雲・つかみ放題   作:イカ爆弾

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光あれ

「えっ?」

釣りとレースを同じだと思ってみないか。私のその発言に、セイウンスカイは鳩が豆鉄砲を食ったような顔をした。

「レースも走れば勝てる、ってわけじゃないことは分かってると思う。でも、仕掛けるタイミング、レース中の位置取り、息の付き方とか。そういった戦術はたくさんある。そういったものが……君の言葉を借りるなら、ちょっとおかしいけど、『備えに備えた準備が』噛み合って勝てるようになれば、それはすごく、すごく楽しいと……思わないか」

 彼女にとって、走ることとはなんだったのだろうか。多くのトレセン学園に在籍するウマ娘と同じように、単純に「楽しいから」なんじゃないか。もし、何らかの理由で、その気持ち……レースが楽しい、という気持ちを失ってしまっていたのなら。そしてそれが理由でトレーニングを避け続けてきたのなら、トレーナーたる私にその気持ちを呼び起こす責務がある。……今の話だって頑張って即興で考えたものだし、私よりも能力のある先輩方ならもっと効率よく、もっと大規模にウマ娘の能力を引き出せるのだろう。今の私には、やる気を出させること、しかもそれも賭けじみた方法で、ということしかできない。

「にゃはは。お言葉はありがたいんですけど、私、そんな大したウマ娘じゃないんですよー。親がG1取ったーとか、あの有力ウマ娘に勝ったーとか、そういう話も無いでしょ?」

「……走るのは、嫌い?」

「……うーん…………嫌いではないし、むしろ好きだけど……」

そこで彼女は言葉に詰まった。彼女の表情は力ない。肩も少し落ちているように見える。……耳はぴんと立っている。

「ふとした瞬間に、思い知らされることってあるじゃないですか。ああ、あの娘はいわゆる天才で、私の凡才じゃ末脚のキレなんかまず届かないし、スタミナも位置取りのセンスも、なんなら筋肉とか、生まれ持った体も及ばないなーってとき。そう思ってると、レースのために頑張るよりもお昼寝したほうが良いってもんですよ」

今度は私の言葉が出なくなる番だった。もしかすると、私と同じなのかもしれない。エリートと呼ばれるだけの輝かしい才能があって、努力することもできたのに、それでも届かない。輝かしい陽の光にあてられて、熱にうかされ倒れてしまうように。もし私にもっと、もっと才能があれば――トレセンの先輩トレーナーに匹敵するか、上回っていくことができるような才能があれば、あの娘のレース人生をもっと、ずっと華やかなものにすることができただろう。私の現実は違った。では、セイウンスカイの現実は?

「……でも、君をレースで応援したいんだ」

あのキングヘイローに惜敗。そのレース結果が頭から離れない。まだ一度も走りを見たことは無いけれど、きっとセイウンスカイには恐ろしいほどの才能があると信じられる。恐ろしいほどの才能を持つウマ娘を半月のような暗い才能しか持たない私が担当するなど、と思うと末恐ろしい。しかし、エゴが勝った。私はトレーナーとして才能あるウマ娘――セイウンスカイを、その芦毛の跳ねるところを応援したいし、指導したかった。才能のある娘なら、きっと私の指導でも勝てて、私も赦されるような気がした。

「だから明日の模擬レース、走ってほしいんですか?」

心を読まれたのかと思った。赦すも赦さないも、まずは彼女の走りをこの目で見ないことにはどうしようもない。おそらくどこかでやっている自主トレーニングを見せてもらうこともできたが、欲を言えばより本番に近い環境の模擬レースのほうが当然良かった。彼女としても明日の模擬レースのことは頭にあっただろうけれどてっきり嫌がるものと思っていた。

「……そうだ。君の本気の走りを見て、トレーナーとして君を応援したい」

 その後、セイウンスカイは思っていたよりとても簡単に模擬レースへの出走を承諾してくれた。交換条件として、釣った魚の代わりに帰り際に買われた魚を煮物にしろとのお達しが出た。料理などあまりしないから食堂の方に頼ろうと思ったが、私が調理しないとやる気でなーい、などと彼女がのたまったので、包丁を握るのも1年ぶりなのにインターネット検索をしながらどうにかして煮物と言えそうな形のものを作り上げた。不味かった。川で話したときとは逆に、顔はニコニコしているのに耳が全く起き上がっていなくて面白かった。

 次の日、なんとセイウンスカイがトレーナー室に来た。模擬レース前に昼寝をしたく、私なら無用に起こしたりしないだろうから、ということだった。それと、君が君がと言われるとむず痒いのでスカイと呼んでくれ、とも。彼女がそれでいいならいいのだが、ウマ娘を名前の一部で呼ぶのはなんだか人を下の名前で呼ぶようでちょっとした躊躇がある。

 さて、彼女がこの部屋で寝るというならば、私にはその芦毛を見る権利ぐらいはあるのではないかと思う。……見ることは許されると思う。……少なくとも違法ではない、と思う。できれば芦毛を見ながら私も寝たかったが、悲しいかな雇われの身、日常業務はうなるほどある。なので芦毛を肴に業務をこなすことにした。

 時計の周期的な硬い音と暖房のホワイトノイズ、それから私がキーボードを叩く音、たまにペンを取って書く擦過音だけで部屋が満たされる、そういった瞬間が好きだ。その瞬間、その部屋は私の王国になっていて、私の自由は誰にも邪魔されない。いつもそうだから、今日もうっかり、そこには私の絶対王政があるものと思いこんで、今日だけ偶然にソファの上に乗っている芦毛を見ながら考え事をしてしまっていた。芦毛のすぐ下の目が開いていたことに気づくまで、何分かかったのかも分からない。気づいたとき、驚きのあまり椅子から立ち上がりかけてそのまま足に体重が乗らず椅子の上に転けたので、脇腹をしたたかに打ち付けてしまった。

「トレーナーさん、セイちゃんのことが好きだからって見すぎですよ?」

「おはよう、スカイ……」

「セクハラで訴えられても知らないよ~?」

もし本当にそうなったら自己弁護できないのでできれば冗談でとどめてほしい。

 そんなことよりそろそろ模擬レースの準備を始めるべき時間だ。そう言うと、露骨に話を変えたことに対してかしばらくあやしげな表情をしていたが、「じゅーんびっと……」と言ってソファから立ち上がった。

 ウォーミングアップで彼女が見せた肢体は力強かった。しなやかで、たしかに大地を蹴り、風を切っていた。やはり、彼女も勝ちたいのだ。私の川での彼女への発言は、いいとこ気持ちを思い出させた、再確認させた程度のものだろう。そうでなければ、明らかに自主練習を重ねてきたであろうその筋肉に、フォームに、その目に、説明が付かない。そして、少し変なクセが付いている。きっとこれも自主練習がもたらしたものだろう。独りで練習する時、自分を客観視することは難しい。非常に高速に走るウマ娘のトレーニングであれば尚更だ。トレーナーの役目にはそういったものを削いでウマ娘の走りをもっと効率的に良くすることも含まれている。模擬レースが終わったら新しいトレーニング案を作ろう。今度こそ、彼女も気に入ってくれるものができるだろう。

 周囲のトレーナーからの話が聞こえてくる。注目株の話だ。上がってくる名前でよく聞こえてくる名前は……スペシャルウィーク。G1で6勝したウマ娘を親に持ち、武器である末脚も非常に鋭い……つまり、下バ評では大本命とみなされているウマ娘だった。スペシャルウィークもまだセイウンスカイと同じようにメイクデビューを控えていて、今日がメイクデビュー前最後のレースになるだろうという情報も流れていた。すると、周囲がスペシャルウィークに注目する中一人だけセイウンスカイを見ることになりそうだ。……楽しく走って欲しいな。各ウマ娘のゲート入りが始まり、ざわめきがだんだんと高まっていった。

 裏切られた。彼女は私を裏切った。彼女に彼女の自称したような凡才なんてものは無かった。彼女とスペシャルウィークのレース展開は、序盤からセイウンスカイがスペシャルウィークを翻弄し続け、最後の最後にセイウンスカイが逃げ切れるかといったところでスペシャルウィークが差し、セイウンスカイは2着になったのだった。

 本当は私もウォーミングアップの段階で気づいていたのかもしれない。それどころか、ずっと前のキングヘイローとのレース結果でもう気づいていたはずだ。ある面ではキングヘイローと張り合うことのできる才能溢れるウマ娘として、ある面では天才に直面して絶望したウマ娘として、それぞれ都合の良いものを彼女に押し付けていただけだった。前者が正しくて、後者が誤り。それが分かっただけのはずなのに、私はひどく裏切られた気分になっていた。私は天才に絶望していたのに、彼女こそが天才だった。

 才の無いトレーナーが天才を指導したらどうなるのか、なんてことは特に難しい問題ではなく、単に才を潰すだけだ。その天才性に任せて重賞に勝利することぐらいはできるかもしれない。でも私は……彼女をG1に勝たせることはできない。そういった確信があった。もう3年もずっとそうだったのだから、彼女の才能を食いつぶして、光り輝くはずだった彼女のアスリート人生を凡百の存在に貶めてしまうに違いない。とてもとても恐ろしい、災害のようなことだ。それなのに、偶然に手の中に収まったその天才を――手放したくない。

この学園のトレーナーになってからというもの、私は化け物みたいな先輩トレーナーたちの才能に身を焼かれ続けていた。この学園に来るまでは私が焼く側だったのに。私にだって、才能がある、あるはずなのだ。だから、もう一度チャンスを。そう自分に言い訳をする。自分で言い訳だとわかっているのは、3年間の経験はあまりにも自分に才能が無いことをとっくのとうに証明しつくしていて、もはや追試の必要もまるで無かったからだ。少なくとも、トゥインクルシリーズで戦えるウマ娘を育成するための才能がないことはいくらでも明らかにされ放題だった。

 セイウンスカイが悔しそうにしているのが見えた。彼女もまた悔恨しているのだろう。私のそれよりもずっと希望に満ち溢れた悔恨を。私が近づいてもこちらに気づかなかったので声を掛けると、驚いたのかやたらと尻尾がぴんと伸びた。すぐに彼女は調子づいた口調に戻って、才能ないなりに頑張ったのでは、とか、いやーさすがスペちゃんは強い!とか言い出した。彼女に才能が無いなんて、私からすれば、もはや口が裂けても言えないのに。はじめから同じ立場になど立っていなかった。それを自覚すると私の気持ちは急速に凪いでいった。私が彼女に形式的なねぎらいの言葉をかけようとしたとき、気持ちはもう穏やかだった。彼女の芦毛は相変わらず綺麗だった。

 

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