雲・つかみ放題   作:イカ爆弾

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猫舌

 キングちゃんに励まされて次の日、それでもトレーナーさんが言ったことを問い詰めなくては、と意気込んでトレーナー室に向かった私を待っていたのは、

「えっ、そんなことで悩んでたんですか?」

という感想だった。

「まあ、そうは言っても僕はまだ2人しか担当を持ったことのない新米トレーナーだからね」

「……トレーナーさん、セイちゃんそれも初耳ですよ?」

どちらかというと納得はできる。初めて担当した娘をG1ウマ娘どころか重賞ウマ娘にもできなくて、今の所私があの娘と同じような道を歩んでいるから、将来もそうなってしまうんじゃないかと過剰に怖がっているらしい。

「トレーナーさん」

「……」

「私を見くびりすぎ。私の強さはトレーナーさんもよーく分かってるでしょ?」

「……うん、君は強い。弥生賞ではスペシャルウィークさんに負けたとはいえあのキングヘイローさんに4バ身差付けて先着したんだし、それでなくとも……君のスタミナはすごい」

でも、だからこそ、とトレーナーさんが続ける。

「僕は、君の強さを……君をもっと強くしてやれない。才能が無いのは僕なんだよ」

「だーかーらー、トレーナーさんは心配しすぎなんですって」

私にとっては心配どころか一瞬でも気にかける必要のないことを、トレーナーさんは随分延々と気にするな、と思った。トレーナーさんは黙って今まで通りに私にトレーニングメニューを考えてきて、私は私で秘密のトレーニングをする、そういう形でやっていけば、まず間違いなく一度や二度ぐらいのG1には……少なくとも重賞には絶対に手が届く。私がそう確信しているのだから、私の担当のトレーナーさんにもそれを確信させる必要がある。でも、今日は平行線みたい。

「……うーん、すまん、今日はトレーニングプランを練り直さないといけないから、トレーニングはナシで。本当は昨日までに終わらせておくべきだったんだけどね」

「はーい、じゃあ私はお昼寝でもしにいきますかね、っと……ふわぁ」

昨日の私がキングちゃんに発破をかけられるまで塞ぎ込んでいたように、きっとトレーナーさんにもだれか声をかけてくれる人がいるだろうし、それで時間が解決してくれるだろう。なんとなく秘密の練習場まで行く気にならず、やっぱり折り合わないままのトレーナーさんと同じ部屋で堂々とお昼寝をするのも気が引けて、またトレーナー室のソファは主にお昼寝される機会を逃したな、と思った。ソファの方も多分寂しがっていることだろう。

 昼寝をして、スペちゃんをからかって、グラスちゃんから逃げて、授業をサボったりしながら数日が経ったある日、私はトレーナーさんに対する見込みが完全に甘かったことを思い知らされることになってしまった。

あれから一度もトレーナーさんとは会っていなかったけど、どうやらトレーナーさんはよっぽど私の足に自信がないらしく、私の専属トレーナー解除の提案をしてきた、とトレセン学園を通じて知った。

トレセン学園のシステムでは、ウマ娘側は自由にトレーナーとの契約を解除できるけれど、トレーナー側は競争能力喪失などの例外を除けば解除を提案することしかできない。基本的にはトレーナーが付いていたほうがウマ娘にとって利益だからだ。だから私が解除の提案に乗れば私はトレーナーなしのウマ娘に戻るし、トレーナーさんも私のトレーナーさんではなくなる。

私がフリーになったとすれば、私はいくらでも専属トレーナー候補を選べる立場に立てるだろう。なんてったってスペちゃんの恐ろしい末脚に惜しくも負かされて弥生賞2着だ。自分で言うのもなんだけど、並のウマ娘ではない。

ただ、そうして選んだトレーナーが今のトレーナーさん並に私の自由を尊重してくれるかはわからないし、いい感じに私の秘密練習で足りないところや付いてしまった変な癖を補うようなトレーニングメニューを考えてくれるかは……結構怪しいところだと思う。だからとそれですぐ担当契約を解除したとなれば、私は晴れて気性難ウマ娘軍団の仲間入りだ。その時は今度こそ重賞ウマ娘ですらない私はトレーナーを失って、スペちゃんやキングちゃんの輝きからすればすっかり褪せたものになってしまうだろう。今度こそ本当にトレーナーさんの言うとおりに重賞未勝利のまま現役を終える羽目になってしまうかもしれない。そういうことを考えると、トレーナーさんからの解除提案は蹴る以外の選択肢は無い。

「……トレーナーさんへの説明はこのぐらいで十分かな」

理屈付けしなくても、私は最初からトレーナーさんとの契約解除なんて選択肢に入れていなかった。ベンチに座って、傍から見れば眠りこけているみたいになにかを考えるのは、普段の悪巧みとかなら楽しいのに、今はなんとなく落ち着かないし寒いしで、すぐに温かい部屋に逃げ込んでしまいたかった。……けれど、今逃げ込む先は無い。今からトレーナー室に行って、すっかり表面的には理屈で糊塗されているようだけど、実際的には私がトレーナーさんを信頼しているということを告白しに行かなければいけないのだった。私としたことが不覚……!と額をぺちんと叩くと、足元にいつのまにか猫が来てこちらを見ていた。頬が赤くなっていたのは寒いからだと思う。

 ががりがりとトレーナー室の扉を開く。すこし錆びついてきている。あとでトレーナーさんに蝋でも塗らせよう。そのトレーナーさんは私の顔を見るなり少し眉尻を下げて口を開きかけ、すぐに口だけは笑顔になった。

私が担当解除に同意したのなら、それは学園経由でトレーナーさんの方に伝えられる。同意する、というよりは手続きとしては私がトレーナーさんとの契約を一方的に解除した、という形式になるからだ。解除の理由が種々のハラスメントだったりした場合にウマ娘とトレーナーを対面させるのは酷だ、という嘆願を聞き入れた現学園長がその制度にした……という感じだったと思う。もっと細かく授業で説明していたはずだけど、ほとんど覚えていなかった。そんなことより。

「トレーナーさん、セイちゃんは今怒っています。何でだかわかりますか?」

「……担当解除の話だろう」

「そう!トレーナーさん、私にとってトレーナー解除の意味することが何か、わかってないとは言わせませんよ。まず、……」

こんこんと、さっきでっちあげ……もとい、考察した『大人気ウマ娘のセイちゃんがフリーになったら起こること』を説明した。

「……で、だからトレーナーさんはまだ私の専属トレーナーでなくちゃいけないんですよ。それともセイちゃんを競争ウマ娘としての露頭に迷わせたくてしょうがなくて、セイちゃんに担当契約の解除を迫ってやる!って魂胆なんですか?」

「そんなわけあるか。……は~ぁ」

ちょっと過剰に言い過ぎた気もするけれど、トレーナーさんに聞き分けが無いのが悪いのでしょうがない。それに、私の本心を言ってしまわないことも、トレーナーさんに私の専属トレーナーとして心を決めてもらうことと同じぐらい大事だったから。

「そこまで言うなら、多少は言うことを聞いてもらうことになるけど……まず、独自にやってるトレーニングを全部白状してね」

「……トレーナーさんは、ちゃんと私の専属になってくれますか?」

「なるなる。なるよ、なるから……そのために、これまでみたいに責任を半分セイウンスカイに押し付けるみたいなことはできないんだ」

「……ほんとですか」

喜び半分、驚き半分といった気持ちだった。秘密の練習のことを勢いで口走ってしまっていたことに気づいたのは今さっきトレーナーさんに白状しろと言われたからで、ずっと秘密にしておくつもりだったのだけど、それでトレーナーさんがどういうわけか覚悟を決めてくれたらしい。

「これで、未だ重賞未勝利のウマ娘セイウンスカイの競走成績は私の能力如何になったわけだ。後悔してももう遅いからね」

「いやいや、私の足を見くびってますね?なんなら誰もトレーナーが付いてなくてもG3ぐらいならセイちゃんは取っちゃいますよ?」

「はいはい、じゃ、トレーニングのことを洗いざらい吐いて。メモ取るから」

まあいいか。観念して1から10までトレーナーさんに報告をする風に、5ぐらいまでだけを話す。別にトレーナーさんが本気でトレーニングをしてくれるなら、残りの5の部分は不必要な部分になるはず。5分ぐらい話を続けて、うーんもう言うこと無いかな……とちょっと演技をしてから、

「そうそう、部屋の扉のところにロウソク塗っておいて」

と言ってトレーナーさんとの話を打ち切った。半分本心だけど。トレーナー室に来るたびにあの嫌な音を聞くことになるのは……ちょっと勘弁して欲しいかな。

 トレーナーさんとの話も終わらせて、なんとなく、やることも無いけどソファに座って、温まった部屋で人心地つく。もっと春めいてくれば、外のベンチに座っても日があたって心地よくなってくるだろうけど、まだ寒い。猫ちゃんの暖かさを頼みにするのは外したときが嫌なので、結局トレーナーさんを横目にぼーっとしている。もともと居心地よくてこの部屋に居着いていたんだし、別にトレーナーさんがいてもそれは変わらない、と思う。

 うつらうつらしながら、だんだんと睡魔が意識を侵食していくのを感じた。船を漕いで、一瞬眠っていたことに気がついて、体をソファに横たえた。寝ようと思えば3秒もあれば眠ってしまえたから、こんなにゆっくりと眠りに落ちていくのは久々で、もしや相当無防備な姿をトレーナーさんの前に置いてたんじゃ、と思ったときに鼻腔をローズの香りがこすり、まぶたの向こう側の光は感じられなくなった。

 

「…………なに綺……芦毛…………のに…………」

丸まって寝ていたときに、私は頭を撫でられる感触とトレーナーさんの声を感じて目が覚めた。撫でているのもトレーナーさんだ。私の姿が見下ろせる。全身青白の毛を生やした、かわいい猫ちゃん。私は一旦起き上がって背筋をうにーっと山なりに伸ばして、あんまり伸びた気もしなかったけど、よく背が上がっていたことに満足して足を折りたたんで座った。ちょっとの間止まっていたトレーナーさんの手がまた動き出す。

「か……そうに……」

トレーナーさんの言うことがよく聞こえない。それに、頭しか撫でてくれない。猫ちゃんの首筋やあご、背中も撫でてくれないなんて猫愛での基礎もなってない、と思った。

「……僕の担当………………て………………勝て……なる……」

頭を撫でてくれるのは気持ちいいから良しとしよう。なー、と鳴いてもっと別の場所も撫でろと要求したつもりが、口は開いたのに声が聞こえなかった。

「……な芦……さえ…………なあ」

そして、何やらぶつぶつ言っていたトレーナーさんの撫でる手は、そのトレーナーさんごと気づくと雲散霧消してしまっていた。しょうがない。猫ちゃんの私が気まぐれなように、世界もたぶん気まぐれなんだろう。立ち上がって、四本の脚を交互に出してどこかへお散歩でもしにいこう。また私が背を山にするように伸びをするのが見えた。

 

 何の香りもしない。丸まっていた私に温められた空気よりもだいぶ冷たい空気が顔に当たる。昼寝から目が覚めた。珍しく寝覚めがすごく良くて、髪にちょっと癖が付いたような感覚がある。服にも皺を付けちゃっただろうな。それから……トレーナーさんを夢に見た、気がする。夢の内容はさっぱり覚えてないけど、トレーナーさんの声を聞いた気がする。

「ん、おはよう」

そのトレーナーさんの声が聞こえた。たぶん、同じ声。

「おはよーございまーす……」

トレーナーさんは机向かっていて、机の上には線香みたいに煙を出す、多分消されたキャンドル、があった。それを見ると、かすかに燃え残りの匂いがするように思えた。

「あれ、トレーナーさんはまだお仕事中……?」

「うん、まあ……すまないね、完全に契約解除のつもりでやってなかった仕事が溜まってて……」

それでもトレーニングプランはもうできてるよ、とトレーナーさんは私を手招きした。

「印刷はまだだけど、とりあえず画面に映ってる分がほぼ完成版の予定。もし嫌なところがあれば変えられるけど」

「トレーナーさんにおまかせしますよー。それに、私がトレーニング中に嫌だって言い出してもトレーナーさんならちゃんと対応できるでしょ?」

寝起きだから文を読みたくなかっただけだけど、無茶振りを受けたトレーナーさんは一応笑ってはいた。乾いた笑いに聞こえたけども。

「それじゃあ、セイちゃんは釣りをしたい気分なのでこのへんでお暇させていただきますよ」

「あ、そう?……えーと、門限までには帰ってきてね。てっきりトレーニングするもんだと思ってたよ」

釣りは方便で、トレーニングをしにいくのは本当だけど。

「にゃはは、トレーナーさんは私の本性がサボり魔ってことを忘れてますね?」

トレーナーさんにも隠して、スペちゃんにもキングちゃんにも勝つために、秘密の練習は続けなくちゃいけない。

「敵を騙すにはまず味方から、ってね」

トレーナーさんの苦笑を尻目に扉を勢いよく開けたところ錆びついた嫌な音も勢いよく鳴って、

「もう、トレーナーさん扉になにかやっといてって言ったじゃないですか!」

と、耳を後ろに倒して言うことになってしまった。

 

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