硬く目を閉じて深呼吸を繰り返し、早鐘を打つ心臓を落ち着かせる珊瑚。気合を入れてカッと開いた瞳に、無防備な寝顔を晒し続けている弥勒が映る。先程、羞恥心に打ち勝つ為に確かめた左腕は、もう肘まで消えていた。
珊瑚は隠し武器で蔦を斬りながら、震える手で袈裟を解く。蔦は斬っても斬っても生えてきて、弥勒の身体を締め付けた。そのうえ、恥じらいで上手く解けず、珊瑚は四苦八苦する。
何とか解いた袈裟を広げて、砂時計の有無を確認するも、残念ながら姿を見せてくれない。珊瑚は手早く紫色の布を畳んで枕元に置き、横を向いた弥勒をそっと仰向けに返す。
力の入っていない身体から温もりを感じたが、左腕だけ袖から見えていない現実に、焦燥を駆られた。含羞の色を頰に滲ませた珊瑚は、恥ずかしすぎて今すぐ逃げ出したいが、危機感に背を押されて黒衣に手を掛ける。
「法師さま、ごめん……ッ!」
意識を失った好きな人の着物を剥ぐことに罪悪感を抱き、何故か口を出た謝罪の後、共襟を徐に開いた。下から薄い襦袢が露わになっていき、落ち着かせた胸の轟きが、先程の比ではないほど強まる。
帯のところまで前を開いた珊瑚は、呼吸をするのも苦しいぐらいドキドキしながら、着物の中に手を入れた。身を乗り出して懐や袖の袂を探っていく。
破魔の札や数珠など見覚えのある道具達を、手探りで次々と外に出した。着物の中に手を泳がせても何も当たらなくなり、本物の砂時計の可能性は低いと判断する。
念の為、入念に墨衣の中に手を這わせていると、胸の辺りで心臓の鼓動が伝わった。蔦に縛られ眠ったままだが、温もりを感じられる身体と脈打つ心臓。弥勒が生きている証だ。
珊瑚は胸いっぱいに押し寄せる不安に羞恥を追いやられ、また泣きそうな暗い顔に戻る。悪いことばかり考えてしまう頭を切り替えようと、弥勒の腰に跨った。
上半身に群がる蔦を隠し武器で斬り、胸元に顔を埋める為の拓けた道を作る。弥勒の心臓の音をもっと近くで聞きたくて、身体を前に倒した。
(法師さま……)
ゆっくりと目を閉じて、弥勒の心音に耳を傾ける。一定の早さで脈打つ中枢器官と、薄い肌襦袢から伝わる温かさに、強い意志を宿した双眸を開いた。簡単に諦めるなんて、らしくない。
珊瑚は少し後ろ髪を引かれつつ耳を心臓部から離し、弥勒の唇に顔を向けた。封印を解く方法は砂時計を壊すか、弥勒自身を目覚めさせること。先程できなかったことを実行すべき時だ。
即ち、弥勒に口付けを送り、目を覚ましてもらう作戦。かごめから互いを愛し合っていれば、唇を重ねて目覚めさせることができると聞いたことがある。
弥勒に心から愛されているか分からない。だが、少なくとも珊瑚は弥勒を愛している。試す価値はあるはずだと意気込んだ珊瑚は、弥勒の耳横に左手を付いた。
(法師さま、起きて……ッ)
跨ったまま前のめりで愛しい法師を見下ろし、蕩けたような縋るような眼差しを向けながら、ゆっくりと顔を近付けていく。生まれて初めての接吻に、心臓が張り裂けそうだ。
「珊瑚! この砂時計、どうすりゃひっくり返るんだ!?」
「珊瑚ちゃん、弥勒さまの様子はどう!?」
「——————ッ!!」
すると、ドタドタと慌ただしい足音と共に、犬夜叉とかごめが戻って来た。あまりにも突然の登場に頭が真っ白になった珊瑚は、咄嗟に近くにあった枕を投げる。
顔から火が出そうな珊瑚に投げられた枕は、犬夜叉目掛けて真っ直ぐに飛んでいった。そして、そのまま犬夜叉が避けるより早く、彼の手の中から砂時計を弾き飛ばす。
枕を受け止めたことで、ガラスが割れる音と共に粉々になる砂時計。犬夜叉の手から飛んでいった破片と砂が床を汚す。封印を解く鍵の消失に、部屋が気まずい静寂さに包まれた。
唖然として砂時計に向けられていた一行の目が、ほぼ同時に弥勒の方へと移る。幸か不幸か、スヤスヤと寝息を立てている弥勒に、特にこれといった大きな変化は見られなかった。
皆の視界に映された弥勒の着物が乱れていて、改めて誤解を招くことをしていると気付く珊瑚。枕元に畳まれた袈裟、帯の辺りまで大々的に開かれた墨衣、腰の上に乗っている自分。
まるで、弥勒の寝込みを襲おうとしているような状況に、珊瑚はカァーッと頰を赤らめていそいそと法師から降りる。チラリと横目で仲間達の様子を伺うと、かごめのキラキラした目とかち合った。
「珊瑚ちゃん!」
「ち、違うから! 法師さまの寝込みを襲おうとしてたわけじゃないから!」
「でも……」
かごめに何か言われる前に先手を打ち、誤解を解こうと試みる珊瑚。期待に満ち溢れたかごめが言葉を紡ぐより先に、被せるようにして否定した。
「い、犬夜叉が……、法師さまも甘い匂いがするなんて言うから……ッ」
動揺で双眸を彷徨わせた珊瑚が、面映そうに言い訳を尻窄めていく。かごめは可哀想なほどオロオロしている珊瑚に、つい伸びた手で優しく頭を撫でた。これ以上、揶揄うのは躊躇われるほど、獣に狙われた小動物みたいに萎縮している。
顔を両手で覆い、恥ずかしさに悶える珊瑚を抱き締めるかごめ。よしよしと慰めるように頭を撫でるのも忘れない。ついでに、珊瑚の艶やかな髪を堪能しつつ、話を逸らしてあげようと目線を動かす。
「あっ、見て! 珊瑚ちゃんが砂時計を壊したおかげで、弥勒さまに巻きつく蔦が消えてるわ!」
「左手も元に戻っておる!」
「何でえ、壊して良かったのかよ」
パッと視界に映った弥勒が蔦から解放されていて、かごめと七宝の声が弾んだ。羞恥など一気に雲散霧消した珊瑚も、慌てて顔を法師へと向ける。
確かに、弥勒の周囲から、忌まわしい封印の蔦が消えていた。七宝が泣きそうな表情で触れている彼の左腕も、ちゃんと指先まで元通りだ。
喜悦溢れる二人の声色と違って呆れたような口調だが、犬夜叉もホッと安堵の表情を浮かべている。珊瑚は安心のあまり脱力し、じわりと目尻に涙が滲んだ。優しく微笑むかごめが優しく背を撫でる。
胸の奥から込み上げてくる歓喜に従い、かごめの腕の中で泣こうとしたその時。髪を切断され、着物もボロボロな姫が、かごめが使っていた布団から出て来た。
どうやら布団の中に身を隠していたらしい。かごめの寝具に潜む妖に、犬夜叉が何してやがると拳骨を落とす。かごめも心底嫌そうな表情をしていた。
妖怪は砂時計を奪われた際、犬夜叉に攻撃されて傷だらけ。奪ったのも攻撃したのも拳骨も犬夜叉。だというのに、妖は憎しみのこもった鋭い眼差しで、何故か珊瑚を睥睨している。
「おのれ、退治屋! 砂時計の効果を反転させたことに気づきおったな!」
「……へっ?」
「とぼけるな! 法師を心から愛する者が砂時計を逆さにした瞬間、法師の魂が壊れるよう仕向けたことに気がついたのじゃろう!?」
「なっ!?」
布団から這い出ることもできず、情けない格好で怒気を振りまく妖。想定外の難癖に涙が引っ込んだ珊瑚に、更なる怒声を浴びせる。きょとんとしていた珊瑚は、妖怪の怒鳴り声に驚愕した。
あのまま、犬夜叉から砂時計を預かり、逆さにしていたら弥勒の魂は壊れていた。その事実にゾクリとする。背筋を凍らせた珊瑚を抱きしめたまま、かごめが要点をまとめた。
「つまり、本来は逆さにすると封印が解けて、壊すと魂が壊れる条件が入れ替えられていたのね?」
「砂時計は法師の魂と繋がっておる故、法師が心から愛する者以外は動かせぬし壊せぬ。せめて、愛する者に殺される法師を見てから、消えようと思っておったの、に……ッ、うっ」
「えっ……」
妖怪の暴露に声を漏らしたのは珊瑚。すぐに理解が追いつかず、身体を強張らせて唖然とする。その間に、限界だったらしい妖怪は、悔しそうに苦しそうに呻いて、砂と化して消えていった。
呆然とする珊瑚から離れて、犬夜叉とかごめがヒソヒソする。喜色満面の笑みを湛えたかごめが、先程の比ではないほど興奮していた。
頭の中で妖怪の説明をグルグルさせていた珊瑚は、ふと父の言葉を思い出す。
この封印は基本的に一度発動すると二度と解けない。砂時計が固くて何をしても動かないからだ。だが、封印された妖怪と砂時計を手にした者が、互いを心の底から愛していれば時計が動くことがある。
硬い表情でそう紡いだ父の言葉に嘘はないだろう。妖怪の説明は悔し紛れの誤情報ではなく、本当だということだ。
つまり、弥勒と珊瑚はお互いに同じぐらい大きな愛情を持ち、お互いのことを、心の底から愛し合っている。
「〜〜〜〜〜〜ッ!」
ようやく理解に至った珊瑚の満面が、燃え盛る火の中に居るみたく熱くなった。けれども、弥勒に愛されていることが分かり、胸を張り裂かんばかりの勢いで、歓喜が湧き上がる。
珊瑚は元に戻った弥勒の左手を両手で包み込んだ。封印の後遺症か、夜色の瞳は未だに固く閉ざされている。だが、触れることができる左手が、封印の解除を物語っていて不安はない。
そして、それは弥勒と珊瑚が愛し合っている証明。左手から伝わる温もりに現実だと告げられ、くすぐったくなる。恥ずかしいが嫌ではないむず痒さに包まれた珊瑚は、嬉しそうにはにかむように微笑んだ。