足山九音が幽霊なのは間違っている。   作:仔羊肉

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春先【邂逅】

 高校生活を振り返ってという課題作文を、担任である平塚先生が淡々と読み上げる。

 

 最後の『呪われろ』と冗談染みた呪詛で締めくくられた内容は彼女の名前の通りに静に粛々と声に出すのだから、俺の中途半端な文章力などカバーしておどろおどろしさを醸していた。

 

 三人も集まらずとも、二人程度であーだこーだと試行錯誤の末に出来上がった作文はどうやら大変に不評であるらしい。

 

 正確に述べるのなら二人というよりかは一人と一匹、もしくは一人と一体、一人と一人。生者と死者による合作の顛末はクオリティを上げるはおろか、愚かしくも放課後に職員室に呼び出されるというバッドエンド。

 

 呼び出した当人である平塚先生は淡々と読み上げた後に大きく息を吐く。呼吸というよりかはため息。

 

「なぁ、比企谷。私の出した課題は一体なんだったのか、覚えているか?」

 

「あーっと、見た通りの高校生活を振り返ってという内容だったと思いますが……」

 

『うんうん、何も間違いはないね』

 

 ふよふよと、ふわふわと。首に纏わりつく自称浮幽霊の女子高生が記憶違い見間違いではないことを肯定する。

 

「あぁ、そうだな。それで何故君は呪詛めいた奇文を書き上げているんだ? 呪術師なのか? それともバカなのか?」

 

『だから言ったんだよぉ、そんなの提出したら怒られちゃうよって。はぁ、やれやれやっぱり寝てない頭じゃろくなものが出来ないなんて、どうしてわからなかったのかなぁ』

 

 一緒になって変なテンションで書き上げた文章の片棒を担いだ幽霊が自分は関係ないとばかりに注意してくるのが腹が立たしい。

 

 裏切りも甚だしい少女の顔を間近でにらみつけていると――紙束で頭が叩かれる。

 

「君はどっちを向きながら聞いてるんだ、こちらを見なさい」

 

「……すいません」

 

『ぷぅー、くすくす、怒られてやんのぉー』

 

 ぴゅぉーと軽快に空中に浮かびあがる浮幽霊。天井付近にいるにも関わらず、小器用にスカートの中は防がれている。完全に物理法則に喧嘩を売っているような布の揺れ、しかしながら存在自体が科学に喧嘩を売っているというのだから考えても詮無きこと。

 

「君の目はアレだな、腐った魚のような目をしているな」

 

「そんな出会うだけでSAN値削りそうな顔してます? ダイス振らなきゃいけないっすね」

 

 女教師の頬が引きつる。口角も少し上がっていた。笑顔とは決して友好のためだけに存在しているわけではない。人は沸点を超えると笑うこともしばしばとあるらしい。

 

「比企谷、この作文はなんだ? 一応の言い訳は聞いておこう」

 

 睨み付けられて竦む。にらみつけるとは防御力を下げるだけではなく、美人が繰り出せば竦みあがらせることも可能だと体感した。つーか、なまじ美人である分、目力があって怖ぇ。たとえそれがホラー・オカルト・怪現象に巻き込まれることが多く多少の耐性が出来ていたとしても何の意味もなかった。そんな怖さとは別種の怖さにはまるでこうかがないみたいだ。

 

「ひ、お、俺はちゃんとした高校生活を送ってましてね? 作文に書いたカップルで廃墟探索みたいなことをする人種を差別し軽蔑し、怖さのドキドキと恋愛のドキドキを勘違いするような人種を見下しながら日々を生きてますし、近頃の高校生は大体、そんな感じですし、何の問題もないかと……」

 

「普通、こういう時は自分の生活を振り返りながら書くものだろう」

 

「なら、次はそうちゃんと前置きしておいて欲しいですね。そしたらこっちも素直に書きますよ。これは先生の出題ミスです」

 

「小僧、屁理屈述べるなよ……」

 

「こ、小僧って、いや確かに先生のお年からしてみれば小僧なんですが――ッ!?」

 

 風が吹く。

 

 頬を撫でた風の出所を見ればグーがあった。見間違えることなく固く閉じられた掌。拳が風を切り、撫でたのだ。ノーモーションからの繰り出しは昨今の都市伝説の化け物並みに血の気が多い。

 

「次は当てる」

 

 マジだった。目がマジだった。二言はないとばかりに睨んでいた。

 

「すいませんでした、すぐに書き直させていただきます」

 

 即座に喉から出た謝罪。問答無用の謝罪などいつもの出来事で、謝りを持って怒りを流してもらおうと試みる。

 

 しかしながら、平塚先生には満足していただけないようだった。その目が訴える胡乱気な視線に土下座しかねーな、と結論づける。ズボンの皺を払うように伸ばし、いざ右足をつけてげざろうとする。

 

 そもそもが土下座など日常茶飯事で謝ることで減るものがあるのなら、俺にはきっと残ってない。なんなら今は此方の様子を伺っている浮幽霊にも定期的に行っている。

 

 そういえば何か最初の頃は恥ずかしいなとか感じていたような気もしなくもないが、たぶん気のせいだろう。土下座など心を込めずとも相手が勝手に本気で謝意を感じてくれる有用なカードなのだ。ふっ、勝ったな、この勝負。

 

「あー、比企谷。別にな? 私は怒っているわけではないんだ」

 

 あーはいはい。あー出たよ出た、出た出た、こういうパターン。めんどくさいパターンだわ、これ。怒っていない人間がその台詞吐いた試しあんの? 少なくとも俺の短い小僧とも呼べる人生の中ではなかった。

 

 だが、表情を伺ってみれば確かに平塚先生は怒っているようではない。年齢の話以外では。やっぱ怒ってんじゃねーか。

 

「んー……」

 

 平塚先生は軽く伸びをして、豊満な胸が自己主張するブラウスのポケットからタバコを取り出し、葉が落ちるようにフィルターを下向けに何度か机に叩きつけては葉っぱを詰める。

 

 そして安物のライターで火をつけて吐き出す紫煙。何度か吸って精神を落ち着ける様をボケーッと眺めていると、天に向かう煙を避けながらヒュルヒュルと幽霊が首元まで移動してくる。

 

 あすなろ抱きの要領で腕を回されれば囁きは耳元へ。質感もなければ、重量も無い。触れているのに、触われず、くっついているのに、どこまでも遠くにいるソレは鼓膜を震わせる。

 

『胸ェ、見てたよねェ……』

 

 答えず、騒がず、俺にしか聞こえず。俺にしか知覚できないソレに受け答えなどするわけにはいかない。答えない俺に対して苛立ちと癇癪が混じりあい恨めしげな声と共に後頭部を拳で打ち抜いてくる。貫通した拳が薄透明色で急に現れるのだからもしもこれが初見ならば驚きでもした。こんなじゃれ合いに今更、反応などしない。けれども、目の前出ては吸い込まれる拳にリアクションを返さずとも集中力は削がれる。

 

「君は確か部活には入っていなかったよな?」

 

 そんな幽霊のことなど見えるわけも無い先生の質問は唐突な話。あまりにも突拍子にもない話題だったために勢いで「はい」と素直に頷いてしまう。

 

「……友達とかはいるか?」

 

 友達がいないことを前提とした聞かれ方をした。少なくとも背後で『しゅっ! しゅっ!』と女の子らしいソプラノボイスでシャドー音を口に出すコレは友人枠には到底なりえない。

 

「平等をモットーに他人に優先順位や評価、裁定をしない主義ですので、特に親しい人間を作らないようにしているんです」

 

「……あー、いないということだな?」

 

「まぁ、端的に言えばそういうことになりますかね?」

 

「そうか! やはりいないか! 君の腐った目を見ればそれくらいまるっとお見通しだったぞ!」

 

『うっわぁ、この人本当に教師? 聖職者としてその発言どうなのって思うよ。しかも本人まったく悪気ないから怒るにも怒れないよね……』

 

 幽霊の手を止めるほどにドン引きな台詞を放つ女教師。確かに言の通り、怒るに怒れないモニョモニョとした気持ちが浮かんではくる。浮かぼうとする名状し難き感情に何とか蓋をしていると、平塚先生はうんうんと納得で頷きながら、何かを考えるような仕草に変わる。

 

 そして、幾つか言葉を選んだのだろう。口を開いて。

 

「……彼女とかは居るのか?」

 

 とかって何だよ。彼女に近い何か、彼氏でもいたら大事じゃねぇか。幾らそういうのに対して寛容になりつつある世の中になってきたからといってそんなに簡単にカミングアウト出来るわけねーだろ。しかしながら、彼女ではないが同棲どころか一緒の部屋で寝食を共にする存在は居るのだからあながち大ハズレとも言えないのかもしれないが。

 

「あぁ、そうですね……今は居ませんね」

 

 あえて考え込み、更に今はという部分にアクセントをつける。こうすることにより、相手に「あれ、もしかして居たのかも」という印象を抱かせることが出来る。さらにいえば過去にはいたかもしれないと深読みをさせる。

 

 そして俺は過去のことを振り返らないというスタンスを付け加え、明日のことは考えてすらいないので完璧に今のことだけを見ていることに。

 

 こうすることで俺の視点で彼女が居るかどうかは判らなくなる。メタファンクションにおいて俺の彼女が居たかどうかなんてわからなくなるという完璧な技法。比企谷八幡の彼女の有無はことここに至って完全な迷宮入り。勝ったな、この勝負。

 

『八幡くん、彼女居たことないよね』

 

 ばっか、お前、ふざけんな。お前の知らない過去でいたかもしれないじゃん。そういうのやめろよ、一年来の付き合いであるお前がいうとマジで居なかった可能性が急上昇するじゃねぇか、やめろよそういうの。

 

 そんな内心など知ったことかとばかりに再度として『シュッ! シュシュッ!』と俺の顔面を打ち抜くシャドーボクシングを再開しはじめた。

 

 そして平塚先生の方といえば「そうか……そっかぁ……」と哀れみの篭った少し潤んだ瞳で見つめてくる。その潤みって紫煙が目に染みただけだと信じたい。決して俺の彼女の有無が先生の涙腺を潤ませたなど考えたくも無い。そんな現実を突きつけられただけで凄く可哀想な奴にすら思えてくる。必死に現実を見つめない比企谷少年の構図になって凄く哀れな存在になっちゃう。

 

 というか、この話の流れは何なのだろうか。熱血教師なのか? そのうち腐ったみかんがどーこーとか言い始めちゃうわけ? その理論がまかり通るなら腐ったみかんはさっさと捨てちゃいましょうねーとばかりに取り除かれるのだろうか。でも安心してほしい、腐ったみかんに影響を受けるようなみかんは、そもそもが同じ箱には入っていない。

 

 一見すれば同じ箱、同じ学校の中に入っているようできちんと区分けはされている。故に見ている物が違うし――魅入られるのも異なる。みかんはきっと混同しない。混同なんてさせなどしない。俺たちは混同することなく、別の箱で、別々の出荷先に送られる。青春を謳歌せし者たちがこっちにくることは殆どない。もしも何かの間違いで混同したのならば入っている箱が間違っているとばかりに追い出すのが俺の仕事なのだから。腐ったみかんは他のみかんに腐食を遷す前に突き放すのが腐ったものなりの役割。

 

 ここは危険だと、こっちは腐っていると、どろどろと――おどろおどろと目に見えて危ない場所に立っているだけ。間違っても混同なんてされないように。されても追い払えるように。ただ在るのがレゾンデートル。

 

 勿論、こんなことは平塚先生には通じなどしない。ゆらめく煙の先にある瞳は何かを考えているのだろう。俺にはそんな価値などきっとないのにも関わらず。

 

「よし、こうしよう。レポートは書き直せ」

 

「はい」

 

『だよねぇ』

 

 幽霊の言うとおり当たり前の結論だった。

 

 今度の課題作文は当たり障りの無い文章で埋めよう。それこそ、中学英語の例文のように『これはペンですか』『いいえ、ペンではありません』という構文のように。まかり間違っても『これはペンですか』『いいえ、ペンではありません』『じゃあ何ですかナニナニナニナニナニ!? ナンナノヨォォォォォォォアアアアアアアアアアアッ!』といった御話にならぬように。それじゃあ背景が変わりすぎてどうしようもなさすぎる。

 

 不思議な部分など何もないように、どろどろとしたものを垂れ流さないように。つまらなく、どこにでもありそうな高校生らしく学生としての模範的な内容を書くとしよう。

 

「だが、君の心ない態度と言葉で私の心が酷く傷つけられたのは事実だ。女性に歳の話をするなと耳にしたことはないか? なので君には一つ罰を、奉仕活動を命じる。罪には罰を与えなければな」

 

 やっぱり怒ってたじゃねぇか。

 

 とはいえ傷ついた女性らしさなど微塵にも見せずに平塚先生は嬉々とした様相で言った。あまりの様子に傷つくってどんな意味だっけとか一瞬考えるほど。呆けていれば平塚先生は立ち上がる、すると視線の高さは自然と豊満な胸に目がいくことに。

 

『……さっさと目を放せ』

 

 ドスが利き、さらには普段の口調が崩れた悪霊の声。若干ビビる。

 

『君は胸があれば誰でもいいのかい? この節操なし!』

 

 ばっか、胸なら誰でもいいわけねーだろ。女性かつ、美人で巨乳であるのならば目の保養になるのは古文書から紐解いた歴史にきちんと記されている。

 

 先生には聞き取れないであろうほどの声で幽霊に対して猛講義。

 

『記されてるわけないだろう。歴史に謝れ、積み重ねに謝れ、そして一番に私に謝って!』

 

 反論に無視を決め込み、本題たる内容を平塚先生に尋ねる。

 

「奉仕活動って……何をさせられるんですか?」

 

「ついてきたまえ」

 

 山のようにつまれたタバコの残骸に新たな犠牲者を増やして平塚先生は立ち上がる。そして職員室をさっさと出ようとする先生を見送る。

 

「おい、早くしたまえ」

 

 促されてから慌ててその後に続く。

 

『そんな反射神経で『ナニカ』にあったとき大丈夫?』

 

 からかうような声が隣から聞こえた。少しだけ口をへの字に曲げては平塚先生を追う。そして俺の後に続くように足山九音は憑いてくる。

 

 

 

~~~~~~~~~

 

 

 俺こと比企谷八幡が通う千葉市立総武高校の校舎の形は歪である。

 

 上空から見れば口の形をし、口の下に視聴覚室を足せば俯瞰図はあっさりと完成。北東側に玄関口が存在しているにも関わらず、南西に吹き抜けるように裏口が在る。そして両方の口には確りと水場が存在しているというのだから救いようが無い。

 

 工事施工者がいるのならば何を考えてこのような配置にしたのか小一時間ほどお話するべき立地条件であり、そんな場所に大多数の人間が無知なまま通っている。

 

 誰も意識などしてなく、誰も考えようとしていない。不吉も不吉、救いようもなく不吉で歪な図の中心は生徒達が常日頃から戯れる中庭が在る。リア充御用達が愛してやまない中庭。昼休み、放課後と愛を語らい、友情を演出し、絆を叫ぶ。

 

 なんとも物語的な場所なんだろう、なんとも栄える場所なんだろう。そんなことをしてしまえば『物語』を作ってしまえば。不吉蔓延るこの校舎はいつだってそれを『元』とした『ナニカ』が沸いてきてもおかしくなどない。きっと、妊娠で高校中退した女子校生の数よりもこの校舎を基点として生み出された化け物の総数が多そうなのはホラーを通り越して一種の笑い話だ。

 

 南西から吹き抜ける生ぬるく気持ち悪い潮風が吹く。風がやってきた方向には青春を謳歌している高校生達の姿。それを見ては滑稽だと思うにも関わらず、笑うことなど決してできない。

 

 だが、普通ならばそうなのだ。当たり前に考えたらそうあるべきなのだろう。

 

 自分たちの高校の鬼門と裏鬼門について考察する高校生は果たして世の中にどれほど居るというのか。オカルト齧りであったとしても千葉県内には様々な心霊スポットは存在する。わざわざ自分の学校の俯瞰図を確認する人間はどれほどのものか。そもそも考えてみればそこまで神経質になるような人間が、この不穏渦巻く、邪念強き学校に通うなどするだろうか。

 

 それこそ俺のように後天的に霊と関わる機会でもなければきっと入り口の配置になど気にも留めないだろう。入学式前の俺は何も知らずに。高校生活を無垢に、無知に、白痴に楽しみにしていた俺が。

 

 いまや自分だけがこの世界の歪さに気づき嘆く。後天的で切っ掛けでもなければ気づかなかったような彼是にいまさらながら未練たらしく嘆いているのだ。

 

 そんな不吉極まる校舎の廊下――特別棟の廊下を平塚先生の背後に続くように歩く。リノリウムの床がコッコッと響き、まるで自分たちがチャンネルを間違えたかのように静かな世界。しかしながら未だにうぇいうぇいとはしゃぐリア充達が廊下の窓から見える。はっきりいって見るだけで不快ではあるが、同時に安心感も覚えてしまう。

 

『奉仕活動って何なんだろうね?』

 

 ふと浮幽霊たる美少女女子校生(自称)が呟く。本人は名前しか覚えておらず、その他一切が詳細不明。怪しいことこの上ない存在の言葉に俺は前を歩く平塚先生に聞こえないように小さく独り言のように返す。

 

 ――奉仕活動って卑猥な響きだよな。

 

『いや、君さ。八幡くんさ。私が女子高校生って忘れてない? なんで当たり前のように猥談ふってくるわけ? 男友達じゃねーんだぞ』

 

 ――なに、言ってんだこいつ。お前がふってきたんだろうが。

 

『いや、言ってないからね!? 言いがかりもここまで来れば当たり屋だってびびる竦みあがるよ! 奉仕という言葉で即座にエッチな連想をする君には本当にがっかりだよ! がっかり!』

 

 最後のがっかりという部分を力強く主張する幽霊。

 

 いやいや、仕方ないのだこれは。普通の男子高校生なんて奉仕という言葉を聴いたらちょっとエッチな単語に聞こえる機能は搭載している。それどころか平塚先生のような美人が口にすれば耳に残るレベル。むしろ奉仕という言葉を聴いて平常心で居られる男性なんているの? いや、いない。

 

『うーわ……絶対にろくでもないことを考えてる顔だぁ、変態』

 

 じっとりとした視線を受けつつも無視を決め込む。しかしながら妄想は妄想で現実ではない。そんな都合の良い出来事なんてあるわけねーんだ。俺知ってンだ。

 

 特別棟にまで案内されて罰を予測してみる。音楽室、生物室なんて不穏極まる場所の片付けといった雑用が思いついた。奉仕という名前の強制労働である。働かないをかつて標語していた身としては先手を打っておくべきだと結論づいた。前を歩く平塚先生に向かって今、瞬間的に思いついた言い訳を述べて何とか回避を試みる。

 

「あの、平塚先生……俺、持病でしゃくとり虫でしてね? 激しい動きとか重いものを持つのはちょっと……」

 

「君が言いたいのは癪持ちだということかね? 君に内臓疾患があるなんて初耳なんだが? それならご両親に尋ねてみようか? あと安心したまえ、お願いするのは力仕事ではない」

 

 完全に馬鹿を見る目で見られている。

 

『八幡くん……』

 

 幽霊の方向からも完全に哀れみの意がこめられていた。

 

「俺、家に三千人の部下がいましてね、早く帰ってあげないと」

 

「君はいつからながっぱなの狙撃手になったんだ、なんだ? 君は麦わらの一味なのか?」

 

 少年漫画を読んでるらしい。とはいえ、どうにも避けられそうにない。力仕事ではないと言っていたからデスクワークするだけなのかも。流石に連日続けて不幸な目に遭うなんて早々ないだろう。

 

「着いたぞ」

 

 辿り着いた先には何の変哲も無い扉。プレートには何も記されていない。自分が一体何者なのか、どんな存在なのか、どんな場所なのかを証明することを怠っていた。

 

 立ち止まってプレートを眺めていると、平塚先生はこちらを気にも留めずにあっさりと扉を開く。

 

 飛び込んできた教室は自己紹介を兼ねていた。隅に積まれた机と椅子が空き教室であることを主張している。しかしながら、中央に置かれた長テーブルと、その横に座る少女が居たから――何かの部活動室であることを証明していた。

 

 まるで一枚絵になるような――斜陽の中で本を読む少女が居たから、この場所が特別な空間のよう。

 

『ほぉ、まぁまぁだね。まっ、私の方が美少女ですけど』

 

 自信過剰にして、自信満々の幽霊が絵になる少女に張り合う。

 

 空き教室に居た少女は確かに絵になるほど綺麗な少女だった。けれども、それはあの夜のように決して『魅入る』程ではなかった。

 

 彼女は来訪した俺たちに気づくと、文庫本を音を鳴らしながら閉じる。

 

「平塚先生。入室をする際はノックをしてくださいと何度もお願いしているハズですが」

 

 端正な顔立ちに、流れるような黒髪。奇しくも幽霊と同じような特徴を持つ美少女。しかしながらあくまで特徴が部分的に一緒というだけであるだけ。どちらも特徴的なまでの美少女、種類の違う少女達。

 

 かつて病衣を纏った頃を思い出す。月明かりに黒の髪が垂れ下がり、楽しそうに窓の外を眺め、俺とお揃いの病衣を纏っていた少女。今では後ろで流すように結ばれていて、腕にはシュシュが巻かれている、スカートは生真面目な生徒よりかは短いというのだからなぜこいつが病院の幽霊だと思うだろうか。きっと初見の人間にはわかりなどしないだろう。彼女がどこにいたのかなんて。

 

「ノックをしても君が返事をした試しなどないじゃないか」

 

「それは先生がノックに返事をする間もなくいつも扉を開くからです」

 

 不満げな少女と先生のやり取りを他人事のように眺める。さっさと用事終わらせて帰りたいんだが。

 

「それでそのぬぼーっとした人は?」

 

 冷めた視線がこちらを射抜く。無論、それは俺に向いたものであり、首に抱きつくように纏わりつく幽霊のことなどではないだろう。

 

『雪ノ下雪乃さんだっけ?』

 

 幽霊が俺の代わりに人物の名前を中てる。幽霊すら知っている有名人。総武高校内でトップクラスの著名人。そんな人物であるからもちろん、俺は会話などしたことはない。

 

 二年J組雪ノ下雪乃。

 

 総武高校には普通科九クラスと国際教養科というのが一クラス存在する。別学科となる国際教養科は普通科よりも偏差値が高く、帰国子女や留学志望の生徒が数多く在籍している。

 

 そんな総武高校内で派手に目立つクラスの中でも一際異彩を放っているのが目の前にいる少女――雪ノ下雪乃なのだ。

 

 彼女は定期テスト、実力テストにおいて常日頃から一位に鎮座している成績優秀者。さらにそこに見惚れるほどの美貌を兼ね備えているというのだから有名人にならないわけがない。

 

 かたや俺は知る人ぞ知る程度の凡庸な一般学生。総武高校において比企谷八幡なんて大抵やべぇやつ扱い。勿論、雪ノ下のように皆が皆、噂などしているわけではなく、一年次に起こした奇行が原因でクラス内を超えてやばい男子がいる程度に囁かれているのだ。

 

 だから、彼女が俺のことを知らずとも傷つくことなどない。むしろ知らないことで自分の奇行が知れ渡っていないことに安堵を覚えるまで。

 

 しかしながら、ぬぼーっとって表現は幾許か傷ついた。どれくらい傷ついたかというとぬぼーっと表現を考えた時に思い浮かんだのがぬっぺふほふ(のっぺらぼう)のことかな? と頭によぎり、某有名漫画家のイメージで描かれたぬっぺふほふを思い浮かべては自分と似ていないよな? と現実逃避を行う程度。つまり全然傷ついてなんかない。ないったらないのだ。

 

「彼は比企谷。入部希望者だ」

 

 平塚先生に紹介され、ぺこりと軽く会釈。頭を下げたついでになんか余計な言葉がついてたようなと思っていたら横から『いや、入部希望ってなにさ』と補足してくれる。いや、マジで入部希望ってなんだよ。俺も流石に耳の方を疑ってしまう。しかしながら同じように聞き取れた幽霊が幻聴でないことを証明していた。

 

「えっと、比企谷です……というか、入部希望ってなんすか一体」

 

 俺の疑問に対して平塚先生は答えてくれるらしく口を開く。

 

「君には罰としてここの部活動を命じる。異論反論抗議質問口答えその他類するものを一切禁じる。しばらく頭を冷やしたまえ、反省しろ」

 

 俺の意思を赦さずに下された判決は圧倒的なまでに有罪であり、執行猶予すらない実刑判決。自己弁護すら許可は下りなかった。

 

「と、いうわけで、一目見ればわかると思うが彼は中々に根性が腐っているのでな。そのせいで常々往々として孤独で中々に可哀想なやつだ」

 

 一目でわかっちゃうのかよ。

 

『うぅん、なんか八幡くんは私が馬鹿にするのはいいけどさぁ……他の人にされると中々くるものがあるなぁ……はっ!? これが噂の寝取られ!』

 

 馬鹿が居る。そんな馬鹿を無視しながら生者達の話し合いに耳を傾ける。

 

「人との付き合い方を学べば多少マシになると思う。彼の捻くれた孤独体質の改善を君に依頼したい」

 

 先生の要望に雪ノ下は非常にめんどくさそうな表情を浮かべている。おっ、いいぞ、このまま断ってくれ。

 

「それなら先生が教育的指導という名目の下で躾ければ良いと思うのですが」

 

『やばいよ、この子』

 

 こえーわ、こいつ。幽霊をもってしてヤバイと言わしめる少女に恐怖を覚える。

 

「私だってできることならそうするさ。しかしながら最近はどこもそういうものに煩くてな……特に肉体的なものはマスコミを一直線だ」

 

 俺は生まれて初めてマスコミに感謝した。ついでに言えば別に精神的なものは赦されているわけではないのだが……

 

「お断りします。そこの男から感じる下種な雰囲気と下卑た視線から身の危険を感じます」

 

 両肩を抱くように俺を睨み付ける雪ノ下雪乃。

 

『し、失敬な! 八幡くんのタイプは私のような美乳なんだぞぅ!』

 

 とんでもない言いがかりで背後から撃たれる。完全にフレンドリーファイア。不名誉にも程がある話だった。俺という人間は胸の大きさで人の優劣をつけることなどしない。そんな人間では断じてない。ほんとだよ? ほんとにほんとだよ? はちまんうそつかない。

 

「安心したまえ、伊達にそこの男は性根から目まで腐っているわけではないさ。リスクとリターン、自己保身にかけては目を見張るものがある。刑事罰に問われるようなことは割りに遭わないときちんと理解していることだろう」

 

「何一つとして擁護してねぇ……リスクとかリターンとか自己保身とかじゃなくて、ちゃんと身の程を弁えてると評価してほしいです」

 

「小者、小悪党……理解しました」

 

「聞いてないうえに理解されちゃったよ……」

 

 平塚先生の演説が効を成したのか、それとも俺の溢れ出る小物小悪党臭が実を結んだのかは定かではないが、どちらにせよ不名誉な形で先生の要望は雪ノ下に通ることとなる。勿論、此方の意思なんて誰も聞いてこない。

 

「まぁ、先生からの依頼に関しては無碍に断ることはできませんし……承りました」

 

「そうか、なら後のことは頼んだぞ」

 

 満足とばかりに笑みを浮かべて軽やかにさっさと去っていく。

 

 完全に俺と幽霊は置いてけぼり。しかしながら幽霊を置いていくという意味合いに関して考えれば正しい。けれどそこに俺も置いて行くのだからやっぱ正しくねーわ。

 

『えー、えぇぇぇぇ、おいおい、本気かよ、あの先生。八幡くんが美少女と二人っきりとかマジで性質の悪いラノベみたいな展開じゃあないか』

 

 幽霊の呟きに辟易とする。小町もこいつも恋愛脳。女の子と二人っきりでいるだけで、空き教室で美少女と二人なだけですぐにそっちに持っていく。俺としては恋愛よりもオカルト的に考えてしまうまで。碌でもないシチュエーションだ、男女の二人きりなど恰好の餌食。ペンションだろうがガレージだろうが学校だろうが、美少女と二人きりのモブなんて大抵さっさと死ぬ。

 

 確かに恋愛的な側面で見たらそうなのかもしれない――そこに幽霊がいなければという前提がつくが。足山九音という少女が居る時点でラブもコメも始まらず、ホラーでしかない。そよ風が吹き、ついぞ九音が居なかった時代の、女の子と二人きりだった教室での出来事を思い出す。あの青く、甘酸っぱく、甘い記憶を。

 

 ――友達じゃ駄目かなぁ。

 

『全然、甘くねーよ。むしろ苦い思い出じゃないか。むしろそれ腐って酸味どころか発酵してんじゃん』

 

 幽霊からの突込みが入る。友達どころかその後の中学生活で一切の会話をしなかったという完全に無欠にして正しく苦く酸っぱい思い出。

 

 そういった過去の経験から例え美少女と二人だったとしても、九音の介在がなかったとしても俺はラブコメのシチュエーションなんて思いはしなかっただろう。現実にラブコメなんてきっと無い。そんな都合のいいお話は絶対にない。

 

 きちんとした対美少女に対する調練を受けてきた身である。例え学園一の美貌と知性を兼ね備えた才媛であろうと油断はしない。罠にかかると判っていて男探知で飛び込むような人間ではないのだ。女子とは古来よりイケメンやリア充に価値を見出すものであり、俺のような凡庸かつ得体の知れない男子高校生に開く股など持ち合わせてない。

 

 つまるところ――敵だ。

 

『なんか、今すっげぇくだらない理由で全女子を敵に回すようなことを考えてたよね』

 

 美少女を自称する幽霊もきっと俺ではなく、イケメンに憑いていたのならもっと何か違ったのだろう。

 

『あ"ぁー? なんか今、もっっの凄く失礼なことを言われた気がするんだけど? 殺すぞ? 殺したあとに君を娶るぞ? ん?』

 

 目の前にふわりと降り立つ幽霊がビデオで繁殖する呪いもかくやの睨みを効かせてくる。しかしながら俺も負けじと睨み返し、お互いに『がるるるる』と呻りあう。

 

 すると半透明の先からうっすらと見える雪ノ下が此方をまるで汚物を見るかのような視線で見ていた。そして彼女は大きな瞳を細めてせせらぎのような声で俺に言葉を投げる。

 

「気味の悪い唸り声あげないで。気持ち悪い、座ったら?」

 

「……はい、すいません」

 

 蔑視に敵視。九音の睨みなど日常茶飯事で慣れてはいるものの、雪ノ下の睨みに対しては大人しく縮こまり謝罪。やっぱこぇーわ、この女。

 

 俺が女子を軽視するよりも前に雪ノ下は俺を――いや、男子を敵と認識していた。なんなら何人か殺しちゃってるまである眼力に逆らえずに粛々と乱雑に置いてあるパイプ椅子を一つとっては少し離れた位置に広げ、腰を下ろす。

 

 それきり雪ノ下は文庫本に目を戻し、こちらへの関心を失った。ページを捲る音だけが室内に木霊し、放課後の喧騒が遠くに聞こえる。まるでここだけ世界が違うかのような雰囲気はミステリアスというよりかは不気味。嫌な予感をひしひしと感じるがそれでも未だに何の異変も目に見えては起きてなどいないのできっと安全なんだろうと高を括る。

 

 そして部屋の主を伺って見れば彼女の読んでいるものはなんだろうか、と疑問がわき上がった。文学的なものであるんだろう。勝手なイメージをしてはそこから何人かの作者を思い浮かべる。

 

 ドストエフスキーやトルストイ辺りの名前が雰囲気的には相応しいと感じ、少なくともライトノベルを楽しんで読んでることはないんだろうな、と勝手に此方から自分と彼女の間違い探し、格差探しを始めてしまう。

 

 そんな文学的な本を読み耽る少女、一人で居る文学少女、絵になる美少女、酷く美しい少女。

 

 これだけの条件が出揃えば、俺としては嫌な予感しかわかない。不吉なこの校舎ではあまりにも似合いすぎるのだ。そこに噺の種があれば、噂の種があれば『成り得る』というのだから性質が悪い。そんな酷く危うい場所に腰をかける少女を眺め見る。

 

 こんなわけのわからない展開でわけもわからないまま近づくことになるとは思わなかった。勿論、近づいたのは表面上であり、精神的距離はもとより、住んでいる世界はどこまでも違う少女ではあるのだが。そういう意味に置いては部活動といえど接点ができるなんて想像もしていなかった御話で。

 

『それで、ここで何をすればいいんだろうね』

 

 幽霊の呟きに俺は考える。しかし何も出揃っていない以上、黙っているしかない。暇を持て余し視線を動かして室内全体の様子を伺う。すると雪ノ下がこちらを見ていることに気がつく。彼女は口を開き。

 

「……何か?」

 

 まるで此方が見てきたかのような物言いである。

 

「あー、悪い。どうしたもんかと思ってな」

 

「だから、何が?」

 

 言葉の無い抽象的な表現を汲み取ってくれる様相は無い。俺は一から現状を説明する。

 

「いや、何の説明もなく連れてこられたものだから何をしたらいいのかと思ってな」

 

 俺の挙動と言動に不機嫌になったのか軽くめんどくさそうに舌打ちをした後に文庫本を閉じる。そして虫けらを見るかのような目で俺を見た後に仕方ないとばかりに溜息を吐いた。

 

「では、ゲームをしましょう」

 

「はぁ、ゲーム」

 

「そう、ゲーム。この部が何の部かを当てるゲーム。どう? やりなさい」

 

 どう? と尋ねて置きながらの強制参加命令。中々に強引なやり口である。

 

 しかしながら――そう、まことに不本意ながらこういったゲームに関しては経験がある。それどころか経験過多、過剰にして過激なまでに行ってきた。そのどれもが命がけでゲームと呼ぶにはあまりにも重々しい体験。本質を、事実を見抜けねば死んでいたかもしれないという経験が今生きようとしていた。

 

「なぁ、少し室内を調べるぞ」

 

「え? えぇ……いいわ」

 

 予想もしていない展開だったのだろう、少しだけ驚いた後に許可を出す雪ノ下から幽霊に視線を移しアイコンタクト。

 

『いいよ、協力したげる。くっくっく、学年一のいけすかない女に敗北の苦渋を飲ませてやる……』

 

 ろくでもない台詞を述べながらぴゅおーっと部屋の入り口の扉からすり抜ける。と思いきや、すぐさま戻ってきた。戻ってきては凄く何とも言えない顔をしていた。

 

『なんでもない……とりあえず、クラスプレートには何も書いてなかったよ』

 

 その言葉を聞いて室内をぐるりと見回す。

 

 まず目についたのはポットと食器。正確に述べるのなら一人分のティーセット。そして、その利用者は恐らく今しがたゲームを仕掛けた張本人。

 

 次に黒板側の戸棚を調べる。開いて見ればそこには恐らくこの部活が使っているであろう雑品。反対側を調べていた九音は判りやすく手をバツを描き、向こうには何も入っていないことが判る。

 

 つまり、この教室において使われている棚はここだけを示していた。

 

 少なくとも後ろのロッカー群は詰まれている椅子や机を考えて見れば否。事前にこのゲームを仕掛けるつもりだったのだとしても、そこまでする意味は少ない。付け加えれば先ほどの雪ノ下の面倒とばかりの態度を見れば突発的出来事だと判断できるだろう。

 

 結論付けるならこの目の前の紙コップや紙皿に幾つかの紅茶の缶の入った箱がこの部活で唯一使われる――かもしれないといった部活道具。

 

『えっ、部活の私物、少なすぎ……?』

 

 どこかのOLのような表現をする幽霊の言は的を得ている。だからこそ、絞れる。

 

 紅茶の缶の種類に関しては――判らない。そこから何らかのヒントを得れるほどに紅茶のことは詳しくない。そして手にとって見る紙皿と紙コップ。

 

「ん、これは……」

 

 手にとって判ったのは紙皿が未開封という事実。そして対照的に紙コップの数は幾つか減っている。

 

『いや、わっかんねーわ、こりゃ。こんなの無理でしょ、八幡くん。ここいらで私が本気を出してゲーム台無しにするっていう最終奥義もあるけど、どうする?』

 

 するわけねーだろ。呆れた視線を送りながら、俺は最後のピースを埋めるべく一つだけ尋ねることにした。

 

「……雪ノ下、この部の現在の部員数は?」

 

「一人よ」

 

 短的にして端的。どこまでも短いその四文字の事実からすべては括りつく。そして、俺は脳内に集まった事実を振り返り、組み立てれば答えはなんとなく見えてきた。

 

「ボランティア部、もしくは人助けに関する活動をする部活」

 

「……へぇ」

 

 雪ノ下の目が一瞬だけ驚きに開かれ、再度細められる。

 

「その心は?」

 

『私も気になる、なんでなんで?』

 

 幽霊がいつものように背後に回り耳元でなんでと連呼。俺は先ほど見つけた箱を棚から取り出して机に置く。

 

「まず、一つ目にここにある物が少なすぎる。何かしらの歴史ある部活動ならばかつて活動に使ったもの、活動を記録したもの、活動の実績や結果の一つくらいは残ってもおかしくないだろう。けれどもこの部室には何一つとして存在しない。つまるところ、この部活動は歴史が無いという結論づけることができる」

 

『なるほどね、紅茶の缶に、あんまり減ってない紙コップに未開封の紙皿。つまりこの部活動は殆ど活動実績がないということだね』

 

 俺の言にちらりと耳を傾けて、雪ノ下は挑発するかのようにこちらへ言葉を投げてくる。

 

「あら、どうして何も無いと言えるのかしら。あなた部屋の棚を全部探したの? そんな素振り見えなかったけれど」

 

「じゃあ、あるのか?」

 

「……質問に質問で返さないでちょうだい。慈悲深い心で答えてあげるけれど、無いわ。荷物と呼べるのはそれくらいよ」

 

 つい、いつものように見えない存在が集めた事実を当たり前のように語ってしまい、突っ込まれて焦る。何とか切り抜けて続きを話す。

 

『まぬけー』

 

 うっせぇ。幽霊の野次を流して、手に紙コップの束を取る。

 

「まず、この紙コップと紙皿。紙コップの残量は八で紙皿は十。恐らく、紙コップの数は全部で十だったのだろう、減った数は二つ。つまり、この紙コップを使う機会は二回あったということだ。厳密に言えば二回しかなかった。皺のより具合を考えれば購入されたのは二ヶ月とかじゃ聞かないだろう、半年以上じゃねぇか? 少なくとも紙皿と紙コップの包装の皺を確認して見ればこれだけの差異が生まれている以上、少なくともそれなりの期間があったと考えられる」

 

 紙皿と紙コップをまとめて入っていた箱に再びしまう。

 

「それぞれ用意された二つの代物の数は十。考えてみれば十個いりという数は部活で使うにしては少なすぎると思わないか? 推測するに常用的に使われることを目的としたものではなく、使われるかもしれないという希望的観測を下に用意されたと思えばしっくりくる。少なくとも雪ノ下自身がそのティーセットを使っている以上、使う機会など殆どなかったんだろう。つまりここを常日頃から利用しているのは雪ノ下だけという結論が出せる」

 

 そこまで騙ると――雪ノ下は両手で自分を抱き、ちょっと距離をとっていた。

 

「……何、あなた、ストーカー?」

 

「ちげぇよ! 推理したんだよ……んんっ」

 

 咳払いをして、結論を出そう。

 

「歴史が浅く、それでいて一人でも出切る部活動。もしくは部室を貰える同好会というものを考えた時に俺は一つしか思いつかない。まず、前提として文芸部や何らかの研究会というのは殆どが除外される。何故なら、それらは学校が認めるほどの益が存在しないからだ。黙認する理由がない以上、それらの部活は選択肢から外れる。では、どんな部活動なら存在を認められるのか」

 

 一人で存続することができ、かつ俺が一年生の頃に設立したであろう部活動。それでいて成績優秀者の少女。文化部活動で一人で活動が出来、なおかつ学校側にメリットがある部活動があるとするのならば――【君には奉仕活動をしてもらう】

 

 つまりは奉仕活動、ボランティア。

 

 つまりは平塚先生の掌の上、言の通り。

 

 彼女は言っていたのだ、奉仕活動をしてもらうと。それはこの部活動に所属することではない。この部活動がその活動をするからこそ、連れてこられた。故にこの部活動の名前は。

 

「ボランティア部。もしかしたら他の呼び名かもしれないが、お悩み相談部とか助っ人団とかかもしんねーけど、そこいらだろ」

 

『ひゃあ……私の八幡きゅん、かっこよしゅぎぃ……しゅきぃ……』

 

 さて、俺の答えは――

 

「……ハズレよ」

 

『うっわ、クソださっ! だっさ! いやいや、八幡くん、めっちゃダサいんだけど……えぇっ……』

 

 掌を返したように言い放つクソ幽霊。やめろよ、今の俺にそれはめっちゃ効くから。渾身とばかりに長々と語った分、羞恥心が大きい。いますぐ布団に飛び込みたい。

 

「奉仕部よ、ボランティア部及びお悩み相談部とか助っ人団なんて名前ではないわ」

 

「……そんでその奉仕部とやらでは一体何をするんですかね」

 

 色々と言いたいことはあったが、文句は飲み込み具体的な活動を尋ねて見る。

 

「比企谷くん、女子と話したのは何年ぶり?」

 

 雪ノ下の問いを聞いて俺はふと中学時代の記憶がよみがえる。

 

 とある女子が俺に話しかけてきた。俺は同じクラスだったので片手をあげて返事をしたが――話しかけていたのは俺じゃなく、俺の後ろにいた女子だったというオチ。俺はそのあげたままの手を誤魔化す為にわざとらしく伸びでもしたが「うわっ、絶対あいつあたしに話しかけられたと思ってるよ」「ウケるわ、それ」「それなー」とクスクス笑いが耳に入った。今でも思い出すだけで心臓から胃にかけて内臓器官ではないどこかがじくじくと反応する黒歴史。記憶の底から這い出てきてはうっかり俺を殺しにくるレベルの代物。思い出すたんびに枕に顔をうずめてしまうので低反発の枕は完全に俺の顔の形を模っている。

 

 軽く脳内で記憶のプチ旅行をしていれば雪ノ下の声が現実に引き戻す。

 

「持つものが持たざる者に慈悲の心を持って之を与える。人はそれをボランティ……んんっ、奉仕と呼ぶの。途上国にはODAを、ホームレスには炊き出しを、モテない男子にはちょっとした会話を。困っている人に手を差し伸べる。これがこの部の活動内容よ」

 

 完全にボランティアって言いかけてたのにわざわざ奉仕と言いなおしやがった。雪ノ下は立ち上がり、挑戦気味に笑う。

 

「ようこそ、奉仕部へ。歓迎するわ」

 

『……ボランティア部でよかったんじゃ?』

 

 ほんとそれな。

 

 浮かぶ幽霊の言に完全に同意であった。むしろ要らん恥までかいたわ。恐らくではあるが、雪ノ下は負けを認めるのが嫌でわざわざボランティアではなく、奉仕と言いなおし、此処は奉仕部であると明言したのだ。どんだけ負けず嫌いなんだこの女。

 

「平塚先生曰く、優れた人間は哀れなものを救う義務があるそうよ。頼まれた以上、きちんと責任を持ってあなたを更正させるわ。感謝なさい」

 

 高貴なる者の義務、ノブレスオブリージュ。腕を組んで佇む雪ノ下の姿はまさに貴族令嬢といった様。実際に成績や見かけを鑑みれば決して大げさな表現ではない。しかしながらいつだって貴族に革命を起こすのは民衆である。何の肩書きも持たない民衆の俺は貴族然とした雪ノ下に小声で抗議する。小声で言うのが実に俺らしい。

 

「……別に間違ってなかっただろ」

 

 だが貴族令嬢は俺の小さな、本当に小さな呟きに耳ざとく反応する。

 

「いいえ、きちんと正式名称を当てれなかったのだから貴方の負けよ」

 

『八幡くん! だっさと言ったけど合ってたなら全然ださくないよ! かっこ良さの余韻とか全然ないけど、なんか凄い微妙な感じだけど、少なくともダサくはない……んじゃないかなぁ!』

 

 言葉数が増えるだけ惨めに見えるフォローを受けつつ、俺は雪ノ下の先ほどの言葉を思い出す。ノブレスオブリージュ、それは持っているものが持たざるものに施す行為。そもそも、雪ノ下から施しを受けるほど何も困ってなどいない。

 

「雪ノ下、俺は自分で言うのもなんだがそこそこに優秀なんだぞ? こう見えてもが国語は学年でトップクラス、この前の実力テストでは二位であり、顔だって悪くない。友達が居ないことと彼女が居ないこと。それと時折起こす奇行を除けば基本的に高スペックだ」

 

「最後に並べられた欠陥が致命的な気がするのだけれど……それを自信満々に言うなんて在る意味凄いわね。気持ち悪いわ、変な人」

 

「お前にだけは言われたくねぇよ、変な女」

 

『そーだ、そーだ!』

 

 俺の発言に肯定する存在。これで二対一である。民主主義によればこちら側の意見が有利。しかしながら民主主義は幽霊の存在を決して一票とは数えないので結局のところ一体一。

 

『それにしても雪ノ下さんってこんな人だったんだね。私みたいな誰から見ても完璧な美少女からしてみればヤバイ女認定だよ』

 

 ヤバさとは何を示しているのかは抽象的ではあるが、言わんとするニュアンスはなんとなく判る。けれどもヤバさという意味合いでは、お前のほうが圧倒的にヤバいんだが、という言葉は飲み込み、確かにヤバいというジャンルにおいて足山九音という存在と比較対象に並ぶ雪ノ下は十二分に変人と言えるだろう。

 

 確かに九音の言うとおり、伝え聞いていた雪ノ下雪乃というイメージ像とは完全に異なっていた。むしろ俺がファンなら「これは夢……」と現実逃避くらいしちゃう乖離っぷり。目の前のサディスティックに笑みを浮かべる少女と噂の少女が同一人物だとはまず思えない。

 

「さて、まずは居た堪れない貴方に居場所を作ってあげましょう。居場所でも出来て、あなたの奇行を止める人がいればあなたの愚かな行動はきっと減るわ。蝋の翼で太陽に向かって飛ぶなんて馬鹿な真似をせずに済むわよ」

 

「イカロスかよ」

 

 イカロスの翼。

 

 迷宮ラビリントスに幽閉されたイカロスは助けに来た父から蝋の翼を貰う。その貰った蝋の翼で脱出するお話だ。

 

 イカロスの父、ダイタロスはきちんと高く飛ばないように、節度を持つようにイカロスに忠告したハズなのに、禁を破り、太陽に近づきすぎて、最後は翼が溶けては――墜ちる。

 

 その教訓は人に過ぎたテクノロジーは人の欲望を刺激し、最後は滅びの末路が待つといった本能と慢心に対する警告。しかしながら――読んだ当時とは違った感想。昔、読んだ時には到底思えなかった事が俺の中で湧き上がる。

 

 ――あぁ、なんとも人間らしいと。

 

 俺は好ましく思ってしまうのだ。愚かなことに。

 

 駄目だとわかっていながら、危険だと知っていながら、それでも近づいてしまう愚かさは人間らしいと親近感を抱いてしまう。取り返しのつかない今となってはそう思ってしまうのだ。

 

「……意外だわ、ギリシャ神話からの教訓なんて底辺以下の男子高校生が知っているなんて思わなかった」

 

 ちょっぴりセンチに浸っているとさりげなくド底辺扱いされていた。

 

「今、さらりと底辺扱いしなかったっか……?」

 

「ごめんなさい。言葉が過ぎたわ。人間未満というのが正しいわよね」

 

 そういう一理ある正解の仕方やめろ、何も言えなくなるじゃねぇか……。ある意味において正しすぎるまでに正しい認識に文句すら思い浮かばない。何とか反論を試みようと頭を捻り。

 

「お前、俺が学年二位だって話が聞こえなかったのかよ」

 

「私以下の成績でいい気になっている時点で天狗甚だしいわね。大体、一科目程度で知能の証明を行っているというのだから人間性が証明できるというものよ」

 

 昨今のライトノベルに登場する悪役貴族でもここまで言葉に出して劣等扱いはしない。尖った貴族令嬢は微笑しながらさらに言葉を放つ。

 

「けれど、貴方をイカロスと例えるのは幾ら何でもイカロスに失礼よね。彼の肖像画見たことある?」

 

「さりげなく俺がイケメンではないと言ってるのか……っ」

 

「イケメンではない? 大きく出たわね、あなた」

 

「言外に不細工とでも言いたいのか……」

 

「そんなこと言えるわけないじゃない。わたし、心優しい少女だから」

 

「ほぼ言ってんだよなぁ……」

 

 雪ノ下は俺のそんな呟きを聞き優しくこういった。

 

「真実から目を背けてはいけないわ。あとギリシャ神話や彫像や絵画の彼らを見た後にきちんと鏡を見て反省して」

 

 全然優しくねーわ。

 

「いやいやいやいや、自分で言うのは何だが、俺は割りと顔立ちは整っている……方だ! 妹から「お兄ちゃん、ずっと黙っていればいいのに」とか『よくよく見れば墓場が似合いそうな顔をしてる』とか言われるほどだ」

 

「一度たりとも褒め言葉が入っていないのだけれど……」

 

 俺の反論に雪ノ下はドン引きした様子で呟いた。

 

 確かにこの性悪幽霊にはかつて怒涛のごとく顔の駄目出しをされたことはあるが、今ではそれなりに身嗜みに気をつけている。そのお陰が『八幡くんはイケメンだよ! 墓場が似合いそう!』と隣から猛烈にフォローしてもらっている最中。墓場が似合うイケメンってなんだよ……

 

 そんな俺の様子を雪ノ下は哀れみと呆れを持って見ている。

 

「あなたと私しかいない空間で主観でしかない美的感覚を述べるなら私の言うことだけが他者評価になるの。あなたの主張など所詮は思い込みにしかすぎないわ」

 

 例の如く、幽霊の意見はカウントはされない。

 

「そもそも造詣はともかく、あなたの腐った魚のような目は全体の印象を著しく下げるわ。他のパーツが整っていたとしてもその目だけで表情から受け取る印象はすべてマイナスに塗り替えられる」

 

『はぁーん!? そこがいいんだろぉ! このやる気の欠片もない目! まるで死んでいるかのような目! 私が居なきゃ何もできないから何とかしてあげなきゃって思うね! なーんもわかってないこの女! ど素人がっ!』

 

 最早、散々であった。平塚先生及び雪ノ下は人の顔を魚類に分類しているが、そこまで俺の顔はインスマス顔だろうか。出会う度にGMから静止の声がかかり、ダイスを振らされちゃうのだろうか。軽く涙出そう。

 

「大体、そういう表層的にしか判らないもので勝ち誇る時点であなたの程度というものが窺い知れるわ。あと腐った目でも」

 

 完全に矛盾した物言いだった。

 

「目のことはもうやめてくれよ……」

 

「そうね、もう取り返しがつかないものね」

 

「そろそろ俺の両親から苦情寄せられるレベルだぞ」

 

 すると言葉が通じたのか、雪ノ下が少しばかりしおらしくなる。

 

「そうね、ごめんなさい。確かに辛いのはご両親だものね」

 

 どうやら塩は塩でも使い道は塗る方向だった。

 

「もういい、悪かった、俺の顔が悪かった……」

 

 俺が降参の旗をあげれば、ようやっととして雪ノ下は鋭すぎる毒の混じった矛を収める。

 

『おーよちよち、可哀想だね、八幡くん。おっぱいでもみりゅ?』

 

 ついつい『見る』と答えちゃいそうになるほどにメンタルは傷ついていた。そんな俺たちのやり取りなど雪ノ下は判るわけも無く彼女は話を続ける。

 

「さて、これで会話は終了よ。私のような可愛い女の子とこれだけ喋れたのなら今後の人生に何の悔いも無いわね」

 

 まるで一仕事、頑固な汚れやっつけたとばかりに充実感あふれる表情を浮かべる雪ノ下。しかしながら、その後にすぐさま思案顔になる。

 

「けれど、これじゃあ依頼は解決できたと言い難いわ。他に方法はないかしら? それこそ貴方が転校するとか」

 

「それは解決ではなく、闇に葬るという意味での迷宮入りだ」

 

「あら、貴方は存在的には被害者ではなく、どちらかといえば加害者側でしょ」

 

「日陰者だからな……ってやかましいわ」

 

 迷宮入りの事件。殺人事件が起きたとして、隠れる必要があるのは死体ではなく犯人。死体は『普通』は歩かない。歩かないからこそ日陰にずっと居ることなど出来ずに日向に出てくる。だから常に陰を選んで歩くのは加害者。陰を歩く日陰者は犯人でしかない。そんな遠回りすぎて判る人間など殆どいないだろうやり取り、受け答えにニヤっと笑みを浮かべてみれば「死んだら?」とばかりに冷やっこい視線をこちらに向けてくる雪ノ下。

 

「うざ……」

 

 そんな雪ノ下の反応に続いたのはノック、そして返事を待たずとした入室。

 

「だから、ノックを」

 

 再度として小言を言われて入ってきた平塚先生はバツが悪そうに頬をかく。

 

「あぁ、すまない。様子を見に来ただけだ。何か話していたのなら構わずに続けてくれ」

 

 入室した先生は苦笑交じりで扉近くの壁に寄りかかる。

 

『……』

 

 そんな先生の様子を見て、九音は滅茶苦茶微妙そうな顔をしていた。

 

「大変仲が良さそうで結構だ」

 

『この人の目玉はビー玉で出来てるの?』

 

 先生の節穴っぷりを揶揄する九音だが、そもそも先生が入ってきてから雪ノ下と俺は何も話してなどいない。どこを見てこの人はそう判断したのだろうか。

 

「うむ、比企谷もこの調子でまっとうな人間になれるよう更正に勤めるんだぞ。では私は戻る、君たちも最終下校時刻前には解散したまえ、ではな」

 

「ちょ、ちょっと待ってくださいよ」

 

 颯爽と去ろうとする平塚先生を追い近づく。しかしながら背後から近づいた俺は――綺麗に次の瞬間には腕がねじとられていた。

 

『うっわ、だっさ』

 

 何が起きたか判らず、目をパチクリとしてみれば。

 

「なんだ、比企谷か。私の後ろに立つなよ、攻撃しちゃうだろ……」

 

 背後霊とは縁遠い台詞。さらには守護霊も追い返していそうなまで。この人、何者なんだよ……スナイパーかよ……

 

「それでどうかしたのか?」

 

「えぇ……まるで何事も無かったみたいな顔して……どうもこうも更正ってなんすか。まるで俺が非行少年みたいじゃないっすか。大体こんなところに連れてこられる謂れは無いっすよ」

 

 俺の問いに先生は少しばかり思案する。

 

「この部は自己変革を促し、悩みを解決することを目的としている。そして私が必要だと思った生徒にはここへ案内している。ゲームで言うならばベルベットルーム。主人公のレベルを上げるだけでは何の意味もなく、きちんと悪魔合体をしていなければ何れはタルタロスで詰む。そんなところだ」

 

「分かり難いし、年齢でますよ」

 

「何か言ったか?」

 

 あまりの形相に俺は即座に「な、何でもないっす!」と返答する。そんな俺の様子を見ては平塚先生はそっと溜息を零した。

 

「雪ノ下、どうやら更正には手古摺っているようだな」

 

「本人が問題を自覚していなからです」

 

 淡々と答える雪ノ下。そんな二人に向かって俺よりも遥かに憤慨している幽霊が一匹。

 

『こ、こいつら、いうにことかいて私の八幡くんのこと何だと思っているのさ! 八幡くんを馬鹿にしていいのも! 罵倒していいのも! 問題児扱いしていいのも! 私だけなんだから!』

 

 いや、よくねーわ。そもそもが、だ。前提が異なるのだ。それを主張する為に俺は口を開く。

 

「あの、そもそも当人の意思を聞かずに勝手に更正だの、経験だのと好き勝手に騒いでますけど、別に俺はそんなもの求めてないんですが」

 

 俺の意見を確りと伝えると平塚先生が不思議そうに「……?」と疑問符を浮かべていた。ついでに小首をかしげるといった可愛らしい動作をするには幾許か年齢を重ねすぎている。

 

「あなた、本気で言ってるの? 変わらないと社会に混じれないレベルで不味いわよ」

 

 雪ノ下は当然のことを述べるように言い放つ。それがまるで当たり前で、当たり障りなく、当って然るべきとばかりに。

 

 それこそ『幽霊なんてものは居ない。居てはならない』とばかりに。

 

「あなたの人間性が著しく劣っているのは誰の目にも明らかよ。なぜ、そんな自分を変えたいと思わないのかしら。向上心という心がないの?」

 

 雪ノ下は心底理解できないとばかりに見つめてくる。

 

 きっと理解なんて出来ないだろう。それでも俺は、間違っていると判っていながら。

 

「そうじゃねぇだろ。なんで前提が変わるだの、変われだのって話になるんだよ。そんなに簡単に変われるんなら自分じゃねーだろ、人に言われたくらいで変わるような人間性が自分だって言えんのかよ。そもそもが過去の自分を殺してまで新しい自分を産みなおさなきゃなんねーのかよ。自分が持っている、僅かな人間性で頑張ったら駄目なのかよ」

 

「あなたのそれは逃げているだけじゃない。変わらなければ前に進めないのに、それを理由をつけて避けているだけ」

 

 雪ノ下の言葉は刺々しい。強く怜悧で正しい言葉はまるで断罪する刃のように無慈悲で余りにも強い。

 

「逃げて何が悪いんだよ。変わって前に進むことだけが賛美に値するかのように言ってんな。そうやって変わることも逃げることには変わりねーじゃねぇか。そうやって変わって、逃げることよりも踏ん張って今ある問題と必死に向き合う自分を、今手元にあるものだけで必死に抗おうとする自分をどうして肯定してあげられないんだよ」

 

 俺の言葉は――恐らく雪ノ下のナニカに触れてしまった。

 

 大きく目を見開き、こちらを憎憎しく見つめている。

 

「それじゃあ! 何も変わらないし! 誰も救われないじゃないっ!」

 

 鬼気迫るその言葉は――果たして俺に向けられたものなのだろうか。気迫の篭った慟哭にも似た叫びに思わず怯んでしまう。浮幽霊など完全に威圧に当てられ、俺の背中に隠れていた。

 

 言葉の中にあった異彩を放つ「救う」という言葉は余りにも高校生には荷が勝ちすぎる。学年一位、才色兼備――しかしながら唯の女子校生。そんな少女が持つ思想の形態として誰かを救うという「聖女」のような物言いにジンワリと嫌な汗が浮かぶ。

 

「二人とも、落ち着きたまえ」

 

 険悪に満ちた雰囲気を破ったのは冷静にこの場を観察していた平塚先生の一言だった。見ればその顔にはちょっとした笑みが浮かんでいる。なんで?

 

「面白いことになってきたな。こういう展開は大好物だ。少年漫画チックで実にいいじゃないか。大変結構」

 

 一人だけ違う方向にテンションがあがっている人が居た。現在は俺の背後霊と化している九音も『ふぇぇぇ、この女教師、絶対に頭おかしいよぉ』と呟いている。

 

「古来より正義の敵は別の正義と決まっている。まるでガンダムのようだな!」

 

『やばい、一ミリも判らない……やっぱこの人、おかしいよぉ、八幡くん』

 

 あまりにも未知の存在すぎて九音が異物を見るような視線を送っていた。そんなことを知る由もない女教師は高笑いをあげて俺たちに向かって宣言する。

 

「では、こうしよう! これから君たちの前に悩める子羊を導く。その子羊たちを君たちなりに助けて見たまえ! 各々のやり方で果たしてどちらの正義が正しいのか証明するのだ! 果たしてどちらがより人に奉仕できるのかっ!? 奉仕部大団円! 希望の未来へレディー・ゴーッ!」

 

「嫌です」

 

『最終回じゃん。頭終わってんな』

 

 雪ノ下にばっさりと切り捨てられ、見えもしない存在にゴミのような視線を受ける平塚先生。ちなみに俺は割りと両人の意見に賛成ではあるので頷いておく。

 

「くそっ、しまった。エヴァの次回予告のように言ってやるべきだったか……」

 

「そういう問題じゃねぇよ」

 

 前時代すぎるアニメのラインナップが問題ではない。

 

「己が正しさを証明するためには勝ち取るしかないだろっ! 生きるためには戦わなければならないっ! 勝負しろったら勝負しろ!」

 

 俺はあまりの態度に「お、横暴すぎる……」と戦き、幽霊も『無茶苦茶だ……』と慄いていた。

 

 胸だけは成長していて頭は子供、身体は大人という卑猥を体現している女教師は尚も妄言を吐き続ける。

 

「無論、褒美は用意してやろう……勝った方が負けたほうに何でも命令できる、というのはどうだ?」

 

『詐欺じゃん』

 

 性質の悪い詐欺師を見るかのように悪霊が呟く。それも致し方なし、褒美を用意するといっておきながら、実質的に命令を聞くのは対戦相手。場を用意した平塚先生の懐は何も痛まない。

 

「この男が相手だと貞操の危険を感じるのでお断りします」

 

「言いがかりだろ! 男子高校生が誰もが誰も卑猥なことばかり要求すると思うなよ!」

 

『そうなの?』

 

 くりくりと純粋な瞳を向けてくる自称美少女浮幽霊。ばっか、当たり前だろ、俺が嘘ついたことあんのかよ!

 

『え、えっと、いや、あるけどさ……』

 

 はいはい、この話は終わり。早くも終了ですね。俺は全男子高校生の名誉を守るためにさっさとこの弾劾裁判を閉廷する。そんな俺たちを他所に平塚先生はニィッと笑みを浮かべていた。

 

「ほぅ、かの雪ノ下といえど流石に恐れるか。いやはや、そんなに勝つ自信がないのかね?」

 

 程度の低い煽りだった。流石にこんな挑発に乗るわけがないと雪ノ下の方向を見ていると。

 

「いいでしょう、その安い挑発にのってあげましょう。受けてたちます。ついでとばかりにそこの男も処理も」

 

 俺と九音は一人と一体そろって挑発に乗った雪ノ下に対して――うわぁ、といった表情を向けてしまう。負けず嫌い、ここに極まれり。

 

 ついでに一言だけいうなら処理って表現こえーよ……

 

『処理って捌いて始末するって意味だったよね』

 

 怖ぇよ……

 

「決まりだな」

 

 シニカルな笑みを浮かべて満足とばかりの平塚先生。

 

「あれ、俺の意思は?」

 

「男子高校生の意思など聞かずともわかるぞ」

 

 待ってほしい。それは完全に冤罪である。先ほどの会話から男子高校生の全てが下心を前提に行動しているという扱い。その話は無罪で判決が下ったのでこれ以上の議論や裁判は無意味。一時不再理が成立している。下心は無いってことで終わっているのだ。

 

「勝ち負けは私が決める。勿論、判断の基準となるのは私の独断と偏見だ。まぁ、あまり気張らず肩肘張らずに適当に頑張りたまえ」

 

 そういい残し氏平塚先生は奉仕部から去っていった。そして空き教室には俺と雪ノ下と幽霊がぽつねんと取り残される。

 

 それから間もなくもして最終下校時刻が近づいてる合成音声のメロディーが流れ始めた。俺はいまだに色々と考えてはいたが、対照的に雪ノ下はさっさと帰りの準備をしている。そして荷物をまとめ終わったのか、こちらを最後に一瞥する。

 

 そして一瞥しただけで何も言わずに帰った。挨拶も何もなく、すたすたとすたこらさっさと帰ってしまう。

 

『うーわ、挨拶もなかったよ……最初から最後まで嫌なやつだったよね』

 

 幽霊も雪ノ下の様子に最早驚くといったリアクションはとらずに呆れの境地に達している。

 

 俺は、といえば。

 

「……ふぅ」

 

 大きく溜息を吐いて椅子に座り込む。気張っていた糸が少しばかり緩んだ。

 

『厄日だったね……いや、そんなことないか。というかこんだけの事があって厄日じゃないって最近、ほんとヤバイよね、八幡くん』

 

 ほんとそれな。

 

 自分で言っておきながら、即座に否定する幽霊の物言いを俺は肯定する。たとえ、いきなり職員室に呼び出され、わけのわからない部活動に入部させられ、整った顔であるが故に効果的な切り口鋭い罵倒で心を刻まれて、わけのわからない勝負事に巻き込まれていたとしても。

 

 決して厄日ではないのだ。怪我の危険もなければ、命の危機もない。九死に一生の経験も積まなければ、半死状態で命からがらで逃げてもいない。

 

 ふと、今日書いた作文の内容を思い出す。青春についての彼是。そしてその内容はきっと間違いじゃない。

 

 少なくとも口を開けば罵倒が飛び出すような女子生徒と二人きりの教室に居たとして、そこから色々とあったとしても。きっとそれは碌でもないものだろう。けれども青春という二文字を免罪符にすれば美しい思い出にできる。

 

 思い出にしたのならばきっと青春だけではなく、すべてがすべて都合のいい作り物で思い込み。こんな口論にもならなかった話を人は青春とでも呼ぶのだろう。ただ文字にすれば女子に口で罵られただけでしかないにも関わらず。青春という学校というスパイスさえ混ぜれば美しきものに早代わり。

 

 そうやって塗り固められた欺瞞。その欺瞞は思い込みでしかない。

 

 やはり青春とは欺瞞であるのだろう。そこに一切の異論や反論を挟むつもりはない。そうやって免罪符を盾にすれば何をしても赦されるといった風潮がやはり俺はどこまでも嫌いで。取り返しがつかなくなるまで気づかないそんな世界が嫌いで。結局のところ書いた作文の修正点というものを見つけることはできなかった。




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