足山九音が幽霊なのは間違っている。   作:仔羊肉

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『仲春【現在:教室】』

 お昼のチャイムというのは大部分の学生にとって福音であるらしい。意気揚々と動き出す大多数を見続けて私はそういう感想を持つようになった。

 

 わざわざ「らしい」と付けたのは「私」が学生服を身に纏っていながら学生生活といったものに縁も所縁も記憶も無いから。こういう言い方をすれば学生のコスプレをする痛々しい人間みたいな表現になってしまう。もしもそんな人物だったとしても学園生活というものを体験したことがあろうが故に同じ結論に至ることはきっとない。

 

 じゃあ、私は?

 

 私という存在は何なのか。まるで高校生がアイデンティティーについて考えるかのように自分の存在に酷く悩んだ時期もある。けれどもそれは遥か昔。大体一年前くらいの御話。

 

 私の認識上では一年よりも前の記憶が無い以上、一年前の出来事というのはずっとずっと昔のことなのだ。

 

 そんな私のことを人間と呼ぶ人は居ないだろう。人間じゃない存在の数え方は一人なのか。それとも一体なのか、一匹なのか、はたまた一柱なのか未だによくわかっていない。

 

 幽霊。

 

 この世を彷徨う未練の塊。名は体を表すように、見える人が見ても私を通して向こう側の景色がうっすら見えるとのこと。けれども私の輪郭を、私の顔をはっきりと認識してくれる人は現状でただ一人。そして、これからもずっと一人でいいとすら思ってしまう。相棒たる彼が唯一見てくれるだけで満足なのだから。

 

 相棒とは些か私都合による表現。一般的には宿り主、取り憑き先、そして世界と私を繋いでくれる取り次ぎ先。

 

 現世と私を繋ぐ少年、十六歳の男子高校生は現在気怠げな表情を浮かべては窓の外を眺めていた。そのやる気のなさとか無気力感とかアンニュイな表情は実に似合ってる。うーん、好き。

 

「ねぇねぇ、八幡くん、八幡くん。トイレでご飯食べようよ。トイレ飯だっけ? ともかくそれをしようよ。そうすれば私に気兼ねなく話しかけることが出来るでしょ。普段使っている場所は今日、雨で駄目なんだし、トイレでご飯食べようよぉ」

 

 肩に乗って「そうしよそうしよ」と声をかけても返答代わりにちらりと向けてきた視線はやる気なし。そんなやる気の欠片も見えない彼の名前は――比企谷八幡。

 

 私の宿り木にして最愛の男性。中途半端な霊視と――を持つだけの少年。魚の腐ったような目という表現がピッタリと当てはまり、墓場を背景に写真を取るのが世界で一番似合うナイスガイ。顔立ちは整っていても死んだような目が表情を台無しにしていると、とある女が抜かしたが、何もわかっちゃいない。素人が。

 

 そこがいいんでしょ。ほんと、何もわかってないよね。その目が最高にキューティーで愛らしいでしょ。むしろその眼球を眠っている間に取り出して一晩中、舌先で転がしながらキャンディーのように味わい舐めたい。そして朝がきたらちゃんと返してあげる。

 

 髪型は男子にしては長いほうで随分とボリュームがある。朝出かける時は最低限の整え方をしているが、自転車の風でいつも崩れてぴょんとアンテナみたいに跳ねてしまう。跳ねたアホ毛は彼の間抜けで可愛い所を表している。

 

 もしも触れ合えるのなら跳ねたアホ毛を私がハムハムと咥えて、唾液たっぷりと含めた後に丁寧にセットしてあげたい。

 

 これほどまでに好きで好きで愛して愛しているのに。彼の態度は常日頃からつれないもの。

 

 けどそれでいいと思っちゃう私も居る。確かに先日のあの惚けた、熱に浮かれていた顔を私に向けてくれたのなら嬉しいけど、今の君を見るのも私は楽しいのだ。

 

 それに私が愛していればいい。彼が愛してくれなくても、私がその愛を疑わなければいいのだ。それにきっと彼が生きている女性を本当に好きになっても私に敵うわけがない。

 

 肉を持つ女は、生きた女は――結局別れたり、死んだりする。最終的に側に居るのは私なのだから、多少の心移り程度寛大な心で見守るつもりである。つもりである!

 

 そんな彼に憑く私、幽霊である私には幾つかの能力を持ち合わせている。彼が言うには最も私らしい能力はポルターガイストらしいけど。私の意見は違う。

 

 私が一番嬉しくて、私が一番好きな能力で私だけのオリジナル。他ではあんまり見たことがないその能力は様々な衣装に着替えることが出来るという代物。朝と夜は可愛らしいパジャマ、今は制服、休みの日は気分によって色々。髪型も自由にいじれるし、履いてる靴からつけているヘアゴムまで自由自在。

 

 勿論、私の知っているという前置きが必要になるけれど。だから、私は彼の妹である小町ちゃんと一緒にファッション雑誌よく見るし、彼のお母さん、私のお義母さんの見ている通販番組を横で見ることもよくある。

 

 霊視も霊感もない二人からしてみれば想像もしていないことだろう。隣で私が見ているなんて。もしも見ていると判ったらどんな顔をするんだろうね。そんな話をふと八幡くんとしていたら『いやビビるでしょ……』とか味気の無い結論を貰った。いや、そりゃそうなんだけどさ。もしかしたら「なんでこんなに可愛い子が? うちの八幡をお願いします! ってお願いされるかもしれないじゃん!」とか反論すれば鼻で笑われた。悔しい。

 

 さて、少しばかり話が脱線したが私の霊体質についてもう少し振り返ろう。霊という存在は背後霊や武者霊といったように立ち位置から立ち姿まで基本的に定まっている。

 

 そんな霊業界に風穴を開けるが如く、突如として新星のように現れた可愛い私は彼の背後どころか横に並んで歩くこともでき、前に立って守ってあげることが出来るヒロインの鑑みたいな存在。壁のすり抜けだってなんのそのだし、顔だけ出して隣の部屋の様子を探るのもお茶の子さいさい。

 

 そして姿格好も病衣から始まって制服を経由ファッションモデルばりの服装からコスプレまで。何でもござれなのだ。女の子なら誰でも欲しがるような能力を持っている。完璧でしょ? こんな女の子に惚れない男なんてこの世に居るわけ? いや、居ない。

 

 特に服装に関しての彼是は私以外の幽霊が持っているところを見たことがない。いっつも同じ服装でお前、それしか服持ってないの? とかマウント取れちゃう。

 

 完全な固有能力。もはや固有能力と書くだけで最強にすら見えちゃうね。雑魚幽霊だなんて酷い風評被害だ。

 

 ちなみにこの私だけの、私オンリーの能力を『それ、何の役に立つわけ……? そもそも生きてる人間でお前が見える奴なんて見たことねぇし。無駄じゃん』とか言ったデリカシーの欠片も無い酷い男が居る。

 

 そんな男の子は一年間もの間でデリカシーがまるで成長していない。どうすればここまで成長できないのか。そこいらの公園で鼻たらしているクソガキですらもうちょっと成長する。

 

 はてさて、そんなデリカシーの無い男の子と言えば、私のトイレでご飯食べようという提案を無視して窓の外でパラパラと降り流れる水を眺めていた。はぁー、憂鬱な表情しゅてき、しゅき……。

 

 そんな八幡くんが此方を見て、そこら辺に居ろと視線で訴えてくる。命令される謂れも、言うことを聞く義務なんてものの無いのだけれど君がそう望むのならそうしてあげましょう。

 

 はぁ、やれやれと首を振って本日欠員となっている空席の机の上に腰をおろしては足を組む。

 

『んぐっ……!?』

 

 何かが喉に詰まったかのような反応。こっちを見ずに視線は窓の外に向いているが、チラチラと盗み見るかのような視線を感じた。ははぁーん。

 

 わざとらしく足を組み替えてみれば、チラッとしていた視線が一瞬だけ凝視。そして私が意地悪そうに嗤っているのに気がついた彼は再びそっぽを向くかのように外を見る。

 

 ぷくく、可愛い。

 

 パンを頬張りながら、欠片も興味ありませんよという態度をしているけれど丸わかり。まぁ、仕方ないよね。こんだけの美少女のパンチラを見たいなんてものは男子諸君の夢だからね。

 

 私は鏡に殆ど映ることなく、水にも映らない。けれども彼の瞳だけは、その両目の中には確りと映っている。偶におねだりして至近距離で眼球の中から見える私を見せてもらう。大変可愛いものだった。これ以上の美少女はこの世に存在しないでしょってレベル。けれどもそういやぁ、最近八幡くんの目を通して自分を見ていないことに気づく。

 

 偶にはおねだりしてもいいかなぁ。でもあれ八幡くん凄い嫌がるんだよね。なんでだろ。

 

 こんな美人の顔を間近で見れるチャンスなのに。

 

 腰まで届くどころかお尻まで届くくらいに長い黒髪は特に手入れをしないでも真っ黒つやつや。幽霊に時間の概念や変化なんて概念があるのかわからないのだが私の髪質が悪くなることは決してない。

 

 時々、怪異がらみの事件で傷ついたり切れたりするけどそれでも時間が経てば元通り。

 

 そんな綺麗な黒髪をローテールで纏めているのは八幡くんの反応が良かったから。ぷくく、最初にこの髪型で着物を着た時は顔を真赤にしてたんだよね。

 

 そんな私のうなじを至近距離で見れるのにどうして嫌がるんだろう。もったいない。

 

 まぁ、流石に毎日同じ髪型なのはせっかく持っている能力を腐らせるので土日には色々と試したりしている。

 

 時折、感情が高ぶったときに髪を結ぶ紐が千切れたりするらしいんだけど、私は菩薩よりも遥かに慈悲深い心を持っているのでキレるなんてことはそうそうない。もしも私を怒らせたら大したもんですよって思うね。ほんと。

 

 顔も可愛くて、性格も良い。それでいてスタイルも良い。大きすぎず小さすぎず。正確な数値を測ったことないけど、今まで色々な人と見比べてきたから判る。

 

 私は持っている側の存在なのだと。

 

 流石に雌犬二号や暴力教師ほどは持っていないが、少なくとも平均を超えていて、それでいてバランスが良い。ま、まぁ、も、もうちょっと欲しいか欲しくないかと問われればあっても困らないかなって感じ。

 

 そもそも全部が全部、彼が悪い。

 

 これだけスタイルも良くて、顔もよくて、性格も良いという私が近くに居るのに。雌犬やら暴力教師やらに鼻を伸ばすのが悪い。ほんとムカつく。

 

 そんなわけで人類が産み出した究極の美の化身たる私がもしもこの教室に居たのならと考えてしまう。そして想像した結果、毎日のように告白されるんだろうな、と結論。ほら、男って馬鹿だからさ、私みたいな可愛くて性格もいい人間がちょっと優しくしたら俺のこと好きなのかもって勘違いしちゃうんでしょ。知ってる知ってる。

 

 私がこの地球で最も優しさを持つ存在なのはわかりきってる。だからその優しさが私に無駄な労力をかけさせるなんて、なんて可哀想な女の子なんだろう。そんな私に労力をかけるなんてやっぱり男って基本的に駄目な存在だよね。鏡見てから釣り合うかどうか考えて欲しいもの。

 

 それに私がこのクラスに在籍するだけで顔面偏差値の平均をものすごく上げてしまう。殆どの人間に赤点をつきつけてしまうことになる。うーん、申し訳ない。可愛すぎて申し訳ない。

 

 そんな私であるが見える人は殆どいない。偶に霊感が強い人間とすれ違うこともあるが、そんな人間ですら声も届かなければ、姿の輪郭すらも見えないらしい。人類、損してない? 大丈夫?

 

 でもでもそれって裏を返せばたった一人の男の子に独占されてるって考えも出来るのでそれはそれで良し。八幡くんは自分がどれだけ恵まれているのか考えてほしいものだよね。やれやれ。

 

 さてさて、そんな八幡くんを引き続きからかって遊ぶとしようか。再び、大きく足を組み替えて。

 

『……ッ!?』

 

 はっきりと感じる視線。こういう所は本当に馬鹿カワイイ。略してばかわいい。女というものは男が想像しているよりも遥かに視線に敏感なのだ。

 

 ふふーん、遊んであげよう。

 

 そうやって足を組み替えようとした瞬間に。

 

 ――ちょ、お前、ハンマーとか!

 ――ガンランス余裕でした^^

 

 私が腰をかけている席から三つほど離れた場所でPSPをしている男子高校生の騒ぐ声。その声に――奪われた。

 

 八幡くんの視線を奪われた……私は騒ぎ立てる男子二人を睨みつける。何の効果も無い。

 

 若干、羨ましそうにその二人を見る彼の視線にムカムカムカと腹が煮立つ。煮えくり返りそうな腸。

 

 いやいや、ちょっとまってくださいよ。待って、待って。私のパンツよりもそんなゲームでわーきゃー騒ぐ奴らの方が気になっちゃうわけ? いやいや、許されないでしょ、そんなの。

 

 私は元凶の二人に向けて死なねーかなと祈ってみる。なんか面白い死に方しないかな、こいつらと神様にお願いしてみる。なんか八幡くんと私が盛り上がれるようなネタ死しないかなって切に祈る。

 

 生きてる価値なんてなさそうなキモオタ二人。何、お前らごときが私と八幡くんのお楽しみタイムを邪魔してくれちゃってるわけ? 名前は確か田原と小田……だっけか。

 

 お前らみたいな冴えない男子高校生が私のために出来る唯一のことって面白死することくらいなんだよね。そうじゃあないなら呼吸とか止めてくれないかなぁ。なんかその手に握ってるゲーム機でインターネットに繋いでインターネット版牛の首みたいな怪異に遭遇して三日三晩恐怖にを味わって苦悶の表情を浮かべたまま家族に発見され家族を恐怖の坩堝に落とした後にパソコンの丸秘フォルダを発見されて恥ずかしい思いのままこの世を彷徨うことなく地獄に落ちてくれないかなぁ。

 

 そんな私の願いなど知りもしない二人はゲームに熱中し盛り上がっていた。私だけでなく他の人間からの視線に気づくこともなく。

 

 八幡くん、八幡くん。安心して。

 

 君は彼らを羨ましそうに見ているけど、私は君が彼らと一緒に盛り上がっていなくて心の底から嬉しいし安堵しているから。勿論、君が勇気を振り絞って『いーれーて』と言えるのなら止めやしない。止めやしないけど小言の一つや二つを言っちゃうかな。

 

 ほら、見渡してご覧よ。女子たちのまるで汚物を見るかのような視線を。

 

 場所を考えろ、雰囲気を弁えろなんて訴える視線たちを。

 

 別に総武高校の校則なんて読んだことないけど、ゲーム機器の持ち込みに関してグレーかアウトかなんてどうでもいいけれど。ただ校則でセーフだったとしても女子から見た男としてはアウトだよね。だって痛々しいし、気持ち悪いじゃん。

 

 本人たちが楽しければいいなんて理論で生きているのなら別にいいけど。それはあいつらの理論であって私達の理論じゃないし。少なくとも恥って言葉を知っているのならあぁいうこと出来ない。そんな刹那的な感覚で失うものを認識していないんだよ、あいつら。

 

 周りからの評価とか、周囲からの評判とか。

 

 勿論、そんなものは気にしないという人間も居るだろうね。多いだろうね。本心なんてどうかはわかんないけど。

 

 将来的にクラスや好きな女の子が出来た時に自分の評判や自分が他人からどう見られていたのかなんて取り返しのつかないなんて考えもしないんだろう。未来のことを話せば鬼は笑うかもしれないけれど、未来のことなど何一つとしてわかりもしない人間風情がどうして簡単に可能性を捨てちゃえるんだろう。

 

 もしも彼らがゲーム好きの女の子が話しかけてくるかもしれないというクッソくだらない妄想をしているのなら叩き潰し、そもそも彼らが評価や評判を気にしない女の子を待っているというのならその夢を叩き壊して、ちょっと女の子に優しくされただけで意識しちゃうようなら、その顔に唾を吐きかけて無理でしょと現実を見せつけて。そもそも彼女なんていらねーよという強がりを持つ嘘つきならそもそも八幡くんの友達に相応しくなんてない。

 

 だから君が羨む必要は無いんだよ。

 

 あんな非モテクソ男子と一緒にクソみたいな青春を過ごす必要は無いんだよ。こんな傍から見れば女と縁遠そうな顔面偏差値も恋愛偏差値も低い奴らと一緒に過ごせば八幡くんの格が下がるのだから。あいつらは今後寂しくしこしこと自慰のようにお互いを慰めていればいい。あいつらは君以下で、君にはもっと価値があって――

 

 

 

 ――えー、何のゲームしてんの?

 ――モンハンだけど……

 ――あたしの弟もやってるんだけど面白いの?

 ――めっちゃ面白いし

 ――今度やってみようかな。教えてくんない?

 ――えっ、そ、そう。ま、まぁ、いいけど。

 ――ほんとー? 嬉しい!

 

 

 

 ファック、ユー……呪い殺すぞ、ゴミめら……。

 

 なんであいつら青春っぽいことしてんの? ふざけんなよ、クソヤロウ。十把一絡げの女子とはいえイチャイチャしてんじゃねーぞ。グロ画像じゃん、こんなの。あとモブ女も餌を撒くかのように頭ゆるく愛嬌振りまくな。この程度の男子なら私でもいけるかもとかオタサーの姫的なノリで騒いでるんじゃない。なんで興味のない男女のイチャコラを私は見せつけられないといけないんですか。こんなの視覚の暴力でしょ。青春していいのは私と八幡くんくらいなのに、なんで八幡くんとイチャイチャできていないのに・・・・・・お前らがしていいわけないじゃん。そんなの許されない!

 

 八幡くんとイチャイチャタイムを邪魔した害虫如きが幸せなのは許されない。もう怒った――ていやっ!

 

 

 ――ふぁっ!?

 ――いたっ、なんで消しゴムが急に飛んできたの!?

 ――ど、どこから!? って、これ俺の消しゴムじゃん

 

 

 私は悪くない。悪いのは身の程を弁えてない奴らだよね。悪を滅ぼした私は一仕事したとばかりに額の汗を手の甲で拭う。

 

 視線を感じた。

 

 ジィっと見つめるその視線はじっとりと。

 

『……』

 

 無言のままアホを見るかのように此方を見てくる八幡くん。ちょっと意味わかんない。

 

「なんだい、八幡くん? 私がどうかした? あー、でもわかるわかる。私ってカワイイからね。何もなくても見つめていたいもんね。もう、八幡くんの欲張りさん! いいよ、私の顔をオカズにパンを食べるのを許可してあげる!」

 

 苛むかのような視線。けれども何も悪いことなんてしてないので全然へっちゃら。わ、悪いことしてないし。

 

『……性悪』

 

 小さくボソリと呟いた言葉ははっきりと耳に届いた。

 

「はぁー!? 性悪って何さ、性悪って! 私ほど性格が善く器量の良い女なんて居ないんだからねっ!」

 

 私の抗議に対して駄目だこりゃ、とばかりの視線。失礼! とても失礼な目! でもしゅき!

 

 く、くそぅ……ちょっとジト目で見られてるの癖になっちゃう。どうしてくれんのさ。責任とってよ、責任問題!

 

 そんな彼はどこ吹く風とばかり。

 

 彼、曰く――足山九音は性格が悪い。

 

 どこをとったらそんな結論になるのかよくわからないけど、彼の言い分としては。

 

 性悪で器が小さく、人の欠点を挙げさせればピカイチで悪し様なんてものを言わせればピンからキリまで小さいことから大きいことまで目敏く非難し。足を引っ張る、嫌がらせをするなどは一人前どころか百人力。もしも見た目がよろしくなければ今すぐにでも殴りたい女。見た目を差し引いても今すぐに殴りたい衝動が残るとのこと。そして見た目がいい分、顔を殴るのは躊躇うので腹パンするという結論。結局殴られてるじゃん、私。

 

 しかし、まぁ……。

 

 まぁ、ちょっとだけ。ほんとーにちょっとだけ。ほんの少しだけ納得できる要素はあるのだ。八幡くんが私を性悪だと勘違いしちゃうのも少しだけ仕方ないかなって話はある。

 

 出会い方は最悪で、出会ってからも険悪で、取り憑いていたと気づいた時には嫌な顔をされて。少なくとも出会って間もなくの頃、彼は私が嫌いだった。

 

 そして――私も好きじゃなかった。

 

 いや、これは甘えだ。甘々な表現だ。はっきり言えば大嫌いだったし、彼のことを見下していた。夢なんかも壊して、彼の性格を全否定して、見た目から何から認めていなかった。

 

 彼からしてみれば雪ノ下雪乃なんて女の子からの毒舌なんて大したものじゃないだろう。なにせ、私は心当たりがある。当時は本当に心の底から嫌いだったし、辛辣だったし、罵倒していた。

 

 私と彼の一年間を振り返れば奉仕部で過ごす日々は平穏で生温い。

 

 当時のことを振り返ると私はこう結論づける。やさぐれていた、と。

 

 そうやさぐれていたのだ。少なくとも全部が全部本心なんかではないし、触れるものを全て傷つけちゃうお年頃だったのだ。だから、少しだけ余裕が出来て、周りが見えるようになって、彼と過ごすようになって。育んできたこの気持ちに嘘は無い。

 

 だから、当時あったことなど水にでも流したいが中々に流れないのが悔しい。

 

 でもさ、でもさ! 当時の君だって酷いもんだったじゃん! 私のこと雑に扱うし! 今も雑だけど! 私のこと馬鹿にするし! 今も馬鹿にされるけど! 

 

 ……何も変わってなくない?

 

 いやいや、そんなことない。そんなことない。八幡くんは照れて中々言ってくれないけど私のこと大好きだし、愛しているし。勿論、言わせている側面も無きにしもあらずって感じがあるけど。本心じゃないよねって弱気な私の中のゴーストが囁くけど。

 

 まぁ、でもあの時の八幡くんも悪い部分はたくさんあったのだ。陰キャで皮肉屋で嫌われものになりやすいという性格に難のある子だったのだ。今もまぁ陰キャで、皮肉屋のひねくれ者で、嫌われもの街道まっしぐら。

 

 ……悪化してない?

 

 でも、まぁ……そんなこと関係なく、いやそんな所も含めて君が好きなわけなんだけど。くそぅ、この男。

 

 彼の担任である暴力教師がどこまでもわかりやすく言って表現した『嫌な奴』という人間性に初対面の私が好意的になれなかったのは事実だ。仕方ないことなのだ、いや、本当に。

 

 隣人を愛せなどという戯言や、初めから相手の嫌な部分に目を瞑れる人間はどれだけ居るというのか。私は「幸い」なことにそんな異常性は持ち合わせていなかった。全ての人間に対して愛を持って接するなんて宗教狂いか扁桃体がぶっ壊れた人間くらいしかいない。

 

 嫌なやつは嫌なやつで。嫌われものは嫌われもので。

 

 私は順当に嫌な奴で嫌われ者な少年のことが嫌いだったのだ。もしも彼のことが初対面で好きだという人間はよっぽどの物好き、いや物好きでももうちょい選ぶでしょってな具合に酷い代物。

 

 そう考えれば最初から割と好意的に接してきたのは彼の担任である女教師くらいだ。けれども、それは恋慕や思慕といった類ではなく大人と子供という視点から起きる微笑ましさから。

 

 少なくとも男女間において比企谷八幡という少年を好感度高く接する存在の方が不気味。そんなの怪現象でしょ。

 

 だから、私はあの雌犬二号のことが気になっている。クッキーに入っていた思いは何だったのか。

 

 きっと狂おしいほどの慕情ではない。けれども影響を与える程度に何かを思っていたはずだ。初対面じゃない。幼馴染の可能性? いやいや話を聞く限り暗黒期だった小中学校で出会った子じゃない筈。じゃあ去年? 確かに同じクラスだったけど一度も喋ったことないよね。

 

 クラス内で警戒してみて初めて判ったんだけど、意外と二号に八幡くん見られてる……勿論クッキーの影響かもしれないのだけれど。

 

 深く考え事をしていたせいか八幡くんの変化に気づかなかった。視線はキョロキョロと忙しく動き、意識はどうやら教室後方へ。そして微妙に鼻の下が伸びている気がする。

 

 私は後方の集団を睨み付ける。そこにはこのクラスの中では美男美女軍団。カースト制度という代物をクラス内で当てはめた時に王侯貴族辺りの扱いのやつら。その中にはあの二号の姿もあった。皆に混じって楽しそうに談笑している。

 

 なるほど、八幡くんがクラス後方を気にしているのはわかった。あの二号の様子が変だもんね。そりゃあ、気になるか……でも、私の目はごまかせない。君の鼻の下が伸びていることなんてお見通しなんだよ。

 

『……んだよ』

 

 私がじっとりと睨み付けていると何も悪いことはしてませんという素振りと小声。はぁー? そんなこと言っちゃうんだ。

 

「鼻の下伸びすぎ。教えてごらん、何を想像してたのか。優しい私が君の懺悔を聞いてあげましょう」

 

『伸びてねぇし』

 

 はい、嘘ー! 鼻の下と一緒に鼻まで伸びたやつー! へし折ってやる。私は嘘を暴いて、伸びた鼻をへし折ってから『嘘をついてましたごめんなさい』と頭を下げさせるために後方集団をよくよく観察する。

 

 男子はまず除外。八幡くんはノンケだからね。なので集まっている女子集団を見る。

 

 まぁ、このクラスの面子の中ではなかなかに整っている方だ。私の足元にも及ばないけれど。女子は三人、うち一人はあの雌犬二号。残りの二人はキャバ嬢と陽キャメガネ。はぁーん、負ける気がしないんだけど、これ。私の圧勝でしょ……顔も器量も性格もまったくもって負ける気がしない。ミスコンがあったとして、審査員百人の投票結果は百、ゼロでの圧勝しちゃうレベル。

 

 まぁ、私よりかは遥かに格下ではあるんだけど、このクラスでは上澄み。大体のクラスの物事は彼女たちと近くに居る男子の意向で決まっちゃう。

 

 近くに居る男子は四人か。

 

 うち一人だけは異彩を放って、残り三人はとんとん。あの葉山って男子は私の記憶の中にある。まぁまぁ目立つし。残りの三人のうち一人、戸部だっけ? あれも覚えている。なんかうるさいし。他の二人はよく知らない。

 

 そんな男女混合グループは王様と女王様を中心に取り巻きがやいのやいのと騒いでいた。なんかじゃれあいというかどっか遊びにいく話をしている。なんか物凄い人間関係どろどろドラマ構築してんな、あそこ。めんどくさぁ……。

 

「それで? 八幡くん、君が気になってたのは誰なのかな? 鼻を伸ばしていたのは雌犬二号?」

 

 八幡くんはわざとらしく目を逸らす。ふぅん、雌犬二号じゃないみたいだ。

 

「それじゃ、あの陽キャメガネ?」 

 

 このクラスで隠れたファンが多そうな陽キャメガネを指定。これまたわざとらしく視線を下に向けていた。うーん、これも違う。

 

「えっ? じゃあ、あのケバケバした女?」

 

 八幡くんの瞳が一切動かなかった。まるで違いますという目の動きに私は頬を膨らませる。

 

 名前は確か三浦なんたら。キングではなくクイーン三浦。特徴は人並みくらいには整った容姿をあえて目立たせるための高校生にしては濃ゆいメイク。クルクルとパーマをあてたゆるふわ縦ロールの金髪は本当にここ、進学校なの? って疑うほど目立つ。総武高校内において一目でわかるほどに目立つ外見。クラス内で女子の中心、カリスマ気取ってるけどちょっとお近づきになれない。キッツ……。

 

「ねぇねぇ、何を思って鼻を伸ばしたの? ねぇねぇ、怒らないから言ってみ? 私に言ってみ?」

 

 私は耳を八幡くんの口元へ寄せる。すると観念したのか彼は小さく口を開く。誰にも聞こえないほどの声で――。

 

『いや、ぜんぜん見てねぇし。冤罪だろ、んなの。俺が見たって証拠どこだよ』

 

 欠片も観念しちゃいない。お、往生際が悪い……。強く睨み付けて私は八幡くんを引き続き尋問することにした。

 

「胸」

 

 ……今度は反応が無い。ひたすらにまっすぐ私越しに黒板を見ている。

 

「顔」

 

 まったく微動だにしない。へぇ、その程度で私を誤魔化しきれると思っているんだ。

 

「おしり、足、太もも、スカートからみえる太もも……へぇ! ふとももを凝視してたんだ! 変態っ!」

 

『まてまて、どこに証拠があるよ……別に俺はスカート短ぇな、くらいにしか思ってなかったのに』

 

「はい! 間抜けは見つかりましたーっ! 自供頂きました! やっぱ私以外の女の子をねっとり見つめてたじゃん!」

 

 ぐぬぬ、そんなにスカートが短いのがいいのか……こうなったら。

 

「ちょっと待ってて!」

 

 私は隣の教室に飛び込む。さて、これからどういう服装で八幡くんを誘惑しようか、と考える。

 

 この部屋に参考になりそうなものは無いので次の部屋へ。教室から教室へ練り歩き。

 

『ひっ!?』

 

 なんか一瞬声がした。後ろを振り向いてみると男女の集団がお昼ごはんを食べている。キョロキョロと周りを見回してみればここは――どこの部屋だろう?

 

 長机が四角に並べられていてホワイトボードがある。そこには職場見学について幾つか書いてある。職員室じゃないのに何の部屋?

 

 そう思って入り口の扉をすり抜けてネームプレートを確認してみれば、そこには『生徒会室』と書かれていた。

 

 へぇ、ここ生徒会室だったんだ。見覚えの無い部屋をすり抜けて、目的地へ。あそこなら何かあるでしょ、と辿りついたのは図書室。

 

 ちらほらとしか人が居ない部屋で、私はとりあえず端っこの方へ行く。そしてお目当ての本がありそうな本棚から――『男心をくすぐる服装』といった百科事典を見つけた。それを取り出して、パラパラと読む。

 

「ふんふん、なるほど……違うなぁ……」

 

 ポンとその辺に投げ捨てて次へ。

 

「世界服飾歴史……? おもしろそう」

 

 呟いて手に取る。うーん。

 

「違うんだよなぁ。流石に服を着るようになった歴史から見たいわけじゃないんだよね……興味あるけど、また今度」

 

 ぽいっとその辺にまたまた投げ捨てて次の本へ。

 

「花魁……ふーん! なんかちょっとエッチな服装かも! いいかも!」

 

 えっと、なになに内掛けにってうわ、こんなに着込むんだ……凄ぉ、大変じゃん! まぁ、でも私にかかればちょちょいのちょいだね。

 

 へーっ、足は素足に草履、そして下駄かぁ……こんな感じかな。そんで髪の毛は、と……へぇ、たくさん種類あるんだね。この伊達兵庫巻きってのでいいや! そんでかんざしかんざし、と。うん、こんな感じかな。

 

 よーっし、後は八幡くんの目でちゃんと出来てるか確認をすれば完成。なんか久々にがっつり着替えたなぁ。本をその辺に投げ捨てて、八幡くんの居る教室へ戻る。

 

「どーよっ! 八幡くんっ! 短いだけがエロいんじゃないよ! ……ん?」

 

 引きずるほどに長い裾を見せながら登場してみれば八幡くんの目はキョロキョロと。

 

 まるで此方に向ける余裕がないかのよう。

 

「何してんの?」

 

 私が問いかけてみれば――此方を気にもせずに背後を気にしながら目をキョロキョロとしていた。まるで不審者。

 

「……何かあったの?」

 

 教室を見回してみれば八幡くんだけじゃない。全体的に変な空気が漂っている。

 

「ねぇねぇ、八幡くん……何があったの?」

 

 私が聞いても答えようともしない。うーん、むかつく。

 

 うん、むかつく。とってもむかつく。八幡くんの為にせっかく着替えてきたのに反応の一つすらない。なんで? ネェネェ、ナンデ?

 

 私は原因を探るべく教室を見回す。先程ぎゃーすか騒いでいた男子生徒も、それに粉をかけていた女子も息をとめるかのよう。そして教室の後方の集団も王様も気まずそうにしていて、他の男子も完全に目を逸らしている。

 

 女子――雌犬二号は俯いてて、眼鏡は女王様になだめるかのように声をかけてて。そして件の金髪巻髪は。

 

 目じりをつりあげて何かに怒っていた。

 

 あっ、ふーん、コイツかぁ……。それで八幡くんは何をしていたんだろう。えっ? いやいや怒ってないですよ。全然怒ってない。せっかく着替えてきたのに感動台無しだとか、感想無しだとか。こっちに注目すらしてくれないことに腹を立てたりなんて全然してないから。

 

「八幡くん。まさかまさか。私がいない間にちょっぴり調子にのって何かしようとした? 例えばそこの雌犬二号とかを助けようとかそれに失敗したとか」

 

 私の発言に八幡くんは目を逸らさない。けれども汗を一筋かいていた。

 

「はーん、ふーん、そーなんだー。いくら八幡くんのお昼時間帯にリア充どもが邪魔だったとしても、わざわざあの二号を助けようだなんて思わないよね。まさか女の子を助けてカッコいいとこ見せようと思ったの? えっ、私が見ていない前で? 私が見てる前でもギリギリ浮気なのに、見ていない前で助けようとしたならやっぱり浮気じゃん! 浮気ってよくないことだよね。まだクッキーの後遺症残ってるわけじゃないよね。どうしてそう思ったのか私に教えてよ」

 

 私の言葉に全くの無反応。

 

 ふーん、あくまで無視するんだ……。はぁ、これどうしよっかなぁ、どうしてくれよっかなぁ。

 

「ねね、八幡くん、あんな奴らを見るよりか私に注目して。ほら、花魁だよ。花魁コス! 色っぽいでしょ、セクシーだよね」

 

 くるりと一回転。綺麗に舞っては引きずるように長い裾が一瞬だけ浮く。しゃんしゃんと鳴る簪の音すら無視していた。

 

『あんさー、あーしはユイのために言うけどさ、そーいうはっきりしないって態度、イラってくんだよね』

 

 トントン、と机を指で叩く音。イラついた声。そしてそんな声に八幡くんはピクリと反応した。

 

 ――へェ

 

 そうなんだ。私よりもやっぱりあの女が気になるんだ。そもそもあの女のせいで着替えたのに。八幡くんが鼻の下伸ばすかのように誘惑する短いスカート履いちゃってさ。挙句の果てには今の私よりもそっちの方が気になるって。こいつはめちゃ許せない。正直、二号がハブられようが、これを機に皆から無視されたり苛められたりしようが全然構わない。むしろ、八幡くんと仲良くしたいなんて言う女だ、構わんやれって感じなんだけど。

 

 それはそれで、これはこれなんだよね。

 

 誰の許可とって八幡くんの意識独占してんの? 

 

 もしもこれが怪事件の最中ならギリギリわかる。納得もほんの少しだけする。

 

 けど、そうじゃないでしょ。

 

 私は――掴む。

 

 八幡くんの机の上にあったシャーペンを。

 

 瞬間、八幡くんと目が合う。手元で急に動き出したシャーペンを見て、ようやく此方を向いた。

 

 ようやく気づいてくれた。

 

 私の愛しい男の子はここに至って私が何をしようとしていたのか理解していた。彼の向いていた意識は後ろから此方へ。

 

 ――やめろ、頼む、やめてくれ。

 

 そんな懇願が瞳から見えた。けれどね、もう遅い。

 

 不快なんだよね、あの女。そもそも私の目の前で偉そうに口を利くのってムカつく。そもそも八幡くんが何かしようとして失敗したのだってあの女関係だろう。多分、そう、きっとそう。むしろ関係無かったとしてもやる。

 

 あの女は直接的原因なんかじゃない。原因はこっちを見てくれない八幡くんが悪い。私は何も悪くない。むしろ私は彼のために目の保養となるよう着替えてきたのに此方を見向きもしないのが要因。

 

 だから、ボールペンを彼の手を経由して弾け飛ぶように宙へ、そしてくるくるくるくると天井付近まで回転しながら飛び――刺さる。

 

 ペン先が指の先、トントンと苛立ちまぎれに叩いていた指をあわやといった感じで垂直にテーブルへ。斜塔の如き角度で見事に机の上に軸を埋めそり立つ。下手をすればネイルの指に刺さっていたとばかりに。

 

 小さくない叫び声が教室の中で響いた。そして次々と何が起きたのかわからないとばかりに集団は騒ぎ出す。殆どの面子は教室の後方に注目していて、八幡くんを見ていた人物は誰一人としていない。急に空から降ってきたとばかりに天井を見上げているのも数人。だから出所である八幡くんは肩を狭め、息を殺し目立たぬようにしていた。

 

 そして睨み付けるかのようにこちらを見てきている。そして小さく呟いた。

 

『……最悪だ』

 

 ぼそりとこぼれ出た独り言。困ったように落とした眉、どろどろと目が腐っていく。うーん、やさぐれた目ってとても可愛い。

 

「いやぁー、ごめんね? 最近、ストレス溜まりまくりだからさ! ほら、ここでうんと発散しとかないと! それに先日のボコボコもそういやあんましてなかったし! それに君からしてみたら私って悪霊なんでしょ? ほら悪事の一つや二つくらいしとかないと本質的に強さ失っちゃうわけだしさ。別に血生臭いことしてるわけじゃないし。誰も傷ついてないからね。もしもあの自称女王様の指が傷ついたとしていてもそのうち忘れるだろうしさ。だから――」

 

 教室の背後で唐突にはじまった犯人探し。女王の命とも呼べるネイルを狙った不届き者の炙り出しが行われ始める。

 

『誰が投げたし!』

 

 憤怒を撒き散らしながら立ち上がる。その怒りに対して八幡くんは恐る恐ると手をあげていた。だから、そんな君に向かって、私は愛情をたっぷり込めて。

 

「あとはがんばってね」

 

 はぁと、と語尾につけるかのようにたっぷりと思いを篭めて八幡くんに囁く。

 

 怒れる女王がはてさてどのような手打ちにするのか。八幡くんはどのように切り抜けるのか。高みの見物でもしていよう。

 

 王様、女王様。このクラスの有名人が二人揃って八幡くんの席へ。

 

 でもでも知名度でも君は負けちゃいないんだよ? 方向性は愚か者とか道化とかそういう方面なのだけれど。

 

 勿論、原因はすべて私の仕業。癇癪起こしたりするといつも彼が出来事に対して責任を負ったかのように請け負ってくれる。

 

 これってある意味私の責任が八幡くんの責任と化しているからもはや恋人を通り越して夫婦でいいのでは? と思わなくも無い。

 

 さてさて、今回はどんな結末になるんだろうね。果たして相手が水に流してくれるのか、それとも誰かが水を差すのか、それとも彼のお得意の口八丁で水掛け論に持っていき水入りとするのか。

 

 楽しみながら見守ろう。雨だれの音を聞きながら。少しばかり思い出を振り返りながら。とても不快で、それでも忘れられなくて。

 

 不快なだけじゃなくて、私と彼の初めてばかりの生活のことを。初めて遭ったのは病院だったけど、彼に憑いていたと初めて知ったあの出来事を。

 

 水に関するお話を。比企谷八幡も知らない水に纏わる怪異譚を。




※次回の投稿は三月二十五日を予定しています
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