足山九音が幽霊なのは間違っている。   作:仔羊肉

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春先【人形】

 家を出る前に書き終えた課題作文について思い出す。

 

 高校生活を振り返ってという課題に対して、俺は一言では表せないほどに複雑怪奇な感情を羅列した。決して前向きな部分などなく、どこまでも後ろ向きで、正しくなんてなく、誰にも理解してもらえないであろう文字の集合体。感情をそのまま書き殴った文字列はどこまでも後ろ向きな内容。

 

 それほどまでに高校一年生の生活は悲惨であり、悲壮であり、悲劇的であった。

 

 ――心霊体験。

 

 その言葉が人に襲いかかるとしても生涯に一、二度ほどがせいぜいで。そんな常人が遭遇するかわからぬ出来事を幾度も味わってきた。何倍、何十倍にも圧縮したような一年を送ってきたのだ。そりゃあ後ろ向きな内容にもなる。

 

 濃密で、濃厚で、未だにどろどろとへばりついて。そして、今もまた同じように時間が流れている。

 

 ――深夜の廃ホテル跡地で白衣を着た童女。

 

 それだけの経験を積んでいるのならばそろそろ慣れた頃で、実践に入れば問題なく対処できればいいのだろうが、殊更この経験というものが何の役にも立たないことが多い。

 

 むしろ思い込みや勘違いで酷い目に遭うというのだから溜まらない。

 

 同じような状況にあった試しなど一度たりとも存在しない。通信教育講座のように「この問題、ゼミでやったな」なんてご都合主義的な問題は出ず、横着を扱いて同じように対処できると高を括れば裏目などざらにあって。

 

 命からがら乗り越えても将来的に何の益体にもなりやしない。それでいながら体験料に命が賭けられているのだから割にあっていない。

 

 毎度毎度、ギリギリの所を生き延びてきた。初めて遭った病院も、誰も覚えていない公園も、這いずり回った旧校舎も。すべてがニューゲーム。強くもなってもおらず、それでいて難易度だけはヘルモード。その上ミスリードからの初見殺しなんてあるもんだから世界が俺に厳しすぎる。

 

『ねね! ねー! ねー! 八幡くん、流石にヤバいんじゃないの?』

 

 耳元で囁くように甘い声。ソプラノで流れる音は焦っているような言葉を選びながら、状況を楽しんでいる声色が隠せてない。

 

『ここで君がゲームオーバーになって私の仲間入りするのは大歓迎なんだけど、それでいいの? こんな道半ばで彷徨う未練となった君と夜の墓場で運動会どころか、ベッドの上でプロレスに興じるのも吝かではないのだけれど、ゲームクリア直前でキーアイテムをロストするなんて間抜けなエンディングは苦笑を零すレベルの間の抜け方だよね』

 

 ふよふよと、ふわふわと。

 

 浮かぶ半透明の女子高生が楽しそうに言葉を並べる。どころどころゲーマーにしかわからないような揶揄で此方の様子を眺めては目を細めて猫みたいな表情でカラカラと嗤う。しかし、次の瞬間驚きに目を見開いて――

 

『やば!?』

 

 ぐるんと宙返り。その瞬間に腹部に衝撃。

 

 衝撃に対して歯を食いしばりながら耐えれば、背中側がまるでリングロープに引っかかったかのように跳ね返される。そして、何度か前後に揺れ、元の位置へと帰る。

 

 衝撃の正体は拳。

 

 拳闘である。それも小学生のような体格の童女から放たれたい一撃。両手両足を粘性のナニカで宙吊りにされていてはどこにもいけず、衝撃を受けて吹き飛ばされてはリングロープで返るかのように少女の前に再び浮かぶ。

 

『このままだと本当に死んじゃうんじゃない? うーん、祝言は和風? 洋風?』

 

 そんな妄言を吐きながら意地悪気に嗤う。余裕な表情が癪に触る。しかしながら意地悪な笑み浮かべる彼女に言い募ったところで馬耳東風。

 

 幾ら呪い蔑み殺そうと思ったところで相手が死んでいるのなら何の意味があるのだろうか。振り返る余裕など無いにも関わらず、間抜けにも俺は戯言に対して耳を貸してしまう。

 

 再び、衝撃。

 

 余力などないのに、目を逸し、背け、現状から逃避してしまえば襲ってくるのだ、現実が。

 

 そこに在る限り、逸らすことなど命取りとわかっていながらもいつものように間抜けに軽口へと反応してしまう。

 

 戻された意識は再度の衝撃により飛びそうになる。しかしながら、三度、四度と鋭い痛みが腹を打つのだから気絶などできやしない。

 

 繰り返される度に骨が軋みをあげ、口から吐いた血で地を染めて、痛みに心は砕かれ始める。

 

『ほんと、仕方ないなぁ……はち太くんは。もうちょい待ってて』

 

 まるで出来の悪い幼子を評するかのような台詞を吐いて、その女子高生は――壁へと消えていく。

 

 衝撃、衝撃、衝撃、衝撃。

 

 肉を叩く音だけがこのボロボロの廃ホテルの二階に響き渡る。既に心は悲鳴を上げ、泣き言を口にしそうになったその時。

 

『――間抜け。ほんと、君ったら間が抜けているよね。中学生を助けに来ておいて、間抜けにも自分が死ぬ目に合うなんてお人好しを通り過ぎて救いようがないや。それが例え、妹ちゃんだったとしても、さ。血が繋がってるだけの他人。他人は他人で、自分は自分。それなのに、ほんとのほんとに、駄目駄目だよね』

 

 言葉と一緒にリュックが眼の前に現れる。突如として現れた代物は俺のもの。心霊スポットを探検していた中学生がパニックに陥り、間違って持ち帰った俺の背嚢。

 

 そんなリュックが宙を舞い、目の前に現れる。間抜けに開いた口を目掛け、右腕を伸ばす。

 

 ギチギチと何かが切れる音は筋繊維か、それとも縛っているものか。それすら判断も出来ず伸ばす。

 

 届かない。微かに指先にかかるが掴むには足りない。

 

 足りなかった距離はリュックが勝手に動くことで届き、掴む。

 

 掴んだソレを決して離さないように力強く握る。そして、もう一度、眼前の人ではないナニカを見る。

 

 少女――ナース服を着用して、大きな一つ目の複眼を持ち、小学生低学年程度の体躯の少女。

 

 正確にはこの廃病院で人が産み出した化け物。根も葉も無い噺から生まれた怪物。

 

 噂、都市伝説、怪異譚、怪奇伝、地方伝承、奇々怪々、魑魅魍魎にモンスター。呼び名など幾らでもあり、幾つでもある。その顔がどれだけ存在するのか想像などつきやしない。

 

 そして――総称して不思議とでも分類しようか。その不思議を人は勝手に呼称し、真実など関係ありませんとばかりに名付ける。

 

 名をつける。そうあれ、と。

 

 悲惨であれと、悲壮であれと、悲劇的であれと『望まれた』存在。誰もがそう囁き望んだ結果が彼女なのだ。

 

 蜘蛛と看護服と女の子。

 

 この化け物のモチーフはその三つ。誰もが本当のところを知らぬまま、誰もが本当のことなど調べぬまま、誰もが本当のことなんて興味がないまま。

 

 好奇心の成れの果て。悪意と欺瞞の混成物。

 

 間違った形で伝わった果ての、テキトウな口伝により産まれし化け物。

 

『八幡くん、掴んだ?』

 

 半透明の女子高生の言葉に俺は首肯く。彼女がキーアイテムとまで呼んだソレを掴んだまま、リュックの口に食われていた腕はその身を解放する。

 

 手に掴んだこれを持ってくるだけにどれだけ遠回りをしたのだろうか。仕込みの時点で既に終わったかのように振る舞い、辿り着いてみれば予定外の出来事ばかり。

 

 ただ渡すといった簡単なこと。それだけにも関わらず、気がつけば絶体絶命の窮地。

 

 苦労なんて呼べる苦労は在るはずもなく、お遣いをこなすだけという甘い認識がここまで惨めな姿を晒した原因。

 

 用心を欠いていたといえばそれだけで、胡座をかいていたといえばそれにしかすぎず、慣れたつもりで自惚れていたといえばそれ以上のことはない。

 

 人知が及ばぬ相手に油断するなどあってはならない。そもそもが油断ならぬ相手なのだから。対等なんかではなく、常に自分よりも遥か雲の上にいる存在であるのだから。

 

 腐っても、今回は――神相手の出来事だ。歪に歪められ、本当の姿を忘れ去られ、誰も覚えておらず、その御話すら調べることがなくなり、間違って伝わり、間違いが信じられた。

 

 故に俺は――彼の存在に正しく自分の姿を見せることで怒りを収めてもらうしか他にならなかった。

 

 神前にも関わらず、神であるにも関わらず――俺はあろうことか我を忘れ、神を忘れ、人を優先してしまったのだ。

 

 忘れられたことが罪なのだから、蔑ろにしたのが悪かったのだからーー罰が中たるのは仕方ない出来事。

 

 頭から抜けた原因と対処法。妹を見つけた途端に冷静さなど消えてしまった。そんな間抜けなのだ、俺は。

 

 だから恐怖と錯乱で荷物を逃げた中学生たちを責めるのはお門違い。むしろ抜け目がないことを称えるほど。ただし降ろしていたリュックを間違って持って帰らなければ満点だったが。

 

 そんな計算外で起きた窮地は半透明の浮遊霊が仕方ないとばかりにカバーして、ここまでお膳立てされれば間の抜けた俺でも解決へ向かえる。

 

 複眼に映るのは――人形。

 

 すべては人の悪意から始まった御話。

 

 しゅるしゅる、と腕に絡みつく糸が解けていく。ゆっくりと溶けた白糸はまるで最初から無かったかのように消えてゆく。

 

 無かった『噺』なのだから当然で。

 

 そして――複眼の代わりに二つの目を得た幼子の震える指は差し出した人形に。

 

「三十、二年前、とある、少女がこの病院で息を引き取った……」

 

 大きく息を吸い込む、呼吸が定まらず、声を出すのも辛い。続けなければならない、途中で言葉を切ってはならない、とわかっているにも関わらず、感ずる圧力と内から響く痛みに音を綴れない。

 

『病院は場所を移し、跡地にはホテルが建つ。そのホテルでは一つの噺が出る。女の幽霊が出る、と』

 

 ソプラノボイスで続く祝詞、その間に息を整える。そして、再び続きを口にする。

 

「そのホテルが潰れてからは再び、噂が立つ――ナースの幽霊が出ると」

 

 下唇を噛み、痛みで言葉が邪魔されないよう必死に堪える。

 

『そこからさらに噂は転じ、今度は蜘蛛の女が出る。そして歪に噂は重なりいつからか言われるようになった噺。廃病院のナース服を着た蜘蛛女』

 

 最後の真実を示す。このお話の真相を、歪められた御話の大本を。

 

「けれども、最初に語られたのは人形。亡くなった少女の持っていた人形の噺。亡くなった少女の大事にしていた人形の御話なんだ。俺は、いや俺たちは知っている。少女が死んだことを、少女が人形を大事にしていたことを、決してそれは面白おかしく変えられてはならないということを――」

 

 条件過多、属性盛りすぎなこの噺、本質を忘れて歪になり、間違った都市伝説となる。そして大本たるのは少女の霊、けれどももっと正鵠を射るのならば、少女が大事にしていた人形の霊なのだ。少女のことを忘れ去れないように動いた人形の怪異だったのだ。

 

 人形とは生きやすい――来易い魑魅魍魎である。人の形として人に寄り添い、人から大切にされ、人を大切にしてきたのだ。人形に魂が宿るといった御話は古今東西どこにでもある御話なのだ。人形は、霊は良かれと思った行動が裏目になり、その形を忘れ、願いを曲解され、それでも生きていた少女を忘れ去られないように現れた、形を変えたものたちを恨みながら。

 

 故に言わなければならなかった。その意を汲んでいると、少女のことは忘れていないと、誰もこんな呪いなど望んでいないと。少女が死に、それを知っている人間がいることを証明するだけ。それだけだったのだ。

 

 そもそもが逆鱗を逆撫でしたのは人間だ。少女の死というものを悼わず、それどころから姿形を忘れ、名を忘れ、挙句の果てには蜘蛛という化け物が加わり、付随し、口伝したのである。

 

 怒りに触れないわけがなかった、怒らないわけがなかった。

 

 罷り間違えても――神だったのだから。

 

「お納め下さい」

 

 付喪神。百年に一足らず、九十九。長い年月、九十九年の時を経て、物には魂が宿ると言われている。無論、俺の持ってきた人形にそのような歴史は無い。亡くなった少女の人形が百年物だったかどうかも定かではない。けれども人形は移し身であり、依代である。そもそもが百年も経たずに動き出す話など世に幾多と存在している。

 

 争点はそこではなく、論点はそこではない。

 

 正体は付喪神なのか、それとも唯の人形の霊なのかではなく、歪に伝えられた噺を正しき形に戻すのが話の纏め。

 

『お納め下さい』

 

 何に怒っているのか、何を怒っているのか、何を恨んでいるのか、何を思っているのか、何を持って害をなすのか。

 

 それを知り、理解し、求めているものを差し出すことで怒りの矛先を収めてもらうしかない。

 

 根源は少女の死を面白おかしく弄ったことだ――少女の霊を辱めたことなのだ。

 

 だから少女の霊、人形の霊、人の写し身の霊に知っていると、忘れていないと伝えることで矛先を収めてもらう。少女を覚えている、悼んでいることを知ってもらう。少女の死が書き換えられていることを面白おかしく扱っていない、そんなことを望んでいないものが居ることを知って貰うのだ。

 

 歪んだ嘘に対して真実を持って怒りを納めて希う。失われていた依代を持ってくる。彷徨い降り注ぐ悪意からの避難先を持ってくる。

 

 写し身を傷つけ続けることは本意ではないのだから。

 

 ――ぁ

 

 ゆっくりと少女の手が人形に伸びる。複眼が消えた日本人形のような綺麗な造りの顔がふにゃふにゃと崩れる。服もいつの間にか病衣に戻り。

 

 ――あリがトう

 

 そう残して、ゆっくりと人形の中に消えていった。

 

 それを確認した瞬間に、全身の力がどっと抜ける。自分の吐いた血溜りに膝をつく。そのまま、ずれてごろりと大の字になれば目の前には未だにこの場に残った女幽霊。

 

『幼女の笑顔を見た瞬間に全身の筋肉を緩ませて喜ぶなんて変態じゃんー。うわー、引いちゃうよねー、ぷー、クスクス』

 

 どこか小馬鹿にした笑いを浮かべる物理的に浮いている女子高生。そんな姿を見て、ぽつりと呟く。

 

「チェンジで」

 

『おい! まさかこの私よりもさっきの幼女の方が良かっただなんて言わないだろうねっ!? この変態ッ! 変態ッ! 変態ッ!』

 

「……あっちの方がマシまであるわ」

 

 そんなことを口に出しながら、ゆっくりと立ち上がり、暗闇に慣れた視界に映ったリュックを拾い上げる。中にある懐中電灯をつけて、ホテル跡地を後にした。落ちた人形を拾って、今度は正しく奉られるよう、誰にも汚されぬよう、依り代で写し身の人形を大事に抱えて。

 

 

 

~~~~~~~

 

 翌日の話。

 

 今年から受験生にも関わらず、友人と心霊スポットに行った妹は朝から非常にテンションが高かった。暗闇と半狂乱。ちょっとしたトランス状態であった中学生達を助けに来たのが兄であったことを知らない妹は興奮気味に朝食の席で騒いでいた。

 

「ねぇ!! 聞いてよ、お兄ちゃん!」

 

 聞いてと言いながらも俺の意思を欠片として慮るつもりはないらしい。否と答えたところで話を続けるのは想像に容易いテンションの高さ。

 

「……何をそんなに興奮してんだよ」

 

 嫌々ながらも妹の話に付き合う。

 

「昨日ね! 幽霊にあったの! 幽霊! ほんとヤバかった、みんな金縛りにあったし!」

 

 実際のところ金縛りではなく蜘蛛の巣。その蜘蛛の巣は用意していたアルカリ洗剤で溶かしたのだがそんなことを知りもしないのだろう。

 

 妹の馬鹿テンションに朝から付き合わされているのだからうんざりする。

 

 俺はというもの、とある少女が眠る墓地に人形を奉納し、帰ってきた頃には夜が明けていた。おかげでぐんぐんと眠気や疲労は増し気力は減り続けている。

 

「でさ、その時さー、超カッコいい人が助けに来てくれたんだよねぇ」

 

 危うく味噌汁を噴出しそうになった。

 

「はぁ? カッコいいって顔でも見たのかよ」

 

「きっと超イケメンだよ! だってあんな場所に助けに来てくれるんだもん。小町にはわかるんだよねー。声もなんだか安心感あって、きっと顔もカッコいいんだろうなぁ……高校生くらいかなぁ、もう一度会いたいなぁ……」

 

 願望じゃねぇか……。うっとりとしている妹の顔にげんなりとする。正体こそばれてなかったものの夢想している相手が実は俺などという事実は喜劇にもなれない失笑劇、もしくは嘲笑劇。いや、笑えねぇわ。

 

「顔も見てねーのにどうやってイケメンだって判断してんだよ」

 

「こころ……?」

 

「なんか凄い良いこと言ったみたいな結論になってるけど、そんな場所に深夜に遊びまわるような奴と付き合うのはやめとけ。ろくなやつじゃねぇぞ」

 

 俺の発言に対してぷくーっと頬を膨らませる愚妹。

 

「ごみいちゃんが言うの、それ?」

 

 こっちは心配してるからね。お前の身をめっちゃ心配してるからな。むしろそんな所に行って不良になり、挙げ句には不良と付き合うようになったら俺はその男を殺してしまう。でもきっと先に親父が殺すであろうから俺は「いつかやると思っていました」ってインタビューの練習しなきゃいけねぇじゃねぇか。

 

 そんな俺の兄心など知ったことかとばかりに不機嫌になっている。兄心妹知らず。

 

『ほんと、シスコンだよね』

 

 中途半端に嫌味を言う程度に留めている俺を見て、その辺にふよふよと浮いている女子高生の霊は呆れていた。そんな評価にほっとけと小さく目で合図を返す。千葉の兄妹でシスコンブラコンじゃない姉弟はいないのだ。だから、俺が直接怒れない代わりに。

 

「ちなみにそんなとこ行ったのはかーちゃんにちくっとくな」

 

 家庭内ヒエラルキーの頂点に君臨する母君に告げ口ならぬ告げメールを送っておく。夜勤帰りで今は夢の世界に行っている母親が現実に帰還した時こそが愛する妹に雷が落ちることだろう。

 

「えぇえーっ! なんでそんなことするの! お兄ちゃんの意地悪! 馬鹿っ! 鬼っ! 八幡っ!」

 

「最後のは俺の名前でしょ……悪口じゃねぇよ……」

 

 ぶつぶつと未だに恨めしげに「お兄ちゃんの方がいつも夜出歩いてるのに」と呟いている。

 

 確かに事実。現在の比企谷さん家の八幡くんったら最近、帰りが遅いんですよ、やーねという井戸端会議で話される程度には近隣付近で目立っている。

 

 おかげで家庭内では最下層。猫のかーくんより下である。そもそもがかーくんより上だった試しねぇや、比企谷家が俺に厳しすぎる……。

 

「まぁ、そんだけ怖い目にあったんなら大人しく受験勉強でもしとけ。母ちゃんもそっちのが安心できんだろ」

 

 そんな俺の話など中途半端に聞いてるかのように箸を咥えたまま小さく口にする。

 

「また心霊スポットいったら会えないかな」

 

 ポソリと呟いた小町の言葉が耳に入り頭を疑った。いよいよ脳内が色づき始めていやがる。しかしながらいま頭ごなしに駄目だといったところで意固地になるだろう。数日ほど時間をおいて、ほとぼりが冷めた頃に話すとしよう。

 

『八幡くん、もう時間じゃない?』

 

 ふよふよと浮く幽霊が時計を指差す。確かに学校へ向かうにはいい時間帯を示していた。

 

「……小町、少し急げよ」

 

「わっ、もうこんな時間!?」

 

 慌てて食べる小町を横目に食器を片付ける。いそいそと準備をしながら、未だに中空にふわふわと浮かぶ霊と目があった。

 

 一年近くの付き合いか。

 

 一年前の交通事故で運ばれた病院で目を覚ました夜に――俺は出会った。

 

 自称浮幽霊である『足山 九音』という女子高生に。

 

 名前だけしか覚えておらず、名前だけを大切にして、そこにたった一人ぼっちでいた女子高生の霊と俺は出『合』った。

 

 それこそが悲劇、それこそが間違い。そうやって出遭った存在達にずるずると引きずられ、えっちらおっちらと死にそうな目にあいながらも生き抜き、なんとか今日という日を迎えている。

 

 別に今日が特別な日ということはない。そして明日もまたそうではあるが、死にそうな目に合う度に思う。大げさなまでに生き延びているという実感を抱きながら日々を過ごしている。

 

 そんな生き方は間違っているし、そんなことは解っている。それでも俺は間違っているとわかっていながら生きていくことしかできない。

 

 こんな生き方しか選べない俺はきっとどこまでも間違っている。

 


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