萩・津和野殺人ライン   作:新庄雄太郎

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歩夢と侑は、かすみと彼方とエマと璃奈と一緒に山陰へ女子旅をする事になった


第1章 女子山陰旅

歩夢と侑とかすみと彼方と璃奈とエマと一緒に山陰へ旅行へ行く事になった。

 

今回の旅行は、二学期の終わりにスイスへ帰国する事になったエマ・ヴェルデの送別で、山口県の萩へ行く事になった。

 

「米子から出発するのね。」

 

「そこからは山陰本線と山口線に乗ると津和野へ行くんだよ。」

 

「へぇー。」

 

「凄いなぁ。」

 

「窓の眺めもいいな。」

 

と、彼方は言った。

 

「本当だ。」

 

「やっと来たのね、萩に。」

 

「うん。」

 

「ちょっと、観光して行こうか。」

 

「ええ。」

 

萩と言えば、幕末で活躍した有名な幕末の風雲児・高杉晋作の誕生地である。

 

晋作は、天保10年(1839)に萩藩大組士、禄高200石 高杉小忠太の長男として生まれました。藩校明倫館に通う一方で松下村塾に通い、頭角を表し、久坂玄瑞と並んで「松門の双璧」と称されました。

文久2年(1862)、外国に支配される清国(現:上海)を視察し危機感を抱いた晋作は、翌文久3年(1863)に身分を問わない我が国初の軍事組織“奇兵隊”を結成。討幕戦を勝利へと導きましたが、胸の病が悪化し、下関・吉田に隠居。慶応3年(1867) 結核のため、27歳と8ヶ月という若さでこの世を去りました。萩博物館に「高杉晋作資料室」があり、産着から最晩年の書まで晋作に関する資料が数多く展示されていますので、一緒に見学するのもいいものです。

 

「へぇー。」

 

「確か、歴史で習ってたわ。」

 

「そうなの。」

 

「へぇー。」

 

そして、歩夢達は萩城跡へ向かった。

 

萩城跡指月公園

 

萩城は慶長9年(1604)に毛利輝元が指月山麓に築城したことから、別名指月城とも呼ばれ、山麓の平城と山頂の山城とを合わせた平山城で、本丸、二の丸、三の丸、詰丸からなっていました。

本丸には高さ14.4mの五層の天守がありましたが、明治7年(1874)に天守、矢倉などの建物は全て解体され、現在は石垣と堀の一部が昔の姿をとどめ、ここ一帯は国の史跡に指定されています。

 

旧本丸跡に歴代藩主を祀る志都岐山神社が創建された際、総面積約20万㎡の境内が指月公園として整備されました。城跡の構造をよく残していることが特徴で、園内には天守跡、梨羽家茶室、旧福原家書院、万歳橋、東園などの旧跡があります。また、幕末13代藩主毛利敬親が安政年間に藩主別邸・花江御殿に増築し、家臣とともに茶事に託して時勢を論じた茶室「花江茶亭」が明治22年に園内に移築されています。

 

「うんうん、なるほどね。」

 

「かすみんも勉強になりました。」

 

「そうだね。」

 

「うん。」

 

ところが、あゆむたちの女子旅が殺人事件が起きることは誰も予想はしなかった。

 

 




そして、萩城跡で殺人事件が起きる

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