足山九音が幽霊なのは間違っている。   作:仔羊肉

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晩春【夢想】

「がッッ!? あがっ、ぎっ、あガぁアアアァァっ!?」

 

 生きたまま喰われる。生きたまま臓物を引きずり出す。生き肝を食べるといった行為は化物習性を考える上でなんら不思議なことは無い。むしろどこまでも化物らしく、どこまでも怪物らしい習性。

 

 人間ですら他の生物をおどり食いすることもあるのだ、化物が人間を生きたまま食べるなど何一つとして不思議な点は存在しない。

 

 そして――抉られた肩。臓物ではなく、肩をくちゃくちゃと音を鳴らしながら食べる化物。

 

 両手両足をイモムシのように縛られた俺はまな板の上の鯉とばかり。襲いかかってきた蜘蛛の足を避けることも叶わず、そのまま巻き取られるような形で無理やり入室すれば、両手両足を突如として虚空から伸びてきた紐で縛られて地面に転がる。

 

 化物退治なんて甘い考えだった。そもそもが前に立つ、対峙することすらも叶わず、そのまま雪ノ下雪乃の眼前に無様に転がっている。

 

 地面に転がったまま見上げる形で俺は雪ノ下を見ていた。彼女は運ばれた餌に即座に反応した。肩に噛みつき、噛み切られて。

 

 俺はそんな目にあっても無様にも転がっているだけなのだ。

 

 喉は絶叫を挙げていて、頭は混乱していて。それでいて今にも命乞いをしなければならない状況にも関わらず、どこか俯瞰した、達観した、諦観した心持で俺は美しき少女を眺めていた。

 

 複眼でもなければ、口も裂けておらず、襲いかかってきた蜘蛛の足などどこにもなくて。ただどこまでも美少女と呼べる雪ノ下が。その綺麗な形の薄い唇を不釣り合いな真紅の口紅で染め上げていて。

 

『〜〜〜〜〜ッ!』

 

 身を震わせてこちらを大きく見開いていた。痛みのあまりに叫んでいた喉は少しずつ声量が落ちて。

 

 夢で、夢物語でもある筈なのに帯びた痛みと熱はリアルのソレとなんら違いは無い。食い千切られた肩から飛び出る血が地面に血溜まりを作り上げて、痛みで跳ねる身体のせいで顔にこべりつく。

 

 鼻に届く鉄の臭い。

 

 歯を食い縛って痛みを堪える。からみつく蜘蛛の糸、手首足首に力を込めて意識を逸らそうと試みる。絞まる糸に圧迫されては痛みを訴えている。

 

『おいしい……おいしいおイシいおいシイ美味シイ! 比企谷くん! あなたすごく美味しいわ! 凄く凄く凄く凄ク凄く美味しいの! 好き、大好き、愛してるわ! こんなに美味しいんだもの! あなたと私はきっと相性抜群なのね! いいえ! きっとじゃない絶対よ!』

 

 複眼でもなければ、裂けた口の化物でもない。美しい少女の顔のまま口元を血で染め上げて美味しいと叫ぶその姿はあのおぞましい姿よりもよっぽど化物らしい。

 

 だらしなく口元を緩めて、頬をおさえて身体全体をくねらせる雪ノ下の足元で俺は無様な芋虫のまま許しを希う。

 

「ぐッ、が、ゆ、ゆき、のした、れい、冷静にな、なろうッ、お、おち、落ちつ、いてく、くれ、頼む……」

 

 弱々しい懇願。声に混じり合った嗚咽が言葉をつまらせる。痛みで溢れる涙は血と混じり合い、そんな状態のままみっともなく希ってしまう。

 

「き、気づい、て、いるんだろ? こ、これは夢で、現実なんかじゃなくて。夢の中だからって、好き勝手、こんなこと、するなんて、おまえらしく、ない。お前は、現実を変える、んだろう? こんな夢の、中でいつ、までも……」

 

 都合のいい言葉がぺらぺらと。薄っぺらな説得は何の根拠もない。そんなペラ回しに雪ノ下は無垢に幼気な笑みを浮かべている。そしてその表情はころりと変わり。

 

『さいきん、つめたイの』

 

 そのまま俺の眼前にかがみ込む――視線が合う。眼前に映るその表情はあまりにも悲しげで。感情を素直に出す少女ではなかったハズで。けれども目の前の少女が到底偽物とは思えず。

 

 細い指先が伸びてくる。そして指先は――。

 

「ァァァァあああああああああっ!?」

 

 抉られた肩の中へ。グチュグチュと指で肉をかき混ぜる音と悲鳴が混じり合ってあまりの痛みに悶絶してしまう。

 

 そして、赤い糸を引く指先を咥えてぴちゃぴちゃと舐める。舌先で指を遊ぶ音が、頬を染めて目を細める艶やかな表情が、恐怖感を煽ってくる。

 

 その指先を再度と首まで伸ばされた。撫でられる頸動脈。まるで命を握られてるような感覚に肩が、足が、全身が寒気を訴えてくる。

 

『……比企谷くんが。比企谷くんが冷たいの。こんなにも好きなのに、あの時みたいに優しくしてくれない。まるであの時のことは間違いだった。夢だったとばかりに冷たくするのよ』

 

 どこか幼児を彷彿させる物言い。幼い少女の拗ねたような口ぶりで放たれた事柄は状況を結びつけるには十分だった。

 

 するすると氷解する。

 

 どうしてこんな状態になったのか。ここはどこで何でこんな目に遭っているのか。

 

 その全ての疑問は流れるように理解してしまった。すべては間違っていた、間違ってしまっていたのだ。

 

 今回の出来事も、今回の顛末も。俺自身も、そして蜘蛛の怪異自体も。

 

 根本的にストーリーテラーを勘違いしていたのだ。配役どころか神を、作者を、語り部を、話し手を間違って認識していた。

 

 そして一番の間違いは。

 

 雪ノ下雪乃本人の問題を余りにも軽視していたのだ。放置しすぎていた。軽視して放置していたにも関わらず、関わり続けていた。

 

 怪異に纏わる現象は悲観論で捉えなければならないと教えられていた筈なのに。それなのに表面上に問題が無いから大きな問題には見えずその内なんとかなるだろうと楽観視していた。

 

 そりゃあ、致命的だ。

 

 命に至るわけだ、それは。

 

 これは材木座の物語だったことに間違いはない。そこだけは今でもはっきりと自信がある。材木座にとっての良夢であったのは間違いはない。

 

 蜘蛛の恩返し、蜘蛛の恩。しかし蜘蛛は虎の尾を踏んだのだ。これが引っ張り込んだのが比企谷八幡、雪ノ下雪乃だったのが大間違いで。

 

 そもそもがヒロイン役程度に雪ノ下が収まるなんて考えが間違いだったのだ。人間が驕るように、怪異もまた驕っていたのだ。人間ごときと。

 

 眼の前の雪ノ下がどのようにして蜘蛛の怪異の力を奪ったのか、成り代わったのか、勝利したのか。その方法はわからない。

 

 もしかすれば俺と同じように科学準備室の道具を手に本来のラスボスを倒した可能性もあるだろう。けれどもどうやって勝利したかなんてことは既に些細な出来事で。

 

 あぁ、そうか。

 

 あの宙吊りのマリオネットを思い出す。あの無惨な死体は――由比ヶ浜結衣だったのだ。

 

 化物らしい愛情表現だ、と嗤ってしまう。引き千切られた胸や首。あれが誰の死体だったのか今更気づいてしまう。

 

 あれは夢の世界での食べ残し、保存食。蜘蛛の化物らしいなんともらしすぎる痕跡。愛の残骸。

 

『ねぇ、比企谷くん。舌を出して』

 

 俺は既に心が折れていた。既にどうしようもない。後の祭りでエピローグ。もしもこれが化物対人間の御話なら最後のオチなのだ。

 

 ただ人間が負けて喰われるという。

 

 顔が近づく、唇が重なる。無理矢理に開かれては侵入してきた舌に口内を蹂躙される。一度目のキスとは異なりあまりにも血生臭いその口づけ結末は――激痛。

 

「〜〜〜〜!」

 

 脳髄に直接響くような鋭い痛みに目を見開く。言葉を発しようとも回る舌がなければ意味がなく、叫び声が声ではなく音に成り下がり、獣じみた絶叫が喉から飛び出てしまう。

 

『比企谷くんの、舌、好き……』

 

 くちゃくちゃと、音を立てながら響く咀嚼音。自分の口の中がどうなっているのかすらわからない。既に口内の感覚は痛み以外の感覚は麻痺していて、早くこの痛みから逃れたいと心の底から思ってしまう。

 

『……おいしい。おいシイ、おいしいおいしい! やっぱり、比企谷くん、好き。私、比企谷くんのことが好きなの。ねぇ、比企谷くん。比企谷くんは、私のこと、好き……?』

 

 黒髪を揺らしながら、小首をかしげる。

 

 どう足掻いたとしてもバットエンド。どの道、助かる方法なんて既に無い。ここまで来たら結末は迎えている。奇跡など起こるわけもなく、起こす必要もなく。

 

 視界の端には開きっぱなしの扉。そこからうっすらと見える材木座。舞台にすら乗れないモブと化していて。

 

 雪ノ下の背後には食い散らかされている肉片。女子高生の躯。

 

 命乞いもする必要もなければ媚びる必要もない。だから俺の答えは一つだけ。

 

『そう、そうなの……でも、私は好きよ。比企谷くん』

 

 その言葉が俺たちの最後の会話だった。その後の言葉はすべて雪ノ下の独り言で俺には関係ない。ただただ、俺は抉られ、喰われ。

 

 限界がくれば出来の悪いテレビの電源が落ちるかのように意識を手放した。

 

~~~~~~~~

 

 夢の終わり。終幕、終着点は後味の悪い代物だった。

 

 夢の中で死ねば、殺されれれば現実でも死ぬなんて言ったことはなく。勿論の如く夢オチ。

 

 天狗裁きのように夢から醒めればまた同じような展開といったこともなく。巨匠と呼ばれる漫画家が最低の技法とまで呼んだオチの御話。

 

 気分悪く目覚めると教室では続々と帰る準備をしているクラスの連中が目に入る。

 

『おはよ、八幡くん。いい夢見れたかい?』 

 

 最悪の夢見であったことを伝えるにはあまりにも人目がありすぎて。その脳天気な質問に皮肉の一つも返すことができない。

 

 不機嫌そうな俺を見てきては小首を傾げる九音。ふと、九音の背後、教室の後方が普段よりも盛り上がっていることに気づく。

 

 どうやら女王は居ないもののカーストトップの集団が盛り上がっているようだった。その集団の中には由比ヶ浜の姿も見える。

 

『あぁ、アレ? アレは雌犬二号が八幡くん同様に居眠りしていたんだけど、悲鳴をあげて起き上がったんだ。だからリア充グループはそれで盛り上がってるってわけなのさ。数学の先生に怒られるやら、みんなの前で赤っ恥かくやらでいい見物だったよぉ。プークスクス』

 

 意地悪く笑う九音に俺は同調することなど出来やしない。

 

 そりゃあ、悲鳴の一つや二つは挙げるよな。

 

 もしも同じ夢を見ていたのなら、同じ不可思議な現象に巻き込まれていたのなら。

 

 そんな悪夢に関する思考を切り替えてはもうすぐ始まるであろうホームルームの準備をする。未だに気分悪い俺を他所に帰りのホームルームは恙なく進み、踊るような議題は存在しない以上、形式的な報告事項と挨拶によりさっさとしめられる。

 

 そして重い足取りで部室へ向かっていれば。

 

 背中に軽い衝撃。

 

 振り向いてみると体操服のバッグであろう、巾着を片手に持った由比ヶ浜が居た。

 

「やっはろぉ」

 

 いつもよりも沈んだ挨拶。そそくさと隣を歩き始める由比ヶ浜と足並みを揃えては奉仕部へ。わざわざ元気が無い理由を聞く必要もない。

 

 疑似死体験をしていたとするならばその態度はふさわしい。そしてテクテクと二人で無言のまま歩いていれば奉仕部にたどり着き。

 

 扉に大きな穴があいているということも、廊下に材木座の死体が転がっているということもない。

 

 扉を開いてみても血溜まりの一つも無ければ――揺れるカーテン、その春の麗らかな陽だまりの中で珍しく居眠りをしている少女の寝顔が目に入った。

 

 扉を開いたことに気づいたのか目を少しだけ開くがうつらうつらと。

 

「……お疲れさん」

 

 俺は机の上に浮かれた紙束を見ては居眠りの理由を察する。今、雪ノ下の見ているのはあの夢の続きなのだろうか。

 

 もしかすればあんな夢を見たのは俺だけで、由比ヶ浜の悲鳴も違う理由だったのかもしれない。それならそれで別にいいと思う。蜘蛛の怪異なんて無かったし、そういう話は存在しなかった。それでもいいと思うのだ。

 

 声をかけられた雪ノ下は小さく欠伸をしては寝ぼけたままこんにちは、と呟いて立ち上がる。由比ヶ浜もいつもの挨拶をしているがどこか夢心地な雪ノ下に届いたのかどうかまではわからない。

 

 とろんとした瞳に、朱のさす頬。その表情はどこか艶めかしくて。近づいてくる雪ノ下は俺の目の前に立ち、ぽーっと此方を見つめてきた。

 

『おっ? なんだなんだ? やんのか? あぁん? お前、やんのか?』

 

 知能指数が二桁以上下がっていそうな女幽霊の物言い。昨今の漫画でも見ないようなチンピラの絡み方をしていた。完全にアホである。

 

 勿論、雪ノ下が見えるわけもなく。視線はじぃーっと俺を捉えていて。そして――。

 

「ぎぃぃぃっ!?」

 

 俺の悲鳴が奉仕部に響く。そしてようやく雪ノ下は目を覚ましたかのように目を開き、由比ヶ浜も目を見開いては手を口にあてて驚いていた。

 

「ご、ごめんなさい……完全に寝ぼけていたわ」

 

 ポケットからハンカチを出しては俺の鼻にあてている。どうやら少し血が出ているようだった。

 

 俺は貫通するほどの勢いでついた歯型を、借り物のハンカチで抑える。

 

「ゆ、ゆきのん、びっくりしたよぉ! ど、どんな夢見てたの? 食べ物?」

 

 由比ヶ浜の明るい声が場の空気を変えるかのように。有り体に言えば何事も無かったかのように。

 

 けれどもここに一人、いや一匹流せなかったやつが居て。顔を真っ赤にし、耳まで染め上げて、髪を逆立てて。

 

『ほっ、ほぁ、ほぁーっ!? おま、おまおまおままっ! な、ナニ、何羨ましいことやってんだ、この犬! 雌犬! 卑しか犬ばい、この女ァ!』

 

 雪ノ下の近くに飛んではボディーを抉るように拳を打ち込んで居た。二人には何の影響も受けてないし見えてもいない。完全に一人相撲状態。

 

『あ、あがががっ! 八幡くん! ポルターガイストでやっつけちゃってもいいよね! これいいよね! なんか色々と君との約束破るけどいいよね!』

 

 知能がサルかゴリラ程度になっている九音がウホウホと怒りのあまり騒いでいるが俺は解りやすく首を振って否と意思表示。

 

 足山九音は悪霊と自称しつつも俺以外の人間を傷つけたことなど殆ど無い。それこそ、驚かす、脅かすといったことはしたとしても肉体的な損傷を与えた場面を俺は一度も見たことがないのだ。

 

 完全に口先だけの女幽霊、雑魚幽霊。

 

『う、うぎぎぎっ、うぎぎぎぎぎ』

 

 どこからか取り出したシルクハンカチを噛み悔しさをこれでもかと表現している九音の様子にため息を吐きながら鼻を擦る。結構な深さの歯型だ。

 

 雪ノ下と由比ヶ浜は今日の午後について話していて。片や昨日から徹夜していたせいで今日の午後の授業で居眠りしていたことを恥じていて。それに同調するかのように由比ヶ浜も教室の出来事を身振り手振りで楽しそうに説明している。

 

 まったく呑気なことで。

 

 二人の様子を見た後に俺は我関せずとばかりに鞄から材木座の小説を取り出して机に置く。おそらく今日またやってくるであろう主役の座を追いやられた三枚目を頭に浮かべながら。

 

 それにしても夢で良かったと心底思う。これが現実での出来事なら間違いなくバッドエンドどころかビターエンド。後味の悪い終わり方の残り香を苦々しいとすら思うこともなかっただろう。

 

 なら夢なら良かったのかと問われれば、俺は「そうだ」と肯定する。夢だからいいのだと答えざるを得ない。夢が現実に影響しない限りはただの悪夢で済ませられるのだから。

 

 悪い夢でも初戦は夢。どのような夢物語を見たところで現実では無いのだ、決して。

 

 鞄から文庫本を取り出して目的の人物が来るのを待つ。俺達が奉仕部に着いてから十数分、その戸を叩く音は聞こえてきた。

 

「頼もう」

 

 荒々しく現れたのは材木座義輝。夢の中でさえ出オチであった奴に対して俺は少しだけ優しく接してやろうと心がける。

 

『あ、スメアゴルだ』

 

 そう、こんな幽霊も居るくらいだ。来ることを忘れている奴が居る始末だ。

 

 俺一人くらいは材木座に対して優しくしてやってもいい。あまりにも世界が材木座に対して厳しすぎる。

 

「では感想を聞かせてもらおうか」

 

 自分で用意したパイプ椅子にどっかりと座り、偉そうに堂々と、自信たっぷりの様子で奉仕部の面々に問いかけてくる。

 

 まるで面接官のように並んで座る俺達。その中心に座る雪ノ下が珍しくも申し訳なさそうな表情を浮かべていた。

 

「……先に謝っておくわ。私、こういうのに詳しくないのだけれど」

 

「構わぬ。凡俗の意見に耳を傾けるのも務めよ。率直に素直な賛美や評価をしてくれて構わぬよ」

 

 偉ぶり自惚れていた。称賛や評価という言葉の時点で材木座の自信が見て取れる。夢での殊勝な態度は完全に形を潜めていて、所詮は夢かと呆れ果ててしまう。

 

「そう。じゃあ率直に言うけれど、つまらなかった。想像を凌駕するつまらなさ」

 

「けぷぅっ!?」

 

 雪ノ下の鋭き舌刀は一太刀で見事に材木座を切り裂く。もしもこれが殺陣なら鍔迫り合いもなく真横一文字に切り捨てられてるレベル。ガタガタと一度転げ落ちては椅子の回りでのたうち回りながらも再び這い上がろうとする材木座。

 

「さ、参考までにどの辺がつまらなかったのか教授願おうか」

 

「まず文法が滅茶苦茶ね。なぜ毎回倒置法を使うの? てにをはって知ってる? 小学校で先生に教えてもらわなかった?」

 

 詰問に継ぐ詰問。圧倒的なまでに非難に材木座はボクシング漫画のように一言一言に打たれては呻きを上げている。

 

「そ、それは易しい文体で読者にわかりやすさを――」

 

「易しいのは貴方の頭の中だけで実情として物凄く読みにくいわ。読者への優しさと言えば漢字を読むのにひっかかることが多い。造語を作るのはこういう本では普通なのかはわからないのだけれど、それでも流石に多すぎると何を言っているのかわからない。日本語でお願いしていい? 能力にちからなんて読み方は存在しない上に、この『幻』『紅』『刃』『閃き』の四文字がどうしてブラッティーナイトメアスラッシャーなんて言葉になるの? 血はどこに言ったの? 紅の暗喩的な表現? そうすると幻がナイトメアなの? 

 ナイトメアって悪夢のことでしょう? 暗喩比喩の前に英語の勉強をしたらどう? もしかしたらこういうセンスが良いっていうのなら申し訳ないけれど私には何一つとして理解できない。それに――」

 

『うっわ、スカトロ趣味のマイノリティー女だ……略してクソ女』

 

 うげぇっとだらしなく舌を出す女幽霊。偶然にも昨晩九音が言っていたとおりに嫌いなものに関してエネルギーを消費するタイプの女の子であるらしい。生真面目な雪ノ下らしくもある。

 

 どんな仕事にも手を抜かず一所懸命。手を抜かずに酷評しているさまはさすがと言ったところ。彼女の手元のメモには悪いところがずらりと書かれているのだろう。怖い。

 

『いやぁ、こんだけスラスラと罵倒できるってよっぽど人を傷つけるのが趣味じゃない限り出来ないでしょ……なんて性格の悪い女なんだっ!』

 

 芝居染みて雪ノ下を非難する九音であるが性格の悪さに関して言うのなら……安心しろ、お前が一等賞だ。

 

『……いやいや、待ってよ八幡くん! こんなの性格が悪くなきゃ出来ないことだよ! 私だったらこんな労力払わずに二号みたいに読まないもん!』

 

 さりげなく由比ヶ浜が読んでいないことを指摘する。居眠りをしていたし昨晩遅くまで読んでたんじゃねぇの? と思ったがよくよく観察してみれば新品同様の紙束が。

 

 折り目どころか無線綴じのようにびっしりと一枚一枚が張り付いている様子はめくってなさそうにすら見えて、九音の指摘が中っているように見える。

 

『真面目ちゃんはクソ掃除もしなきゃいけないのか……大変そうな生き方だよねぇ』

 

 見下す物言いと視線に気づくこともない雪ノ下は尚も材木座の悪い点を執拗以上に詰っていた。対する材木座は打たれすぎてビクンビクンと地べたでその身体を震わせている。完全に打ち上がったマグロ。

 

「ゆ、雪ノ下。あんまり一片に言ったところで頭に入らないだろ……そ、その辺でいいんじゃねぇか?」

 

 九音の方向に意識を割いていたせいかリングにタオルを投げ入れるのが完全に遅れてしまう。燃え尽きた材木座は口撃が止まると同時にノロノロと起き上がって椅子に座り。もはや最初の自惚れ、自信などは真っ白な灰燼と化していた。

 

「そう……? まだまだ言いたいことあったのだけれど。比企谷くんが言うのならやめておくわ」

 

「けぷこんっ!?」

 

 何故かその瞬間、再度として殴られたかのように叫ぶ材木座。なんなんだ、一体……。胡乱げな瞳で見つめていると。

 

「じゃあ、次は由比ヶ浜さん」

 

 自信を完全に砕いて挽いて粉状にしておきながらも、まだまだあると言う雪ノ下。そんな少し物足りなさを感じる少女から完全に傍観者面をしていた少女へバトンはうつる。

 

「あ、あたし!? えっ!? ど、どうしよ……」

 

 渡されたバトンは見事なこぼれ方。パラパラと眺めては唸り、もう一度パラパラと捲っては小さく唸る。その様子が小型犬のように見えなくもない。

 

 そしてその様子を祈るかのようにうるうると瞳を潤ませた材木座の視線。

 

『うっわ、きも』

 

 九音のやつはドン引きしていた。いや判んなくもないが流石に可哀想。そんな俺と同じ気持ちなのか由比ヶ浜は若干引き気味になりながらもなんとか笑みを作り出して絞り出すように言う。

 

「え、えっと、えとえと。む、難しい日本語知ってるね! 凄い!」

 

「あぷぱっ!?」

 

 断末魔をあげて再度として沈み込む。由比ヶ浜の言葉は短いながらも雪ノ下の刀並に殺傷力があった。

 

 選んだ言葉は作家業にとっては禁句であり、禁呪である。褒めるところがそれしか無い上に、内容を触れないといった呪禁は材木座を見事にKOする。

 

 触れないことは優しさで相手の身に染みる。完全に塩を擦り込むかのような優しさに戦慄してしまった。

 

「じゃ、じゃあ次はヒッキーね」

 

 ガタガタと椅子を動かしては俺の背後に逃げるように隠れた由比ヶ浜。同様に雪ノ下も移動してきて、さらには背後霊まで居るというのだから背負うものが多すぎる。

 

 そして目の前からは期待をした瞳が飛んでくるというのだからまた一つと背負わせられようとしていた。

 

「は、八幡、貴様ならわかってくれるよな? 我の書いた物語が、ライトノベルの深奥が! 貴様には理解できるな! 凡愚どもが理解できなかった地平の世界が!」

 

 はぁ、と小さくため息を吐く。

 

 けれども背負うくらいは慣れっこである。背負いたくもない苦労を勝手に荷袋に入れられることは今まで何度とあった。むしろ非日常であんだけ背負わされた俺は荷物持ち、パシリとしては超一流と呼ばれてても過言じゃあない。そんな俺からしてみれば眼の前の材木座の期待の視線などお茶の子さいさい。

 

 それに、お前とは夢の中で約束したしな。

 

 任せろと心の中で小さく呟き、前に座る材木座の方向をしっかりと見つめて。自分に出来うる最高に優しい瞳で。言葉をしっかりと選び、放つ。

 

「で、あれ何のパクり? ヒロインのモデル誰? お前のクラスメート?」

 

「ぶひっ!? ぶひっ、ぶひひ、ぶひひひひ……」

 

 俺の言葉に材木座は椅子から飛び上がり、地面に転がりまわる。そしてゴロゴロと転がってついぞ空き教室の壁までたどり着き、ぶつかり、ビクンビクンと痙攣した後に完全に沈黙した。

 

 また勝ってしまった、敗北を知りたい……。

 

 夢の世界での死体っぷりを再現するかのよう。夢は叶う、と前向きな言葉を心の中で発してはいい仕事したなって充実感が胸の中で湧き上がる。

 

「比企谷くん、貴方……容赦なさすぎじゃない……? 何が私のほうが容赦が無いよ、貴方のほうがよっぽど酷いわ」

 

 女子三人。もしくは女子二人と女子一匹が居る背後を振り向けば全員が引いていた。

 

『うっわぁ、完全に息の根を止めにかかってたよね。筆を折る勢いじゃん……八幡くん、えげつな。単純に面白くないとかつまらないとかいう感想よりもよっぽど酷い。盗作の臭わせやさりげなく好きな人をバラすとか。こんなの残虐すぎて流石の私も閉口しちゃう……』

 

 まったくもって閉口していない。むしろ開きっぱなし。

 

 そんな感想を抱く俺の横腹を人差し指でツンツンと由比ヶ浜がつついてきた。どうやら同情を引くくらいには無様な死にっぷりらしい。フォローしたらと言外に訴えてくる視線に俺はうなずいて言葉を選ぶ。

 

 任せとけ。

 

「まぁ、中身なんてそんなに重要なもんじゃねぇよ。大事なのはイラストだから」

 

『鞭で、蹴りで、蜂じゃん……』

 

 九音の呆れたような言葉が材木座義輝の小説に関する批評の締めとなった。

 

 その後、なんとか息を整えて起き上がった材木座は千鳥足で椅子までたどり着き、一息ついた後にぷるぷるとした両足で立ち上がる。

 

 その様相が今回の件の悲惨さを醸し出していた。そんな様子であるものの扉の前まで歩いて最後に少しだけ振り向く。

 

 まぁ、ここまで酷評したんだ、恨み言の一つや二つは飛んでくるだろう。

 

「……また、読んでくれるであろうか」

 

 だから耳に届いたその言葉は予想外の代物。いや、夢の出来事を思い出せば当然なのかもしれない。

 

 確かに夢の話で現実感の無いお話だ。

 

 それでも夢の中の材木座の言葉は嘘じゃないのだろう。ちやほやされたいだけじゃないという。賛辞だけが欲しいわけではないと。

 

 率直な感想を求めていたのだ。そこを汲むのなら材木座の言葉に不思議は何もない、むしろどこまでも自然なのだ。

 

 どのような結果であれ、どのような批判であれ。折られるような言葉であったとしても。それを受け入れる覚悟で見せてきたのだ。

 

 この奉仕部の扉を叩いた時には、叩く前からきっとその覚悟は決まっていたのだと。

 

「……どMなの?」

 

 由比ヶ浜の辛辣な意見。九音も同様の意見なのか縦に首を振っては肯定を示していた。

 

 俺は二人の意見を代弁するかのように尋ねる。答えなど既にわかっていた愚問だとしても。尋ねずには居られなかった。

 

「あんだけ言われてもまだやる気かよ」

 

「無論。そりゃあ、あれだけ言われたら我以外の人類は皆死ねとか、なんで八幡は女子に挟まれて楽しく部活動で青春してるんだとか、我が先に好きだったのにとか、どうせ生きててもモテないし友達居ないし、死んじゃおっかなとかも思ったりもした」

 

「だよな。あんだけ言われればそうなる」

 

 苦笑を零す。むしろ苦笑しか出ない。けれども材木座は笑みも見せず、自嘲もせずにはっきりと言う。批判も批評も非難も指摘も飲み干して言うのだ。

 

「それでもやっぱり嬉しかったのだ。自分の書いた作品を読んでもらい、感想を貰うというものは本当によいものだ。この想いに何と名前をつければいいのか判然とはせぬが――それでも読んでもらえるとやっぱり嬉しいよ」

 

 そこでようやく材木座は笑う。

 

 それは決して剣豪将軍として作られた笑みではなく、痛々しいロールプレイではなくて。

 

 材木座義輝の、素の材木座の笑顔だった。

 

 中二病も突き抜けて、それを形にできる作家病に昇華したのならばそれはもう立派に一つの業なのだ。書きたいことが、伝えたいことがあって形にして、そして少しでも誰かの心に響いたのなら嬉しくて。それが誰にも認められずとも書いて、書いて、書き続ける。そこまで貫いたのなら立派な病人だ。

 

 だから返答など決まっていた。眩しくも突き詰めた材木座の真剣の形なら。

 

「読むよ」

 

 読むに決まっていた。嫌われても、白眼視されても、馬鹿にされても、嘲笑われても。それでも形にしたナニカがあるのならきっと俺は読む。

 

 曲げずに諦観することなく、足掻きに足掻いた人間らしさならば俺は読んでしまうのだろう。

 

『……生意気だよね、コイツ。ムカつく』

 

 両肩に回される手。呟いた九音の言葉は不機嫌で。少なくとも俺と同じように材木座に眩しさを見たのならその言葉には納得が行く。

 

 小さく聞こえた、漏れ出た舌打ち。悔しさと生への嫉妬が九音の心境を表しているような気がした。

 

「また新作が出来たら持ってくるよ」

 

 そう言い残して材木座は堂々とした足取りで。まるで夢の世界での、堂々とした立ち振舞と同じように。

 

 敵無しとばかりに去っていった。その背後に向かって。

 

『ばぁーか! ばーかっ! 持ってくんな! 排泄物!』

 

 あまりの堂々とした態度が悪霊一匹の機嫌を奪っていくのだから立派なもんだ。

 

 たとえ幼く間違っているように見えたとしても。幼子のように夢は叶うものという大人の言葉を真に受けた態度であろうとも。

 

 それを最後まで貫けるのならばその生き方はきっと酷く、残酷な程なまでに正しい。

 

 間違った生き方をしている人間には眩すぎて直視出来ないほどには。誰かに非難をされて自分を変えてしまうくらいならきっと偽物で。本心ではないのだろう。

 

 だから曲げず、折れずに貫こうとするその姿勢は変わらなくていいと思ってしまう。願ってしまう。

 

 たった一つ。あの気持ち悪い部分を除けばの話だが。

 

 今回の御話を総じて考えるとやはりメインキャストは材木座の御話だったのかもしれない。不思議とそう思う。

 

 白昼夢も蜘蛛の恩もオマケで。例えストーリーテラーの役割を奪った女の子の話だったとしても。

 

 それでもそんなものを差し置いてメインの御話は小説だったのだ、と思えるほどに立派な去り際であった。

 

 もちろん、こんな感想は俺だけで。既に去った依頼人に対して興味など失った女子三人、もしくは女子二人と一匹にとっては何の関係も無い御話なのかもしれないが。

 

~~~~~~~~

 

 後日譚。数日後の御話。

 

 夢の件を九音に話して、蜘蛛の巣と夢に纏わる怪現象に遭遇して数日経った今日の六限目は体育。

 

 いつもの如く、ペアの相手は材木座であり、あいも変わらず痛々しい男である。

 

 変わったことなど殆どなく。友達になったわけでも無ければ、気安い関係になったわけでもない。ただ少し会話が増えた程度のこと。

 

「八幡よ、流行の神絵師といえば誰であろうか?」

 

 二人一組のストレッチ。背中合わせになった材木座を背負いながらそんな台詞を耳にする。そして交代で背負われ、背中の筋肉を伸ばしながら問いかけに答える。

 

「気が早すぎだっての。そういうのは賞を獲ったやつが考えることだっての……」

 

「ふむん、なるほどな。ならばどこの出版社に応募してやろうか……どこが我に似合うと思う?」

 

「なんで賞を取って出版できる前提なんだよ。自信だけありすぎだろ」

 

「……売れたらメディア化して声優や女優と結婚できたりするかな?」

 

「ほんと、そういうのは書いてから言えよ……まずは書け。話はそれからだろうが」

 

 少し変わった関係。友達では決して無い。気安くもなんともない。ただまったくの見知らぬ他人よりかは少しだけ近い距離感。顔見知りにカウントするのも恥ずかしいレベル。

 

 会話の中身も大した内容でなければ残念で陰キャ同士に相応しく、笑いが溢れるような面白さは欠片も無く。気の利かない小噺。前提から崩壊している矛盾だらけで頭の悪い会話。

 

 けれども少なくとも嫌な時間ではなかった。

 

 まぁ、それだけであり、それ以上のことはない。

 

 ストレッチを終えた時にふと、カサカサと材木座の肩に乗った蜘蛛を発見する。布越しだからか材木座に気づいた様子はなく、俺は指をさして指摘する。

 

「おい、材木座、肩に蜘蛛のってんぞ」

 

『スメアゴル、ほんとに蜘蛛に好かれるよね。やっぱ気持ち悪い不快な存在同士だからかな? お仲間だからかな? というかこの前の蜘蛛じゃん。色もあれだし』

 

 九音の言の通り、黄色鮮やかな蜘蛛は春の終わり、初夏の前、梅雨前には珍しいジョロウグモ。

 

 俺の指摘に気づいた材木座は蜘蛛を――。

 

「うぇっ、気持ち悪っ」

 

 パンッとはたき落とし、運動靴で踏みつけて確りと殺した。その体重を確りと載せた踏みつけては確実に命を奪った。

 

 その様子を俺と九音は絶句しながら見つめる。

 

 そんな視線を知らぬ材木座は「うぇえ、ばっちいばっちぃ」と呟きながらマラソンコースのスタート地点へ向かっていく。

 

 ぴくぴくと痙攣しているのが最後の足掻きなのか、やがて動かなくなった蜘蛛を見て俺は素直にこう思った。

 

 やっぱ材木座ってクズだわ、と……。




※次回は二十九日の投下予定となっています
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