木偶に息 作:百合に
「あ、」
「どうした、カンクロウ!」
ブチ、と小指に絡めた糸が切れた。丁度第二関節の辺り、三本目に張ったチャクラ糸だ。唐突に手元を気にした弟に、風遁で梢を蹴散らしたテマリが厳しい声を投げる。
焦燥するテマリに不安要素を告げたくはないが、流石に黙っている訳にもいかない。カンクロウは端的に言った。
「糸が切れた。森入ってから600m辺りの場所のだ」
「糸の長さの限界じゃないのか。或いは野生動物か」
「野生動物はともかく、糸の限界は有り得ねえよ。二本目はまだ切れてねえんだ」
そう言った途端に四本目が切れた。カンクロウは顔色を変える。
「800mも切れた。手応えが野生動物のソレじゃねえ。追われてる」
「ッ、」
「テマリ、我愛羅を」
テマリが鉄扇を背負い直し、カンクロウから我愛羅を受け取る。我愛羅は僅かに眉間の皺を深くしたが、未だぐったりと脱力したままだ。
五本目が切れた。残りは400mばかり。途轍もない勢いでこちらを追跡する誰かがいる。
カンクロウ達が意識のない我愛羅という重荷を抱えていること、地の利は当然木ノ葉にあることを鑑みても、そのスピードは尋常ではない。
脳裏には自然と、我愛羅と相対した漆黒の少年の姿が浮かぶ。
「……カンクロウ、必ず追えよ」
「分かってるじゃん」
駆け出したテマリに背を向け、息を吐いた。
巻物を取り出し、クナイで切った血を落とす。現れた硬質な無機物は、カンクロウに応えるように頭を垂れる。
六本目。術者に近づく程太くなるトラップだ、恐らく糸に気づかれた。第一関節に絡めたチャクラ糸が、わざとらしく燃やされる。
七本目。それがわずかに攣った瞬間、カンクロウはグイと手元を手繰った。
【傀儡の術】
「【烏】ッ!」
カンクロウの最も信頼する傑作が、暗器の腕を振り上げる。それと同時、現れた少年は、巧みな手裏剣術でもってその軌道を逸らした。
視線が交差する。その昏い眼光に、カンクロウは覚えがあった。
我愛羅だ。奴は我愛羅と同じだ。灼熱の如き憎悪と戦闘意欲が、その根底に蔓延っている。我愛羅の内に眠る衝動は同じものとの重力で活性化し、そして宿主を駆り立てた。
「うちはサスケ……スカしてみせても、所詮はガキだな!力を誇示したいのが透けて見えるじゃんよ!」
我愛羅とうちはサスケを繋ぐ黒い縁が見えた気がして、カンクロウはゾッとする。しかし冷や汗をかきながら、それでも眼の前の少年に凄んでみせた。
面の上に施した化粧は、傀儡師の伝統的な装いだ。古臭いしきたりに則った服装は、カンクロウを守る何よりも心強い仮面となる。
虚仮威しは脅迫に、過剰演技はわざとらしさに、ハッタリさえもブラフへと。砂の傀儡師・カンクロウは、愚かな子供の失策を嘲る。
「奇襲を仕掛けたいなら、糸に気づいた時点で触るべきじゃなかったなァ!お陰で待ち構えさせて貰ったぜ!」
「……奇襲?そんなもんは必要ねえよ」
対して涼やかな美少年は、片眉をクイとわざとらしく上げた。こちらも冷や汗、しかし上がる口端は、好戦的な色を隠し切れていない。
「正面からテメーを倒せばいいだけの話だ!」
「やれるもんならやってみやがれッ!」
木ノ葉隠れの外れの森、子供達が繰り広げた戦争は、こうして幕を上げたのである。
うちはサスケには、なるほど、確かに類稀なる戦闘センスがあるのだろう。正確に傀儡とカンクロウの間に割り込み、傀儡術の弱点である近接戦に持ち込もうとする。
だが、そんな当たり前の対応策が、傀儡師に予想出来ていないわけがないのだ。
「!?」
【烏】の後ろを取った少年、しかしその踏み込みがトリガーとなり、枝葉に絡められた糸が切れる。
寸分違わず頭部を狙った毒霧は火遁で霧散したが、詰められた距離はとっくに引き離した後だ。
カンクロウとうちはサスケを隔てるのは、避ける必要もないような些細な捲き菱。しかし彼が天性の“勘”で後方に飛んだ瞬間、鉄片が食い込んだ土煙に紛れて、起爆札が炸裂した。
破片が頭を庇う腕を傷つけ、鮮血が飛ぶ。軽傷未満のかすり傷に、うちはサスケは舌打ちした。
「ッ……鬱陶しい……!」
「ハッ、偉そうな物言いじゃん。コレが傀儡師の戦い方だぜ?」
卑怯で姑息で何が悪い。カンクロウはほくそ笑む。どうやらこの天才少年は、搦手との対戦経験が極めて浅いようである。
なまじ力押しで敵を捩じ伏せてこれたせいだろう。こういう幼さの見える慢心は、我愛羅も同じく抱えるもの。しかしうちはサスケには…‥容赦の無さが足りないのだ。
殺す気で来られれば、カンクロウはこの才能の塊に食いつく程の馬力を持たない。
けれど奴がカンクロウを舐めてかかり……我愛羅との戦いの為の『余裕』を残そうとしているからこそ、うちはサスケは逆に消耗する羽目になっているのだ。
「これだけ侮ってもらえるとはな。黒子冥利に尽きるってモンじゃんよ」
カンクロウの役割は時間稼ぎ。後で追うとは言ったものの、例え命を投げ捨ててでも、姉弟への追手を留める使命がある。
死をも厭わぬ『捨て石』と、敵を“前座”と断じる甘ちゃんでは、この戦いに懸けている重みが違うのだ。
「オレは、こんな所で足踏みしてる場合じゃねーんだ……!」
「ッ……へえ。ようやく本領発揮って訳かよ?」
クナイをにぎり直したうちはサスケ、その瞳が赤く染まる。こんな所呼ばわりされたカンクロウは、しかしニンマリと笑い、だくだくとなった冷や汗を拭った。
「ま、大人しくやられる気とか、あるわけねえじゃんッ!?」
「チッ……邪魔だ!」
糸を一本口に咥え、もう片方を【烏】へと引っ掛ける。木々の中を縦横無尽に飛び回る【烏】の軌道は、張り巡らせた糸で蜘蛛の巣の如き様相を作り、罠を見切ろうとする写輪眼を阻害した。
うちはサスケは、それでも的確にチャクラ糸を断っていく。しかしその全てが、【烏】と直接繋がっていないダミーの糸だ。
それどころか吊り下げられていた千本が束となって落ち、回避の為の一瞬の停滞が生まれる。
カンクロウはその隙に本命の糸を手繰り寄せ、無防備な団扇の紋所に、毒付きの手裏剣を放とうと───
「なッ………!?」
カクン、と手元が軽くなる。【烏】の重みを確かに感じていた左手人差し指と中指が、予想していた反動を受けずに仰反った。
糸が断たれた。正確に、【烏】との繋がりを狙われた。思わず硬直するカンクロウの耳元で、ぶうん、と羽虫が鳴る。
体勢を立て直したうちはサスケが、ニヒルに口元を歪ませた。
「……おせーよ、シノ」
「無茶を、言うな……お前が速すぎるんだ、サスケ……」
その声が投げられた先、存在感もなく木陰に佇んでいた少年が、荒んだ息を落ち着かせながら地に降り立つ。
カンクロウは思わず襟の虫を叩き潰し、ギリと奥歯を噛み締めた。
シノ……油女シノ。木ノ葉の油女一族といえば、忍界随一の蟲使いだ。そうだ、どうして気が付かなかった。
「会場で、オレはお前の背負ったソレに蟲を紛れ込ませた……なぜならば、お前とその仲間が妙な会話をしているのを聞いたからだ……」
カンクロウに雌の蟲を付け、ほぼ無臭のその匂いを雄の蟲で辿る。たとえ途中で逸れ・或いは潰されたとしても、匂いは対象に染みついたままだ。
なるほど、蟲の匂いなど人間に嗅ぎ取れるはずはない。淡々とした語り口で追跡の手法を明かされ、苦々しさを噛み砕く。
第一試験で問われる真の適正。気取られないからこその諜報を、油女シノは見事に成し遂げた。
「…ククク……」
「!」
……駄目だ。冷静になれ。カンクロウは懐から巻物を取り出し、見せつけるようにそれを広げる。うちはサスケに先行を促していたその会話を、行動でもって遮ってやる。
表情はまだ繕えていない。巻物で顔を隠して俯き、不気味に聞こえるよう『笑い声』もオマケした。
「……オレを追えたカラクリは分かった、が……テメーらも所詮はガキだな。まだモノを知らねえらしい」
「なんだと?」
「傀儡術ってのは元々、兵力で他国に劣る砂隠れが劣兵で大軍と渡り合うために開発した術……一対多こそ、本来の使い方じゃん」
巻物は中身はまっさらだ。なにせ、口寄せはもうしてある。空のそれを投げ捨てて、右の五指から糸を伸ばす。
木々に紛して隠した異形【黒蟻】が、チャクラ糸に応えて姿を現した。カンクロウは脅しつけるように【黒蟻】の仕込みを開き、四本の刃を煌めかせて牽制する。
切られた【烏】との繋がりを結び直し、機動の早い【黒蟻】の後方へと並べ直す。
仕切り直しだ。
「2:2だ!ガキ二人程度、オレだけで片付けてやんよ!」
「……気にするな。お前は行け、サスケ。あんなものは挑発だ」
「だが……」
「まだそんなこと言ってんのか?トーナメント戦の相手なんざ、知ったこっちゃねーじゃん!こっちは遊びじゃねえ、戦争なんだよ!」
10分保てば良い方だろう。強気な態度に反して、カンクロウは内心で考えた。
理想は毒煙で諸共昏倒させることだが、うちはサスケが引っかかるとは思いがたい。果たしてそれまでに、テマリ達は別働隊に合流できるか。
うちはサスケなら、油女シノが囮に徹する間に離脱することも可能だろう。
しかしカンクロウが残虐な行為を行う覚悟を見せつけたからか、奴は仲間をおいて一人離脱することを躊躇っているようだった。
「おいおい、お喋りしてる暇があんのかよ?ま、オレはそっちの方が都合が良いし、構わねーけどよ!」
「チッ……とことんウザい奴だ、テメーはよ……!」
「サスケ、乗るな……!」
甘いことだ、と思う。木ノ葉の連中は、それが罷り通る環境で育ってきたのだ。
手段を選べないカンクロウにとっては、それこそ都合が良いというもの。
【傀儡の術】
身構えた幼い木ノ葉の忍び達に、柏手を打って両掌を合わせる。印としての意味合いは持たないその構えは、傀儡を操る意気込みのようなものだ。
両手に糸を付けられて、手ずからカラクリの操り方を教わった。あの日の倣いが、強ばる体を解きほぐす。
初めは『あの人』を真似た仕草が、傀儡を繋ぐ指を軽くする。
初戦の熱を逃さぬままに、第二戦、開幕。
「カンクロウ……!」
遠くから聞こえる戦闘の音に、テマリはグッと唇を噛む。
カンクロウが劇場型に振る舞うのは、大概が余裕の無さの表れだ。会場でのあの一瞬から、弟は妙に焦燥していた。
かと言って、今のテマリにどうすることもできない。今はただ、我愛羅を逃すだけで精一杯なのだ。
走って走って、しかしそう距離を稼げた気はしない。弟が軽々と背負っていた我愛羅は、思っていた以上に重たかった。
男女の性差を不甲斐なく思う余裕もなく、テマリはゼエと息を吐き……
「!」
「……降ろせ、テマリ……」
ピクッ、と背負った我愛羅が身動ぎする。テマリは風遁で適当な枝を払い、チャクラコントロールで幹へと着地した。
言葉に従い降ろした我愛羅は、しかし蹲って頭を抱える。時折漏らす苦悶の声は、ナニカと重なったかのように二重だった。
「くっ……ウウウ……!」
その肌の内が波打つ。血走った目が釣り上がる。頬には黒く亀裂が走り、食いしばった歯から野犬のように唾液が漏れ出る。
カタカタと音を鳴らしているのは、背負った瓢箪に嵌められた蓋だ。それが上下からの圧力で微弱に振動し、不穏な気配を強調している。
己の呻き声にさえ堪え兼ねるとでも言うように、我愛羅がこめかみを抑えて身を捩った。
「我愛羅ッ、」
「テマリ……離れろ」
「えっ」
「邪魔だ……!」
その小さな体では本来あり得ない怪力で突き飛ばされ、テマリは向かいの木々に向けて吹き飛んだ。どうにか落ちはすまいと木肌に張り付くも、受け身が取れずに衝突する。
肺から強引に押し出された息を整えながら、テマリは慌てて我愛羅の姿を探した。
仰いだそこに、末の弟の小さすぎる姿が見える。
「ウ、ア、アアア、」
我愛羅の体が奇妙に痙攣する。砂の腕が顕現する。
そして我愛羅は……カクンと、【眠った】。
三下感と少年漫画感をひとつまみ……ひとつまみ……よし……ふ……筆が乗った……!