歩んだ足跡、弾けた衝撃   作:マザリーニ枢機卿

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また遅くなってしまいましたが、ちゃんと書いてます。


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 4月、新学期の始まりと同時にGIレースやその前哨戦といった多くのレースが次々と開催されるため、有力ウマ娘にとってはとても忙しい時期だと言われている。

 

 ディープインパクトの周りでも、同じクラスのヴァイオラがティアラ路線クラシックの初戦である桜花賞に1番人気で出走した。

 

 

 

『先頭クラフトユニヴァ! 内からラブオブスティールが食い下がっているが!』

 

 

『中を突いて7番のヴァイオラがやってきた!』

 

 

『ヴァイオラ追い詰める! クラフトユニヴァも粘る!』

 

 

『ヴァイオラ! クラフトユニヴァ! 並んでゴールイン!』

 

 

『僅かに体勢有利か、天才少女クラフトユニヴァ! 六平トレーナーにクラシックの栄冠をプレゼント! 桜舞う阪神で桜の女王に輝いたのはクラフトユニヴァだー!』

 

 

 

 前で粘るピンクの勝負服と、それを追い詰める漆黒の青毛、2人が並ぶか並ばないか、その直前のところがゴール板だった。

 

 

・・・・・・

 

 

「負けたー!」

 

「見事に1番人気と2番人気をひっくり返されたねぇ」

 

「せっかくスぺ先輩も見に来てくれたのにー!」

 

「まぁまぁ、次があるって」

 

「当然よ! 見てなさい! オークスじゃ絶対負けないんだから!」

 

「そんな君に僕から応援ソングを贈ろうか」

 

「いや、それは勘弁して・・・・・・」

 

 

 

 柄にもなくヴァイオラとソルフィエスタが仲良くしてる。いつもあんな感じだったら良いのに。賑やかなのも好きだけど、仲良くしてた方がいいに決まってる。

 

 今年のクラシック第一戦、桜花賞。うちのクラスのヴァイオラが出たけど、惜しい感じで負けちゃったらしい。だがこれは決して他人事ではない。私は来週にも皐月賞に出る。それは決まっているのだが、それ以降の日本ダービーや菊花賞への出走についてはまだ決めかねている。そのようなことを弥生賞の勝利ウマ娘インタビューで言っちゃったからネットが大分騒がしくなっていると彼から聞いた。

 

 

 

「ディープさん」

 

「ジャパンちゃん」

 

「・・・・・・クラシック三冠に、挑戦しないつもりなんですか?」

 

 

 

 つい先日弥生賞で一緒に走ったアドマイヤジャパンだ。私を見る彼女の目は何を思っているのかよく分からなくて、思わず彼女の顔を覗き込む。私は席に座っているから立っている彼女を下から見る形になった。

 

 彼女が言ってるのは弥生賞の後のインタビュー、私がクラシック三冠についての返答のことだろう。聞く人によっては「ディープインパクトは三冠達成に積極的じゃない」と捉えるだろう。

 

 実際その通りだ。自分の中での三冠ウマ娘になりたいとか、そういう思いは、みんなが思っているより小さい。

 

 

 

「まだわからない。一応皐月賞には出る予定だけど、クラシック三冠ってなって、どうしても出たいかと言われたら・・・・・・」

 

「どうしてですか?」

 

「・・・・・・多分、ジャパンちゃんと走れたからじゃないかな」

 

 

 

 私は弥生賞でマインハーベストやジャパンちゃんと一緒に走った。完璧にレースを進めたジャパンちゃんに思った以上に苦しめられたけど、なんとかクビ差で勝つことができた。

 

 全身の血が沸騰するような熱い気持ち。もしかしたら負けるかも、という今までにないスリルや高揚感。あのレースで勝つことができて本当に誇らしい。

 

 だけど、その相手だったジャパンちゃんは今や眉を顰めて、明日にでも世界が終わりそうな表情をして私の席の前にいる。

 

 

 

「私の今のところの目標は『強い相手と走って勝つ』こと。この間のレースでそれが叶っちゃって。だから宝塚記念とか秋天とか良いかなって思ってるんだ。ダービーとか菊花賞の代わりにね」

 

「私たちでは相手として不足、そう言いたいのですか」

 

「そういうわけじゃないけど」

 

「私はあれで終わるつもりはありません。多分マインさんも同じだと思います。私たちは誰もが日々成長していくんです。いずれ貴女にも、私たちは追いついてみせます」

 

「私だって成長くらいするよ。トレーナーさんと一緒なら──」

 

 

 

「嘘をつかないでください」

 

「えっ?」

 

「貴女は嘘が下手なんですから、すぐわかっちゃいますよ」

 

「・・・・・・」

 

 

 

 ジャパンちゃんがずいっと顔を近づけてくる。こんなに近くで見るとこんなとこにホクロあったんだとか、普段な真面目な感じだけど意外にまつ毛長いんだとか、こんな状況とは裏腹に新しく気づくことがあるなと感じる。

 

 

 

「強い相手と戦いたいから、なんて全部嘘です」

 

「なんでそんなこと・・・・・・」

 

「ディープさんが考えてることなんかわかってます。貴女が三冠ウマ娘に挑もうとしないのは私たちの為、そう思ってるんじゃないですか?」

 

「そんなこと・・・・・・」

 

 

 

 図星だった。彼女が言ったことに反論の余地が見当たらなかった。

 

 

 

「無礼ないでください。私たちを」

 

「っ!」

 

「挑む相手に情けをかけられる、これがどんなに屈辱かわかりますか?」

 

「・・・・・・」

 

 

 

 ジャパンちゃんがこんな冷たい声を出しているのを聞いたことがない。トレセン学園に入学してからずっと彼女と一緒にいた。学校にいるときはもちろん、彼女の大きな家にも何回も行っている。滅多なことでは怒らないし、素直に謝れば大抵のことは許してくれる子だ。

 

 今私の目の前にいる彼女と昔の彼女とのギャップが大きすぎて思わず泣きそうになる。

 

 

 

「ご、ごめんなさ・・・・・・」

 

「何に謝ってるんですか?」

 

「それは・・・・・・」

 

「・・・・・・もういいです。失礼します」

 

「まっ・・・・・・」

 

 

 

 そう言うとジャパンちゃんは教室を出て行ってしまう。この場にはいたくないとでも言うかのように早歩きで。実際口に出してないだけでここに居たくないのだろう。私も追いかけようと立とうとしたけど、彼女の聞いたことのないような冷淡な声に足が重くなった。2000mを走り切った後でもこんなに足が重くなったことはなかった。

 

 ジャパンちゃんと入れ替わりに教室に入ってきたシンパシーが目を丸くしている。

 

 

 

「どうか・・・・・・なさり・・・ましたか・・・・・・」

 

「・・・・・・当ててみてよ。第六感っていうので」

 

「ムム・・・・・・」

 

「意地悪を言っちゃダメだよディープちゃん。最近シンパシーの勘は当たらないんだ。無理言ったら傷ついちゃうじゃないか」

 

「それもそうだね。ごめんシンパシー」

 

「今の・・・フィエスタさんの・・・・・・発言の・・・・・・方が・・・傷つき・・・ました・・・・・・。でも確かに・・・タキオン先輩の・・・・・・実験に・・・参加してから・・・第六感が・・・・・・曇ってきて・・・・・・」

 

 

 

 シンパシーはしょんぼりと耳を垂らす。そういえば尻尾も萎れたように元気がない。これは第六感が曇った事による落ち込みなのか、それともタキオン先輩の実験でされたことによるものなのか。というかあの人の実験に協力する人が彼女のトレーナーさんとカフェ先輩以外にいたという事実に驚きだ。

 

 

 

「アンタはオブラートに包むってことができないのね!」

 

「君が言えたことじゃないだろ! シンパシーの勘が当たってないのは本当じゃないか! 君だってこの間テストで痛い目見たのを忘れたか!」

 

「何よ!」

 

「ヴァイオラさんも・・・そう・・・・・・思ってたん・・・ですか・・・・・・」

 

 

 

 あーあ、さっきまで仲よかったのに、またいつものが始まってしまった。タキオン先輩のせいだって突っ込んだら一瞬で終わる話だよ。

 

 しかしその言い争いもいつものように直ぐに終わってしまう。なんだかんだ言ってもこの二人は仲良しだ。昔見た猫とネズミのアニメのようにいざとなったら阿吽の呼吸を見せるに違いない。でもシンパシーがしょんぼりとしていることには変わりはない。

 

 

 

「ディープちゃんはさ、何か不安みたいなのがあるの? クラシック三冠に挑戦するのに」

 

「不安・・・・・・胸の中にあったものがなくなっちゃって寂しいなって思うことはあるけど」

 

「それは・・・どういう・・・・・・ことですか・・・・・・」

 

「ジャパンちゃんにも、マインにも勝っちゃったし、目標みたいなのが無くなっちゃったの。みんなは三冠の制覇を期待してるけど私は別にどうだっていいんだ。それだったら私よりも勝ちたい他の子が勝った方がいいかなって」

 

 

 

 もちろんシニア級というトゥインクルシリーズの上のクラスにはまだまだ私が及びのつかない強者がたくさんいることだろう。私はそんなウマ娘と戦いたい、それが建前に過ぎないことはジャパンちゃんにとっくに見抜かれていた。

 

 

 

「うわーすごいね、その自信」

 

「え?」

 

 

 

 自信? 全く頭になかった言葉に頭が少し混乱する。

 

 

 

「だって、まるで自分が勝つと確信しているみたいじゃないか」

 

「それはそうね。あたしたちがアンタに勝てないみたいに思ってるのかしら」

 

「やって・・・みなければ・・・・・・わかりません・・・・・・」

 

 

 

 確かにそうなのかも。そういえばこの子たちとはまだ実戦では一緒に走ってないんだっけ。

 

 

 

「世間はディープちゃんを大きく取り上げてるよ。『三冠ウマ娘とのめぐり合い』だって。まだやってもないことを決まったようにだよ? そのままじゃ悔しいよ」

 

「負けるよりも?」

 

「当然! ほら、歌でもあるでしょ? わからないまま終わる、そんなのは嫌だって!」

 

 

 

 

 

 

 先程ジャパンちゃんや他のみんなに言われたことを反芻する。わかっていたことだけど、こんな私にああいう声をかけてくれるのだから、やはりみんなは良い子たちだ。

 

 これは傲慢というよりはわがままなのかもしれないけど、そんな良い子たちの負ける姿は見たくない。そしてもし彼女たちの希望を打ち砕く役が私だったとしたら。私は今までと同じように走り続けることが出来るだろうか、そんなことを延々と考えながら廊下を歩く。

 

 

 

「どけどけーーい!!」

 

「えっ?」

 

 

 

 トレセン学園では廊下は静かに走るものとされる。しかし背後から迫ってきた声は全然静かなんかじゃなくて、耳をつんざくような怒鳴り声で以って私に存在を知らせてきた。

 

 ウマ娘は最高で時速70kmのスピードが出る。流石に廊下では全速力は出していないだろうけど、それでも40くらいは出てるはず。しかし反応速度が走る速さに応じているかと言われたらそんなことはないようで、人とウマ娘の反射行動の速さに大きな違いは無いらしい、というのを何かのテレビで観た。つまり、

 

 

 

 ドーン!

 

 

 

「いってて・・・・・・」

 

「うぅ・・・・・・」

 

 

 

 その白い何かに背後から思い切りぶつかられ、前方に弾き飛ばされてしまう。ぶつかってきた方もバランスを崩して私と同じように前方に倒れ込んでしまう。

 

 

 

「わりーな、ぶつかっちまってよ。怪我ねーか?」

 

「はい・・・・・・大丈夫です」

 

 

 

 私にぶつかってきた相手は、立ち上がると私よりもずっと大きかった。身長も、身長以外のところも。差し出された手を握っても明らかに自分のそれよりも大きいことがわかる。羨ましい。両方とも少しずつ分けてほしい。

 

 これがぶつかってきたら確かに破壊力は凄まじいだろうと思ったと同時に、私はその芦毛のウマ娘に見覚えがあったため頭を捻る。

 

 

 

「あの、結構有名な人でしたよね? 確か・・・・・・すみません、名前が思い出せなくて」

 

「はぁ〜? オメーこのゴルシ様を知らねーたぁ、とんだ世間知らずのお嬢さまちゃんのようだな!」

 

「思い出した。ゴールドシップさんですね。レース見てましたよ。 宝塚記念とか」

 

「そっかそっかー! いやーやっぱゴルシちゃんの伝説はあらゆる世代に語り継がれるんだなぁ」

 

「確かにあれは伝説ですよね。誇れるかどうかは別として」

 

 

 

 快活に笑ってるそのウマ娘はトゥインクルシリーズでGI6勝という成績を叩き出したゴールドシップだった。学園ツートップの片割れであるチームスピカの看板の1人として今もドリームトロフィーリーグで活躍してるウマ娘だ。史上初の宝塚記念連覇や4年連続のGI勝利といったパフォーマンスの高さにも驚くけど、多くの人は彼女の狂気にこそ惹かれると言う。

 

 でもこうして話してる分には、多少はっちゃけている部分はあれど、「狂気」と言われるほどではないと感じる。寧ろそれとは別の知性のようなものすらも感じ取れる。なんだかよくわからない人だ。

 

 

 

「アタシはオメーのこと知ってんぞ? ディープインパクトだろ? 最近波に乗ってるらしいじゃねーか!」

 

「光栄です」

 

「そろそろ皐月賞の時期だろ! うちのチームでもオメーが三冠ウマ娘になるかもしれねぇって噂だぜ! 三冠は狙うんだよな!」

 

「それが、まだ決めかねてて・・・・・・。皐月賞は出るんですけど、それ以降については」

 

「ほーん。ま、色々あるよな」

 

「はい」

 

 

 

 ほら。この人はみんなが言ってるような狂ってるとか、そんなのは全然感じられない。テンションは高めだけど普通に話しやすい。

 

 どうして出ないの? とか普通なら言ってくるんだけど、この人はこっちに気を遣ってくれてるんだ。

 

 

 

「クラシックは私の友人が何人も出るんです。もし私が三冠ウマ娘になったらそれだけ悔しかったり、夢を叶えられない子が増えると思うと・・・・・・」

 

「三冠で思い出した。アタシの同期でトリプルティアラ獲ったやつが居てよ、そいつは全然そんなこと気にしてなかったぜ?『ワタクシの邪魔をする者は誰であろうとぶっ潰しますわ!』ってな具合でよ」

 

「知ってます。確か海外のGIレースも勝ってた人ですよね」

 

 

 

 そのウマ娘は史上初のジャパンカップ連覇、URA主要4場全てでのGI制覇。ティアラ路線を選択しながら三冠路線のウマ娘達にも力負けしない肉体を持ったウマ娘。ゴールドシップさんとも何度か対戦している。このウマ娘ともいずれ対戦してみたい。

 

 

 

「ゴールドシップさんはどう考えてたんですか。皐月賞と菊花賞勝ってましたよね」

 

「考え? んなもんねーよ。楽しく走って、もし勝てればそれが一番じゃねーか。負けたやつがどう思うとか考えてる余裕もねーしな。そもそも自分がレースに勝てるかもわからねーんだからよ」

 

「そうですか」

 

 

 

 すると、ざっという足音が会話を遮った。他のウマ娘のものとは違う明らかに異質なもの。

 

 

 

「見つけましたわ! ゴールドシップ!」

 

「?」

 

「やっべ・・・・・・」

 

 

 

 出てきたのはゴールドシップさんと同じような芦毛だが、遠目から見てもゴールドシップさんより小さな体躯をしていた。そのウマ娘は流石の私でも知っている。メジロマックイーンだ。

 

 天皇賞・春の連覇を含むGI4勝。名門メジロ家の最高傑作と名高い彼女もまたチームスピカとしてドリームトロフィーリーグで活躍中だ。その傍ら生徒会副会長としてトレセン学園の生徒たちの学園生活をサポートしている。

 

 そんな彼女は顔を真っ赤にし、目を吊り上げ、耳を後ろに寝かせ、こちらににじり寄ってきている。誰が見てもめちゃくちゃ怒っているとわかる。

 

 

 

「私のスイーツ、一体どこへやったんですの!?」

 

「い、いやぁ〜、マックちゃんの体重が気になるってんで、蜘蛛の子散らしたように逃げちまったんじゃねぇか?」

 

「とぼけないでくださいまし! あなたが食べてしまったんでしょう! プリンのみならず、シュークリームやチーズケーキも無くなっていましたのよ! 絶対に許しませんわ!」

 

「プリンは食ったけどよ、シュークリームとかチーズケーキは知らねーよ!」

 

「プリンを食べてるじゃないですか!」

 

 

 

 食べ物の恨みは恐ろしいとよく言うけれど、あの優雅で、まさに令嬢って感じの副会長がここまで取り乱すなんて只事じゃない。よほど楽しみにしていたんだろうな。

 

 

 

「やベェー逃げてたの忘れたぜ! 話最後まで聞いてやれそうにねぇわ! わりーな!」

 

「いえ、ありがとうございました」

 

「あぁ、それとな、アタシはクラシックのレース、めっちゃ面白かったぜ! 面白そうだから出る、つまらなさそーだから出ねぇ、良いじゃねぇか!アタシは オメーが何を選んでもそれは正しいと思うぜ!」

 

「さっきから何を話してるんですの!?」

 

 

「じゃなっ! さらばっ」

 

「あっ! 待ちなさい!」

 

 

「行っちゃった・・・・・・」

 

 

 

 ゴールドシップさんと副会長はそのまま走り去っていった。まるで台風が通り過ぎた後のように、廊下は静まり返る。

 

 楽しく走る、か。そういえば私は何のために走ってるんだろう。楽しむため、強い相手に勝つため、みんなに褒められるため、それとも・・・・・・彼を喜ばせるため。どれも間違いじゃない、でも全部ピンと来なかった。彼女のような振り切れた強さは私には無かった。

 

 

 

 

 

 春という季節はGIレースが毎週のように開催される。桜花賞とは別にシニア級では春シニア三冠の第一戦目の大阪杯が開催された。そのレースにはシャウト先輩が出走したのだが結果は2着。大外から凄い脚で追い込みをかけたが届かなかった。

 

 よほど悔しかったようでレースが終わって数日経った今もシャウト先輩は荒れていた。

 

 

 

「くそっ、くそっ、くそっ」

 

「シャウト先輩、ベッドを叩いて大丈夫なんですか? 埃とか鼻に入っちゃいますよ」

 

「ごめんプイちゃん・・・・・・。でも〜〜! 悔しい!!」

 

「悔しい・・・・・・」

 

 

 

 

 余程悔しかったのかシャウト先輩は枕をベッドに叩きつける。私は大丈夫なのだが、当の本人は鼻が弱いので早速鼻を赤くしている。

 

 デビュー戦で一緒だったヴァジュラニオーちゃんも、今朝のジャパンちゃんも、そして今のシャウト先輩がしているその顔は同じようで、泣きそうになっているのか、それとも怒りたいのか、そのどちらともとれないような顔だった。

 

 

 

「シャウト先輩、聞いてもいいですか」

 

「ん、なに? ズビッ」

 

「レースに負けるのって、どんな気分なんですか?」

 

「・・・・・・」

 

 

 

 言ってみて気づく。自分がどれだけ意地悪な質問をしているかということに。惜しいレースが続くシャウト先輩と、勝ちが続いている私。そのことをよく考えずに発言してしまった。

 

 どんな顔をしてるのかと思ったけど、シャウト先輩は鼻をかんでいてティッシュで顔が隠れて見えなかった。

 

 

 

「いやっ! あのっ! 違うんです! 決して意地悪な気持ちで聞いたんじゃなくて! その、ごめんなさい!」

 

「・・・・・・わかってるよ。なかなか可愛い反応をしてくれるじゃないか」

 

 

 

 私は配慮に欠けた発言をして慌てふためいていたけれど、当の本人はそんな私を面白がってカラカラと笑っていた。まるで他人事みたいだ。

 

 

 

「そうだなぁ・・・・・・例えばこの間みたいに2着だったりすると、悔しいーってなるんだ。ここでああしとけば良かったとか、この子をもっと見ておくんだった、とかね」

 

「はい」

 

「でもさ、酷い負け方をすると・・・・・・なんていうか、悔しいとかより屈辱? みたいなのが来るんだよね。泥まみれの靴で踏みつけられたみたいな」

 

「屈辱・・・・・・」

 

 

 

 さっきジャパンちゃんが言ってたのと同じことだった。

 

『これがどんなに屈辱かわかりますか?』

 

 相手に情けをかけられれば屈辱、負けても屈辱。どうしてこうもままならないものなんだろう。

 

 

 

「自分の、何か大切なものが壊されるみたいな感じがするんだ。去年のジャパンカップとか有馬記念とか本当しんどくてさ。このままやめちゃおうかなーって思ったこともある。だから大阪杯ね、2着で負けちゃったけど収穫もあったんだ」

 

「それは・・・・・・?」

 

「もちろんレースには勝ちたかったよ、でも2着になってわかったんだ。自分がまだ悔しいって思えるって。悔しいとすら思わなくなったらおしまいだから」

 

「そうなんですか」

 

「でも! 負けることを考えて走るウマ娘なんていないよ。負けた時のことは負けた時の考えればいい。プイちゃんは調子良いんだから、そんなことを今は考えなくても良いと思うよ」

 

 

 

 私が勝つことでそのような思いをする子達が必ず出てくる。私に泥の靴で踏みつけられるような子が。弥生賞の1着で優先出走権を得ている皐月賞には出るとしても、その後色んな人が私に期待している『三冠制覇』をわざわざ狙う意味が私の中では見出せない。

 

 私だってレースに出るからには1着になりたい。強い相手と戦いたい。でも一生に一度しか立てない舞台にそこまでのこだわりがあるかと聞かれれば、答えをはっきり出すことができなかった。

 

 

 

「なんでそんなこと聞いたの?」

 

「なんで・・・・・・でしょうね。私にもわからなくて」

 

「もしかして弥生賞のインタビューで言ってたことに関係ある?」

 

「なくはない・・・・・・です」

 

 

 

 シャウト先輩はふぅと息を吐く。私の言わんとしていること、私の考えを読み取ったのかもしれない。

 

 私は傲慢になっている、それはわかっている。レースをやって自分が必ず勝つだなんて思い上がりも良いところだ。だけどどうしても考えてしまうのだ。私がレースに勝利し、他の子たちが膝から崩れ落ちて涙を流す、そんなビジョンが。

 

 

 

「わかっちゃいましたか? 私が言いたいこと」

 

「なんとなくはね。でもこれはプイちゃん自身のことだからアタシがどうこう言うことじゃないと思う」

 

「そう、なんですね」

 

 

 

「でもね、プイちゃん」

 

「?」

 

 

 

 いつもは飄々としているシャウト先輩がそのときばかりは真剣な顔をしていた。怒られる、と思ったけど、この人が私と真剣に向き合おうとしているのがわかって同時に嬉しくもあった。

 

 

 

「多分、あんたと同世代になった子たちは不幸だって言われると思う。生まれた時代が悪かったって。でもプイちゃんがいないクラシックで勝っても全然嬉しくないよ。絶対に」

 

「・・・・・・はい」

 

「ちなみにね、もしアタシが出るレースにそんな心構えの奴がいたら」

 

 

 

 

「ぶっ飛ばしたくなるね」

 

 

 

 

 シャウト先輩は粗暴に見えて、実は顔立ちがすごく綺麗だから、その時の彼女の表情は恐ろしくもあったけど、同時にとても美しかった。

 

 

 

 

 

「三冠ウマ娘になったのは史上では5人、やっぱり有名なのはミスターシービーにシンボリルドルフ、ナリタブライアンか」

 

 

 

 ディープインパクトが弥生賞を勝利してからいろんなことがあった。

 

 まずはじめにトレーナー室を与えられた。

 

 

・・・・・・

 

 

『トレーナー室、ですか』

 

『肯定ッ! トレーナーとディープインパクトの健闘と更なる活躍を祈って、というやつだな!』

 

『しかし理事長、私の担当はディープ1人だけです。そもそもディープの活躍に関しては彼女の頑張りと実力によるものです。トレーナー室を貰えるようなことは私は何も』

 

『反駁ッ! 君は素質ある者を先んじて見抜き、実力通りの結果を結びつけている! トレーナーとして今のところは合格と言っていいだろう!そしてこれは賞与の類ではない!』

 

『と言うと?』

 

『逼迫ッ! ディープインパクトは実力だけでなく話題性も高い! 加えて彼女のトレーナーである君は新人だ! メディアが食いつかない訳がない!そうすると君たちはこれからレース以外のことにも目を向けなければならなくなるだろう! これは労働条件の改善とも言うべきだな! 新人ながら大変だ!』

 

『はは・・・・・・』

 

 

・・・・・・

 

 

 といった具合でやけに広いトレーナー室をもらった。トレーナーが作業するための席だけでなく戸棚にホワイトボード、いくつかのパイプ椅子にテーブル、ガスコンロまで付いているから色々持ち込めばここで生活することも出来るだろう。まさかトレーナーを始めて1年もしないうちにこんな部屋が与えられるとは思わなかった。

 

 そこは今俺一人。部屋には控えめな空調音と三冠ウマ娘についての資料をめくる音だけ。ディープが来たら変わるかと言われればそんなことはなくて、普段のディープは物静かな方だからうるさくすることはない。でも同級生の前では気さくらしいし、もしかしたら俺はまだ彼女に信頼されていないのかも知れない。

 

 砂糖とミルクを大量に入れてカフェオレみたいな色になったコーヒーを啜る。これをやっても他のトレーナー達は居ないから怪訝な目で見られる事はないから良い。俺としては寧ろあんな苦いだけの飲み物をよく飲めるなと思っている。

 

 

 そして次に起こったことは理事長の言った通り、テレビやインターネット取材の申し出が大量に来たことだ。

 

 若駒ステークスのあたりの時は、インターネットでもディープの実力を疑う声は少なくなかった。やれ所詮はオープン戦だの、他のウマ娘の調整が悪かっただの、やれ展開が向いただの。そういうのは俺がクッションになるべきなんだが、まさか初めての担当でこんなことをするとは思わなかった。余談だが俺はあまり酒が行ける方ではないのだが、こういうのを見た時は決まってヤケ酒みたいに痛飲する。なおチューハイ2缶で記憶が飛ぶ。少ない量ですぐ酔えるからコスパが良いとも言う。

 

 話を戻そう。そんな疑いの声も弥生賞で払拭されることになった。着差こそデビュー戦や若駒Sのように大きくはないものの、GIウマ娘など重賞ウマ娘たちを相手にしたレース、内を通って完璧にレースを進めたアドマイヤジャパンを急坂の短い直線で余裕をもって差し切った。完全に力でねじ伏せたその姿に皆が三冠制覇を確信した。そしてメディアは彼女のトレーナーである俺にイタ電かと思わせるくらいの電話をかけてきたし、未読のメールはまだ200件以上残っている。これは恐らく全てこういった類で今から一件一件対応しなければいけないと思うとゲンナリする。

 

 ウマ娘の育成をするためにはそれ以外のところでも頑張らなきゃいけないんだなぁ。俺は別に人間にはそこまで興味が無いからウマ娘のトレーナーになったというのに。

 

 

 そして最後にディープインパクトのクラシック三冠挑戦について考える時間が増えたことだ。クラシック登録のとき、彼女は絶対の出たいと言っていた。一生に一度なのだからと。だけど今は皐月賞以降は出ないつもりでいるらしい。

 

 彼女に聞いてみると、同期のウマ娘たちに悔しい思いをさせたくないそうだ。それにディープ自身にも三冠に対する特別な思いなどは特に無いらしく、今後はシニア級に混じって強豪たちと戦いたいと言っている。つまり皐月賞の後に関しては投票されれば宝塚記念、それが無理だったら10月末に行われる天皇賞・秋を目指したいそうだ。

 

 となれば俺がディープに三冠ウマ娘への挑戦を薦める理由はない。ディープの意志を尊重したいと思ってるし、元々彼女は最初から強い相手と戦いたいと言っていた。だというのに俺はなぜか迷っていた。

 

 

 

 がらり、と扉が開く。目を向けるとディープの姿がそこにはあった。

 

 

 

「トレーナーさん」

 

「おぉ、ディープか」

 

「他にいないじゃないですか」

 

「わかんねぇぞ? もしかしたら俺に担当してほしいって子が来るかも知れないじゃないか」

 

「追い払います」

 

「何でだよ」

 

 

 

 小粋なジョークを言うようになったか。その割にはジョークって顔じゃないけどそれが余計に面白いからいいか。

 

 俺の方は思わずくつくつという笑い声が漏れるが、ディープの表情は明るいものとは言えない。

 

 

 

「なんかあったか?」

 

「実はジャパンちゃんを怒らせてしまって」

 

「うおお、すげえあっさり言った」

 

 

 

 忘れてたけどディープはこういうことをすぐ言ってくれるんだった。表情的にもっと時間をかけて教えてくれるもんかと思ってたからびっくりした。

 

 

 

「多分だけど三冠のことだろ?」

 

「はい。あの子はまた私と戦いたいそうなんですが、私が三冠に挑戦するつもりがないことが許せないらしくて。その理由もあの子には見抜かれてました」

 

「友達に悔しい思いをさせたくないってことをか?」

 

「私がレースに出なかったとしても結局勝つ子は一人だけ、勝てなかった子たちはやっぱり悔しい思いをするかと思います。それでも私が勝つよりかはいいと思うんです」

 

 

 

 俺自身でもまだ答えが出ない問いだ。難しい数学の問題に対面したかのように、取っ掛かりが見えそうで見えない疑問に無意識に天を仰ぐ形になる。

 

 

 

「そうだ、今日はオフにしよう」

 

「えっ? そんな、皐月賞も近いのに急に・・・・・・」

 

「よく考えたらここ最近ずっと休み無しでトレーニングだったじゃないか。決まりだ決まり!」

 

 

 

 俺の爺ちゃんもよく言っていた。休憩は走れなくなった時にするものではないと。この言葉もまた受け売りらしいんだが、重要なことだと思う。だから俺はトレーナー資格の試験勉強で適当に休んでたし、徹夜なんかは絶対にしなかった。

 

 レース以外のことも色々悩んでるようだし、オーバーワークで怪我なんかしたらそれどころではなくなってしまう。爪が割れたこともあったし、そもそもウマ娘という存在は俺が思っていたより繊細だったんだ。

 

 

 ある物の存在を思い出してデスクの引き出しをゴソゴソと漁る。このトレーナー室やデスクは与えられてそこまで日も経っていないはずなんだが、既に引き出しの中は混沌の闇に包まれていた。こう言うパーソナルスペースの整理はとことん出来ねぇなぁ。デスクの上とか、目につくとこはスッキリしてるんだが、そのために邪魔なものを一緒くたに詰め込むからこうなる。

 

 越してきて数ヶ月経ったトレーナー寮の自室もまだこらえているが、デスクの引き出しみたいになるのも時間の問題だろう。まぁ学生を連れ込むわけではないので別に良いんだけど、ディープはしれっとくる感じあるから片付けときたいし、単純に生活する上で気分が良くない。でも聞いたところによれば自分の担当に部屋の掃除をさせてるトレーナーがいるらしい。

 

 

 

「何か探してるんですか?」

 

「ちょっとな。確かここにいれたはずなんだが・・・・・・」

 

 

 

 大量の紙束をまさぐるうちに明らかに書類のコピー用紙とは違う硬い触感があったので引き上げると、期待していたものが手元にきた。

 

 

 

「ほらこれ」

 

「何ですか? このクレジットカードみたいなの」

 

「そのカードにはディープが勝ったレースの賞金が入ってる。学園に10%持ってかれてるけど残りは君のだ。渡すの忘れてたわ。それでなんか買い物とかしてきたらいい。結構入ってるけどあんま使い過ぎんなよ?」

 

 

 

 確か6000万くらいは入ってたはず。本当に「結構」の範疇にとどまってるか?この金額はよ。

 

 中学生にこんだけの金が入るとか、どんだけのビッグビジネスなんだよトゥインクルシリーズ。普通の感覚だったらそんな大金は使い切れないけど、ディープは大丈夫なんだろうか。大人が管理するべきなのか? でもそんなお年玉を預かって返さない親みたいなことをするのもなんかアレだし、かといって彼女の金銭感覚がぶっ壊れて、いずれ訪れるであろう引退の後に彼女が困ってしまう可能性もあるわけだし。これがあれか、あちらが立てばこちらが立たぬってやつか。

 

 

 

「えっ? レースの賞金ってトレーナーさんも10%貰えるんですよね? それはどうしたんですか?」

 

「う〜ん、賞金っつってもトレーナーとしての給料は十分過ぎるくらい貰ってるからなぁ。特に欲しいもんも無いし、ディープが勝ったんだからそれはディープのために使われるべきだろ」

 

「じゃあ、トレーナーさんも行きましょうよ。一緒に買い物とかしたいです」

 

「4月はちょっと忙しいんだよなぁ。ただでさえメディアにも引っ張りだこでその対応に追われてるし・・・・・・」

 

「そうですか・・・・・・」

 

 

 

 話してるうちに明るくなってきたと思ったが、また耳と尻尾に元気がなくなってしまった。そんなに俺と買い物行きたかったのかな。

 

 

 

「・・・・・・そんなに俺と行きたかった?」

 

「はい・・・・・・でも今日はお仕事ということなので・・・・・・」

 

「わかったよ。今日は早めに切り上げてどっか行こか」

 

「えっ! 良いんですか!」

 

「お、おう。残ってる仕事は明日の俺がやってくれるはずだ」

 

 

 

 もしかしたらと思って言った一言でディープが今日一元気になった。それは何よりなんだが、まだ大量にやる事が残っている・・・・・・。明日の俺、すまねぇがよろしく頼む。

 

 

 

 

「あっつ・・・・・・」

 

「そうですか?」

 

 

 

 彼は大阪の大学出身と言っていたけれど、出身は寒いところらしいからとても暑がり屋さんだ。最近の東京は4月の割には気温が高めで、彼にとってはこれでも堪えているそうだ。

 

 スーツを脱いで、Yシャツのボタンを開けると、その隙間からはじっとりした汗に濡れた肌色が見える。・・・・・・何故だかそこから目が離せない。

 

 

 

「どした? 服になんか付いてる?」

 

「ご、ごめんなさい」

 

「別に良いけどな。で、どこに行こうか」

 

「服を買いたいです。似合ってる服を選んで欲しいです」

 

「服かぁ。俺もそんなにこだわってるわけじゃないからなぁ」

 

 

 

 今私たちがいるのは原宿駅。そこから程近い竹下通りが目当てだ。若者向けファッションの小店舗が軒を連ね、平日でもそこそこの人が見受けられる。

 

 府中駅からここまで来るにはそんなに難しいことはないけど、彼は電車の乗り継ぎというものが苦手らしい。

 

 

 

「なぁ、服買うんだったら新宿でも良かったんじゃないか? あそこだったら乗り換えとかないし」

 

「大阪だって結構路線あるじゃないですか。東京と似たようなものだと思いますよ」

 

「大阪でだって散々苦労したんだよなぁ・・・・・・」

 

「ほら、行きますよ!」

 

 

 

・・・・・・

 

 

 

「どっちが似合ってましたか?」

 

「うーん・・・・・・」

 

 

 

 ディープが提示してきたのはデニムジャケットにスカート、もう一方は黒スキニーとストライプシャツ。デニムのカジュアルな感じも悪くないし、女の子がボーイッシュな服を着てるとグッと来るものもある。

 

 

 

「実に面白い」

 

 

 

 昔のドラマに出てきた物理学者のように、フレミングの左手をそのまま顔にやって考える。

 

 考えろ。値段的にはアイテムが多いデニムジャケットの方が高くつく。しかし経済的な問題は今は考えなくていいだろう。だからディープが本当に気に入ったものを買うべきで、俺はその補助的な役割をすればいい。春は気温の上がり下がりが激しいからシャツの方が使い勝手も良い。俺だったら絶対にシャツの方だが、ディープはどう思うだろうか。気に入った服だから俺に似合ってるか聞いてきたんじゃないか? ともすれば仮にデニムジャケットを気に入っていたにも関わらず、俺がそれに添えなかったとしたら? そもそも仕事を放って付き合ってるのはディープの気晴らしのためじゃないか。しかしディープがシャツの方を気に入った可能性だってあるじゃないか。

 

 

 

「どうですか?」

 

「そうだな・・・・・・こっち、かな。どっちも捨てがたいが」

 

 

 

 俺が指差したのは結局シャツとスキニーの方。趣味嗜好に相反することは人間にしかできないことだが、俺は人間以下だったみたいだな。ボーイッシュには抗えなかった。

 

 そもそも成人迎えてるやつが中学生を着せ替え人形にしてることも中々にやばい香り漂うことではある。というか着せ替え人形とかの前に部屋を覗いてんだよなぁ。

 

 

 

「そうですか。じゃあ両方買ってきますね」

 

「あっ」

 

 

 

 最初からそうすればよかったじゃねぇか。考えてる時間あったらマリトッツォの一つも食えたんじゃないか。てか今マリトッツォって売ってんのかな。

 

 

 

「ふふっ♪」

 

 

 

・・・・・・

 

 

 

「ねぇ、ほんとにぬいぐるみじゃなくて良いの?」

 

「良いんです。早く100円入れてください」

 

 

 

 ところ変わってゲームセンターのUFOキャッチャーのコーナー。多くの筐体の中には当然人気ウマ娘のぬいぐるみもある。しかしディープはそれではなくなぜか箱に入っているプライズ品のアニメキャラのフィギュアをご所望だ。ちなみに俺もディープも見たことがないアニメである。

 

 お出かけなら定番だろうと思っていたウマ娘ぬいぐるみをやろうと言った途端少し機嫌を悪くしてしまった。

 

 

 

「なぁ、なんでぬいぐるみじゃダメなんだ?」

 

「だって私がいないじゃないですか」

 

「そりゃ、いずれは作られるだろうけどさ、今は流石に早いだろう」

 

「つまり・・・・・・他の子なわけじゃないですか。ぬいぐるみになってるのって」

 

「だな」

 

「だからです」

 

 

 

 これをどう解釈する? つまりディープは他の子をぬいぐるみでまで取りたくないわけだ。いや、確かに自分の同僚とか同級生がぬいぐるみになって欲しいか? って聞かれたら別に欲しくはないだろうけど、ぬいぐるみになってるのはシニア級かドリームトロフィーリーグで結果を出してるようなメジャーでポピュラーなウマ娘たちであって、ディープを含めた今のクラシック級の面々はまだぬいぐるみ化はされていない。

 

 ぬいぐるみになってるのは例えば昨年の年度代表ウマ娘のゼンノロブロイや2年くらい前のジャパンカップで大逃げを打ったタップダンスシチー、その他多くのウマ娘が筐体に詰まっている。

 

 

 

「・・・・・・もしかして、もしかしてだけどさ。嫉妬してるのか? ぬいぐるみに」

 

「ち、違いますっ。そんなんじゃないです!」

 

「そっか、そっか!いやー嬉しいね」

 

「だから違うって言ってるじゃないですか!」

 

 

「またまた。ディープは()()()()()()()()()

 

 

「っ!」

 

 

 

 ディープは一瞬身体をビクッとさせて、それから暗い表情になってしまった。

 

 

「ディープ?どうした?」

 

「いえ、すみません・・・・・・。ただ、ジャパンちゃんに言われたことを思い出しちゃって」

 

 

 俺は何か余計なことを言ってしまったのか。俺が謝ってもディープは暖簾に腕押しのまま、結局ゲームセンターを出ることになってしまった。

 

 

・・・・・・

 

 

 もう春どころか夏すらも感じさせる太陽の照りつけは夕方になろうともその勢いは衰えを見せていない。雲もそんな太陽を嫌うかのように今日は快晴だったが、流石に時間には勝てないようで、放たれる光は暗く、濃くなっていく。

 

 ディープはあれからも落ち込んだ様子で、何をするにも上の空って感じだった。

 

 

 

「トレーナーさん、今日は付き合ってくれてありがとうございました。それと、ごめんなさい」

 

「えっ? な、何が?」

 

「私、UFOキャッチャーのところまでは普通に楽しめてたんです。トレーナーさんとのお出かけを」

 

 

 

 トレセン学園へ戻るために原宿の駅へと戻る際、ディープがふとつぶやいた。隣り合う影は進む方向に真っ直ぐと、長く伸びている。

 

 

 

「ジャパンちゃんであったり、シャウト先輩と話していく中で考えたんです。なんで走ってるんだろうって。でも全然わからなくて。そしたら今日のトレーニングがお休みになって、だったら今日はトレーナーさんとレースのことなんか忘れて楽しく過ごして、自分の中で整理したいって思ったんです」

 

「そっか。一応聞くけど、リフレッシュできたか?」

 

「全然です」

 

「やっぱりな・・・・・・」

 

「私、忘れようって思っててもずっとレースのこと考えてました。どうして走るのかとかじゃなくて、走ることしか私には考えられなかった」

 

「・・・・・・」

 

「なんのために走るのかって聞かれても、『私がウマ娘だから』ってこと以外には全く思いつかなかったんです」

 

 

 

 

 息を呑むとはまさにこのことか、そんなことを考えてしまうほどディープの、決意と不安と恐怖を同じ量だけ混ぜ合わせたような横顔は綺麗だった。

 

 この子の不安とかそういうのを1%だけでもわかってやれたら、トレーナーならみんなそう考えると信じている。

 

 

 

「でも、やっぱり怖いです。色んな人の感情とか、負けた子たちの思いに応えたりとか」

 

「ディープ・・・・・・」

 

 

 

 

「あー! ディープインパクトだー!」

 

 

 

 腹の底に鉛が沈んでいるような、そんな重い沈黙を、その幼い声が切り裂いた。

 

 声のした後ろをディープと揃って振り向くと、まず初めに西日の鋭い光が目に飛び込み、それから視線を少し下に下げると一人の小さな女の子がいた。保護者と思しき女性がその子の後ろから走ってくるのが見える。

 

 

 

「ね! ね! ディープインパクトだよね!」

 

「・・・・・・そうだよ、私はディープインパクト。私のこと知ってるんだ」

 

「とーぜんじゃん! あたしね、だいファンなんだー!」

 

「とっても嬉しい。レース見てくれてありがとう」

 

 

 

「すみません、娘がご迷惑を」

 

「いえ、そんな。ディープも喜んでると思いますよ」

 

 

 

 女の子の母親と思しき女性はここまで走ってきたのか、若干息を乱してこちらに礼を言ってきた。

 

 

 

「実は私も娘が見てるのを一緒に見て、ディープインパクトさんのファンになっちゃったんです」

 

「ありがとうございます」

 

「・・・・・・テレビで見てるより思ったより小さいのね」

 

 

 

 ディープが少し気にしていることを言いよった。思ったよりとかじゃなくて、それはお宅のテレビが大きいからではないのか。

 

 しかしせっかくのディープのファンだ。そんなことは言えるはずもなく後ろの方で苦笑いを浮かべることしかできなかったが、ディープはその母親の発言を気にしている様子は見られない。

 

 

 

「こんどのさつきしょう? は、みにいけないんだけど、ダービーはみにいくんだ! だからぜったい、かってね!」

 

「・・・・・・」

 

 

 

 このような少女の顔を見ていると、自分にもこんな時代が確かにあったのだと懐古に浸ってしまう。今の自分は気に入っているが、昔に戻りたいと思うことがない、というわけでもないのだ。

 

 その純粋無垢な少女は信じてくれているのだ。ディープが一生に一度の舞台に出て、そして勝利するということを。しかしそれが場合によっては叶わなくなってしまうかもしれないのだ。

 

 

 だから俺はその女の子を静止しようとした。しかしディープはそんな俺を止めたのだった。

 

 

 

 

「トレーナーさんはどう思いますか?」

 

「・・・・・・何が?」

 

「私はクラシックに出るべきなんでしょうか」

 

「・・・・・・」

 

 

 

 私がそう言うと彼は黙りこくってしまった。明かりのついたトレーナー室には壁がけ時計の秒針の音だけが響き、それがやけにうるさく感じるほどの静寂がこの部屋を支配していた。

 

 

 

「何か言ってください」

 

「・・・・・・ディープが同期の子に少しでもチャンスを与えたいっていう思いがあるなら、・・・・・・クラシックに無理に出走する必要はないと思う」

 

「そうですか」

 

「そうだ。トレーナーは・・・・・・担当の希望に沿ったサポートをするのが仕事なんだ」

 

 

 

 彼は目を伏せてしまう。その時の彼はまるで、何か悪さをしたことを母親から隠している子供のようだった。

 

 

 

 だから私は彼の頬を掴んで無理矢理にでもこちらを見るようにした。

 

 

 

「ディ、ディープ!?」

 

「トレーナーさん」

 

 

 

 絶対に私から目を逸らせないように、その場でキスしてしまうかのような距離感で。彼の見開かれた焦茶の目も驚きの色に染まる。

 

 

 

「じゃあトレーナーとしてではなく『あなた』の意見を聞かせてもらえませんか?」

 

「お、俺が」

 

「あなたは、私に、ディープインパクトに、どうしてほしいんですか?」

 

 

 

 

「そんなの・・・・・・出てほしいに決まってるじゃないか・・・・・・」

 

 

 

 

 彼は割れたコップから水が少しずつ漏れるように口を開いた。

 

 

 

「三冠ウマ娘になれるかもしれないんだぞ? 日本ウマ娘の歴史上でまだ5人しかいないんだよ。ディープは今のところ全部のレースを勝ってるから、あのシンボリルドルフ以来2人目、トウカイテイオーやミホノブルボンが達成できなかった無敗の三冠まであるんだよ」

 

「でも、そうなったら他の子たちが悲しい思いをするかも・・・・・・」

 

「そんなの知ったことか!」

 

 

 

 コップの割れ目が少しずつ広がり、水が漏れる量も増え始めた。

 

 

 

「俺は見たいんだよ! もう一度三冠ウマ娘が現れるのを! もちろんディープが負ける可能性だってあるさ!」

 

「でもそれがレースなんだ。だから本当に凄いことなんだよ、三冠ウマ娘になることは。だから俺はディープにクラシック三冠に挑戦してほしいんだよ。それを達成できるかもって思わせてくれたから」

 

 

「・・・・・・トレーナーさんは、私が負けると思いますか」

 

「これっぽっちも。勝負事だから何があるかわからないけど、俺はディープが負けるところを想像できない」

 

「私がクラシック三冠を走っているところを、本当に見たいんですか?」

 

「あぁ、見たい。君の一番近くで力にならせてほしい。これはトレーナーとしてじゃない、俺個人の望みだ」

 

 

 

 彼の方から真剣な目で見られて、つい私の方が彼から目を逸らしてしまう。自分が無理矢理目を合わせようとしたというのに、なんという様だろう。

 

 彼の頬から手を離しても彼は私の方を見つめてくる。実家で飼ってた犬がこんな感じだったな。ご飯あげるのを焦らすとこっちをじっと見てくる。トレーナーさんを犬扱いなんてしちゃいけないことだとは思うけど思い出してしまった。

 

 

 

「いいですよ」

 

「本当か!」

 

「はい。みんなが私の出走を望んでいる、そうなんですよね」

 

「多分な。多くの人がディープの三冠挑戦に期待を寄せてる。もちろん俺もだ」

 

「観客だけじゃない、私と一緒に走るであろう子たちも私の出走を望んでいました」

 

「どっかの漫画になぞらえて言うなら、ディープがいないクラシックなんて肉の入ってないハンバーガーだ。そんなのを食ったって味気ないだろ?」

 

 

 

 ジャパンちゃんが、フィエスタが、シンパシーが、あの女の子が、そしてトレーナーさんが、私にクラシックに出てほしいと言う。女の子やトレーナーはともかく、他のウマ娘たちですら。

 

 もう知らない。もう他の子に気を遣ったりしてあげない。

 

 

 

「やるからには必ず勝ちます。私と一緒に戦ってください」

 

「当然だ」

 

「肉が入ってないのが嫌なら──」

 

 

 

 どんな思いをしたって、私はもう知らないんだから。

 

 

 

「後悔するまで食らわせてやりましょう」

 

 

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