妖精もの   作:皮 

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キャッチ・ザ・スター


ism

 幻想郷には鬼がいる。スターサファイアはもちろん知っていた。その目で見てもいた。だが星熊勇儀に首根を掴まれて持ち上げられた時、妖精は天へ真っ直ぐに(そび)えた岩が動いているのだと半ばまで信じた。晩秋の昼下がり、生命が萎みはじめた森から野へ出た辺りの草原において、いたずらの失敗から一人で逃げていたスターサファイアは気配も前触れも無くいきなり捕らえられていた。瞬き(まばたき)も忘れて表情を凍りつかせた小さな顔を、勇儀は己の目線の高さまで引き上げて覗きこんでいる。

 

「やあ」

 

 酒臭い息を顔いっぱいに叩きつけられた妖精は顔を背け、さりげなく目だけで逃走経路を探した。

 

「忙しそうだけども付き合いなよ。そっちの素性は人間の魔法使いから小耳に挟んでる。話がしたいと思ってたんだ」

「私も鬼の話は何度か聞いて、ます。貴方がどの鬼かわからないけど」

「キョロキョロしなくてもここから動くから心配しなさんな。酒を飲む景色じゃないしねえ。ああ、おまえさん逃げるだろうからこのままで連れてくよ」

 

 一人で鷹揚に頷きながら勇儀は歩きだした。その歩幅は驚くほど大きく、奇怪なことに草を一本も踏みしだいてはいない。硬化した木さながらの頑強さを思わせる指もまた不思議であり、妖精に触れた箇所は綿よりも軽く柔らかく、肌へは痣一つ残さぬだろう。この指の感触がスターサファイアの口を少しばかり軽くした。

 

「私にもお酒、出ませんか」

「震えながら言う事かね」

 

 勇儀は腰帯へぶら下げた幾つかの徳利からひとつを取り上げると、中身を手持ちの盃へちょろりと流し入れて手渡し、スターサファイアは自分の羽一枚ほどもありそうなそれをしっかり支えて中身を喉へ落とした。緊張で味はわからない酒の香りを口の中で転がしながら、妖精は自分の身長では考えられない目線と歩幅で進んでいく風景をそれなりに楽しみ、同時に不安が拭い去られていくのを感じた。道端で風に揺れる(すすき)を見て我に返ったスターサファイアは空盃を返そうと両手を動かし、前を向いたままの鬼はそれを空いた方の二の腕のへと置かせた。徳利を片手の指だけで器用に操る勇儀へスターサファイアが聞く。

 

「私の素性という事は、動いているものの気配を読むことができるのも知ってるんですよね」

「ああ」

「何か動きを殺す特技とかあるんですか。私、まったく気づかなかった」

「怪力乱神をなめちゃあいけないよ。まぁ、そんな事よりだね、同じ名前なのに、あんたは何でそんなにこすっからいのさ?」

 

 妖精はきょとんとした。

 

「貴方もスターサファイアっていうの?」

「そんな気の抜けそうな華字じゃないよ。私の名前は星熊勇儀。星とスターが一緒なの」

 

 鬼が中空へ指で文字を描くと、その軌跡が風の中で淡く光った。

 

「クマ! ぴったりだわ!」

「だろう」

「華字って上品って意味よね。私もぴったり。同じ名前って素敵ですね」

「そうかい」

 

 勇儀が別の徳利をまさぐる。

 

「悪戯なんて張り合いのない事にうつつを抜かすのは妖精だからって事にしておこう。でもね、なんだって真っ先に逃げ出したりするんだ」

「なんでって。悪戯が失敗したら逃げるのが当然じゃないですか」

 

 しばらくの間スターサファイアを縦方向にくるくると回して悲鳴を存分に響かせた勇儀は再び妖精の目を覗きこんだ。

 

「仲間を置いて逃げ出す。仲間が苦労してる目の前で他の者と酒を飲む。気に食わないよ」

「妖精と鬼が一緒なわけないでしょ」

「種族が関係あるものか。一人だけ抜けるんなら、自分が勝負を全部背負い込んでからだろう。仲間に押し付けてどうする」

「だから、妖精と鬼が一緒なわけないでしょ! 私はそういうの、できないの!」

 

 そうして空から会話を押しつぶすような、腹の底まで震わせるたっぷりとした重い音が鳴った。予期せぬ出来事に顔を上げた二人が見たのは、大きい連なった太鼓と、そこへ足を組んで腰掛ける娘の姿だった。白く角の多い洋装、両の手に一本ずつ握られた奇妙な形の細い棒。全てが鬼の目にはいかにも珍しかったので、勇儀は感心して鼻を鳴らした。

 

「割り込んでごめんなさいね。用があるの」

 

 前かがみになっている娘、付喪神の堀川雷鼓はそう言ってじっと二人を見下ろし、視線の先を勇儀が辿るとスターサファイアが身体ごとそっぽを向こうと腰を振っていた。

 

「こいつかい?」

「ええ。先ほど妖精達にちょっかいをかけられて、そいつにだけお礼を返してないから探してたの」

「ふうん」

 

 なんとか離れようと足掻くスターサファイアだったが、鬼の腕はびくともしない。必死の抵抗にも退屈そうな顔を浮かべる勇儀だったが、確かに彼女にとっては手慣れた感触であったろう。逃れようとする者を数え切れぬほど掴んできた腕であろうから。

 勇儀はどこか納得いかない様子で首をひねって酒を注ぎ、スターサファイアと上空の新手を見比べながら唇を盃に付けようとしたところで動きを止めた。

 

「なるほど」

 

 一角の鬼が空の娘を見つめて微動だにしなくなると、徐々にその体から静けさが広まっていった。妖精が、風が、土が、陽光が、昼が次々と停止していき、その無音を聞いた雷鼓が手の内で棒をひねり回す。季節は確かに冬へと足を早めている最中だったが、彼女たちを通り抜けていく風の冷たさは常軌を逸していた。(風は止まったのではなかったか?)

 

「なにやら気持ちが悪いと思ったら。鬼の手の中にいるっていうのに、こいつは私じゃなくてあんたに怯えてる」

「そりゃあ今から復讐されるからね。そっちも同じクチじゃないの?」

「酒のつまみにしてただけだよ。ただ、こうなると話は違ってくるのさ」

 

 眼にすさまじい色を浮かべて鬼は言った。

 

「気に入らないね付喪神。私より恐れられていること、酒の相手を怯えさせていること、何より我々と同じ匂いをさせていることが一等気に食わない」

「おやおや。鬼の気は全部抜けたはずなんだけど」

「怪力乱神をなめちゃあいけない」

「その暴力への期待に溢れた顔を見てると、鬼がいかに変わらないでいるのか解るわ。古代、月や人の血を見ながら腹鼓を打っていた時と同じ顔なんでしょうね。今やその腕は苔生(こけむ)して、相も変わらず単調な律動を刻むだけ。ああ、生えたのは(かび)で、その臭いが私からしてるのかしら。嫌ねえ」

「苔は大地も食い破る薫土さ。とはいえ、道具にしては頭を働かせてその知恵、その姿を得たと見える。物言いを許そう、空っぽのお嬢さん」

 

 スターサファイアを地上へゆるりと下ろしてから、いつの間にやら干していた盃を勇儀は手渡した。

 

「後生大事に取っときな。話の残りは後日のアテにするから」

「勝手に決めつけないで。そのザコと一緒に躍らせてあげてもいいのよ」

「贈り物をひとつ付けてやる。勝負がどうなろうと、あんたが聞いたこともないような音色を必ず聞かせてやろう。それで手打ちってのはどうだい」

「言うわね。雷神以上を貴方が出せて?」

「聞いた後で判断してくれ。こっちからのお願いだからね、払いは後払いでいい。なに、三途の川まで取りに行ってやるさ」

 

 ほぼ同時に取り出したスペルカードの枚数は互いに五。

 

「期待に沿えば約束は守りましょう」

「ようし。上手に使ってやるよ」

 

 そして勇儀は、まだそこに居たスターサファイアを肩越しに見下ろして言った。

 

「さ、行きな。忠告だが、鬼はしつこいからね。いくら忌避して嫌おうが、貸したものは必ず取り返しに行く。いつもみたいに逃げられるなんて思うんじゃないよ」

 

 妖精は当然、ここで一目散に逃げ去るはずだった。この場にいる誰もが、本人すらそう予想していたのだ。ところがスターサファイアは怒りもあらわに勇儀の腰から徳利をもぎ取り、直接中身をがぶがぶと飲んだ。そうして乱暴に鬼の腰へ結び付けると、酒と唾を飛び散らせながら言った。

 

「私、貴方のことが嫌いだなんて一言も言ってない!」

 

 酒か怒り、もしくは別の理由で真っ赤になったスターサファイアは今度こそ走り去っていった。盃を力いっぱい抱きしめた小さい背中を見送る勇儀の頬の輝きを見て、雷鼓が疎ましげにため息をつく。

 

「弱者を守るのも鬼の属性だったわね。本当に古臭い」

「はん。さっき雷神と言ったが、私にも一つだけ大きく鳴らせるものがあるんだ。そいつがあんたへの駄賃さ」

「へぇ。地団駄?」

 

 返事の代わりに勇儀が大きく息を吸い込んでから息を吐き出すと、地面が抉れて砕け散った。巻き上げられた土塊の高さは彼女の背の三の三倍。降り注ぐ土煙を挟んで二対の眼光だけがぎらついて浮かぶ。

 

「聞かせてあげるよ。星の鳴き声を」

 

 少し後、息を切らせたスターサファイアがようやく飛んで逃げることを思いついた時、その小さな身体は強烈な衝撃を臀部に感じつつ空へ舞い上げられた。

 

 

 

 

 

 住処の椅子に座って窓の外をぼんやりとスターサファイアが眺めている。外には見慣れた昼の景色があるだけで、なにも珍しいものは映っていない。鬼の盃に酒を入れて飲むサニーミルクとルナチャイルドが、それを心配そうに見ながらひそひそと話し合っている。スターサファイアの耳はここ数日まるで使いものにならないので声を潜める必要はないのだが。

 同居人の様子がどうにもおかしい事を、二人の妖精はそろそろ気にし始めていた。耳をやられたのは規格外の大音響を浴びたせいであり、聴力も徐々に回復しているようなので問題はなさそうだったが、そこ以外がどうにも彼女らしくない。

 事の次第を聞いて見物に行った鬼の喧嘩跡へは何度誘っても赴こうとはせず、彼女が持って帰った盃へ注いだお酒が美味になる事を発見した後も、スターサファイアだけは口を付けなかった。常にぼんやりしているのもこうなってくると不気味なだけだ。

 鬼に取り憑かれたのではないか、神社へ行って誰かに相談してみようかなどと二人がぼそぼそ話していると、突然スターサファイアが立ち上がった。その勢いで椅子が大きな音を立てて転倒したが彼女は一瞥もくれず、盃を掴むと中身を横へ放り捨て、外へと飛び出した。

 秋の静かな日差しの下で振り向いたスターサファイアが遠くから歩いて来る勇儀を見つけると、妖精は抱えていた盃を高く高く掲げてから、しっかり胸に抱いて森の奥へと走り去っていく。鬼はその背中を見て少しだけ笑い、三妖精の家と、そこへ残った二人には目もくれずに歩いて後を追った。

 サニーミルクと酒まみれになったルナチャイルドは窓縁から目だけを出して恐々と鬼の背中を見つめていたが、二言三言を交わすとお互いに頷き合って開けっ放しの扉から走り出た。姿を消し、音を消した二人がどこへ向かったか(つまび)らかにできる者がいようか?

 ただ、そこら中に生えた草の中を森へ向かって一筋、踏みしだかれるようにして道が伸びていった事はあったかもしれぬ。

                                    (終)




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