ふらふらと山の麓を歩いていると、一つの紅い洋館が見えてきた。
それは『お化けが出る洋館はこういうものです』と示すように絵に描いたような雰囲気で、とても美しく、それでいて不気味な感じがする。
それが本当なら貧血の人間が入ったら確実に死ぬだろう。
一秒で化け物の餌確定だ。
青鬼もそんな奴が来たら大いに喜ぶだろう。
僕だったら空腹の状態で弱った生き物が目の前にいたら迷わず食べる。
この話は現実ならただの馬鹿馬鹿しい冗談だが、ここは天狗や獣人(椛ちゃんも天狗らしいが)がいるような場所だ。
化け物が出てきても特段驚くことはない。
「ただ、他に行く宛もないしなぁ」
洋館に化け物がいる可能性を加味しても、ここを去った後に貧血で死ぬのが目に見えている。
入った方が生存率が高いに決まっているだろう。
そういうわけで僕は門を探すため、弱った足で岩のように重い体を引き摺っていった。
しばらくするとやはり門のようなものが見えてくる。ただ、チャイナドレスのような服装の少女と一緒に。
少女はこちらに気付いたのか僕の方に目をやると、少なくとも健康ではないのを察したようで顔色を変えて駆け寄ってくる。
「大丈夫ですか?」
僕は荒くなった息を整え、声を振り絞る。
「すまない。貧血で……」
言い終わらないうちにうっかりと気が緩んでしまい、また意識が途切れた。
「君は誰だ?」
目の前に僕がいる。
「君は僕か?」
いや、僕ではないはずだ。
「本当にそうか?」
僕がもう一人いるのならば、『辿る人生』は違うものだ。
『人生』が違えば『人格』は変わる。
目の前にいる僕は、僕ではないだろう。
「でも、過去は全く同じだ」
そうだ。過去が同じなら、現時点では同じ人間と言わざるを得ない。
だが、今この瞬間、二人いる。
君は僕じゃない。僕は君じゃない。
「でも、僕も同じ未来を辿ったらどうなる?」
その可能性はあり得ない。
違う世界……並行世界とでも言うべきか。そういった場所にいなければ、君と同じ未来を辿ることはあり得ない。
しかし、現に君はここにいる。
「可能不可能じゃなくて、結果の話をしている」
それならば、議論する余地はない。
君はどうしても僕を論破したいようだが、意味のない議論に価値はない。
僕は帰らせてもらう。
「そうしたいならそうすればいい。今答えを出す必要はない」
君は何が言いたいんだ?
君は何をしたいんだ?
何故僕に問いかける?
のちに答えを求めることが必要とでも言いたいのか?
「いずれ――――」
目を開けると、かなり豪華な部屋にいた。
天井や壁にはシャンデリアが飾られていて、床を見ると綺麗なカーペットが敷かれている。
ベッドもふかふかで気持ちがいい。ここにくる前はそう珍しいものではなかったが、珍しさはどうであれ良いベッドは一度入ると二度と出たくなくなる。
体も羽が生えたように軽く、腕ぐらい吹き飛んでも治りそうなほど調子がいい。
もうちょっと具体的に言うと、樹齢千年を超える大木を持ち上げることもできそうなほどに元気だ。
「とは言っても、比喩以上の何物でもないけどね」
と独り言を呟いて、コートを羽織ってドアノブに手を掛けて捻り、内側に引く。
すると大きな音が鳴った。
何が起こったのかを確認するのにそれほど時間はかからなかったが、理解するのに数十秒を要するような光景が目の前に飛び込んでくる。
僕は思わず腰を抜かし、尻餅をついてしまう。
簡単に言うとドアが取れた……というかドアが割れた。いや、壊れた?
「あら、これは大変」
音を聞きつけたのか、後ろからあっさりとした声が聞こえた。
ドアがぶっ壊れたのにあまり動揺していない様子から、この館はこれを普通だと思える程度にはおかしいらしい。
見てみると、銀髪で三つ編みのメイドがいる。『これがメイドです』みたいなメイドだ。
「大丈夫?怪我はない?」
「大丈夫。それで、これは捕まったとかそういうわけじゃないよね。こんな美少女捕まえたらワシントン条約に引っかかるよ」
「ああ、軍帽被った露出狂は生類憐れみの令だあね」
乗ってくれた。
真面目そうな雰囲気に反して案外ノリはいいようだ。
「で?どうして貧血なのに吸血鬼の館なんて来たの?あなたもこの館に雇われたのかしら?」
「へえ、吸血鬼の館ってわけね。案の定予想的中計画通りってわけだ」
「あなたが何を計画してるかは知らないけど、ここで馬鹿なことはやめなさいよ」
吸血鬼。
『ブラム・ストーカー』の小説『吸血鬼ドラキュラ』を皮切りに世界で大きく広まった『怪物』で、日光に弱いが、絶大な力を持ち、夜間にそれを振るうと言われる。
設定は結構曖昧で、日中に能力を使えないだけだったり、そもそも日光が平気だったり、究極生命体の副産物だったりするものもある。
ただ、一つだけ確かなことがある。
「瞬間移動ができるような吸血鬼相手に何かできるほど強くないから、安心して」
「私は人間だし、これは時を止めただけ」
「おっと、失礼」
もっとおかしい。
メイドが時を止めるなら、ご主人様は運命でも操れるのだろうか。
「それと、ご主人様にお礼も言っておきなさい。ご主人様が貴女に血を分けてあげたのよ」
「あ、そうだったね。ではここの主人のところに案内してくれないかい?それと、扉の方はどうしたらいい?今は文無しってやつだから皿洗いでもやろうかい?」
「大丈夫よ。この程度すぐに直せる」
メイドさんがそう言うと、扉は完全に修復されていた。
「今のも時を止めたのかい?」
「直す時まで時間を進めたの。それで、案内に関しては別にいいけど、失礼のないように」
「命の恩人に対して無礼は働かんよ」
「では、どうぞ」
今度は視界の場所が別に移る。
ここはさっきとは別の個室の前のようだ。『コンコンコン』とノックすると、中から声が聞こえてくる。
「入りなさい」
それは紛れもなく10歳前後の少女の声だが、艶やかな色気があり、それでいて品格を感じさせる。
「失礼します」
声に従って部屋に入ると、聞こえた声の雰囲気に反せず、そこには幼い少女がいた。
ふわふわとした『お嬢様』的な衣装を身に纏っており、そこには幼いながらも何か美しいものがある。
そして背中にはコウモリの羽のようなものが生えており、僕に彼女は『吸血鬼』なのだろうという確信が芽生えた。
部屋の調度品はさっきの部屋より一層豪華で、いかにも『主の部屋』の上品な部屋だ。
綺麗……。
「あら、もう目が覚めたのね。腕の方は治せなかったけど、すっかり元気になったでしょう?それと、吸血鬼の力を使えるようになってるでしょうけど、1時間も使えば効果が切れるから安心して」
やはりあの力は吸血鬼の力というわけか。
何にせよ助けてくれたんだ。感謝しなければ。
「はい、貴女のおかげで助かりました。本当にありがとうございます。僕は雨中輝と言うのですが、貴女のお名前は?」
「レミリア・スカーレットよ。感謝は私じゃなくて美鈴にするのね。彼女がいなかったら貴女は門の前で死んでいたわ」
美鈴……門の前にいた人か。
あの人にもお礼を言わないと。
「はい、でも、輸血してくれたのは貴女でしょう?……そうだ、指舐めましょうか?」
「は?」
「え?」
「…………」
「…………」
僕は何か今おかしいことを言ったか?
「いや、なんで私が貴女に指を舐められないといけないの?」
「僕みたいに可愛い娘に指を舐められたら喜ぶと思いまして」
「相当自分の顔に自信があるのね。可愛いのは否定しないけど、誰もが指を舐められて喜ぶような人ってことじゃないのは頭に入れておきなさい」
レミリアはくすっと笑い、こう言って指を差し出してきた。
「貴女が喜ぶなら、させてあげても構わないけど」
続く