ピッコロ大魔王をご都合主義全開で救う話 作:Tentacle
「━━━ぃ…おい!起きるオニ!」
頭を打たれた衝撃で目を覚ませば、沸騰している鉄臭い赤い池が眼前に広がっていた。後ろに目をやれば、自分を叩いたであろう鬼が嫌そうな顔でこちらを見下ろしている。
「今日の責め苦はこれで終わりオニ。とっとと出るオニ」
どうやら浸かっている間暇すぎて眠ってしまったらしい。他の罪人が雑に引き摺り出されるのを横目に自分で出れば、鬼が手に持っている書類を確認して再び口を開いた。
「明日は針山地獄オニ。時間はいつも通りオニ」
「…わかった」
留まる理由はなく、かと言って急ぐ理由もないので背を向けて歩く。そしたらさほど離れないうちに話し声を優秀な耳が拾った。
「先輩、先輩…あれ、ナメック星人オニ?ナメック星人でも地獄に落ちるオニ?」
「シッ、声が大きいオニ……珍しいけどたまーにいるオニ。あいつはその中でも珍しいタイプオニ」
自分が本当に余所者だと知ったのは死んでからだった。初めて聞いた時の胸中に驚きはなく、ナメック星人の概要を教えられた時は神の事を思い出して顔を顰めた。出会えても馴染めない同胞達という予想がここまで綺麗に当たるとは。
「なんであいつは平気オニ?ぐーすか寝ててびっくりしたオニ!」
「周りのピカピカ光ってるやつのせいオニ。あれに守られてどんな責め苦も効かないオニ。地獄にいる意味が全っ然ないオニ…!」
そんな事より『加護』の方が衝撃だった。おそらく本人も知らなかったであろう、ムギらしい感情的で強引な力。自分に与えられたソレの強さがそのまま彼女の愛の証明になり、想いの強さを目の当たりにした私はさらなる絶望に叩き落とされた。
毎日、消えてくれと願った。
毎日、消えないでくれと願った。
毎日、忘れてくれと願った。
毎日、忘れないでくれと願った。
あの柔い手のように自分を優しく包む光を見る度に苦しくなる。地獄に元より存在するありとあらゆる拷問では痛み一つ感じないこの身を責めるのは、己だけだ。
「…ムギ」
名を呼ぶことすら躊躇するくせに、呼ばずにいられない。思い出す権利もないのに、思い出してしまう。こんなに想われていたのに、あんなに願われていたのに、愚かで弱い自分は最悪の道筋を選んで酷く傷付けた。きっと今も泣いているのだろう。泣いて、雨を降らせて、起きた災害の結果を見て自分を責めているのだろう。悪行なぞ、何一つしていないのに。
夢の中のムギはいつも泣いている。灰色の雲に切れ目はなく、雨は止むことを知らない。そうなったのは、自分のせいだ。私が、ムギを不幸にした。それなのにまだ、私は守られている。私はまだ、愛されている。掴めてしまったあたたかな心を守るどころか、私はズタズタに引き裂き続けている。
苛立ちをあらわにして近くの岩を殴れば、歯応えもなく崩れ去ってゆく。痛みはやはりない。どうにもできない現状と、惨めな自分だけがそこにある。
「ムギ…!」
何をしても、あの笑顔に届かない。
*
翌日、言われた通りに針山の苦行をこなす。当然痛みなく、滞りなく終わる。
「今日の責め苦はこれで終わりオニ」
「明日はどこだ?」
「灼熱地獄オニ。それと、今日は面会があるオニ」
「面会…?」
まさかと唯一の心当たりが脳裏を過ぎるが、すぐにその可能性は限りなく低いと除外した。ムギなら確かに生死関係なくもう一度会おうとするだろうが、『アレ』がそれを許すとは思えない。許されていたならとっくに会えていたはずだ。
「さっさと来るオニ!俺は忙しいオニ!」
逆らうのも面倒なので、大人しくついて行った。
面会室は地獄とそれ以外の境目のような場所にあり、私は厳重に拘束された状態で椅子に座らされた。不快だが、痛みはない。いつも通りだ。どんな物好きが会いに来るのやらとガラスのようなものに仕切られた向こう側を眺めていたら、すっかり存在を忘れていた男が姿を現した。
「武泰斗…!!」
反射的に飛び出そうとした体は拘束から抜け出せず、椅子が少しがたつくだけだった。対する武泰斗は驚きで目を一瞬見開くも、すぐに冷静になったようだ。
「久方振りだな、ピッコロ大魔王」
私はしばらくもがいたが拘束は解けず、舌打ちの後に脱力した。
「この忌々しい拘束がなければその身を引き裂いてやるものを…」
「憎いか、私が」
「あんなところに封じ込めて置いてよく聞けるな」
それもそうかと納得した様子の人間に神経を逆撫でされるが、暴れたところでどうにもならない。さっさと用事を済ませてしまおうと気を鎮めた。
「何の用だ?恨み言でもぶつけに来たか?」
とっとと吐いて終わらせろと促せば、数秒の沈黙の後にやつは再び口を開いた。
「……私は、お前がわからなかった。戦っている時も、封印する直前まで」
「貴様なんぞにわかるわけがなかろう」
「だから、閻魔大王様にお尋ねしたのだ。お前が暴れ出した理由を」
そこまで聞いて出てきたのは、嘲笑だった。
「憐れみにきたか?世界を救った天下の武泰斗が、このピッコロ大魔王様を?全てを持っていた男が、何も持たない私を?笑わせるな!」
薄っぺらい同情など嫌悪しか湧かないと吐き捨ててやろうと思った。
「憐むなど、できるわけがなかろう…!」
だが、その男の口から出た声は血反吐でも出ているのかと思うほど苦痛に満ちていた。
「なんなのだ……なんなのだ、あれは!あんな話があってたまるか!私は…私は、数百年がかりの悲劇の歯車に過ぎなかった!たった一つの救いを奪われた男を、さらに追い詰めただけではないか!」
想定外の反応にどう対応していいかわからない。眼前の男の煮えたぎるほどの怒りが、額と拳に浮き出た血管に表れる。
「私に、神々の考えを推し量る事はできない。お前がどのような理由であのような道を歩まされたのか、私程度ではきっと知る事はできぬだろう…だが!どんな理由があろうと!お前が受けた仕打ちは、決して正当化されてはならない!」
ムギだけだと思っていた。この理不尽さに怒りを覚え、逆らいたいと願う他者は彼女だけだと思っていた。
「…貴様がどう思おうと関係ない。たかが人間一人、文句を並べ立てたところで連中は痛くも痒くもないわ」
こうして素直に対話できる存在が他にいるなんて、思いもしなかった。
「私の地獄行きはもう覆らん。ムギに再会することもかなわん。私が自ら、全ての希望を握り潰したのだからな」
そこで武泰斗は、さらなる想定外を出してきた。
「…希望なら、ある」
「何?」
「三百年前にお前達魔族に殺された者達、地上を彷徨っていた魂達…その全てが、あの世にたどり着いた」
「………は?」
ありえない。魔族に殺された者達の魂はあの世に行けずに彷徨い続ける。そういう呪いが、縛りがあるはずだ。
「ピッコロ、お前の妻はまだ諦めていない。お前とまた会うために、できる事を片っ端からやっている。お前達に殺された者達の呪いを解き、案内人の元へと送り届けたのだ。一人残らず」
開いた口が塞がらない。そんな馬鹿なと思う自分と、あの馬鹿ならやりかねないと思う自分がいる。
「お前の罪を減らせば会える可能性が上がるかもしれないと思ったのだろう。事実、閻魔大王様は贖罪の代行を認めてお前の刑罰をその分軽くした」
私が殺した者達と直接会ったのなら、私がしたことも知ったはずだ。彼らの恨み辛みを聞いたはずだ。無数の命の、無限の怨嗟を聞いたはずだ。それでもまだ、会いたいと思っているのか。それでもまだ、『加護』が消えないのか。
「ピッコロ、お前に彼女を想う気持ちがまだあるのなら…」
まだ、荒唐無稽な可能性を、泣かせてばかりの私を、信じてくれているのか。
「残っているモノから目を背けてはならないと、私は思う」
「それだけを伝えたくて、ここに来た」
今日も雨が降っている。
私とムギの上から降っている。
体も冷え切ったままで、何も変わらないままかと失意のため息を溢す。
温度の低い世界で、私の吐息が白く濁る。
白く、なった。
息が白くなるということは、つまり外と内で温度差があるということ。
外が冷たく、内が温かいことに他ならない。
そう、温かいのだ。
途端、呪縛が解けたように体が軽くなる。
まだ思うままとはいかなくとも、動くことには変わりない。
踏み出す。
歩く。
駆け出す。
跳ぶ。
たどり着いて、捕らえる。
冷え切った自分の腕の中に、冷え切ったムギの体がある。
荒い呼吸は全て、白く濁る。
見上げてくるムギから漏れた吐息も、白い。
満月のような瞳から零れ落ちる涙をそっと拭えば、信じられないくらい熱を持っていた。
「…たわけ」
そんな熱いものを流したら、自分が焼けてしまうだろうに。
「この、大馬鹿者が」
早く、早く泣き止めと、しっかり抱き締める。
数秒後に背に回された手が、震えながらもしがみついてきた。
*
雨は、まだ降っている。
世界はまだ、冷え切っている。
だが、こんなにも冷え切ったこの世界で、雨の止まない世界で。
自分の腕の中に、確かに熱が戻り始めていた。