バリアヒーラーの迷宮探索 作:死期
※不快な描写アリ
精神的に脆い部分のある子だと、ヘスティアは初めてその子にあった時から理解していた。
普通「家族が怪我したときにどこまで治せるかわからないと大変だから」なんて理由で、腕をナイフで裂いたりはしない。
普通見知らぬ土地に突然放り出されてから、ものの一日で立ち直れるはずがない。
どことなく異常な精神性の少女。過剰な献身を当然のものと思い違えた、自虐的と言っていいほどの頑張り屋。
それがニィと名乗った少女。
思えば、彼女の名乗りは最初からおかしなところがあった。
『───ジブンは、えーと、『ニィ』ッス⋯⋯、その記憶喪失みたいな感じッス』
記憶喪失との談には嘘があった。そして『ニィ』という名乗りには嘘がなかった。
おかしな話だ。
彼女には『ミジタアキラ』という名前があると彼女自身が言っていた。だというのに『ニィ』こそが彼女の名で間違いはない。
そして、こうも言っていた。
『ニィとは名乗ったんスけどね、ジブンの国じゃあコレ、『兄』を意味する言葉なんスよ』
己を『兄』として定義している少女。
それは、つまりどういうことなのか。
それが意味するのは。
ニィは、きっと『兄』としての自分以外を───
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なんでもない、なんにもないと何度も嘘吐いて、ホームを飛び出した。
なァにが『ベルを探してくるッス』だ。それさえ嘘じゃねェか。
ベルがどこ行ったかわかんねェ。
ベルが何考えてたかわかんねェ。
家族だ家族だっつってた相手のことが、さっぱりわかんねェ。
ンじゃあどっかに嘘がある。
さっぱりわからんってのが嘘か、『家族』だってのが嘘か。
───あァそりゃもちろん、後者だ。家族だと思ってたなんて、嘘だったんだよ俺ァ
だって、不安だった。
生まれてから、死ぬまで俺ァずっと『兄ちゃん』だった。
血は繋がってなくても弟と妹ァみんな俺を頼ってくれた。それが嬉しくて嬉しくてさ。
そんでぽっくり逝ったから、そういうもん全部なくなっちまった。
どこにもいねェんだよ、兄弟姉妹が。家族がいねェんだよ。
ヘスティア様は、
でも、足りねェんだよ。
だって俺は『兄ちゃん』だぞ。
今はこんなちんちくりんで情けねェガキだけど、俺は『兄ちゃん』なんだ。
俺は、『兄ちゃん』じゃねェ俺なんて────
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日が昇るまで、ベルは見つからなかった。そもそも俺なんてァ探してなんかなかったろうが。
あァアイツなら自力でなんとかするだろうななんて、そう思ってたろ。
ふらふらとホームに戻った俺を迎えたのは、ボロボロで気絶してるベルと、健気に手当をするヘスティア様もだった。
朝まで
あの3本傷、5層まででつくものじゃねェ。
コイツ、6層に、1人で。
───俺なしで
やっぱり、いらねェじゃん。
目の前の光景見りゃ分かるだろ。
【ヘスティア・ファミリア】って『家族』は、この二人で完結してる。
そこに、『
「───ニィ君、待つんだ。座りたまえよ」
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真っ青な顔をした
何があったのかは聞き出せなかったけど、
⋯⋯その何かがつい先程起きたようなものではなく、彼女がずっと背負い続けている
もう、だめだ。
これ以上先延ばしにすれば、この子が潰れる。
自分から相談してくれるようになるまで待ってる時間なんて、もう欠片たりとも存在しない。
「ニィくん、もう一度言うよ。座ってくれるかな?」
「⋯⋯」
ニィは何かを言いかけて、その拍子に崩れかけた表情に気を取られ、結局何も言わなかった。
ヘスティアはそれに追求せず腰掛ける。無言で反対側の席を指し示された少女は、困ったように笑うと心底億劫そうに座り込んだ。
「何があったのか、話してくれないかい?」
ぱくぱくと口を動かして、頬をかいて、そっぽを向いて。
ニィはしばらくの間そうして、真っ直ぐに見つめてくるヘスティアの視線に、ついに降参とばかりに両手を挙げた。
「───ジブン、わかんないンス」
ポツリと吐き出した一言。魂さえ抜けていくようなぐったりとした弱々しい響きだった。
「前言ったじゃないッスか。ジブンはジブンを『兄』と呼ばせて悦に浸ってるんだって」
「言っていたね、でも───」
彼女の母国───本人の談によればこことは違う世界───において『ニィ』とは兄を示すのだという。
「でも、じゃないンスよ。ジブン、『兄ちゃん』しかわかんねェッス。『弟・妹』以外の家族がわかんねェッス。ヘスティア様が言ってくれた『
「そんな───」
「そんなことない、とか言わないでほしいッスよ。神様、ジブンのこと知らねェからそんな勝手なこと言えるんス⋯⋯ヤ、違うッスね⋯⋯ジブンがなんも言ってねェだけッスね⋯⋯」
反論を認めない否定がピシャリとぶつけられ、黙るほかない。
ニィは覚悟を決めたような───全てを諦めたような顔で、続けた。
「神様、あなたがジブンを
俯いて両手を広げる。まるで掌に染み付いて消えない汚れがあるかのように、開いた瞳孔で見詰めている。
「ニィくん⋯⋯」
呼び声に律儀に応え、へらりと笑った少女の顔は、奇妙に引き攣っていた。
「───ジブン、親を殺しました」
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日本において孤児院という名称の施設は廃れて久しい。
それでも三下彰が暮らした施設は『孤児院』の名を冠していた。
身寄りのない子供を引き取り育てるその施設は、富豪による援助を受けて活動しており、最年長にして最古参のアキラは5歳の頃からここで育てられていたことを覚えている。
その孤児院にてアキラが初めて
見知らぬ屋敷に連れてこられ、普段とは比較にならないほど丁重なもてなしを受けた。子供心ながらはしゃいだ覚えがあったものだ。
食べたことのないような料理を食べて、見たことのない豪邸を探索した。泳げるほど広い風呂に入って、ふかふかの布団に寝かされた。
そして、小太りの中年男性によって犯された。
非合法の『孤児院』の正体は、好事家向けの少年少女を売る犯罪組織だった。レンタルで貸し出されては性的暴行を受ける日々はそこから始まった。
見目麗しい子供を買い取り販売する事業は、権力と癒着した富豪によって秘匿され、莫大な利益を上げた。
弟たちは、嫌だ嫌だと夜な夜な泣くことも多かった。
一番年長で、一番
生まれつき可愛らしい顔をしていたのが良かったのだ。男、女問わずアキラは一番人気となり、一番の稼ぎ頭となった。多少のワガママなら院の『先生』は認めるようになり、ワガママの全てを『家族』のために使った。
それが狂ったのは、アキラの体調が急変してからだった。
後天性免疫不全症候群の発症と、それに伴う日和見感染と多臓器障害。
性交によって感染する性感染症の一つ。最悪の免疫疾患だった。
用済みどころか疫病神と化けたアキラは、処分法が確定するまでは措置を保留とされた。
稼ぎ頭のなくなった『家族』の負担は劇的に増加し、最年少のリサが耐えられなくなったことで完全に破綻した。
まだリサは10歳になったばかりの子どもだった。
「たすけて、にぃ」と、『兄』自身がなにより求めていた助けの声に、アキラは行動でもって応えた。
リサが泣きついたその晩、孤児院から全ての『
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「───ニィ、くん」
「⋯⋯やめてくださいッス、その顔⋯⋯」
話したくはなかった。
そういう顔、汚物を見るような顔
「⋯⋯やめてくださいッスよ、ホントに⋯⋯⋯」
あァさ、こう言えば、さも悲劇的な境遇にいた子どもみたいに見えるだろうよ。
俺だってそんな環境にいるやつ見りゃあ可愛そうだってまず思う。
だけど、
「ヘスティア様、ジブンが
「⋯⋯」
そうだヘスティア様。
あなたはこう想像するだろう。
『殺人を犯すことを苦しく思ったのではないか』
『恨みを晴らせて清清したのではないか』
『義務感に従っていて何も考えていなかったのではないか』
どれもそう簡単に踏み込めない発想だろうよ。だから答えられない。
あなたは、優しい神様だから。
多分、俺の思ったことは、あなたの想像より、万倍汚らわしい。
「『これでやっと自分を頼ってくれる』ッス」
「ジブンが、ダメになってからアイツら全然頼ってくれないンスよ。代わりに先生に『兄ちゃん』を助けてくれってさ⋯⋯嫉妬したんスよ。頼られてる先生が妬ましくて妬ましくて。リサに頼られたとき歓喜したンス。やっと邪魔者を消せるって」
⋯⋯分かってる。異常だ。俺自身さえ気持ち悪いと感じる最悪の感性。
俺は頼られなきゃ、俺でいられない。
頼れる兄ちゃん以外の自分が分からない。
「⋯⋯ジブンは、多分もっと早くに先生を殺せたッス。『家族』が限界になるより、もっと前に、殺せてたはずなんス。は、ハハッ、それをしなかったのは、たぶん、『家族』が困れば困るぶんだけジブンを───」
「───やめるんだ」
あァ、ヘスティア様。いつの間に、こんな近くに。
肌に触れる熱と、雫の冷たさ。
抱き締められてる。そんで女神様、泣いてる。
「やめるんだ、それ以上自分を傷付けるのは⋯⋯」
⋯⋯だから、嫌だったんだ。
こんな異常者のために、きっとこの神様は泣いてくれるって。そういう下種な妄想があったから話したくなかった。
いっそ軽蔑してくれればよかった。
そういう人じゃないんだろうという確信があったから、話したくなかった。
俺の自慰行為に女神様もベルも、使いたく、なかった。
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笑顔の仮面で泣いている。
へらへらと、こんなことなんでもないんだと言いたげに、泣いている。
頼られることしか知らない子ども。
頼るということがわからない子ども。
凄惨な虐待によって確立してしまった最悪の自己認識の産物。
「───ジブンは、ヘスティア様にも、ベルにも釣り合わないッス」
「そんなことない」
ニィは、嘘を言っていない。
「───ジブンは二人の側にいるべき人間じゃないッス」
「そんなこと、ない!」
ニィは、嘘を言っていない。
「───そう言ってもらえると、甘えてたから、ジブンは最低の人間なンスよ」
「キミ、はッッッッ!」
ニィは、嘘を言っていなかった。
己の価値を貶める発言を、心の底から信じ込んで話していた。
「キミは、いいんだ。いいんだよボクらと居て⋯⋯いいや、違う。お願いだからボクらと居てくれ。そんな今にもどこかに行ってしまいそうな顔、しないでくれ」
「⋯⋯」
また
「じゃあ、そうッスね⋯⋯一つ証明するッス」
「⋯⋯なにをだい?」
「お二人の隣りにいていいんだってことを、ジブンはまだ頼れる『兄ちゃん』であることを、ここに証明するッス」
嘘だ。
己の発言を他でもない自分で叶わないと思っている。
「ベルは、強くなるッス⋯⋯その時に隣りにいて恥じないジブンであれるように、証明するッス」
嘘だ。
隣にいて恥じない未来などないと彼女自身が確信している。
「証明するッス。今日、ここで、ジブンならベルに追いつけるって証明して、そしたら帰ってくるッス」
嘘だ。
帰ってこれるとニィ本人が思っていない。
「待て、待ってくれニィ君! どこに行くんだ!」
「───ダンジョンへ。ベルの辿り着いた6層へ、ジブンも行くッス」
真実、だ。
他でもないヘスティア自身によって
「じゃあ行ってくるッスよ、女神様。どうかご壮健で───」
「───さようなら、ぼくの優しい女神様」
扉の向こうに消えていく顔に、軽薄な笑みはなかった。