ピッコロ大魔王をご都合主義全開で救う話 作:Tentacle
キッチンを少し強引に借りてお茶を入れた。お湯を沸かしながらキッチン周りの勝手があまり変わらない幸運に感謝しつつ、所狭しと並べられた茶葉の瓶のラベルを読む。落ち着く香りがする茶葉を選んで二人分のマグカップと共に熱々のお茶が入ったポットを持って戻れば、居心地悪そうな友人が大人しく待っていた。
「え、えっと…」
「謝ったら怒るだよ」
先手を打って釘を刺せばうぐっと足止めをくらったかのような声が返ってきた。どんな時もわかりやすい人だ。
「とりあえず一回お茶を飲むだ。そんだけ泣いたら喉も乾くべ」
「はい…」
素直で大変よろしいと自分の分に口をつける。ふわりと漂う優しい匂いで波立つ心が徐々に落ち着いていくのがわかる。プロには負けると言っていたけれど、これだけ効果があるブレンドが作れるなら普通にお店を開けるのではと呑気な事を考える。
半分くらい飲んだタイミングで心地よい沈黙を破った。
「で?何があっただ?」
案の定、かなり言いづらそうにしている。だかしかし、こちらも退く気はない。この大雨の中来たのに大人しく帰るわけがない。
「お、怒らない…?」
「それは内容によるけんど、嘘と隠し事はもっと怒るべ」
向こうもそこは重々承知なはずだ。出会って間もない頃に自分の半生のダイジェストを語らせたのだから。ムギさは少し悩んだ様子を見せたものの、そうかからず諦めてくれた。
「その、ちょっと魔族に関する説明します、ね」
「説明?」
「そこがわからないと、今してることの理由がわからないので…」
彼女の夫は、少し特殊な生まれではあるものの立派な魔族。その魔族が持つ特性の一つに『彼らによって殺された命はあの世に行かず、この世を彷徨い続ける』といったものがある。
「彷徨い続けるって…ずっとだか?」
「少なくとも二、三百年以上彷徨いっぱなしです」
自分の顔が若干青くなったのが言われなくとも分かった。
「封印から解放された後に殺された人達はドラゴンボールで生き返ったので、また魔族に殺されない限り大丈夫です。でも…封印される前に殺された人達は、あれからずっと彷徨い続けてるんです。もう自分のことも分からなくなってる人もかなりいました」
なす術もなく殺された挙句、現世で他の人達が犠牲になる様も見てきたと考えると自分すら見失うのも無理はないだろう。彼女の夫がそれを承知で殺していたとなると、彼の極悪人っぷりに開いた口が塞がらない。
「本当に…本当にたくさんの人が、あの人と配下の魔族達の犠牲になりました。大多数はほぼ一撃で殺されて…抵抗した人達、特に多少なり対抗できる武闘家の人達は嬲られながら死にました。先に死んだ人達は、ずっと、その人たちを助けることもできずにそれを見てきました」
語る声は震えていないが、両手に包まれたマグカップは僅かに揺れている。
「ないまぜになった負の感情を抱えて、皆、皆彷徨い続けてました……だから、少し前からあの世へと少しずつ送ってるんです」
「そんなこともできるだか!?」
「いえ、私ができるのはこの星と魂の繋がりを切る事だけです。封印前にかなり研究した分野で、かつ私自身が星と繋がってて比較的勝手がわかるんです。そのままにするとフラフラ宇宙まで漂ってしまうので、その後は占いババに案内をお願いしてます」
「…ちなみに、宇宙まで行ったらどうなるだ?」
「………その辺の管理は私にもわからないので、漏れがないように念入りに人数チェックしてます」
なるほど最近疲れてたのはそれかと、最初の心配事の原因を知ることができて少し安心する。今やつれているのも、夫の所業の結果を改めて目の当たりにしてしまったからだろう。本当に酷な話だ。
しかし、ここまで来ると本当に理解できない。惚れたら負けとは言うけれど、ここまで過酷な尻拭いをさせられたらもう限界になりそうなものだ。悟空さはこんなこと絶対しないと知っているが、自分が同じ立場になったら悟飯ちゃんを連れて迷わず離婚している。
「前からやろうと思ってた事だか?」
「いえ…色々考えてる時に魔族の性質を思い出して、それで…」
それとも、実は妻として最後のけじめをつけようとしているのだろうか。彼女は何も悪くないけれど、それは彷徨っている魂も同じだ。彼女ならできる限りの後始末をしてから切ろうとしてもおかしくはない。そっちの方が気分も楽だろう。
「ムギさは、本っ当に苦労ばっかりだなぁ…」
面倒な男に出会ってしまったばかりにと同情を隠さない声でそう言えば、マグカップがことりと音を立ててテーブルに置かれた。
「…馬鹿、ですよね」
俯いてしまったから顔は見えない。でも、小さく鼻を啜る音で表情は容易に想像がつく。
「見てるし、聞いてるんです。あの人が何をしたか…殺された人達の有り様まで、全部。それで吐いたり、食欲無くしたり、夢に見たり、眠れなくなったり……発狂するんじゃないかとか、そうなったら楽かもとか、そんなことも考えました」
「ムギさ」
「………でも、思い出すんです」
声と一緒に全体的に震え出す小さな体。少し落ち着いたはずの雨が、また激しくなっていく。
「私に触るのも怖がる手とか、いつ抱きついても払い除けない体とか、幻かと疑って不安そうに私を見る目とか、荒れてる私を宥めてくれる穏やかな気とか…精一杯私を大事にしてくれた、普通の人として生きていけたあの人を、昨日のことみたいに覚えてるんです」
ぱたぱたと、水滴がテーブルに落ちる。組まれた両手はどれほどの力が込められているのか、白くなりはじめていた。
「あの人、最初は本っ当に何もかもが嫌いで、人間は特に信用できなかったんですけど…でも、ちょっとずつ私のこと見てくれるようになって、十年経った頃にはどうしても必要なら人間と協力してやらんでもないってくらいには落ち着いたんですよ。自分の気持ちにちゃんと向き合って、辺り一帯にぶちまけないでちゃんと本当に嫌なものに焦点を当てられるようになって……そろそろ私以外の人とも関わってもらおうと思ってたんです…思ってたんですよ…」
一瞬にしてひっくり返ってしまった二人の人生。長い年月をかけてゆっくり築いてきた優しく穏やかなそれが、理不尽すぎる一撃で粉々に砕け散った。
“なあ、チチ…オラとピッコロは、どうしてこんなに差ができちまったんだろうな”
ふと、見舞いに行った悟空さの言葉を思い出す。
“始まりは同じだったはずのオラ達が、なんでここまで違うんだろうな”
悟空さがもし、違う人に育てられていたら、頭を打たなかったら、何かの拍子に戻ってしまったら。もし、ムギさが封印されなかったら、もっと人に囲まれて生活していたら、何も奪われずにいられたら。
そんなもしもがあったなら、私達の立場はひっくり返っていたかもしれない。
「……あの人、『好き』とか『愛してる』とか全然言ってくれなかったんです」
ため息をこぼすように、ムギさが小さく笑った。
「なんでって聞いたら “私が言うと、どうしても真実味がなくなる。お前が大切なのもお前を望んでいるのも本当だが、だからこそ感覚的に理解し切れていない言葉を使うなど不誠実なことはしたくない” って返されて……本当に、どこまでも理屈っぽくて、真面目で、不器用で…」
ゆっくり上がった顔は、自分自身を小馬鹿にしようとした笑みが悲しみで崩れていた。
「馬鹿ですよねぇ……あの人も私も、もうとっくに詰んでるようなものなのに…まだ、二人で幸せになりたいなんて、思って…」
気づいた時にはムギさを抱きしめていた。驚いて固まる彼女が落ち着けるようにとそっと頭を撫でる。何か言葉をかけようとあれこれ考えるも、思いついたのは優しさのかけらもないものだけだ。
「…オラがいたら、ムギさの旦那叱り飛ばして悪さしねえように見張ってやったのになぁ」
多分、多分だけれど、彼女の夫が極悪非道な事ができてしまったのは、単純に彼女以外の全てがどうでも良くなってしまったからなのだろう。死体の山ができようと、街が崩れた廃墟だらけになっても、精々ゴミだらけの部屋を見たくらいの気持ちにしかならなかったのだろう。害虫の巣を駆除したことに一々悲しくなったり、罪悪感で落ち込んだりしないのと同じだ。片付けるのが面倒なだけで。
悪ガキが何度も虫を殺して遊ぶのを真面目に叱る大人のような、そんな誰かは彼女しかいなかった。彼に良く在ってほしいと思う誰かが、他に一人もいなかったのだ。他にできる前に、彼女を失ってしまったのだ。生まれ落ちた瞬間から『悪』だった彼が、良く在ろうと努力したにも関わらず。
「チチ、さ…」
「とっくに終わったことであれこれ言ってもしょうがねえ…しょうがねえけんど、ちょっと悔しいだ。生き返ったらムギさの分まで説教しねえと」
ちょっとくらい八つ当たりしてもバチは当たらねえべ?と背中をぽんぽんと優しく叩けば、固まっていた腕が自分にしがみ付いてきた。
ピッコロ大魔王は極悪人で、孫悟空は世界を救った英雄。それは変わらない。犯した罪と、成し遂げた功績は確かにそこにある。過ぎ去ってしまったことは変えられない。
でも、今自分の腕の中にいるのは、『もしも』の自分だ。仲良く平穏に生きられたらそれ以上何もいらなかった、自分なりに精一杯大事にしてくれる夫と幸せになりたかっただけの、もう一人の自分だ。そんな存在を邪険に扱うなんてできるわけがないし、愛した相手にありったけの怒りと憎悪をぶつけるにはもう熱が足りない。正しさやら善悪やら全部放り出した掌返しをする自分に、かつての犠牲者が「自分はなんとかなったからって!」と同じように責めてきてもしょうがないだろう。
それでもやっぱり、小さな子供みたいにわんわん泣いているムギさに幸せになってほしいと思ってしまった。
*
雨は一晩中降り続いたので、帰宅は危ないとそのまま泊まった。翌朝自分を家まで送りペコペコとおっ父に謝る彼女は、随分とすっきりしていた。
ムギも寿命を理由に人と深く接していなかった部分があるので、ここまで踏み込んでくる人は育ての親と大魔王とチチさんくらいしかいません。ピッコロさんは立場上お互いに遠慮するので踏み込みが浅い。