足山九音が幽霊なのは間違っている。   作:仔羊肉

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暮春【相談】

 数日の時を経て再びおとずれた体育の時間。当たり前のようにテニスコートの隅に移動しては霊の監修の下、壁にボールを叩き込む準備を。

 

 一人遊びには随分と慣れたもので今や一歩も動かずにボールを返すだけの機械と慣れる実力を身に着けた。それもこれも全てはこの壁さんとのおつき合いとの賜物である。

 

 しかしながら悲しいかな、そんな彼女(壁)との付き合いも今日までで。

 

 もしも壁に関する御話で有名なものを一つ出すなら頭に浮かぶのは塗り壁。一部の地域発症の妖怪ではあるものの知名度は全国レベル。とある漫画やアニメを切っ掛けに瞬く間にその名を広めたシンデレラガール。

 

 灰色の壁をもしたその妖怪はあくまで創作上の出で立ちで。一節によれば正体は狸の陰嚢を目いっぱいに広げて視界を隠すといったものらしい。全然、壁じゃねぇ。

 

 見えない壁として語り継がれることもあれば視界を隠されることにより壁が現れたという目隠し説も存在する。そして祖形となったという仮説は家の壁に耳や口があったとのこと。

 

 つまるところその姿形など話それぞれで、人には問題や悩みの壁が立ちふさがるように、人によってその形を変える妖怪。人によって態度を変えなければならない現代においては当然のように身近でシンパシーを覚える妖怪なのだろう。

 

 無論、妖怪でも何でもない唯のテニスコート横の壁を慈しみを持って撫でる。今日でお別れか……。明日から始まるであろう試合形式の授業が俺たちを引き割く。後ろ髪引かれる思い、愛着すら湧いている壁ちゃんとの別れが辛い。

 

『……ねぇ、その茶番さっさと終わらせて壁打ちしたら?』

 

 情緒も無ければ、粋も無い女だった。

 

 呆れたかのようにベンチの上で例の如く足をぷらぷらさせる九音。無粋な女だと呆れる視線を送るが、向こうは馬鹿を見る目でこちらを見ている。解せぬ。

 

 しかし、その視線は次の瞬間に表情ごと変わる。

 

『……うげぇ』

 

 まるで嫌なものでも見たとばかりの表情。それはあたかも由比ヶ浜や雪ノ下を見かけた時と同じような。ちなみに材木座クラスになると黙って舌打ちの後に地面に唾を吐く。態度悪すぎない?

 

 何を見たのやらと不思議に思っていると――ちょんちょんと右肩を叩かれた。誰だよ、俺と壁ちゃんとの最後の青春を邪魔する奴は、と振り返ればぷにりと指が頬に刺さった。

 

「あはっ、ひっかかった」

 

 振り返った先には悪戯成功とばかりに笑顔を浮かべる戸塚彩加の姿。

 

 え、うそ、可愛すぎでしょ、これ……何、この気持ち。心臓が早鐘を打ち、まるで怪奇現象にあったときのよう。この可愛さはある意味では摩訶不思議であるので間違いではない。悪魔的可愛い……。

 

 そもそもが悪魔と天使は表裏一体、むしろ同一個体。性別すら超越する摩訶不思議代表格の一角である。そう考えると悪魔的に可愛い戸塚は天使だった……?

 

 それに天使って性別ねぇんだよな。

 

『男だよ』

 

 いつの間にか背後にしがみつくように回っていた九音が苛立ち混じりに呟いてくる。ははは、何を馬鹿な――そうだった、戸塚は男である。

 

 何を馬鹿なと自分でも思うが戸塚彩加は男であるらしい。でも確認してないから百パー男であるとは言いきれ無くない? ふぅ、危ない危ない。危うく告白するところだったぜ、次の機会にしておこう。

 

『……男だって。いい加減にしてね?』

 

 声が余りにも低いトーンだったので心拍数が一度ゼロになる。

 

「ど、どした?」

 

 動揺を顔に出さないようにポーカーフェイスで挑むもののあまりの恐怖に止まった心臓のせいでどもってしまう。背中から感じる圧力に決して屈さないように必死に平静を装う。

 

 そんな俺を見ながらもじもじとしながら、戸塚は勇気を振り絞るかのように深呼吸をしている。もしかしてこれは――こくは。

 

『……イッペンシンデミル?』

 

 ヒュッ――と恐怖に喉がなって反射的に背筋が伸びる、怖い。

 

「あ、あの、今日さ、いつもぼくと組んでいるペアの子がお休みなんだぁ。だ、だからさ、その、その……よかったら、ぼくと、シてくれない?」

 

『主語をはっきりさせろよ! この雌犬三号!』

 

 上目遣いで見てきた戸塚に対して怒髪天を着くかのように荒ぶる九音。

 

 いやいや雌じゃねぇだろ、と脳内で突っ込みをいれるがうるうるとした瞳に染まった頬を見ると自信が無くなってきた……。

 

「あぁ、いいよ。俺も一人だしな」

 

 あっさりと了承すればその瞬間、ぱぁっと笑顔になるんだから超可愛い。

 

 しかしそんな俺に対して待ったをかける奴が一人。正確な単位は不明であるが。

 

『か、壁ちゃんとはどうするんだよ! 今日で最後でしょ! こんな可哀想な話あるもんか! 寝取られだよ、寝取られ! N・T・R! 壁ちゃんを裏切ってそいつとテニスをするっていうのかい!』

 

 壁を指差して主張するアホ。なんだよ、壁ちゃんって頭わいてんのか、こいつ……。

 

 さっさと行こうと戸塚の方へ向き直ると、戸塚は小さく「緊張したぁ」と呟いていた。その言葉が伝染するかのように此方へ緊張が遷る。可愛すぎてこっちが緊張するっての。

 

 二人してコートへ向かう最中に追い憑いてきた幽霊が恨みがましくぶつぶつと呟く。

 

『最低下種野郎……寝取られたぁ、八幡くんが寝取られたぁ』

 

 ぶつぶつと他人事にいつまでも首を突っ込み文句を呟く九音。そんな彼奴に対して小さく呟く。いるいる、こういう女子居るわ。人の恋路に突っ込んであたかも当事者面するやつ。俺と壁の関係でしょ? お前に関係ないじゃん、終わったことに口挟まないでくんない? もう壁とは何もねーんだから、と。

 

『……ちょっと、八幡くんのその最低クズ鬼畜男ムーブ好きかも』

 

 なんだ、その情緒……。若干ドン引きしつつ、前を歩く戸塚へついていく。

 

『でも壁ちゃんを見捨ててファンタジー生物と懇ろはよくないと思う!』

 

 唐突にファンタジー生物とか言い始めた女幽霊。何の事だよ、と視線で尋ねて見ると、その幽霊は人差し指で前を歩く戸塚を指差す。

 

『あんなのファンタジー生物じゃん。ねー、八幡くん。君があいつを女子と勘違いしたのもそうだけど、アレ、男に見えるの?』

 

 アレと指が示す先はもちろんの如く、戸塚彩加の姿。

 

 確かに男子か女子かと問われれば絶妙に言葉を濁してしまう。男子の学生服を着ていればこそ。今、男子の体育に混じっていればこそはっきりと男子だと断言できるが――断言できるか?

 

 いかんいかん。男と判ってても見れば見るほど男なのか判らなくなる。アンクルソックスから伸びる綺麗な足、白くきめ細やかな肌、華奢な体躯、小動物を彷彿させる程に可愛らしい顔立ち。

 

『あぁやって男子に混じっていれば男にみえるのかもね、でもそれは状況による判断であってあのファンタジー生物単体の判断じゃないんだよ。現に八幡くんがジャージ姿なら女子と見間違うくらいには女々しい存在。意気地がない方じゃなく、肉体的に女みたいって意味』

 

 コートにたどり着き、二手に判れる。向こう側の戸塚がラケットをブンブンと振りながら「いっくよぉ!」と合図をしてきた。

 

 打たれたボールは想像よりも鋭く、しかしながら返しやすい位置に。それを俺は打ち返す。

 

『男が男を見間違えるなんて一般的とか普通だとか言い難いよね。もしも「そういうこともある」なんて賢しいフリして思考停止する人間が居るのなら私はこう言うね。冗談でしょ、ソレ。お前、頭蛆沸いてんのってね』

 

 九音は小馬鹿にするように呟く。そして――。

 

『思考停止の愚か者。こんなの本人がそう見られたいからに決まってんじゃん。それが意識的なのか、無意識的なのかはわかんないけど。もしかしたら本当に男色の気が――』

 

 やめとけ、と小さく呟く。こんな呟きは九音の耳にしか届かない。他のやつらは俺のことどころか俺たちのコートにすら注目していない。唯一の視線である戸塚にも遠すぎて届くわけがない。

 

 だから、これは九音への静止。幽霊への待ったなのだ。

 

『……ふーんだ! じゃあ鼻の下伸ばさないでよね! ともかく、あいつはそっちの気があるかないか、シュレディンガーの猫ののように確認しないならファンタジー生物でしょ』

 

 ……追求するつもりがないなら。というかそもそも九音が戸塚をどう呼ぼうとも俺に止めるすべは無い。そもそもが確認するつもりもないし、今回の話を掘り下げるつもりもない。

 

 それはまるで打ち合うテニスコートのベースラインのように。そこを超えてしまえばアウトなのだからお互いにはみ出さないように丁寧に打ち合う。

 

 弁えずに領分を超えてしまえば痛い目を見るのは嫌というほど体験してきた。それはこの一年だけじゃなくてずっと前から。

 

 だからしっかりと正確に、丁重に。

 

 ストロークの練習のように。お互いのことを踏み入らない。それは戸塚だけではなく、きっと由比ヶ浜のことも、雪ノ下のことも。

 

 途切れることなく続ける。他のコートを盗み見れば打ちミスに受けミスが目立つ。しかしながら俺も戸塚もどちらもミスをすることなく打ち続ける。

 

「やっぱりー、比企谷くんはー、上手だねーっ」

 

 距離があるために大きめに出された声は間延びしていた。深く沈む思考が一時中断される。分かりやすく投げられた話題に同じように間延びしながらも答える。

 

「壁打ってったからな、もはやテニスは究めた」

 

「それはスカッシュでー、テニスじゃないよぉー」

 

 楽しそうにボールを返す戸塚とは対象的にいつの間にかコート横のベンチでつまらなさそうに足をぷらぷらさせる九音。けれど次の瞬間、頭に鉢巻を巻いて千葉にある球団のユニフォームを来ていた。そして手には八幡の刺繍がされたタオルが。

 

 恥ずかしいからやめてくんない、それ。見てて死ねるわ。あと競技違うじゃねぇか。

 

『打て、打って八幡くん! 決めて! ホームラン! そんでそのファンタジー生物にボールを探しに行かせて! 二人っきりになろっ!』

 

 決めねぇし、やらねぇよ。

 

 というかその状況で戸塚にだけボール探させるなんて鬼か、俺は……。アホを見てはげんなりとやる気を奪われる。

 

 とはいえ、お互いにずっと打ち合い続けていたのでいい汗をかきはじめる。周りを見れば既に打ち合っている組は殆どなく、何人かはポケーっとこちらを眺めている。

 

「少し、休憩しよっか」

 

 何回目のラリーか覚えておらず、それほどまでに長く続いたラリーは戸塚の一言により中断される。片手をあげて返事をし、九音の座っているベンチへ。隣へ腰を下ろせば、睨んでくる。何だよ……。

 

 そんな視線を投げると幽霊はがばっと俺のひざに泣きわめくかのように顔を伏せた。

 

『酷い! こんなの酷すぎる! 寝取られ……寝取られだよ!』

 

 まだ、言ってんのかこいつ、いい加減しつこいと思いつつも――そこに影が落ちる。どうやら戸塚もこちらへやってきたようだ。九音の座っている場所へ腰を下ろそうと――ひゅるりと華麗に避けて逆サイドに座っては俺越しに戸塚を睨む。

 

『……近くない? ねね、近くなーい? 近すぎるでしょ!』

 

 九音の言う通り、戸塚が腰を下ろしていた場所は先程幽霊が座っていた場所。肩が当たるほどの距離に鼓動が早くなる。

 

 えっ、なんかめっちゃいい匂いするんだけど……こういうとき材木座だったらすげぇ酸っぱいんだが。

 

 男臭さとは無縁の甘ったるい匂いにトゥンクと胸が高鳴る。

 

「あ、あのね……比企谷くんにそ、その相談があるんだけれど」

 

 距離の近さに納得する。悩み事、相談事というものは大声でするものではなく小声でひそひそとするもの。大体陰口とか悪口とかも同じ。

 

 でもおかしいな、中学時代のひそひそ話ってたしかにひそひそしているが大体俺の耳にまで届いているんだけど。そしてまるで聞かせるかのように共有された話題は俺の話題。俺は中学時代から大人だったのでその話題に気づかないフリして、家に帰ってから泣いた。

 

 そう考えると戸塚の誰の耳に入らないようにひそひそと話す配慮はさすがと言える。その心根が判るというもの。そういう意味じゃこれだけ近くても仕方ない。なんとも合理的判断。そう何も間違っちゃいない。

 

『はぁーっ!? 相談事なら他所でやれよ! 八幡くんに解決できるわけないでしょ! 八幡くん舐めないでよね! 伊達に総武高校二年生の中でトップクラスにヤバイ奴って呼ばれてないんだから! うちの八幡くんに余計な相談事持ちかけないで! 後、八幡くんも鼻を伸ばさない!』

 

 伸びてないんですけど。それに鼻が伸びるなんて俺は嘘付き人形かよ。あいにくのようにピノッキオのように鼻も伸びていなければ、天狗のように鼻を高々としていない。

 

 ふすふすと鼻の穴は開いているかもだけど、それは運動後だから。呼吸が整っていないだけだから。

 

 めっちゃいい匂いするんだけど、戸塚。

 

『めっちゃ伸びてるんですけど! 人中ゆるゆるだよ! バカっ! 変態っ! 八幡っ!』

 

 ちょっと九音さん、俺の名前を悪口に交えるのやめてくださらない? 

 

 とはいえ少しだけ人中を触ってみる。全然緩くない。鼻の下のくぼみには少し汗が溜まっている程度。赤ちゃんが胎児の時に裂けた口がくっついた名残がゆるゆるだとはどういう状態なのか。

 

 少なくとも俺の今の顔は至極真面目に戸塚の相談に乗る凛々しい表情をしているはず。

 

 そういえば人中は赤ちゃんが前世のことをしゃべってはいけないと理由で天使に閉じられたという映画のワンシーンがあったことを思い出す。そして相談事、秘密の話を持ちかけてきた戸塚、仮に人中がゆるゆるだったとしてそれを閉じる戸塚は天使ではないだろうか。なるほど道理で可愛いわけ。そうだよな、仕方ないよな、天使だもんな。

 

「相談? まぁ、とりあえず話してくれよ」

 

 まぁ、何にせよ話を聞くとしよう。けれどもそれが気に食わないらしい幽霊がギャイのギャイのと噛み付いてくる。

 

『はぁーっ!? 何言ってるの! 相談事や厄介ごとなんて聞く必要ないよ! 無いったら無い! 私が気に食わない!』

 

 戸塚の話に耳を貸すなと騒ぐ幽霊。戸塚に聞こえないように小声ではいはいとテキトーにあしらう。 肩越しにガルルルと天使に向かって威嚇する悪霊。無礼だぞ、お前。

 

「う、うん! ありがと……えへへ、比企谷くん、優しいね」

 

 ――ハァッ!? 危うく改宗するところだったわ。こんなの見たら悪霊なら浄化されるでしょってばかりにキラキラとした笑顔。ちなみに悪霊は『何笑ってんだ、笑えなくしてやろうか? あぁん?』とガンつけていた。

 

「あ、あのね。うちの部活、テニス部のことなんだけど。すっごく弱いんだ。それで人数も少なくて……それに今度の大会で先輩たちが抜けちゃったらもっと弱くなっちゃうと思う。それに一年の子も高校から始めたばかりだからまだあまり慣れてなくて……それに、それにね? ぼくたちが弱いからそれでモチベーションも上がらないみたいなんだ。このままだと殆ど何もしなくても勝手にレギュラーになれちゃうし」

 

「……なるほどなぁ」

 

 テニス部が弱くなる原因、それが渦巻くような負の連鎖。弱いから人が集まらない、人が集まらないから競わない、競わないから弱いまま。完全にマイナスの循環。

 

 休もうがサボろうが自然にレギュラーになれるのだ。わざわざキツイ練習をしてまで這い上がろうとするものはいないだろう。技を磨かず、競わない。根本から競技を否定するスタイル。

 

 競技じゃないから、競わないから勝ち負けにこだわらず、強弱にこだわらない。競技ならぬお遊戯。お遊びでしかない、ごっこ遊びでしか。

 

 本気で部活に取り組んでいる奴らからしてみれば一喝することすら嫌厭される存在。そしてそういう奴らこそ競技やガチ勢に対して部活ごときでマジになってどうすんのとバカにするのだろう。

 

 青春の汗を否定して、半笑いで薄ら寒さを感じて。報われない努力を徒労と断罪して、輝く汗に微塵とも価値を感じない。

 

 だが残念なことに――

 

『は? 別にいいじゃん、何悩んでんの、こいつ? 頭悪いの?』

 

 足山九音は肯定する。こいつにとっては他人事。だからスポーツの協調性やチームの連帯感に唾を吐きつける。流石に俺はここまで酷くはないが本質は似たようなもん。

 

『はぁ、くだらないよねぇ。というかみんなが居ないと頑張れないとかチームプレイじゃあるまいし、テニスって個人競技じゃん。とうか他人が弱いだとか、他人が下手だとか言う前に自分をどうにかしろって話。そもそも八幡くんと同じレベルくらいってこの一年間、何してたの? って御話なんだよね。自分だって一年の頃は遊んでいたんじゃない? それが二年の今頃になって急に先輩面? うーん、クソじゃん! やりたいなら一人でやりなよ』

 

 すらすらとまぁ、よくもここまで悪し様に言えるよな。

 

「うん、ここで相談なんだけどさ……」

 

 どうやら本題はここかららしい。俺は小さく頷いて続きを待つ。

 

「うん、あの、あのね? 比企谷くんが良かったらなんだけど……その、さ。テニス部に入らない?」

 

「は?」

 

 即レスで疑問符が口から飛び出た。なぜそうなるとばかりに戸塚を見てしまう。そして後ろの幽霊は。

 

『はぁー? 何言ってんの、お前――あ、いや、待てよ。八幡くんのテニスウェア? ははは、は、は、八幡くんのテニスウェア!? みたいみたい! 超見たい! はぁー! めっちゃいいアイディア! 天才なの!? こいつ良いやつじゃん!』

 

 アホみたいな手のひら返し。

 

『弱小テニス部を救う八幡くん! 支える私……。うんうん、ありあり! わかるわかる、いいよね……いい……! ちょっくらテニス部に革命起こそう!』

 

 先程までの一人でやれという発言を撤回して調子のいいことを言い始める幽霊。

 

「ひ、比企谷くん、テニス上手だし! 体力すごいし! そ、それに制服じゃあまりわからないけど筋肉すごいし! 多分、もっともっと上手になれると思うんだ、ぼく!」

 

 鼻息荒くキラキラとした視線。そんな戸塚に対して背後の幽霊が。

 

『ふふん、でしょでしょ。よくわかっているよね、このファンタジー生物。八幡くんの筋肉は私が育てたからね!』

 

 左右の高いテンションに挟まれてはついていけずに疎外感。

 

 俺の鼻は伸びていなかったが背後の幽霊の鼻はこれでもかと伸びていた。それはもう高々と、見せつけるかのように。得意満面にニッコニコと。

 

「あ、あとさ、その比企谷くんと一所なら……その、ぼ、ぼくも頑張れるし」

 

『あ?』

 

 唐突に飛び出すどす黒い声。今まで調子にノッていた声は形を潜め、女性が出すには少しヤバイ類の声になっていた。

 

「ぼ、ぼくも比企谷くんと一緒にがんばりたいし……あっ!? へ、へん、変な意味じゃないよ!? ぼくも、テニス、上手になりたいから」

 

『よぅし! ダメだ! 八幡くん、これは罠だよ! テニスウェアは個人的に着て!』

 

 やだよ。というか何の罠だ……。さっきから肯定したり否定したりと忙しい幽霊だな。

 

 まぁ、しかしこのアホのおかげで戸塚のお願いならうんと頷きそうになるような提案も断ることができる。

 

 どんなにいじましくても、可愛くても。聞けない話ってのは多々とある。

 

「悪い、それは無理だ」

 

 きっぱりと断りを入れる。期待をもたせるようなことをせずに、曖昧に言葉を濁すようなこともせずに、なぁなぁとお互いが傷つかないような言葉を選ばずに。

 

 簡単でこれほど判りやすいものはないとばかりに拒否を示す。

 

 俺は自分の性格を知っている。毎日、命の危険があるわけでもないのに身体を鍛える意味なんてわからない。毎日好んで運動するのは公民館に集まってラジオ体操や太極拳をする老人会くらいなもんって偏見すらある。絶対にそのうち退部する。初めてやったバイトですら幽霊騒動により三日でバックレたくらいだ

 

 そんな俺が部活動に入ったところで戸塚の期待に添えるわけもなく。喜ばせてがっかりさせるくらいなら初めから期待されるようなことをしない。

 

「……そっかぁ」

 

 戸塚は本当に残念そうな声を出す。その震えた声や寂しそうに笑う姿に俺は言葉をかける。

 

「まぁ、その、なんだ……良案でもねぇか頭を捻ってみるよ」

 

 案は出せど何か出来るなんて思えないが。

 

「比企谷くん……優しいね。ありがとう、相談して少しは気が楽になったよ」

 

 はにかむ姿のその言葉を真に受けるつもりはない。社交辞令なんだろう、額面通りというわけではあるまい。

 

 だからといって疑うようなこともしない。どこまでも他人事で、他人の問題なのだ。それは足山九音だけではなく、きっと俺にとっても同じ。

 

 

 

~~~~~~~

 

 

「駄目、無理、許さない」

 

 雪ノ下の言葉はただひたすらに否定の単語であった。もしもこれが告白をした返事ならば心が折れて布団に潜りこみ、声を殺してさめざめと泣くレベル。無論、愛の告白をしたわけではないが。

 

 憮然と言い放つ雪ノ下に呆れながらも言い返す。

 

「いや、駄目とか無理とか少しは考えてさぁ」

 

「駄目なものは駄目で、無理なものは無理で、許せないものは許さないわ」 

 

 怒気すらも込めて話を突っぱねる。今回の話のことの発端は俺が受けた戸塚の件について。内容こそ言ってないが、テニス部の現状と俺の状況への解決策を遠回りに伝えてみたのだが結果はこの有様。

 

 上手い具合に雪ノ下と距離を置くという身勝手な方策を軽く口にした。円満に奉仕部を退部して、一時的にテニス部へ入部。そしてテニス部からも徐々に影を消して、最終的にはフェードアウト。勿論、どちらにも退部届けを出す所存である。

 

 そうすることによって現在の雪ノ下の執着染みた感情から一時的に離れて、冷めるのを待つ。そしてテニス部に入部していながら顔だけ出して段々と練習にこなくなる不良部員、比企谷八幡という悪玉菌を一時的に摂取してテニス部内の環境を荒らし、善玉菌を増やそうと部員たちは奮起する。そうすることにより部内の環境改善を試みる。もちろん悪玉菌はその内、自然排出されてテニス部も立ち直るという寸法である。

 

 そんなことを軽く話して見れば――雪ノ下の目は完全に据わっていた。怖い。というか椅子ごと近づけて、めっちゃ近くで睨んでくる、怖い。

 

 雪ノ下雪乃。怪現象に纏わる話で色々と接点が出来た少女。怪人に襲われた少女、怪異から影響を受けつつあるかもしれない女、妖怪に好かれた女の子、そしてあろうことか先日、夢の中でとはいえ怪現象に纏わる存在を上回った才媛。その才は非現実だけではなく、現実世界での方がわかりやすい。校内でも有数の美少女であり、成績も優秀と来たもんだ。まるで物語の主人公のような女である。

 

 そんな少女が部長を務める部活に俺は所属している。

 

 奉仕部。字面だけで見れば何だか卑猥な想像が浮かび上がりそうなその部活動は生徒の悩みを手助けするといった活動内容。手助けって何を助けちゃうのだろう、どきどき、と軽い気持ちでこの部室の扉を開けばきっと後悔する。

 

 扉を開いてそんなアホなことを抜かせば部長から養豚場の豚を見るかのような無機質かつ冷たい視線で見られるだろう。その視線にドキドキしはじめても意味が異なる。もしも同じ意味でどきどきしていたのなら新たな性癖を開拓している可能性があるので早急に病院へ行ったほうがいい。

 

 そんな扱いづらい少女であるからして今現在困っているのだ。

 

 色々と現在進行形で問題を抱えている。それは一重に心身が崩れているだけなのか、それともそう――あの首に巻かれ続けている包帯に意味があるのか。

 

 であるのならば原因となった事件の二人が一緒の部屋に居るのは不味い気がする。今でこそまだ問題は起きていないが、いつ起きるかは定かではない。ならばどうするべきなのか、それこそ縁切り。俺がこの部活動から離れれば良い。

 

 ただし、怪異に纏わる出来事ならその切り方にも注意が必要になってくるだろう。

 

 生きている人間同士ですら円満な縁の切り方など出来ないのだ。それが怪異に纏わるお話ならば細心の注意を払うべき。生きている人間関係ですらまともに築けていないにも関わらず、怪異や怪事件相手にぶっつけ本番というのだから我がことながら肝が据わりすぎている。

 

『難易度高いよねぇ』

 

 九音は俺の座る席の近く、身体半分ずらした机の上で呟いた。確かに言葉通りに俺にはハードルが高すぎる。

 

 そもそも円満ってどういうことだよ、円満に解決しましたやら円満に別れ話が出来ましたなんて与太話を俺は欠片も信じちゃいない。そもそもが人間関係の構築が出来ない俺である。すると切るべき縁も存在しない。

 

 つまり、この問題に関してスマートに解決できる俺など俺ではない。対人関係においてはいつまでもニュービー以下、そもそもやる気の欠片も無い。ボッチとしてはスペシャリストであっても、他人との問題解決においては素人よりも尚悪い。一人ぼっちの俺は――と、そこで言葉を止める。

 

『ん? どうかしたの? 八幡くん』

 

 疑問符を浮かべる浮遊霊を見る。俺がボッチを名乗るにはあまりにも片手落ちなのだ。少なくともこの目の前の女幽霊が居る限り、胸を張って一人ぼっちなど言えやしない。仮に一人ぼっちだったとしても、一人きりではないのだから。

 

 視線で何でもないと答えてから結局、現状ではどうこうも出来ない問題に頭を悩ませるなど無意味だと結論づけては逃げ出す。逃げるのなら得意分野だ、言い訳だっていつもしている。それはさながら数学の問題のように。苦手なものを無理に得意になろうとしなくてもいい。世の中が辛いことだらけなのだから、世が俺に辛辣なら俺は俺くらいに甘やかしてもいい筈。

 

 だから、雪ノ下の問題もそのうち自然とどうにかなるだろう、と。いつもの通りに逃避する。

 

 それが逃避行動であり、問題から目を逸らし続けているだけとしっていながらも――。

 

「言っておくけど、比企谷くん。駄目なものは駄目で無理なものは絶対に無理でそんなことをしたら許さないってことを先に伝えておくわね。もしも勝手にテニス部に見学をしにと考えているのならその無駄な抵抗はやめなさい。酷い目見るわよ」

 

 黙りこんでいた俺を雪ノ下がさらに椅子ごと近づけては静止を促す。そんな鋭い睨みに目を逸らしつつも俺は諦め悪く言い訳を募る。通ると思わないがそれでと足掻くかのように。

 

「や、でも、ほらなんだ? 俺をいれようっていう戸塚の考えもあながち的外れには思えなくてな。要はテニス部の奴らに危機感を抱かせればいい。安全圏でぬくぬくだらだらとするよりもレギュラー争いという意識を持たせるだけで十分何か変わると思うんだよ」

 

「あなたが集団の中で行動できると思っているの? あなたみたいな生き物、私以外に受け入れてもらえる筈ないでしょう? おごがましい」

 

 ねぇ、こいつ俺のことほんとに好きなわけ? なんか呪いとか何とかも思い過ごしのように思えてきたわ。むしろ嫌ってるでしょ、これ。好かれていると勘違いしているという説の方がよっぽど真実味あるわ。

 

 とはいえ、その鋭き罵倒の中で要望は確りと抑えている。ぐうの音がでないほどに正論。確かに俺に集団行動なんて無理だ。生死がかかってないにも関わらず個人的な理由で身体を動かす意味がちょっと理解できないし、わからない。それでいながらもしも俺よりもちんたらのんびりしている奴がいれば怒りのあまりラケットで新しい技を生み出してしまう。働きたくない気持ちなら俺がナンバーワン。

 

 雪ノ下の正論により俺の希望は完全に潰された。勝ち誇るかのように笑っては椅子をさらに近づける。

 

「集団真理のわかってない人ね。ぼっちの達人よ、あなた。でも安心して。あなたは私が面倒を見てあげるから」

 

 密着するかのような距離、ズボンの上からふとももを撫でられる。ゾクリとする声色と色気に硬直してしまう。

 

『ハァーっ!? なんだ、この痴女! その手なんですかーっ! せんせーっ! ここに痴女がいます! さっさと警察呼んで! 捕まえてっ!』

 

 雪ノ下の手を指差してぎゃーすかと騒ぐ九音。おかげで硬直していた身は弛緩する。こいつのアホな態度みてると緊張感薄れるわ。

 

 勿論、九音の指摘など雪ノ下の耳には届かない。届かないから指はとまらないし、いつの間にか手を握られていて、指が絡み合っていた。

 

「もっとも? 貴方という共通の敵を得て意思が統一されることはあるかもしれないわ。けれどそれじゃあ解決方法にはならないの。あなたという共通の敵に対してまとまることはあっても、それが自身の向上を促すことはないわ。ソースは私」

 

『あー……。確かに八幡くんってば共通の敵にはぴったりだよね。確かにその部分ではすっごい団結しそう。あと太ももさすさすやめたからって手を握るな、指を絡めるな、お前、ほんと、ほんと……ッ! ふーっ、ふうーっ! ふぅ……落ち着け、落ち着くんだ足山九音、KOOLになれ……。そうこの一号が振られるのは予定調和、こうやって積み上げさせておけばいい、落差があればあるほど、フラレタ時のダメージがでかくなるんだし! そうっ! ここは我慢の時、ぐぎっ、ぐぎぎぎぎぎっ……』

 

 なんか企んでいそうな物言いに呆れる。いや、こっぴどく振るとか怖くてするつもりないんだが、むしろ自然と醒める方向で勧めたい。具体的にはこのまま奉仕部からフェードアウトするみたいな。なんか不気味なオーラを出す九音に引いてしまう。そんな俺の様子に気づかぬまま雪ノ下は話を続ける。

 

「私は中学の頃、こっちへ戻ってきたのだけど当然転入という形で学校へ入ったわ。すると私の転入先の学校の女子、クラス内だけではなく学校を通して私を排斥しようと動いた。けれど誰一人として私に負けぬように自身を向上、高める努力をした人はいなかった……あの低脳ども……」

 

 こっちも怖ぇわ。右も左も真っ黒なオーラを纏っていやがる。俺は宥めるかのように雪ノ下へ落ち着けとばかりに当時の中学生たちの状況を整理する。

 

「あー、その、なんだ? 仕方ねぇんじゃねーの? お前みたいな可愛い子が入ってきたら攻撃的になるのもしょうがないと思うんだが……」

 

 すると雪ノ下はぱちくりと目を二、三回瞬いてから顔を伏せる。そして絞り出すように。

 

「もう一度言って」

 

 小声でねだってきた。そんな反応に遅れて九音が睨みつけながら文句を呟く。

 

『馬鹿……。可愛いとか綺麗とかいつから君はジゴロを目指すような発言を身に付けたわけ? 聞いててムカつくんですけどー。別にそうやって積み上げるのはいいけど、痛いしっぺ返しが返らないように気をつけてね? 君はいつだって見てきてるんじゃないか、愛の反対は憎悪だって。恨むほどの怨念は、残るほどの想いは愛憎が原因であることをそろそろ学習しなよ。ほんと、馬鹿、ボケナス、八幡』

 

 痴話喧嘩、恋愛がらみ。そしてそこから派生する怨念。

 

 怪現象において生前の感情というのは無関係ではないことが多い。いいや、むしろ強い想いこそが、強ければ強いほどの執着が怪現象となる。

 

 直近で最も判りやすい話で言えば怪人の件。不特定多数の恋慕が想いを為した化物を俺は見た筈だ。

 

『八幡くん、君が本当にどうしようもなくなって、その雌犬に対して本当に困ったら、いつものように私に愛を叫んでよ。そうすれば私がいつでもその女を始末してあげるから』

 

 浮遊霊は悪霊の如く笑う。露悪的なフリをする雑魚幽霊。幽霊の中じゃあ雑魚中の雑魚。出世することもない大多数の稚魚のような存在のくせして大口を叩く。

 

 それでも――それでも怪異なのだ。悪霊なのだ。化物なのだ。

 

 化物相手に人間が大立ち回りをするなどフィクションの中でしか許されない。そもそもが化物が出てくるのが大抵はフィクションであるのだが。

 

 創作物の主人公は機転や都合よくピンチを切り抜けるのだろう。そうじゃない、俺は違う。そしてこの世界で生きるやつらも。

 

 化物相手に戦うと云う選択肢が既に間違っているのだ。勝てる、勝てないの二者択一で想像しているから致命的。人が化物にあったら即座に回れ右をして命からがらに逃げることこそが正解。

 

「比企谷くん……?」

 

 黙りこむ俺を不審に思ったのか雪ノ下が顔を覗き込むよう顔を傾げる。

 

「あ、あぁ、いや、少し色々と考えてて」

 

「……そう、もう一度言うか悩んでるの? 悩んでるのなら言うべきだと思うわ。むしろ言いなさい」

 

「いや、それは別に悩んでねぇわ」

 

「悩みなさい。つれない。本当に貴方って釣った魚には餌をあげないのね」

 

「そりゃあ俺も奉仕部の一員だからな。魚を釣る役は他の奴に任せるわ」

 

「そう。でも貴方自身も問題の依頼人ということを忘れてない? 私は貴方に釣り方を教える義務があるの。なので言いなさい」

 

 何が何でも言わせようとする雪ノ下。どうやら逃がすつもりはないらしい。せめてもの悪あがきに俺は話題を変えることにした。元々は戸塚の御話だったしな、そちらに焦点を持っていこう。

 

「あー、戸塚のために何とかできないかね?」

 

「戸塚くんとやらよりも今、貴方の口からもう一度言うか言わないかの方が重要だと思うのだけれど。ねぇ、もう一度言って、可愛いって」

 

 さらに距離をつめられる。もはや胸の感触がわかるかのように腕を取られて、俺の指先は雪ノ下の太ももの上に乗せられる。

 

『はっ!? なんか色々と考えてたらめちゃくちゃ距離近い!? いやいや、離れなよ! 流石にこれは不純だよ! 駄目ったら駄目! 八幡くんの意思とは関係なしにわたしが滅っ! って殺っちゃう!』

 

 可愛らしい言葉とは裏腹に随分とバイオレンスな内容である。しかしながら、これは――と気づく。これは良くない、不味い、問題のある傾向。

 

 それこそ、先日の蜘蛛の件から少しずつ悪い方向へ雪ノ下の行動は変化している。こうやって言葉を求めるのも今日が初めてではない。だからこそ熱病にも見える様子は雪ノ下の本心とは到底思えない。

 

 白――包帯の白。

 

 毎日清潔な真っ白な包帯はあれからある程度の時間が経っているにも関わらず外される様子は無い。

 

 これだけ難のある態度を俺がとっていれば減るはずなのだ、想いが、好意が。目減りするほどの態度を取っているにも関わらず雪ノ下にはそれがない。むしろエスカレートするかのように、進行するかのような言動は俺がよく知っている存在と似ている感覚がある。

 

 執着、依存、嗜癖、耽溺。

 

 好意的になれるはずもないのに一人溺れている。まさに破滅的。つっけんどんに接していて、面白い反応を見せることもなく、ただ義務感で奉仕部に通い、雪ノ下の求める答えを一つとして出していないのならば嫌われるべきだ――あぁ、だからこそ。

 

 蜘蛛の夢の出来事を思い出す。幼い言動を繰り返す雪ノ下を、あの時の言葉を、願望を。

 

 けれども俺にはその全てに答えることは出来ない。するつもりもない。そして救うつもりもない。救えないのだ。

 

 雪ノ下は自分でしか救われない、自分でしか助けられないのだ。俺は不要な存在、不必要なファクター。むしろ悪化させる菌なのだ。

 

 彼女の心の中にあるモノを、誰もが尊き代物だと、賛美すべきものだと、世の中がそれはまるで素晴らしいものだと説く存在に唾をかける。

 

 知っているのだ、それが人を殺す原因になると。それが人を恨む原因になると。それが自分を殺す理由になると。それが絶望に至らしめるということを。それが――偽者であることを。

 

 俺にはどうにもできない。だから――雪ノ下が除霊を試みる、本物の霊能力者を探して自らその呪いと決別する必要があるのだ。

 

『……殺してあげるのに』

 

 残念そうに呟く九音を無視しては再びテニス部の案件を問い直す。

 

「ほら、俺って相談されたの初めてだったから意外と嬉しくて戸塚のこと何とか協力してあげてーんだよ」

 

「……」

 

 雪ノ下の綺麗な瞳が俺を射抜く。まるで西洋人形のような綺麗な目と暫く見つめあう。根負けしたのか少しだけ椅子を引き雪ノ下は小さく溜息を吐いた。

 

「……はぁ。あなたは本当に天邪鬼よね。してってお願いしてもしてくれないのに、不意にそんなことを言う。偶には聞いてくれてもいいのに」

 

 少しだけ重くなった空気を軽くするような口ぶりで言葉を続ける。

 

「初めて相談を受けて舞い上がっているなんて可愛らしい側面も見れたことだし、それでよしとするわ。確かにあなたが相談事を受けることはそうそうないと思うから。ちなみに私はよく恋愛相談されるわ」

 

 いや、そうなのだが。そこで勝ち誇った顔をされても、と微妙な気持ちになる。

 

 胸を張る雪ノ下にそんな側面があったのかとこちらも驚いてしまう。完全に孤高というか、ボッチというか。そんな俺の驚きが伝わったのか雪ノ下はフッと小さく笑ってその表情が段々と翳りを帯びる。

 

「まぁ、女子の恋愛相談なんて基本的には牽制みたいなものなのだけれど」

 

「どういうこと?」

 

『八幡くん、わかんない? 私も生きてたらそういう相談受けるだろうし』

 

 いや、お前は絶対に相談されねぇわ。俺だってしないし。

 

『いや、してよ! そこは私にくらいは相談しなよ! そういうとこだぞ!』

 

 何故か相談事に自信満々の女である。お前、戸塚の相談事の第一声覚えてんのかよ……。

 

 けれども絶対に相談には向かない九音が雪ノ下の相談事に関しては理解があるという口ぶり、一体どういうことだ……?

 

「比企谷くん。自分の好きな人言えば周りが気を使ってくれるでしょう? つまりは領有権を主張するようなものよ。知っていて手を出せば周囲から泥棒猫扱い。無論、女の子の輪からも外されるし、なんなら向こうから告白してきても外されるのよ? 何故、あそこまでは私は言われなければならないのかしら」

 

「あぁー、なるほど」

 

 俺は九音の方向を見て頷いた。なるほど、わかりやすい。

 

『おい、なんでこっち見て頷いてるわけ!』

 

 いや、何でもない。とはいえ女子に対するイメージが壊されていく。大半は足山九音とかいう悪霊のせいで粉々にされているが。

 

 女子同士のガールズトークとか恋ばなとかもっと甘酸っぱいものと思っていたが違うようだ。こうパジャマパーティーとかで好きな人を言いあったり顔を真っ赤にしたりする奴だと思ってたのに。

 

 そんな青少年のいたいけな夢をぶち壊した雪ノ下は憂いを帯びた表情のまま自嘲するかのように笑う。

 

「要するに何でもかんでも聞いて力を貸してあげるということが正しいとは限らないということ。ほら昔から言うでしょう? 獅子は我が子を千尋の谷から落とす。そして殺す、と」

 

 いや殺しちゃ駄目だろ。それじゃただのニグレクトじゃねぇか。勿論、愛を持って厳しく躾るのもニグレクトなのだろうが、それじゃあ救いの無い唯の子殺し。

 

「なら、お前ならどうするんだ? 戸塚の相談に対しては」

 

「私?」

 

 問われた雪ノ下は少しばかり目をぱちぱちと瞬かせた後に思案顔となる。顎へ手をあてて考え出した答えは。

 

「全員に死ぬまで走らせて、死ぬまで素振りさせて、死ぬまで練習をさせる……ことかしら」

 

 かしらじゃねぇーよ。しかも首を傾げて可愛らしく言うんじゃねぇよ。美少女しか似合わない仕草で可愛らしさをアピールされたところで内容が内容な分ひくことしかできない。猟奇的すぎるでしょ。

 

 しかもこの答え――若干九音の奴とかぶってるし。

 

『ちょ、ちょっと待ってよ八幡くん!』

 

 俺の雪ノ下へひく視線、ちらっと九音を盗み見た視線に浮遊霊は文句があるらしい。

 

『まさかこの女の猟奇的な解決方法を私と一緒だなんて思ってやしないだろうね! 違うよ! 全然違うよ! 流石に殺さない! 足山九音は人を殺したりしないから! ちょっと弱音を吐けなくなるまで走らせて! ちょっと足腰立たなくなるまで素振りさせて! ちょっと死にたくなる程に厳しい練習と罵倒を科すだけだから! 殺しちゃいないよ! 死んだら私じゃなくて本人のせいだから! ワタシ、ワルク、ナイ!』

 

 一緒じゃねぇか。放課後の奉仕部に来る前に九音に尋ねた解決方法と完全にニアピン。雪ノ下と九音の違いは直接的な殺人か業務上過失故意に見せかけた殺人の違いでしかない。むしろ九音の方が殺す気さえ隠して堂々と嘘八百を並べれば刑罰が軽くなるというのだから世の中間違っている。

 

 俺がそんな悪逆非道な考えを持つ一人と一体に半ば本気でひいていればガラリとドアが勢いよく開かれる。

 

「やっはろぉー!」

 

 いつものように頭の悪そうな挨拶をして入ってきたのは由比ヶ浜であった。その顔には悩みなどなさそうとばかりにニコニコと笑みが浮かんでいて、底抜けの明るさがこの部屋の中の修羅と化した空気を中和する。

 

 底抜けの明るさと言えば聞こえは良いがオブラートを剥いだらアホっぽい、バカっぽい空気とも言える。

 

 そしてその背後には対照的にどこか暗い雰囲気を纏った人物が立っていた。勿論怪現象怪異妖怪怪人奇奇怪怪と云った存在ではない。ちゃんと生きている人物。それもどこか見覚えのあるような。

 

 負の雰囲気の出所は自信の無さから伏せられた目、どこか怯えるかのようにきょろきょろする仕草、自信なさげに掴んでいる由比ヶ浜のブレザーの裾。震える指先。透き通る白い肌が困惑に満ちた人物と非常にマッチしているように見えたのだ。

 

 儚い、そう儚い。人の夢とまで書くほどに幽かな存在感。どこかの騒々しい幽霊とは対照的な人物。そんな自己主張が限りなく少ない彼女はゆっくりと顔をあげる――。

 

「あ……比企谷くんっ!」

 

 目が合うと一気に血色が戻る。そして花開くような笑顔は見るだけで此方の胸をドキリと跳ねさせ、俺という存在が彼女に対して笑顔を生んだことに一瞬呆けた。

 

「……戸塚か」

 

 彼女ではなく戸塚であった。自信無さげに部室に入ってきた、顔を上げるまではわからなかったの人物は話の種になっていた戸塚彩加本人。

 

「うんっ!」

 

 嬉しそうな返事をした戸塚が「とてて!」と可愛らしい擬音をつけながら小走りで近寄ってくる。そして俺の制服の袖口を握る。可愛い。

 

『男だぞ』

 

 何をバカな、そんなこと知ってるっつーの! かわいい……。

 

「比企谷くんはここで何をしているの?」

 

 首を傾げるといった仕草は女性にしか似合わないと思っていたがどうやら訂正をする必要があるらしい。むしろ女性より似合ってる。

 

「いや、俺は部活だけど……お前こそなんで?」

 

 俺の問いに答えたのは目の前の美少女……訂正。戸塚ではなくドヤ顔を携えた由比ヶ浜。張った胸がたゆんと一度揺れた。さっき、雪ノ下が胸を張った時とは大違い。

 

「ふふん! 今日は依頼人を連れてきたんだー!」

 

 自慢げに告げる由比ヶ浜。俺は心の中でお前じゃないんだが、と突っ込む。戸塚に聞きたかったのだ、戸塚に。戸塚の可愛い口から聞きたかったのに。

 

「やー、ほら? なんていうかさー。あたしも奉仕部のメンバーじゃん? だから偶には働こーって思ったんだー。そしたらさいちゃんが悩んでいるみたいだったから連れてきたの!」

 

「由比ヶ浜さん」

 

「え? ゆきのん、御礼はいいよぉ。あたしは奉仕部の一員として当然のことしただけだから!」

 

 じゃあさっきのドヤ顔なんだよ。いざ雪ノ下に何か云われようとすればわたわたと手を振り御礼はいいという。でもその顔は誇らしげな表情を浮かべていた。

 

「由比ヶ浜さん……あなた、別に部員ではないのだけれど」

 

「違うんだっ!?」

 

 違うんだ……。

 

 申し訳なさそうな雪ノ下の言葉に驚愕する由比ヶ浜。俺も九音も由比ヶ浜と同じように驚いてしまう。あまりにも自然に入り浸っているからてっきり部員なのかと思ってたわ……違うのか。

 

 済し崩し的に部員になっているパターンではなく、いつのまにか勝手に一人増えてる雪山にある小屋での怪現象タイプだったらしい。

 

「えぇ、顧問からの承認も得てなければ入部届も貰ってないから」

 

 融通が効かないと言えばいいのか、それとも生真面目と言えばいいのか。何とも雪ノ下らしい意見ではある。

 

「書くよぉ……幾らでも書くよぉぉー! あたしも仲間に入れてよぉー!」

 

『うーわ、清清しいまでにあっさりと仲間にいれてとか言えるんだ。八幡くんじゃ口が裂けても言えないよねー』

 

 は? 言えるし。むしろ言ってきたし。言ってきた上で拒否られてきたんだが?

 

 失礼な悪霊である、まったく。流石に戸塚との距離が近いせいか口に出して九音に反論はできない。運のいい奴め。

 

 素直に仲間に入れてといって受け入れられるであろう由比ヶ浜は涙目になりながら入部届を書いていた。

 

 取り出したルーズリーフに平仮名で「にゅうぶとどけ」と丸文字で書く。そんなテキトウな書面や書式で受理されんの? と疑問に思ったがわざわざ口に出して波風立てる必要もあるまい。

 

「それで戸塚彩加くんだったかしら。ご用件は?」

 

 いつの間にか部長席へと離れていた雪ノ下は必死に入部届を書いている由比ヶ浜を他所に戸塚へ目を向ける。怜悧な視線に射抜かれてぶるりと身体を震わせていた。

 

「あ、あの、そのテニスを強く、してくれるんだよね……?」

 

 初めこそ気丈に雪ノ下を見ていた目も言葉を重ねるにつれて段々と俺の方向へ戻ってくる。未だに袖口を握る戸塚と至近距離で視線が合う。うるるとした瞳は破壊力抜群。

 

 そっと目を逸らしてみると雪ノ下のじっとりした視線、さらに逸らして見ると九音の強すぎる目力。責め立てるかのような二人の視線はホラーチック。さっきまで戸塚の視線でメルヘンチックだった頭も急速に冷め、あまりの寒さと怖さに凍え震えてしまう。怖ぇ……。

 

「由比ヶ浜さんからどのような説明を受けたのかわからないのだけれど、奉仕部は便利屋ではないの。あなたの自立を促すことしかしないわ。だから強くなるのもあなた次第よ」

 

「そう、なんだ……」

 

『そーだそーだ! そんな都合よく強くなれるわけないだろ! 舐めんな、テニス! まったくこれだからファンタジーメルヘン脳内お花畑生物は嫌になっちゃうよ。何でも叶えてもらえるなんてランプの魔人じゃあるまいし。信じるやつの方がどうかしてる。ましてや願っただけで叶うのならそれは日常的な御話ではなく、非日常な御話。怪現象他ならない。そして怪現象でお願い事を対価なく叶えてもらう系統は必ず後で手痛いしっぺ返しを食らうってのが相場ってもんだ。そんないい話あるわけないでしょ! 舐めるなよ、テニスを!』

 

 まるでテニス経験者の物言いである。

 

 しかしながら言いたいことはわからなくもない。悪意を悪し様を抜いて考えれば割と的を得ている。願っただけで叶えてくれる。そんな都合のいい話は存在しない

 

 そんな依頼人を騙してつれてきた悪党は能天気に「はんこ、はんこ」とがさごそと鞄を漁っていた。諸悪の根源を睨みつけ、よくも戸塚を騙しやがって、と見てふと周りを見ると雪ノ下も、浮遊霊も、そして依頼人である戸塚も由比ヶ浜を見ている。

 

 そんな三者一体四様に見られている由比ヶ浜は一部の視線に気づき顔をあげる。

 

「え? 何?」

 

「何? ではないわ。あなたの責任無き発言で一人の少年の希望が儚く散ったのよ」

 

 雪ノ下の責めるような言葉に投げられた当人は疑問符を浮かべていた。いまのに疑問挟みこむ余地あったか?

 

「んぅ? んんっ? え、でもゆきのんとヒッキーなら何とかできるんじゃないの?」

 

 あっけらかんと言い放った言葉は雪ノ下への魔法の呪文。それはさながらランプをこする手のよう。聞き様によっては「できないの?」という問いかけである。そんな台詞を吐かれた日には雪ノ下は――。

 

「へぇ、あなたも言うようになったわね。比企谷くんとこの私を試すような物言いをするなんて」

 

『駄目だ、煽り耐性低すぎる……面倒ごとにうちの八幡くんを巻き込まないでよぉ』

 

 雪ノ下の口角が吊り上る。不敵に微笑むその表情はその挑戦受け取ったとばかり。幽霊と同様に俺は非常にめんどくさそうな顔をしていた。

 

 しかしそんなことは雪ノ下には関係が無い。舐められたらやり返す。舐められてなくてもやり返す。

 

「いいでしょう。戸塚くん、あなたのテニス技術の向上の依頼は受けます。あなたの技術を磨けばいいのよね?」

 

「は、はい、そうです……ぼくが上手くなれば皆も、少しは、やる気になってくれると、思う」

 

『はんっ、どーだろうね』

 

 ひゅるりと肩に乗りはじめる九音は戸塚の言葉を鼻で笑う。

 

『むしろ逆じゃない? やる気の無い奴らがやる気のある奴を見てやる気出すなんて綺麗事すぎない? むしろ逆だよ、あいつ何一人ではりきっちゃてるの? 気持ち悪いとかさ。暑苦しいとかさ。どうしてマイナスな方向に受け止められるって考えないのかな? まるで善性だけ肯定して、性悪やつらの気持ちなんてどうでもいいって? いやー、立派立派。もしかしてそんなあくどい奴は要らないって選民思想? ほぇー、ご立派。ぷーくすくす』

 

 ほんと、こいつ戸塚に対して辛辣だよな――いや、そもそも他の人間にもほとんどが辛辣。なんなら小町くらいじゃね? でも普通に小町をアホの子呼ばわりしてるしな。

 

 とはいえ、依頼人である戸塚と部長である雪ノ下の契約は完了した。

 

 戸塚は半歩ずれながら雪ノ下との間に俺を挟む。よくよく見ればぶるぶると指先は震えている。まぁ、それも仕方ない。視線の先にいる凍てつく波動を唱えてきそうな女と契約したのだ。その代償として貴様の命は貰うがな! くらいは言われてもおかしくない雰囲気。悪魔かよ、雪ノ下は。

 

 しかしながら最近では女子を小悪魔と分類されるのだから、雪ノ下ほどになると小ではなく中、もしくは大。そんな大悪魔の疑惑が生まれてしまう。そういえば、とふと幽霊の方を向く。

 

『……ん? なに?』

 

 こいつも頭の悪そうな雑誌の一文にあった『今日からこれでアナタもこあくま!』というコラムを楽しそうに読んでいたこと思い出す。おいおい、この女の正体にあたりがついちまったよ……。七十二くらい調べれば出てきそう。

 

 そんなことを考えていればぎゅっと袖が強くにぎられる。ちらりと後ろを見れば雪ノ下の方向を潤んだ瞳で見ている戸塚。さらにぷるぷるぷる震えている。

 

 よし、と俺は自分に勢いづけて半歩前に出ては視線をさえぎり雪ノ下へ向き直る。

 

 その瞬間、幽霊と目の前の女から舌打ちを貰った。なんで?

 

「手伝うのはわかったが、何をするんだよ?」

 

「私の話を聞いてなかったの? そうならば今後私の言葉だけは絶対に忘れないように調教してあげるわ」

 

 怖い。

 

 その一言がすべてだった。

 

 焦って雪ノ下の言葉を思い出す――まさか。死ぬまでうんたらという奴が本気の言葉だったのか? 口だけの雑魚幽霊が身近にいるせいで大げさに言ってるだけだと思っていた解決方法は実行されるらしい。

 

 もちろん、比喩的な表現なのだろう。けれども比喩だったとしても殺すほどの練習量に恐れ慄いてしまう。

 

「死ぬまで走らせるとかの奴のことかよ……本気か?」

 

「ご明察よ、比企谷くん」

 

 ニコッと微笑む雪ノ下。笑顔で言うことじゃない。怖いんだよ、その笑顔。

 

「ぼ、ぼく死んじゃうのかな」

 

 背後でぶるぶると震える戸塚。うっすらと見える白い肌は血色を失っている。俺は一度咳払いをして――。

 

「お前は死なないさ、俺が守るから」

 

 かばうように手をやり戸塚を雪ノ下の視線から隠すように立ちはだかる。

 

『殺すぞ』

 

 目の前からではなく真横から殺害宣言。肩の上にのる幽霊をちらりと見上げれがすごい目で見下ろしてくる。

 

 背後の戸塚は「はわぁ」と反応を見せ、くいくいと袖を引く。肩越しにその表情を見やればどこか熱っぽい視線が……。

 

「比企谷、くん。本気で言ってくれてるの……かな?」

 

 あぁ、もちろんだ! と頷きそうになるが肩の上から『頷いたら殺す』という呪詛に、正面からはゴルゴンのように恐ろしい目で。

 

 この状況下で己の意思を貫くをほど強い心を持っていなかった。

 

「や、ごめん、一度言ってみたかった台詞なんだわ、すまん」

 

 弱い俺を許してくれ。九音にも雪ノ下にも勝てない俺が誰かを守ろうなどとはちゃんちゃらおかしい話。自分の身を守ることすらままならない俺が余分に誰かを護れる筈も無かった。

 

 けれどもそんな悪巫山戯的な物言いでも良かったのか戸塚は少しだけ気色を取り戻していた。けれどもその顔はどこか不満げ。尖らせている唇に、じっとりとした瞳。なにこれ、可愛すぎない?

 

「むぅ、比企谷くんは時々わからないよ。でも、その……」

 

 戸塚が何かを言おうとした瞬間に――。

 

『なんだ、その雌顔!?』

 

「戸塚くんは放課後に部活があるのよね? ならお昼休みに特訓をしましょう。コートに集合でいいかりさ?」

 

 九音の指摘と雪ノ下の段取りを決める言葉に戸塚の言葉は遮られる。そして「りょーかい!」と脳天気な由比ヶ浜の返事が響き、戸塚の言葉は続けられることはなかった。

 

 小さく頷いた戸塚に続いて俺は自分自身を指さして尋ねる。

 

「当然でしょう? そもそもお昼休みに暇を持て余しているのだから断るなんて選択肢ありえないと思うのだけれど」

 

 雪ノ下の言葉は的確だった。的確すぎるが――。

 

『なんでこいつ、八幡くんがお昼に暇を持て余しているとか知ってるの?』

 

 疑問ではなく断言したその言葉に、まるで動向を全て知っているという物言いに俺は戦いた。

 

 

~~~~~~~

 

 総武高校の指定ジャージは不人気である。

 

 その原因は青の蛍光色というあまりにも目立つことから。夜でもはっきりとわかる青は生徒間では非常に評判が悪い。けれどもいつものように大多数に所属しない俺はこのジャージを嫌いではない。

 

 むしろ愛着が沸いている。そもそもがパッツンパッツンの体操服を着るかジャージを着るかの二択で常に後者を選び続けてきたのだ。一年も使えばお気に入りの服装になってくる。動きやすいしな。

 

 そんなジャージに腕を通してトイレで着替えてテニスコートへ。向かう理由はもちろん、奉仕部の活動。

 

 雪ノ下が計画している「戸塚を絶対に殺す計画」の片棒を担がされるため。俺は味方のフリをして戸塚を助けるためにコートへ向かうのだ。なんとしても天使が殺されるのを阻止せねばなるまい。

 

 けれども相手はあの雪ノ下である。もはや絶望しかない戦力差に膝が震えて普通に教室へ帰ってブッチしようかなという弱気な心を叱咤しながら足を進める。

 

 うつむき歩いていると――影が目に入った。顔も上げずに影とぶつからないよう進路を変えると目の前の相手は俺の動きに合わせてスススッと移動。

 

 なんだ、こいつ……。と顔を上げて見れば割と見知った顔であった。そもそもが見知った顔が少ない俺である、自然と数は限られてくる。ついでに横から『けっ』やら『ペッ』という九音の反応で正体は予想がつく。

 

「はーはっはっはっは! 八幡」

 

「……俺の名前を廊下で叫ぶな」

 

 暑苦しい名呼びと大声にげんなりとしながら大げさに笑う男の顔を見る。でっぷりとした巨躯、暑苦しい黒のコーに指ぬきグローブ。材木座義輝であった。

 

『死なねーかな、こいつ』

 

 エンカウントしてからの第一声に死を望まれる材木座。ど直球に死ねと言われているが、別に材木座自身が九音に何かしたことは一度たりともない。

 

 うざいと睨みつける目はひたすらに不快とばかり。九音の態度のせいか俺は少しばかり睨みつける力を弱める。あんまりにもあんまりな扱い。まぁ、先日の件を考えれば俺も思うところが無いわけではないが。

 

 お前の気まぐれで蜘蛛を助けたせいで巻き込まれた悪夢について文句の一つや二つは吐きたくなる。巻き込まれた側としてはいっぺん死ねよという言葉についつい頷いてしまいそうになるのだ。

 

 もちろん、こんなことは言えやしない。殺そうとした俺の自業自得で、怪現象絡みの出来事なのだから。

 

「こんなところで会うとはまさに奇縁よな。今しがた新作のプロットを渡しに行こうと思っておったのだ。さぁ、とくと見よ!」

 

「悪い、今から用事があんだ」

 

『べーっだ! ばぁーか、ばぁ−か! 一人でクソの処理してろ!』

 

 俺の肩口から顔を出して口汚い言葉を放つ。あっかんべーとばかりに主張したところで奴が気づくわけもない。差し出された紙束を軽快によけて再び在るき出そうとすると、材木座がそっと俺の肩に手をのせてきた。

 

 その瞬間、九音がすごい速度で飛び退る。

 

『わぁっ!? あ、あぶっ、危ない! やめろよぉ、霊体といえど触れたら汚れちゃうじゃん! クソをもっと自覚しろ』

 

 あんまりな扱いであった。あまりの扱いに憐憫や同情すら浮かんでしまう。しかしそんな材木座の表情は聞こえていないから変わることはない。慈愛を満ちたかのような表情をしている。

 

「そんな悲しい嘘をつくな、お前に予定などあるわけないだろう」

 

 やっぱ、こいつ死なねぇかな。的確に自尊心を傷つけてくる材木座にイラッとする。なんでこいつも雪ノ下も俺の昼休みの予定知ってるわけ?

 

「嘘じゃねぇよ。っていうか、お前には言われたかねーよ」

 

 飛び退った先、少し後方で腹を抱えて笑う女幽霊。これ絶対に嗤ってるわ。余り者、はみだしもの同士の暇か暇じゃないかの論争など滑稽極まりない。俺だって他人事なら嗤ってる。

 

「ふむん、わかるぞ八幡。つい見栄をはりたくて小さな嘘を吐いてしまったんだよな。そして嘘を隠すためにまた嘘をつく。後は連鎖するだけの悲しき業だぞ。これぞ欺瞞の無限螺旋。だが、その螺旋が向かう末は虚無よ……。その果てには何もないのだ。具体的には人間関係が虚無だ。まだ引き返せるぞ! さぁ、我の手を掴むのだ!」

 

 材木座が片手を伸ばしてくる。その手の中には紙束。心の底からうざいと思って見ていても欠片も効いちゃいねぇ。

 

『いや、藁のようにうんこ差し出すなよ。ばっちい』

 

 バッチイのはお前だ。とはいえキラキラとした視線で突き出される紙束を掴むつもりは毛頭ない。

 

「だから本当に」

 

 怒りのあまりに引き攣る頬。目の前のこの男をどうやって説き伏せてやろうかと頭を捻っていると……

 

『あ……』

 

 九音が何かに気づいたのか、その方向に目を向けようとした瞬間に衝撃。

 

「比企谷くんっ!」

 

 陽気な声が左手への衝撃と共に飛んでくる。腕に戸塚が飛びついてきた。霊体にこそ絡まれることはあれど、肉の触感になれてない左半身は完全に麻痺する。えっ? やわいやわいやわい、えっ? 天使ってこんなに柔らかいのか……。

 

「ちょうど良かった! いっしょにいこっ?」

 

「お、ぉう……」

 

 左肩にラケットを背負った戸塚は腕にくっついたまま楽しそうに提案してきた。甘い匂いに、温かい感触に脳髄が麻痺する。

 

『ぷ、ぷぷ、ぷじゃけるなーっ! 誰に許可を得て八幡くんの腕に抱きついてんだ! そこ私の! 私の席っ! 私の腕っ!』

 

 いや、俺のだよ。九音が猛抗議とばかりに戸塚へ言う。背中にはりついてぎゃーすかと騒ぐ女幽霊は非常に煩い。

 

「は、八幡、その御仁は――」

 

 材木座がまるで歌舞伎で大見得を切るかのように顔を歪ませる。

 

『私、最近すっごい我慢してるよね! 太もも撫でられてるのを我慢して見てたり、手を引いて夜の校舎を走るのをサポートしたり! 鼻をカミカミしたのもぐって堪えた! けどそうやって当ててんのよ! するのは流石にどうかと思う! ずるいっ!』

 

 胸はねぇよ。あまりにもアホで頓珍漢な台詞を吐く幽霊に呆れた目を向ける。そしてそのまま正面の材木座を見る。

 

「き、貴様ァっ! まさか我を裏切っていたのか!」

 

『私の心を弄んで! 裏切り者!』

 

 二方向から詰られてげんなりと肩を落とす。うるせぇ、こいつら……。

 

「裏切るってどういうこったよ。裏切ってねぇよ、そもそも仲間でもねぇよ」

 

 俺の呆れとかくだらないと切り捨てるような台詞が奴らの癪に障ったのかますます騒ぎ立てる。

 

「黙れっ、小僧! この半端イケメン! 残念美少年! ボッチだからと我が哀れんでやっていれば調子にのりおって……」

 

『この隠れ筋肉! 墓場イケメン! 好きっ!』

 

 罵倒なのか何なのか。しかしながらこんだけ阿吽の息で俺を責め立てる二人。息ぴったりだよな、そのまま付き合っちゃえば?

 

『い、今! 八幡くん! 凄く失礼でおぞましいこと考えなかった!? 背筋がぞわってした! ゾワワって!』

 

 背後から猛抗議する九音。傍から見れば片手と背中に美少女。けれども悲しいことに片や生物学的には男で、片や科学的に生物ではない。これがもしも演劇なら文句の一つや二つ言いたい構成。やっぱ神様って馬鹿だわ。

 

「ぜ、絶対に赦さない……」

 

 材木座の怨念すら篭ったつぶやき。少しでも恨み妬みを晴らすために言霊によっての浄化を試みる。

 

「まてまて、材木座。戸塚は女じゃない……男だ、多分」

 

『多分じゃなくて男だっつーの!』

 

 俺の自信なさげな態度に九音がいのいちに反応する。そして材木座はプルプルと震えたあとにカッと目を見開き。

 

「ぷ、ぷじゃけるなーっ! こんな可愛い子が男なわけないだろうっ!」

 

 絶叫と涙目で放たれる言葉には説得力があった。俺の言霊は完全に負けて、材木座の主張に「そうかな? そうかも……」と納得しそうになる。

 

 けれども再び言霊を装填して放つ。

 

「た、たしかに可愛いが男なんだよ」

 

 それでも自己保身のために男であると主張する。もしも戸塚が可愛い女の子ならこの状況は非常にヤバイ。好きになって告白するわ、こんなの。

 

 俺の主張を後押しするかのように戸塚は恥ずかしそうに左手で口元を隠して呟いた。

 

「ひ、比企谷くん、そんな……可愛いとか、ちょっと嬉しいけど、困る……」

 

 頬を染めて呟いた戸塚にいよいよもって自信がなくなってくる。本当に男だよな……?

 

「あ、あの、比企谷くんのお友達?」

 

「あー、どうだろうな……」

 

 曖昧に濁す。いやストレートに友達じゃねぇと言ってしまえばただでさえめんどくさいやつがさらにめんどくさくなるかもしれないのだ。多少の気を回すのは仕方なし。

 

「ふん、貴様のようなやつが我の強敵であるわけがないわ……」

 

 完全にヘソを曲げていた。めんどくせぇ。

 

『はぁ!? こんなクソ豚と八幡くんが友達だって? お前の目ガラス玉じゃん! そんなわけないでしょ! 汚れる! 八幡くんのお友達は私が決めるの!』

 

 ぎゃーすかと煩い幽霊。なんで俺の交友関係にお前が口出ししてくんだよ。お前はかーちゃんか。

 

 一人と一匹のめんどくさい奴らに囲まれてひたすらに疲れてしまう。この後にテニスとか地獄かよ。もう、これ以上、ここに時間を使って無駄に疲れる必要もあるまい。さっさと切り上げてテニスコートへ向かおう。

 

「戸塚、行こう」

 

 俺は未だに腕に絡んでいる戸塚に腕を動かして合図を出す。

 

「う、うん……」

 

 返事をしては歩き出せば――するりと熱は失われた。

 

「あ、あの材木座くんだっけ?」

 

 未だにぶつぶつ蹲っては呪詛を唱える材木座に「とててっ!」と近寄っては声をかける。

 

「比企谷くんのお友達なら……ぼくともお友達になれない、かな。そうだとしたら嬉しい……ぼく、男の友達って少ないから」

 

『あぁ!? はぁっ!? なんだ、その良妻ムーブっ……。夫の友達とは仲良くしようみたいなアレ! そんなの私がしたいっ!』

 

 いや、お前視点では戸塚の行動はそう見えんのか。こえーわ……。どんなシチュエーションだよ、それ。と呆れつつも失われた熱の行方をそっと眺める。

 

『……違うっ、これはッ!? これは――雄ビッチ! 八幡くんに粉をかけておきながらキープとして豚にも餌をやってるのか⁉ 恐ろしいよ、こいつッ!』

 

 恐ろしいのはお前だ。さっきから戸塚に対する誹謗中傷が酷すぎる。違うから、戸塚は心優しいやつだから材木座を見捨てるなんて出来なかったんだよ。べ、別に捨てられたとかじゃない。じゃないよね? ……ね?

 

『八幡くん寝取られたみたいな顔やめなよ! 違うよ! アレはビッチだよ! やめときな! 私みたいな女の子がいいよ! むしろ私がいい!』

 

 三人と一匹によるどろどろとした人間模様は混沌としていた。そんな中、声をかけられた材木座は立ち上がり高らかに笑い始めた。うぜぇ……。

 

「くはっ、くははははははっ! はぁーっはっはっは! いかにも我と八幡は親友『ちげぇよ』否、義兄弟『違う、殺す』否否否、我が主人で下僕があやつえ『殺すぞ』……えっ、ちょっと寒気が。こ、こほんっ! ま、まぁ、そこまでいうのならオトモダチ? とやらになってもよい。なんなら恋人でも良いぞ」

 

 肩口から見える九音の目がマジギレ寸前であった。俺はどうどうとあやしながら何とか落ち着かせる。本気で材木座を殺る雰囲気であった。

 

「う、うん、それはちょっとごめんね? 友達ってことで」

 

 ちらりと此方を見た後に材木座にお断りを入れる戸塚。なぜ意味深にこっちを見たと騒ぐ幽霊を宥める。そんな騒ぐ幽霊も「ふむ、そうか」と戸塚に答えて近づいてくる材木座から距離を取る。

 

 材木座はこちらに近づいて耳打ちで。

 

「なぁ、八幡。ひょっとしたら彼奴は我のこと好きなのではないか? モテ期というやつか?」

 

『ホモかよ、お前。まじで八幡くんから離れて。ほんと汚れる。まじで殺すぞ』

 

 ドン引きしながら九音が呟く。ほんと、この時間だけで何度九音をブチギレさせそうになってるんだ、こいつは。

 

 もはやテニスなんてする気力は奪われている。が、それでも遅れれるわけにはいかない。

 

「戸塚……行こう、遅れると雪ノ下に何を言われるかわからんからな」

 

「あ、うん」

 

 じゃあ、またとばかりに戸塚が手を挙げようとした瞬間に共にあるき出す材木座。

 

「む、それはいかんな。急ごうではないか。あの女傑、怒らせると怖いからなぁ……」

 

 挙げようとしていた手を下ろして苦笑する戸塚。そして俺の心中をそのまま九音が言い放つ。

 

『お前も来るのかよ……やだよぉ、お荷物だよぉ』

 

 何故か一列に並んでテニスコートを目指す。その最後尾には材木座。まぁ、いいかとため息を吐きながら足を進める。大体ホラー映画とかで消えるのは最後尾のやつで、有名な心霊スポットで襲われるのも最後尾の人間。

 

 せめて俺と戸塚を守る肉盾となれとばかりについてくる材木座に念を送ることで同行を俺は許可することにした。

 

 

~~~~~~~~

 

 

 

 テニスコートには既に制服の雪ノ下、ジャージ姿の由比ヶ浜が揃っていた。どうやら二人はここで昼食を取っていたらしい。テニスコート近くのベンチには可愛らしい小包みが二つ、ぽつねんと置かれている。

 

「では、始めましょうか」

 

 こちらに気づくやいなや早々に本題を切り出す雪ノ下。しかしながら、指示された戸塚の表情は少し浮かない。視線は二人が昼食を取ったであろうベンチへと注がれている。

 

「……どうかしたのか?」

 

「あ、うん、いや、何でもないよ……ただの噂話だから」

 

 戸塚は歯切れが悪く答える。俺は噂話と聞いてあまりいい予感はしないものの最近が最近である、念のために内容を確認する事に。

 

「噂話? テニス部のか?」

 

「う、うん……あのベンチ周辺にさ、女の幽霊が出るって噂なんだよ」

 

 俺はチラリとそこらへんに浮いている悪霊を見る。確か、こいつもあのベンチ座ってたよな。ラリー形式の時に座っていたからその時に霊感の強いやつに見られたのか?

 

『ん? ち、違うよ! 冤罪だよ、えんざーいっ! そもそも私を見れるやつの方がレアだからね? それにテニス部の浮幽霊ってアレでしょ』

 

 九音が指差した方向はベンチ周辺。俺には何も見えない。その指先はベンチから部室へ。そしてまたベンチへ。本当に居るのだろうか?

 

『居るって! なんかテニスウェア着た女の子! 違う学校の名前書いてあるから浮幽霊じゃない?』

 

 なるほど、確かに居るらしい。俺は納得して周りを見ると能天気に「そーなんだー」と呟く由比ヶ浜に何かを考え込む雪ノ下。そして考えが纏まったのか口を開く。

 

「ねぇ、戸塚くん。その噂いつから? その噂が前からあるのならそういう部分もテニス部に人が集まらない原因の可能性は無いかしら? 少なくともあんまり外聞がいいようには思えないのだけど」

 

 雪ノ下の指摘は依頼の根幹、強くなればもっと部活動が盛り上がるといった可能性の否定。

 

「あ、う、そう、なのかな……ぼく、あんまり考えたこと無かったから。ごめんね」

 

 恐る恐るとばかりに頭をさげる戸塚。その様子を見て雪ノ下は軽く溜息を吐く。

 

「まぁ、幽霊の件はあくまで噂なのでしょう? あなたが強くなればという部活が盛り上がるという理由の反証にはならないわ。あくまで別件として扱うべきよ」

 

「ゆきのん……」

 

 由比ヶ浜が雪ノ下を見てうるうると瞳を揺らす。そして次の瞬間、がばりと抱きつく。めっちゃゆるゆりしてんな。

 

「絶対に強くしてあげようね、ゆきのん!」

 

「は、離れなさいッ! つ、強くなるのはあくまで戸塚くん次第よ。まったく……」

 

 百合なのかな? 百合なのだろう。雪ノ下の優しさに感動して抱きつく由比ヶ浜、そんな二人を眺めながらほんわかとする。まったくと口で言うわりには満更でもなさそう。こいつ由比ヶ浜には滅法弱いよな。

 

 そんな様子を眺めていると戸塚が不安そうにこちらを見上げてきた。

 

「ごめんね、比企谷くん」

 

「あぁ、気にすんなよ。雪ノ下も言ったようにその件と部員が強くなって部活が盛り上がるのは別の話だろ、それにその幽霊の件なら俺が当たってみるわ」

 

 戸塚の肩に手をぽんと置いて俺は呟く。

 

『詐欺師、何を恩着せがましそうに。別にその雌犬三号のためじゃないんでしょう?』

 

 いつの間にか雌認定されていた、戸塚。とはいえ九音の言う通りだ、俺は俺のためにこの問題に取り掛かるつもりである。そもそもそんな噂が蔓延るテニスコートで暢気に体育を受けたくない。

 

 何らかの対処法や正体を探るべきである。好奇心が猫を殺す場合もあるが、故意の無知であることは犯罪であるとも言われている。知った以上、聞いた以上、聞いていませんでしたは世の中通用しないとのこと。そんなわけで自分を守れるのは自分だけなので、俺は自己保身として今回はこの件に首を突っ込む。

 

『薮蛇じゃなきゃいいけどね』

 

 怖い予言をする幽霊、そういう不吉なこと言うのやめてくれよ……。

 

『でも、あの女の子が何かするとは思えないんだけどねぇ』

 

 自分だけ見える女の子を見てからそう呟く九音。少なくともこれは重要な話なのかもしれない。

 

『……ん? というか! いつまでそのファンタジー生物雌犬三号の肩に触れてるのさ! 離れて! さっさと離れて! セクハラなんてサイテーっ! 私がするぞ! 君にッ!』

 

 最低なのにするのか、こいつ。

 

「比企谷くん」

 

 九音に呆れていると雪ノ下から声をかけられる、そちらの方向へ振り向くと内緒話をするかのように耳元へ口を当ててきた。

 

「んだよ?」

 

「次、戸塚くんへセクハラをしたら切るわ、覚悟しておきなさい」

 

 どうして俺の事を好きだとかぬかす奴らってこんなに攻撃的なの? 怖いというか、怖い。もう怖いという感想しか出てこないわ。

 

 雪ノ下のナニをと明言しない脅しに、俺は震えては頷いた。




※いつもより遅くなってすいません。楽しんで頂けると幸いです
※次回は13日の金曜日の投稿予定です。よろしくおねがいします。
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