【完結】青の炎妃はご機嫌ナナめ   作:蒸しぷりん

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往く者は追い 来る者は拒む

 胸を掴まれるような苦痛に襲われるようになり、どれほどの時が過ぎたろう。

 その間隔が短くなるにつれて、私は己の命が消えかかっていることを悟った。

 

 何も知らずに残される妻と子には、本当に可哀想なことをしてしまった。赦しを乞うことすら叶わないが、これが今の私にできる精一杯。

 あの子らには、どうか幸せに生きてほしい。

 私はじきに生命の谷へ降り、我が身が召されるのを待たねば。

 

 だが……それまでほんの僅かばかり、あと僅かだけでも猶予が欲しい。

 決して今ここで倒れるわけにはいかぬのだ。

 

 どうしても、どうしても私は──……。

 

 

 

 

***

 

 

 

 張り詰めていたアステラの空気は、瞬く間にどよめきに包まれた。

 紙面を彩る淡墨のように空間を滑ってゆくのは、黒い風。

 

 常ならば棲まう生き物に好きにさせて物言わぬ古代樹すら、木の葉や枝をざわめかせていた。

 それまで凪いでいた波は荒れ、碇の下ろされた撃龍船でさえも大きく揺れている。

 

 吹き飛ばされたバリスタの弾が、カラカラと音を立てて流通エリアの床板を転がっていく。

 それを上手いこと足で止めた調査員は、屈んで拾う。その周囲の人々は皆、厳然たる面持ちで空を見上げていた。

 

「なんてこと、クシャルダオラまで来ちゃったわよ……」

 

 暴れ狂う風が髪をなぶる。ジェナはそれが目に入らないよう、手で押さえつけていた。隣のリュカは、フードが飛ばされないよう必死だ。

 多くの調査員が苦戦している中、ふいに坊主頭の四期団が空を指差す。

 

「見ろ、テオを追いかけていったぞ!」

 

 風を操る術に長けた龍は、当然その身の任せ方も熟知していた。翼を折り畳み、抵抗を最小限にした姿勢で炎王龍の元へと滑空するように飛ぶ。

 こちらのことなど、まるで意に介していない。

 はじめは、鈍色の空に鋼の身体は保護色になって目立たないかと思われた。が、輝く龍風は黒曜石の刃物のように雲を裂いて吹き抜ける。

 

 風を翔け、瞬く間に炎王龍と距離を詰めた龍は少し間を開けて身を翻すと、相手の背に向けて猛々しい咆哮を上げた。

 それはさながら、武人の宣戦布告。これだけ狡猾に居場所を炙り出しておきながら、奇襲をかけようという気は無いようだ。

 妙なところで垣間見えた義理堅さはどこか人間臭く、薄気味悪くもあった。

 

 己へと向けられた敵意に、炎王龍は静かに瞳を閉じる。

 おそらく彼に戦う気は無かったのだろうが、それを風翔龍が許すようには到底見えない。ややあって翼をはためかせ、背後へと向き直った。

 碧い虹彩が、温く湿った空気に触れる。

 

「熱っ……!」

 

 直後、下で見ていた誰もが即座に顔を手で覆った。

 

 一気に周囲の温度が上昇していったかと思うと、次の瞬間には燃え盛る焔の鎧を身に纏った王の姿があった。

 羽ばたく二頭の龍は、互いに唸りながら牙を剥く。

 炎王龍の赤い鬣は敵意と興奮によって膨れ、対する風翔龍の眼差しは刃物のように冷たい。

 

 

 

 遥か頭上で熱く冷たい紫電が閃くさまを、調査員らは固唾を飲んで見据えていた。

 既に点のように小さく見えるというのに、伝わってくる緊張感は大型飛竜と相対した時のそれを上回る。自ずと武器や兵器にかけられた手に力がこもった。

 

 新大陸古龍調査団という特殊な組織でなければ、これほど多くの人間や竜人、獣人が古龍同士の睨み合いを観測することは無かっただろう。

 考えうる限りでは、最悪と評価すべき一歩手前といった事態か。

 幸運なのは、龍たちは少し離れた海の上にいること。そして、こちらに直接敵意を向けられていないこと。

 

 人々の中心で誰よりも鋭い眼差しを龍たちに向けていた司令官は、隣から聞こえてきた嘆息にちらりと目線を向けた。

 

「やはり逃してはおかぬか……この戦、如何様に動く?」

 

 ソードマスターの問いに、総司令は再び空へと視線を戻す。

 

「ここで下手に動けば、龍たちの怒りを買うのみだろう。クシャルダオラはともかく、テオ・テスカトルにまで敵対されれば尋常ではない被害が出る。……指示を、しなければ」

 

 間もなく戦いの火蓋は切って落とされるに違いない。そうなれば、こちらも多少なりとも統制が崩れることは免れない筈だ。

 総司令とて、調査員たちを信じていないわけではない。だが、今は心の支えとなるものが必要だろう。己の従うべき指示が。

 こういう時こそ、自分のような立場の人間が柱となる必要があることは身に染みて解っていた。

 

 総司令は後ろを振り返り、声を張り上げた。距離も離れており強風にかき消される為、自らの声が龍たちを刺激することは無いだろうと踏んで。

 

「今回はクシャルダオラを撃退対象とする。奴が射程範囲に入ったら、毒弾を撃てるガンナーを中心にこちらへの被害が最小限になるよう迎撃せよ。閃光玉は機会を吟味してから投げろ」

 

 重弩・軽弩使い(ガンナー隊)と弓撃隊の者たちは顔にさっと緊張を走らせる。その中には、ジェナたちと共に爛輝龍の熱を潜り抜けた者もいた。

 クシャルダオラが纏う風の鎧は、現大陸においては毒や閃光で視覚を奪うことによって弱まることが統計的に確認されている。新大陸で確認されている個体では風を弱める効果はあまり期待できないが、毒の閾値が低いことに変わりは無いようであるとも。

 よって、かの龍に武器を向けるハンターはそのいずれか、もしくは両方を備えることが鉄則とされた。

 

 だが忘れてはいけないことに、今回はテオ・テスカトルも居る。

 調査員たちの間で再びどよめきが起こった。もし身の危機を悟った炎王龍に大爆発(スーパーノヴァ)を起こされれば、一貫の終わりだ。

 古龍の多くは環境を大いに崩さない程度の理性も持ち合わせてはいるが、一度敵意を持った相手には容赦しない。歳を重ねた炎王龍といえども、それが覆されることは無いだろう。

 

 総司令は未だに冷戦の続く海上をちらりと見やると、再び声を張った。

 

「だがテオ・テスカトルには決して手を出すな! 意図的な攻撃でない限り、建物への被弾は甘んじて受けろ」

 

 その指示に、調査員の半分近くは嘘だろう、という顔をした。仲間と長い時を過ごしたこの場所を見捨てるのか、と。

 

 シンボルとなる「星の船」は拠点中から集めた布と葉で覆い隠し、加工場の前には急ごしらえの防護壁が建てられた。

 ゾラ・マグダラオス誘導作戦の時とは違い、今回はギルドからの物資を待っている余裕は無かった。その代わり、前回の砦を解体した資材を有事の際に備えて残しており、急遽それらを組み立てて一つの壁を作ったのだった。

 ただし資材の多くはセリエナの建設に用いられたため、壁の耐久性はあまり期待できない。

 

 叶うならばアステラの動力源である水車や料理場、そして貴重な資料のある研究所も護りたい、というのが調査員らの願いだった。しかし、いくつも壁を作れるほどの時間と資材の余裕は無い。

 そこで食糧や研究資料を持ち出し、防護壁の裏へと一所にまとめた。

 だが、何もしないよりはましだとは言え、もし壁が破られれば大惨事になる。調査員たちが心配しているのは、そこだった。

 

 無論、痛手は痛手だ。だが、と老練の司令官は精悍な眉間に深くしわを寄せる。

 彼には守るべきものがあった。それはこの新大陸古龍調査団そのものだ。

 施設や設備は、時間と手間は要するがまた造り直すことができる。

 だが失われた命は、二度と戻らない。集められた一人一人が、かけがえのない知識や技術を持っているのだ。

 新たな命の誕生と成長を待つほどの余裕は、この組織には無かった。

 

 もし炎と竜巻が混ざり合った火災旋風が起きれば、拠点ごと燃やし尽くされる。古龍に対抗できるハンターがいくら居ようとも、そうなってしまえば全て終わりだ。

 それを防ぐためには、炎王龍の攻撃が少しでもこちらに向かないようにする選択肢を取るしかない。

 風翔龍という共通の敵を作ってしまえば、その間は突きつけられる矛先を一つにできるのだから。

 調査員を尾行して拠点を突き詰めるだけの賢さを持った炎王龍ならば、その意図を察するだろう。

 ただし、相手はモンスターだ。必ずしも味方についてくれる、もしくはそういう行動を取ってくれるとは限らない。

 

 どれほど危機的状況に陥ったとしても、足掻き続ける。今回の選択も、ぎりぎりではあるがこれ以上ないものだった。

 アステラの一部を失うことになろうとも、闘技場に鮨詰めになって全員が命を落とすよりは余程ましだ。

 

 やがて総司令の意図を察した調査員たちは、然りと頷いた。

 そして各々が武器を握り、空を見据える。

 

 

 

 その時、熱風の吹き渡る大気を二つの咆哮が震わせた。

 ついに、睨み合いが終わったのだ。

 

 風の流れが変わる。

 炎王龍の後ろに滑り込んだ風翔龍は、すぐさま後脚で脇腹へと蹴りかかった。

 クシャルダオラはもう一つの異名が表す通り、鋼のような金属質の甲殻を持つ。

 凄まじい重量だろうに、当の本龍は重さなど感じていないかのように軽やかな振る舞いをする。

 骨の代わりに甲殻がその役割を果たしているとされるが、一体どれほど強靭な筋肉が鎧の身体を動かしているのか。

 細身の脚から繰り出される蹴りは、見た目以上の威力だろう。

 

 だがそれはするりと避けられ、風翔龍の眼前に青と橙が混じった火の粉が弾ける。

 炎王龍が素早く顎を閉じ、牙を打ちつけた。

 刹那、閃光とともに小爆発が連続して起きた。それはエネルギーを溜めた爆弾と等しい。"小"とは形容したものの、人に当たれば容易に半身が吹き飛ぶ。

 

 風翔龍は即座に下に飛んで爆発の範囲から抜け出し、間合いを測る。

 だが紅い光が炎王龍の口端から漏れ、風翔龍は瞬時に身を翻した。

 直後、太い炎の柱が薙ぎ、海面がジュワジュワと沸騰する。浅瀬にいて逃げ切れなかった魚が、横になって浮きあがってきた。

 炎王龍は避けられることも承知の上だったらしい。間一髪で避けたものの、下腿の甲殻が一部焦がされた。

 

 それだけでは終わらない。

 風翔龍が気づいた時には、周囲が粉塵に囲まれていた。逃れようと翼を振り上げる前にカチ、と音が鳴る。

 すぐさま起こった大規模な爆発に、海上が赤く照らされ、不自然な波が起こった。

 先程よりも威力は抑えられているとはいえ、爆ぜる範囲は比にならない。まるで包囲網のようだ。

 風翔龍は逃げ切れなかったらしい。体勢こそ崩さなかったものの、身体のあちこちから黒い煙が上っていた。風の鎧は解かれてしまっていたようだ。

 息つく暇も与えない一方的な攻撃に、風翔龍は悔しげに唸り声をあげる。

 

 やられる一方になるものかと風翔龍は翼を広げ、空高くまで飛び上がる。そしてその翼を炎王龍に向けて一気に閉じた。

 炎王龍の纏っていた炎が消えかかるほどの豪風。炎王龍は咄嗟に目を閉じ、鬣や黄金の王冠がバサバサと形を崩した。

 風圧とともに風翔龍の身体も大きく後退するが、対空時における気流の扱いはそちらが上手だ。

 

 せっかくできた隙を無駄にする龍ではない。風翔龍は身体をやや捻ってたわめる。

 炎王龍は姿勢を乱したものの、翼を何度か羽ばたかせて持ち直していた。

 だが次の瞬間、風鋼の槍が回転しながらその腹へと突っ込んだ。

 

 炎が散り、広範囲に火の粉が舞う。

 今の一撃で炎王龍に大きなダメージが入っただろう。地上で戦いの行く末を見つめる誰もがそう考えた。

 

 しかし、ばたばたと暴れ出したのはビロウドのような翼ではなく、折り畳まれていた鈍色の翼。

 見れば、もがく風翔龍の首は巨大な犬歯にがっしりと捉えられている。風翔龍が身体を動かすたびに牙の先端が食い込み、ミシミシと音が鳴った。

 強大な力を持つ古龍といえど、やはり経験の差がものをいうのだろう。戦略をもってしても、老功な炎王龍には歯が立たなかったようだ。

 

 炎王龍は頭を振りかぶり、無慈悲に風翔龍を海へと投げ落とす。

 一直線に鈍色の身体が落ちた海面は水飛沫を上げる。遅れて、アステラにまで風と波が押し寄せた。

 炎王龍は力を誇示することもなく、風翔龍のいる場所から背を向ける。

 

 それは、縄張り争いの決着がついた瞬間であった。

 

 

 

「す、すごいわ……」

 

 ジェナは開いた口が塞がらなかった。周りからもいくつもの溜息が聞こえた。

 かかった時間はほんの僅か。それも、バリスタの届かないほど離れた場所で起こっていた争いだというのに、迫力が桁違いだった。

 現に、まだ心の臓がばくばくと痛いほどに鳴っている。もし古代樹の森で敵対されていれば、自分の命は無かっただろう。

 

「此度は杞憂に終わったか」

 

 成り行きを見守っていたソードマスターが呟く。周囲にいた者たちは、その言葉にほっと胸を撫で下ろした。

 総司令は頷くことも首を振ることもせず、未だ二頭の龍を見据えている。

 

 圧倒的な力でねじ伏せた炎の王。老いを感じさせない戦いぶりに、誰もが感嘆した。

 ジェナは炎王龍が森で苦しむ様子を見て危惧していたが、こちらが加勢するまでもなかったようだ。まもなく風翔龍は飛び去っていくだろう。

 

 ややあって海面が盛り上がり、風翔龍が顔を出す。ずぶ濡れになったその姿は哀れだった。

 風翔龍がわざわざこの場を用意したのは、おそらく復讐のため。大方、寝床を取られたといったところか。

 それなのにあれほど一方的にやられては、さぞかし悔しい筈だ。

 

「……!」

 

 総司令とソードマスターを筆頭に、戦い慣れたハンター達は息を飲んだ。

 

 青い眼差しが炎王龍を捉える。

 その目から、闘志は消えていなかった。

 

「こっちに来たぞアイツ……」

「まさか八つ当たりしようっていうの!?」

 

 風翔龍が蛇のように身体をくねらせ、こちらへと向かってくる。バリスタの射程範囲まではあと少し。調査団の者たちは一斉に武器を向け、照準を合わせた。

 だが風翔龍は調査団には目もくれず、アステラ近くの小島へと泳ぎ着いた。そして岩肌に前脚をかけると、よじよじと登り始める。

 

「なんや、カワイコちゃんはクシャルダオラやったんか」

「言ってる場合か阿呆」

 

 炎王龍の姿はみるみるうちに小さくなっていく。流石に疲れを見せたが、移動の意思は無くなっていないようだ。

 総司令はセリエナ行きの船を出す指示を出しあぐねていた。今この場を有力なハンターが離れては、次の波を越せるかどうか。

 ここで判断を誤れば、大きな被害が出る可能性がある。

 

 だが、その決断が下される前に。

 風翔龍の翼が、再び空を掴んだ。

 




一章終わりませんでした。
戦闘シーンってどうしてこう難しいのでしょう。

というわけで、次回に続きます。風翔龍呼びについてはまたその時に。
今後も見守っていただけると幸いです。
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