「法師がそんなに心配か? てっきり、儂に斬り掛かってくると思っておったが、全員揃って視線を逸らすとは嘗められたものじゃ」
どういう仕組みか封印道具と同じ蔦を従えた姫が、弥勒に呼びかける一行を小馬鹿にする。犬夜叉は仲間達を背に庇うようにして立つも、ひとまず睨むだけに留めた。
姫が操られているだけなら斬るわけにはいかない。そう考え、真意を確かめていた犬夜叉は、驕慢な笑みを浮かべた姫に鼻で嗤われた。
「この姫の身体が共に死することに耐えられぬか? だが、安心するが良い。これは本物の身体ではなく、儂が模倣したものじゃ」
「自分から懸念を払拭してくれるとは、随分と親切だな」
「この程度、話したところで問題はない。お主が法師に何が起こっておるのか知らぬまま、儂を斬るとは思えぬからな」
警戒心を剥き出しにした琥珀色の双眸で疑う犬夜叉に、姫は皮肉な笑みを口元に湛えて両手を広げる。斬られることを受け入れるみたいな態度に、犬夜叉が苦虫を噛み潰したような顔をした。
姫により開かれた戸から差し込む月明かりが、仲間達からの視線を一身に浴びる弥勒を照らす。夢を見ていないのか表情も変えず、寝返りも打たず眠る法師の端正な寝顔は穏やかで、身体の一部を失っていると思えない。
痛みも喪失感も本人には伝わらないようで、昏々と寝息を立て続ける弥勒の着物を、皺になるほど強く握る珊瑚。そこから見える左手に手根部しかなく、しなやかな手の消失が現実だと告げている。
「くくく。それにしても、流石、退治屋の里の道具じゃな。よく効いておる」
「やっぱり、犯人はお前か!」
「テメェ、弥勒を元に戻しやがれ!」
一行がサラサラと消えゆく指に絶望する中、彼らの表情と反比例した満足気な表情の妖怪。
声を震わせ怒る珊瑚と鋭い眼光を向ける犬夜叉に、勝ち誇ったように挑発的に口角を吊り上げて見せる。
「お断りじゃ。砂となった法師の身体は、わしの養分となるのじゃからな」
「なっ!?」
「人間を封印する仕様にしたのもテメェの仕業か」
大きく目を見開いた珊瑚が、思わず弥勒へと視線を向けた。気持ちよさそうに眠る弥勒の左手は、既に手首まで消えている。
大きく開いた袖口から見えなくなった左手が、砂へと変化して妖怪の養分になったということだ。
「養分が高い法師や巫女は総じて手強く厄介じゃからな。だが、眠らせてから砂にして体内に取り込んでしまえば、赤子の手を捻るように手に入る。そこの法師みたいにな」
犬夜叉の鋭い眼光を物ともせず嘲笑した妖怪が、心底楽しそうに獲物を見る。珊瑚以外も釣られて弥勒に視線を送ると、妖怪がやれやれといった風にわざとらしく眉を垂らす。
「近くに居れば居るほど早く手に入るからな。気付かれず此処に居るつもりだったんじゃが、四魂のかけらで正体がバレるのは誤算じゃった」
「今まで屋敷にお祓いに来た巫女や法師も、そうやって養分にしていたのね」
「こうして話しているのも時間稼ぎってことか」
面倒臭そうに溜息を吐いた妖怪に目線を戻し、かごめと珊瑚が妖の意図を見抜いた。弥勒が砂になるまでの時間を稼いでいるのなら、先程からやたらと詳しく話す理由に合点が行く。
今にも踊り出しそうなほど愉悦に浸る妖に向き直り、犬夜叉は鉄砕牙の切っ先を向けた。金色の瞳に怒りと焦燥が滲んでいる。仲間を失うかもしれない恐怖に、背中に嫌な汗が流れた。
「俺に叩っ斬られたくなきゃ、大人しく砂時計を寄越しな」
「砂時計?」
「この封印道具は、砂時計をひっくり返しゃ解けるらしい」
「弥勒の左手も元に戻るのか!?」
大丈夫だ、まだ間に合う。と自分に言い聞かせ、首を傾げるかごめに説明する犬夜叉。彼にそれを教えた珊瑚が、七宝の期待に満ちた声に頷く前に、馬鹿にするみたいに嘲笑う妖怪に遮られる。
「戻るぞ、子狐よ。逆さにすれば、封印されていた者の時が巻き戻る。じゃが、完全に砂となった後では、いくら返したところで戻らぬがな」
「ベラベラと妙に親切に喋りやがって。こっちは時間稼ぎに付き合う気はねぇんだよ!」
「おっと」
余裕綽々な態度を崩さない妖怪に、青筋を浮かべた犬夜叉が斬りかかった。それを軽々と避けた妖怪は、手の中にある砂時計を見せつけ、揶揄うような笑みを浮かべる。
「そう焦るな。儂が砂時計を持っておるとは限らぬぞ?」
「どういうことだ」
「くくく、一ついいことを教えてやろう。砂時計は法師の魂と繋がっている間、妖怪には据え膳ものの甘い匂いを発する」
参戦しようと飛来骨を投げる体勢だった珊瑚に、妖怪は胸から溢れる愉悦を隠しもせず満面に刻んだ。勝ち誇ったようにニヤリと口角を上げた妖怪が、犬夜叉に視線を合わせる。
「半妖、お主はもう気付いておるじゃろう? 儂は同じ匂いが屋敷中から漂うよう、細工を施した。つまり、匂いを発する場所の数だけ偽物があるということじゃ」
「そんな……ッ」
「すべての部屋を探しておったら、弥勒が先に砂になってしまうぞ!」
思わず悲痛な声を漏らしたかごめと、今にも泣き出しそうな表情をする七宝。犬夜叉が悔しそうに舌を打ったことで、挑発的な妖の言葉に信憑性を添付する。
事実、犬夜叉は最初に弥勒から甘ったるい臭いがすると言っていた。据え膳ものの匂いではなく嫌な臭いなのは、半妖と妖怪の嗅覚の差なのか、犬妖怪には強すぎるのか。
「そういうことじゃ。たかが半妖如きの嗅覚で、本物を探し当てられるか、せいぜい見せてもらおう」
「けっ、本物なんか探さなくても、テメェをとっ捕まえて聞き出せば済む話だ!」
周囲をうねる蔦を引き連れて背を向けた妖怪に、犬夜叉が鉄砕牙を振り下ろして刀身を叩き込む。室内だと言う配慮などまるでない行動に、床板に穴が空いたが説教を飛ばす者は居ない。
軽やかな身のこなしで庭に降りて避けた妖怪は、余裕綽々な態度を崩すことなく笑みを浮かべる。見目麗しい姫の姿を借りている為、月光に照らされて笑う姿が幻想的で艶かしい。
「やれるものならやってみるがいい。法師が生きておるうちは、儂は屋敷から離れぬ」
月に連れ去られそうな儚い雰囲気を醸し出し、姫が妖艶に微笑む。そして、大量の蔦で自身の身を覆い隠し、風に攫われる桜の花みたいに消えた。
「チッ、なめやがって。かごめ、かけらの気配はあるか!?」
「うん。まだ、そんなに遠くには行ってないわ!」
「よしっ、追うぞ!」
「おらも!」
雲散霧消した姫に激しい怒りを燃やす犬夜叉は、首肯したかごめと飛び乗ってきた七宝を乗せて鼻を動かす。姿は完全に見えなくなってしまったが、甘すぎる臭いに混じって微かに妖の臭いもした。
「珊瑚と雲母はこの部屋に砂時計がねぇか確認してくれ!」
「えっ!?」
「さっき言っただろ! 弥勒から甘ったるい匂いがしてるんだ、頼んだぞ!」
「ええっ!?」
泡を食ったような声の珊瑚に早口で捲し立ててから、かごめと七宝を背に乗せて走り去る犬夜叉。珊瑚は無意識に伸ばした手を宙に固定したまま、動揺を色濃く滲ませた顔をほんのり赤らめる。
そもそも、蔦に気付いたのは、甘ったるい臭いがすると、犬夜叉が眉を顰めて布団を捲ったからだ。珊瑚の嗅覚では嗅ぎ取れないが、本物の砂時計を隠している可能性は確かにある。
しかし、軽く見渡しても、部屋の中に砂時計らしきものはない。部屋の中には布団と衝立しか見当たらず、隠せるところもないだろう。そして、匂いの元は弥勒。そこから導き出される答えは——。
「法師さまの、き、着物の中……」
優秀な脳内に弾き出された砂時計の隠し場所に、珊瑚の満面が火を灯したように真っ赤に染まった。