狩人、百竜狩りの夜をウキウキ徘徊す。 作:回転ノコノコ
狩人は、目を覚ました。
それは風の囁きか。それとも、月明かりの微笑みか。
「ここは……」
眼前に広がるのは、澄んだ空気と、どこまでも広がるような星空だった。
あの、ヤーナムの狭く重い空とは違う。
「森、でしょうか」
曖昧な意識のまま、彼は身を起こす。
一番最初に浮かんだのは、医療教会が禁忌とした深い森だった。聖堂街の片隅を抜けた先にあるあの森は、薄暗く、湿っていた。
しかしこの森は、木々の背が高く、川のせせらぎが耳を撫でる。
心地の良い空気だった。
狩人は静かに深呼吸する。口元を覆うマスク越しだったが、その空気は驚くほど新鮮だ。
「むふぅ……」
思わず、鼻息が漏れる。満足そうな鼻息だった。
辺りを見渡すと、ところどころに奇妙な物体が陳列されていた。
明らかに自然物ではない、人の手で彫られたもの。しかし、ヤーナムに立ち並んでいた石像とは異なり、その様相はどこか家や祠のようだ。
小さな祠は、その内に淡い光を宿している。それはロウソクの火とも、ガス灯とも違う。近づいてよく見てみれば、小さな生物が胴体から発する光だった。
「虫、でしょうかこれは」
狩人の指先に乗ってしまうほど、小さな虫。
危害を加えてくる様子もない。拍子抜けするほど大人しいその性質に、狩人はどこか肩透かしを食らったような居心地を味わう。
改めて、自身が立っているこの森を、事細かに見る。
深い森。見上げるほど高い崖に、そこから滴る太い滝。
木々を縫うように建てられた壁があれば、明らかに文化圏の異なる門も聳え立つ。しかし人工物と思しきそれらは皆、打ち棄てられたかのように朽ちている。
人の気配はない。しかし、そこら中から、何者かの息遣いは聞こえた。
「……獣」
小さな気配は、白い毛並みの小動物。
丘の上の林の中には、色とりどりの鳥が舞っている。
そして、忙しなく走る小さな虫。白い毛が絡んだ泥の塊を、せっせと運ぶ奇妙な生物だった。
どれもこれも、見覚えがない。
ヤーナムでは見かけたことすらない生き物の数々に、狩人は困惑するばかりだ。
「……ここは、どの悪夢なのでしょう」
悪夢というには和やかな世界だったが、彼にはそれしか呼称する方法がなかった。
それでも、ここは恐らくヤーナムとは壁を隔てた異界である。警戒の念を込めて、改めて武器を握ろうとするのだが──
「な、なんと!? こ、壊れている……」
あのノコギリ鉈も、獣狩りの散弾銃も。
まるで経年劣化を重ねて寿命が尽きたかのように、砕けて割れていた。
ノコギリ鉈は変形部位が割れて折れ、刃も錆び付いたように黒ずんでいる。とても使い物にならないだろう。鈍器の代わりに使おうにも、衝撃に負けて粉砕するのが目に見えている。
散弾銃は、銃身がひしゃげたように曲がっていた。引き金も折れ、銃床も腐食している。射撃どころではない。破損寸前だ。
「参りましたね、どうしたものか」
一度、夢を見たい。
夢の中の、あの工房なら、この武器たちを何とか修理できるだろう。そう思う狩人だったが、いくら周囲を見渡しても、灯りが目に映ることはなかった。いっそ、自ら眠るしかないのかもしれないが――。
そう考えた矢先、悲鳴が耳に届く。まるで幼子のような、甲高い悲鳴だった。
「……人? それとも、獣か?」
朽ちているとはいえ、置いていく訳にもいかない。
破損した武器を懐にしまいつつ、彼は歩き出す。
今の彼には、素手しか頼るものはない。だが、獣の存在を察知した以上、彼は歩みを止めることはできなかった。
何故なら彼は、狩人なのだから。
○
「はぁ、はぁ……セイハクくん! 走って!」
「うわああぁぁ!! 母ちゃんっ!」
暗い森を、幼い男女が走り抜ける。
その服はほつれ、腕や頬には擦り傷が走っていた。
しかし、そんなことも露知らずと、二人は走り続ける。
──背後から迫る三つの影から、何とか逃げ延びることだけを考えて。
迫るのは、橙色の鱗と白い体毛を湛えた獣。いや、鳥のような姿をした竜。
尾に鎌のような鋭い角質を備えたその生き物は、ここ近辺のカムラの里では『オサイズチ』と呼称されている。群れを為し、一際大きい個体がそれを統率する。狡猾で獰猛な狩人だ。
「ダメだぁ! 追い付かれる……!」
「こっち!」
少女に手を引かれるまま、少年は走る。
しかし追っ手の速さに顔を引き攣らせた頃、少女に横へと引き寄せられた。
竹林の奥へ、小さな崖を登って。
とにかく、この獣の魔の手から逃れなければならない。少女は必死に、少年を守ろうとしていた。
だが、逃げる獲物を追うことなど、獣にとっては手慣れたもの。ましてや自然の道理に獣ほど浸っていない人間の幼子など、彼らにとっては朝飯以前の問題だろう。
「あ……!」
竹林に何とか身を顰めたい。
そんな少女の淡い願いは、回り込んだ長によってあっさりと打ち砕かれることとなる。
「こ、コミツ……」
「あ……あっ……」
正面、長に塞がれて。
後方左右、小さな個体のそれぞれ阻まれる。
三頭の獣に囲まれ、少女らは退路を失った。
「嫌だ、嫌だよこんなとこで……」
「だ、誰か……」
へたり込む少年を、抱きかかえるように。
いや、縋るものが、それしかないというように。
少女もまた腰が落ち、ただ震えることしかできなかった。
血走った眼に見つめられ、叫ぶ。獣しかいないこの森で、しかし誰かを求める言葉を、叫ばずにはいられなかった。
「誰かーっ!!」
その声にそそられたかのように、オサイズチは歓喜の声を上げる。
群れの個体らも同様に喉を震わせ、その尾で草を薙いだ。
あぁ、いよいよ食べられてしまう。その事実を感じながら、瞳からは涙を溢し、二人は強く目を閉じた。
自らの終末を、受け入れるように──
「ふっ────」
それはまるで、小さな鼻息のような。
聞こえるか聞こえないか、それほどか細い声だったが、確かに、体の芯に力を込める気合の掛け声だった。
オサイズチの背後に、黒い影がゆらりと立っていることに、少女だけは気付いた。
「――っあ……」
悲鳴。
幼子ではない。
群れの長が、子どものように悲鳴を上げる。
背後から臀部を強打され、その鳥竜は怯んだ。
腰が抜け、大きな隙を晒す。
その隙を逃さず、黒い影は右肘を高く持ち上げる。指先を、爪を、一振りの刃のように揃えながら。
続く悲鳴は、先ほどのものとは比べ物にならなかった。
深く肉の奥まで食い込んだ腕が、その内側の肉を引きずり出したのだから。
「むふぅ……」
血肉が森を染め、黒い影を鮮血を浴びる。
返り血を纏ったそれが、黒いコートと帽子を纏った人間であることに、コミツはようやく気付いた。
狩人は、満足そうに鼻を鳴らす。手に残った肉の感触が、彼に恍惚とした笑みを与えていた。
「さぁ、今宵も一狩りと行きましょうか」
臀部から腿にかけての肉を抉られ、オサイズチは覚束ない足取りで振り向いた。
突然、群れの長が襲われたのだ。取り巻きのイズチたちは、激昂して狩人へと襲い掛かる。
それを、彼は軽快なステップで躱すのだった。
「ふむ」
噛み付き、尾の薙ぎ払い。
動きは直線的で、シンプルだ。
彼が子どもをあやすように二匹を弾き、その脳髄を叩き割ることなど、造作もないことだった。
「随分と、脆い獣ですな」
両掌を握り固めたその槌は、簡単に二匹を沈黙させた。
一方の大柄な長については、拳だけでは、簡単にいなすことは難しそうだ。
「ならば──」
動かなくなった子分の尾を、握る。
握り、それを瞬時に振り回した。
「ほほう、まるでゲールマン殿のよう……。ふふっ、悪くありませんな」
薙いだ尾を、長は躱す。
しかし、その臀部は血に塗れており。
着地の衝撃を押し殺すことはできず、体勢を大きく崩してしまうのだった。
それを逃す、狩人ではない。
「さぁ」
振り下ろした尾。
その鎌が、長の頭蓋から左眼孔を磨り潰す。
「これで終わりです」
視界の半分が消え、大きく仰け反ったその首元に。
狩人は跨り、両腕に力を込めるのだった。
まるで獣のように、膨れ上がった筋肉。細身のように見えるが、服越しでもそれは分かった。その筋力は、常人とは比較にならないだろう。
人間が鳥竜の首を絞めている光景を見て、幼い二人でもそのことは感じ取っていた。
呻くような声。そして、口から零れる泡。
次第に、長は動かなくなった。尾が落ち、腕が力なく垂れ、最後は頭がゆっくり下る。
「……むふぅ」
狩人は、その手をゆっくりと放した。
巨体は、沈黙している。狩猟完了の、何よりの証明だ。
「……さ、お嬢さん方。お怪我は、ありませんか?」
全身を、黒く染まった衣服で包み込み。
その衣服を鮮血で真っ赤に染めながら、狩人は微笑んで手を差し伸べた。
マスクで覆われ、目元しか見えないその男を前にして。幼子二人は、再び悲鳴を上げるしかなかった。
「おやおや……」
助けた二人に恐怖され、狩人はただ困ったように頬を掻く。
ただ濃厚な血の香りだけが、この大社跡を静かに撫でるのだった。
狩人とカムラの里の住民の接触編。
正直、子どもからしたらこんな男が急に現れたら、モンスターより怖いかもしれない。
ついでにこの狩人、もりもりの筋力ビルドです。血質も神秘も知らねぇ!筋肉は全てを解決するスタイル。