モブ娘-BIZARRE DERBY-   作:歌楽須

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やる事多い。バレンタインブルンボルンを摂取して生きていこう。


猫は上狩恭成が好き
恥知らずのチーフパーサー(1)


一 

 

 水面に映る。オレンジ色の顔と目が合う。開け放たれた窓から注ぐ陽光が、窓際のこの空間を切り取って包み込んでいる。気紛れに流れ込む風が何度も前髪を乱し、その度に手でさっと整える。

 

 

 今この場には、二人の人物がいる。一人は、此処中央トレーニングセンターに入学を果たしたうら若き少女、アレイキャット。この場では、何故か用意された紅茶に一口も付けず、唯々その口を固く閉ざしている。

 一方、簡素な白い卓布の向こうに座るのもまた少女。小鳥のような仕草で何かの液体を喉奥へ流し込んでいる。小柄な背に流れる銀の芦毛は周囲に柔らかな印象を与え、浅黒い肌が異国情緒を滲ませる。地元にはいなかったタイプだと、アレイキャットは思った。

 

 

 目の前の液体はたっぷりと時間を掛けて飲み干された。そしてゆっくりと、未発達な胸を膨らませて、吐息をつく。見上げていた目線が前へ移った。丸く、あどけなさの残る銀の瞳が黒の双眸と交差する。その時、この明るく狭い空間に最大の緊張が奔り、停滞した状況が正に動こうとしていた。

 口火を切るのは当然ながら芦毛の彼女。一流の歌手のようによく響く高音だった。

 それで、とあくまで透徹に。

 右手で持つそれを机の端に据えて。  

 余りにこの場に異様が過ぎる、炭酸飲料の2リットルペットボトルを据えて言う。

 

 

「どう「落とし前」着ける腹積りだァ、おい」

 

 

 メギャンと異質な音が聞こえる。気がつくと目の前で、ペットボトルが歪に千切り切られていた。2つに泣き別れした、最早ゴミと化した片割れが床に落ちる。それはそのまま床を転がって、私の足にこん、と触れた…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 上狩恭成(きょうせい)トレーナーとの再会の後。他の転校生たちと共に学園での生活について聞いて、それから自分の寮に案内されることとなった。私の寮は三浦寮という。

 寮から校舎まではかなり近く、周囲を眺めていたらいつの間にか着いていた。短い間だったが、思い返せばトレセン学園の生徒というのは中々眺めるだけで面白い。放課後の練習らしい、ぐだぐだと走る集団のその後ろをスケートボードに乗って追い回す少女や、木の陰で弾き語りをしている者もいた。

 

 

 やる気出せバカヤロー!と後ろから聞こえる怒鳴り声は恐らく、さっきのスケボーの子だ。やる気があるじゃん。地元のトレセン(中学)じゃ考えられない。レースより明日のお出かけの方が大事な奴らばかりだったからなぁー。

 行き交う生徒たちを眺めていると、不意に右腕がざわついた。目線を右にやれば、横の栗毛の少女がこちらを見ていた。唐突に目が合って二人して弾かれたように前を向く。いや待て、そうか。こいつが一歩くらい私に近づいたんだ。そして同様に、後ろからも似た空気の動きを感じ取れる。皆、考えていることは同じか。

 緊張を抑えて、ゆっくりと右に向き直す。クラスメイトとは一言も喋れなかったし、ここで一人くらい友達を作らなきゃ…。

 

 

「おーい。何してる。こっちに来なさい」

 

 

 丁度その時。私たちを置いて何処かへ消えていた上狩トレーナーが二人のウマ娘を連れて戻ってきた。あの二人が寮長か。背の高い吊り目と、眼鏡の垂れ目だ。両方とも若干困ったような顔をしている。状況をそれとなく察したのだろうと思う。寮長の紹介中、上狩トレーナーへの些細な非難の視線は止むことが無かったが、彼は気にする素振りもなく淡々としていた。分かっていて無視しているのか、全く分かっていないのか。とても疑問に思った。

 

 

 三浦寮の寮長は垂れ目の方だった。見た目通りの穏やかな気性で、説明が丁寧だったので好感が持てる。その後寮の中に案内され、個々人の部屋まで送られた。結局何も話せなかった…。

 前の二人がいなくなり、最後に残った私が辿り着いたのは最上階。一階は中学生らしい子たちが大勢で賑やかだったけれど、この階は水を打ったような静けさに包まれている。風の動く様子も無く、まるで別世界だった。これじゃあお化け屋敷と変わんないな。なんだかウスラ寒くなってきた。そんな状況に流石に耐えかねたのか、彼女は独り言のように呟く。

 

 

「此処は殆どが高校生でね。昼間は練習や諸々で人が消えているんだけれど、日が落ちると皆戻ってきて大騒ぎになるのよ。ほんと大変なんだから」

 

 

 ぽつぽつと喋られることに、私が相槌を打つ。それが数回繰り返されて、遂に私の部屋まで来た。年季の入った扉に手をかけると、少し動いて固まってしまう。鍵がかかっていた。

 

 

「あれ?おーい、パーサー?返事してよぅ」

 

 

 これには難色を示した寮長は数回ノックをして、それから諦めたのか合鍵らしいものを取り出して鍵を開けてしまった。ノブを捻れば音も無く開いたドアの先に、私の暮らす部屋がある。

 

 

「私は此処まで。それと、私の勝手なお願いだけれど。出来れば同室の子とは早めに仲良くなってほしいわ」

 

 

 そう言って目を細める。周りに人などいるはずもないのに、左右を見渡して私の耳元でこっそりと言う。

 

 

「本当の所。途中からトレセンに来る子で活躍できない子って、周りと馴染めないからっていう子結構多いの。此処って実力主義な部分あるからさ。一人だと何かと大変なのよ」

 

 

 聞いてもない事喋ってごめんね。何かあったら相談にのるわ。そう言い残すと、小走りで階段に消えていった。その姿が見えなくなるまで、不思議な暖かさが胸にあった。何時になく早る心臓の鼓動。この熱。もしかして…。

 

 

(…あほくさ。そんなチョロいJKいませんよだ)

 

 

 勝手にキレて勝手に落ち着く。人が居ないことに若干安堵しながら、部屋に足を踏み入れた。電気が点いておらず、両開きになった窓からの光が並んだベッドとそれらに挟まれているテーブルの輪郭を描き出している。純白のカーテンが風に吹かれて緩慢に靡く。

 

 

「…サンジェルマンのホテルみたい」

 

 

 ドアを背後に立ち竦む。そして入ってすぐに誰かの息遣いに気づいたから、すぐに思考がそちらに寄っていった。ああ、同室の子は寝ていたのか。なら返事がなかった事にも納得がいく。

 どういった子なんだろう。明るい感じ?それともクールな感じ?都会のウマ娘なんだから、お淑やかなお嬢様だったりして。イジの悪いやつじゃないとといいけどなぁー。

 小さな期待とともにベッドまでの残りの数歩を詰めようとして、辞めた。そもそも、初対面の人間に寝顔を見られるというのは如何なものか。

 頭を過ぎった考えにはっとする。慌てて振り返ってドアまで下がり、声をかけた後に部屋に入ろうとしようと、音を立てずにノブを回した。

 

 

「ふぁ…」

 

 

 ぞわりと首筋に嫌な感触。不味い、あの子が起きた!外に逃げ出そうとして、ドアが開かなかった。何でだよ!?どれだけ力を込めても回らない。ガチガチとノブを捻ってみる。開かない。逆か?…違うじゃん!押しても横に引いても古びたドアはびくともしない。これ以上力を込めたら壊れるから、力むわけにはいかないってのに。背後では衣擦れの音と大きな欠伸が聞こえてくる。

 まずい、まずいぞ。時間が無いッ!

 

 

「ああもう三女神様ァー!何とかしてくださいよぉー!」

 

 

 必死の抵抗虚しく。無機質な音とともに視界が一変する。照明が点いたのだ。心臓は爆音で鳴っているし、背中に冷や汗がたらりと流れたのを感じる。呼吸音が無くとも、風の流れが変わったのが分かる。観念して、土下座でもしようと振り返った。

 

 

 そこにいたのは、変な女の子だった。貶してるわけじゃあないし、顔が変だとか、そういうのじゃなく。この子の鼻筋は整ってて、銀の両目はとても可愛らしい。だから別に馬鹿にしてるわけじゃあないいや、つまらない言い訳はやめろ。誰も聞きたいなんて思っちゃいない。

 とにかくこいつ、圧倒的に「変」だ。

 具体的に言うとその───ファッションが。

 

 

 何処で売ってるのか検討もつかないジャケット。イチゴ柄の刺繍で埋め尽くされているのは良いとして、何故胸の真ん中がドカンと空いて肌が丸見えなんだ?どうやったらそんなハート型になるんだよ。痴女か。他にも「ダメージ」を通り過ぎて只の布と化したズボン。開いた傷口にサッカーゴールのような網目が見える。でかい五芒星のネックレスが首から下げてあった。

 全体的に言えば趣味の悪い仮装にも見えるし、ハリウッドのB級映画に登場するような悪役。もっと言えば…………ギャングのようだった。

 口を開いたまま人形となったこの子の頭の先からつま先までじっくりと見渡す事となったが、取り敢えず落ち着いて。落ち着いてェー…。

 

 

「あああのごごごめんなさい私今日からこの部屋に住むことになった」

 

 

「やかましい!鬱陶しいぞアマ!」

 

 

「ひょん!」

 

 

 開口一番、激烈な叫びと共に三メートルほど離れた距離が瞬く間に詰められる。怒鳴り声ビクッと怯み、瞬きした瞬間、彼女は目前数センチまで迫っていた!同時に感じる左肩の悪寒!反射的に右の壁まで飛んで、直後にほんの少し迄私の肩があった空間を右腕がすか(・・)り、転がるように部屋の奥へと逃げ込んだ。

 右膝を着いて顔を上げれば、こちらに銀眼が凄まじい鋭さを持って私を貫き、その両手が巨大に見えるほど近づいている。気迫堪らずに背後に飛び移る。床を少し転がって距離を取り、中腰のまま息を整える。

 

 

(な、何よこいついきなり…。折角私が人を見た目で判断しなかったっていうのにぃ)

 

 

「ねぇ!ちょっと待ちなさいよ!」

 

 

 少女は無言でこっちを睨んでいる。反応ナシて、愛想悪ぅ…。不愉快を噛み締めながら、この二度の応酬において。私はこの奇妙な少女に驚愕を隠せなかった。さっき、足を床に着地させたほんの僅かな時間。その時既にはに目の前には再び巨大な両手が広がっていたのだ。さっきまで、大振りな動きのせいで重心を外した体がふらついていたというのに!

 

 

(こいつ…なんて「反射神経」っ!私が動きを止めたほんの一瞬で、体勢を整えて私の動きに反応してくる!)

 

 

 更に何度も距離が詰まる。回避しなくてはいけない。その直感だけが俊敏に足を動かしているから何とか捕まってはいない。しかし、この均衡状態も長くは続かないだろう。背後にあった扉があんなに遠くなっている。背中に感じる風がかなり強くなってきた。もう、終わりは近い。 

 

 

 縦横無尽に伸びる手を避け続ける、不細工なダンスを踊ること三分程度(実際は二十秒も経っていない)。その時は訪れた。

 

 

 足元に広がる布を踏みかけて、咄嗟に、無茶な跳躍に踏み切った。胸の奥に薄っすら滲んだ僅かな感情は、尻から背中にかけて奔った衝撃に掻き消される。直後に後頭部が何かの角に叩きつけられて瞼の裏にバチバチと火花が舞った。

 

 

「いっ、たぁー…」

 

 

 その場に蹲って、頭を抑える。明滅する思考に反して、長年の感覚が肌の感じる窓からの一方通行な風の流れを安全だと認識する。でも、今度は避けられないだろう。諦めがついてしまえば早いもので、ぼやけていた床の溝に溜まった埃もすぐにくっきりと見えるようになった。しかし、いくら待ってもあの恐ろしい腕が肩を掴むことは無い。恐る恐る顔を上げれば、ベッドの脇に散らかる衣服の前に立ち尽くしているそいつがいた。

 

 

 一体何をしているのか。その眉間の険しさは変わらずに、首から下が凍ったように動かない。

 すると、舌打ちを一つ吐き捨てて顔をごしごしと手で拭いだした。暫く隠れていた顔が顕になると、初めて見た時の愛らしい顔に戻っている。ただ、口調までは変わらなかったみたい。

 

 

「そこに座ってな。話をしたい。今紅茶を入れるから」

 

 

 そう言って服を掻き集めるとベッドに投げ捨てる。代わりにジャージをハンガーから外して抱え、部屋の外に歩いていくと、ドアの手前で曲がって壁の向こうに消えていった。たしか、水道があった筈だ。これは…。

 

 

(一先ず決着って事でいいのかな…。でも態々宣言するってことは、話し合いの余地はあるって事?てかマジで紅茶を淹れんの?)

 

 

 訳分かんない。訳が分かんないので、取り敢えず座ろ。鞄を下ろして腰掛けて、頭を擦ってみる。たんこぶにはなってないな。それでも痛いけど。

 その後、本当に紅茶を持ってやってきたそいつは西洋チックなカップを2つ並べて紅茶を淹れると私の前と自分の席の前に並べた。湯気の立ち上る水面から、花のような甘い匂いがする。ダージリンかな?てか紅茶の種類ダージリンしか知らないんですけどね。

 

 

 彼女が常識的だったのはそこで終わった。乱暴に椅子を軋ませると、自分用の紅茶を用意したにも関わらずでっかいコーラを飲み始めた。流石に驚いて、タイミングを逸した。「これ何の茶葉何ですかー?」「なんちゃらかんちゃらですわよーオホホ」「エー!スゴーイ!」てな感じで上手く場を温める作戦が台無しになってしまった。おのれ。

 まぁ、それはいいとして。問題なのは、飲み終わった途端に「落とし前」などど言い出した事だ。余りの横暴につい眉を顰めてしまう。問題発言で朝刊を飾っちまうよ。それにそもそも、私だって部屋の住人なのにどうしてここまで痛い目に遭わないといけないのか。当然、言い返すに決まっている。

 

 

「まぁ確かに、返事も聞かず部屋に入ったのは悪かったですけれど。そんなに寝顔見られるの嫌でした?」

 

 

「違う。私の秘密を暴いたからだ」

 

 

 秘密を暴いた、ってどういうこと?まさか、この珍妙な服装のことかな。まさかな。いやそんな…ガチっぽいな。冗談言ってるようには見えない。

 

 

「それっていうのはそのォー、あんたの趣味の事?」

 

 

「…違う」

 

 

 違うの。じゃあ何だって言うんだよぉー!

 此処に来て初めて躊躇いを見せたこいつは、視線を伏せて僅かに思案するとまたキツイ口調に戻った。人差し指の先で調子を刻みながら、小難しい論理の話を説明するかのように話し始めた。

 

 

「いや、ちょっとはそうなんだけど…それとは別の話だ。私はな。この三年間、ずっと「いい子」を演じてきたんだよ。此処でのし上がるために、優等生を演ってきた。今更キャラ変えまーす、なんて言えねぇーって事さ。アタシはなにがあろうと後戻りすることはできねぇんだよ…」

 

 

 つまり、こいつは外じゃあネコ被っているから皆の人気者だけれど、本当はこんな柄悪いスケバンみたいな奴ってこと?最悪のパターンじゃんか…。

 でも、話は読めたな。こいつは自分の立場を失わない為に、私に口封じがしたいってことだ。煩かった心音が穏やかに静まっていく。面倒だけど、私が黙っていれば解決って訳ね。

 

 

「もし、もしも。あんたが私の秘密を周囲にバラ撒くような真似をしたらよぉー。アタシが三年も積み上げた信頼(・・)アタシ自身(・・・・・)を殺す事になるなぁー」

 

  

 面倒臭いやつ...。顔には出さないが、寮長に申し訳無さを感じていた。こいつと仲良くなるビジョンが全く見えない。ギラギラと野獣のように鋭い視線が何時までも私を射貫く。完全にこういう空気に慣れている。中央って言ったらお嬢様とかスタイリッシュな奴ばっかだと思ってたのに。不良ってのは何処にでもいるんだな。

 こっちは今日色々あって疲れてるんだ。早く話を畳んでしまいたいのに、こいつは紅茶を何杯も飲み干しながらぐちぐちと喋り続けている。

 

 

「そもそもよぉー、私がいるかどうか分からないのになんで鍵を開けちゃうかなぁ。折角居留守したってのに台無しじゃねぇかよぅ」

 

 

 確信犯かよこいつ。マジありえねぇ。早くこいつから離れて明日には別の部屋にしてもらおう。あの寮長押し弱そうだし何とかならないかな。そうしてダラダラと続いた愚痴は一向に止まないかと思ったが、突如として終わりを迎えた。同時に指先のリズムも消える。やっと終わったみたいだ。と思ったら違った。

 皿ごと紅茶を脇にどけて、ずるりと滑るように顔が近づく。互いの吐息が感じられる彼我の距離において、こいつはまるで、本物のギャングのように凄んで見せた。そして指を三本立て、それを順に折りながら告げる。

 

 

「いいか。トレセン(此処)で暮らすって言うんなら、ルール(・・・)が在るぜ。まず、私の秘密を誰かに言っちゃあならねぇって事。二つ目。私の事を詮索するなって事。三つ目。何時でも此処から出て行けるようにぃー、荷造りをしておくって事だ!特に三つ目は大切だなぁーっ、おい!」

 

 

 

 ……………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………プッツーン。

 

 

 まだ、何か言っているようだ。この耳障りな声を聞きたくない。今すぐ耳を潰してしまいたい。寮長の面子を立たせたいから、仕方無い。上狩トレーナーに迷惑をかけたくないから、仕方無い。そう思って堪えていた。唐突なトラブルも、理不尽な罵倒も命令も無視するか他の人に相談すれば良いと。賢い判断を取るべきだと理性が言っている。

 

 

 だが、こいつは。私を田舎からのこのことやって来た、身の程知らずのバ鹿野郎だと思っているんだ。だからこんな横暴も許されるし、当然だと思ってる。私みたいなのじゃ此処に相応しくないとも思っている筈だ。

 だから本当に、マジマジのガチ。ムカついた。

 私の夢が。お母さんの夢が。てめぇ何ぞにコケにされた!

 

 

 

「嫌だね」

 

 

 たっぷり時間をかけた後、NOとその鼻先に叩きつける。場馴れしているのだから当然、それくらいじゃあこいつは怯まない。余裕綽々としたその面が、ミシリと悲鳴を上げた気がした。両目は更に昏くなり、掠れた息が口から漏れた。少し離れて、私を睨めつけて唇の端に薄っぺらい笑みを浮かべる。

 

 

「てめぇ…何言ってんのか分かってのかよ。口のきき方ってやつを知らねぇのかぁ?」

 

 

「…あんたの口をきけなくする方法なら知ってるけど」

 

 

 こうなっちまえば誰が悪いだとかどうでもいい。さっきまでとは程違う、メラメラと燃え上がる炎が心臓を熱くする。この感情は、怒りだ。そしてこれは、中央を舐めていた自分への怒りでもある。一筋縄じゃあ行かないって事も頭じゃあ分かっていたが、今こうして、心で理解できた。

 

 

 こんな下らねぇ話まで引っ括めて競争社会って言うんなら。お嬢様ぶって目立たないでいるよりも、田舎の時みたいに、トガッていけって事なら。私だって、そうしてやるよ。

 

 

 頭上へ伸び上がるように背を伸ばす。睨み上げられようと堂々と。こういう時こそ笑顔を忘れない。余裕をカマせ。こいつには今にも飛びかかって殴りかかってくるような気迫がある。そして実際、殴りかかるだけの度胸があるんだろう。だが、心の中に沸き立つのは恐怖や焦りではない…悪戯心。

 

 

 グィィーッ

 

 

 態々視線を外し、自信たっぷりに紅茶を飲み干す。椅子に座ったままあえて動かない。挑発して思考を掻き乱してやる。まぁ最悪、殴りかかってきてもいいけど。カップを握らない左手をテーブルの下で軽く握る。あくまでお上品にカップを戻し、その間こいつは動かなかった。この程度じゃ駄目か。ならもっと、とことんやってやる。

 

 

 一陣の風が吹く。淡く日光を照り返すカーテンが二人の間を遮る。先に反応したのは私。当然、こいつより先に風が来る事に気づいたからだった。万が一の時に盾にする為に右手でテーブルを固定。カウンターを狙って中腰になって半歩だけ間合いを広げた。重なって厚くなった布越しに影が揺らいだ。向こう側も既に動いている。来るなら…来い。

 

 

「アレイキャットさん。パーサー。そこにいるの?」

 

 

 コンコンとドアが叩かれる。あの声は、寮長だ。急速に闘志が萎んでいく。出会ってコンマ一秒で喧嘩しましたなんて言えないし、取り敢えずこの体勢やばいよなぁ!

 

 

「ええどうぞ。入ってきて下さいな」

 

 

 返事を皮切りにドアが開き、既に懐かしいおっとりした顔が見える。寮長は抱えているクリアファイルを私に差し出すと、またおっとりと言った。

 

 

「ごめんなさい。上狩トレーナーが編入生の必要書類を配り忘れてたみたいでね。私の所に来たのよ」

 

 

 それで、と彼女はこいつと目を合わせる。

 

 

「パーサー。アレイキャットさんとは仲良くできそうかしら」

 

 

「ええ。とても明るい人ですよ。お話もたっぷりできました」

 

 

 誰だこいつ。こんなに声可愛いのか…いや、作ってるだけだ。でなきゃあさっき迄のは何だって事になる。まるで別人がすり替えられたみたいだ。立ち振り舞いからして、一切が違う。こんなに足を閉じてなかったし、背筋も伸びてなかった。筋肉だって力が抜けている。

 …本当に何なんだこいつは。

 

 

 それから少しだけ話して寮長は帰っていった。終始ご機嫌だったし、こいつ…パーサーに向ける笑顔は正しく好意に溢れていた。もしこいつが周囲の人全員からこういう眼で見られてるって事なら。これ程の切羽詰まった脅迫にも、多少納得が…いかないけど。

 

 

「おい。何処見てやがる。あいつはもう帰ったぜ?」

 

 

「…あんた。結構可愛い声も出せるんだね」

 

 

「えっ。や、喧しいぞコラァ!いいか、アタシが求めてんのはあんたがルールを守るかどうかだ。他のことなんぞどーでもいい!今!とっとと決めろ。あんたは、「従うか」!?」

 

 

「そんなもん、従うわけ無いでしょ」

 

 

 折角いい声してるけどさぁ、あんたが私の夢を嘲笑ったのは忘れてないからな。そんな歯を砕く位噛み潰しても無駄。私、決めちゃったから。

 

 

「ちっ、いいぜっ。なら…あんたが泣きを入れるまでアタシはあんたを追い詰めるぜ。部屋変えようったってそうはいかないからな。アタシの方が顔が広いしあんたなんかッ…」

 

 

「変えなくていいよ」

 

 

 寧ろ、此処が一番良い部屋だ。日当たり最高。風通し完璧。おまけに愉快でムカつく同居人付き。私みたいな身の程知らずには丁度いい。虚を突かれたパーサーの小綺麗な顔面に、愉悦を呑み込んで宣戦布告してやる。 

 

 

「私は負けないよ。ターフだろうと何処だろうと。私は強いからね。特に、あんたみたいな、他人を馬鹿にして押さえつけようとする奴にはさ」

 

 

  特に。の部分を強調して言った。激昂して殴りかかってくるかもとは思っていたけど、憎々しげに歪んだ表情を乱暴に手で拭い去ったパーサーは椅子を蹴飛ばして部屋の外に出ていってしまった。閉められたドアを開けて、去り際にドロドロしたこえだけが口から溢れた。

 

 

「後悔するぜ。この場所はよ、夢も希望も眺めるだけなんだ。死にたくなる前に、とっとと消えろよ」

 

 

 扉が閉じて、あの性悪女は消えた。後に残ったのは、風の涼しさと静寂だけ。取り残された私は立ち上がることも出来ずに扉を睨み続けた。まるで夢のような現実だった。脳がぼんやりとしている。考えられるのは、パーサーの捨て台詞だけ。

 

 

「眺めるだけ…死にたくなる、だなんて」

 

 

 子供かよ。つまらない脅し...でも....マジの話、なんだ。パーサーはあんな性根の曲がり切ったやつだったけど、あの時彼女は私を見てなかった。足元に広がる何かを見て怒っていた。何に、怒っていたんだろう。

 それはきっと、私のすぐ目の前も迫っている。うかうかしてたら、それはきっと私を一瞬で食い殺す。煌めいていた明日が、ランプの灯りが途切れるように陰ったのを感じる。体の半分を撫でる風も、今ばかりは心地良くなかった。




親子でオラオラしたいなら…ジョジョの奇妙な冒険アイズオブヘブンをどうぞ!(ダイマ)
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