足山九音が幽霊なのは間違っている。 作:仔羊肉
比企谷八幡――ひきがやはちまん。
初対面で彼の名前を一発で読める人間がどれほど居るだろうか。少なくとも、彼の名前を自発的に名乗らせるまでは苗字をヒキタニと思っていたし、それ以上に名前を呼ぶことなどせずに「君」だとか「お前」だとか二人称代名詞を使うことが彼と私の関係では当たり前だった。
病院で出逢い、病院で事件に巻き込まれ、それでいて嫌いだった彼を少しだけ見直して、勝手に何もかもを終わらせて。
そして今日。先程、無事に何事もなかったかのように受付へ行って一人でさっさと退院手続きして出て行った。丁度、今。窓の下から車に乗り込む彼の姿が見える。舌を出してべぇーとしてみても、此方を見向きもしやしない。
寂しいなんてことはなく、清々した。清々したはずなのに……気持ちを振り払うかのように私は病院内の看護師さんの背後を憑け舞わそうとくるりと振り返る。お医者さんごっこをするために前を歩くのもいいのかもしれない。なんかお医者さんが出るドラマで偉い人が回診するみたいな感じで。
……なんであいつしか見えないかな。
私が見えるのはあいつと――あの化け物たちだけ。その化け物たちはもう居ない。あいつが勝手に終わらせたから。私だって当事者だった筈なのに。なのにいつの間にか終わっていた出来事。聞いてもよくわからなかったし、どうでもよかった。
「……まぁ、いいやあんなやつ。暗くてキモくて目が腐ってて」
さってと切り替え切り替え。そういって私はカルテを片手に歩く看護師さんの前を歩こうとして――およよ?
なんか引っ張られる、えっ? 引っ張られて。えっ? 怖い怖い怖い。なにこれ!?
必死に踏ん張ろうとしても力はどんどんと強くなり、ついぞ耐えられず――勢いよく飛ぶ。
ナースステーションを飛び越えて、そのまま病院の壁に。
ぶつかる、と思って手で頭を隠せば、するりと壁抜け。
そして外の世界へ。ふわぁ、空飛んでる・・・・・・。
見たことも無い光景。引っ張ってくる力に身を任せ、流れのままに空からの景色を楽しむ。
流れは不定期で一方向に進んでいれば、急に方向を変えたり、完全に力が消失してその辺を見て回ろうとすれば急に引っ張られたり。今はどこかの山周辺をぐるりと回って、そして――止まる。
「……あれ?」
引力の果ては一軒家。最近、見覚えのある苗字が表札に。
「……どういうこと?」
きょとんと小首を傾げて家を眺めていると、タイミングよく玄関が開く。扉から出てきたのは男の子。そして、そいつは私をはっきりと目視した瞬間に――。
『……うわぁ』
死ぬほど嫌そうな顔をした。
髪の毛はボサボサで特に整えられてなく、吊り下げられた三角巾が印象的で、顔のパーツはそこそこ揃っているのかもしれないけど、あまりいい印象とはいえない目があからさまに細められて、嫌そうな表情も相まって実にムカつく男だという感想を抱く。
そんな相手でも私は笑顔で片手をあげて挨拶をする。こんな男にも気安さと親しみやすさを演出してあげるなんて、私はなんていい女なんだろうか。
「やっ! また遭ったね、比企谷くん」
完璧なポーズに美少女スマイル。本来ならお金を払ってでも男がこぞって見にくるであろう代物。むしろこんな挨拶を私からされたら世の中の男全員を勘違いさせちゃう。ほんと、可愛く生まれて罪深い生き物とは私のことだよね。
もしかすれば私が幽霊なのもそういった事柄でストーカーや嫉妬に狂った女から狙われて亡くなったのかもしれない。なるほど、私の正体に関するヒントは最近世の中で訃報があった美少女タレントやアイドルあたりか……。
そんな可愛い可愛い私に対して、彼は表情を変えずに独り言のように呟いた。
『悪夢だ……』
心の底から嫌そう……。
「殺すぞ、お前」
笑顔のまま言ってあげると彼はそっと目を逸らした。というかどんだけ嫌なんだろうか、この私のことが。こっちは超絶可愛い美少女なのに。
そんな彼の服装は中々珍しい恰好であった。外行きようのファッションという奴だろうか。
上は黒のパーカーって呼ばれるやつなんだろう。前には山……あれって多分、富士山ってやつが書かれていて。その上には日本語に訳せばニューヨークへようこそって書いてある。ひょっとして新手のギャグなんだろうか。下はだぼだぼ、というか裾が擦れる程に長い黒のメンズパンツ。なんだろ花魁か何かかな? そして銀色の用途不明のチェーンがじゃらじゃらと伸びていて、アクセサリーがついた代物がベルトを通すところ、なんだっけ? ベルトループだったかな。そこに姦しくぶら下がっている。ついでにベルトは無い。ファッションに関してあんまり詳しくない私ではあるけれど、殆ど記憶というものが無い私ではあるのだけれど。これだけは判る。
「うっわ、だっさ……生きてて恥ずかしくない?」
『え、何、お前、それだけを言いにここに来たわけ? 俺の私服姿を貶すためだけにわざわざ来たの?』
「いや、違うけど……違うけど、クソダサいことだけはわかるよ」
『……お前、記憶ないとか言ってなかったか? そんなんでファッションのあれこれわかんのかよ』
「そんな記憶の無い私から見てもわかるくらいにダサダサなんだよねぇ」
『あぁ、そうかよ。それで? 何の用だよ』
投げやりに此方へ質問してきた。なんたる自意識過剰。
「別に君に用なんかないよーだっ! 自意識過剰なんじゃないの? 私はここに引っ張られただけ。そこにお前が居ただけだもん」
いーっと舌を出して恥ずかしい勘違いを指摘。私が君に会いにきたなんて恥ずかしい思い違いしないで欲しいよ、まったく。
「それで君は? そんな外に出るのも恥ずかしい恰好でどこに行こうっての? 死ぬの? 不細工が祟って死ぬの? 自殺するの? それなら憑いていって見学するから」
『……床屋だよ。ついてくんな』
あぁ、と納得。確かに彼の髪はボサボサとしてて男子にしてはかなり長い。
「なるほどね、お前の髪とか死ぬほど興味ないや。どっか行け」
しっしと追い払うかのように手で仕草すると彼は無言のまま家の扉に鍵をかけて歩き出す。彼が歩き出す方向を見てから私も反対側へ歩いていく。――およよよよよ?
まるで引っ張られるように。逆方向へ。
私が行きたいのは向こうなんですけど! ぬーっと力を入れて前のめりになってもジリジリと後退していく。仕方ないので力の方向へ。
引っ張られる感覚に逆らわずに流れていくと――また、アイツだ。しかも目が合った。
『何なの、お前……』
いきなりの第一声。クソ失礼な自意識過剰の台詞。
「だから、君に用なんて無いんだってば! なんか知らないけど引っ張られるの!」
『……何でだよ』
「知らないってば! なんかさっきも変な店、らーめん屋さんに引っ張られたし!」
『……らーめん』
「かと思えばその後赤い車に引っ張られて、この周辺で力が弱くなったし!」
『……赤い車』
「大体、この時間帯はみずぼらしい病院食を食べる間抜け面の患者どもを拝むのが日課なのに。優雅な私のお昼の時間の筈なのに!」
『……性悪。まさか』
その瞬間に何かに気づいたかのように呟く。そしてその目がドロドロと腐っていた。本当に嫌なことを思いついたとばかりに。
「なんだよ、その顔。なにか気づいたんなら言ってよ、不細工」
判断が遅い間抜け面を指摘する。大切なことに気づいたらちゃんと報告するよう習ってこなかったのだろうか。まったくホウレンソウしっかりしてよね! ところでなんでほうれん草なんだろ。
『なに、お前、ひょっとして俺のこと好きなの?』
「殺すぞ、お前、マジで」
滅茶苦茶、失礼で不快な台詞を放ってきた。お前鏡見たことあんのかよ。少なくとも私が時折写る(三~四時間に一回)鏡では信じられないほどの美少女が写る。まるでこの世のものとは思えないほどの美少女。この美少女は誰なんだ、初めて見た時は恐れ戦いた。そしてその美しい少女の正体は私だった。そんな私とお前が吊り合うだなんてありえるわけないでしょ。マジで考えてから物を言ってよね。頭悪いんじゃない、こいつ。
自意識過剰にして勘違いもここまで酷ければ呆れや苛立ちを通り越し殺意が沸いてくる。
『……この性悪に取り憑かれたとか』
「はぁ!? 誰が性悪だって、この不細工! この私が君に取り憑くなんて……憑くなんて…・・・ぁぁぁあああっ! それだぁぁっ!」
取り憑くと言葉に出した瞬間にカチリと何かが嵌るかのように。私自身が感じているこの流れる力の正体。彼の方向へ引っ張られる状況に関して感覚的に理解してしまう。
私はこの目の前の少年、この目の前の冴えない男子高校生――比企谷八幡に憑いている。
「えっ、やだ、うそ……うそうそ、こんなのやだぁぁぁぁぁっ! あんまりだぁぁぁっ! 私が生前なんの罪を犯したって言うんだ! こんな冴えない男子高校生に私っていう絶世の美少女幽霊が憑かなきゃいけないってどんな罰なんだよぉぉぉ、酷いっ、酷すぎるっ」
しっくりと来た答え。あまりの惨い罰に愕然とする。生前にそこまでの悪行をしたのか。罰として彼に取り憑かなければならないほどの罪を重ねたのか。可愛すぎることが罪だとしても、これはあんまりすぎる。あまりのショックについぞ、膝をついてしまう。
『なんでお前の方がショック受けてるんだよ……勘弁してくれよ、マジで、どっかいけよぉ』
この男はこれだけ可憐な美少女があまりにも酷い罰を受けているにも関わらず、優しい言葉の一つもかけやしない。なんて男だ!
「行けるものならそうしてるよ! でも引っ張られるんだよ! 解放してよ! どうにかしろよ、お前!」
私が必死の思いで下手に出て懇願してもこの男は――。
『成仏すれば?』
小さく鼻を鳴らしてはい解決とばかりに呟き去っていく。そんな男に見えない縄で括られ引きずられるかのようにズルズルと。スライドするかのように道路を滑る。この私をコケにしやがって、絶対に許さない!
「ちょっと待ってよ、クソダサ私服野郎。その意味不明なパーカーに裾がボロボロのメンパンににアクセサリージャラジャラしとけばいいんでしょ? とばかりに滑ったセンスをカッコいいと勘違いしてそうな脳味噌を搭載しているナルシスト勘違い野郎」
私の言葉一つ一つにビクリと肩を震わせる彼。どうやら指摘に心当たりがあるようだ。
『は、はぁ? べ、べべべべ別にかっこつけてつけてるわけじゃねーし!』
「嘘つき! 間抜け! 挙動不審だから丸わかりなんだよね、意味不明な英語ロゴもそうだけど、ズルズルとみっともない裾もそうだけど、何よりもその耳障りなアクセサリーが君の口なんかよりもよっぽど雄弁にオシャレ意識してますって語ってんだよ! 痛々しいんだよ! イタガヤくん! もはや歩く公害。この世の中には見るだけで不快になる虫は害虫なんだよ? この害虫!」
『そ、そこまで言うことないだろ……というかそこまでダサくねぇだろ……』
銀色のチェーンを腰から外して私と見比べる。
『そもそも病院の入院患者っぽい服装のお前にオシャレのいろはとかわかるわけ? しかも裸足だし』
な、なんてことを言うんだ、この男は。
「君、それ言ったら駄目だろ! しょうがないじゃん! どうすればいいっていうの! そんなに文句あんなら服持ってきてよ、服!」
『無茶言うなよ……』
私の命令にめんどくさいという表情を浮かべていた。未だに未練がましくアクセサリーを見ては『ださいのか……』と呟いている。
「はん、背伸びして黒に黒を重ねた格好するからブサイクなんだよ。モノトーン一色ならオシャレとか鵜呑みにしちゃってんじゃないの。自分の外見も考慮したらどうなんだよ。オタク臭さがこれでもかと出ちゃってるんだよね。ナルシス不細工野郎」
『ぶ、不細工じゃねーだろ、その、そこまで酷くねぇよ』
「私みたいな美少女からしてみれば君くらいの顔は不細工扱いなんだよ。弁えろ、不細工。君は落第、赤点、入店拒否の出禁でお断りなのさ!」
胸の前で手を交差し視覚でわかりやすくペケをつける。
『ほんと、うぜぇ……』
吐き捨てるように呟いて、そのまま歩き始める。その間もずーるずる、ずーるずると何かに引かれるように移動。少し前に病院のテレビで特集していた歩く道路に乗ってるみたい。
「どうしてこんな男に取り憑かなきゃいけないんだよぉ。ひっく、こんなのあんまりだぁ、酷すぎる。悪夢どころの騒ぎじゃないよぉ、地獄だよぉ、今、ここが地獄だよぉ」
『聞いてて気が滅入る。そもそもお前、なんでそんなに好戦的なんだよ。お互い不干渉、関わりあい無しで無視してりゃいいだろうが』
足を止めてやさぐれながらこっちを見てくる。こっちがやさぐれたいんだけど。何もわかってないな、こいつ。
「なんで可愛い私と不細工な君の我慢が等価値だと思ってんの。目の前にいたらそりゃ愚痴の一つや二つ吐きたくなるでしょ。なんでお前なんかに合わせて妥協して我慢しなくちゃいけないわけ? 格上の可愛い私が格下の君に合わせてあげるメリット述べろよ。ゴキブリ見たら気持ちわるいって言っちゃうでしょ。なんで、それを私が我慢しなきゃいけないんですかー? ねーねー、教えてくれよー」
私が懇切丁寧に説明してあげたのに無視し始めた。こいつ、マジ礼儀知らないよね。礼儀といえば。
「大体、君さぁ。退院の前に何で私に挨拶に来なかったわけ? 礼儀知らないの? 礼節弁えてないの? あんだけのアレコレあったのに何も言わずに出ていくって薄情で冷血にも程があるでしょ」
そう、そうなのだ。この男はこの私がせっかく見直してあげたにも関わらず、碌に説明も挨拶もせずに去っていったのだ。こんなの許されるわけないでしょ。
『え? 何、お前……拗ねてんの? 俺が挨拶に行かなかったことで?』
振り返った彼は本気で疑問符を浮かべるかのような顔で私を見てきた。そ、そ、そそそんなわけ――。
『そんなわけないでしょ! 君みたいな礼儀知らずなんて居なくなって清々してるよ! 寂しくなんてなかったし! 何、勘違いしてるわけ!? 調子にのんな! ハゲ! このナルシストハゲ!」
『お、おまっ、ハゲてねぇだろ! ねぇよな……? ともかく人の髪を笑うのはやめろよ」
立ち止まって軽く頭皮を触って確認している。私に指図すんな!
「はぁぁぁぁ……最悪ぅ、本当に最悪だよぉ。こんなナルシス野郎に取り憑いただなんて不幸すぎるでしょ。せめてイケメンなら取り憑くのならギリ許せた。イケメンが良かった。ほんと、見てて不快になる顔面偏差値Fラン野郎とかさぁ……そもそもなんでコイツ、私よりも私よりブスだった二人を先に成仏させてんだよ。もっと私に尽くすべきでしょ。あんなブス共よりも私に関わること調べてくれればよかったのに」
思い出すのはサイコパスな看護師二名。あろうことかこの私を襲おうとしたどブス共。そんな病院に纏わる御話を解決したらしい。詳しくは知らないけどいつの間にかいなくなっていた。
そんな女達よりも私のことをどうにかしてほしい。
私には記憶が無い。何も無い。なんであんな場所に居たのかもよくわからない。死んだとか言われても実感が無い。ないない尽くしで不安なのに、この男の子はちっともこっちのことを考えてくれない。
そんな彼はポリポリと後頭部をかく。振り向いた目はドロドロと濁って、幽霊の私よりも遥かに化け物らしい。むしろ私のおめめはパチクリしてて可愛い。
『……はぁ』
めんどくさいとばかりに溜息を吐いていた。そんな失礼な視線と態度に腹が立ちながらも私は言葉を待つ。
『ほんっと、面倒くせぇけど、仕方ないからお前を除霊する方法くらい探してやるよ……』
ポリポリと頬をかきながら照れるかのような口ぶりでそんな言葉を放ってきた。仕方ない仕方ないとばかりに面倒臭そうな彼の表情を見て私は――
「今! 除霊って言ったなお前! 成仏じゃなくて除霊とか言いやがった!」
舌打ちで返答される。勝手に人を悪霊扱いしやがって! ほんと、こいつ嫌い! だいっきらい! 完全に自分のことしか考えてない。少しは私の役に立ちたいとかもっと殊勝な態度見せろよ。
『被害者はこっちだっての。マジで御祓いとか頼もうかな』
なんか滅茶苦茶、物騒なこと呟いていた。
「お、おい、おいってば! ねぇってば! やめなよ、そういうの! ぜ、全然びびってないけど未練があってこの世を彷徨う超絶可愛い私が悪霊くたと一緒に祓われちゃうとどうなるのかわかんないでしょ! もっと慎重にことを進めてよ!」
全然ビビってない。ビビってなんかいない。私をビビらせたら大したもので、お祓いとか全然怖くも何とも無いけど、幽霊って祓われたらどうなっちゃうの?
ちゃんと天国に行けるのなら問題ないけど。間違って地獄へ案内されたり、無に帰すみたいな展開は望んでない。こ、怖くはないけど流石にそれは短慮すぎ。もっと私の未練を解消するとか正体を探るとか順序立ててきちんと計画を練ってからやってほしい。
『いや、どうなるのかなんて知らんけど』
そんな私の考えなどどうでもいいとばかりの態度。こんなの許されないでしょ! 面倒臭そうに歩き出してんじゃねーよ! 知らないじゃないんですよ! 知っとけよ! この美少女が天国にいけなかったら天国の損失なんだぞ。天国の全住人がショックのあまり消滅しちゃうレベルだぞ。
私はその事実を伝えるために懇切丁寧に説明してあげることにした。
「ね、ねぇ、比企谷くん。除霊……はちょっと待とうよ。うん、全然怖くないし、なんなら私を除霊しようとした奴を呪い殺してやるけれどさ。除霊って短慮じゃない? うんうん、私はそう思うよ。何も悪霊らしいことをしたいわけじゃないんだし。私に本当の力を解放させるのは君だって本意じゃないはずだ。そういう命を奪わせるようなことを私にさせないでくれたまへ」
私の心優しき発言にさぞ感激して涙を流すことだろうと思っていたが、彼が浮かべているのはどこか私を小馬鹿にした笑み。
『だっせ、ビビってやんの』
「殺すぞ、お前」
『はんっ、お前に何が出来るって言うんだよ』
急遽、強気になってはそんなことを言い始めた。た、たしかに今の私には出来ることなんてあんま無いけど。
「き、君は本当に失礼なやつだな! 呪えるようになったら真っ先に呪ってやる!」
勝ち誇ったままの顔で歩き初めた比企谷くん。そんな彼を困らせる方法をうんうんと考える。そして一つ思いついたのが――。
「例えば夜中の間ずっと眠らせないよう喋りかけるとか」
『おまえ、マジでやめろ』
真顔で怒られた。よっぽど嫌だったらしい。むしろ私と喋れるなんてご褒美だという解釈もできるんだけど。
先程の得意げな表情は打って変わって余裕なんてない素振り。どうやら交渉ができそうだ。
「いいよ、やめてあげる。停戦だよ、停戦。お互いに平和に取引と行こうじゃん。私は夜中の間中、君にずっと喋り続けることをしない。君は私を除霊しようとしない。どうだい? 公平な解決だよね」
『何が平和だ……完全に脅迫じゃねぇか。ほんと最悪だ』
げんなりとして再び歩き出した彼の頭に、ポタリ、と。ポタリ、ポタリと目に見えるほど大きな雨粒が落ちていた。
「雨? こんなに晴れて――」
次の瞬間、彼の頭に当たったのは――魚。
魚が音を立てて、彼に降り注ぐ。信じられないと目を見開いていた彼の頭に再び魚。局所的豪雨に混じって降り注いでいるのは魚・魚・魚。
まるでお魚の天国とばかりに空からビチビチと降り注ぐ。そして、そんな魚は――。
「あいたァ!?」
私にもぶちあたる。なんか変なもの、雨? 雨とか水とか魚とか。感じたこともない感覚が頭上から降り注ぐ。透過することなく水も魚も私に当たってはビチビチと地面を跳ねる。
「なにこれ!? なんか臭い! 怖い! なんだこれ!」
半ばパニックを起こしながら、彼を盾にするかのように背後へ回る。
『……なんで、魚が』
呆然と呟く彼はその魚たちを見つめていた。そんな二人分の視線を受けていた魚たちは――勢いよく跳ね上がって、彼の足首に噛み付く。
『ぎぃっ!? なんだよっ、これっ』
おちょぼ口の見たこともない色をした魚が噛み付いていた。困惑していた私は痛みにうずくまる彼を見て。
「あっははは、だっさぁ! 魚に噛みつかれてぎぃっだって! ぎぃって、あはははっ、ださ――ぎょぇぇぇぇぇっ!?」
足元を見れば同じように私の足元にも噛み付いていた。喉から叫びとか目から涙とか色んなものをこぼしながら足元の魚を引き剥がそうと指を伸ばす。そこへ追撃とばかりに白魚のような指へ魚たちが群がり始める。
「痛い痛い痛い! たすけ、助けてっ! 誰かァ!」
泣きわめいてぶんぶんと腕や足を振る。けれども魚は離す様子がなく。
『離せってってのぉ!』
近くからぶちぶちと音がする。半ば無理やり魚を掴み離した彼の足首からはまるで抉られるかのような傷痕が見えた。
蹲っていた私は自由となった彼を見上げる。相手も此方を見ている。
『……』
あ、やばい、これ本当に見捨てられるんじゃ……?
「い、今までのこと謝るからっ!」
口からこぼれたのはそんな言葉。何に謝ればいいのかよくわかっていないけど。それでもこのままじゃ見捨てられ――
「ほんとに! 全部謝ってあげるから! 助けて、助けてよぉ……痛いよぉ……」
小さく舌打ちが聞こえた。そして、此方にかけよって――。
「いたっ! 痛いってば! もっと丁寧に外してよ! もっと優しくしてよ!」
『いい加減黙って、ろっ』
私の指を目掛けていた魚たちは新たに現れた肌に次々と襲いかかる。
『ぎっ、ぇあっ』
食い縛った歯の間から漏れ出る小さな悲鳴。痛みに脂汗を滲ませて私の指に噛みつく魚を剥がしている。痛みのあまりに涙と鼻水が止まらない。霞む視界から見える朧げな景色からは必死な形相の比企谷くんだけが見えた。
このままじゃ――。
私の手を噛んでいる魚は少なくなっていく。けれども加速度的に彼の腕に纏わりつく魚の数は増えていく。
き、君はどうするんだよ……。
喉から言葉が出ない。もしもそう聞いて見捨てられたら私に対処する術がない。彼を助けることなんて出来やしない。
だから、聞けない。
その時――カツン、と。
カツン、カツン、カツンと。
音が鳴り響く。音が響く度に魚たちが一瞬痙攣をしては噛んでいた彼の手から力なく地面へ落ちる。
何が、と思って回りを見渡せば音源であろう場所には石が幾つも落ちていた。
そして――カツン。
空から石が降ってくる。最後の石が落ちて、ころころと足元へ。空を見上げれば――。
いや空じゃなくて地上。数メートル背後にその女は居た。その腕には幾つかの石が抱えられている。
あの女が投げたの? 何のために?
「魚の化け物、魚の妖怪というのは割とこういう手法が効くと聞いていたんですけれど本当だったみたいですね」
見知らぬ女は足元へ近づこうとする魚たちに向けて石を投げる。コントロールが悪いのか魚の直前で落ちそう。
――カツン。
落ちた石は魚に当たったわけではないのに。なのに――死んだかのように地に横たわる。
血まみれの手で目元をこすり、涙を吹く。そして、もう一人の被害者を見つめる。
「……だ、だいじょぶ?」
小声で尋ねて見れば返事がない。腕を抱えてうずくまるように亀になっていた。
「ね、ねぇ、なんかもう大丈夫みたい……」
顔を上げた彼の髪の毛はずぶ濡れだった。そして私もずぶ濡れ。さらに言えば――唐突に現れた謎の女もずぶ濡れ。
謎の女。長い髪の毛はボサボサで特に手入れをされているようには思えず。青い着物も相まってどこか幽霊めいた存在。
『……あなたは?』
比企谷くんは女を見上げて尋ねる。そんな彼に対して謎女は優しく微笑んで。
「自己紹介は後にしましょうか。目覚めないうちに移動したほうが良きと出ています。あくまで仮説で俗説だったので確証なんて無かった応急処置ですから。こういう相手には楽観論で行動するのではなく、悲観論で動きましょう。さぁ、こっちへ」
水を含んだ前髪をかきあげて、振り返り歩き始める。数歩進んでは少しだけ振り返り小さな笑みを浮かべて害意がないと示すと先導し始めた。彼は慌てて立ち上がり、その背を追う。私も二人に置いてかれぬよう移動する。
横たわる魚群を放置して。わけもわからぬ魚を放っておいて。
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近場の公園までやってきた私達。先導していた女が最初にしたのは彼の治療からだった。
いつの間にか持っていたペットボトルの中から彼の傷口を洗い流していた。
『ッぅううう!?』
小さくない声が響く。痛みで傷口を押さえている比企谷くん。たかだか水で洗い流しただけで大袈裟すぎでしょ。それでも男の子なの? だっさぁ。
「ねーねー。お姉さん、そんなやつのことよりも私の方を治療してよ。ほら、指からこんなに血が出てる、こんなに怪我してるんだよ? 可哀想……」
水の後に手に持っていた巾着から軟膏を取り出した女性。それを私に向けてくるかと思えば引き続き、比企谷くんの腕へ塗っていた。
「いや、だからそんな奴よりも――」
「一応、これで応急処置をしました。少し痛かったかもしれませんが……どうですか? 効いているといいのだけれど」
め、めっちゃ無視される……。いやいやこっちは大怪我してるんですけど!
「だぁかぁらっ! 私っ! 大怪我!」
「貴方は幽霊でしょうに……それに見た目からしてみて彼と違いそこまでの怪我を負っているようには見えませんが」
こ、こいつ目が節穴かよ! 私の指に二箇所も歯型があって血が出てるし、足首付近には四箇所も噛まれている!
『……痛みが引いていく』
「効いてよかったです。あぁいう霊障に対して効能があるかは半信半疑だったのですが」
「えっ、実験体にされてたのかよ。でも効果あったってことは塗ってよ、私に!」
「お断りします。こう見えても貴重な代物ですので。幽霊に使うなんて勿体ない」
そういって再び、軟膏とペットボトルは巾着袋の中に。
あー、なるほど。そうかそういうことね。はぁー、そういうことかぁ。
このどブスが!
きっと可愛い私に嫉妬してるんだね。あー理解理解。完全に理解できちゃったね。確かにこの女の顔面偏差値は中の下。そこにいる男の子とどっこいくらい。
一応、助けてくれた? という形になるけど、その善行ポイントも今全部を放出した。むしろマイナス。
自らの嫉妬により積んだ徳を無意味に帰した女のつま先から頭まで眺める。デカ女で貧しい乳。大女とも呼べる。その巨躯から伸びる髪の毛は腰元まで。顔は芋っぽく、そばかすがちらほら。大人の女のくせにメイクの一つもしてないすっぴんは年齢を弁えろと苦言を呈したくなるところ。総合して田舎臭い芋女という結論。
そんな田舎女がこの私を蔑ろにしていいわけあるの? いやない。けれどもそんな女は私に対して呆れたような視線を送ってきている。許されないでしょ、これ。
「貴女が大怪我なら彼をどう表現すれば? それにしても我慢強いですね、君。本来なら塩水で傷口を洗い流した時に絶叫や恨み言の一つや二つくらいは覚悟していたのですが」
『し、塩水……』
「えぇ、正確には塩と酒を混ぜ合わせたものなんですが。効いてよかったです」
そう言って女は彼に微笑む。ポケぇと比企谷くんはデカ女に見とれていた。は? なんだ、その表情。
『あ、あの、ありがとうございます』
軟膏を手ずから塗り塗りっとしてもらった比企谷くんは顔を真っ赤にしながら御礼を言っていた。なんだ、こいつチョロすぎでしょ! すっごい癪に障る。むかつくむかつくむかつく!
美人な私が蔑ろにされている状況もそうだけど、私はぞんざいに扱うくせにこんな芋臭い女に顔を真っ赤にしている彼に一番腹が立つ。
どう見ても、どう考えても私のほうが圧倒的美少女なんですけど!
「ねぇねぇねぇ比企谷くん! 何顔を真っ赤にしてんだよ! まさかこの女に惚れでもしたの! 待ってよ、こんな近くに美少女がいるのに、そんなことってあるぅ!?」
彼は私の顔を見上げた後にげんなりとした様子で溜息を吐いた。
『そんなんじゃねぇよ、それにお前の顔、今酷いぞ』
「はあ!? 私の顔のどこが酷いっていうのさ! パチクリ可愛いお目々に、バランスの取れた目鼻立ち、綺麗な桜色の唇! もう顔だけで最強な私の顔に何の文句があるのさ!」
『血だらけなんだが……怖ぇわ』
指摘されて傍と気づく。そういえばさっき涙と鼻水を拭くために袖で顔をごしごししちゃったっけ……。というか、私の血って顔につくんだ、それに出るんだ。
というか何だよあの魚。どうにかして顔を洗おうと思うものの、私は水には触れられないし、代わりになるものも存在しない。
「ど、どどど、どうしよう! どうすればいいの!? 私の美貌がちょっとホラーちっくな美少女になっちゃった! お姉さん、どうすればいいの?」
唯一、この状況を何とか出来そうな人物に解決方法を尋ねる。この場で唯一の男の子が小さく『めっちゃ余裕あんな、こいつ……』と呟いていたが、余裕なんてあるわけがない。
「いや、私は知らないですが」
短い言葉で塩対応。このドブスはどうでもいいとばかりに此方をみていた。おい、ふざけんなよ、お前。お前みたいなブスが私を格下に見るのは鼻持ちならないし、雑に扱うなんて絶対に許されない。
「お互いに自己紹介しましょうか。申し遅れました、私は金野と言います。貴方は?」
貧乳の前で柏手を一打ち。欠片もこっちを注目せずに芋女はそんな提案をした後、自分の名前を告げる。
『あ、そ、その、比企谷八みゃんです!』
おいおいおいおい、狙ってやってんのかよ。いつからそんな可愛い名前になったよ、君。
「はちみゃんくんですか」
『待って……待ってください、その噛んだだけです。八幡、八幡様の八幡です』
顔を真っ赤にして否定する比企谷くん。くっそ、こいつらムカつくなぁ。なんでこいつはデレデレしてんだよ。ムカつく。マジで殺すぞ。呪い殺すぞ。呪いが出来るようになったら真っ先に呪ってやるんだからな。
『なるほど、八幡くんですか。ふむ』
名乗りを聞いた大女は何かに納得がいくかのように考え込んで、何かを思いついたのか顔をパァッと明るくした後に胸の前でまた柏手を打つ。
「如何にも怪現象に襲われそうな名前ですね!」
ニッコニコと笑顔のまま凄いセリフを言った。流石にデレデレしていた男子高校生もこの笑顔と台詞には絶句。一瞬、パクパクと口を金魚のように動かしては、発す筈の言葉を飲み込み、ゆっくりと選びながら言葉を紡ぎ始める。
『えっ? 俺の名前、そんなに怪現象に遭いそうなんですか? えっ、マジで……』
思いの外、ショックが大きいらしく片手で頭を抱えている。
「えぇ、中々に凄い名前ですね。ここまで怪現象に遭遇しそうなお名前は中々お目にかかれないと思いますね。私は評価しますよ。人の身でありながら八百万の依代という意味合い。引受先、引受人。これだけの条件が合えばそりゃあ怪異にも出遭いますよね」
ウンウンと何度も頷いては楽しそうに喋る女と対照的に顔が渋くなる比企谷くん。
『あの八幡って八幡神から取られてつけられたんですけど……』
「ほう! 八幡神! 八幡とは一般的な神道において応神天皇の神霊というのが普通の認識ですが、八幡神となると少しだけ話が変わります。八幡神とはどの神を指すのかと問われた時に簡単に答えられる人は少ないでしょう」
大女の言葉に比企谷くんは深く頷く。どうやら彼もこの話を知っていたようだ。
「八幡三神、主座に応神天皇、左右に二座を配して三神のことを指します。この左右二座に関しては諸説あり、認識も様々で偏に八幡神は一柱で数えることは難しいといえるでしょう。まぁ、今回の焦点はそこではないのです。人の身で神の名を騙るなど出来る筈もないのですから、ましてや神を名乗るのは傲慢ですらあるのですから、神以外の意味を捉えなければなりません」
『べ、別に俺は神を名乗るなんて大袈裟な。そ、そんなこと一度も本気で思っちゃいないですけど』
仰々しい話に比企谷くんは恐る恐るとあかりに手をあげて反論する。
「勿論、大抵の人間はそうです。そして君もそうだったのでしょう。けれども君が思わずとも君以外がどう捉えるのかが重要なのです。運がいいのか、悪いのか。こればかりは判断し辛いのですが……神ではない八幡という言葉を紐解いていきましょう。八幡神の語源である八幡――ヤハタ。その意味を解いた時に君は怪異に対して縁が深いどころか、出遭って当然とも言える名前をもっていることに気づく筈です」
八幡くんは小さく呻く。自分が置かれている現状が信じられないとばかりに。ついでに私は飽き始めている、この話いつ終わるのかなと。
「ヤハタ。そもそもハチマンとはヤハタが音読みへと転化した形なのです。なればこそ、元来の意味を探りましょう。ヤハタの八とは数字の八を意味しています。日本において末広がりの八という数字は大きい、多いことを意味しています。次に幡とは旗であり、旗とは依代」
完全に飽き始めた私は、ぼーっと公園を見回す。そんな私の様子など二人は気にも留めずに話続ける。特に女は何が楽しいのか、拾ってきた棒で彼の名前を地面に書き図解を描き始めていた。彼も彼で真剣に聞き入っている。
陰キャ同士のオカルト談義なんて凄く退屈なんですけど……これ、私も付き合わないといけないわけ? こういう知識を嬉々として語り始めている女って絶対にやばいよね。友達は少ないどころか多分いない。私にはわかるね。きっと高校時代はクラスの隅っこで呪いとか書きながら昼休みを過ごしていたタイプでしょ。気持ち悪ぅ……。
「数多くの依代。もしもこれが八幡という名前の意味とするのならば、怪現象や怪異、霊や妖怪に出逢い易いなんて噺ではあいません。むしろ君は惹きつける。君は怪異に巻き込まれる、この世界を仲介させるために名付けられたといっても過言ではないですね」
『す、すいません、多分、そんな深い意味絶対にないです……多分誕生日とかその辺からテキトーにつけたと思うんですけど』
「ふふっ、そうなんですか。それでも君の名前は意味を持ってしまった。それが重要なんですよ。君の名前が意味を持つ切っ掛けが遭ってしまった。そうすることで君の名が働いた。勿論、聞くまでもないのですが、あなたは最近怪現象に巻き込まれた経験がありますね? まぁ、そこの幽霊に憑かれている現状を見れば絶賛、巻き込まれている最中とも言えるのですが」
大女が失礼なことに棒で私を指してくる。
『あ、はい……そのそいつはオマケみたいなもんで。ちょっと入院していた病院で色々とありまして』
「なるほど。今回の出来事も大きく言えばその出来事からの続きなのでしょう。そこの幽霊も然りで。例え不吉を惹き付ける名前を持っていたとしても。怪異に関わらなければ、近づかなければ人は一人でも生きていけるものです。ですが一度でも出遭ってしまったのなら、貴方の場合は特に別でしょう。ましてや、幽霊を引き憑れていれば巡り合って、巻き込まれてしまうのは極めて自然なこととも言えます」
大女は原因の一つが私にあるとばかりにさしてきた。
「ちょ、ちょっとまってよ!」
急に私が悪いみたいな結論になっているのは異議がある。なんかよくわかんない噺だったけど人のせいにするのはよくない!
「比企谷くん! そこのブスの話を信じるわけじゃないだろうね! 私、悪い幽霊じゃないよ! 悪さできないし、むしろ何も出来ない幽霊だよ! 安全で安心な唯の美少女!」
私の訴えなど大女は聞きもせずに彼に再び問いかける。
「どうでしょう、比企谷八幡くん。わたしに任せて貰えれば、彼女を祓うことが出来る伝手があるのですが」
その言葉に彼は顎に手をあてて考え込んでしまう。考える時間が私に恐怖を募らせる。
「え……え? マジで悩んでるの……? やめろよ! やめてください! うああああー! しにたくないぃぃぃぃいぃ!」
「……いや、死んでるでしょう、貴女」
涙をボロボロにこぼしながら殺さないでぇと比企谷くんにお願いする。必死に生きることの大切さを表現してみる。大女の冷血な提案を叩き潰すたあめに頭を働かせるものの何も思いつかない。死にたくないよぉ。
そして彼は結論づけたのか、此方を一度見てから再び大女の方向へ向き直る。嫌だぁぁ!
『まぁ、それは今は大丈夫です……。それと色々とこいつがすいません……』
てっきり受け入れると思っていた。けれども彼は芋女の提案を蹴った。そして断った理由を察してしまう。なるほど! そういうことか!
『なに? 君、私のこと好きなわけ……? いや、率直に言って困るというかキモいっていうか。まぁ祓わないでくれたことには感謝してあげるけど、君と私じゃ釣り合わないことを覚えておいてね? ほんと弁えててね? 少しは感謝してあげるけど、勘違いしないでね? や、これ、ほんとに』
スススっと少し距離をとって彼の下心に忠告しておく。ほんとこいつ身の程弁えてよね。
私の言葉をうけた彼は逆恨みなのか此方を冷ややかな視線で見てくる。なんだよ、こいつ、恋愛下手糞か。私のことが好きならそういう態度は減点だゾ。それともやっぱり釣り合わないから悟られぬように忍んでいるわけ? まぁ、それには感心感心。私と君が釣り合うわけないって考え方は謙虚でいいぞ。そのまま慎ましく生きろよ、お前。つつましみ。
『……あの、そういう体質ってどうにか出来ますか? あの名前を変える以外の方法で』
再び大女に向けて話しかける比企谷くん。はぁ、女に泣きつくなんてダサダサだよね。という感想を抱きながら私にも多少関係のある話なので耳を傾ける。
「すいません、特に思いつくことはありませんね。でも名前を変えるというのはいい手かと。比企谷くんは賢いですねぇ」
おっとりとした様子で大女はパチパチと手をたたく。はぁー、つっかえ……この女、本当に使えませんわ。
「体質をどうこうすることは思いつきませんが、予防策として怪異に近づかない……正確に言えば悪意の、悪い気が集まる場所には近寄らないといった行動が必要ですね。今の君は先日事件に遭遇したばかりで、幽霊を引き憑れて歩き、名前は特殊である。そんな条件下である以上、警戒するに越したことはありません」
言葉を重ねるごとに襲われて当然とばかりの内容に彼の表情は見る見ると青褪めていく。
「ある意味、怪現象と遭遇するバランスが非常に整っているとも言えますね。一本の柱だけだと目印で、二本の柱ならば鳥居で入り口、三つも理由があるのならそれは居場所になる。せめて二本を外したいところですね。最低でも一本を、二本ならば入り口を作れど社を作ることはできませんから」
一人で納得するかのようにブツブツと呟く大女。比企谷くんはそれを一つたりとも聞き逃さないように耳を傾けていた。
しかしほんとアレだよね。こういう奴らってアレだよ、自分が分かっているからとばかりに話を進めがちなんだよね。相手も判るはずって自己中心的な考え。ほんと自己中な奴らだ。私なんか八神さまとやらの件から全然ついていけてないのに、ほんとつまんないや。私に判るように話をしろよな。
「そう、ですね……そう。では私が思いつく対処法なのですが怪異について編纂編集をするというのは如何でしょうか? 遭遇した存在を紙に移すといった形から初めるというのは」
『紙に……写す?』
オウム返しのように間抜けな顔のまま言葉を返している。うーん興味ないなぁ。なんか面白いことないかなぁ。
「えぇ。儀礼的な意味合いで一枚の用紙に怪異のことを記します。噺として、終わらせるのです。遭遇した存在を、怪現象を出会いから解決まで全て記しましょう。正確に。そうすることで――過去の噺として終わらせる、水に流す」
「そんなことで……いいんですか?」
あっさりとした解決方法に驚く比企谷くんが溢した言葉、そんな言葉に対して大女はくすくすと小さく笑う。彼は笑われている理由にとんと検討がつかず見る見るうちに小さくなる。
なーんかつまんない。おもしろくないー。
そもそも君さ、私に対する態度と違いすぎない? なんでその女に敬意払ってるっぽくて、私には払わないわけ? これじゃあ私が小物みたいじゃん。
「ごめんなさい、馬鹿にしているわけではなくて。その、なんというか、可愛らしなぁ、と思って、ふふっ」
『か、かわっ!?』
大女の言葉に大きくリアクションを取った後に、頬を真っ赤にしていた。その光景を見ながら思う。
はぁぁぁぁぁ?
ペッペッと地面に唾を吐き捨てる。なんで私がお前らのラブコメもどきを眺めなきゃいけないんですかね。不快も不快で大不快。そもそもがそこの男子高校生! 君は私相手に照れたことが何度あるよ。普通の男子みたいに照れて驚くみたいなリアクションを今してんじゃねーよ! カス! 不細工! 八幡!
「勿論、必ずしも正しい方法という確証があるわけではありません。私とてスペシャリストというわけではありませんからね。ですが騙されたと思ってやってみて効果があればお得じゃないですか? 古来よりも紙というものには力が宿り、霊能力者が力を振るえばそれは霊符となり、呪符となり、護符になる。勿論、貴方に霊力がどの程度あるのかなんてわかりません。けれど霊視が可能なレベルの力はある。貴方の書いた代物が他人を守れるほどの効力があるのかまでは少し自信ないですけれど。けれども自分の問題を片付けるくらいならきっとできますよ」
『自分の問題……』
ポツリと呟く言葉に比企谷くんは黙り込む。対する私は胡散臭さを大女から感じていた。
なんだよ、こいつ。いきなり親切すぎるなんて怪しいことこの上ないね。私みたいな美少女に優しくするのは分かる。だってそれが人類の仕事だから。でも私じゃなくこの男の子に優しくする意味がわかんない。だからデレデレとしている情けない男に慈悲の心で忠告してあげるとしよう。
「ねぇねぇ、この女怪しくない? モテない女が男子高校生を誑かす。こんなの完全に事件の臭いがするんですけど」
「祓いますよ」
「ひ、ひぃぃぃぇぇぇぇぇっ」
私は彼の背後へ。盾にするかのように隠れる。
大女はそれ以上、私に興味はないとばかりに視線を比企谷くんに戻していた。なんだよ、こいつ、気に食わない。この女が本能的に気に食わない。そもそもこんな私よりも冴えない男子高校生に優しくしているのもそうだし、なんかいきなり出てきて親切にするのもそう、理解者とばかりに彼に近づいているのもそう。こんなの怪しい以外何者でもないじゃないか。君も君でなんでぺこぺこと謝るかな。何も悪いことなんて言ってないのに。
『ほんっと、さっきから失礼ですいません。あの、こいつ無視していいですから。雑魚幽霊で何も出来ないんで。こんな奴よりもさっきの話の続きを聞かせて貰えませんか? 紙に書くってどんな感じがいいんでしょうか』
は? いま、このクソ男子はなんて言った? せっかくお前の心配してあげてんのに! 何勝手に話を勧めてるの! 納得いかないし! なんで私よりもこの大女に媚びうってんだ!
色々と言いたいことはあるけど我慢する。今は口を挟まない、あくまで今は。あの大女が居なくなったら覚えてろよぉ。
「紙、そうですね形態というなら……先程も口にしたように編纂、編集という形の図解がお勧めですね。具体的な詳細を、絵も一緒にあったら素敵です。あなたの中の不安、恐怖、畏れを――未知を既知に書き代えることが重要だと考えますね。そして書き記すということは出遭った顛末、結果。故に過去のこととしての折り合いをつけることができると私は考えます」
『書き写して、編纂、編集する……あの、その書き終えたものはどうした方がいいですか? たとえば燃やした方がいいとか』
二人の話はとんとんとんとんと進み、まるでこっちを気にしていないかのよう。退屈すぎる、私はとうとう寝そべり空を見上げては雲を眺める……暇ぁ。
「燃やす……うーん、どうでしょう。炎は浄化を意味することもありますが一例では蘇り、再燃という側面もあります。下手に燃やして問題を再び繰り返す可能性がありますね。個人的には編纂、編集したものを人目につかない所に隠すことをおすすめします。君自身が過去のこととしたならば、問題が再び起こらないように誰の目にも入らぬよう身近に隠しておく、そういったことがいいかもしれませんね。勿論、相応の儀式や儀礼を以ってしてみれば燃やすという方法もありなのでしょうが、そこらへんになると時間もお金もかかりそうです。勿論、君にそういう伝手があるのならそちらをおススメしますが」
『……ないです。その、ありがとうございます』
「いえいえ、こちらも中途半端な提案でごめんなさい。もっと力になれたらいいのだけれど……」
二人があーだこーだ喋ってる場所から少し離れた場所にある自販機の前へ。病院のラインナップどころか自販機そのものが違うので物珍しさに少し興奮してしまう。
「ふぅむ……カロリーゼロとかいう飲み物あるんだぁ。私のような完璧な美少女には縁の無い言葉だよねぇ。世の中のカロリーを気にして生きなきゃいけない全女性を可哀想だと思うよ。ほんと、かわいそー」
興味深い赤色の自販機から少しだけ視線を逸らす――居た。
なんか居た! プルプルプルと腰を曲げて杖をついたお爺ちゃん。完全に半透明で足が無い。そしてそのお爺ちゃんがギョロリと。目と目が合う。これって――。
「ぎ、ぎぃゃあっ! で、出た! お化けッ!」
慌てて二人のところに戻る。なんかお互いに笑い合って楽しげに談笑しているのが凄いむかつく! こっちは変なジジイの幽霊と目があったというのに。こんなに私が怖い目にあっているのに楽しそうにしてんじゃない!
「お、おば、お化け出た! なんかジジイのお化け!」
私は慌てて自販機の方向を指差す。そして指の先にはしっかりとジジイの霊が居た。あろうことか、そのジジイは親しげにこっちへ手を振ってきた。振ってくんな!
『はぁ? 何、言ってんの。むしろお化けはお前だろ……』
「そ、そうだけどさ、そうだけどさぁ! でも見てよ、あそこ! ジジイの霊がいるよ! ジジイ! 怖い!」
「……確かに居ますね」
私の指さした方向を二人が見る。そして大女はあっさりとジジイを認識して呟いた。けれども比企谷くんはごしごしと何度も目をこすっては自販機の方向を凝視している。
『え……俺には何も見えないんですけど……』
「は? 君は何のためにそんな微妙な目つきしてると思っているの? お化け見るためでしょ! さぼらないでよね」
『誰もそんな仕事引き受けてねぇよ』
唯一と言っても差し支えない才能を指摘してやると生意気にも反論してきた。
「……ふむ、どうやら君の両目は何でも見れるというわけではなさそうですね。興味深いです。さて。比企谷八幡くん、本題に入りましょうか」
『本題……?』
「えぇ。君と御話するのが楽しくて少しばかり脱線しましたけれど、先程の怪異、怪現象の御話です。編纂や編集するのにも必要だと思いますからね」
『……あっ』
間抜け面を浮かべていた。さっきまで両手両足を噛まれて大怪我していたにも関わらず随分と暢気な男だこと。こっちは未だに魚の歯型がつきっぱなしでじくじくと痛いのに。
「ねーねー、ブス……じゃなくてお姉さん。私の怪我も治してよー、私の怪我も!」
自分の腕と足を出して主張する。ほら、見てよ、こんなに綺麗な白い肌が血だらけなんだよ? 可哀想でしょ。
しかしながら目の前の大女は下らないとばかりに冷たい視線を此方に投げ寄越す。なんだよ、こいつ。
「どうやって?」
「え、そりゃあお姉さんの不思議パワーとか。さっきの軟膏とかで」
「触れられないし、できないし、持っていないし、やる気もおきません」
あっさりと答える大女。な、な、なんだァ! こいつ! 比企谷くんと私に対して温度差ありすぎでしょ! こいつ同性に優しく出来ないタイプの女かよ! 器ちっさ! かぁーっ、嫌な女だね!
「比企谷くん、こいつ役に立たないよ。さっさと髪を切りにいこう。はぁー、無駄な時間を使っちゃったなぁ」
『ほんとすいません、こいつがすいません』
ベンチの上で何度もぺこぺこと謝っている。ちょっと私が問題児みたいな扱いやめてよね。私は何も問題起こしてないのに。完全に冤罪。
「いえ、君が謝ることではありませんよ。悪霊ですから仕方ありませんもの。では先程の怪現象の話を始めましょうか」
なんかさっきからこの女、私に対してカチンカチンさせるかのような物言いするよね。やっぱ私が可愛いから嫉妬してるんだろうか。はぁー、可哀想、私って美少女だからなぁー、同性から恨まれるのは仕方ないもんなぁ。
「空か魚が降ってくる。君はこの都市伝説を知っていますか?」
『……いえ』
私の返事なんて聞いてないだろうから反応しない。けれども私にも関係があった話なので聞き耳を立てる。
「ファフロツキーズ現象とも呼ばれるこの現象はアメリカの超科学研究をしている方が名付け親となっています。正式な名前は――Falls From The Skies. 直訳すると空から落下物。つまりは本来ならその場にある筈のないものが空から降ってくる現象の総称をファフロツキーズ現象と呼びます」
空からの落下物。確かにあの水の後に魚が落ちてきた。魚好きなら嬉しいかもしれないけれど、魚とか好きじゃないので全然嬉しくない。
「この現象の中には幾つもの説ががあります。一つの説としてあるのが錯覚説。とある街を蛙が大量に発生し横切ったことから地面に居る蛙たちが降ってきたと錯覚したという御話。そして他の説の中には魚が降ってきたという話もあります。本来ならば地面に落ちている筈もない魚があったから空から魚が降ってきたのだろうと誤認するといった御話なのです。故に今回の御話を語るとするのならそれなんでしょう、空から魚が降ってくるというのは君の体験に合致するのではありませんか?」
「……確かに!」
言われてみればなんとなくそんな感じがする。しかし比企谷くんは小首をかしげながら何かを考えていた。しかしながら数秒後に何かに折り合いがついたのか考えていたことを口にすることは無かった。
「信じられる下地があれば怪異は形とあり、なりを、形態を顕し御成りになるんです。あなたは間が悪く、運が悪く、それでいて資質を抱えていたのでしょう。遭遇した怪異、魚たちへの対処方は――解決方法はあなた方が見ていた通り。石を落としただけです。いいえ、落とすというよりかは打つ、水面ではなく地を。水を泳ぐのではなく地を這う魚たちなのですから石で地を叩いてあげれば効き目はあります。古来より伝わる石打漁の如く」
なるほど、だからこの女は地面を石に投げていたのか。
「今回の怪異はそれで解決したといったところでしょうか。貴重な体験でした」
話を聞き終えた彼は何か思いついたらしく凄く落ち着かない様子で目をきょろきょろと動かしていた。そして頭を下げて――。
『わ、わかりました。そ、そのありがとうございました』
「いいえ、構いませんよ」
『そ、その俺に何か払えるもの、出来ることってありませんか……? そのお世話になりっぱなしっていうのは』
うじうじと、キョロキョロと。落ち着きの無い様はまるで憧れの女性を目の前にしたかのよう。殊勝な態度はちっとも面白くない。こんな女に惹かれる要素もなければ、チョロすぎでしょとか思う。そもそも私相手に一度だってそういうこと言ってきたことがない。俺にこんな美少女が憑くなんて幸運のあまりに申し訳ないという一言すらない。膨らむ頬で怒ってますとアピールしても決して此方を向かない。ムカつくなぁ!
「……では一つだけお願いごとをしてもよろしいでしょうか」
そう大女が呟いた瞬間に比企谷くんはピーンと背筋を伸ばす。いや、ほんとこの女のどこに惚れる要素があるわけぇ? 顔は大したことないし、私が美人だし。性格は根暗だし、私は可愛いし。
「この手紙を届けて貰えませんか? 出来うるなら手渡しで」
女が巾着から取り出したのは一つの便箋だった。白い便箋には宛名も書かれてなく、裏には差出人の名前すらない。
「あぁ、ごめんなさい……少し待っててね」
そう言って女は巾着から小さな紙を一枚取り出して、筆ペンでさらさらと住所を書き記す。
「ごめんなさい。うっかりしていました。住所はこれに。渡すだけで構いません、お願いできますか?」
女の問いに壊れたラジオのように頷く比企谷くん。だからお前、本当にいい加減しとけっつーの! そこまで顔を赤くするほどの美人じゃないでしょ。
「それと――これは出来うるならでいいのですが魚には毒をもつ存在もいます。出来ることなら帰ったら、君はお清めすることをおススメします。一応、わたしの塗った軟膏や塩水でもいいのですがもっと効果の高い、あら塩、酒、酢を入れた湯船に身体を浸けるのが良いかと。最後は冷や水で身体を打ってください。そうするだけでも傷跡や霊痕、霊性による毒性は消えると思いますので」
「あ、ありがとうございます」
なんか今、一瞬毒とか聞こえなかった? 比企谷くんはそれでいいんだろうけどさぁ、私はどうなるの? 未だにくっきり歯型あるし、血はにじんでるし、じくじく痛いし!
去っていく大女に私はやけくそ気味に尋ねる。
「私はどうするんですかっ!」
そして大女は初めて、初めて私に笑顔向けて言った。
「知りません。それじゃあ、比企谷くん。縁があったらまた遭いましょう」
最後の最後にそれだけ残して去って行った。私は恨めしげな視線を、彼はどこか憧れめいた視線でその女を見送った。
~~~~~~
結局、散髪にはいかずに商店街でお酒の購入を企む比企谷くん。あら塩と酢は問題なく買えたもののお酒だけが買えずにいくつもの店をさ迷う。結局、上手く買えずに家に戻ってがさごそとキッチンを漁って取り出したのはなんか高そうなお酒だった。立派な箱に入って中々に難しい漢字をあしらったお酒を盗み、脱衣所へ。
お風呂を掃除して、お湯を注ぎその様子を眺めながら半分くらい溜まったところへお酒を豪快にぶち込む。そして買ってきた塩も全部投入して、お酢も入れる。なんか変な感覚が鼻の中へ、これって匂いだ。多分、アルコールとか色々混じっちゃった臭い……。
「ねぇ、分量ってそんなにテキトーでよかったの?」
『……だって聞くの忘れてたし』
「間抜け」
私の罵倒にそっと目を逸らす彼。雑すぎる準備にあきれ果ててしまう。準備の仕方も雑であれば手順なんてものもテキトーで。空っぽになった酒瓶を見て私はふと思う。
「ねぇー、それ怒られないの? 高そうなお酒に見えるんだけど」
『高い酒なんて家にあるわけねぇだろ、多分大丈夫だろ、ずっと使ってなかったやつみたいだし』
いや、それ取っておきとかいう奴じゃないの……?
私もお酒の詳しいことはわからないけど少なくとも使ってないから大丈夫な奴って発想は安直すぎない?
こいつ意外と確りしてそうに見えて結構雑なところある……そもそも考えてみればたかだか高校生だ。そりゃあ少しは頭がいいかもって思ったけど出遭ったばかりの大女に惚けるし、今回のことだってろくすっぽ準備せずにやるし。計画性も何もない男だ。絶対デートとかしてもプラン考えてこないタイプ。一緒にいても楽しくなさそう。とはいえ。
「ふーん、まぁ、いいや! 一番風呂もーらいっ!」
私が湯船に浸かれるかどうかわからないけれど、ほくほくと湯気を出す熱湯目掛けて突入――。
『あ、おまっ!』
「ひゃっはぁあ! いちばあ"ぁあ"ぁ"ぁぁ! いだ、いだだだいだいだいだぁい"ぃぃぃっ!」
湯船に飛び込んだ瞬間に触れた部分が焼けるような痛みを訴えてきた! こちとら物理攻撃が効かない筈なのに! そもそも水に触れられない筈なのに! なんか今日だけで痛い目見る事が多すぎる! 訴えてやる!
『ぶはっ、ひぃぃっ、ひひっ』
気持ち悪い声をあげながら腹を抱えてゲラゲラと笑い始める比企谷くん。私は湯船から飛び出して全身をぶるぶると震わせて水を弾く。まるでそれは水浴びをした犬のように。
『ふひっ、ば、馬鹿だっ、くふっ、くくっ、腹、痛ぇ、くふっ、ひひひっ』
未だに笑いが止まらないのかお風呂場の床タイルに膝をついて蹲ってお腹を抱えていた。
な、な、なんて奴だ! これだけの美少女が痛がっているというのに心配するどころか笑いものにしてやがる。ほんとこいつ性格が悪い!
「少しは心配しろよっ! 滅茶苦茶痛かったんだぞっ!」
なんかこころなしか肌からジュウジュウと音がした気がした。それもゆっくりと消えていって、いつの間にかジクジクと痛んでいた傷痕――噛まれた痕も綺麗に消えていた。
治ってる!? 凄い!
「ねぇねぇ! 見てみて! 美少女完全復活ッ!」
私は未だに蹲る比企谷くんに向けて足と手を見せる。蹲ったまま此方を見る比企谷くんは立ち上がり。
『……ふぅ、ふーっ、ふひっ。あー、笑った笑った。はぁ……今から風呂に入るからどっかいけよ』
目尻をこすりながら此方に命令してくる。その前にいう言葉があるでしょう! 何様だ、こいつぅ……
「はんっ! 君の貧相な身体なんて見たくないけど、どうして私がここをどかなきゃいけないのさ! もっと誠心誠意お願いするところからやり直してよね」
『お湯かけるぞ』
ひ、ヒィィっ!? な、なんてことを言うんだこの男……。あれだけ痛がっていた様子を見ておきながら同じ痛みを味合わせようなんて鬼畜陰険野郎だ……。なんたる外道、クソ野郎。
私は舌を出してあっかんべぇーとばかりにお風呂から飛び出る。脅しに屈したわけじゃないし。ほら私って大人だから。こういうので争うなんて子供っぽいことしないわけで。別にお湯にビビってるわけじゃないからね。全然、平気。あんなの我慢できるもん。
お風呂場から脱衣所へ、そこから廊下に出てリビングへ。
今、この家には彼の妹も母親も父親も不在。あと少しすれば妹ちゃんが中学校なるものから帰ってくるであろう時間帯。彼の妹ちゃんを思い出す。そして結論、似てない。
入院中に見舞いに来ていた女の子がそうなのだろう。少なくとも彼女という線は絶対に無い。こっそりと盗み見た、楽しそうに話していた二人の姿を見比べては驚いた記憶が蘇ってくる。
何度も言うが似てない。
少なくとも彼の妹ちゃんはまぁまぁ。私から見てまぁまぁなので世の中ではかなり可愛い方だと思う。まぁ、私に比べたらアオミドロみたいなものだけどね。アオミドロってなんだろ。
そんな彼女の部屋へ侵入し見渡す。小物やインテリアはどこか可愛いものを中心。ファッション誌や雑誌の類が乱雑に置かれていることから片付けは得意じゃないのかもしれない。けれども規則正しく並んでいる参考書みたいな代物を見れば勘違いかも……と思ったけれど、綺麗に並んでいる本の上には埃が溜まっていることを見ればこれ使ってないだけだ! という事実に気づく。
さて、次の部屋ー。
壁をすり抜けて隣の部屋を見れば――うわぁ。
呟いて一言。面白くなさそう。
綺麗に片付いてるのは評価対象だけれど物が少なすぎる。思い出の品を示すものも少なくて、机とベッドの上は彼の性格を示すような代物は一つも存在しない。
小さな本棚を覗いてみると漫画と小説が数冊。押入れの方向を除いてみれば薄暗い暗闇の中から見えたのは積んであるダンボール。あの中に思い出の品とかアルバムとかあるのかな。
けれども触れない私にはどうしようもない。結局のところ大したものが見つからず、リビングへ。
一般家庭よりも収入が多そうな家のリビングにはこれみよがしに存在を主張している存在がある。
それは壁一面の本棚。
大型の本棚は小さな図書館といったばりの蔵書数。両親が無類の本好きなのか、そのジャンルは実用書から娯楽小説まで様々であった。本、一つ一つの値段もそうだけどこの内装にどれくらいのお金がかかったのだろうか、意外と小金持ちだな、比企谷家。
だから部屋の本棚は少なかったのか。このリビングでごろごろしながら本でも読んでいればそりゃあ部屋に戻る必要ないよね。
……家族仲いいじゃん。
ふと、私はそんなことを思ってしまう。いつだったか。彼が入院中に自虐のように呟いたエピソード、家族間でのトラウマを聞いて私は虐待されてるもんだと思っていたけれども完全に拡大解釈で誇張表現の過大報告。
珍しくも電線に烏が集まっていて、数匹の集団を大袈裟に言って。まるで百羽居たとばかりに装飾盛り盛りで。
嘘つき。
小さく呟いて再び家探しへ。なーんか気に食わない。なんかムカつく。意地悪の一つや二つしてやりたい気分。
そんなことを思いながら入った部屋は――多分、彼の両親の寝室。少し前まで誰かが寝ていたのか布団にくっきりと跡が残っていた。そういえば彼の母親が病院に迎えに来たんだっけ。
ふぅんと色々と物色していると、ふとベッドの近くにある化粧台の上に箱があった。それをよくよく覗き込んで見ると――。
「こ、これは!」
ふんふんとパッケージを裏を見て内容物を確認。そしてニンマリと笑顔を浮かべてすぐさまお風呂場へ向かう。
ぷくく、これを聞いたらどんな顔するかな。
脱衣所から風呂場へ飛び込み、私は意気揚々と。
「比企谷くん、比企谷くん! お前の両親の寝室にぃぃぃぃぃ!? あっぶな! 何すんのさ! お湯かけないでよ! 今、私にかかるところだったぞ!」
突撃して此方を見上げた瞬間に有無をいわさずにお湯をかけてきやがった。なんたる無礼!
『なに? お前、痴女なわけ……? さっさと出てけよ』
ほんのりと濁った湯船の中で急所を隠しながらこっちを睨みつけてくる。
「はぁ? 別に君の貧相な身体に貧相なモノなんて興味ないんだけど……自意識過剰じゃない?」
自惚れも大概にしてよね。まったくやれやれだ。
『おまっ、俺のモノが貧相だってどうしてわかんだよ! 見たことねーだろ!』
「見ーなーくーてーも! わかりますゥ! そもそも使い道なんて無いだろうから貧相であろうがなかろうが関係ないじゃん。そうだね、貧相でなくても問題外だったね。ごーめーんーねー!」
変顔をしながら謝ってあげる。よほどイラッと来たらしく、隠していた手を外して、手指を組み、両親指を此方に向けてきた。あわわ! か、隠せよ、お前! 馬鹿っ!
『滅ッ!』
なんかどこかの漫画かアニメみたいな台詞を吐きながら――水を飛ばして来たァ!? 台詞だけは一丁前で鉄砲魚のごときお湯を――危ない、馬鹿め! 私はひゅるりと天井へ逃げて水を避ける。
「間抜け、あたるかっての! はーやだやだ、君って頭の回転が悪いよね。私がその程度避けられないとでも……お、おい、やめろよ、桶はずるいでしょ……このクソ短気、あっ! うそうそ! 冗談だから、こ、こ、こうして見ると君ってそこはかとなくいい身体してるよね」
私はその手に持ったものを下ろすかのように交渉する。ふっ、ここまで言えば流石に怒りも収まるだろう。私のような美少女に褒められれば誰だって嬉しいもの。
その証拠に比企谷くんは片手で大事な場所を隠しながら、風呂桶を片手に微笑む。
笑うってことは赦された……?
『死ね』
「も、もう死んでるってばあああああァァっ!」
振りかぶる瞬間が目に入り慌てて脱衣所へ逃げ帰る。クソぅ、彼の両親の部屋にスキンがあったことを教えてあげようと思ったのに。
〜〜〜〜〜〜
その日の夜。
彼の将来の夢が専業主夫だとか鏡を見たことが無い人間が抜かす戯言を全否定した夜の話。帰ってきたお母さんと妹ちゃんにお風呂場の惨状をこってりと説教されて凹んだ夜の噺で、空から魚が降ってきた夜の御話である。
深夜も深夜、彼の寝息が室内に響く時間帯。隣を除いても妹ちゃんも寝ていて、階下で両親がハッスルすることなく静かな夜の時間帯。
短針は頂点から六十度進んでいて。数時間前までは一方的に駄目だししていたけれど今は布団で寝ているせいか文句の言い甲斐が全くといっていいほど無い。そもそも一方的に会話を終わらせて布団の中で丸くなった男の子は幸せそうに寝ていることだろう。
私は寝ることなんて出来ないのに。
「暇だなー、それにしても馬鹿だよねー、塩風呂にお酒と塩とお酢を入れすぎて怒られるなんてバッカだよねぇ、バカバカ」
声をかけても反応はない。つまんない。
私はひゅりと窓枠へ腰掛けて月明かりを眺める。
「いいよねー、君たちは。寝ることが出来て。こっちは暇なんだぞぅ。外をお散歩することも出来ないし、夜勤の看護婦の後ろをついて回って暇を潰すこともできない。看護婦ごっこも出来ないって暇なんだぞぅ、そこんところわかってるのかよぉ」
寝入ってるであろう彼へと愚痴をこぼす。あんまり正面きって強く言えないのは、お風呂あがりに彼が除霊悪霊とパソコンで検索していたから。
……夢の話とか全否定しちゃったけど大丈夫だよね?
いや、でもあれは彼が悪かったし。こっちが完全に正論だったからセーフ! 問題ない問題ない。
とはいえいつもの調子でからかえばもしかしたらあの霧吹きがまた出てくるかも。
お風呂の水を霧吹きにつめ薄めていた。私が何かを言おうとすれば口を此方に向けてきて黙らせようとする。なんて奴だ。
一応、汚れは完全に取れたけどさ。
手の甲と足の指を見る。そこには一切の傷痕も血の跡も残っていなかった。お風呂場に突入した時に大部分は消えていたけれど、少しだけ残っていた跡は霧吹きの水で完全に消えた。
もしかしてそれを狙って? いやいや無い無い。そんな気が利く男の子なんかじゃあない。
「鏡でも見て自分の姿が映るのを待っていようかなぁ」
私が出来る暇つぶしの一つ。何時間か待てば数秒だけ映る。何かの条件があるのかわからないが、それでも私の美少女っぷりにうっとりできる素晴らしい暇つぶし。
「……暇だなぁ」
止まらない呟き。彼と喋っている時はほんの少し、本当に少し。本当に本当にちょびっとだけ。
楽しい。
も、勿論、彼も私みたいな美少女とおしゃべり出来ているのだから楽しいに決まっている。
病院に居る時はここまで暇なことはまぁまぁ少なかった……少しだけ嘘。看護婦ごっこもすぐに飽きたし、鏡でにらめっこも割と飽き飽きしている。
今、思えば彼に対して当たりは少しだけ強いかもしれない。だって退院する時に何の躊躇いもなかったし――なし! 今の無し。
今のは嘘。うそうそ。全然、寂しいとかじゃない。別にそういうのじゃなくて。ほら、顔見知りが居なくなるってこう色々とあるでしょう? だからそれが人によって寂しいと思うことなのかもしれないけれど。違う、そんな簡単な言葉じゃない。痛みすら帯びたこの感覚を寂しいだなんて一言で済ませてなんていいわけない。多分怒りとかそっちの方。きっとそう。
「君はもうちょっと私に構えよ。なんで他のことを優先するのかな、信じられない。こんなに可愛いのに。こんなに美少女なのに」
私が美少女なのは自覚している。私の特徴はそれだけ。持っているのは名前と可愛いってことだけ。
そういえばまだ会ってから一度も名前を呼んでもらってない。今日、というより昨日は一度も私を呼んでくれていない。
そ、そりゃあ少しくらいはワガママで口が悪いかもしれないけど。けどさ! こんだけ可愛い女の子のワガママや悪口は赦される範囲。むしろこんな私に罵って貰えるならご褒美だよ。
……しょうがないじゃん。こんな性格なんだし。
一人で自問自答をずっとしていると色々と思うところが出てくる。嫌い、こんな時間嫌い。私に自分を見つめ直す時間なんて必要ない。だって私は悪くないもん。
夜は嫌いだ。夜闇は嫌い。
一人だから、一人ぼっちだから。誰も私に話しかけてくれないから。誰も起きていないから。
「暇だなぁ……」
また再びこぼす。この言葉を何度呟いた時に夜は明けるのだろうか。彼は目を覚ますのだろうか――
――むくり。
そんなことを考えていたら唐突に比企谷くんが布団から這い出て起き上がった。急な動きに驚きの言葉すら出ず、窓枠に腰掛けたまま彼の動きを眺めていた。
てっきりトイレとかそこらへんかと思っていたら鞄を漁り始め。唐突な奇行に目をパチクリとするばかり。夢遊病患者の気質があるのだろうか。やべぇよ、こいつ……。
そんな感じでジトリと睨んでいると机の上にコトリと何かが置かれる。そのままカチャカチャと置いたものを弄っていると――音が聞こえた。
コミカルな音が幽かに響く。
それを確認すれば再び眠たそうに目をこすりながら、布団へ潜り込んでいた。
「……」
音源の正体はMP3プレイヤー。彼が病院で偶に使っていたものだと記憶している。電源が入れられて、生きている人間が聞くにはあまりにも心もとない。
机の上に伸びるイヤホン。ひゅるひゅると近づいて音源に耳をあてていればポップな音楽が聞こえた。
こんなの……。こんなことで。
もっと色々とあるんじゃないか、とか。色々とできるんじゃないかとか。憎まれ口を叩こうと彼の背中を睨むものの、月明かりで見える後頭部は此方の言葉を一切受け付けないとばかり。
「……べ、別に感謝なんかしないし。君が私に優しくするのは、あ、当たり前だよ、わ、私、美少女だし!」
こんな言葉を投げるつもりじゃなかった。素直に出てこない言葉がもどかしく。別にこんなことで君を好きになったりなんかしない。霧吹きで意地悪されたことも絶対に忘れない。そもそもこんな美少女をさしおいて芋っぽい大女にデレデレしていた今日の君を忘れてやったりなんかしない。
私は彼と背中に合わせにして机に突っ伏す。万が一にも今の顔を見られたくなくて。月明かりにすら盗み見されるのが嫌で。
目を閉じて自然と耳に入ってくる音楽はやはりセンスがなくて。少なくとも美少女や女の子が聞くにしては微妙な選曲で。不満ばっかりある代物であるけれども。
――いつの間にか日が昇る。あの言葉を一度も呟かずにまた、朝が来た。
※次回は四月一日に投稿を予定しています。