バリアヒーラーの迷宮探索 作:死期
ふらりと意識を失って倒れこむパルゥムの少女を、フィン=ディムナは既のところで支えた。裂けた外套に包まれた体に力はなく、完全に気を失っている。
「なんだよそのガキ。どこで拾ったんだ?」
「───すぐそこでね。怪我をしてたから保護したんだ」
「ハッ、ざまぁねぇな雑魚が」
「⋯⋯ベート」
嗜めるような呼び方に獣人の青年、ベートは気に入らなさそうに舌打ちをした。この少女がミノタウロスに襲われたのだということを薄々察していたのだろう。
少女と、そして先程逃げていった少年───ベルと呼ばれていたか───がミノタウロスに襲われたのは、元はと言えばフィン達の落ち度だった。
遠征の帰りに17階層で討ち漏らしたミノタウロスの群れをこの5層まで逃してしまったのは、間違いなく【ロキ・ファミリア】の失態だ。
敏捷に秀でた団員で追ったため奇跡的に死人は出なかったが、この少女は突然上層に出現した中層のモンスターにあわや殺されるところであった。
フィンが遠目にミノタウロスを発見したとき、すでに少女は死に体だった。同族たるパルゥムの少女が、見たことのない魔法で石ころを飛ばしているのが見えて、即座にミノタウロスを細切れにした。
「それと彼女を雑魚と呼ぶのは早計だ。少なくともミノタウロスの片目を潰していたからね」
「それで死にかけてちゃ世話ねーだろうが!」
5層で活動する冒険者ということは、まだ駆け出しを卒業して間もないだろう。先程のいかにもひよっこな少年とパーティーを組んでいたあたり、本当に活動したての可能性もある。
そんな少女が圧倒的な格上である、ミノタウロスの目を。
───ふむ
気になるところはいくつもある。
駆け出しにしては随分強力な回復魔法を使用していたのもそうであるし、半狂乱になって家族を心配する様子もそうだ。
ヒューマンである少年が家族か。似た髪色をしていたことからも兄妹だったのかもしれない。いやしかしこの体格は
ともあれ、ダンジョンで突っ立ったまま考えに耽るわけにもいかない。傷はハイ・ポーションで治癒したとはいえ重傷を負っていた此度の被害者を立たせたままにするのは悪い。
遠征組と合流し地上に戻るのが先決だ。
「逃げたミノタウロスはこれで全てだね。よしアイズ、ベート合流しようか⋯⋯⋯⋯アイズ?」
⋯⋯助けたはずの少年に逃げられた【剣姫】が呆然と突っ立っている。
よほどのショックだったのだろう。
「そうだ、この子を頼んでいいかな⋯⋯アイズ?」
「⋯⋯ええ、はい」
男に担がれるよりはいいだろうと、気絶した少女を任せる。上の空のアイズの様子に、フィンは苦笑を隠せなかった。
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暖かい。
日だまりのような温もりの中、ふわふわと体が浮いている。どこまでも飛んでいってしまいそうな浮遊感。
あァ、繋ぎ止めてくれ。兄ちゃんこのままじゃどっか行っちまいそうだ。
誰か。
誰でもいいから、手ェ握ってくれ。
抱きとめてくれ。
どこにも行かないでって、そう言ってくれ。
俺を、頼ってくれ。
そうすりゃ兄ちゃん、死ぬまで頑張れるんだ。
だから。だから───
───あったけェなァ。でも、ここにはなにかが足りない。
目が覚めた。
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「⋯⋯⋯ン」
知らねェ天井だ。ウチのホームのもんじゃねェ。清掃の行き届いた小綺麗な作りだ。
コタツで寝てる猫みたいに丸まってた体を伸ばす。ここは、ベッドか。ふかふかの枕に清潔なシーツ。
あァね、足りねェ足りねェって魘されてたのは"人肌"が足りねェってか。いくらベッドが上質でも一緒に寝てくれるヤツがいねェとな⋯⋯
あァ、イヤちがうちがう。こんな女々しいところ人に見せるわけにァいかねェ。誰もいなくてよかったわ。
「───お、なんや。起きたんか」
「にょわっ!?」
いたわ、人。くっそビビった。
赤髪で狐みたいに目の細い女性───ん、胸がないな男? いや声高いし女っぽい人が椅子に後ろ向きに座ってた。そんでその周りに二人の男と女。
なんだかこの糸目の女、護衛されてるみたいだな。やんごとない身分の人か。
状況を把握できずに硬直したところ、糸目の女性は近付いてきていきなり体をまさぐりだした。
⋯⋯⋯え、なに、触診? 医者かなんかッスか?
「ほうほう、フィンが気にかけとったしどんなもんかと思うたけど、ええこやないか」
「えっ、と、あのどちら様ッスか⋯⋯?」
「ふっんアンタ、ウチのこと知らへんのか。ま、ええわちょっと大人しくしとき⋯⋯おおー、ちっと痩せすぎやけどこれはこれで趣あってええな」
お、お、オ⋯⋯?
なんか手付きやらしいな。なんか胸と尻ばっかり触るじゃん。
オイ待てこれもしかしなくてもセクハラだな?
こ、コイツしばいていいんか?
そこの護衛っぽい兄ちゃん姉ちゃん、この変態しばいていいか。だめ? なんで君たち哀れな犠牲者見る目ェしてんの? ちょいと助けてくれ。
「ちょ、ちょっとどこ触ってるんスか⋯⋯!!やめるっスよ⋯⋯!」
「あーそんな殺生な」
手を押しのけて身を逸らす。
殺生な、ではない。
セクハラは犯罪だ。オラリオではどうなんか知らないけど。
肌蹴た病衣をいそいそと直す。あン? なんやこれ病衣じゃん。今気付いたわ。
あー、そういえばダンジョンでミノタウロスに出会って、そんで金髪の兄ちゃんに俺が、金髪の姉ちゃんにベルが助けられたんだった。
そんで今こうして保護されてアフターフォローされてるわけだな。アフターフォローっつーかセクハラされてるけど。
「えっと、スンマセン。ここどこッスか? パツキンのにーちゃんねーちゃんに助けてもらったのは覚えてるんスけど」
「アンタ、えらいけったいな話し方すんな⋯⋯ま、ええわ。今アンタが言うた通りやな。ウチのファミリアが取り逃したモンスターにアンタらが襲われて怪我してたんや、そりゃウチで面倒見なウソやろ」
けったいな話し方って、アンタが言うなアンタが。似たようなもんやろがい。
まァそれはともかくとして、やっぱりあのミノタウロスは中層から逃げてきたやつだったんだ。
⋯⋯死にかけた恨みがないわけじゃねェが。助けてくれたのは間違いねェ。
それに5層に行こうってベルに言ったのは俺だ。俺が余計なことしなけりゃ死にかけるような目に遭わなくて済んだハズなんだ。
「そうッスか⋯⋯ヤ、スンマセン。ありがとうございますッス」
「そんで体調のほうはどうや? なんでもえらい怪我しとったそうやないか。傷は塞がっても体力までは戻っとらんやろ」
「そこまで⋯⋯悪くはないッスね、ハイ⋯⋯」
まァた体をぺたぺた触られる。もういいわ、なんか抵抗すんのめんどくせー。
そんで体調か。体調は悪くない。虚脱感というか怠さが体から抜けきっていないが、普通に動けそうだ。
⋯⋯あの飲まされたポーション、もしかしてどえらいお高いヤツなんじゃね?
ヤバい。金なんかないぞ。
土下座するか。お金ないので後々返済しますって。
「⋯⋯あの、デスネ。えーとお嬢さん?」
「お嬢さんてなんやお嬢さんて。あーそうかまだ名乗っとらんかったな」
「あ、ハイ、スンマセン。ジブンも名乗ってないッスね。ほんとすみません。えー、ハイ、ジブンは『ニィ』ッス。一週間くらい前から冒険者やってるッス」
「一週間前からか、そりゃ駆け出しもいいとこやな」
狐目の女にセクハラ受けながら、ベット上で正座。オイ尻触れないからって内腿はやめろ。服肌蹴ちゃうだろ!
自分じゃちょっとお高いポーション代返すのァ厳しいんで、先行土下座で心象を良くしようか。なんならこの場で体売ってもいいんで、ね、今すぐの返済はちょっとばかし待ってくれませんか。
「アンタ、それなんやの?」
「土下座と言うッス。極東に伝わる由緒正しき謝罪方法で、首を切られても構わないって意思表示ッス」
「ちょい待ちィ!!え、なんやの、なにがアンタをそこまでかりたたせるん!?」
怪訝な顔をしていた女性が素っ頓狂な声あげた。
あ、でもセクハラはやめないんスね。ちょっと変な気分になってくるから離してくんないかなァ。
そうやって初手で平身低頭することで憐れみを誘うムーブをしていたら、ガチャリとドアが開く音がして誰かが入ってきた。
「失礼するよ───」
土下座したままちらっと扉を見たら、あ、あの人じゃん。金髪の槍使ってた少年だ。命の恩人がドア開いてぴしりと一瞬かたまった。
ン、まァ、アレだわな。
土下座する幼女にセクハラかます糸目女って構図だもんな。まだ尻撫でられてたし。そりゃどんな顔すりゃいいかわかんねェだろ。
少年が咳払いしたことで女の手が止まった。あー、あれか。ちゃんとあしらえばやめてくれるのね。さっさとしばいてやればよかった。
「───すまなかったね、うちの主神が」
「あ、いえ、大丈夫ッス」
しばかなくってよかったでーす!
神、神かー。この人。
セクハラ魔神とお呼びしても? 不敬罪で殺されそうだしやめとこう。俺もヘスティア様がそんな不名誉な呼ばれ方した日にァ闇討ち仕掛ける自信があるし。
ところで少年は何者⋯⋯?
近くに椅子を寄せて座った彼には、なんかやけに大人びた雰囲気あるけど。
「先に名乗っておこう。僕は【ロキ・ファミリア】団長のフィン・ディムナ。ダンジョンで君を保護した人間だ」
「あ、ハイ。ジブンは『ニィ』ッス。この度は危ないところを助けていた、だき⋯⋯?」
え、なんて言った。
ロキ? ロキ・ファミリア?
あの最大派閥の【ロキ・ファミリア】の団長?
そんじゃその主神っていう糸目のセクハラ魔神は、神ロキだと。
う、うーん。意識が遠のきかけた。
この神ロキをしばいてたら、オラリオ最大級のファミリアに喧嘩売るところだった。こんなところに核地雷が埋まってるなんて予想もしなかったわ。
「おっとすまない。まだ安静にするべきだったか。話はまた後日にするかな」
「ヤ、大丈夫ッス。スイマセン、その、なんか思ってたより大変なことになってたなって感じなだけなんで」
「そうか⋯⋯それじゃあ君も楽にしてくれ」
楽にしてくれって言われて楽にできるはずもない。
いやァめちゃくちゃ強い冒険者だなァとは思っていたが、
嘘じゃん。トンデモねェ爽やかイケメンじゃねェか。騙されたわ。
あ、いやでも、ベルくんのが顔いいなァ。アイツ愛嬌あるくせに妙に凛々しいからな───ってちがうちがう。脳内で弟分の自慢を展開してる場合じゃない。
フィンさんは、なにやら話をしに来たらしいんだった。神ロキもそこに口出しするつもりはないらしく、面白そうな顔でこっちを見てくる。
「えっと、それで、話ってのは⋯⋯?」
「話───、そうだね、その前に一つ謝罪させてくれ。君と、君の家族を襲ったミノタウロスの件だ。あのミノタウロスは本来17層にいるはずのモンスターだ。だけど遠征の帰りで疲労もあってね───ああいや、これは言い訳になるな。ともかく、ミノタウロスの群れを逃してしまったんだ」
あわあわあわ。
しゃ、謝罪ッスか。
天上人にンなことされたら恐縮するしかできないんだが。
話される内容はなんとなく予想していた通りのモンで納得がいく。とりあえずは壊れた人形みたいにコクコク頷いておこう。
「追いかけて掃討した時には、キミは重傷を負っていた。この度キミの命を危険に晒したのはひとえに僕達の責任だ。【ロキ・ファミリア】を代表して謝罪させてほしい」
「しゃ、謝罪なんてそんな、やめて下さいッス。ほら現にジブンは助かってますし、そもそもジブンがミノタウロスにも勝てない雑魚なのが悪いんスから。なんで、その、謝罪は受け取れないッス。いや受け取りたくないッス」
マジで心臓に悪いからやめてほしい。
フィンさんって人【勇者】とかいう二つ名だけあってめっちゃ紳士だ。真摯な紳士だ。
でも最大派閥のファミリア団長に、木っ端団員が謝罪させるとか縮み上がるんでやめてください。
「⋯⋯そうか、でも僕達はキミの家族も危険に晒したんだよ」
「それァ、わかってるッス。もし、ベルに、万が一のことがあったら、たぶん死ぬほど恨んでたとは思うッス。けど、一番恨めしいのって、家族さえ守れねェよォな軟弱なジブンじゃないッスか」
だから、謝ってほしくない。
『危険に晒してすまない』『守るのが遅くてすまない』だとか
あァ情けねェ。
情けねェよ俺ァ。情けなさすぎて涙が出てくる。
だってよォ。
それってサ、俺にァ家族を守れるような力なんざねェって言われてんのと変わらねェだろ。
そんでそれが図星だから尚の事腹が立つ。言われなくても分かってんだ。
俺が弱かった。俺が浅はかだった。だからベルを危険に晒したんだ。
「───そうか、わかった」
「ン、スンマセン、変なとこで突っかかって」
「いや、構わないよ⋯⋯じゃあそうだね、当初の予定通り少し話をさせてもらおうかな」
ヤ、切り替えよう。
この人にそういう当てこすりみてェなこっすい魂胆は欠片もなかったんだ。俺が過剰反応してるだけ。なのに嫌な顔一つしねェのァすげえよ。
まァとにかく切り替えだ、切り替え。よし気分は元通りだ。
んで話、ね。
駆け出しでひよっこの自分に、第一級冒険者様が何聞きたいんかわかんねェけど。まァ悪いようにはならんだろ。
あと、どうにか交渉してポーション代負けてもらえねェかな⋯⋯
嘘を見抜く神の前で『ニィ』=『兄』を自称しても突っ込まれてないのは、正常な挙動です。そのあたりは追々説明します。