12月。ディープの同期であるマインハーベストが朝日杯をレコードで勝利、さらにシニア級ではゼンノロブロイが天皇賞秋、ジャパンカップと連勝し、次の有馬記念においてテイエムオペラオー以来の秋シニア三冠への期待が高まっている。
デビュー戦も決まり、ディープはそれらの話題には全く興味が無いと言わんばかりにトレーニングに集中している。このまま仕上げていけば必ずデビュー戦を勝てると思っていた。
しかしトレーニングでのディープのパフォーマンスの高さが学園内でちょっとした話題となり、多くのウマ娘、他のトレーナーも見物に来るようになった。
併走相手に事欠かないのはありがたいが、はっきり言ってしまえば面倒だ。デビュー戦を控えたディープの周りの雑音は少ない方が良い。
「ディープ、見物の子とかさ、トレーニングの邪魔になってたりするか? もしあれなら追っ払うけど」
「いえ、別にそのままでいいですよ。賑やかな方が私は楽しいです」
「さいですか・・・・・・」
真実を言うなら、別にウマ娘の子が見学に来る分には構わない。問題なのは他のトレーナーの方だ。
「おーい!ちょっといいか?」
そらきた。噂をすればというやつだ。スーツの男がラチの外側から手を振っている。顔がディープではなくこちらに向いているので俺に用があるのだろう。
ディープが「邪魔だ」と一声言ってくれさえすればこういう連中も追い払う口実ができるというのに。
「ディープ! ちょっと休憩してて! 走ってもいいけど全力はなしで!」
「わかりましたー!」
ディープに指示を出し、俺を呼んだ男の元へと向かう。ラチの下をくぐるときに誰にも聞こえないように舌打ちをする。
その男はGIウマ娘を何人か輩出している中堅チームのトレーナーだった。対面してみると自信に溢れているような雰囲気を醸し出している。ここからの交渉が上手くいくと信じて疑っていない様子だ。ちなみにこの男と面識はない。
新人トレーナーだからとナメられないように、精一杯ドスを利かせた声で話そう。
「ごめんな。急に呼び出しちゃって」
「・・・・・・何か用がありましたか? うちの子がもうすぐデビュー戦なので手短にお願いしたいです」
「あー、それな。君んとこのディープインパクト、凄くいい。体も柔らかいし、スタミナもありそうだし、何より闘争心が素晴らしいね。誰にも負けたくないという気持ちがこっちまで伝わってくる」
「話が見えないのですが」
「じゃ、単刀直入に言おう。ディープインパクトをうちのチームに欲しいんだ。もちろんタダでとは言わないよ。僕が選りすぐったデビュー前のウマ娘たちとのトレードだ。何人でも構わないよ」
「お断りします」
「・・・・・・君ねぇ。これはあの子のためでもあるんだよ。君みたいな新人じゃ、あの子を御すことは難しいと思うんだよね。僕みたいに経験を積んだトレーナーでこそディープインパクトというウマ娘を輝かせることができると僕は思うよ」
そんなことはこの男に言われる前に100回は考えた。でも俺は彼女に素直であることを約束した。そして俺の素直な思いは「ディープをこんな奴に託したくはない」ということだ。
「・・・・・・そもそも生贄みたいに自分のチームの子を差し出すのが個人的には気に食わないです。あなたのチームの子にはきちんと話をしたんですか? あなたは成績が芳しくない子を島流しのように新人トレーナーの元へ行かせようとしてるんじゃないんですか?」
「君は新人だから知らないのか。全ては結果なんだよ。ウマ娘も、それを育てるトレーナーも」
「では過程は重要ではないんですか? トレーナーはウマ娘たちの過程を作る仕事ではないのですか?」
「違うんだ。結果が全てだ。結果を残せないものは淘汰されていくものなんだ」
「では何故デビュー戦前のディープを欲しがるんですか?彼女はまだなんの結果も挙げていませんが」
「愚問だなぁ。レースの結果だけじゃない。数字も結果の一つさ」
恐らくこの男はストップウォッチを片手に何度かディープの練習を観察していたクチだろう。
しかしはっきりわかることはこの男とは考え方が違う。そもそも考え方が同じの人は少ないのかもしれないが、少なくとも俺と相いれることはないのだろう。
この人の育成方針にケチをつけられるほど俺は偉くない。
「・・・・・・結果が全てだというなら、あなたは俺より先にディープも見つけるべきだった。でもあなたは彼女を見つけられなかった。これが結果なんじゃないですか」
「・・・・・・」
「一応、デビュー戦の後でよろしければそのようなオファーがあったことはディープにも伝えておきます。ディープが本当にあなたの元でトレーニングをしたいと思っているのなら、俺はそれに従います」
実はこういうのはこの男が初めてではない。というか2度3度のことではない。本当に鬱陶しい。
何がだるいって、俺は今年入ったばかりの1番下っ端の新人だから、他のトレーナーは皆、遠慮とかなくディープを欲しいとか言ってきたりする。
俺はこういうときには決まってすることがある。
「あーーーーー!!! めんどくせーーーーー!! 死ねーーーーー!!」
中庭の切り株に罵詈雑言を浴びせることだ。ウマ娘がやっているのはよく見るが、教員やトレーナーがやっているのは見たことない。多分俺くらいしかやらないんだろう。
これが他の人に見られたりすれば恥ずかしい思いをするだろうし、万が一ディープを欲しがっている他のトレーナーに見られでもしたら面倒なので、いつもは夜にこれをしている。
しかしながら今日に限って俺はあの男と話してから、その足で中庭へと向かった。あいつの言い草に俺は冷静ではいられなかった。
小さい頃からウマ娘が大好きで、トレーナーになった。だというのに同じ職業の人間があのようにウマ娘達を軽く見ているような言動に俺は怒りよりも恐怖を覚えたのだ。「いずれ自分もああなってしまうのではないか」と。
デビュー戦に集中したいだけなのになぜそうさせてくれないのだろうか。
「大丈夫ですか?」
聞き慣れた声に振り向くと、そこには予想通りディープがいた。その表情は何かを心配しているような浮かない顔だった。
「ディープ、ごめん。ほったらかしにして。すぐ戻るよ」
「私の質問に答えてもらってません。トレーナーさんは大丈夫なんですか?」
「・・・・・・大丈夫だって言いたいけど、それじゃダメかな?」
「ダメです。隠し事は無しだって言いました」
こんなしょうもないことでデビュー戦を控えているディープを煩わせたくない一方で、ディープは隠し事は嫌だと言う。ならば担当の希望に沿ってやるのが自分の役目だと思った。
「ディープを自分のチームに欲しいって言うトレーナーが何人かいるんだ。そもそも俺は新人なんだが、皆俺よりも優れてると言うか、確かな実績を持つ人達だ。ディープがこの先もっと成長したいと言うなら──」
「全部断ってください。私には必要ありません」
「了解」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
「・・・・・・えっ? それだけですか?」
「それだけだよ」
「心配して損しました」
「ひでぇ。というかしょうがないじゃん。俺に務まるのか、とか向こうの方がより成長させてくれるんじゃないか、とか色々考えちゃうんだよ」
「契約するとき、私言いました。トレーナーさんが新人だろうと関係ないって」
「だけどさー」
「他のトレーナーさんはアッパラパーばかりではなかったのですか?」
「それは忘れてくれ。勢いで言っちゃっただけだよ」
「とにかく! この話はもうしないでください。私を他のトレーナーさんの所へ移籍させるとかそう言う話は私、絶対に断りますから」
「わかったよ。俺もディープを手放すのは嫌だしな」
こんな風に互いに本音を言い合えるようになった。嘘も隠し事も全く無いとは言えないのかもしれないけれど、少なくともディープにはそんな様子は無く、心のままに生きているように見えた。
普通の小説やドラマではここを隠して、それが言動に滲み出て、そこから色々と拗れていくものだが、ディープが相手ではそんなものはない。これはウマ娘とトレーニングを重ねていく上で大きなアドバンテージだと思った。
━
「いいいいか、よ、よく聞いとけよ」
「もう、落ち着いてください。私より緊張してどうするんですか」
「それもそうか。・・・・・・よし、もう一回確認だ。阪神レース場2000mは内回りだ。コーナーが4回あるから距離損の少ないインコースに行きやすい内枠が有利。今日は4番だから悪くないってとこか。最終コーナーは角度がキツめで、差しや追い込みをしようとするならバ群の中から行かなきゃロスは大きくなる。ここまでいいか?」
「はい」
「よし、注意すべきはこいつ、2枠2番のヴァジュラニオーだ。内枠で逃げを打ってくるからマークしとかないと出し抜かれる」
「わかりました」
「よっしゃ。後は君次第だ。行ってこい」
彼は笑顔で私を送り出した。とっても緊張しているに違いない。だけど私はそうでもない。彼が見てくれているのなら負ける気は起こってこない。
『さぁ出てきましたのは本日の1番人気、ディープインパクトです!』
わぁっと歓声が上がる。彼も言ってたけど、今日の私は期待されているみたい。だけど私にとって彼以外からの応援はあまり意味のないものだと思ってる。
芝を踏むといつもより少し硬い気がしたけど、シューズで踏み鳴らして硬さを覚えておく。
そして他の子たちは私をじろじろと見てくる。何か気になることでもあるのかな。
「ディープインパクトさん。私はヴァジュラニオーと申します。今日はお互いに良いレースにしましょう」
私に話しかけてきたのはお団子みたいに髪を纏めている子だった。ヴァジュラニオー・・・・・・彼がマークしろと言っていた子だ。
「私はディープインパクト。今日はあなたをマークするから」
「それはそれは。どうぞお手柔らかにお願いしますね」
レース前なのに全く緊張している様子がない。この子も私と同じようにトレーナーさんの期待に応えたいのかな。
そしてスターターの位置で旗が振られると、場内掲示板からファンファーレの音が流れる。ゲートに入る合図だ。
『阪神レース場、5レース、ジュニア級のデビュー戦、芝2000m、9人のウマ娘が出走します』
場内アナウンスが流れると他の子たちはゲートに続々と入っていき、私もそれに続く。ここはスタンド前だから彼も私を見ているのだろう。私は彼の期待に応える走りをしたい。
がこん。
ゲーとが開き、コースへと飛び出す。
少し反応が遅れちゃったけど、そこまで深刻な遅れじゃないから大丈夫。
『2番人気のヴァジュラニオーがペースを作ります。1バ身から2バ身ほどのリード。そしてディープインパクトは4番手に上がっています』
私は後ろからスパートをかけていくのが得意だけど、あまり後ろすぎるとさっきのヴァジュラニオーちゃんに逃げ切られるって言ってたかな。
芝の香り、土の匂い、そして周りの子たちの『勝ちたい』という思いがビリビリと伝わってくる。練習で他の子と走ったりしてたけど本気度が全然違う。
『ヴァジュラニオーが未だ先頭で600mを通過、そしてディープインパクトが3番手に上がってきました!』
これが本物のレース。学園のコースで走っていても絶対に味わえない感覚。彼に見つけてもらわなければ知ることのなかった熱さ。
一緒に走っている子たちに、そしてこの舞台に立たせてくれた彼にも胸を張れるそんな走りを私も、
「見せなければ!」
私の意志が脚に合図を出す。「加速せよ」と。
『バ群の中をついて先頭に接近してきたのはディープインパクトだ!』
集団の中を通って距離損を防ぐ。彼のアドバイスのおかげでもう先頭に取り憑くことができた。
スパートをかけたがしかし、ヴァジュラニオーちゃんはまだ食い下がってきた。私はラストスパートをかけているのに対して彼女はずっと先頭で走り続けていて、未だに私に抜かれまいと抵抗する。
「やるね」
「なんと、私の予測の上をいく速度とは」
「じゃあね」
だけど、それも少しだけ。視界の横から誰もいなくなり、私一人だけになる。
そして視界の周りが白く霞む。見えるのはゴール板だけ。2番手を置いていけば、後はもう自分だけの世界だ。
『抜けたディープインパクト! 2番手との差を4バ身ほど突き放して快勝! ゴールイン!』
私を白い世界から引き戻したのは歓声だった。メイクデビューの割に観客が多いのは今日のメインレースに重賞レースがあるからだ、と彼が言っていたのを思い出す。
「お見事でした」
少しだけ息を乱しているヴァジュラニオーちゃんはレース前は仏様みたいな顔だったのに、今の彼女の顔は悔しさがところどころに滲み出ている。
「ありがとう、ヴァジュラちゃん」
「私は最善の走りをしたと思います。だというのに、あなたはそれを真っ向からねじ伏せてみせた。私もまだまだ修行が足りませんね」
「・・・・・・レース前と違う顔。ウマ娘らしい顔になったね。そっちの方が私は好き」
「私も悟ったつもりではいましたが、やはり己の本質を変えることはできないようです。また、共に走りましょう。今度はこうはいきませんよ」
「喜んで」
━
地下バ道では彼が待っていた。
ちゃんと見てくれてたんだ。でもどうしてか俯いている。
「トレーナーさん!」
「ディープ・・・・・・」
「私、勝ちました! トレーナーさんのおかげです!」
私は彼の身に何かあったと思って、少しでも明るい気持ちになれるような話をしようとしたけど、彼の様子は変わらない──と思っていたら、
彼が私に抱きついてきた。
「わっ」
「よかった・・・・・・。怪我、しないで戻っ、てきてくれて、本当に、よかっ、た・・・・・・」
「・・・・・・泣いてるんですか?」
「馬鹿言うなっ・・・・・・。トレーナー、がっ、担当の前で泣くわけ、ないだろ」
「・・・・・・トレーナーさんが泣いてる顔、見たいです。勝利へのご褒美ってことで」
「何、言ってんだ。そんなんで、ご褒美になんか、なるかっ」
「私はそれがいいんです」
そこまで言うと観念したのか、彼は顔を上げてみせた。
私を心配させないようにするためなのか、笑顔を作ってはいるけどそれも長くは保たずに顔がすぐにくしゃっとなる。練習中に彼は色んな顔をするけど、こんな顔だけはみせたことはなかった。
彼の泣き顔自体を見たことのある人は何人かいると思うけど、今の彼の顔を知っているのが自分だけだと思うと、なぜか無性に心が躍って、
今度は私の方から彼に抱きつく。
「ディープ!?」
「勝った勝った勝った勝った勝った勝った。私が勝った!私が勝ったんです! やったー!」
「デ、ディープさん?」
「トレーナーさん!」
「本物のレース、すごかったです!私をもっと色んなレースに出してください!」
「一緒に走ってる子たちも、観客の声援も、芝や空、あの場所を作る全ての思い、そしてトレーナーさんがいれば、私は誰にも負ける気がしません!」
彼は私が期待していた通りの答えをくれた。
後から考えてみれば、私の中に眠るものが目覚めたのはこのレースだったのかもしれない。ウマ娘の走ることへの執念というものに。