐き出される。
「よっと、あっぶねえ!」
エイデンがブレスを逆方向に軽く避けると、その隙に青い星が顔面へと張り付き、大槌を振り上げる。ガンランス使いによって潰された目は、修復し切っていないようだ。遠心力を利用し、眼窩を目掛けて槌を叩き込むと、赤龍は悲鳴を上げた。
投げ出された青い星の足が地面を捉えようとした時、赤龍は流れるように空中へと舞い上がった。
ジェナは再びスリンガーを構えようとしたが、嫌な予感がして岩陰に隠れる。そこへ、他の班のハンター達も駆け込んできた。
直後、再び雫が落とされる。
隠れている者達の背後で嫌な音がしたかと思うと、岩片全体にヒビが入った。
「嘘でしょ!?」
これでは持たないのではと皆が覚悟したが、幸い岩が砕けるのみだった。隣人の鼓動が聞こえるのではないかというほどに緊迫した状況だったが、間一髪だったようだ。
「し、死ぬかと思った……」
胸を撫で下ろす者がいる一方で、驚愕のあまり凍りついている者もいた。
「おい……見ろよあれ」
低い岩山に囲まれた場所は、ムフェト・ジーヴァのブレスによって砕かれている。青白い炎の向こう──それらが顕になった。
「繭……!」
一同は束の間、言葉を失った。
強靭な糸で支えられた繭は、青い星が以前目にしたものとよく似ている。だがそれは一つではなかった。青い星らがいる広間をぐるりと囲うようにして、いくつもの繭が存在している。エネルギーが発生した際と似た光が繭にも供給されていることから、おそらく中の胎児も生きているのだろう。
一見、酸の泉が湧く瘴気の谷によく似た光景だ。しかし、あちらは龍脈に程近い地下深くは赤く染まるが、エネルギーの豊富な筈のここは緑色に光るばかり。だがもしかすると、溶岩に溶け込んでいたエネルギーは、純度が上がるにつれてこのような光を発するようになるのかもしれない。
「なるほどね……瘴気の谷が新大陸の消化管なら、幽境の谷は差し詰め子宮ってところか」
青い星は、静かに呟いた。その横顔はどこか仄暗い。
仮に赤龍がまだ未成体で、ここが子宮のような中の生物を育てる場所であると考えるならば、エネルギーの新生も不可能ではないだろう。胎盤からの栄養が枯渇しない限りは、胎児は成長してゆく。時期を過ぎた胎盤は萎縮するが、死した古龍のエネルギーが送られてくるこの地において、自然に萎縮していくことは現段階では考えにくい。
「もしかすると、新大陸の核のような存在なのかも」
「かく……中心ってことか? そんな奴に挑んで、オレ達バチが当たんねーかな」
受付嬢の言葉に対し、近くにいたとぼけた弓使いが、珍しくスピリチュアルなことを言う。
「さあな。ただ、一度ヤツが俺達に敵対した以上、ここで踏ん切りがつかなければずっと危機的状況のままってことは確かだ」
エイデンが口端を上げると、青い星はやれやれと首を振る。
「ああ、恐ろしいねまったく。繭の中身はコイツと違って幼体だろうけど、あんなのと何度も戦うのは御免だよ」
赤龍は再びエネルギーを吸収する。リアはその間にエネルギー計測器を地面に差し込み、叫んだ。
「エネルギー量、中量! ……とはいえ、ここじゃ正確な数値かは分からないわね」
「最大量がどの程度だったか、前回の調査で把握できていれば良かったのですが。でも、あと半分くらいということですね!」
自分のところに駆けてきた受付嬢に、リアは微笑んで頷く。
「なあ皆、外周を見てくれ!」
突然、エイデンが嬉しそうに叫んだ。
「あのガス、攻撃に使えるかも! 誘導してみようぜ」
エイデンの指差す先には、銅を燃やした時のような緑がかった白い炎が、地面の隙間から燃えている。
「大丈夫なのかよ、あれ。人間も吸っていいモンじゃないだろ」
シャヒン兄は苦々しげに呟いた。
「ものは試しって言うだろ、なんとかなるって!」
エイデンが合図を出すと、他のハンターは赤龍の攻撃を躱しつつ何事かとそちらを見やる。その意図を理解すると、皆はエイデンに続いた。あるものはすべて使え、という総司令の格言は、調査団の誰もが覚えている。
ハンター達はガスの方へと駆け出した。経験を積んだ個体ならば怪しんで遠距離攻撃を撃ってくるだろうが、赤龍はまんまと引っ掛かってくれる。
赤龍の口内が青白く輝いた次の瞬間、ガスに引火して爆発を起こした。赤龍は怯み、大きくのけ反る。
エイデンを含めた数人は喜び、とどめと言わんばかりに攻撃の手を強める。
嵌められたことに気づいた赤龍は爛々と目を光らせ、咆哮を上げる。そしてすぐに飛び上がり、青い炎を吐き始めた。
「目を閉じて!」
先程のジェナを倣い、シャヒン妹が赤龍の目の前で閃光弾を撃つ。だが赤龍は尚も青い炎を吐き続けた。
「効かない……!?」
「アイツ、火を吐きながら目を閉じてやがる!」
赤龍は、己への妨害に対する方法を学習したのだろう。炎の勢いが強まるにつれ、肌を焼く熱風の温度も増していく。
あっという間もなく、雫が形成されてしまった。岩片にはどう足掻いても間に合わない。
「ベディヤ! 早くこっちに来い!!」
あと少しで岩片に辿り着くところまで走っていたキャスリーンは、シャヒン兄の叫びを聞いた。
「あらま、仕方ないわね」
考える暇もなく、すぐに逆方向へと踵を返す。キャスリーンはシャヒン妹の前に立ちはだかり、自身の背丈よりも巨大な剣を盾として構えた。
そして、その直後。地表を舐めていた緑色の炎が、一瞬で純白に塗り替えられた。
光が落ち着き、目を開けたジェナは、弾かれたように顔を上げた。キャスリーン達は無事なのか。二人の姿はどこにも見当たらない。心ノ臓が、張り裂けそうなくらい早く脈打っている。
「キャシー、ベディヤ! どこなの? キャシー!」
ジェナは辺りを見回し、赤龍に目を配りながら二人がどこかへ隠れていないかと歩き回る。だが、そのどこかはどこにも無い。淡い期待は、どんどん薄れていった。
「ベディヤ! ベディヤ!!」
シャヒン兄は必死の形相で妹を呼ぶ。
ジェナはふと足元に黒い何かがあることに気づく。赤く溶けた金属が張り付いたそれらは、人の形によく似ていた。
「……!!」
ジェナは口元を手で覆った。手が震え、全ての音が遠く聞こえる。ここには、確かに二人がいた。それでも、目の前の光景が信じられない。
「そんな……嫌よ、いや……! キャシー!!」
触れたところから、黒い炭のようなものがボロボロと崩れていく。それがキャスリーン達の一部だと認識することを、脳が拒んでいた。
「ベディヤ……すまない、俺が付いていながら……!」
シャヒン兄は耐火の装衣をミトン代わりにして、大義そうに溶けた大剣を退かした。
「オズモンド君、シャヒン君。ここは私に任せて、君たちで連れて行ってあげてくれ」
援護チームの班長は、顔を歪めながらジェナ達に声を掛ける。シャヒン兄は頷き、キャスリーンの体を背負った。ジェナは涙を拭き、深く息を吸う。今の状況では、悲しむ時間すら許されない。
シャヒン兄──ドルクも肉親の遺体を背負いたかっただろうに、ジェナの体格のことを考えてくれたのだろう。ベディヤの脇に手を入れ、背負った。彼女の顔はジェナの耳のすぐ傍にあるのに、呼吸すら確認できない。生存の可能性は絶望的だった。
「負傷者二名! 援護チームほか二名と共に、ベースキャンプに退避します!」
ジェナが叫ぶと、同じ岩片に隠れていた調査班リーダーは悔しげに頷く。再び雫が落とされる前に、ジェナとドルクは翼竜の指笛を吹いた。
赤龍は犠牲など目にも留めず、エネルギーを吸収し、すぐに傷を再生してしまう。その様は、生命を落とした彼らのエネルギーさえも、吸い取っているように見えた。
「エリアのエネルギー量、ほとんど枯渇しました! 皆、あと少しよ!」
赤龍越しでキャスリーン達の惨状を知らないリアは、喜ばしげに現状を報告する。向こう側では歓声が沸いていた。
一方、ジェナ達の隠れていた岩片周辺のハンター達は、重い雰囲気に包まれている。
「なんてこと、あの二人は……ああ、ガードすら貫通してしまうなんて……!」
遠くで見ていた盾斧使いのハンターは、背負われたハンター達を見て絶句した。
「これ以上、犠牲者を増やすわけにはいかない……編纂者も今のうちに退避せよ!!」
調査班リーダーは、皆に届くよう声の限りに叫んだ。
「なんだって? 誰か犠牲者が出たのか!」
「ゴールドとシャヒンらしい。さっきので間に合わなかったって」
「そんな……!」
ハンター達の間で、情報共有が行われていく。十六人は普段のクエストに比べると人数は多いが、十分に互いを認識できる人数だ。
「司令官、この後のエリアのエネルギー量はどう──なんてこと……!」
リアは飛んでいく翼竜らを見て、現状を把握したようだった。
「一旦枯渇が確認されたなら、もう計測はしなくて大丈夫だろう。それよりも、自分達の安全を優先してくれ」
「分かりました」
編纂者達も指笛を吹き、翼竜の留め金へとスリンガーを伸ばす。
「相棒、ご武運を!」
「ああ、また後で。相棒」
受付嬢と青い星は頷き合い、それぞれの行くべき方へと視線を戻した。
「皆、ここまでよく追い詰めた。引き続き、赤龍の逃亡を阻止しろ! 攻撃の手を緩めるな!」
調査班リーダーは、ハンターらを鼓舞した。調査団に対して敵意を抱いた赤龍を逃せば、拠点も危機にさらされるだろう。
脈打つ繭に囲まれた、緑の炎に彩られる盤の上。赤龍とハンター達だけが、その場に残された。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
シャヒン妹ことベディヤは今回の章で初登場でしたが、キャスリーンは蒼赤一閃からの付き合いでした。筆者自身も、立ち直るのに暫く時間がかかりそうです。