木偶に息 作:百合に
「じゃあ、姉さんは修行に行ってくる。良い子にしていろよ、カンクロウ」
「分かってるじゃん!」
と、いつものように鉄扇を背負った姉を見送って、カンクロウは手を振った。
そのままやる場もなく手を下ろし、ドスンと座椅子に座り込む。痛い。そういえば、とカンクロウは尻に大痣ができていたことを思い出した。
梯子から落ちた際の打ち身は既に痣になっていて、風呂の面倒を見てくれる上忍には驚かれてしまった。
ド派手な尻餅を付いたということで流してはくれたが、以後はもう少し気をつけなければならないだろう。
約束は14時。現在は昼食を食べ終えた12時半過ぎなので、あと一時間少しは暇を潰さねばならない。早すぎても遅すぎてもいけない以上、向こうで暇を潰すという手段は取れないのだ。
手持ち無沙汰な心のまま、カンクロウは絵本を広げた。月から垂れる長い糸と、それに操られる人々の話。南京操の題目としてはかなりポピュラーな物語だ。
姉は不気味がるその物語は、カンクロウが物心つく前からのお気に入りであったらしい。弟を腹に抱えた母に、読んで読んでと幾度もせがんだのだとか。
そんな想い出など記憶にもないが、この絵本を開くたび、何故かカンクロウは暖かい気持ちになる。
「【この銀糸をそうっと伝って、男が一人降りてくる。男の名前はモンザエモン】……」
捲り過ぎて擦り切れたページを大事に大事に撫でながら、チラチラと時計を伺う。まだかな。まだだな。何分経っただろう。
「【『千歳待つなどやってはおれぬ!退屈なんぞ真っ平だ!』】」
その通り!カンクロウは力強く首肯した。待つのは辛い。一時間でさえこんなに長いのだ、1000年なんてやってられないだろう。
月の怪人モンザエモンは、退屈凌ぎに地上に降り出て、絡繰仕掛けを落としてゆく。地上の人々はそれを見つけ、すっかり傀儡に魅入られる……。
おそらくは何処かしらの昔話と、傀儡操演の始祖モンザエモンの話が混じったものなのだろう。絵本と劇では少し内容が違うし、『求婚の為に来た』なんてバリエーションもある。
語り部の婆様の噺のように、モンザエモン自身さえ傀儡であったなんてオチもあるのだ。
喋って、動いて、傀儡だって操れる絡繰人形。そんなものが存在するなら、一度でいいから見てみたいものだ。
パタン、と絵本を閉じて、カンクロウはスケッチブックを引っ張り出した。将来作ってみたい傀儡を、今から書き溜めているのだ。
「やっぱり合体はロマンじゃん……」
姉には中々理解してもらえないが、カンクロウはめげていない。テマリだってもしも実物が目の前に現れれば、キャーカッコイイ!と腰抜けになること間違いなし……いやどうだろう。
テマリは線の細い男が好きなメンクイだ。スパロボはちょっと雄々しすぎるじゃん……。
「あ」
と。ハッとカンクロウは顔を上げた。時刻は13時52分。かなりアイデア構想に没頭していたらしい。
慌てて外履きを履き、窓の木枠をバッと外す。焦りは禁物だ。中庭近くの廊下を何人かの中忍が歩いて行ったのを確認してから、カンクロウは駆け出した。
「5分遅れだ」
「ハッ……ハッ………押忍……」
ゼェハァ肩で息をしながら遅れて辿り着いたカンクロウに、青年は思いの外怒りもせず腕を組んだ。
曰く、長く待たれるよりよっぽどマシ、とのことである。待たされるのが嫌いな理由も、どうやら唯我独尊が故ではないらしい。
青年は昨日まで身につけていた暗い灰色の街灯を脱ぎ、随分と身軽な格好をしていた。傀儡で出来た足と左手が、差し込む陽光を鈍く反射する。
「テメェ、気づいてたろ」
「……おう」
面白がるような声音だ。カンクロウは少し考えてから、素直に首を縦に振った。それから、自分から踏み込む。
「アンタ、それ。自分で切ったんだろ」
「あ?」
「生身の右手と、ちょっと、長さが違うじゃん。足もタイショーじゃねえ。それつける前から、寸法測ってたんだろ」
人体は基本、左右対称には出来ていない。利き手・利き目・利き足が存在する以上、どうしたって差異は出る。それこそ、人によって完璧な均衡で作られた、傀儡となれば話は別だが。
青年は、ほう、と感心したような顔をした。それに気分が良くなったカンクロウはフンと胸を張る。
感覚的に理解していたことだが、青年を前にすると、どうにも頭を働かせねばという気持ちになるのだ。
「なあ、なんで右手は変えねえの」
カンクロウの無邪気な問いかけに、青年は失笑した。クツクツと喉で抑えるような笑い声が漏れる。
出来ないことはあるまいと言わんばかりのカンクロウの態度が、青年はおかしくてならないようだった。
「ガキの癖にイカれてんな。人傀儡に抵抗がねぇのかよ」
「……別に。腹にバケモノ抱えるよか、腕を傀儡にした方がマシじゃん」
「へぇ?」
青年の眉がピクリと跳ねる。しかしジッと青年の義腕を見るカンクロウは、それに気付かなかった。
「験担ぎ。そう、験担ぎだな。今やってる大仕事を終えたら……コイツを作る」
青年は笑いながら言った。それは誰かをせせる笑いだったが、カンクロウは特に気にならない。それよりかは、目の前の傀儡の方に興味が引き寄せられていた。
「傀儡術ってのは、如何に初見殺しをやれるかがミソだ。長期戦には物量で対抗する以上の手札がねえしな」
飛び出した刃から滴り落ちる液は、無色透明の水のような液体だ。しかし青年がそこに投げ込んだ布切れは、音もなく繊維が解けていく。どうやら溶解液の一種らしい。
青年はチッと舌打ちし、酸化してやがる、と吐き捨てた。他よりずっとマシな状況だったとはいえ、保存状態が劣悪だったためだろう。
「結局の所、傀儡なんざ消耗品。傀儡師の技量である程度抑えられても、使い込むほど脆くなる……己が傀儡を長く使い続ける為には、敵を一撃で殺す手段が必要だ」
「それで毒?」
「そうだ。その点、毒ってのはうってつけの武器になる。毒と薬を勉強しておいて損はねえ」
「薬もかよ」
「毒と薬は表裏一体。人間毒で生き延びることも、薬で死ぬことだってある」
今日も今日とて、青年の話は面白かった。初日は見れなかった防御用傀儡【山椒魚】が、カンクロウの指先に合わせて宙を泳ぐ。
重たそうな見た目に反し、身を翻させる重みは軽い。回転時に自然と重心が偏る動きに、なるほど、これが空を切らせる工夫らしいと感心する。
ふんふんと傀儡を遊ばせるカンクロウを、しかし青年は馬鹿にしたようにハッと笑った。
「ま、機能なんざ説明して見せた所で、見て盗めるもの以上の意味はねぇんだがな」
「え?」
「当然だ。それだけ巧みな操演者だろうと、製作者には敵わねえ」
青年が【烏】の輪郭をなぞり、口端を片方だけ持ち上げる。貼られた蠍を象るラベルが、青年に応えるように光を受けた。
作り手以上に傀儡の作り込みを知るものはいないのだから、それ以上の操り手はいない。
優れた傀儡師とされる者は往々にして傀儡作りの名手でもあるし、言われてみれば当然の話ではあるのだ。
実に論理的で、文句のつけようもない事実である。事実であるとは、思うのだが。
「……でも、そんなのは寂しいじゃん」
「寂しい?」
カンクロウが零した言葉に、青年は怪訝そうな顔をする。カンクロウは【山椒魚】を引き寄せて、周囲を見回した。
積み重なった【ガラクタ】の山。朽ち果てるのを待つばかりの傀儡達が、積み重なって打ち捨てられている。主人が死んだか、或いは必要ないと捨てられたか。
その中に向けて、カンクロウはツイと五本のチャクラ糸を伸ばす。
「そらっ」
降り立った毒々しい彩色の蜘蛛は、辿々しい動きでステップを踏んだ。関節の動きは拙く、青年の言う通り作り手ほどの操演は叶わないだろう。
けれど。
「作り手以上に傀儡を理解できるやつなんかいねぇだろうけどさ……作り手が居なくなった後だって、たった一人、少しでもそれを理解出来る操り手が居たんなら、【ガラクタ】だって傀儡に戻れるじゃん」
「………」
「それを、意味無いって言っちまうのは、寂しいだろ……」
そう続けたカンクロウに、青年は眉を寄せた。
カンクロウとて、青年が言うことの正当性は理解している。青年の戯れめいた教えは、しかし大戦を戦い抜いた者特有の具体性を帯びていて、強く在るには最も効率的な方法なのだと言うことも。
カンクロウは戦線が膠着し始めた大戦末期の生まれだ。きっと正しく生を望まれた姉や、成功作である弟とは違う。強兵を狙って『掛け合わされた』父と母の子供としては不十分な、『要らない子供』だ。
打ち捨てられた傀儡達には親近感があった。けれどもそれ以上に、ここは寂しい場所だ。この寂しい場所のガラクタを、カンクロウは必要なものなのだと証明したかった。
……己もまた必要とされているのだと、信じたかった。
「………」
黙り込むカンクロウを、青年の鈍い眼差しが貫く。昏い昏いその瞳は、遠い過去を思い出すかのように細められていた。
不意に、ポンと何かが頭に乗る。慣れない感覚に思わずビクついて、カンクロウは驚きのまま固まった。俯いた視線の先に、青年の鋼の腕が映り込む。
「な、んだよ」
「……いや」
馬鹿にするようでいて、驚くほどに穏やかな声。ふとした瞬間みせる青年のその眼差しに、どうしようもなくむず痒くなる。
カンクロウの頭から生身の腕を下ろして、青年がフッと口元を緩めた。それから軽やかな動作でその指を動かすと、【女郎蜘蛛】の制御をいとも容易く奪い取り。
「そういう生意気は、もっと巧くなってから言うんだな」
「いっ、言われなくても分かってるっての!!!」
ガッ!と怒鳴ったカンクロウを、うるせえ、と青年が一蹴。次の瞬間その柔な表情は霧散し、常日頃のつまらなそうな仏頂面へと切り替わる。
「あァ、こういう小型の傀儡に関してだが……」
今のやりとりなどまるで無かったかのように再開した『講義』に、カンクロウは呆気に取られた。しかし直様集中は戻り、意識するまでもなく青年の話に聞き入り始める。
けれども、何故か。不思議と胸が温かいような気がした。
「カンクロウ、お前ここ最近機嫌が良いな。どうした、何か良いことでもあったのか?」
「ん゛っ、ゴホッ!」
モグモグと口一杯に食事を詰め込む姉が、なんてことはないように言った。丁度干し豆を飲み込もうとしていたカンクロウは思わず蒸せる。
「? おいどうした、変なところに入ったか?」
「や、へ、平気、じゃん……」
「カンクロウ様、お水です」
ごほ、ごほ、と気管に入った豆に苦しんでいると、叔父である夜叉丸が優しく背中を撫でてくれる。その手の優しさにぎこちないものを感じながら、どうにか口の中のものを飲み込んだ。
目の端に浮いた涙を拭い、少し考えを纏めたのち、カンクロウはゆっくりと声が震えないように口を開く。
テマリはともかく、夜叉丸には嘘が付けない。幼い頃から知られているからか、或いは取得している技能なのか、夜叉丸は嘘を見抜いてしまうからだ。
「良い感じの傀儡が思いついたんだ。さっき描き終わったから、姉ちゃんにも後で見せてやるよ」
「やっぱり傀儡か……私はいい」
「カンクロウ様、私には後で見せて頂けますか?」
「おうよ!」
呆れ顔の姉の言葉と、慈しみに溢れた叔父の声に、カンクロウは安堵しながらニッと笑う。事実今日考えた『蜘蛛型』の傀儡は、これまでのどんな案より実現性が高そうに思われた。
「あー、オレも早く修行してぇなぁ」
溢れた本心からの声に、あと2年も無いさ、と姉が笑う。鉄扇を握り始めた姉の指は、すっかり戦う者の硬さになっていた。
「私は、まだ早いと思いますが……」
姉の力強い励ましとは対照的に、叔父は寂しそうに眉を下げる。その表情は、写真でしか知らない母の表情にそっくりだ。
母を覚えている姉が黙り込み、茶碗に口を付けて米をかっこんだ。更に困り顔をする叔父。カンクロウはわざとらしく口を尖らせる。
「…姉ちゃん、最近ちょっと食い過ぎじゃねえ?」
「はぁ?」
成長期と修行による疲弊で、姉は本当によく食べるようになった。カンクロウはそれに託けて、努めて能天気な声で姉を揶揄う。
姉は短気にそれに食ってかかり、優しく叔父が窘めた。カンクロウはしらっとした顔で笑って、しばしの団欒を楽しむ。
この狭い塔の中で完結した、しかし致命的に欠けた家族。それだけを、かつては世界の全てだと思っていた。
そんなことを信じていられるほど、もう子供ではないけれど。
「………」
ふと、カンクロウは空っぽの二つの席を見た。
上座の席には埃がつもり、下座の席には人が座ったことはない。少なくとも、カンクロウの記憶の限りでは。
「夜叉丸。親父、忙しそうだな」
「……ええ。風影就任も迫っておりますから」
「我愛羅は?」
何にとも、何をとも、カンクロウは言わなかった。叔父は痛みを堪えるような優しい顔をして、姉の子どもたちを安心させようとする。
「……きっと、近い内に」
カンクロウは姉を見つめた。テマリもまた、弟を見つめていた。恐怖と罪悪感が、二人の言葉を押し流してしまう。
にぃさま、と小さな声が聞こえた気がして、カンクロウはグッと拳を握りしめる。
早く、第4倉庫に行きたかった。傀儡と無機質な青年は、カンクロウの心の支えになっていた。
次の日。
「お前、明日は来るな」
「え」
青年の言葉に困惑し……心のどこか納得する。
この日々にも、終わりが来たのだ。カンクロウは唇を噛み締め、頷いた。
確実に追記修正するけど許して
評価感想有り難う御座います……