足山九音が幽霊なのは間違っている。   作:仔羊肉

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暮春【舌戦】

 

『ふぅ、愛ってなんだろうね……八幡くん』

 

 なんか急に意識高いOLみたいなこと言い始めやがった。

 

 本日の六限目、数学の時間。いつものように雑談を振ってくるかと思えば趣向を変えてきたようで。憂いを帯びた表情を顔に張りつけてはクソほど興味の無い話題を投げてくる。

 

 午後二時という時間帯は非常に眠い。そんな時間帯に投げられた質問に見せかけた謎の話をそっとスルーして腕を枕にしたまま睡魔に身を委ねる。

 

『ちょっと待って!? いつもより寝に入るの早すぎない! ちょっとは興味持ってよ!』

 

 いや死ぬほど興味持てなかったし。そんな答えを顔を横にしたまま答えてやる。

 

『や、持ってよ! 持とうよ! そういうの愛が無いと思うよ! 愛が! とりあえず、愛の話! ともかくね、私は常々思ってることがあるんだ、下心と真心の違いってなんだろう、ってね』

 

 なんか次は中高生みたいな悩めるお年頃の台詞を言ってきた。眠くなってきたな……。

 

『いいでしょ! 中高生くらいなんだからっ! ともかくね、私は最近思うのです! 愛ってなんだろって! 自分と他人、違う存在同士が繋がり合うためとか。赤い糸についてとか。他人と自分の境界線についてとか!』

 

 しょうがない、と顔を伏せて九音の話を聞いてやることにしよう。特訓後の疲れが非常に強力な睡魔を呼び寄せているが、そいつに負けるまでは聞くとしよう。

 

『でねでね、他人と自分の境界線についてなんだけど。よくさ、他人の行動に違和感がある時、普通だとか一般的とか常識的に考えてって使うことあるじゃん? まるで自分の考えが普通でお前がおかしいみたいな物言い。でもさ、こういうのって大抵バカ使うものだと思ってるんだよね。だってさぁ、相手と自分が行動、意見、考え方が異なっている状況下で、普通だとか、一般的だとか経験則での発言をなんで相手に言うの? いや、お前の人生観知らないってのって感じ。だからこういう物言いするやつを私はバカの自己紹介って思ってるんだけど……おっと、話がずれちゃった。そういうバカの話をしようかって思うんだ。なんで他人にそんなことを言うやつって自分が馬鹿だって、語彙力や説明力が無いって気づかないのかな、私なら気づくね、普通に考えて』

 

 早々に間抜けは見つかっていた。早くもこの話題は終了な気がする。けれどもそんな自分が馬鹿だと思うタイプを馬鹿にするバカは得意気に話し続ける。ていうか愛はどこにいったんだよ……。

 

『そういうやつってさ、人にこうやった方がいいだとか、こうするべきとか、こういう考え方しろだとか。そういう思考回路の持ち主って自分と他人の境界線が無いんだろうね。自分が考えてるから相手もこう考える筈、自分がこう感じているから相手もこう感じる筈だなんて。小さいころに教えてもらわなかったのかな、自分と他人は違う生き物だって。だから私は普通こうでしょとか、一般的に考えてとか頭良さげに物言っちゃうタイプをバカだと思うし、嫌いなんだよねぇ』

 

 完全に同族嫌悪である。

 

『でもね、それって仕方ない部分もあるのかなって。だって世の中って愛に満ち溢れてるからね。だってそうでしょ? 言葉を都合よく隠して、本心を悟らせないように、普通だとか一般的だなんて相手を否定して、相手の意見考え方行動感情を認めないで一方的に自分の正しさを証明する、しているつもりの魔法の言葉なんだよ? そりゃあ便利だから使うよね、その意見にうっすい根拠しかなくてもさ。だってバカって考えないでしょ? 自分の考えが本当に正しいのかなんて』

 

 ペラペラと話す内容、どこか要領の得ない内容は俺が察せないだけなのか、それとも特に意味が無い話を九音がテキトーに話しているせいなのか。

 

『そういえば、さ。八幡くんはさ、お義母さんに『あの子と仲良くしてはいけません』って言われたことない? あ……ごめん、普通に考えて言われたこと無かったよね、ごめん……』

 

 やめろ、バカ。ちょっと本気で悪いこと言っちゃったかなという視線やめろ。

 

 悲しいことに俺は母親からそんな言葉をもらったことはない。それはきっと友達がいなかったからとかじゃなくて、単純にかーちゃんが分け隔てなく子供と接するタイプだったからだろう。きっと、そう。多分、そう。

 

 むしろ俺の方が友達と思ってたやつの家で、トイレを借りてる時、部屋に戻ればそいつの母親から「あの子と遊んじゃダメよ、友達はちゃんと選びなさい」と盗み聞きしたことあったわ。むしろその後「いや、あいつ友達じゃねぇから」と言われて泣きそうになった。その後の友達のおかーさんの「そ、そう……」という哀れみの篭った言葉に泣いた。

 

『ま、まぁ、世の中の母親の定番台詞に『あの子と仲良くしちゃダメ』って言葉あるよね。私的には母親がそう思うのって私は仕方ないと思うんだ』

 

 どこか納得いくのかうんうんと縦に頷いている。けれども俺としてはいまいちピンと来ない。

 

 確かに「友達を選びなさい」という台詞は厳格な父や母を想起する字面である。もしも物語で登場するのなら、ど敵役、お邪魔虫を彷彿させる。子供の自由を認めない大人という配役は敵役にしか見えない。

 

『たとえば私に子供が居たとして、その子がとある女の子と仲良くなり始めた。それは喜ばしいことかもしれない、友達が出来ることはいいことなのかも。私だってそう思うよ。けどね、その子の両親が近隣で揉め事をしょっちゅう起こしてるとするなら別だよね。両親は働いておらず、トラブル続き、パトカーが止まる所を度々目撃されている。そんな両親を持つ女の子なら私は言うね、仲良くしちゃダメって』

 

 母親が子供の友達に口を出す。それは正しいことなのか、悪いことなのか。

 

『その女の子本人が礼儀正しくて、可愛くて、みんなの人気者で、文武両道だったとしても距離を取らせるよ。もしかしたら子供にとってその少女は特別な女の子かもしれない、手を差し伸べたいのかもしれない。でも私はその気持ちを踏みにじる。自分の子供が、自分の愛している存在がそんな危険な場所、危険に送る母親が居るの? 居るとするならそれこそ母親失格だと思うね。例えその少女の果てが死だったとしても、大事なのは自分の子で、他人の子供なんかじゃない。でもこんな思いも人は悪意を持って見る、私が酷い奴だとばかりに。そっちの方が酷いじゃない』

 

 九音にとって、その関わり方こそが、その関係性こそが愛に見えるのだろう。

 

『政略結婚に関してのイメージって悪いよね。恋愛結婚こそ至高だという風潮あるよね。本当にそうなのかな? 本人の意思を無視しているとばかりに言う人って親がどんな気持ちで娘や息子の幸せを考えているのか知ろうとするのかな? そういうやつに限ってさ、政略結婚を企む親は子供を道具としているとばっかり考えてる。そんなわけないじゃん。むしろ、娘や息子の幸せを考えた時に自分が良いと思ったことを進めるなんて親らしいと思うよ、愛だよ、愛。真心なんだよ』

 

 恋愛結婚、見合い結婚、政略結婚。

 

 どれが正しいのかなんて高校生の俺にはわからない。想像もできない。

 

『だからね、真心の話としてまとめると。今から私の言うことは愛なんだよ。いつだって母親みたいに君の境界線を超えるのは私の愛だって思ってね。そこに愛があることを忘れないで』

 

 背中に張り憑くように纏わり憑き、耳元で囁く。

 

『あのファンタジー生物に近づいちゃダメだよ。雌犬一号も二号もダメ。ついでにスメアゴルも』

 

 最近、よく接する人物の名前が上がる。うとうと、と瞼は重くなり、最後にこれだけは言っておこう。

 

 別に近づいてなんかいないということを、どこまでもチャンネルが違うんだから、世界が違うんだから近づけるわけもないことを。

 

 その距離は地表の裏側よりもきっと遠い。だから余計なお世話なんだよ、と。

 

『……そつき』

 

 眠りに落ちる直前にふと九音が何かを呟いたような気がした。けれども俺はそれをいつもの戯言だと受け取ってしまった。

 

 

 

 

〜〜〜〜〜〜〜

 

 

 戸塚殺害計画もいよいよもって第二段階に突入する。第一段階を無事に生き延びた俺たち。今度も俺が守護らねば……と固い決意を抱く。

 

 そんな固い決意を抱いていた俺は――先に殺されそうになっていた。なんで?

 

 腕立てふせをする顔の下には汗で小さな水溜りが出来ていて、背中には雪ノ下が座っている。そして最初は雪ノ下一人だったにも関わらず、面白そうという理由で由比ヶ浜も乗っていた。

 

 背中の感触とか、色んなもの、特に悪戯気味に背筋を撫でる指が酷く身体に悪い。ちなみに最近は夜のトレーニングにも影響が出ている。自称トレーナーを名乗る女幽霊が酷く機嫌が悪いせいで非常に厳しいものに変貌していた。

 

 あれ? これ、戸塚を殺す計画じゃ無かったっけ? いつの間にか俺を殺す方向に話進んでない? 大丈夫? 

 

 もしかして俺っていつの間にか戸塚姓になってた? 婿養子になっちゃってた?

 

 そんな妄想のみで何とか今日まで生き延びてきた。戸塚が可愛くなければきっと死んでいたほどに辛いトレーニング。さすがは殺すと明言した女と女幽霊。完全に死にそう。

 

 そんな地獄のトレーニングも今日で終わりを迎えて、基礎的な部分ではなくこの後からは技術的な部分に入ることに。

 

 そうなると俺は完全にお役御免である。そもそも第一段階の時点で俺が何の役に立ったのかわからない。戸塚の隣でひたすらに筋トレしてただけ。

 

 まぁ、それとは別の件は無事に解決できたのだからいいか、と楽観視する。

 

 別の件、別件、幽霊騒動。

 

 事の顛末を、難事件でも大した問題でも、噺にならなかった話を。編纂する必要性も、編集する必要性も無かった怪異譚を俺は思い出す。

 

 まずは――足山九音の発言が事の発端であった。

 

 俺とは違って完全に霊視、お仲間を見ることが出来る彼女が言ったのだ。テニスウェアを着た幽霊の心あたりなど二つしか存在しないと。

 

 一つはファンタジー生物と呼ぶ戸塚に憑いているらしいテニスウェアを着た守護霊。どうやら戸塚の守護霊はそういった格好をしているらしい。

 

 そしてもう一体の本命。

 

 テニス部付近を彷徨う浮遊霊。

 

 決して、嘘やデマの類ではなく事実として居る幽霊。このテニスコート周辺に居るのだ、たしかに。

 

 けれども違和感があった、納得のいかない部分があった。

 

 その悪霊は悪戯をすると云った話。悪事の話、悪いことの御話。そうであるのなら、今の俺が見えないのは何故なのか。

 

 体験則で言うのなら、俺は悪霊という存在と縁深い、浮遊霊や善霊、人のための妖異には出逢うことすら叶わないのに、こと悪い奴らばかりはよってくる。

 

 テニス部内に忘れていたラケットが勝手に外にある。夜に活動しているのかボールが出しっぱなしのままでテニスコートに散らかっている。

 

 悪戯も悪戯、部員たちからしてみればいい迷惑だ。その上で不気味な噂により部員の足も遠のき、去年に比べて新入部員も格段に減っている。

 

 確かに悪戯だ、悪霊だ。人の都合に悪い霊だ――けれども、一部の人間には都合の良い霊でもあった。

 

 火の無いところに煙は立たない。確かに幽霊は居るのだ――けれども居るからといって何でも幽霊のせいにしていいわけではない。

 

 確かに火種ではあったのだろう、けれども燃料を追加して噂を広げて挙げ句の果てには罪をなすりつけたのは人間なのだ。

 

 例えば部活に不真面目で普段は居つかない幽霊部員が自分のラケットがなくなったと騒ぎ、外に出しっぱなしであった。使った人間はいけしゃあしゃあと幽霊騒動に便乗する。

 

 夜中に学校に忍び込んで遊ぶ生徒からしてみれば律儀に片付けをする方が珍しく、出しっぱなしのボールやラケットは幽霊騒ぎと片付けられた。

 

 そもそもがテニス部周辺を彷徨う幽霊は総武高校テニス部の一員では無い。彼女が着ているのは県境にある有名な女子私立のテニスウェア。

 

 本当に浮遊霊であるらしい。俺は九音にテニスウェアから知った高校名を聞いた時にそう中たりをつけて、今回の幽霊騒動をオカルト的な見地ではなく人為的なものだと調べ始めた。

 

 そう決めたら案の定というか、なんというか。

 

 教員は知っていたらしい。特に生活指導担当である平塚先生はそういった生徒達に何名か心当たりがあるとのこと。

 

 そしてものの見事に心当たりが的中し、自白させることは簡易であった。そもそもが生徒からしてみれば終わった話であるらしく、反省文も書いたし、親にも怒られたとのこと。

 

 まぁ、その影響でテニス部の弱体化など埒外のことなんだろう。そのことを俺は詰るつもりも無かった。言った所で俺の言葉に説得力なんてなく、ましてやそんな他人を慮り、人の気持ちがわかる奴なら最初からテニス部に謝罪していることだろう。早々と犯人を特定して、今回の御話は終わりとすることにした。

 

 ……まぁ、ことのあらましを聞き終えた後に九音がいつものように悪戯を仕掛けたとしても俺は咎めるつもりはない。だって俺には関係ないことだから。

 

 そして、そんな進学校の中でどちらかといえば不良をやっている生徒達の上から水をぶっかけた犯人はコートの隅で蟻の巣を眺めている。俺も一緒に眺めているので二人でかがみ込むといった形に。

 

『……ねぇ、八幡くん。私達の将来ってこんな感じなのかな?』

 

 何言ってんだ、こいつ……。頭おかしいのかと口に出すところであったが頭が弱いのは元々であったために言葉にしないでおいた。言及しないでおいたがアホを見るような目で見たのは仕方ないこと。そんな俺の様子に気づかずアリの巣をジッと見つめている。基礎トレを終えた俺はその隣に腰を下ろして同じようにその蟻を見る。

 

 そして数分蟻の様子を眺めていると九音が小さく呟く。

 

『夫の帰りを待つ妻、九音蟻、外でせっせと働く夫、八幡蟻。素敵な関係だよね、うっとり』

 

 アホ全開であった。疲労困憊の最中にアホの発言により更に疲れる。

 

「お前の見つめている蟻、全部雌だぞ」

 

『……情緒ないよね! そういうことじゃないのに!』

 

 蟻を見つめて見つける情緒ってなんだよ。

 

 蟻において働き蟻とは全て雌である。この甲斐甲斐しく巣穴に戻る蟻の性別は雌。そして雄蟻は巣穴の中で女王蟻と共に居る。一見してみれば専業主婦、ヒモのように見えるが雄蟻は女王蟻と一発ヤると死ぬ。

 

 まさに蟻の世界とは女王のみが正義の超独裁国家なのだ。雄は家畜で、働きありは奴隷。あまりにも蟻の世界が厳しすぎる。わき上がる情緒というのは負の方向のみ。少なくともうっとりする感情は俺の中に存在しない。

 

『……いや、待てよ。逆に考えるんだ。外で働く九音蟻、私の帰りを待つ八幡蟻。うんうん、いいよいいよ! 滾ってきた!』

 

 可哀想なことに働き蟻の男日照りが解消する可能性はほとんど無い。唯一の可能性としては女王が死んだ時のみ。その時にのみ奴隷からの脱出機会が与えられる。雄蟻は基本的に女王蟻としかシないのだ。

 

 とはいえ他者の想像や空想を止める権利は俺には無い。もう何も言うまいと再び蟻を見つめる。

 

『がんばれ九音、負けるな九音! 家には八幡くんが待ってるぞ!』

 

 せっせと巣穴に餌を持ち帰る働き蟻。その餌はまさに貢物、この光景はバリキャリが家に待つ夫へ帰るのではなく疲れたOLがホストに入れ込むといった構図。涙出てくるわ。

 

『あ、あと少し! がんばれ、がんばれ! 後少し――』

 

 蟻如きに感情を移入しているアホの気分をわざわざ害す必要もなく俺は無駄に否定せずに蟻の行く末を見守る、とその瞬間、刺さる。

 

『くっ!? くおーーんッ!』

 

 自分の名前を高らかに叫んだ後に、茫然自失とする幽霊。そんな状態の九音を尻目に事の元凶をなったボールを見る。

 

 フェンスに跳ね返り、ポンポンと二度ほど弾んでは足元へコロコロと。手に取っては打ったであろう材木座を見る。投げ返すとそれを太陽に掲げて大げさなポーズで語り始めた。

 

「ふむ、ここにまた魔球が完成してしまったようだ……土煙を舞わせ相手を幻惑し、生じた隙の合間にボールを叩き込む。これぞ、豊饒なる幻の大地ッ、岩砂閃波」

 

 どんな漢字を当てるのかわからない技名をつぶやいては余韻に浸る材木座。太陽にかざしてはニヒルに嗤って再び一人で壁打ちを始めた。

 

『あ、アアアァァァァつ! は、初めてだよ、ここまで私を怒らせたおバカさんは! 排泄しかしない猿のくせによくも私を!』

 

 いや、蟻だろ……。けれどもそんなツッコミを入れるにはフーッフーッと怒っている女幽霊はあまりにも怖すぎる。

 

『八幡くん! 弔い合戦だよ! 九音蟻が居ないと八幡蟻は餓死しちゃうんだから、これ八幡くんの弔い合戦でもあるの! あのスメアゴルに向かってボールを叩き込んで! コントロールは私がするから!』

 

 いややらねぇから。八幡蟻なら今頃違う蟻からちゃんと餌を貰ってるよ? 

 

 言葉には出さずとも動く意思はないことを座りっぱなしで居ることで伝える。唸りながら目尻に涙をためて睨みつけてきても絶対にしない。

 

 とはいえ、こんな表情をされれば大抵の男ならホイホイ言うこと聞くんだろうな、と思ってしまう。本当に顔がいいって特だわ。

 

 いつまでもここにいれば九音が我慢出来ずにキレるか。隣のコートに移動しようと立ち上がる。少し移動すればコート内で球出しを、審判席から指示出しをする奉仕部員達の姿が見えた。

 

 ボールを投げているのが由比ヶ浜で、指示出しが雪ノ下。ボールを素手で投げている由比ヶ浜は楽しそうに投げ入れている。

 

 え、怖い……。

 

 戸塚なんて息絶え絶えなのに、なんで楽しそうにボール投げてるの?

 

「由比ヶ浜さん、もっとあの辺りやその辺りに投げてちょうだい。難しいコースじゃなきゃ練習にはならないわ」

 

「りょーっ、かいっ!」

 

 雪ノ下の落ち着いた声がコート内の由比ヶ浜に届く。すると何が嬉しいのやら、楽しそうにボールを握ってはポイポイポポイと投げ入れる。

 

 ライン際、ネット際と指示されたボールは技術の問題なのかコントロールされてない。逆にそのイレギュラーさが捌くことの難易度を跳ね上げている。

 

 目線とはまったく違う方向に飛んでいくボールは天然のブラフとなり、拾う戸塚の足を一歩遅らせる。

 

 一歩目が遅れれば自然と拾う難度は高くなり、ましてや弾道など気にせずイレギュラーに落とされるのだ、ほんとよく拾う。

 

 けれども二十球目くらいであろうか、飛びつくかのようにボールを拾いあげては立ち上がり走ろうとするが足を縺れさせては転んでしまった。

 

 むき出しの肌は派手に転んだせいか大きく擦りむいている。

 

『ねーねー、八幡くん、やり返そうよぉ、スメアゴル相手に的あてやろうよぉ』

 

 欠片も興味を持たない女幽霊。少しは駆け寄って心配する由比ヶ浜を見習え。この女だけは情緒がどうとか言っちゃダメだわ。

 

「さいちゃん、大丈夫!?」

 

 ボールを投げていた由比ヶ浜がネットを回って戸塚へ近づき、戸塚の擦りむいた膝を見ては表情を歪める。

 

「だ、大丈夫、続けて」

 

 その返事を聞いて由比ヶ浜は雪ノ下を見て、戸塚も追うかのように見つめる。そんな二人の視線を受けた部長は審判席から降りて二歩ほど近づいては怜悧な視線で尋ねる。

 

「まだ、続けるつもりなのかしら?」

 

 雪ノ下は変わらない。いつものように、いつものごとく。なんの変哲もなく。

 

「うん、みんなに付き合ってもらってるから……もう少し頑張りたい」

 

 小さく笑って続行の意思を示す。そんな戸塚に向けて雪ノ下は無表情のままくるりと背を向ける。

 

「そう、由比ヶ浜さん、後は頼むわね」

 

 由比ヶ浜の返事を聞く前にすたすたと校舎へ向かっていく。そこはいつも俺が座っている方向、俺のベストプレイス方面。相変わらず、不器用な奴。

 

 けれども雪ノ下の様子に不安を覚えた戸塚が小さく呟いた。

 

「怒らせ……ちゃったかな」

 

 その言葉は誰に問われたわけではなく、それでいて誰かに投げたものだった。誰でもいいから答えを知ってるなら教えてほしいと呟かれた小さな呟き。

 

 俺は二人に近づき声をかける。

 

「そんなことねーよ、いつも通りだ。むしろ、怒った時はもっと怖いから安心しとけ」

 

「比企谷くん……本当?」

 

 戸塚が上目遣いで尋ねてくる。

 

 そのうるるとした瞳を向けられては続けて「もしもの時は俺が守ってやるよ」と口が滑りそうになる。けれども俺の勇気のなさや意気地の無さが口を縫い止める。怒った雪ノ下を相手に俺なんて肉盾になりそうもない。

 

「うわ、ヒッキー居たんだ。もー、どこ居たの? というか、それってヒッキーが怒られるようなことするからじゃん」

 

 いやいや何もしてねぇわ。むしろ何もしてない、何もしてこないから怒っているとかいう理不尽。

 

 もちろん、こんなことを言ったところで二人には意味が通じないだろう。そんな俺の言葉に思うところがあったのか戸塚はポツリと呟く。

 

「もしかしたら……呆れちゃったのかな、その、ぼく。やっぱり下手だし、上手にならないし、腕立てだって五回しか出来ないし」

 

 ちらりと目が合う。肩を落として呟いた言葉、中々に浴びない類の視線。劣等感の混じった言葉からその視線がどんな意味が篭っているのか想像できる。

 

「そんなことないと思うよ、ゆきのんは頼ってくる人を見捨てたりしないもん」

 

 テニスボールを掌で転がしながら手慰みをしていた由比ヶ浜は安心を与えるかのように力強く言い切る。

 

 その言葉に同意したのは以外にもこの場に居る誰よりも雪ノ下を敵視している女幽霊であった。

 

『まぁ、同意見。もちろん、プラス的な意味じゃなくてあれだけ挑発されておいて尻尾を巻いて逃げるって想像できる? そこの雌犬三号を強くできませんでしただなんてあの女は口が裂けても、死んでも言わないよ。今頃、拷問器具でも用意してるんじゃない? 強くならないと殺すって視界に訴えれば泣き言なんて言う暇ないでしょ、私ならそうするし。そうすれば死ぬ気でうまくなるか、八幡くんを誑かすファンタジー生物がお亡くなりになるかのどちらかなので……どう転んでも得しかしない……天才じゃん、私』

 

 なんて発想しやがるんだ、この女。流石に雪ノ下もそこまではしない。流石は性格の悪さで俺調べの月間MVPをまたしても獲得していた。

 

『華道部あたりから剣山借りてきて、次出来なかったらこれを履いてもらうわね、くらい言うんじゃない?』

 

 選手生命死ぬだろ、それ……もはや殺す気しかない女幽霊である。由比ヶ浜が雪ノ下の善性を信じていれば、九音の奴は雪ノ下の負けず嫌いといった欠点を責める。

 

 とはいえ、俺も似たり寄ったりなのだ。俺自身も雪ノ下にお手上げといった様子が想像できない。それに、どこへ行ったのかなど予想がついている。

 

 だから俺は二人、一人と一匹の意見を強調するために付け加える。

 

「安心しろ、戸塚。由比ヶ浜の料理に付き合うくらいに面倒見はいいから、なら期待できそうな戸塚を見捨てるなんて事象はありえねぇよ」

 

「どういう意味だし!?」

 

 俺はハァと小さくため息を吐いて由比ヶ浜に懇切丁寧に説明してやることにした。

 

「事象ってのは出来事の言い換えで――」

 

「意味を聞いてるんじゃないしっ!」

 

 由比ヶ浜は手に持っていたボールを此方に向けて投げてきた。その球は想像していたよりかは鋭く、それどころかまっすぐこっちに向かってくる。なんでさっきまではあんなにコントロール悪かったのに今回に限ってまっすぐ来るんだよ。

 

 けれどもこの一年間鍛えた身体能力は伊達ではない、この一年間の経験が無ければ「強……早……避……死」と走馬灯がよぎっていただろう。

 

 けれども首を軽く傾げるだけで避けたボールは背後にポンポンと落ちる。

 

 フッ、この程度を避けるなど何てことはない。今まで何度怪現象に巻き込まれたと思ってるんだ、舐めんな。

 

 ただ、悲しいことに怪現象に遭遇して無事であった試しがないわけであるから、完全に身体能力は伊達であることに気づいてしまった。

 

「よ、避けるなーっ」

 

 更にポイポイとかごのボールを連続で投げ始める由比ヶ浜。それを軽やかに避け続けるが、いつまでも遊んでいるわけにはいくまい。っていうか、その籠の球って戸塚の練習のためじゃねぇの?

 

 あんまり減りすぎると練習にならないために適当なところでボールをキャッチして「はいはい悪い悪い」と口にしてから戸塚へ声をかける。

 

「まぁ、雪ノ下の指示通りに続けていいんじゃねーか?」

 

「うんっ! ありがとっ、由比ヶ浜さん、比企谷くんっ!」

 

 戸塚の返事により練習は再開される。それからは弱音も吐かずに戸塚はボールを拾い続ける。由比ヶ浜といえば相変わらず酷いコントロールであること。

 

 十球、二十球と続けば先に根をあげたのは由比ヶ浜の方であった、

 

「もー、疲れたよー。ヒッキー交代してー」

 

 手持ち無沙汰だった俺に交代の指示が。俺は立ち上がってコートに入ろうとすると目の前にひゅるりと九音が立ちはだかった。

 

 なんだよ、こいつ……。

 

『行っちゃやだ! 八幡くんは私と九音蟻の弔慰を抱いてあそこのベンチで黙祷するのっ!』

 

 しねぇわ、なんだそのクソみたいな時間。そんな時間を過ごすくらいなら戸塚の練習に付き合った方が遥かに人道的で有意義。そんなわけでそんな幽霊をするりと避けてコート内へ。

 

『や、ヤダァァァァァァ、捨てないでぇぇぇぇぇ、何でもするからぁぁぁぁ! 捨てないでぇ……』

 

 何と人聞きの悪いことを叫ぶ幽霊であろうか。もしも誰かに聞かれていたら俺の社会的立場は大惨事。良心の呵責に訴えてくるその叫びを鼻で笑ってコートへ。内容が内容なだけに良心は微塵たりとも痛まない。

 

「代わる」

 

「あ、これ五球で飽きるから気をつけてね」

 

 マジかよ。その割には雪ノ下とやってるときは楽しそうにやってたよな。そんなことを考えているとシクシクと泣きながら背中に張り憑いてくる幽霊の泣き言が耳に入る。

 

『うーっ、この悲しい気持ちを八幡くんが投げ入れるボールに変な回転をかけてファンタジー生物をいじめることでストレス解消してやるぅ』

 

 性格が最悪であった。やめろよ、戸塚が可愛そうでしょ。

 

 あんまりにもとばっちりがすぎる戸塚に向けてサディスティックな笑みを浮かべる女幽霊。球をいくつか集めて籠に集めて練習を再開しようとした瞬間――聞こえた。

 

 甲高い笑い声とはしゃぐ音。

 

 周りを見回せば由比ヶ浜の視線が落ち着き無く泳いでいて、暗い影がさす。そしてあからさまに視線がそらされた場所にはどこかで見た覚えがある顔ぶれが。

 

「あ、テニスしてんじゃん」

 

 高い声がコート内にまで広がる、まるで聞かせるかのように言い放たれた言葉は――あぁ、そうか同じのクラスの奴らか。

 

 集団の背後に居た二人、王様と女王様の顔ぶれを見れば流石に自分のクラスの奴らであろうと予想づく。

 

 葉山と三浦。

 

 我がクラスにある一大派閥のトップに君臨する二人。総武高校でも相応に名が知れ渡っている男女。校内でその二人が一緒に歩いていれば噂になる程度には美男美女の組み合わせ。

 

 トップカーストと呼ばれる集団はテニスコートへ何の躊躇いも無く入ってくる。そして女王は顔ぶれを見回していれば――何故か一度俺のところで視線が止まった。そして止まった瞬間に漏れ出る。

 

「げっ、ヒキオじゃん……」

 

 誰だよ、それ。俺の新たな名字みたいな呼ばれ方にこっちの表情を歪めてぇわ。勝手にうちの両親を不仲にしたあとに再婚させないでくんない?

 

「あ、ユイたちだったんだ……」

 

 集団の中の一人、メガネ女子が小声で呟く。けれどもそんなことを知ったことばかりに女王様はズンズンズンと何の躊躇いもなくコートの中へ。

 

 俺と――由比ヶ浜をスルーして、まっすぐに戸塚の方向へ向かっていく。

 

「ねー、戸塚。あーしらもここで遊んでいい?」

 

「あ、三浦さん、その、ぼくたち、その遊んでるわけじゃ……なくて」

 

「あ? 聞こえないんだけどぉ」

 

 こっわ……、戸塚の小さすぎる懇願にも似た抗弁は女王様の一言に無為に帰す。振り絞った勇気は威圧によってかき消されて、戸塚の震える指先が今の心境を表している。

 

 その戸塚に共感するかのように材木座も由比ヶ浜もコート内に蔓延る重圧から目を背ける。

 

 女王の取り巻きもどこか気まずそうな表情を浮かべていている。だが、どこかに違和感を感じてしまう。

 

 けれどもその違和感は再び振り絞った勇気に消されてしまった。

 

「れ、練習だから……」

 

 二度目の言葉は一度目よりもはっきりとしたもので。強い意思にたじろいでもおかしくはない。

 

 けれどもそうではない、そうじゃない。

 

 正しいことだけが、綺麗なものだけが、眩しいだけのものが肯定される世界じゃないのだ。振り絞った勇気も踏みにじられることはある。

 

「ふーん、でも別に男子テニス部だけってわけじゃないっしょ。部外者混じってるじゃん」

 

『そりゃあ、引けないよねぇ。今更』

 

 訳知り顔のように九音はその光景を眺めていた。いつのまにか手にはラケット、服装はテニスウェアに着替えていた女幽霊はニヤニヤと俺達――ではなく三浦を見ている。

 

『こんなの引けるわけないじゃん。わかるわかるー。しょうがないよね、女王様だもんね』

 

 足山九音は女王と呼び、敬称づけているが――敬称をつけ加えることにより小馬鹿にしていた。

 

『臣下を引きつれてノコノコと。大声でテニスを邪魔しておきながら、尻尾まいて逃げる? 無理無理、そんなの謀反されちゃうじゃん、ギロチン行きじゃん。トップカーストはワガママ放題するのが仕事だもんね。ましてや雑魚に言い負かされてすごすご帰るなんて出来るわけない。特に八幡くんが居るこの状況じゃとても出来るわけないよねぇ』

 

 引き合いに出された俺は言おうとしていた何かが詰まる。

 

『先週、アレだけのいざこざがあった八幡くんと女王様、最近距離が出来始めている女王様と雌犬二号。そんな二人が仲良くテニスしているにも関わらず、女王たる自分が赦されないという不公平感。到底受け容れることが出来な良い内容だよね』

 

 面子、プライド、自尊心。さも判っているとばかりに得意気に語る九音の視線は再び戸塚と三浦に向いていた。

 

「練習? 部外者も混じってんじゃん。ってことは男テニだけで使っているわけじゃないっしょ」

 

「それは、そう、だけど……」

 

「なら、あーしらも使ってよくない? ねぇ、どうなん?」

 

「……だけど、その」

 

 今度は完全に心が折られたようだった。声は震えて俯きながら手指を遊ばせて必死に言葉を探す。

 

『ねぇ、いい考え思いついた!』

 

 絶対にろくでもないやつだ。俺は聞く耳など無いと視線で伝えてみるもののニンマリと嗤う幽霊の舌先は止まらない。

 

『簡単だよ! テニスコートを差し上げればいの! 言われるがままにテニスコートを貸し出してあげればいいじゃん! 拾い心で半分くらい使わせてあげて何が悪いの? ほんと器が小さいよね、雌犬三号って。完璧じゃん、何の問題も完璧な答え!』

 

 九音の言葉は確かに的を得ているように感じる。テニスコートの半分、使わない場所を差し出して、テキトーに遊ばせていればそのうち満足するだろう。

 

 たった一つの思いを、相談してきた戸塚の悩みを、本質を蔑ろにすれば――解決できるのだ。

 

『そこのファンタジー生物の強くなりたいって想いなんて蔑ろにして、部活を盛り上げたいって願いを踏みにじって、我が身可愛さに他人といざこざ起こしたくないから見捨てたとしても何の問題もない。むしろハッピーじゃん、こんな面倒事から解放されるなんてさ』

 

 あぁ、確かにそうだ。面倒事だ、昼休みに殺されそうなほどの筋トレを強いられ、その影響で機嫌の悪い幽霊のトレーニングで死にかけて。それで得られたものなんてほとんど無い。

 

 それにここで意固地になって戸塚が断れば明日からの教室での生活は針のむしろ。そう考えると受け容れるのは戸塚のためでもあるのだ。

 

 由比ヶ浜を見る。その表情は伺えない、気まずそうに顔を伏せているから。材木座を見る、我は関係ないとばかりに明後日に向かって口笛を吹いている、それ逆にめっちゃ目立ってるから。

 

 そして雪ノ下が消えていった方向を見る。あの方向にある場所から戻ってくるまでにはもう少し時間がかかるだろう。

 

 戸塚を見る。俯いて、誰の助けも求めずに自分で何とかしようとしている姿が目に入る。

 

 最後に九音を見る。意地悪くコート内の揉め事を見ながらニヤニヤと笑っているくせに――目が合うと判っているとばかりに小さくため息を吐いて『しょうがないなぁ』と言っては微笑む。

 

 俺は深く息を吸い込んでは吐いて、決める。

 

 俺は俺のやりたいようにすることに決めた。だからまず謝らなければならない。

 

「あー、悪い」

 

 ほんとに悪いことをしている自覚はある。こんなの雪ノ下が入れば文句を言われたり、平塚先生がいたなら小言を言われるかもしれない。でも居ないからノーカン。

 

 依頼人を部外者にして身勝手に自分の意見を通そうと口を開く。本当に自己中心的で悪辣な存在。バッシングや非難など受けて当然、むしろ非難ばかりされてきた俺。そんなのは今更。

 

 戸塚と三浦の間に言葉を割り入れては続ける。

 

「このコートは戸塚がお願いして貸して貰ってんだ。戸塚が顧問に頭を下げてな、だから悪いんだが他のやつらは無理なんだ」

 

 建前を口にして断る。本音は俺が気に食わないから使わせない。ただ、それだけ。

 

 俺の言葉に二人が振返る。自然と注目を浴びてしまう。

 

 そんな中で女王様は目を細めて戸塚と俺を交互に見ては苛立ち混じりに足をトントンと何度か叩いて威嚇を交えては言葉を投げてくる。

 

「は? あんただって部外者じゃん、なのに使ってるのはどーいうわけ?」

 

「戸塚の練習に付き合ってるだけであって、遊んでるとかじゃなくてアウトソーシングとかそんな感じなんだよ」

 

「ハァ? なにわけわかんないこと言ってんの? キモいんだけど」

 

 破ァッ! からのキモイの連続技に心が折られるところだった。危うく言われなれてなければ家に帰って泣いていたかもしれない。俺の心を折りたきゃ、九音の一匹や二匹連れてきてみろってんだ……『なんか、今、めっちゃ失礼なこと考えなかった』勘の鋭い幽霊である。

 

「まぁまぁ、二人共そんな喧嘩腰なんないでさ」

 

 俺と三浦の間に入ってきたのはクラスの王様である葉山。仲裁するかのように思いついた言葉を口にしている。

 

「ほら、みんなでやった方が楽しいしさ。そういうことでいいんじゃない?」

 

 爽やかな言葉に爽やかな笑顔。カーストの頂点でありながら低い態度と敵意無き笑顔を向けられれば大抵の女子は「まぁ、そうかな……好きかも」と納得するだろう。そして大抵の男子も「まぁ、そうかも」と納得する。

 

 けれど俺と――足山九音だけは違う。

 

『は? そういうことってどういうこったよ。その胡散臭い笑み引っ込めてくんない? 自分イケメンですって面吐き気するよね。八幡くんくらいになってから出直してくんない?』

 

 いや、それはお前の目がおかしいだけだわ……流石に葉山相手に顔面の勝負を挑めるほど蛮勇を持ち合わせていない。俺に出来るのはせめて言葉の揚げ足をとっては詰るくらい。

 

 ひゅるりといつものように背中に張り憑いてくる幽霊の戯言を聞き流して俺は――否定する。

 

「みんなって誰だよ。少なくとも俺は楽しくねーよ」

 

『ぷふっ』

 

 小さな笑い声が耳に入る。

 

「みんなで楽しむ? 冗談だろ? 俺は楽しくねーっつーの。お前らが男女混合でキャッキャウフフしながらテニスをしている横で過ごさなきゃならないってどんな拷問だよ。昼休みじゃねぇか、休ませてくれよ、俺の心を」

 

 お前らが視界に居るだけで心休まらないと伝えると取り巻きの何人かがこちらを睨んできた。俺は小さく鼻で笑い一蹴する。

 

「はんっ、葉山、お前はいい奴なんだろうな。後ろに居る奴らはみんなお前のことを信頼してるみたいだ、つまりそれはお前の人格が優れている証拠なんだろう。その上、お顔までよろしく、成績も優秀だと聞き及んでいる。そしてサッカー部のエースであって、さぞやおモテになるんでしょうね」

 

 地面に唾を吐くかこのように毒づきながら言い放つ。勿論の如く態度が態度である、これを素直に褒め言葉と受け取らないのは自然な流れ。周りの連中も敵意と困惑に満ちた視線を向けてくる。

 

「え、えっと、ヒキタニくんも楽しめるようにー」

 

『えっ!? 私達が楽しめるようにお前ら全員に的になるわけ? やったー! したいしたい! ストレス発散したい! 八幡くんしようよー! こいつらを的にしてテニスしようよぉ。それならファンタジー生物も楽しめるんじゃない?』

 

 楽しめねぇよ、むしろそれをゲラゲラ笑いながら出来るやつってこの中じゃお前くらいだよ。むしろひくわ、あんまりの性格の悪さにひく。

 

 もしも中学時代の俺だったならば葉山の言葉に絆され、涙を流し、御礼を述べて、葉山王国へ移住希望を出して、何も知らずに希望に満ち溢れた葉山王国を目指して歩き出すのだろう。そしてたどり着いて人間関係のあまりのハードルの高さに絶望してスラム街まで落ちる。勿論、市民権など発行されない。

 

 生憎なことに今の俺には通用しない、騙されない。残念なことに中学時代の純真無垢さは既に消えてなくなっている。

 

 葉山の言葉の軽さに信をおけるわけもないのだ。

 

 これだけのお通夜のような状況で戸塚の練習を片手間に楽しむなど土台無理な話なのだ。葉山の意見を否定するために俺は言葉を続ける。楽しいのは葉山キングタムの住人のみ。葉山キングダムはおろかクラスにすら居場所の無い俺が楽しむなんて絶対に無理ということを伝えるために。

 

「色々と持っているお前が何も持っていない俺からテニスコートまで奪うのか? 人格者として恥ずかしくないの? 非モテの俺たちを隅に追いやって女子と楽しむだなんてあまりにも人として非道すぎない?」

 

「そのとぉーりだぁ! 葉山某、貴様のしていることは最低の行為だ! 侵略行為だ! 復習するのは我にあり!」

 

 さっきまで明後日の方向見てて素知らぬ顔していた材木座が気炎を吐きながら俺の意見に乗っかる。その様子にリア充共は引いている。

 

『こいつ生きてて恥ずかしくないの? 八幡くんが言い出さなかったら絶対に黙ってテニスコート譲ってたよ。なに、自分もそう思ってたとばかりに声高々に言ってるわけ。死ね。このレベルの恥ずかしさってもう人どうこうとかじゃなくて生物として不適格だよね』

 

 やめてやれよ……九音は本気でゴミを見るかのような視線を材木座に送っていた。ゴミ認定した後に『仲間面うざい、この呪いの装備捨てれないの? おまえの席無いから』とぶつぶつ呟いていた。

 

「う、うわぁ、二人揃うと卑屈さと鬱陶しさと情けなさが倍増する……」

 

 由比ヶ浜が引き気味の声が漏れる。その感想に九音以外から見れば俺と材木座は似たりよったりなんだろうな、と軽く傷ついた。

 

 そんな由比ヶ浜の言通りに卑屈さと鬱陶しさと情けなさを武器に葉山へ抗弁してみれば王様は困ったように頭をがしがしとかいていた。

 

「んー、まぁ、そっかぁ……」

 

 ふっ、勝ったな。完全勝利、もはやテニスコートは守られたと言っても過言ではない。

 

「ねー、ちょっと隼人ぉー」

 

 気怠げな声が向き合う俺たちに投げられる。事の発端の女王様は既にテニスコート内でボールを手に取り、逆の手で握ったラケットでポンポンと遊んでいた。

 

「あーし、早くしたんだけどー、話終わったぁ?」

 

 ……この王様を相手に説得しても無意味だったのかもしれない。いやいや大丈夫だ。後は此方の意見は理解して貰えているだろう葉山の言葉を待つだけ。王様の言葉なら女王様も聞くだろう。

 

 終わったも何もお前らはさっさとテニスコートから出て大人しくすごすごと帰るだけ。俺の完璧な負け犬理論によりお前らの王様が完全敗北したのだ。後は尻尾を巻いて大人しく教室に戻ることだな。お前らにも待ってる家族(クラスメート)が居るんだろ。

 

 まさに完全勝利。敗北が知りたい。

 

「んー、あー、じゃあこうしよう。部外者同士で勝負。それで勝ったほうが戸塚の練習に付き合うというのはどうだろうか。確か、比企谷くんも戸塚の練習に付き合ってるんだよな? なら、戸塚も上手い相手と練習したほうが効率いいと思う。それに遊びじゃないのならなおさら効率のいい方を取るべきだと思うな」

 

 なるほど。

 

『……いや、なるほど、じゃなくて完全に言い負かされてるじゃん』

 

 ほげぇぇぇぇ!? 本当だ。いつの間にか俺の完璧な理論が崩れていた。いや、俺はやりたくないけど戸塚の為とか言われたら否定もできない。見てみろ、戸塚も「それなら……」みたいな顔してる。

 

「何それ、テニス勝負? 超面白そう!」

 

 三浦が獰猛な笑みを浮かべる。その瞬間に大勢が決まった、ふっ、所詮ボッチなどこの程度、意見を受け入れて貰えるなど全然思ってないし。この前、小町を送った時に一人で声たかだかに言ったところで誰にも響かないって自分で納得してたくらいだし。

 

 そこに在木材の肯定意見があったところでプラスどころかむしろマイナス。ぜんぜん、悔しくなんて無い。

 

『うっわ、めっちゃ悔しそう。でもいいじゃん、テニスでコテンパンにして格が違うってところ見せてあげようよ』

 

 俺って基本的に壁打ちくらいしか練習してないんだが。

 

『見てろよぉ、お前ら! 私の八幡くんがケチョンケチョンにしてやるからな!』

 

 葉山軍団を指さして宣戦布告する幽霊。その自信がどこから沸いてくるのか俺にはまったくと言っていいほどわからなかった。




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