足山九音が幽霊なのは間違っている。 作:仔羊肉
とある日のことである。
由比ヶ浜が奉仕部に入り浸るようになり、それなりの時間が経った日のこと。
普段なら奉仕部の中には雪ノ下が居て、俺と由比ヶ浜のどちらかが次に部屋へ辿り着く。由比ヶ浜は教室内で声がかけられることが多いので、まっすぐ特別棟へ向かう俺の方が二番乗りになるのは自明の理。しかしながら職員室に呼ばれることもあるのでその戦績はフィフティーフィフティー。むしろちょっと負けてそう。職員室に呼ばれ過ぎでは?
本日も職員室に無事に呼ばれて少しばかりの苦言を頂き奉仕部へ。今日も黒星か、と思っていたのだが――ゴールテープは切られていない。むしろ一番乗りすら入ってなさそう。
ゴールの手前、奉仕部の扉の前。二人は固まって部室の中を伺っていた。部屋の主である雪ノ下雪乃は共に由比ヶ浜結衣をひきつれて。見てくれは最高に美少女然としているのにやっている行動は完全に不審者のそれ。
雪ノ下雪乃。ストーカーに襲われるほどに、ストーカーになるほどの思いを産み出させた美しき少女。怪現象のアレコレを経て好意を直接的に伝えられて……伝えられたか?
まぁ、とりあえず怪現象のアレコレにおいてちょっと影響を受けているらしい女の子。勿論、怪現象のアレコレであるのでその好意を素直に受け取る気持ちはない。むしろ受け取れない。
少なくとも首を締めて自分で独占しようするような思いを俺は受け入れられるわけがない。そんな化け物からの影響である。甘く見て良い訳あるまい。
そして由比ヶ浜結衣。ふとしたお呪いによる呪い返しにより俺と仲良くなりたいと人前で公言した女子生徒。朝の人通りが少ない自転車置場とはいえ堂々と何でもないかのように言われては警戒せずには居られない。
美少女二人とそれなりに距離の近い日常を過ごしている俺である。中学生時代の自分が見れば何をやれやれ系気取ってんだ、と文句の一つ以上は言うことだろう。実情を知らなければ、怪異なんてさえ見えなければ。
怪異を甘く見て痛い目ばかり見ている俺からしてみればふざけんなと叫びたい。可愛い女の子と仲良くなるためなら命の一つや二つは賭けれるという人種も世の中には居るだろう。けれども俺はそうじゃない。それに一回や二回で済んでない。
俺が求めているのはきゃっきゃうふふと楽しいラブコメなんかではなくただ植物のように平穏で安全な日常なのだ。それがかなり無理目の願いとはわかりつつも。
そんな現在進行系で悩みのタネとなっている少女二人は不審極まりない行動を取っていた。
『何してるんだろ、アレ』
背中に張り憑く女幽霊の疑問は俺と同じもの。少なくとも室内を盗み見る二人は傍から見れば完全に不審人物。
「……何やってんの、お前ら」
そんな二人に声をかけた。肩が跳ね上がるように驚き、此方を恨みがましそうに見てくる。
「きゅ、急に話しかけないで貰えるかしら……びっくりするじゃない」
無様を晒したせいかいつもはクール然を装っている少女が不機嫌とばかりに目を細めている。その表情は我が家で買っている猫に酷似していて、九音が呼ぶ雌犬という言葉に疑問視が浮かび、どちらかと言えば猫のようだよなと益体も関係も無い考えが浮かんだ。
「……悪かったよ、それで何してんの?」
改めて尋ねると由比ヶ浜がもう一度室内を覗き見て、そして中を確認した後にしっかりと言った。
「部室に不審者がいんの」
「不審人物はお前らだっての」
彼女の訴えに対して客観的に見た場合にどう思うかを答えた。どうやらそれが少し気に障ったようでぷくりと頬を膨らませている。
『なんか、あるかもだし、私が見てこようか?』
九音の提案に少し考えてから頷く。万に一つの可能性よりかはよっぽど縁が深い怪異絡みの可能性を鑑みて。もしも足山九音がどうこうなるような相手だったら俺ごときじゃどうしようもないのだから。
『にひひ、んじゃ、ちょっと待っててね』
何がおかしいのか面倒事や危険を押し付けただけなのに嬉しそうに笑う。こいつのツボも地雷も相変わらずわかんねぇ。
そんな理解不能な笑みを浮かべた顔だけ壁に埋めて――すぐさま戻す。笑みは完全に真顔に。変面のような技術であった。そしてすぐさま面倒臭そうな表情を浮かべていた。
『あー、大丈夫……ソッチ関係じゃないよぉ……でも、不審者』
いや、ソッチ関係じゃない不審者の方が怖いんだが。とはいえ、九音の反応が怖いではなく面倒といった感じから危険は無いと判断して扉を引く。
開いた瞬間に潮風が突風のように吹いた。
海沿いにある総武高校では珍しいことではない。開いている部室の窓と入り口の扉が風の通り道を作っただけ。吹き抜ける以上の大きな理由が無いにも関わらず、飛び散る紙の束がまるで意味があるかのような演出にため息が溢れる。
ばっさばさと。空き教室の中は九音のポルターガイストもかくやという勢いで紙が踊る。偶然の演出としては上出来の部類、意図して行われたとは到底思えないが。
そんな演出された舞台に一人。汗を掻きながらもコートを羽織り、指抜きグローブをつけた片手で顔を隠した恰幅のいい男。
「クククッ、まさかこのようなところで再会するとはな……待ちわびたぞォ、比企谷八幡!」
まさかの再会に驚いて、待ち望んでいたとは。情緒が滅茶苦茶すぎでしょ。こいつ頭の中にもうひとりの僕でも飼ってるわけ?
そんな戯言の発生源を見てみれば――知らない男だった。誰だ、こいつ……知らねェ。
『いや……八幡くんさ、堂々と知らないしてるフリしてるけど完全に名指しされてるじゃん』
九音のそんな言葉に俺は知らない知らないと訴える。小首を傾げて姿に見覚えも声に聞き覚えもないとジェスチャーで主張する。
「比企谷くん……あちらは貴方のことを知っているみたいだけれど」
背中の隠れたうちの一人である雪ノ下が顔だけを覗かせては目の前の男と俺を見比べてはそう言った。そんな視線を受けた謎の男は一瞬怯むが、すぐさまの俺の方向へ目を逸らしたことにより難を逃れる。いやこいつにとって女子と目が遭うことすら難しい出来事なのか……。
「クックック……よもやこの相棒たる我の顔を忘れたとはな、見下げたぞ、比企谷八幡!」
『誰に断って相棒名乗ってんだ、こいつ。マジで殺すぞ』
一瞬で九音の機嫌が急転直下。先程までの疲れたような表情が一転して敵意剥き出しの表情に早変わり。最近でこそ丸くなった性格は元々、不細工、不格好、不躾といった人種には厳しい性根。そんな九音に対して見えてもいないのに言葉一つで嫌悪感を丸出しにさせるなんて中々できることじゃあない。
流石は材木座……材木座? 誰それ、知らない知らない。材木座義輝なんて俺の知り合いの中には存在しない。そもそも顔見知りどころか見知った仲になりたくない人物。
「相棒って言ってるけど」
由比ヶ浜も後ろから顔を出して此方に問いかけてくる。その視線にそっと目をそらす。いや一緒くたにされたくないし、一緒に居て噂されると困る。
「そうだ、貴様も覚えているであろう……あの悪しき風習を、そして地獄のような時間を共に駆け抜けた日々を」
「体育時間のペアになった話じゃねぇか……」
ついぞ我慢できずに反論してしまう。反論に思うところがあったのか苦々しい表情を浮かべていた。こっちが浮かべてぇわ、その表情。二人の女子からのやっぱり知り合いじゃないという視線からそっと顔をそらす。
「あのような風習など悪しきものでしか無い。好きなやつと組めだと? 我は戦いに生き、戦いに死す一匹の修羅よ。行き着く先は所詮地獄。そのような物に巻き込むのならば好きな者など初めから作らぬわ!」
『どこの鳳凰座だよ、お前』
呆れたように呟いた九音とまったく同じツッコミを入れそうになった。こいつを見ていると頭痛がしてくる。こめかみをグリグリと揉みほぐしては耳の中にこびりついた痛々しい台詞をゆっくりと流し落として本題を尋ねることにした。こいつの相手などいつまでもしてらんねぇ。
「それで何のようだよ、材木座」
「むっ、我が魂に刻まれた真実の名を口にしたか。如何にも。我こそが剣豪将軍、材木座義輝だ」
大袈裟にコートを靡かせ、でっぷりと肉の乗った首の上に男前なつもりであろうキリリッとした表情を浮かべてこちらを振り向く材木座。自分の作った剣豪将軍という役割に完全に入り込んでいる。それを見るだけで心が痛い、こう、心の奥底の胃の上の部分。名称など不明な臓器がジクジクと疼く。
『……八幡くんにもこんな時代があったんだよね。一度くらい見てみたいなぁ』
やめろ、やめて、やめてください。
九音のどこか遠くを見るような瞳、雪ノ下と由比ヶ浜の困惑に満ちた瞳。その三つの視線を一挙に受けては謎の臓器はさらにジクジクと疼きが増していくばかり。
「ねぇ、ヒッキー。ソレ、何?」
由比ヶ浜のあまり多くは表現したくないとばかりに問われた材木座。あまりの不快感のせいか、それとも類友と判断したのか此方を見てくる目は細められている。まことに遺憾である。俺自身ですら奴のことを欠片も理解しちゃあいないのだ。
だから紹介できるとするのなら名前と関係性くらいなもの。俺は小さくため息を吐いて渋々とばかりに正体を口にする。
「こいつは材木座。体育の時間に俺とペアを組んでる奴だよ」
ソレ以外の関係性などありはしない。まぁ、しかし、やつの言う部分の一つだけは理解を示せる。体育時間に好きなやつと組めという言葉が地獄だということだけは。
少なくとも事実として体育のペアは毎回組んではいるのだ、こいつとは……相棒という表現は誇張すぎるけれども。
こんなこと口にすれば九音の機嫌が悪くなるのは想像に難くないので口にせず、そもそもが俺自身が可哀想な奴にすら思えてくるので絶対に認めたくはない。
いや、ほんとにさ。好きなやつと組めなんて拷問だよな。そもそも大人が好き嫌いしちゃいけませんって教えておきながら、いざって時は好きなものを選んでねなんて矛盾している。幼少期から与えられ続けてきた二つの命令系統にロジカルエラーが起きるのも致し方なし。余り者ができるのは俺が悪いわけではなく、なんもかんも社会が悪い。そんな社会の闇、病巣の被害を一身に背負った俺は体育の時間で別の余り者グループである材木座と組むことになり、初めの一回以来ずっと一緒のペアなのだ。
そんなペアを見比べて雪ノ下は口を開く。
「比企谷くん、お友達は選んだ方がいいわよ。幾ら類は友を呼ぶとは言っても……ねぇ?」
最悪に分類する邪推であった。
「ばっか、こいつと一緒にすんな。俺はあんなに痛々しくねぇ! それに友達でも無いっつーの」
「ふっ、それには激しく同意せざるを得んな。然り、我には友だと居らぬ! ……マジで一人、ふひっ」
小さな自虐で素に戻ってやがんぞ、コイツ……。
材木座の小さく悲しげなつぶやきは誰一人として同情を誘わない。むしろ九音なんか『さっさとこいつ消えねーか』と霊のくせにいっちょ前に塩を撒くかのような勢い。
「比企谷くん、お友達選びは私が手伝ってあげるから、一度、縁を切っておきましょう? そうしなさい」
「お前は俺のかーちゃんかよ……。なに急に教育ママみたいなこと言ってんだよ」
あと友達じゃねーから、ほんとに。
さりげなく俺を傷つけるだけではなくて同時に材木座もディスっていく雪ノ下の口撃スタイルに舌を巻く。
「一応、その元お友達は貴方にようがあるみたいだけれども」
雪ノ下のジャッジによると材木座との縁は既に切られた後である。それにしてもさっきの台詞といい、こいつの彼氏になる奴って大変そう。友達付き合いですら干渉対象なわけ?
これが霊障のせいか元々抱えていた本人の気質なのかは判断しづらい。現在進行系では他人事ではないが、将来的には知らない人の出来事。特に大きく問題視せずに未来に居るであろう雪ノ下の彼氏に対して同情するという形で決着する。
そんな雪ノ下に迂遠的に駄目だしされたにも関わらず材木座は呵々と笑っていた。
「モハハハ、これは失念しておったわ。八幡よ、奉仕部というのはここであっているな?」
キャラを再度立て直した材木座が発言をした雪ノ下ではなく俺の方向を見て尋ねてくる。
「えぇ、そうよ。ここが奉仕部であっているわ」
後ろから出てきて雪ノ下が答える。すると材木座は一瞬だけ雪ノ下を見ては再び俺へと視線を治す。だから、なんでこっちばっか見てんだよ。
「そ、そうであったか。では平塚教諭に助言を貰った通りならば八幡、貴様には我が願いを叶える義務があるのだな? 幾星霜の時を経ても尚主従関係があるとは、これもすべては八幡大菩薩のお導きか……」
『ねぇよ、義務も無ければ、主従関係も無いし、導きもあるわけないだろ、このデブ。ふざけんな、いい加減、殺すぞ』
材木座が俺との繋がりをアピールすればするほど九音の機嫌は不機嫌に下降していく。こいつ居るだけで女子からの敵意を稼ぎすぎでしょ。流石に同情するわ……。
「別に奉仕部には貴方のお願いを叶える義務は存在しないわ。手助けはするけれども。勘違いしないでちょうだい」
雪ノ下も厳しい口調であった。少し棘を含んだ物言いではあるが言葉を受けた材木座は。
「こ、これが女子からの勘違いしないでちょうだい、か……。ほむん」
雪ノ下の言葉に思うところがあるのか言葉を反芻するかのように呟いた。いや、その言葉は多分額面通りに受け取っていいやつだぞ。
「ふ、ふふ、ふむ! ならば、八幡よ! 我に手を貸せ。くふふ、思えば我とお主は対等な存在であったな。よかろう、かつてのように手と手を取り合いながら再び天下を目指そうではないか」
「主従関係はどこに消えたよ。後、俺はお前の翻訳機じゃねぇんだ。いちいち会話に俺を挟むなよ……」
「ゴラムゴラム! 我とお主の仲にそのような些細なことは問題ない! 特別に赦そう」
『お前は問題なくてもこっちには問題がありまくりだっての。お前を地獄に落とすぞスメアゴル』
いや特段と材木座も深い意味でゴラムと呟いたのではないのだろう。聞き覚えと五感の良い単語を考えなしで使っているだけだと思う。
少なくともそんな言葉一つで醜いホビット扱いする九音から材木座をついつい心の中で弁護してしまう。
そんな幽霊に醜い化け物扱いされた材木座は、やはりというか雪ノ下の方向も見ずにこちらに顔を向けたまま喋る。
「すまぬな、この時代の在り方はあの室町の日々に比べてみれば随分と穢れているようだ――人の心の有様が、な。あの時代が懐かしいと思わぬか、八幡よ」
「思わねぇよ。もうお前黙ってろ、呪われるぞ。つーか呪われてろ」
弁護して損したわ。欠片も同情する余地ねぇわ、こいつ。
「ククク、この我に呪いなど効かぬ! 既にこの身は野望という呪いに罹っているのだからな!」
コートをわざとらしくはためかせてポーズを取る。流石はボッチなだけはある。呪詛耐性の強靭さには一家言あるのだろう。
日頃から死ね、キモいなどといった負の言葉を受けて育ってきたボッチ。そういった言葉を受けてきた人間は少なからず耐性が持つ。心の防壁を自動的に作っている人間は呪いの言葉に対する折り合いの付け方など履修済み。負に纏わる言葉、呪詛、呪いにボッチは強いという新説を唱えたいところだが、つい先日痛い目を見たばかりの俺がそんな新説を唱えたところで信憑性の欠片も無い。
「うわぁ……」
由比ヶ浜がドン引きしていた。まるで台所に居る黒光りを見るかのような視線が材木座に刺さっている。俺はこの視線の類を知ってる。かつて病院の個室でプリキュアを見ていた時に幽霊がそのような目で見てきた記憶が確かにある。今も時々……いや、最近は諦めめいた視線に進化しているな。
俺が由比ヶ浜の視線に過去を馳せていればクイクイと袖を雪ノ下に引っ張られた。
「比企谷くん、ちょっとこっちに」
雪ノ下、由比ヶ浜と共に奉仕部の片隅に移動。三人で内緒話をするかのように円陣を組む。九音も俺の背中に張り付いたまま耳を傾けていた。
「ねぇ、何かしら、あの剣豪将軍というのは?」
雪ノ下の疑問に対して明確な一言が存在する。
「ありゃ、中二病だ、中二病」
中学二年生をターゲットとしたスラング。よく彼らの年頃に見られる痛々しい言動や態度、行動のことを指し示す。中でも材木座が罹っている症状は『邪気眼』や『厨設定』に分類される代物だろう。ちなみに亜種としてDQN系、サブカル系などが存在する。
さて、材木座が罹患している邪気眼系厨設定についてなんて説明をすればいいのか頭を悩ませる。
『ごっこ遊びでいいんじゃない?』
九音の言葉は有り体に中学生どころか幼年期男子に対する物言いであった。しかしながら言い得て妙であり、その言葉で大体考えが纏まって雪ノ下達に説明する。
漫画やアニメの件りから始まり、何故そういう設定を持つと考えるように至ったのかを説明し終えると雪ノ下にはどうやら伝わったようだが、由比ヶ浜にはいまいち伝わりづらかったようで未だにきょとんとしている。
「意味わかんない……」
カッコいいからロールプレイをする、カッコいいからありもしない能力をあるかのように振舞う。見栄というものにあまり理解が及ばない少女にとってはイマイチ実感が湧かないようであった。
「つまり、彼は自分で作った設定を演じているようなものと捉えていいのね?」
「あぁ、概ねそんな感じだ。あいつの場合は自分の名前と重ね合わせて室町幕府第十三代征夷大将軍である足利義輝を下敷きに設定を作っている」
「なるほど、それなら貴方を仲間とみなしているのは何故なの?」
ふと雪ノ下が問いかけてきた内容が古傷に障る。その質問に関しては答えすぎるほどに答えられる。名前の問題、名の問題。それはどうしてもあのヒトのことを思い出してしまうから。ただ疲れただけの思い出が蘇るから。
何を得るわけでもなく、何も出来なくて、何も残らなかった。結局のところ足山九音が自分で自分の問題に、自分の危険に対処しただけで。狙ってきた怪異を返り討ちにしただけの記憶を。
「……比企谷くん?」
名を呼ばれて我に返る。慌てて思考を戻し聞かれた内容を答えることにした。
「あいつの言う八幡というのは八幡大神。八幡信仰のことだ。足利氏の家系は清和源氏の流れを組んでいる。そこから清和源氏を含む武家からの信仰が篤い八幡神を関連付けているんだろう」
俺の返答に対して雪ノ下は目をパチクリとしながらこちらを見てきた。
「驚いた、随分と詳しいのね」
「……まぁ、な」
苦い思い出、苦々しい思い出。去年の仲春の出来事はきっとこうやって名前の意味を聞かれる度に思い出すのだろう。決して流れない、へばりついた記憶が自分の名前の物々しさが忘れてはいけないと警告する。
そんな話題を切り替えるために今は材木座について話をすることにする。
「材木座は史実をベースにしているようだから幾分かマシに見えるな。世の中にはもっと酷い患者も居るしな」
「あれより酷いのが居るの……?」
雪ノ下は一度材木座に視線をやって心底嫌そうな顔で呟いた。そして俺はそんな雪ノ下に向かって頷き答える。
「居る」
俺の返答に女子二人は眉を顰めて顔をしかめる。
「参考までに聞くけれど、どのような?」
俺は小さく咳払いをして物々しく声を絞り。
「元々、この世界には七人の神が存在した。創造神三柱、破壊神三柱。そして最後に名も無き神。常に繁栄と衰退を繰り返し、世界を何度もやり直していた。そして七回目の世界がこの世界であり、この世界の衰退を防ぐために日本政府は七人の神の転生体を探し出す結論を導く。その中に居る、能力も何もかもが詳細不明の名もなき神の転生体がこの比企――っと、違う、今のはあくまで例え話だ」
途中まで饒舌に話していたせいか二人が此方を見る目は酷く冷めたものであった。
「気持ち悪い」
由比ヶ浜の率直な一言により心の底からダメージを負う。
『完全に墓穴なんだよねぇ』
背中に張り憑く幽霊も呆れた様子でそう呟いた。
「えっと、つまり比企谷くんもその中二病……? に罹っているのね。道理で剣豪将軍とやらについても詳しいわけだわ」
「いやいや違うから。そんな訳ないでしょう、雪ノ下さん。勘違いしてもらっては困りますよ。それは俺が日本史選択してるからだよ? ちょっと趣味で伝承や民話について齧ってるからだよ?」
「ふぅん?」
欠片も信じていない様子で納得の感嘆詞を口にする雪ノ下。視線も疑わしいといったばかり。
背後からは『伝承や民話を齧ってるって傍から見れば中二卒業できてるとは言い難いよねぇ』とこっちの言い分を潰しに来ていやがる。というか、そっちは調べておかないと生き死に関わってくるから仕方ない。
しかしながら、俺は材木座と違うと断言できる。かつてこそは同類ではあった。過去にそういう隠された力を夢見ていたのは否定しない。けれども夢は夢で御伽噺。八幡という名前が特別な意味を持つなんて聞かされて喜ぶことも笑うことも今は出来やしない。名前が原因ではないが、少なくとも遭遇し続ける一因であるのだから。
名前にそういう意味合いがあったとしても、特別な力や特別な代物は一つとして持ち合わせてなかった。だから俺はもう夢を見ない。
非日常なんて懲り懲りで、特別な力も要らず、ただ平穏を望む。争いを望み、特別な力を求める中二病なんかと決して相容れるわけが無いのだ。だから、そういう意味合いも含めて俺は雪ノ下たちに答える。
「昔はそうだったかもしれないけれど、今は違う」
「そうなの? まぁ、いいわ」
雪ノ下はこちらを流し目で見て悪戯っぽく笑う。そして材木座の方向へ向き直り一歩前に。
『……まぁ、中二能力よろしく怪現象に切った張った出来てたら感想も違うんだろうけど。現実は厳しいからねぇ』
ほんとそれな。九音の言葉が俺の中二病に対しての熱が完全に冷めた理由の全て。少しでも何かしらの能力でもあれば別だったのだろう。少しでも対抗できる何かがあれば違ったのだろう。けれども悲しいかな、そんなことは無かった。現実はそんなに都合よく無かった。都合悪い事ばかり起きるくせに、都合のいいことなんて何一つとしてないのだ。偶々、生き残ってはいるが生き残るのには偶然ではなく理由があって、俺の持つ何かの能力で助かったことなどなくて。俺自身は役立たずで、見逃されて続けて、助けられ続けたに過ぎないだけ。
そしてもしも能力を手にする機会があったとしても俺は手に取ることはきっとない。
それは自ら巻き込まれることを選ぶのだから。愚かしいまでに愚かな選択、愚の骨頂極まる答え。扱いきれない、人間以上の力など持つべきではない。それが新たな問題を引き寄せるのは考えずとも判ること。だから一番賢く正しい選択は関わらないこと。ただそれだけが怪異や化物に対する絶対の正解。
『……まぁ、判っていながらも自ら巻き込まれにいっちゃう子も居るからねぇ。現実は厳しくて残酷なのに。それでもやっぱり自ら危険に飛び込んじゃう君はやっぱり愚かだよ』
耳元で渡された囁きに否定なんて出来ない。否定どころか言葉一つ付け加える必要がない満点回答なので黙りこくる。
「だいたい理解したわ、あなたのその病気を治すのが依頼ということでいいのかしら?」
材木座の方向へ向かった雪ノ下が堂々と言い放つ。放たれた言葉を受け止めた巨漢は一度だけ申し訳程度に発言主を見てから再度、俺の方向へ向き直る。
「八幡よ! 拙僧と汝の契約の下、某の願いを叶えんがためにこの場に応じた。実にそれは立派な志であり、気高き魂とも言え、ただ一つの魂とも言えよう」
『もう何を言ってるかわかんないよね、こいつ……ってか、このスメアゴルさぁ、もしかして女子と喋れないんじゃない?』
薄っすらと俺も察しつつある材木座の言動。雪ノ下が喋る度にわざわざ此方を見る材木座の態度の答えはまさにソレだと言える。
けれども悲しい事に、残念ながら雪ノ下はそんな気持ちを慮ってくれるような生易しい奴ではない。あと可哀想だからスメアゴル扱いはやめてさしあげろ……。
「話しているのは私よ、人と話すときはこちらを見なさい」
雪ノ下は材木座に近づき威圧する。近づかれた材木座は瞬時に挙動不審っぷりが増していた。
「も、モハハハ、これは然り」
「その喋り方、不快だからやめて」
「……」
容赦なき罵倒により完全に沈黙してしまう。容赦無ぇ……。
「それでどうして貴方は今の時季にコートを着ているの?」
「ふ、ふむん。興味あるのか? このコートは十二の神器の一つであり――」
「喋り方」
「あ、はい……」
「その指貫グローブの意味は? 寒い時期でないにも関わらず付ける必要あるの?」
「あ、はい、これは……ふはははははっ! よくぞ気づいた! これも十二の神器の――」
「笑い方」
「は、ははぁ……ハァ……」
聞いておきながらまともに話させない雪ノ下。完全に意気消沈した材木座に雪ノ下が気の毒そうかつ優しげな目と声で尋ねる。
「その病気を治すってことが依頼でいいのね?」
完全に可哀想な奴、もしくは病人扱いであった。
「あ、いえ、病気じゃない、っすけど」
とうとう素に戻った材木座が普通に答える。此方に助けを求めるかのような視線をチラチラと送ってきている。さて、どうするかと頭を悩ませているとふわふわと浮かんでいた九音がいつのまにか地面にかがみこんでいた。そして指差している先には――散乱した紙。そのうちの一枚を指差している。
『八幡くん、用件ってこれじゃない?』
俺は指の延長線上にあった一枚の裏向きの紙を手に取る。
「これは――」
拾い上げて見るとそこにはびっしりと文字の羅列がしきつめられていた。そしてご丁寧にページ数が割り振ってあり、何枚か確認のために拾い集めているとその紙の正体に確信。
「ふむ、言わずとも通じるとはな……流石は八幡。共に地獄を生き延びた修羅よな」
「いや、お前も拾え」
なんで人様に拾わせておいて偉そうにしてんだ、コイツ。俺の睨みに材木座も散らばった原稿用紙を集め始めた。見かねた由比ヶ浜も拾い集める。そして手伝い始め、集め終わった頃には具体的な依頼内容に察しがついた。
「比企谷くん、それ何?」
こぽこぽといつの間にか紅茶の用意を始めていた雪ノ下がこちらを伺いながら尋ねてくる。
「小説の原稿……だと思う」
俺の言葉に反応した材木座は咳払いをひとつはらい自己主張。俺たちは仕方なしに視線を向ける。
「大した観察眼だ。そうだ、八幡。これはとあるライトノベル新人賞に応募しようと考えていた物だ。しかしながら我には友達が居らぬ、だから読んで感想をくれ」
「今何か、さらりと悲しい事実を主張された気がするわ……」
雪ノ下の哀れみを含んだ視線。でもよくよく考えれば最近まで友達が居なかったのはこいつも一緒である。
とはいえそんな事実を口にしようものなら要らぬ反感を買うので手元の紙束を眺める。中二病の果てが自作の小説というのは珍しいことではない。しかしながら一つだけ疑問が浮かびあがった。
「投稿サイトがあるじゃねぇか。そっちの方が意見聞けるだろ」
「それは無理だ。彼奴らは容赦が無い。投稿して炎上でもしようものなら多分死ぬぞ、我」
『大丈夫だ、安心しろ、お前の紙束、燃えるほど目立たないから』
九音の意見はさもありなん。しかしながら材木座の不安もわからなくもない。顔も知らない相手にならば人はどこまでも酷評できるだろう。とはいえ材木座のメンタルには驚いてしまう。強いのか、弱いのかわかんねーな、こいつ。よくそんな心構えで人に見せようって気になったよなと感心。
まぁ、距離感で言えば悪いわけではないだろう、人の顔が見える以上、ネットのようにただひたすらに酷評することは多分無い……いや、待てよ――雪ノ下の方向を見る。
「どうかしたの? 比企谷くん」
きょとんとして可愛らしく小首を傾げる雪ノ下。その綺麗な容姿だけを見ただけなら判断はつかないだろう。けれど俺は多少は知っているつもりだと嘯く。雪ノ下雪乃のことを少しだけ判っている。俺の知っている雪ノ下雪乃というパーソナルデータを鑑みて一つの結論を導いた。
「雪ノ下の方が容赦ないよ?」
投稿サイトよりかは多分、よっぽど。
~~~~~~~~
分量が分量であった為にそれぞれ持ち帰って読む事になった材木座の原稿。さりげなく三部用意してくるあたり結構な力の入れ具合が見て取れる。残りの二部を机の上に置き、材木座が依頼をするだけして帰ろうとした矢先の出来事だった。
「わきゃ、蜘蛛ッ!?」
材木座が開いた扉の上に見事な蜘蛛が居た。そしてその蜘蛛は地面に降り立ち、そそくさと入室してくる。その見事な大きさと色に由比ヶ浜が可愛らしい悲鳴を漏らす。雪ノ下も同様に苦手であるらしく由比ヶ浜と共に蜘蛛から離れた位置に避難して様子を伺っていた。俺はその蜘蛛を眺めて――
「……」
とりあえず近くにあった紙束を丸めて叩こうと立ち上がる。
「待て待て待てーい!」
「……なんだよ、材木座」
「いや、八幡よ、それ我の原稿」
「そうだな」
『八幡くんってさ、私たち女子の態度がスメアゴルに対して酷いって言うけどさ、君の方も中々に中々だよ? しかも自覚が無いのが尚酷い』
そんな幽霊の小言を無視しながら俺は蜘蛛の方へ歩いていき、地面で小休憩している蜘蛛に振り下ろす。
「ちょぉぉぉっ!? 八幡、お主!」
しかしながら危険を感じたらしき蜘蛛は間一髪で紙束を避ける。尚も振り下ろそうとする紙の束の間に機敏に材木座が割り込んできた。
「ちっ、わかったよ……ったく」
「えっ? 今、舌打ちされた? えっ? 我が悪いの?」
俺は原稿を机の上に置き、鞄からティッシュを取り出す。
「いや、別に殺さずとも良いであろう、八幡よ」
「あぁん?」
そう言って材木座は奉仕部の窓をあけて小器用に机の上にあった紙束の上に蜘蛛を乗せて、そのまま外へ放る。お前はそれでいいのかよ。
「フッ、虫にも五分の魂というだろう八幡。日本には古来より蜘蛛は殺すなという言葉がある。知らんのか?」
渾身のドヤ顔。少し遠くにいた雪ノ下達は蜘蛛が居なくなったのか安堵の溜息を吐いて紙束の近くへ。材木座の手に握ってある紙束以外をさりげなく確保していた。
「……それ朝蜘蛛の話だぞ」
「えっ、そうなの?」
材木座の自信に満ち溢れた顔はすぐさま崩れ、まるで梯子をはずされたかのような顔でこちらを見てくる。
「そうだよ、朝蜘蛛、下がり蜘蛛は来客の証で福蜘蛛として待ち人来ると喜ばれ。夜は盗人の先走り。夜蜘蛛は親でも殺せってのが日本に伝わる風習の一つだ」
「へぇ、ヒッキー難しいこと知ってるね。さきばしり?」
『このあざとい雌犬二号! 淫乱な言葉を使っておいてわからないって顔してる! あざとい! 実にあざとい! このクソビッチめ!」
いや、真っ先にその方向に話が行くお前の頭の方が心配なんだが。喚く幽霊の頭の中が頭痛の種。コメカミをぐりぐりと抑えながら、俺は由比ヶ浜に向かって言葉の説明を施す。
「前触れ、前兆とかそういう意味だ……」
そんなことを呟きながら部室の窓を見る。そこは先ほど、材木座が蜘蛛を逃した窓。もはや見えることはないだろう蜘蛛の行方を思い描いてしまう。
「……」
『八幡くん、どうかしたの?」
窓の外を眺めていると九音も同じように窓を眺めては尋ねてくる。俺は軽く首をふり、なんでもない、と小さく呟く。
『ふぅん?』
他のメンバーに続き俺も帰り支度を始めた。考えていた内容は先ほど見た蜘蛛が屋内に発生し易いアシダカグモではないことや、春という時期にしてはあまりにも立派なジョロウグモであったからこそ気になってしまっただけ。
『でも、あれだね、八幡くん』
ふと窓の外を眺めたまま九音が呟いた。
他のメンバーが既に退室を始めていて、雪ノ下と由比ヶ浜が教室の外へ出ようとしている最中、足山九音は当たり前のように、何でもないかのように、当然の如く言ってくる。
『もしもあの蜘蛛が怪異になったらさ、間違いなく君への恨みは骨髄で、この恨み晴らさずにおくべきかって意気込みで。間違いなく君は狙われちゃうよね』
そんな不穏すぎる言葉に嫌な表情を浮かべてしまう。そんな不吉な予言はこの学校だと起きてしまってもおかしくないのだから、簡単に笑い飛ばすなんて出来なかった。
※次回の投下予定日は四月十五日です。