雲・つかみ放題   作:イカ爆弾

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前へ、後ろへ

 年が明け、冬休みも明ければもうオープンまで2週間ほどしかない。休んでから追い込みを始める時間がある分有情だということではあるのだが、やはり間隔が狭いと感じる。それに今の私はとても焦っている。今すぐセイウンスカイを走らせて、最強無敵のG1ウマ娘に仕立て上げてやりたい。そう思っている理由は、このオープンに出走するウマ娘のリストを見て仰天したからだった。出走するウマ娘に、重賞ウマ娘がいる。G3とはいえ、普通はオープンに初出走するようなウマ娘は相手にならない。しかもG2にも出走して3着をももぎ取っている。完全にオーバーキルだ。さらに読み進めると、G2の方の1着の欄に見知った名前が書いてあることにも気が付いて、私の顔は完全に硬直してしまった。

 セイウンスカイがG1に勝てる脚をも持っていると信じているからこそ、私の方もたかがG3など、と侮ることもできただろう。くだんのG2の一着の欄にあったのは「グラスワンダー」の文字。セイウンスカイの友人であり、ライバルだ。そしてセイウンスカイは友人らを全員下せるだけの実力がある、と少なくとも私は信じている。グラスワンダーにも勝つ、ならば――このオープンを、絶対に勝たなければいけない。

 気が急くだけ急いて、しかしこういう日に限ってセイウンスカイの姿が見えなかった。冬休みの間は毎日のように彼女がトレーナー室まで来ていたものだから、今日、冬休みが明けた初日も当然来るものと思っていた。しかし待てど暮らせど扉は開かない。廊下を歩く足音を聞きつけては、すぐに彼女の足音ではないと気づいて少し落ち込んだりしていた。

 無論、彼女のサボり癖は知っていたはずだし、彼女は一日練習を怠ったぐらいで勝ちを逃すような脚は持っていない。どちらかというと、やはり私が彼女の力を目の当たりにして、圧倒されることで安心したかった。彼女が走っているのを見ている限り、私の力不足なんて最初から無かったかのように思えてくるし、むしろ私だって多少は成長してきたのだろう。そう思わせる力が彼女にはあった。

 椅子から立ち上がり、十分に温められた部屋から立ち去るためにコートを羽織る。探しに行くと言っても、あては彼女のトレーナーになったばかりのときに偶然彼女を探し当てたきりの、あの川辺ぐらいしかない。晩秋のあの時ですら寒風がどんどんと吹き付けていたのだから今の時期にあの時と同じように釣りなんかやっていたら、彼女の肌は真っ赤になってしまうだろう。髪の毛の薄青とのツートンカラーが映えるかもしれない。何にせよ寒すぎるから、おそらくいないだろうとは思っても、行ってみるよりほかになかった。

 少し山の方とはいえ都内で、しかも駅からすぐそこの幹線道路ともなれば、歩道に積もった雪であってもあっという間に脇にのけられてしまい、そこを踏みしめる感触を楽しむこともできない。そう思ったとて、コンクリートの地面を踏む感触を気にすることはない。寒さが堪えるのでせかせかと歩いていたら、すぐに川岸までたどり着いてしまった。予想に反して無風だったが、だからといって芯から冷えるこの空気の冷たさは何ら変わるものではなく、河川敷を見渡しても釣り人の姿は見えなかった。もちろん、セイウンスカイもいなかった。

 代わりに、全くの無風だというのに凧揚げをしようと見えるウマ娘の姿があった。そして近くに人間が一人。ウマ娘が飛ぶように走り始めると、凧は見る見るうちに高度を増して、まるで猛吹雪の中に翻弄されているかのようになった。足元が砂利だというのによくそんな安々と揚げられるな、と思って近づいてみると、そのウマ娘はスペシャルウィークだった。

「どうも、こんにちは」

スペシャルウィークはそのまま踵を返してはるか遠くに――といっても1000mも行っていないが――行ってしまったので、私はもう少し歩き、スペシャルウィークのトレーナーに話しかけに行った。

「おっ、よう、……えっと、誰だったか」

「セイウンスカイの新しいトレーナーです」

「おうそうだったそうだった、悪いな」

もうセイウンスカイのトレーナーになってから2ヶ月ほど経つが、すっかり私もセイウンスカイのことを掴もうと躍起になっていて、トレーナー同士での交流を忘れていたことに気がついた。

「いえ、僕の方もあんまり顔を出せず申し訳ないです」

「気になさんな。それより、あんたのお嬢ちゃんは一緒じゃないのかい?」

「ええ、今は」

トレーナーが担当ウマ娘の行方を掴めていない、なんて正面から言うものではない。端的に管理不行き届きだ。

「……いいトレーニングですね。ぜひとも僕も真似したいところです」

本心ではあった。遊びとトレーニングを融合させているのは見事だったし、しかもそれが実際非常に有効だろうとなればコピーしない手はない。それはそれとして、セイウンスカイを見失っていることからも話を逸したかった。

「だろ?これも俺の先輩から教えてもらったやつでさぁ、ほら、ちょっと前までセイウンスカイを担当してた先輩からさ」

すぐに戻ってきてしまった。

「わー、何のお話してるんですか?」

凧を手に持って、スペシャルウィークも戻ってきた。

「おかえり。ほら、この人がセイウンスカイのお嬢ちゃんの新しいトレーナーさんだ」

「そうなんですね!でも、スカイさんならあっちで見ましたよ?」

そう言って彼女は上流の方を指差した。少しうねっている河川敷のこちらからちょうど見えないところにいるのか、目を凝らしても見当たらなかった。

「そうか、ありがとう」

とスペシャルウィークに返した。それから、

「…………もし良ければなんですが、僕からの視点ではない彼女……セイウンスカイのこと、教えてもらえませんか」

と切り出した。

 彼らが話してくれたセイウンスカイのことはおおむね私の印象にも合致したものだったが、一部分では彼女は私が思っていた以上だったらしいことがわかった。昼寝好き、釣り好き、猫好き、寒いのが嫌いで楽しいことが好き。それから、負けず嫌い。アロマには弱いが、策略家。そういったことを教えてくれた。

 スペシャルウィークとそのトレーナーと別れて、私は先程スペシャルウィークが指差した方向、川上に向けて歩いていた。一旦堤防まで上がって河川敷を見てみると、すぐに青灰色の髪のウマ娘が歩いているのを見つけることができた。クーラーボックスと釣り竿らしきものも持っている。彼女からも私が見えていたはずだが、彼女が私のことを遠くから判別できなかったのか、特にこちらに気づく素振りもなく歩いているので、私も彼女めがけて歩いていくことにした。ひとまず合流すれば良いと思っていた。

 だいぶ近づいて、まだ人相は分からなくともシルエットから彼女がセイウンスカイで間違いない、というところまで近づいてもまだ彼女はそのまま歩いていた。いつの間にか気づいて、こちらと同じ意図で合流するところまで来るのか、と思っていたら今度は彼女が突然足を止め、反転して走り出していった。慌てて私も走って追いかけようとしたが、ウマ娘の速さには当然叶わず、そのまま置き去りにされてしまった。

 次の日、彼女は普通にトレーナー室まで来た。昨日できなかったこと、すなわちOPレースへの諸確認と気合い入れを済ませ、興味本位で昨日なぜあれだけ近づいてから振り返って走り去ってしまったのかを聞こうと思ったが、彼女がすたこらとグラウンドまで行ってしまったのでそれから聞くことをすっかり忘れてしまった。

 タイムを計れば日に日に縮み、併走させれば時に負けても良いペース取りができるようになっていくのが手に取るようにわかった。彼女には才能があるし、私にもきっとある。そう信じて、日付はあっという間にOPの日までやってきた。

 メイクデビューのときとはどのウマ娘の雰囲気が違う。どのウマ娘も、もう勝ったことがあるのだ。どのウマ娘も、勝利の快感をしっかりと記憶しているはずだし、それだけに勝ちたいと希っていた。

 セイウンスカイはもうパドックに入っていた。まだ人気順の変動する可能性はあったが、もうほぼ確定と言って良いだろうタイミングだ。そこで、セイウンスカイは3番人気に付けていた。2番人気に、あの重賞ウマ娘がいる。2番人気?グラスワンダーに下されたとはいえ、G2にも出走して3着をもぎ取っているウマ娘が、OPで2番人気?1番人気は誰だ。そう思ってパドックを睨みつけた。すぐに見つかった。パドックでも堂々と立っている姿が見事で、手元の新聞にも◎が3つ並んでいる名前をそのゼッケンに付けている。前走は未勝利線で、どれほどの力を秘めているのか、と思った。セイウンスカイが勝つという確信があるから、微塵も恐ろしくは無かった。

 各ウマ娘がゲート入りを完了。一瞬の静寂。そして出走、レースが始まった。

 セイウンスカイは前へ飛び出していった。しかしメイクデビューのように前へ前へと行くのではなく、二番手のウマ娘から半バ身も離れないぐらいの位置取りをした。前へ出過ぎないが、譲りもしない。ただ少し、速く、速く、前へ。第4コーナーを周るまでこの体勢は崩れなかった。

第4コーナーを周り、セイウンスカイはすぐに仕掛けた。前へ、もっともっと前へ!後続の娘たちはもういっぱいになっているはずだ。その証拠に、ここまでセイウンスカイの真後ろにくっついてきていたウマ娘の一人が後ろへ流れていった。代わりに、後ろから差してくるウマ娘もいた。あの1番人気の娘だった。

セイウンスカイが引き離しにかかった。2番手の娘との距離が見る間に開いていく。さっきまで半バ身が維持されて、すわそのまま差されてしまうのではないかとすら思えていた差が1バ身になり、2バ身になっていく。大外から別のウマ娘が飛んできた。2番手が入れ替わって、懸命にセイウンスカイに追いすがる。ここだけ見れば、セイウンスカイは1番人気の娘に速度で負けていた。ところが、もう縮まる差ではなかった。2番手が入れ替わるころには5バ身以上の差が付いていた。それを追うウマ娘の必死な表情に、次第に絶望が混じっていく。背中は近づいてくるのに間に合わない、というのはどんな気持ちだろうか。セイウンスカイは逆噴射することなく走りきり、5バ身差でOPを制した。

勝利の確信から、私はセイウンスカイの勝利に満足はしても、特に驚くことも強く興奮することもなかった。おめでとうと言うのもそこそこに、彼女をウイニングライブの方へ追いやってしまった。

OPを終えれば、前から決めてあったように、1ヶ月ほど間を開けて弥生賞が待っている。今回の勝利で無事出走権も得られたはずだ。十分な強さとファン数、その両方をセイウンスカイは兼ね備えていた。だが、クラシック路線のためにはもっと多くのファンを獲得して、さらにもっと強くなる必要があった。

 大逃げの命は根性か、そうでなければバ鹿みたいな速さだが、普通の逃げに必要なのは策略だ。特にセイウンスカイの場合は、彼女のやりたいことと合わさり、いかに少ない労力でレース展開を破壊できるか、に全てがかかっていると言っても過言ではない。そこで、数百mごとにペースを大きく変化させるようなトレーニングを課した。インターバル走法に近いが、一部には速く走れ→もっと速く走れ→もっともっと速く走れ、といった変化もある。この練習は効果的だったのか、同じパターンで走らせるとタイムは日に日に良くなっていった。『私のトレーニングによって』セイウンスカイはどんどん強くなる。その事実が、私からトレーナーの才が無いという妄想を完全に消し去っていった。彼女の走りの足りない部分を減らしていけば、そのまま速くなる。彼女の昼寝などを許しながらトレーニングを課せば、それもまた彼女の脚を速くする。何もかもが思い通りになっているようで、実に気持ちが良かった。これなら弥生賞といえども、キングヘイローやスペシャルウィークを対手としても彼女が負けるはずなど無いと思えていた。

 今思い返せば、それが明らかに侮りであったはずなのに。

 

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