足山九音が幽霊なのは間違っている。   作:仔羊肉

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暮春【始因】

 比企谷小町。

 

 比企谷家の長女にして地元中学の三年生。中学最終学年という年齢にも関わらず遊び呆けている愚妹である。

 

 九音曰く、愚かしさと可愛さは比例するとのことで愚かしいまでに愚かな我が妹の可愛さは天井知らず。まるで可愛いの化身。こんなの妖精や天使ほかならない。

 

 ついつい朝っぱらから頭の悪い、偏差値が二十か三十そこらの雑誌を眺めていても可愛い。たとえそこに激モテやらラブ活やらラブフェロモンやら。とにかくひたすらに頭の悪い単語が並んでいたとしても小町の愚かさを伝えてくるばかりで可愛さに関しては何ら影響はない。むしろ公式で言えば可愛さは比例して増すばかり。おいおいこれ以上、可愛くなったらどうなるんだよ。

 

『なるほど、愛され系は目で殺す、か、なるほどぉ』

 

 うんうんと同じ程度の知能指数に成り下がった九音が小町の後ろから仲良く見るかのように背後霊と化しては頭の悪い発言をしていた。全然かわいくねーわ、ただの馬鹿だわ、これ……。

 

 現在二人が読んでいる雑誌は中高生女子の間で爆発的に流行っている雑誌らしい。読んでいないとクラスでハブにされる程とのこと。

 

 おいおい、いつからこの日本はここまで頭が悪くなったんだ。毒されている世間を心配してみる。けれども悲しいかな。世を憂いエントランス活動を行ったとしても所詮は一人。誰も聞きやしないし、誰も同調してくれない。所詮はマイノリティー、俺一人が声を大にして指摘したところで多数派からの非難轟々を受けることになるだろう。

 

 なんたることだ、真実は常に愚かな大衆に捻じ曲げられる。日本の沈み行く光景が目に浮かびながらも止めることができない。なんて俺は無力なんだ……。

 

 そんな朝食の光景。片やジャムを塗りたくったトーストをボロボロと雑誌の上に溢し、片や日本の今後を憂いながらもパンくずはちゃんと皿の上に落とす行儀のいい男。

 

 妹の行儀の悪さに一つ目小僧が現れたら家全体の運気が下がりそう。そんな愚妹の背後には頭の悪い幽霊が。そして行儀もマナーも知ったことかとばかりに朝食を食べる妹を注意することも無い兄。

 

 なんて光景だろう。マシな存在は俺だけだった。

 

『およ、八幡くん。そろそろ時間だね』

 

 雑誌から視線を外して時計を見た九音による指摘。同じように時計を見れば長針が八と九の間を指し示している。

 

「おい、時間」

 

 雑誌にのめり込んでいる妹に声をかけると三人目の確認者は慌てふためきはじめる。

 

「やっばぁ!」

 

 音を立てて雑誌を閉じ、ソファーに投げ捨てられ。その際にボロボロと挟まったパンくずが粒子のように宙を舞い、地面へ。後でかーちゃんに怒られるやつ。

 

 そんなことに気づいていない小町は唇の横にペースト状のイチゴを失敗した口紅のようにつけたままテーブルを去ろうとしていた。

 

「唇の横にジャムつけたまんまだぞ」

 

「え? 嘘、ジャムってる?」

 

「口がコピー機なわけ? ジャムるの使い方間違ってんでしょ」

 

 そのまま可愛らしいパジャマの袖でジャムを拭い、脱ぎ始める。

 

「お兄ちゃんって時々言っている意味がわかんなよねー。日本語大丈夫?」

 

「俺の日本語力を心配する暇があるなら自分の英語力を見直せ」

 

『辛辣だねぇ。まぁ、小町ちゃんは国語も英語もお察しだしねぇ』

 

 二つの教科だけで済めばいいが、その他の教科も中々に心配になってくる。中学三年生になった小町の進学志望先は今のところ総武らしい。が、このままでは難しいと言わざるを得ない。

 

 俺からしてみれば総武高校なんてやめとけって言いたいところなのだが根拠を聞かれたところで正直に打ち明けるつもりはない。打ち明ける理由が無い以上、否定する理由が弱いので心の中で呟くので精一杯。

 

 それに数日前まで頭が茹だってスピリチュアル、オカルトに関する雑誌を読んでいた人間をわざわざ再燃させる必要もあるまい。

 

 心境の変化なのか何なのか。何があったのかよく知らないが、一昨日、昨日と気落ちしている姿を見かけては毎朝のようにぎゃーすかと煩かったオカルトについては口を噤んでいた。何があったのだろうか。

 

 まぁ、根堀葉掘り聞くことじゃねぇか。

 

 少なくとも俺だって人に言えないことが一つや二つ、いやよくよく考えれば人に言えないことばかりなので比べる方が失礼。そもそも人に言ったところで誰も興味を示さないのだが。

 

 そんな受験生はブラにショーツといった立ち姿。しかしながら妹である。幾ら可愛かろうと所詮は妹。色気を感じることも無ければ性欲を刺激されることもない。

 

 むしろその立ち姿に共感性の羞恥を抱いてしまう。見てくれがどうとか、スタイルがどうとか言うわけでは無く。その開けっぴろげの行儀の悪さに顔を赤くしては恥じ入るばかり。所詮リアル妹なんてこんなもん。千葉であろうとなかろうと妹相手に恋心を抱くなどファンタジー。

 

 食後に水を飲んでいるとそそくさと着替えている姿が目に入る。ほんと恥とか無いのかしら、この子。

 

 そんなことを思いながらコップの中身を飲み干す。本来なら朝くらいは至高の珈琲である黄色と茶色の縦縞を口にしたい所であるがぎゃいのぎゃいのと煩い幽霊のせいで久しく口にしていない。

 

 去年の夏頃くらいからだろうか。急に健康志向に目覚めた女幽霊は『こんな身体に悪いのを毎朝飲むなんて禁止! 馬鹿じゃないの! 私の目が黒い内は君の口に練乳入り珈琲など飲ませるもんか!』と禁止令を発したのだ。

 

 もちろん、俺が従う義理など無い。けれども飲むたびにブツブツと呪詛を呟いたり、ポルターガイストを駆使して悪戯をされては溜まったものではない。

 

 それに禁断症状が出る寸前にはきちんとお許しをくれるというのだから完全に調教された犬かのよう。

 

「準備ができたよ、お兄ちゃん」

 

 二杯目を口にしていれば意気揚々とばかりに声をかけてくる小町。

 

「兄がまだ飲み物を飲んでいる途中でしょうが」

 

 怒りもせずにイントネーションだけで北の国のモノマネをしても小町に伝わる様子は欠片も無かった。伝わったのは幽霊のみでその幽霊もシラッとした瞳で見てくることから恥ずかしさがこみ上げる。

 

 そんな俺の心境など知ったことかとばかりに遅刻〜遅刻〜と鼻歌を口ずさんでいた。

 

 いや、そうしない為にわざわざお前の鞄を持って通学路をわざわざ遠回りしてるんだからね? ちょっとやる気が出なくなるような歌、歌わないでくんない?

 

 思い出すのはかれこれ数ヶ月前の出来事。冬真っ盛りの高校一年生の時のこと。

 

 小町を自転車の荷台に乗せて送り届けたことがあった。それ以来、この妹は兄を利用しては学校へ行くという方法を学んだのだ。そんな賢しい術を学ぶよりかは学校の勉強をしなさいとかーちゃんもとーちゃんも言わない台詞を口にしたくなる。

 

 けれどもこのくらいの年齢に口酸っぱく言ったところで効果は雀の涙ほども無いだろう。むしろ反感買って勉強をしなくなる。間違いない、ソースは俺。

 

 そんなわけでこれ以上に頭が悪くなったら困るので小町に勉強をしなさいと俺は口にしない。口にしなかったことで結局のところ勉強してないんだから何の効果もないのでは? と思わなくもない。

 

 そんな都合のいいことだけは学ぶといった要領の良さはピカイチのものがある小町。少なくとも俺を利用するといったスキルに関しては太鼓判を押せる。

 

 もちろん、小町だけではなくそこに居る悪霊にも利用されるし、何なら今まで遭遇したことのある女性の形を模した怪異にも利用されたこともある。俺の女性に対する不信感は着々と育ちつつある。

 

 靴に履き替える養育者に対して俺は一言ぽつりと皮肉を溢す。

 

「もしも俺に恋人とか彼女が出来なくて生涯独り身だったらお前のせいもあるんだぞ」

 

「ん? 何の話? まぁ、でも……その時は小町に任せて!」

 

 にっこりと微笑む小町。

 

 えっ……なになに。俺としては呆れられたり馬鹿にされたりするかと思っていたのに蓋を開けてみれば慈愛に満ちた瞳に優しい答え。

 

 ドキドキと胸が高鳴る。

 

『……いや、多分、それ期待してるような答えじゃないと、思う』

 

 悪霊が何か戯言を抜かしていた。こんな小町を疑うなんてこいつ正気かよ。見ろよ、この優しさに溢れた可愛いお顔。俺を貶すなんてことを考えてない無垢な瞳を。

 

 はぁー、ほんと。信じるという心を失ったらほんとダメだわ。

 

 俺は小町の言葉の続きを待つ。俺を養ってくれるとか、一生側に居てあげるとか。俺の妹がこんなに可愛いわけがないわけが無い。

 

「頑張って施設に入れてあげるね! 小町は素敵な旦那さんと二人で幸せに生活するんだー」

 

 酷いってレベルじゃなかった。その上で何の施設なのかわからないあたりが凄く怖い。というか、それ以上に――。

 

「えっ!? 彼氏居んのか!?」

 

 朝っぱらから聞かされた衝撃的な内容。テンションが下がる。そのようなゴミムシが発生してたというのだからやる気も下がるというもんだ。もちろん、そのような虫は我が家の敷地を跨るものなら、いや千葉県内に存在するというのなら駆除しなければなるまい。

 

 これに関しては父親からも賛同を貰えることだろう。なにせ「小町に近づく男は兄でも殺す」とクレイジーな思考を持つ男なのだ。もしも世間のお茶の間を賑わせることになったら息子としてきちんと「間違いなくいつかやると思っていました」と証言してやる。小町の彼氏くんよ、安心してくれ、きちんと法で裁くから迷わず成仏してほしい。

 

 彼氏の嬉々的状況に気づかぬ小町はくねくねと身体と揺らし、テレテレとばかりに頬を掻きながら俺の言葉に反応する。

 

「えー、いやー、彼氏っていうか、まだそうじゃないけどぉ……」

 

「えっ、何お前。彼氏でも無いのに彼氏とか言っちゃってるわけ……えっ、こわっ」

 

「なっ!? お、お兄ちゃんのバカっ! いいじゃん! 好きな人相手に少しくらい妄想したって! お兄ちゃんなんて脳内でお友達作って部屋で喧嘩するくせに!」

 

 以前、部屋の中で九音と軽い口論になった際に夕飯を呼びに来た小町によって引き起こされた惨劇の御話。父親は優しくなったし、母親も優しくなった。小町も三日間くらいは凄く優しかった。

 

 あれ以来、お互いに触れないでおいたアンタッチャブルをここぞとばかりに持ち出す小町。癇癪の虫が騒いでいるであろう少女を抑えるためにとりあえず頭は下げずとも口先だけでも謝罪をする。

 

「わかった、わかったよ、悪かった……。それで遅刻するんじゃねーの?」

 

「あーもー! お兄ちゃんのせいだっ!」

 

 えぇ、他罰すぎんでしょ。ぷんすかと先に出る小町の後を追う。横に並ぶ幽霊の口元は手で隠されているが、クスクスと笑い声が漏れている。 

 

『こんなの八幡くんが悪いに決まってるよ。乙女心は繊細なんだからもっと大事に扱ってくれなきゃ』

 

 悪霊の戯言を聞き流しながら準備を終えて家を出る。そして自転車を見て見ると籠の中には既に鞄だけ置いてあった。

 

 鞄の入った自転車を漕いでは高校の方向――ではなく中学校時代の通学路。てれてれと漕いでいれば視線の先には走っている小町の姿が。

 

 二人乗りでもすればもっと余裕をもって中学校へ辿りつけるだろう。しかしながら普段から禁を破る行為と云うのは避けている身だ。正確に述べるなら一度だけ遭遇した二人乗りに関する怪談を体験して以来やるつもりは無い。

 

 たとえ一度は無事に切り抜けたとしても二度、三度と同じ目に遭うなんて馬鹿らしい。近寄らない、近寄らせないと云ったのはボッチの対人関係における基本ではあるが、対怪異においての基本的なスタンスでもある。

 

 そういうわけで二人乗りで送り届けるなんてことは二度とせずに、鞄だけ持って中学校近くまで偶に小町を送っているのだ。

 

「ハッ、ハッ、ホッ、ホッ」

 

 目的の人物の隣につけて並走していると、さらに後ろを憑ける幽霊が呟く。

 

『なんかエッチなゲームに出てきそうな呼吸だよね』

 

 人の妹になんてこと言いやがるんだ、この悪霊。

 

 くそ失礼なことを言う幽霊を無視したまま、小町の鞄を眺める。中学校時代の鞄というものは非常に重い。自転車の籠ですら少し沈み込む。

 

 鞄を預かって走って登校するのと、鞄を持ったまま歩いて登校するのじゃ掛かる時間は段違い。八と九が示していたデッドラインもこのペースだと易々とクリアできるだろう。

 

 二人乗りを自らに禁止した当初はぶーぶーと文句をたれていた女子中学生も慣れたもので。スピード配分や走る仕草に迷いが無い。最近では兄と似て逞しくなってきた太ももが悩みだとか。

 

 お前のどこが太ってんの? と疑問を投げれば非難殺到。幽霊も加わり二対一でチクチクとデリカシーの無さを厭味ったらしく懇々と説かれたのは少し前の出来事。

 

 そんなことを考えていると歩きのデッドライン組みに合流したらしく、中学の制服を着た男女がチラホラと。

 

 ゆっくりと歩き、息を整え始める。そして完全に整った後に。

 

「お兄ちゃん、タオル」

 

「はいよ」

 

 籠の中の鞄からタオルを取りだして汗をかく小町へ。小町は軽く顔や手を拭いた後にこちらへ渡してくる。それを鞄へ。

 

「制汗シート」

 

「はいよ」

 

 そういって籠の中から指定の代物を取り出し手渡す。シートで各部位を拭いた後にくるくると丸めて籠の中へ。

 

 そして鞄を取りだして俺の背後を指差す小町。

 

「いってよし」

 

「……あいよ」

 

 相も変わらず我侭放題の妹であった。ゆっくりと自転車を漕ぎだして時計を見る。

 

 こりゃあ、間に合いそうにねぇわ。

 

 小さく溜息を吐いてはぎーこぎーこと。

 

『妹を遅刻しないように送っていながら兄が遅刻してるんだから遅刻しない為だなんて本末転倒だよね。ほんっとシスコン。シースーコーンっ!』

 

 ふわりと自転車の荷台に座る九音。

 

 小町と二人乗りをして送り届けた後に起きた怪現象。その際は二度と小町を後ろに乗せたりしないと俺は誓った。

 

 そういえばこれは二人乗りになるのだろうか。幽霊は果たして乗員になるのだろうか。一度でもタクシーで乗員認定された俺としては荷台にわざわざ座る必要のない幽霊に向かって何か言おうと後ろを盗み見る。

 

『ん? どしたの?』

 

 肩越しに見えた顔を見て結局のところ降りろという小言を飲み込む。

 

 女ってずるいわ、本当。

 

 幽霊を果たして女性としてカウントしていいのか等甚だ疑問ではあるものの。それでも面と向かって文句の一つや二つを言えやしない以上数えていいだろう。小町にだってそうである。

 

 それが雪ノ下や由比ヶ浜になれば文句を言うどころか文句ばかりを頂く始末。

 

 概念的な御話で言えば女性のイメージは口論や口喧嘩に強いというものを俺は持っている。そんな強者にわざわざ挑むほどマゾではないのだ。

 

 女性というアレゴリーが持つ概念、認識は有史以来の積み重ねによって出来た代物。だから三人も集まれば姦しいと言われる。

 

 一人、一匹でありながら三人分くらい煩い幽霊を荷台に載せて、機嫌よく口ずさむ鼻歌を耳にしながら我が母校を目指す。

 

 二人乗りという禁に関しては黒寄りのグレーでギリギリ罰せられなかったとしても、遅刻という禁を破る。禁を破れば罰がある、それが怪異絡みでないのならまぁ、いいかと思ってる程度には感覚が麻痺してきた。

 

 強いて言い訳させて貰えれば俺は悪くない。言いたいことも言えない世の中が大体悪い。やっぱなんもかんも社会が悪いわ。

 

~~~~~~

 

 

 本日の選択体育はテニスかサッカーの二択。三クラスが合同の体育はむさ苦しさ満載の六十人もの男が運動場の片隅に集まっていることから始まった。

 

 ここから六十という人間を二分割するのだが前期のバレーと陸上に比べたら偏りは少なくであろうと予測する。

 

 前回までの三クラスによるスポーツテストは終わり、今回からが体育本番とばかりにぎゃいのぎゃいのと騒いでいる連中が目に入る。うるせぇ……。

 

 そんな俺達に向かって体育教師である厚木が選択希望を取る。

 

 さて今回は、と……。

 

 予測というものは外れるもので、五十人近い人間がテニスに手を挙げた。なんでこんな人気なんだ……譲れよ、そこは。俺にチームスポーツなどできるわけがねぇだろ。

 

 絶対に譲らぬという固い信念を抱きつつも体育教師は運否天賦、じゃんけんによりサッカーに回る人選を決めることに。

 

 ここで勝ったところで要らぬ嫉妬を買い、負けたところでチームスポーツに参加させられる。

 

 誰かが聞いていればそんなことくらいで嫉妬を買うなんて、と言うかもしれない。確かにそうだ、俺だってそう思う。

 

 けれども俺がそう思うことと他人がそう思うことは必ずしも同義ではないのだ。むしろそんな軽口を叩いて人間の感情の機微など全部理解していますなどと口で言うほど対人関係があるわけでもない。

 

 たかがじゃんけん一つに無駄なことをつらつらと考えてしまった。きっと見知らぬ男子生徒が出した意思の強き石の象徴が、その手の持ち主の表情が。そんな無駄なこと考えさせたのだろう。

 

 そんな意思の強さも俺の紙袋が上回るというのだからいちいち嫉妬や恨みに気を揉むほうが無駄なのだ、きっと。

 

『うっわぁ、めっちゃ恨みがましそうに見てるぅ、八幡くんにも勝てない雑魚のくせに、ざぁこ、ざぁこ!』

 

 ぷーくすくすと背中に張り憑いている幽霊が名も知らぬ同級生をこれでもかと馬鹿にする。

 

 しかしながらこの幽霊は実のところじゃんけんはクソ弱。こいつがじゃんけんするときは基本的にチョキしか出さない。それでいてこっちが勝てば勝つまでやるとばかりに何度も何度も挑んでくるのだから負けず嫌いここに極まれり。

 

 だから俺としても常日頃からそんなめんどくささを嫌ってパーを出す習慣が身についていたらしい。今回もそれに準じての結果。

 

 ちなみにこの幽霊がチョキを出す割合が多いのは理由がある。この女幽霊はチョキが指を一番綺麗に見せるというのを真に受けてアホみたいにじゃんけんはチョキと決めているのだ。ジンクスもクソも無い。ただの実利でただの自己主張。

 

 現実逃避するくらいには目の前の恨み骨髄とばかりの視線が気になってしまう。そんな視線から逃れるためにそそくさと退散して別の生徒たちが集まる場所に移動すれば、図体のデカい男がグローブをつけた自分の手を呆然と見つめていた。

 

 その男は振り返り、俺が見ていたことに遅まきながら気づいたようで。

 

「……勝った?」

 

「勝った」

 

 野太い呻きを漏らしながらそのまま自分の手と片膝を地に置く。同じ紙袋であったとしても奴の代物はずたずたに引き裂かれてしまったらしい。

 

 地面に蹲る男――材木座は手負いの騎士か武士かのように片膝立ちで苦悶の声を漏らす。

 

「ふ、ふふっ、ふはっ、八幡よ! これは敗北ではない。我にサッカーせよと神が導いたのだ――紙だけにな、ふひっ」

 

 開いた手のひらを此方に向けて気持ち悪い笑いをこぼす材木座。九音など不快この上ないとばかりにストレートに『死ねば?』と罵倒していた。

 

「お主に我の『魔球』を披露出来ぬようだ。実に残念だ……ところで八幡、我は一体、誰とパスの練習をすればいいの?」

 

 最初の方こそ鷹揚に堂々としていたが途中からどんどんと声のトーンは下がり最後には素に戻って涙目で此方へ訴えてくる。知るか。

 

 欠片も興味がわかず、心底どうでもいいことであった。そもそも材木座のことよりかはまずは自分のこと。俺も誰とパスすればいいのか。

 

 そんな心配は無情にも体育教師の笛の音で中断される羽目に。移動を余儀なくされたサッカー組は殆どの人間がテンションが下がっていた。ぞろぞろと影を落としつつ移動する様は亡者の群れのよう。

 

 最後まで材木座と名前の知らない男子生徒は此方を恨みがましく、未練がましく見ていた。そんな連中を無視してさっさと移動。テニス担当である厚木がテニス組を集めている輪の後方を位置取り、話に耳を傾ける。

 

 集められた生徒たちは一通りの基礎をレクチャーされた後に指示された。

 

「よーし、お前ら。まずは打ってみろ、二人一組を作れー」

 

 ボッチを殺しにくる教師。最早、いつ打ち合わせしたのかわからない程に光の早さでペアを組んでいる面子もチラホラと。こんなの熟年夫婦ですら勝てない。そんな以心伝心っぷりに恐れおののいていると、遅れてペアを探しはじめる大多数にすら出遅れてしまう。そして最後の相手が見つけられない奴らが残っている。その中には俺の姿もあった。

 

 この中からお互いに組んで余り者にすらなる自信のある俺は先手を打つべく体育教師へと提案をした。

 

「あの、すいません。俺、あんま調子よくなくて。ペアの相手に迷惑かけちゃうと思うので壁打ちしていいですか。すいません」

 

 言いたいことだけを宣告して返事も待たずにそそくさと移動しては壁打ちを始める。始めてしまうと厚木もタイミングを逸したのか、止めることもなく他の面々を見回し始めた。

 

『……性質悪ぅ』

 

 俺が選んだ壁の近くにあるベンチに腰掛けて足をぷらぷらさせながら九音が言ってきた。なんとでも言ってろ。

 

「……ふっ、敗北が知りたい」

 

 完璧なまでに完璧な手腕。調子が悪い事を先んじて告げては、対案を出す。さらには体育自体にはやる気ある事を告げるのがミソ。もっと言えば一番最初に謝罪をもって来たことにより相手の頭に「何のことだ」という疑問を湧かせて、その間に怒涛の勢いで押す。完璧なまでの展開に我が事ながら恐れおののいてしまう。天才かよ……。

 

 遅刻をするときも同じように謝罪、理由、謝罪をおこうなうことによって数多の出来事を赦してもらってきているのだ。実績は凄い。

 

『いやいや、赦してもらってないから。許して貰えてないから奉仕部なんかに入って、よく先生に顎で使われちゃうんでしょ』

 

 嫌な現実をつきつけてくる女幽霊を無視して壁打ちを続ける。打球を追いかけながら打ち、さらには跳ね返ってきたボールを打つ。何度か打ってみればそれなりのコツは掴み、上手くラケットの面に中てれれば走る距離は段々と少なくなってくる。

 

 そんな俺の様子を楽しそうに微笑みながら見る幽霊。何が楽しいのやらさっぱりで。少なくとも他の男子の試合もどきの方がよっぽど見応えがありそうなもんだが。

 

 そんな疑問を抱きながら黙々とひたすらボールを打ち返していると、一番近くのコートで大声が上がった。

 

「うらあっ! おっ、今のよくね? やばくね?」

 

「今のやーばーいわー。あんなの取れねぇーわ! 激熱だわ」

 

 男であっても集まれば姦しい。騒がしい面々の顔ぶれを見て見ればリア充の帝王である葉山の姿もあった。どうやら四人組であるらしく、よくつるんでいる金髪ともう一人がキャッキャキャッキャと楽しそうにテニスをしている。そのカルテットが織り成す不協和音は隅っこで壁打ちしている俺にまで届く。

 

『あーうざい……死なないかな、あいつら』

 

 どうやら耳障りだったのは俺だけではないらしい。視線だけを軽く葉山のグループに向けていれば耳に届いたのは近くからの愚痴。いつの間にか背後に回っていた九音が不機嫌そうに呟いていた。

 

 その言葉に嫌な汗が流れ始める。いや、大丈夫だ、あの材木座にイライラしつつも結局は何もなかったじゃねぇか。幾ら気の短い癇癪持ちの幽霊だからって毎度毎度問題起こすわけない、ない筈だ……。

 

 心穏やかに体育を終わらせた身としては黙々と壁打ちを続けながらも何も起こらないように祈ることしか出来ない。

 

 そんな俺の心配など知らぬとばかりに再び金髪が大声で寄生をあげる。何事かとばかりに他のコートからも注目が集まった。

 

「うぉぉぉぉぉぉぉっ!? 凄くね!? 葉山くんの球、今曲がったくね? マジやべーっしょ!」

 

「いや、悪いミスった。偶然打球がスライスしただけだ」

 

 片手をあげて謝る葉山。しかしながら王様の謝罪の意を汲んだ木っ端はここぞとばかりに持ち上げる。

 

「マジ!? スライスとか魔球じゃーん。やっぱ葉山くんぱないわ! マジ超ぱない!」

 

「やっぱそうかなー。サンキュ」

 

 ヨイショヨイショとする金髪に乗っかる王様。そんな王様の下へぞろぞろと新たな臣民が二人ほどやってくる。

 

「葉山くん、テニスもうめーじゃん。スライスだっけ? さっきの。あれ、俺たちにも教えてよー」

 

 四人組は六人組へ。

 

 そして六人組になったことで元々、テニスコートで覇権を取っていた国がさらに国力を増す。こうして葉山キングダムはテニスコートの覇者として君臨することに。葉山王国民以外は自ずと声も小さくなり、こそこそと。そして王国民はぞろぞろと数を増してうぇいうぇいうぇいうぇいと楽しそうに。

 

『……はぁ、あの金髪死なないかな。毛根全部引っこ抜いてやろうかなぁ』

 

 女幽霊の目が少しずつ据わる。本能的に不味いかもと予感が――。

 

『しないよしないしない。でももっとストイックにテニスしろっては思うかな。せっかく私が八幡くんを眺めながら応援するマネージャーのイメージプレイしてたのに……これじゃあ台無しだよ、もぅ』

 

 どうしてこの女幽霊が楽しそうに壁打ちを眺めているのか理解して呆れてしまう。

 

『なんだよぉ、その目! いいじゃん、いいじゃん、マネージャーのイメージプレイ。ほら、私を甲子園につ――』

 

「スラーイスッ! うげ!」

 

 大きな弧を描いたボールが飛んでくる。黄色の硬式ボールは今しがた何かを言おうとしていた肩に乗っていた九音にぶちあたり、貫通した。

 

『……。……ッ! ……ハァ、人がしゃべっている時に邪魔をしちゃいけないって習わなかったのかな? というか八幡くんと私の会話中に邪魔するだなんて空気読めないよねあの金髪。よし、死ね』

 

 握っているラケットがグググッと引っ張られる。必死に握ったまま、それでもラケットは動かされ、壁打ちをしていた壁にぶち当たって足元に転がってきたボールを。

 

 ラケットでボールを掬い、宙に浮く。一秒、二秒と滞空したボールは網によって打ちぬかれた。

 

 最早、抵抗するのを諦めて、せめてこの光景に不思議が纏わらないように見てくれだけは整えて。

 

 サーブを打つかのように上から下へ、振りぬく力も込めずにただラケットの動きに腕を合わせる。

 

『ひゃっほー! ストラーイクッ! 死ねッッ!』

 

 テニスに多分そんな用語は存在しない。しかしながら九音の狙い通りに球は綺麗に飛んでいき、超スピードで先ほどまで楽しんでいた葉山王国民の足元に叩き付けられる。幸いなことに人には当てなかったらしい。

 

 減退しない威力のまま彼らの背後の網に綺麗に嵌るというのだから溜息しか出ない。

 

 顔を上げて見れば静まり返ったコートの上には呆然とした視線の数々。

 

『はぁーっ! 超きもちいい! お山の大将どもがレベチに呆然とする視線気持ちいい! そうそう! これだよね、これ。身の程を弁えとけよー、お前らー。次はお前らの頭ぶち抜くぞー、調子乗んなよー、お前らー』

 

 実に生き生きと楽しそうに笑う女幽霊。

 

 楽しいのはこいつだけでしかない。コート内の空気は死んでいるし、俺の目も腐っている。ドロドロと溶かしてはどうしたもんかと頭を悩ませていると――。

 

「あ、ありがとねー」

 

「う、うす」

 

 葉山が間を持ってくれることにより「飛んできたボールを返した」という状況にしてくれる。例え、そのボールの勢いに返球する以上の怨みが込められていたとしても。見なかったことにしてくれるようだ。

 

 小声で返した頭は本来ならばもっと深く下げるべきで。

 

 こんな出来事があったからと言ってリア充よりも満たされるわけもなく。ましてや上だなんて到底思えず。ただただ気まずさが残るだけ。

 

 静まり返って黙々とテニスを始めるコート。不協和音が聞こえてこなくなったにも関わらず酷く居心地が悪い。

 

 テニスの時くらいは黙々と考えるのをやめて爽やかな汗を流したかったのだがそうもいかないらしい。

 

 青春なんてさせないとばかりの悪戯に恨みがましい視線を向けてしまう。

 

『……ふふっ』

 

 楽しそうに嗤う九音は苦悩をまるでわかっていますとばかりに微笑んでいて。そんな幽霊が見ている前で壁打ちを続ける。まるでお通夜のように静まり返ったコートの隣で。一人と一匹ぼっちで黙々と。

 

 

~~~~~~~~

 

 

 昼休み、いつもの昼食スポットでいつものように飯を食う。特別棟の保健室、購買近くの小階段。石段三つの段差でも階段と呼ぶことをどれくらいが認知しているのだろうか。

 

 唯の段差くらいのイメージが殆どの石に腰を下ろす。マイベストプレイスとも呼べるこの場所。購買の近くでありながら人気の少ない落ち着いたこの空間は居心地が頗るいい。そんな場所で俺は黙々と不味いパンを食べる。

 

 学生には筆頭不人気を誇るであろうほうれん草や人参をふんだんに挟んだパンは今日も不味い。

 

 何故、こんな苦行をしているかと言えば隣に座る浮遊霊が原因。奴の頭の中で謎に蔓延る健康志向はお昼のパン枠を一つ確保している。

 

 この女幽霊の機嫌不機嫌一つでお昼に多大な影響があるというのだからめんどくさい。ちなみに今日は別に不機嫌というわけではなく、四限が体育でテニスだったために謎の健康志向がアップを始めて健康に良さそうという抽象的かつ頭の中がカラッポな理由でほうれん草人参パンが選出された。

 

 コッペパンの中に雑に挟まれた茹でた人参とほうれん草と謎のソースが絶妙に食欲を奪ってくる珍品だ。泣きそう。

 

 口直しに他のパンを食べれるのならそうしたいが、あいにく嫌なことはいつまでもしないタイプ。何なら仕事だって本来ならしないタイプ。そんなわけでウインナーロール、ツナおにぎりと食べてからのゲテモノ食い。こんなんじゃ俺、午後の数学、さぼりたくなっちまうよ……。

 

 そんな全ての元凶たる幽霊は隣に座っている。耳元から聞こえる鼻歌が機嫌の良さを示していた。お昼前にあれだけ暴れれば機嫌も良くなるってもんだ。

 

 テニスをしていた生者の意気を奪っているというのだから機嫌の一つや二つはよくなって当たり前。ならせめてパンの方ももう少し手加減してくれても良かったのだが。

 

 未だに口の中で後を引く緑黄色野菜の自己主張を忘れるべく近くに置いてあるスポーツドリンクで胃に流す。

 

 なんとか口の中の嫌な感覚が拭えた後、一陣の風が吹く。その吹き抜ける風は不穏で生温い。九音と俺の視線の先、ジャージ姿でテニスをしている女の子もそのテニスボールが風に揺られてあらぬ方向へ飛んでいた。

 

 臨海部に位置する総武高校は昼を境に向きが変わる。朝方は海からの潮風が、大体この時間帯を境に向きを変えて大きく吹き抜ける。そしても一度還るかのように吹き抜ける。

 

「あれ、ヒッキー?」

 

 還る風に乗って聞こえてきた声は最近よく聞くようになった女の子のもの。振り向けば――由比ヶ浜がきょとんとこちらを不思議そうに見ていた。

 

 由比ヶ浜結衣。クッキーの女の子、クッキーに御呪いをした女の子。そして呪いが還った女の子。

 

 呪いと聞けばおどろおどろしさがあるが恐らく女子中高生あたりで流行ってるであろうお呪いとかそこら辺だろう。

 

 本格的な知識もなければ、怨念や怨讐じみた気持ちもきっと無い。あってたまるか、いつだって怪異と遭遇した時に見せられてきたあの質量を込めたなど思えるわけもない。思いたくもない。

 

 そんなわけでちょっとしたおまじないの果てに起きた結果により現在取り扱いに少し困惑している。

 

 奉仕部における初の依頼人であり、今は奉仕部に入り浸っている少女。放置していても問題ないか、と俺は思っているが――それでも先日の蜘蛛の件。雪ノ下との夢の話を考えればその考え方が本当に正しいのかわからなくなる。

 

 けれども今まで自ら進んで解呪と云った対応をしてきなかった身である。というかおいそれてそんな儀礼的なやり取りを俺如きができるなど思えない。それにこの問題の切っ掛け、取っ掛かりすらどう掴んでいいのかも曖昧だ。

 

 素直に「俺の食べたクッキーにお呪いした? 悪い呪い返ししちゃった」と言えば返されるのは馬鹿にされたり、アホを見るような視線。いやそれくらいで済めばいいが最悪救急車の出番である。俺だって同じようなことを何も知らずに言われればアホを見る目で返すだろう。

 

『心配しすぎじゃない? 確かに一号の方はさ、なんかそのうちどうにかしないと不味い気が少しするけど、二号は自然と解決しそうだし。たかがクラスメートじゃん』

 

 それも、そうか……。

 

 確かに警戒しすぎ……なのか? ここ最近、雪ノ下に関することが多すぎたからそれに準ずるように由比ヶ浜に対しても警戒を抱いていたがそれは俺の思い過ごしなのだろうか。

 

『所詮はただの御呪いでしょ? そもそも本命は君じゃないだろうし。本気で恋やら愛やらを込めていたなんて思えないし。あのお呪いだって仲良くなりたいの延長線上でしょ? それに思いが成就したなら既に終わった御話じゃん。あの女に比べたら驚異でもなんでもないよ。怪異に直接影響を貰ったわけでもなし、巻き込まれたことはあれど舞台の主役に立てやしないモブだよ、モブ』

 

 本命。考えてみればそうか、と納得が行く。あのクッキーは御礼のために作られた。その相手は誰なのか、考えるまでもない。雪ノ下だ、雪ノ下雪乃なのだ。

 

 その思いの行き先をその呪いの行き先を勝手に自意識過剰に自分だと。なんとも恥ずかしい勘違い。

 

 あまりの勘違いに顔は熱を帯び始める。呪い返しどうこうだとかそもそもがそんな大きく捉えるのが大間違いだったのだ。

 

「ヒッキー……? もしもーし」

 

 九音とは逆の方向からポンポンと軽く肩を叩かれて我に変える。そもそも由比ヶ浜の近い距離感が勘違いさせるのだ。中学時代だったら危なかった。勘違いして、逐一目で追っちゃうところだったわ。ついでに偶然とばかりに帰り道で遭遇して通報されるレベル。

 

「あ、おぉ……」

 

「ようやく気づいた。そっち何があんの?」

 

 そう言って立ったままひょっこりと肩越しに九音の方向を見るが由比ヶ浜の目には俺と自分の新しく出来た影しか映らない。

 

 足山九音の腰掛ける場所を見れど、その瞳には――。

 

「何も無いじゃん」

 

 もちろん、何も映らない。由比ヶ浜には見えないし、それは正しい。どこまでも間違っていないことなのだ。

 

「ところでさ、こんなとこで何してんの?」

 

 空っぽの袋、今はラップしか入ってないビニールを片手で持ち上げてわかりやすい証明品で返答する。

 

「ここで昼飯食ってんだ」

 

「ふーん、そーなん。でもなんで? 教室で食べれば良くない?」

 

『この女邪魔ぁ、せっかく八幡くんと二人っきりだったのに……最近こういうの多くない? 多いよね? ねね? ねっ?』

 

 挟まれての質問攻めにげんなりする。片や答えるとしても恥ずかしく、片や答えることも出来ず。どちらの質問に対しても答えることでデメリットしか産まないので話をすり替えることにした。

 

「んで、どーしたんだよ、お前は。こんなとこで」

 

 質問に質問で返すというマナー違反。完全無視した方は『ねね? ねーってばぁ、ねーねー』と鬱陶しい。

 

 由比ヶ浜はそんな俺を責めもせずに気分を害した様子もなく嬉しそうな表情を浮かべていた。

 

「そう! それ! 実はゆきのんとジャン負けしてさー、バツゲームってやつ?」

 

『あー! この女、とうとう八幡くんと罰ゲームって言いやがった! なんて失礼な女なんだ!』

 

 いや、お前の方がクソ失礼だからね?

 

 ガルルルと唸りながら肩越しに由比ヶ浜を睨む。俺はこのやかましい幽霊にため息が漏れてしまう。

 

 すると由比ヶ浜はそれを違う方向に勘違いしたらしい。わたわたと手を振っては違う違うと言う。

 

「ジャン負けの内容はジュース買いに行くやつだから!」

 

 その仕草を座って見上げている形のせいか、手をふる先にあるものに注視してしまう。慌てて振っているせいかたゆんたゆんと揺れる胸が心做しか強調されているかのように見えなくもない。ふむ……。

 

『おいこら』

 

 背後から怨念の篭った声が聞こえたので明後日の方向へと目をそらす。

 

 すると「んしょ」と可愛らしい声で由比ヶ浜は九音と逆サイドに腰を下ろした。その小さな漏れ出た声から女の子らしさを感じる。少なくとも背後から『どっかいけよぉ、いけよぉ、行けってばぁ』とぶつぶつ呟く声よりかはよっぽど。

 

「ゆきのんさー、最初は『自分の糧くらいは自分で手に入れられるわ。そんなささやかなことで承認欲求、競争心を満たそうだなんて浅ましい』とか言って渋ってたんだけどね」

 

『うわぁ、滅茶苦茶言いそう』

 

 九音の言葉に同感。めっちゃ言いそう。

 

 頷いた俺に由比ヶ浜は楽しそうに話を続ける。声色こそ似てなかったが特徴と捉えた物言いはなんとなく雪ノ下を彷彿させた。

 

「そこでさー、あたしが自信無いんだ? って言ったらノッてきた」

 

『滅茶苦茶ノリそう……』

 

 それな。九音の言葉がすべてだった。

 

 最早、このエピソードだけで雪ノ下雪乃の人物像の一部分が語れるほどに判りやすい御話。極度の負けず嫌い、先日の奉仕部で平塚先生の挑発を受けた雪ノ下らしい話である。

 

「あいつ、らしいな」

 

 俺の言葉ににこにこと頷く由比ヶ浜。そんな優しい微笑み、楽しそうな微笑みを浮かべる女の子が隣に居るというのが酷く居心地が悪い。若干距離が近いというのも拍車をかけている。

 

 そんな俺の様子をいつの間にか段差下の正面で見上げるようにかがみ込んだ九音がじっとりとした視線を送ってくる、

 

『鼻の下伸びてるんですけど』

 

 間抜けならばここで鼻の下を確認することだろう。あいにく、俺は年がら年中、間が抜けているわけではない。そっと視線を逸らして何の話とばかりに白を切る。

 

「でさー、ゆきのんったら勝った時に小さくガッツポーズしたんだよ。もうなんか、すっっごい可愛かった」

 

 楽しげに話すその顔にはたしかな満足が浮かんでいた。そして、少しだけ陰る。

 

「なんか、うん。なんかこのゲーム初めて楽しいって思えたんだ。負けても楽しかった」

 

 珍しくもその言葉には棘があった。いや、それは俺が産み出した幻想の棘なのかもしれない。けれどもその疲れたように呟いた最後の一言と、初めてと強調された部分が。俺に棘を幻視させたのだ。

 

「前にも、あったのか?」

 

 言葉は出た後に後悔する。触れても良かったのかと。けれども悔いの残る言葉に、踏み込んだ言葉に由比ヶ浜は答える。

 

「うん、前に、ちょっとね」

 

 曖昧に濁らせながら。

 

 その言葉にソレ以上踏み込む気にはなれなかった。そうやって言葉を濁して、分かりやすく覚悟を問われれば、俺は足を引き返す。

 

 超えないように、触れないように。お互いの関係を変えてしまうことがないように。

 

 だからさっさと流すかのように、どうでもいいとばかりに軽口を叩ける。

 

「はんっ、内輪ノリってヤツかね。興味ねーわ」

 

 詳しいことはどうでもいいとばかりに口に出す。 

 

 そして思い出すのはクラスでの出来事。教室の一角でぎゃあぎゃあとはしゃいでいた集団が居たという記憶。それを小馬鹿にすることはあれど同情したことは一度たりともない。憐憫も持たない俺に何も言えることは無いはずだ。

 

 もしも由比ヶ浜結衣と仲良くなりたいなら赤点の反応なんだろう。証拠に由比ヶ浜は面白くないと小さく頬を膨らませていた。

 

「その反応感じ悪い。なによ、そーいうの嫌いなの?」

 

「身内ノリとか楽屋ネタとか面白くねーだろ。あ、内紛は好きだぞ、俺は内側にいたことねーからな」

 

「がくやねた? ないふん?」

 

 幼い子どもが聞きなれぬ言葉を繰り返す様子で由比ヶ浜の口から言葉が飛び出す。

 

「全部楽屋ネタは内輪ノリとか内輪受けとかと似たようなもんだ。ちなみに内紛は内輪揉めのほうだ」

 

『厳密に言えば楽屋ネタって違う気がするんだけど……まぁ、別にいっか』

 

 正面の女幽霊は屈んででは膝の上に肘を設置して、その上に顔を載せたままそんなことを呟いた。

 

 もちろん、そんな呟きは由比ヶ浜には届かず、会話を思い出しているのか「うーん」と小さく唸っていた。そして理解が及んだのか小さく手を打つ。

 

 その後にじっとりの睨む様子に物を申したくなる。

 

 手打ち、膝打ちとは人間が納得した時に打たれるものなのだ。つまりは問題が解決した時に打つべき祝音。つまり問題が解決したくせに睨む由比ヶ浜が間違っているだけであって、俺は間違っていない。完璧な理論、QED証明終了。

 

「理由が悲しいし、性格がゲスじゃん」

 

「ほっとけ」

 

 完璧な理論ではあったが感情論で論破されてしまった。

 

 再度として風が吹く。吹き抜ける不吉のせいで舞う髪を押さえる由比ヶ浜。ちらりと横顔を覗き見れば、目が合う。

 

 その瞬間ににへらと笑みを零されれば、初対面と何か印象が変わった気がする。

 

 そうか、少しメイクが薄くなっているのか……。以前に比べると明らかに薄くなった化粧はナチュラルメイクと呼ばれるような代物だろう。その化粧が童顔をさらに際立たせる。

 

 素顔に近い由比ヶ浜は笑うと垂れ目になり、それが一層増して幼げに見えてしまう。

 

 由比ヶ浜の変化の証。それが何でかは理由はわからない。予想することは出きれど、その胸中を完全に当てることなど出来やしない。けれどもその理由に雪ノ下が関係してくるのかもしれないと思ってしまう。

 

「というか、ヒッキーも嫌いだって言う割には内輪ノリ多いじゃん。ゆきのんと部室で話しているときとか楽しそうだし! あー、あたし入れないなーって思うことたくさんあるし」

 

 膝に顔をうずめる。そしてそのまま少しだけ動かして見上げるような顔で不満を溢す。

 

「あたしだってもっとお話したいなー、とか。仲良くなりたいのに……あ! ち、ちち、違うよ! 別に変な意味じゃなくて! ゆきのんみたいに部活仲間として仲良くなりたいってことだからっ! 勘違いしないでよねっ! その辺ちゃんとわかってる!?」

 

『何年前のツンデレだよ、こいつ……』

 

 呆れたように俺から由比ヶ浜へと視線をずらして呟く九音。

 

 由比ヶ浜はワタワタと手を振って焦っているが、安心しとけ。勘違いすることなど決して無い。どこをどう勘違うのか、どう捉えるのか。

 

 由比ヶ浜結衣が比企谷八幡に対して異性として好意を抱いている? ありえない。決してありえない、断じてないと俺は言い切る。

 

 俺は、俺は――。

 

 足山九音からの好意ですら疑ってしまうのだ。一年前からの付き合いで、いつからこんなに言い始めたのか覚えておらず、こんな関係性に至ったのか覚えてもいないが。

 

 むしろ最初期にはあれだけボロクソ言っていたこいつが俺を好きだなんてどんな心変わりなんだと。

 

 直接確認することもしなければする気も起きない。そしてその言葉に納得してしまえばどういう関係になるのか想像できやしない。

 

 もしも俺がその答えを、その返答を、間違った答えを、いつものように間違ってしまえば。もしも九音が居なくなってしまえば、死ぬ。

 

 夢の中で味わった。あの後味悪いバッドエンドは俺一人では怪異に対峙できないという証明。

 

 力も無い、知識も満足に持ち合わせて無い、能力すら無く。無いものでしかない俺が九音を手放すことがどれほど恐ろしいことなのかつい先日体感してしまった。

 

 しかしながら日常では常日頃から鬱陶しがっている俺が。そんな嘘付きの言葉にどれだけの価値があるというのか。思っていない愛を吐き出して、吐き出し続けた俺が、足山九音を引き止める術を持っていない。

 

 ただの寄生虫、ただ利用しているだけの恥知らず。

 

「ヒッキー……?」

 

 どこか心配そうに覗き込んでくる視線で我に返る。誤魔化すかのように皮肉げな笑みを浮かべては答えた。

 

「安心しろ、お前相手に関しては勘違いしねーから」

 

「ど、どういう意味だっ!?」

 

 がばっと顔をあげて怒る由比ヶ浜。ぷんぷんとばかりに頬を膨らませてはこちらを両手で殴りかかろうとしてくるのでこちらも両手のひらを前にして「どうどう、落ち着け」と制す。

 

「まぁ、落ち着け。雪ノ下に関しては別だろ。ありゃ、不可抗力だ」

 

「どーいうこと?」

 

「あぁ、ごめんな。不可抗力とは『人の力ではどうにもならないこと』って意味だ。難しい言葉使って悪い」

 

「違うしっ! そこじゃないしっ! あたしが言いたいのはそういうことじゃなくて! 意味がわからないとかじゃなくて、あたしのことバカにしすぎっ! あたしだってちゃんと入試を受けて総武高校に受かったんだからねっ!?」

 

 ズビシと由比ヶ浜のチョップが喉を憑く。ツッコミというには余りにも的確に入った地獄突きに軽く咳き込む。そんな俺の様子をちらちらと盗み見ながら由比ヶ浜は話を再び始めた。

 

「……ねぇ、ヒッキーってさ。入試じゃなくて、えっと、入学式の時のこととか覚えてる?」

 

 残念ながら由比ヶ浜は知らないであろうが俺が入学式のことを覚えれるわけもない。何一つとして記憶に無い。

 

 なにせ、入学式の朝に事故に遭い、新入生歓迎をみんなが受けている頃に俺は手術を受けていた。

 

 一生忘れることは無いであろう思い出を、その日に築いたにも関わらず、その内容はあまりにも異なる。

 

 あの恐ろしいまでに綺麗で、見惚れるほどに魅入るほどに綺麗な幽霊との出逢いを、出遭った日をきっと忘れない。この先、何があったとしても、どんな風になったとしても。

 

 高校生活など風化するほどの時間が経ったとしても。俺はきっと忘れない。忘れることなどできない。

 

 そんな一日だったのだ。式典など参加せずに病院に居た俺にはその質問に答えようが無かった。

 

「あー、そもそも俺は入学式の日、事故に遭ってんだ。だから参加してねーんだよ」

 

「……事故」

 

「あぁ、入学式の朝にアホな飼い主が犬のリードを離してな。そのワンちゃんを英雄の如く救った俺、それはもうカッコよすぎた日のことだ」

 

 大げさにフィルターをかけて自己肯定感を高めてみる。当時のことは九音も知らない。九音も知らないなら誰にも知られていない出来事なのだ。

 

 多少盛ったところえ誰にもバレない嘘。

 

 そもそも誰も褒めちゃくれないからこうやって自分自身を褒めてあげないといけないのだ。嘘をついた原因も考えると社会が悪いとまで言える。俺を褒めない社会が大体、悪い。

 

 とはいえ、思っていた反応と異なる由比ヶ浜の様子。呆れでもなく小馬鹿にした様子でもなく。

 

 口角を引きつらせてはどこか苦しそうに言葉を出す。

 

「あ、アホって……ヒッキーはその子のこと覚えてないの?」

 

「や、それどころじゃなかったし。痛くなければ覚えませぬってわけじゃねーけど、あんまりにも痛すぎて痛い以外の記憶殆どねぇ。まぁ、印象に無いってことは地味な子だったんじゃねぇの?」

 

 今でこそ振り返れば軟弱だったと振り返る。あの時以上の痛みや苦しみなどざらにあり、それ以上の命の危機も数多とあった。

 

 あの程度のことで錯乱していた自分を責めるのか、それともこの一年間で上回る痛みを経験しすぎな自分を嘆くべきか。

 

 少しタイミングが異なればもう少しマシな怪我だったのかもしれないが、犬を突き飛ばして頭から車に突っ込んだ結果、俺の黄金の右手は見事に折れていた。

 

 それだけではなく、擦過傷は出来るし、転がったせいか制服はボロボロ。そもそも意識を取り戻した時は病衣であり、当時の出来事など碌に覚えちゃいないのだ。

 

「――」

 

 由比ヶ浜がモゴモゴと小さく何か呟いた。当時のことを遡っていた俺はその余りにも小さな言葉を聞き取ることなど出来ず、聞き返そうとした時に気づく。

 

 小さく、小さく弾けた音。

 

 ゾワリと産毛立ち、音の方向を見れば――足山九音の髪を縛る紐が切れていた。

 

 その髪紐は彼女の怒りが頂点に達した時にいつも解けた。けれども今回は異なる。その表情は苦悶。

 

 色んな感情が綯い交ぜになり、憤激、驚愕、恐れ、不安、納得、自制、理解。そんな表情を浮かべては俺と目が合っていることに気が付き俯く。まるで隠し事をするかのように。

 

『……なんでもないから』

 

 なんでもないわけねぇだろ。けれども聞き返すことなど出来やしない。俺がこいつの何を知っているのかと問われれば何も知らないのだから。正体も、どんな幽霊なのかも、浮遊霊なのか、悪霊なのか、善霊なのか。

 

 なにもかも知りやしないのだ。だからそんな立場でありながら、ただの恥ずべき存在でありながら。訳知り顔でそんな台詞を履けるわけもない。らしくないなど言えるわけもない。

 

 それでもやっぱり思ってしまうのだ、足山九音らしくないと。

 

 言いたいことをずけずけと言って。悪意たっぷりに小馬鹿にしながら。皮肉気味に上から目線で。色んなことを言ってきた九音が言葉を濁すというのは酷く珍しい光景であるからこそ、そう思ってしまう。

 

 それこそ我慢するその様子はまるで痛みすら帯びているかのようで。けれども本人が言わないと決めたなら聞けるわけもなく、何もないというのならそれ以上気にしないように努めよう。

 

 話題を切り替えるかのように俺は由比ヶ浜との話に戻る。

 

「そんで、それがどーしたよ?」

 

 同じように、何かを言いたいけれども言えない雰囲気を醸し出す少女に尋ねる。するとがばりと急に顔を上げてこっちを真剣な瞳で見つめてきた後に――自嘲するかのような笑みを浮かべた。

 

「なん……でもないや、うん、なんでもない。と、ともかくヒッキーは入学式のこと覚えてないんだよね? 事故にあってその犬の飼い主、女の子のことも覚えてないんだよね?」

 

「ん? 俺、女の子って言ったか?」

 

 言った記憶の無い情報に違和感を感じて――。

 

『地味な子って言ったから勝手に向こうも女の子や小さい子って思ったんじゃない? 男なら地味なヤツとか地味な男って言うって考えたんじゃないかな』

 

 九音の言葉にそういう視点もあるかと納得はするが、どこか気持ち悪い違和感だけが残る。けれどもその違和感は。

 

「言った言った、超言ってた! むしろ女の子としか言ってなかった!」

 

「どんだけ女って言ってんだよ。気持ち悪いだろ、それ……。ちょっと女に飢えてるみたいなレッテルやめてくんない?」

 

 アホの発言で拭い去られる。まぁ、言葉一つに深い意味でもあるまいし、別にいいか。

 

 俺の返答にたはは、と下手糞な笑いを浮かべながら視線をそらす。そして視線は自ずと正面へ。

 

 テニスコート裏に続く路地、壁打ちをしていた女テニの女の子へと向かう。どうやら丁度終わるようで、片付けて向かってくる途中で由比ヶ浜が手を振る。

 

「おーい、さいちゃーん!」

 

 ぶんぶんと手を振るその仕草はどうやら知り合いのよう。さいちゃんとやらも由比ヶ浜に気づいたのか小さく手を振ってはとててと可愛らしい擬音をつけて小走りでやってくる。

 

「よっす、練習?」

 

 敬礼ポーズの由比ヶ浜の問いにさいちゃんとやらは小さく破顔しては頷く。

 

「うん、うちの部弱いから昼休みも練習しないと……お昼にも練習してるんだ。コートもお昼に使わせてくださいってお願いしててようやく許可が下りそうなんだ。由比ヶ浜さんと比企谷くんは何をしているの?」

 

 どうやら俺の名前を知っているらしい。名が売れていることを喜べるわけもなく、そもそもが悪評。

 

 この小柄な女子に過去のアレコレが知られていると思うと少し物哀しい。中学時代の俺だったのならば名前を知られていることから「あれ、この子、俺に興味あるのか?」と俺自身が興味を示し、勝手に「この子、俺を意識してね?」と俺が意識し、最終的に「あれ、この子、俺のこと好きなんじゃね?」とか勘違いして俺が好きになっちゃう。そして告白しては振られる。

 

 それはもう様式美とばかりに綺麗さっぱりと振られる。ふぅ、危ない危ない。今の俺は名字を呼ばれたところで好いた惚れたなどに発展はしない。

 

 よくよく考えれば名字を呼ばれる度に惚れた腫れたしていれば職員室に呼ばれる度に平塚先生に惚れてしまうところ。振られても翌日には焼けぼっくいに火がつくかのように再燃してしまう。そんなの嫌だ……。

 

『うっわ、くっそ下らないこと考えてる顔だ』

 

 さいちゃんとやらの隣で屈む九音がアホを見るかのような失礼な視線を送ってくる。しかしながらこうして見るとさいちゃんとやらは女子の中でも小柄な方であるらしい。

 

 九音は女子の中でも平均より少し高身長くらいなので、それよりも一回り小さい。さらには由比ヶ浜より少し小柄に見える。どこか小動物を思わせる少女は可愛らしく小首を傾げていた。

 

「やー、何もしてないよ。ね?」

 

 由比ヶ浜は同意を求めていたが、少なくとも俺は心地の良いランチタイムの途中であった。というか、こいつ、パシリの途中だったのでは? と完全に目的を見失っている由比ヶ浜。実に残念なやつであった。

 

「そうなんだ」

 

 さいちゃんとやらは小さくクスクスと笑った。笑うポイントがあったのかは不明だが微笑ましそうなその笑みをわざわざ崩すような真似をする必要もあるまい。

 

 視線をずらして九音を見ればそちらは何故かこちらを貫くかのような強い視線。目を細めて何かを疑うかのような様子は何を疑われていることやら。

 

『……ねぇ、八幡くん。あ、でも、待てよ』

 

 一旦呼びかけては再び何かを考えこむ様子。何なんだよ、一体。中途半端な呼びかけにもやもやが残る。女子三人、うち一匹は幽霊ではあるが、そんな状況は非常に肩身が狭く、居心地が悪い。

 

「さいちゃん、授業でもテニスだったよね? それっでお昼もテニス? 大変だねー」

 

「ううん、好きでやってることだから」

 

 話を初めた二人。只々ひたすらに黙って聞く置物と化す。女子の会話に割って入るなど俺にとってはハードルが高すぎる。

 

 そもそも振られてもいない話題に勝手に入り「こいつ、急に何。キモ……」という雰囲気になったら居た堪れなくなって死ぬ。ちなみに話を振られても上手く答えることが出来ずに死ぬ。

 

 やっぱ振るなんてことは良くない。告白にせよ、話題にせよ、仕事にせよ。振ることによって傷つけるというのなら初めから関わらない方がいい。つまり、俺が人と関わらないのは他人を傷つけないためである。こんなの俺の優しさで世界が救われちゃうわ。

 

「あ、そういえば、比企谷くん! 比企谷くんってとってもテニスが上手なんだね!」

 

 はい死亡。完全に置物と化していた俺は話を振られるなんて微塵も思っておらず目をパチクリとするばかり。

 

「そーなん?」

 

「うん! フォームも綺麗だし! 今日なんて足元に転がったボールをそのまますくい上げてそのままサーブしてボールを返球してたんだぁ。すごくかっこよかった!」

 

 え、この子、俺のこと好きなわけ?

 

 ――ハッ、危ない危ない。興奮気味にカッコいいとか言われたからつい好きになっちゃうところだった……。

 

 生きている女子にキラキラとした視線を送られたのは果たしていつぶりだろうか。少なくとも幼い頃の小町にくらいしか送られたことのない類の視線に居心地の悪さを覚える。どう反応すればいいのか迷いに迷って、結局の所その言葉に便乗することにした。

 

「え? あー、いや、あっはっは、照れるな」

 

「うん、凄いや! 比企谷くんは!」

 

 やっぱこの子、俺のこと好きなんじゃない……?

 

 ――ッハァ!? あ、危ない危ない、今度こそ好きになってなんなら偶然を装って放課後待ち伏せした挙句一緒に帰ろうと提案しちゃうところだったわ。あんまりにもべた褒めしてくるから俺が好きになっちゃうところ。

 

 ついでに言えば罪悪感もマッハ。なにせ褒めている内容はすべてあの悪霊の仕業である。そんな原因の幽霊はさいちゃんとやらと俺の顔を交互に見ながら『ん? んぅ? んんんんぅ?』と唸っていた。

 

 こちらから誰コレと合図を送って見ても幽霊はとんと気づかず、むしろ何かを考えこむような仕草。

 

 しょうなしに俺は隣に居る由比ヶ浜に耳打ちをするかのように尋ねた。本来なら九音に聞くのが一番ベストな答えなのだろうが、由比ヶ浜に小声で尋ねることもまたベターな選択と言えよう。見覚えの無い女の子に直接「で、お前誰?」なんて傷つけるような台詞は間違いなく赤点。

 

『あぁぁぁ!! やっぱり! この変態ッ! さっきから視線がやらしいと思ったんだ!』

 

「はぁぁぁ!? 同じクラスじゃん! っていうか体育一緒だったんでしょ!? なんで名前忘れてんの! 馬鹿じゃない!」

 

 二人に一方的になじられる。ベターな選択の筈が由比ヶ浜が大声で俺が覚えてないことをばらしたためにさいちゃんとやらにまで伝わってしまう。

 

 というか九音の言葉の意味がわからない。二人の非常識を問い詰める言葉、さいちゃんの少しだけ潤んだ瞳に俺は言葉を搾り出す。

 

「ばっか、お前。お前、ばか! 覚えてるっつーの! 記憶の引き出し方忘れただけで超覚えてるから! そもそも女子は体育の場所ちげーだろ!」

 

 明らかな罠選択肢に引っかかったらしい。ベターに思えた選択はどうやら大間違い。こちらの気遣いを完全に無視した由比ヶ浜の暴露により、俺が名前を知らないことが伝わってしまった。

 

 筋違いとはわかりつつも由比ヶ浜のせいだと思わずにはいられない。どうするべきかとさいちゃんとやらの表情を伺うと――瞳をうるうるっと、うるっとさせていた。

 

 この目はやばい。もう妖怪でいうところの赤殿中や座敷わらしを泣かすような気分。罪悪感で胸が痛い。

 

 可愛らしさとかいじましさが交じり合って、今にも決壊しそうな涙腺を必死に堪えて笑うさいちゃん。そのさいちゃんがおずおずと言葉を搾り出す。

 

「あ、あはは、ご、ごめんね。やっぱりぼくの名前覚えてないよね……同じクラスの戸塚彩加です」

 

「こ、こっちこそすまん。クラス替えしてから時間も経ってねぇし。人の名前を覚えるのあまり得意じゃねぇんだ」

 

 言い訳にならないような言い訳を重ねる。それでもないよりマシだろと思って口に出した言葉は。

 

「あ……。え、えへへ。い、一年の時も同じクラスだったんだよ……えへへ、ぼくって影が薄いから」

 

 ダブルで墓穴。ダブルボケ……そもそも墓穴しか掘ってない気がする。

 

「やー、そんなことねぇから! あれだ! ほら、俺ってそもそもクラスの連中と関わり薄いし、そもそもあんまりクラスメートの名前も覚えてねぇし。隣に座るこいつだって今、名前何だったっけとか必死に思い出している最中」

 

「あ! そういえば今日、名前で呼ばれて無い気がする! 本気で忘れてる!?」

 

 流石にそれは冗談であるが。隣で「由比ヶ浜だから! 由比ヶ浜結衣!」と自己主張の激しい女の子。覚えろとばかりに頭をぺしぺしと叩いてくるが生憎と電化製品ではないので叩いたところで直ることはない。

 

 しかしそんなやり取りですら戸塚という女子生徒は羨ましそうに見てきた。

 

「……そっか、由比ヶ浜さんとは仲いいんだ」

 

「え? えぇぇぇっ!? な、仲良くなんてないよっ! ないない! ぜんっぜん! ほんと! もう殺意くらいしかないから! ヒッキー殺してあたしも死ぬとか! そんな感じ!」

 

『ちょっと! 人の属性奪わないで! ヤンデレとかやめて! そういうの私の専売特許なんだけど! やめろよ、そういうの、ほんとやめろよぉ……』

 

 場が混沌としてきた。由比ヶ浜は否定するあまりヤンデレみたいなことを言い出して、その台詞に女幽霊はショックを受けて、そんな光景を羨ましそうに見るテニスの少女。

 

「いやいや、心中とかやめてくれよ、愛が重いよ、お前……」

 

「ち、違うし! 馬鹿じゃない? 馬鹿じゃない!? そ、そういう意味で使ってないし!」

 

『わ、私はそういう意味だからね! 八幡くんを殺して私も死ぬみたいなことできるからね! むしろ八幡くんは私が殺す! くらいには想ってるからね! 褒めて!』

 

 褒めねぇよ。どこに褒める要素があったよ、今。ぎゃあぎゃあと騒がしい二人とは対照的に戸塚は小さく呟く。

 

「ほんと、仲いいね……」

 

 その呟きの後に一歩と近づく戸塚。

 

 九音が座る場所から一歩と、そしてもう一歩と近づく。眼前とも呼べるその距離、見上げれば吐息があたりそうなその距離で見つめられる視線は真剣で。

 

 ひゅるりと飛んでは隣に座る九音が腕にしがみつく。そんな幽霊に視線を反らさず、目の前の少女を見続ける。

 

 目が合う。儚げに笑う戸塚という少女。その笑みが何を意味しているのかわからない。けれどもどこか寂しそうに笑うその姿は何かを告白するかのような前触れで。

 

 ドキドキと高鳴る胸。姿勢を正して戸塚の言葉を待つ。

 

『男だよ、そいつ』

 

 不意打ち気味の言葉。完全に心臓が一度止まった。

 

「ぼく、男の子なんだけどなぁ……そんなに弱そうに見えるかかなぁ」

 

 三つ目の墓穴が完成していた。

 

 彫りすぎた墓穴に止まった心臓と、止まり続ける戸塚の視線。間抜けな声が一瞬飛び出した俺は出来の悪いブリキのように由比ヶ浜の方向へ。こくりと小さく縦に頷く。

 

 そして再び油の指していないブリキは首を動かして先んじて正体を口にした幽霊の方向を見る。完全に呆れた目をしては頷く。

 

 最後の力を振り絞り正面の戸塚彩加を見る。はにかむ、可愛い。

 

 はにかんだ後に戸塚は視線を逸らしてもじもじと此方を伺うかのような上目遣い。可愛い、うっそだろ、ありえねぇ、またまた、御冗談でしょ? という俺の視線を受けた戸塚はとうとうとばかりにコチラへ解決方法を提示した。

 

 綺麗な指先がハーフパンツにゆっくりと伸びて、熱心に見つめた指先はぎゅっと小さく裾を握る。あまりの艶めかしさにゴクリと唾を飲み込んでしまう。

 

「証拠……」

 

 戸塚が小さく呟く。そして吐息があたる程の近くで可愛い戸塚が勇気を振り絞るかのように呟く、

 

「証拠、見せてもいいよ……?」

 

 心臓が早鳴る。まるで止まった分を取り戻すかのようにドクドクと血液の循環が加速する。

 

 突如として心の中に産まれたデビル八幡が囁く。

 

 いいじゃねぇかよ、見せてもらえよ。もしかしたらラッキーなことが起きるかもしれねぇぜ? と甘美な提案。

 

 しかしながら俺の中に残った僅かな良心がエンジェル八幡を産み出してはその甘言に待ったをかけた。

 

 お待ちなさい。どうせなら上も脱いでもらうのはどうでしょう? と。完全に悪魔と同一個体であった。良心残ってねぇのかよ。

 

 エンジェルの皮を被った悪魔であった。そもそもが同一人物から派生する善悪である。同一の意見どころか善も悪も一緒くたであったところで何もおかしいところはない。俺の中の良心は完全に死んでいて。悪魔も天使も悪いやつばっか、悲しいことに俺に良心は残ってないらしい……。

 

 まぁ、しかしながら。まぁね? ほら、本人が証拠を見せてもいいと言ってるわけだし? 本人から言い出しているわけだから――。

 

『殺すぞ』

 

 一気に冷えた。天使も悪魔も一斉にかき消されるような底冷えした声が隣から聞こえてきた。おそるおそると視線を動かしては見えた幽霊の顔は実にイイ笑顔。目が完全に笑ってない。

 

 俺はいやいや何でもねーから、大丈夫だから、何も問題ないから。こういう性別不詳の子は性別が不詳のままの方が人気でるし、そのままの方が良いまであると冷静かつ的確でスマートな結論を出すところだったからと心の中で弁明。

 

 その言い訳が通じたのか幽霊はそのまま首をコテンと横に倒して、笑顔のまま。

 

『ころすぞ』

 

 即座に戸塚に向かって手のひらを広げて待ったをかける。

 

「いや、悪かった。知らなかったとはいえ、やな思いさせちまったな。配慮が足りなかった。ほんとすまん」

 

 俺の言葉に戸塚は首を横に振り、慈愛のこもった微笑で。

 

「ううん、別にいいよ」

 

 ニコっと笑っては許してくれる。しかしながら隣に座る悪霊は未だに不機嫌で、唇を尖らせては不満と言った表情。

 

 この不味い流れを断ち切るために話題を変えることにした。

 

「そ、それにしても戸塚はよく俺の名前を覚えてたな」

 

「う、うん、比企谷くん、目立つもん」

 

 その一言で全てを察した。そりゃあ去年も一緒のクラスであったのだ、数々の寄行を思い出してみれば知られていて当然。むしろヤバイ奴認定されてても仕方なし。そんな俺に笑顔向けてくる戸塚はもしかして天使か何かなのか?

 

 そんな天使の言葉に隣に座る由比ヶ浜も「あー確かに」とばかりに納得していた。そして先ほどまで不機嫌そうな幽霊は吹けもしない口笛で明後日の方向を向いている。絶妙に吹けてない口笛の音が腹立たしい。

 

「ヒッキーってば変な行動多いもんね。この前の、えっと、えくすぺんまわし、だっけ? それもめっちゃ凄かったけど、どうして教室でやり始めたの? って思ったし、ねぇ、あれってもしかして――」

 

「ばっか、変じゃねぇっつーの! むしろ目立つ事が無いから中学の時は比企谷……誰? とか隣の席のやつに言われたことあるし」

 

「悲しい話だ!? あ、や、なんかごめんね……」

 

 それきり由比ヶ浜は目を逸らしていた。そんな重々しい空気をパンッと拍手一つで戸塚がフォロー。

 

「そ、それよりさ、比企谷くん。テニス上手いよね? もしかして経験者?」

 

「や、小学校の頃に配管工のテニスゲームをやってたくらいだ。リアルではやったことない」

 

「あー、あれね! みんなでやるやつ。あたしもやったことあるよ、ダブルスとか超楽しいよね!」

 

「いや、俺、コンピューターとしか対戦したことねぇからわかんねぇわ」

 

「……なんかごめん」

 

「お前、心の地雷見つけるの上手すぎでしょ? 見つけては確認のために一度踏んでみるみたいな男探知しないでくんない? 男前すぎるでしょ」

 

「ヒッキーが爆弾抱えすぎなんでしょ! あと女だから、あたし!」

 

 知ってるつーの、例えだよ、例え。

 

 そう返そうと口を開き返るが、その言葉は鐘の音により引っ込む。昼休みの終了をつげるチャイムが校内に響き渡っては全員で目を見合わせ。

 

「もどろっか」

 

 戸塚の合図により由比ヶ浜も立ち上がる。俺はその二人が歩いていく姿を見て少しだけ不思議な感覚に陥った。

 

 普段、あまり人ごみの中に居なかった俺である。だから、二人の生きている人間が傍から離れていくという感覚に違和感を覚えてしまったのだ。けれどもそれは普通の人間なら特別なことではないのだろう。由比ヶ浜や戸塚にとっては珍しいことではないのだろう。こんなことに珍しさを覚えている俺の方がおかしいのだ。

 

 ましてや、振り返っては此方を見る視線に覚えがなくても当然で。

 

「ヒッキー、何してんの? 戻ろうよ」

 

 あっけらかんと言われたその言葉に『俺も一緒に行っていいのか?』なんて愚問を口にしそうになる。そんなことを聞いてしまいそうになるくらいに珍しかったのだ、この光景が。

 

 けれどもそんな台詞はあまりにも無粋で、幼くて、恥ずかしくて、みっともなくて。俺の対人スキルの底を見せるかのようでついついと口に出たのは別のこと。

 

「お前、ジュースのパシりはいいのかよ?」

 

「……はぁ? なんの――あっ!?」

 

 由比ヶ浜は今思い出したとばかりの表情に呆れて笑い二人に並ぶ。

 

 そして、俺は憑いてこない女の子へ振り向く。いつもならば自然と回される腕に溜息を吐いているが、今日は違った。

 

 足山九音は座ったまま、段差に腰を下ろしたままじっと見ていた。

 

 俺ではなく――由比ヶ浜結衣を。

 

 そのあまりにも冷たく関心が無いかのような瞳は。焦げるほどに怨嗟の篭った瞳は。ない交ぜになった二つの瞳が由比ヶ浜を打ち貫いていた

 

『そりゃあ、因縁だよね』

 

 要領を得ない呟き。俺にだけしか聞こえない声。そして溜息、まるで厄介事に気づいたかのような。

 

『オマケじゃなくてそっちが本命だなんて気がつくわけがないじゃん。こんなのユルセナイ、ユルセナイ、許せない――けど、けれど、そのおかげで……』

 

 そこまで言葉を紡いで、必死に呑み込む。

 

 俺が見ていることに気がついた九音は間抜けにも驚き、そして眼を逸らして。

 

『何でもないから、何でも』

 

 そうやってようやく再起動。ひゅるひゅると飛んではしがみついて来る。けれども回されている腕は、いつもよりも食い込んでいて。いつもと違う、感覚に違和感。

 

 まるで必死にしがみつくような、そんな風に見えた。

 

 もちろん、俺の気のせいかもしれない。それでも何かを必死に堪える横顔が何を思っているのか。

 

 俺は足山九音についてまだ何も知らない。

 

「どーしたの?」

 

 立ち止まっていた俺を由比ヶ浜が尋ねてくる。軽く返事をして歩き出す。

 

 足山九音に何が見えたのか、何を思っているのか。遠回りに拒絶されては踏み込めなどできやしない。

 

 ましてや雪ノ下の問題を何一つとして解決してないにも関わらず、夢の中で食い殺されたにも関わらず――あの夢が果たして本当に唯の夢として終わらせていいのかもわからず。

 

 それでいて実は何一つとして解決していないという可能性すら頭によぎるのに、俺は何も出来ないことを言い訳にしていた。




※次の投稿は五月六日になります
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