バリアヒーラーの迷宮探索 作:死期
黒刃を振るうモンスターの前で項垂れる少女の顔は、断頭台の上で沙汰を待つ罪人のようだった。
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泥に身を浸すような破滅的に甘い微睡みの中で、神様からの『お願い』を聞いたような気がした。呼び声に応えなくてはならないと。そう思った。
目を覚ましたところでヘスティア様から、ニィが6階層を目指して一人でダンジョンに潜ったと知らされた。
そして神様から告げられた、ニィという少女の過去。
かつて体を売っていたこと。
育ての親を殺したこと。
不甲斐ない自分では【ファミリア】にいる資格がないと話したこと。
全部聞いた。
全てを聞き届けた上で、ベル・クラネルという少年は───
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ダンジョンの6階層。
袋小路の広間に、あってはならない人の背。いてはならない誰かの背。
ベル・クラネルがモンスターの凶刃をナイフで受け止め、突き飛ばしていた。
「⋯⋯な、んでッスか⋯⋯」
ボロボロだ。
ポーションでは即座に完治できないほどの重症を負っていたはず。丸一日しっかり寝て、そうしたら起き上がれるのではないかという疲労の度合いだったはずだ。
無茶な行進をしてきたのだろう。防具は薄汚れて塞がりかけていた傷が開き血が滲んでいる。
「⋯⋯なんで、ここに⋯⋯」
馬鹿な事を聞いた。
そりゃあもちろん俺の為だ。
性根が善良極まる少年が、団員の迂遠な自殺を止めないはずがない。ましてや『次は必ず守る』とまでいった男だ。来ないはずがない。
ホームで気を失っているベルを回復しなかったのはそういう理由。
俺を止めに来れないように。
俺が『もしかしたらベルなら助けに来てくれるかもしれない』なんて、甘えたこと考えられないように。
退路を断つつもりで回復魔法を使わないって選択を取ったんだ。
だから、来れるはずが、ない。
「な⋯⋯ば、バカ⋯⋯、ベル、血が、傷が開いてるッス⋯⋯治さ、なくちゃ⋯⋯」
現に、ベルの背はふらついている。足元が覚束なく、意識状態が悪い。誰がどう見ても満身創痍だ。
彼はふらつく足を踏ん張って、俺の前に割って入った。
「───ニィ、聞いて」
「な、なンスか⋯⋯」
優しくて、それでいて決断的な、有無を言わせぬ言葉。
脳内を乱舞するカテゴライズ不可能な感情群を差し置いて、俺は聞き返した。聞き返してしまった。
「ニィのこと。全部、神様から聞いたんだ」
「⋯⋯そンで、け、軽蔑したッスか。とんだキチガイだって⋯⋯」
「───ちがうよ」
予防線を引くようなみっともない自虐に───俺が、心のどこかで欲しがってた───否が返ってくる。
「ごめん、悩んでるってことに気付いてあげられなくて」
────、やめて、くれよ。
決めたはずだろ。分かったはずだろ。
こんないいやつの隣に、俺がいていいはずないって。
なに救われた気になってやがる。
なに救われていい気になってやがる。
コイツらの善意に寄生して、いいはずが、ないだろう。
「⋯⋯帰れ、帰って、くださいッス⋯⋯」
「そうだね、一緒に帰ろう。神様が心配してる」
「う、うるせぇッス! なに、なんでジブンを、連れてくつもりなんスか!⋯⋯キズ⋯⋯傷だらけじゃ、ないッスか⋯⋯」
「⋯⋯たしかに、ちょっと、キツイ───かもッ!!」
ベルの傷は深い。動きは精細を欠いている。
治すか。なけなしのマインド全部かき集めれば、多少の傷は塞げるはずだ。
それで、その後は?
俺の負傷も大概まずい。頭から血が流れて止まらないし、左腕は肩のあたりから動かない。その状態でマインドを限界まで費やしたら、間違いなく気を失う。
そうしたら、ベル・クラネルはどうする?
団員追っかけてボロボロのまま6階層に来ちまうような男は、どうする?
決まってる。
気絶した団員を『今度こそは助けよう』と奮起して、死ぬ。
「なに、やってるンスか⋯⋯、逃げて、逃げてくださいッス⋯⋯」
「そう、だよッ!! だから、立って───!」
俺のせいで、俺を守ろうとしてベルが死ぬぞ。
俺はなにしてる。
立てよ、早く。
立たねェと。
立たねェと、いけないのに。
俺は、頼れる『兄ちゃん』なんかじゃ、なかったから。
「ごめん、なさい⋯⋯ジブンの、ジブンのせいで⋯⋯ごめん、なさい⋯⋯ごめんなさい⋯⋯もう、ジブン、立てないッス⋯⋯」
「───そっか⋯⋯」
折れてた心を、拠り所を失った自我をどう立て直せばいいのか知らない。
折れず、凹まない頼れる『兄ちゃん』でいられなくなった俺は、もう俺じゃない。
浅ましくて、情けない、ただの
「それなら、僕が、守るよ」
「⋯⋯」
───あァ、やめてくれ。やめてくれよ。
俺が、家族一人守れないクソ野郎なんだと、再認させないでくれ。
もう、俺は、いやだよ⋯⋯
なにもかも中途半端な、情けない野郎だと───
「うん、
───やめて
───もう認めたく、ない
「───だから、
─────え?
「正直、結構ヤバい⋯⋯、ちょっとふらふらしてて、キツイ、かもしれない⋯⋯」
モンスター2体の猛攻を防ぎながら、背中越しにベルが言っている。
俯いていた顔が、いつの間にか前を。
「それに、今に限った、話じゃなくて──ッ!⋯⋯僕は、馬鹿だから、隣に誰かいてくれないと、いつか大失敗しそうで、怖いんだ」
右腕は、まだ動く。
棒を握りしめた手に力が籠もっている。
それを支えに体を起こす。
───なんでだよ
なんで、そんな、俺が欲しかった言葉を、言っちまうんだよ。
オイ、頼られてるぞお前。
頼ってくれてるんだぞ。
「───だから、助けてほしい。『
───、あァ、立つよ。立てるよ、それなら。
頼れる兄ちゃんじゃねェ。
情けなくって、浅ましくって、救いようのないガキだけど。
俺が、必要だと、言ってくれたんだ。
なら、立てなきゃウソだろ。
「───ベルは、馬鹿ッス⋯⋯」
「あはは⋯⋯そうだね」
「ベルは、お人好しが過ぎるッス⋯⋯」
「そう、かな⋯⋯?」
震える膝に力を入れた。
底をつきそうなマインドを奮い立たせ、精神を集中する。
「でも、ベルは、ジブンがいなくっても立派にやってけるッスよ⋯⋯?」
「うーん、それは、どうかな⋯⋯?僕はそんなことないと思うけど──」
振り返ることのない少年の顔が、ほころぶように笑ったのがなんとなく、わかった。
「──もしそうだったとしても、僕はニィと一緒にいたい」
「─────、」
ホントに、この人は。
誘い文句が、魅力的すぎるんだ。
ほんっとに、この人たちは───
「───わかったッス、はい、ハイハイわかりましたッスよ⋯⋯」
あァ、なんでだろ。
さっきまで落ち込んでたのに。死にたいとさえ思ってたのに。
そんで、現在進行系でとんでもないピンチだってのに。
ニヤケが止まんねェよ。
嬉しい、嬉しいなァ。
嬉しくて嬉しくて、手放したくないなんて、思っちまった。
「ベル、今から援護を───ベルを、助けるッス⋯⋯」
「⋯⋯うん!」
どの口で『助ける』だなんて、そう思ってくれていいのに、コイツ笑ってやがる。心底嬉しそうに、楽しそうに笑ってやがる。
「───だから、ベル、お願いッス⋯⋯ジブンを、たすけてください⋯⋯」
「⋯⋯うんッ!!任せて!!!」
俺も、釣られて笑っちまうじゃないか。
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倒れかけて、死にかけて、ほうほうの体でホームに帰りついた。
ドロップ品なんか拾ってる暇なかった。
防具は壊して、服もボロボロ。稼ぎはパァだ。
そんな俺達を迎え入れたヘスティア様は、最初ひどく怒って、そしてギュッと両手で抱き締めてくれた。
「───神様」
「どうしたんだい?」
「ジブン⋯⋯やっぱわかんないッス」
ベルと二人でおんなじベッドに放り込まれて休みなさいと叱られた。限界超えて奮闘したベルは死んじまったのかと焦るくらい、すぐに眠りについて今は規則正しい寝息を立てている。
女神様は俺の手を取って、ひどく優しい顔をしてた。
「結局、ジブンは頼られないとジブンじゃいられないッス⋯⋯神様が言ってくれたような『互いに助け合う家族』を、理解できてるわけじゃ、ないンス⋯⋯」
「───そうかい」
「ベルに、助けてほしいって言ったのも、形だけなぞったハリボテの関係でしか、ないかもしれないッス」
「⋯⋯そうかい」
俺は、『兄ちゃん』じゃない俺が分からない。
生まれてから死ぬまでそうで、死んでからも変われてないと思う。
そして、それは一般から逸脱した異常な感性であるってことも、ヘスティア様とベルが望んでいる関係性とは異なるってことも分かってる。
でも変われない。
今更、『頼れる兄ちゃん』であろうとする自分を変えられない。
だからやっぱり俺の『頼るふり』ってのは、形だけの偽物に過ぎない。
二人の優しさに甘えておきながら、二人の望みに応えられていない。
「───けど、うれし、かったンス⋯⋯ベルに『守ってほしい』って言われて、涙が出るほど、ジブンは、ジブンは⋯⋯」
「───そう、かい」
ポロポロと、眦から溢れた雫がこめかみにが伝う。
「手放したくないって、思っちまったンス⋯⋯」
子どものワガママより質が悪い。
二人の隣に立つ資格なんかないのに、浅ましくもそこに居座ろうとしている。
二人の善意につけ込んでいるというのに、善意に正しい意味で応えることができない。
そのくせ、手放したくないときた。
浅ましい、情けない居候。
恥知らずの居直り強盗もかくやの所業。
「かみさま⋯⋯かみさま、ジブン、ジブンがこんなひどいヤツだなんて、思ってなかったッス⋯⋯もっと、ジブンの尻拭いくらい、できるって⋯⋯もっと、潔い野郎だと、思ってたンス⋯⋯」
「⋯⋯そうか」
ぽんと頭に手が乗せられて、涙が余計止まらなくって。
ボロボロ溢れる水をどうにか止めようと、顔中ぐしゃぐしゃにして拭う。
止まらない。
「⋯⋯かみ、さま⋯⋯ジブンは、ジブンはッ⋯⋯」
「いいんだ、ニィ君。キミはそのままでいい」
泣いている子どもにかけるような、優しい声。
「分からないんだよね。『
「⋯⋯ぐ、ずっ⋯⋯はい⋯⋯」
「分からないから、こわいんだよね。
「⋯⋯は、いっ⋯⋯」
ヘスティア様は、子どもを安心させようと、精一杯に柔らかい笑顔で。
「───じゃあ、ボクらが教えてあげるよ」
「⋯⋯っ⋯」
「分からないこと、怖いこと、一緒に考えるからさ」
そんな、そんな言い方。
ずるい。
ずるいよ。
「変わらなくっていい。変えれなくっていい。それでもキミが一緒にいれば、きっと毎日楽しくなるさ」
「そしてボクとベル君も助けてくれよ。ボクは見ての通りダメダメな女神でさ、ベル君もちょっと目を離したらすぐに変な女の子に引っかかるような子だ」
「だから、情けないボク達を助けてくれる子がいないと困ってしまうよ───ずっとウチで、一緒に助け合ってほしい」
助けることしか分からなかった。
助けられることが分からなかった。
だから、
だから、
一度はそれで拗れた関係を。
でも、それでいいって。
分からないなら、一緒に考えてくれるって。
怖いなら、一緒に悩んでくれるって。
やだ。
やだよ。
手放せない。手放したくないよ。
もう、こんな温かさ知っちゃったら、戻れないよ。
「───ずるいッス⋯⋯、卑怯ッスよ⋯⋯、ふたりともよってたかって、ジブンに好きなこと言って⋯⋯」
「ず、ずるいかな⋯⋯?」
「ずるいッス⋯⋯、あんまりにも、お二人がずるいから⋯⋯⋯惚れちゃったじゃ、ないッスか⋯⋯」
「───そう、かい」
頭を撫でる手が、心地いい。
こうやってされるがままになってたのって、入院してからしかなかったな。
そっか、アイツらも、今のヘスティア様とおんなじこと思ってたのかな。
ゴメンな、兄ちゃん鈍くって、気付いてあげられなかったよ。
そんな、鈍くて、お馬鹿な『兄ちゃん』の、ミジタアキラはあの日死んじまった。病気拗らせて、家族に心配かけて、くたばった。
ここにいるのは『ニィ』だ。
『頼れる兄ちゃん』の真似事に必死で、薄らニブイ大馬鹿者で、そんでヘスティア様とベルの『
「そっか⋯⋯そっかぁ⋯⋯」
「⋯⋯そう、ッスよ⋯⋯」
ぽんぽんと撫でる手があたたかくて、いつの間にか涙も引っ込んだ。
体が疲れすぎてて、瞼が勝手に垂れてくる。
「それは、良かったよ。本当に、よかった」
「⋯⋯なにが、よかったッスか⋯⋯人たらしの、神様め⋯⋯」
眠たい。
眠たいなァ。
こんなに、眠るのが怖くないと思えたのは、久しぶりだ。
あァぬくもりが近い。あたたかさに身を委ねていつまでも眠りたい。
ふわふわと、ばらぱらに、千切れていく意識を最後にかき集めて、俺は、最後になにかを言った。
「⋯⋯ジブンを⋯⋯こんなめちゃくちゃに、して⋯⋯せきにん、とって⋯⋯くだ、さい⋯⋯ッス⋯⋯」
「───そっか⋯⋯おやすみ、ニィくん」
「⋯⋯お、や⋯⋯────すぅ⋯⋯」