無職TS転生 ~異世界行ったら女の子です~ 作:三毛猫丸
依頼を開始するには時刻も遅いという事もあり、翌日に持ち越しとなった。
依頼の期限もペットが見つかるまでという曖昧な物だし、地道にやっていこう。
それにペット探しのスペシャリストへの連絡も、返事待ちに1日は掛かる。
という流れで、宿泊先の宿を探す。
魔照石なる鉱石によって照らされた街並みは幻想的だ。
日中に蓄えた日光を、夜になると放出する仕組みだとか。
物知りなルイジェルドが解説してくれた。
さて宿を見つけた。
狼の足爪亭という名の宿兼酒場。
入り口はロビーにもなっている。
で、初心者向けとされるこの宿の宿泊費は格安。
パーティー単位で泊まれば食事代が無料という至れり尽くせり。
というわけで、俺たち3人は同室に部屋を取る。
店主に宿のルールを聞いていると、1人暇そうにしていたエリスは、新人冒険者らしき少年らに声を掛けられていた。
残念だが、エリスは魔神語を話せない為、意図した訳ではないが、無視をする形となる。
困り果てたエリスは助けを求めて、俺たちの居る方へ歩み寄ろうとするも──。
少年の1人にフードを掴まれ、挙げ句に嫌な音と共に裂けてしまった。
後で俺の裁縫技能で修復してやらんとな。
しかし、事はそれでは収まらなかった。
瞬間的に逆上したエリスは、少年らに殴る蹴るなどの暴行を加え、その上、倒れた彼らの睾丸を潰そうと足を上げる。
「ちょ、エリス! それはいけない! 私なら怪我を治せても、その前に激痛でショック死しちゃうから!」
「だってこいつら! ルーディアとお揃いのフードを!」
「私が縫ってあげますから抑えて!」
後ろから羽交い締めにしても止まらず、ルイジェルドに手伝ってもらって、ようやくエリスは落ち着きを取り戻した。
やれやれ、とんだ暴走少女。
ちょっと目を離すとこれだ。
気を引き締めねば。
──
ヒーリングを掛けてやると程なくして少年らは、目を覚まして開口一番『天使?』等と、俺に言葉をくれた。
「違います、人族の美少女です」
そう答えると、気を取り直したのか、彼らは立ち上がって頭を下げた。
君のお姉さんに強引に声を掛けてすまないと。
魔族目線だと人族である俺とエリスは、見た目が似ているのかもしれない。
遠縁とはいえ親戚だし、顔立ちもそう遠くは無いだろう。
「オレはクルト。すまない、本当に。弁償させてくれ」
「気にしないで。私、裁縫が得意なので縫い直せます」
「そうか。あぁ、オレの仲間も紹介するよ」
クルト某の仲間を紹介されたが、さして記憶には残らなかった。
パーティー名はトクラブ村愚連隊らしい。
ノコパラの過去のパーティー名と重なるネーミングセンスである。
その後もクルトらと雑談を交わし親睦を深める。
パーティーに誘われたが、もちろん断った。
ウチの
ルイジェルドの件もあるし。
──
食事を終えて部屋で休息。
ドッと疲れが湧いて、倒れそうになるが、ルイジェルドが支えてくれた。
彼は平気そうな顔をしているが、疲れ知らずか?
一方でエリスはウトウトしている。
ベッドに寝かし付けると、ものの数秒で寝息を立て始めた。
では俺とルイジェルドで、今後の方針について話しておこう。
「見事な手際だった」
「ギルドでの一件ですか?」
「あぁ。ああいうやり方があるのだな」
「アレは偶然ですよ。そこまで頭は回りません」
「それでもだ。俺は暴力に訴えたやり方しか知らなかった。お前と居ると学びが多い」
「どういたしまして、お兄ちゃん?」
「またそれか……」
おっと、茶化してしまった。
だが彼は厳ついながらも笑顔を浮かべている。
はは、兄貴分もチョロいもんですよ。
「ところで私って、綺麗だと思います?」
「人族の美醜感覚は知らん。しかし、魔族の基準ならば、上等だと言える。少なくとも俺は、美しいとは思う」
あらま! もしかして口説かれてる?
「もしかして私を襲ったりしません?」
「安心しろ。俺が生涯を添い遂げると誓った相手は、亡き妻だけだ」
「あ……すみません」
しまった……。
ルイジェルドは大昔に自身の妻をその手に掛けてしまったのだと思い出す。
ラプラスへの憎しみが再燃しかねない。
「謝るな。もう過ぎたことだ」
「はい……」
「お前はエリスを守れ。愛しているのだろう? 姉妹としてだけではなく、別の意味でも」
「あ、分かっていたんですね?」
「無駄に長く生きていると、そうした物も見えてくる」
深い男だ。
彼の言葉のひとつひとつに重みがある。
「守りますよ、この子だけは。成り行きとはいえ、将来を誓い合った間柄ですからね」
「そうか。では強くなれ。エリスも成長するだろうが、ルーディアも伸び代はある筈だ」
「強く……なれますかね?」
「俺の見立てが正しければ、お前は七大列強にも名を連ねるだろう」
「それは過大評価では?」
「俺は意味もなく冗談を言わん」
その言葉を最後に会話は途切れた。
ルイジェルドは、本気で俺の将来性を高く見ているらしい。
嬉しくはあるが、自信には繋がらない。
だって俺は弱いのだ。
剣士相手には未だに勝つことさえ
例の災害の時だって、やっと助けられたのはエリスだけだ。
他の皆は散り散りになった。
あぁ、でも……。
少しくらい頑張ってみるか!
そして俺はエリスのベッドに忍び込み、添い寝して一晩を明かす。
──
またこの空間か。
ヒトガミの奴の呼び出しを受けたようだ。
居るんだろ、神様?
「やぁ、ルーディア。順調に事が運んでいるようだね。ペット探しの依頼も受けて、新たなスタートを切ったようだ」
これもお前の手の平の上なのか?
「うーん、こうなることは予想していたけどね。本当は今回、助言するつもりでいたんだけど──。その必要も無かったね」
いや、あんたは分かっていたんだろ?
助言の手間を面倒臭がって省いたんだ。
結果は同じだろうけどな。
「鋭いね。うん、そう。ボクも暇じゃないからね。なるべく、一まとめにして助言した方が効率的じゃないかい?」
そりゃそうだ。
お前も結構、頭を使ってるんだな。
「失礼しちゃうね? 否定はしないけど」
で、今回は何かの助言か?
でなければ、コイツもわざわざ呼び出したりはすまい。
暇じゃないと自分で話していたしな。
「今回は助言というより報告だね。君のお父さんは無事だよ」
なに?
そいつはマジな話か?
じゃあ、他の皆は!
「いや、分からないよ。ボクにだって出来ない事はあるし、知らない事もある。役立たずとは思わないでくれ」
いや、思わん。
全知全能な神様なんて居ないだろうし。
「今回はたまたま波長が合ってパウロの様子が見えたんだ」
で、パウロは今どうしてる?
「落ち込んでるみたいだね。悪い奴にボコボコにされて。動けるようになるまで、1ヶ月は掛かりそうだ」
誰だよ、そいつ。
「いや、ボクの目にも映らない相手だよ。でも、何となく予想くらいはつくのさ。パウロの状況を鑑みればね」
恐ろしい奴も居たもんだ。
俺の親父は剣王だってのに。
「だから忠告しておくよ。この先、一際強い奴と出会ったら、必ず倒すこと。そうすれば君は、お父さんとも再会出来る。悪い奴とは、いつどこで出会うかは、ボクにも読めない」
テキトーだな?
「うん、でも。向こうも君の事が気になるだろうし。その内、接触してくるんじゃないかな?」
しかし、パウロでさえ勝てない相手に、俺なんかが勝てるのか?
「当たって砕けろって言うじゃない?」
ヤダよ、砕けてどうすんだよ。
「勝ち方は君が自分で考えてくれ。それじゃあ、今回はこれでおしまい。またね」
って、おい!
夢は終わる。
てか、パウロの居場所を聞くのを忘れちまった。
──
目覚めると、まだ部屋は暗い。
半端な時間に起きてしまったらしい。
ふと横を見ると、エリスが眠たそうに瞼を擦りながらも、目覚めていた。
「眠れないんですか?」
「うん……。私たち、帰れるか不安で」
不安ゆえに安眠出来ないのか。
エリスもまだ子どもと言える年齢だ。
「ルイジェルドさんが居るでしょ?」
「それでもよ。ルイジェルドみたいに強い護衛が居ても、帰れる保証なんて無いじゃない……。何か悪いことが起きたりして……」
たしかに。
未知の病気にかかる可能性だって考えられる。
風土病であれば調べがつくまでに手遅れなんて事もあり得るだろう。
それにルイジェルド以上の存在に襲われでもしたら、ひとたまりもない。
居たとしても、魔大陸の各地方を支配している魔王くらいだろうが。
「弱音を吐くのは良いことです。自分の悩みを明確に出来ます」
「いきなり何よ?」
「私がエリスの悩みを解決すると言っているんです」
「そう……」
いま彼女は何を思ったのだろう。
「ルーディアはスゴいのね。私がこんなにも不安に押し潰されそうなのに、ずっと前に進もうと頑張ってるもの」
「私だって不安ですし、立ち止まりそうになります。でも、家族が居るじゃないですか。私にもエリスにも」
「家族……?」
そう、家族だ。
家族の存在こそが、俺を突き動かす理由。
大切な人たちと再び会いたい、その一心で歩みを止めない。
なら、エリスだって同じ。
ちょこっと気付くのが遅かっただけだ。
「お祖父様、お父様、お母様、ギレーヌ……。私にも居るのよね、家族って」
「そうですとも。もう、頑張れますか?」
「うん、頑張れる……。ありがとね、ルーディア。励ましてくれて」
これでエリスの不安を取り除けたのなら、安い苦労だ。
実は今の言葉は、自分に言い聞かせていた部分もある。
俺も弱気を捨てねば。
やがて朝日は昇る。
──
翌朝、ノコパラの手配してくれたペット探しのプロが宿の前に訪れていた。
トカゲ顔の男性がジャリル、蜂のような複眼の女性がヴェスケルと名乗った。
依頼主の自宅へ共に赴き、ペットの特徴の説明を受けると、何やら青ざめた様子。
反応からして、隠し事をしているのは一目瞭然だ。
「どうされました、お二人とも?」
「い、いや! 何でもないっ! 今日のところはペットを俺たちの方で探しておくから! あんたらは宿でゆっくりしていてくれ!」
怪しい……。
やましい事があって隠蔽しようとしている奴の言い訳だ。
「それだとノコパラさんの話と違いますよ? 彼は今日の為にお金まで払ってくれたんですから」
「金なら返すよ! レクチャーなら、また今度するから! タダでも構わない!」
あぁ、これ。
やっぱり知られて困る事があるんだな。
バレたく無いことがあるのなら、端からノコパラの頼みを断れば良いのに。
大方、金に目が眩んだか、あるいは彼らのパーティーのリーダー辺りに、受けるように言われたのか。
強めに問い詰めると、観念したのか彼らは事情を話し始めた。
何でもペット探しの依頼は安定して稼げるから、自分等であらかじめペットを捕獲していたらしい。
そして捕獲済みのペットの捜索依頼を受注し、飼い主に返還して即依頼達成。
なるほど、そういうカラクリか。
そりゃバレたくない筈だ。
自分等の食い扶持を失うんだからな。
更には、彼らの裏稼業を発見し、告発をしない代わりに、ゆすっている輩が居るようだ。
それはそれとして……。
「貴方たち、ノコパラさんの顔に泥を塗りましたね?」
「う……。あぁ……。まったくその通りだよ……」
意気消沈。
抵抗の意思は感じず。
どうする?
衛兵に突き出すか?
「ルイジェルドさんの意見をお聞かせ願います」
「悪事は見逃せん。だが、殺すほどの事ではあるまい。尤も、奴らと手を組むと言うのなら、それは断じて許さん。悪党は裏切ると相場が決まっている」
ルイジェルド基準なら、極刑は免れると。
しかし、悪党は信用出来ないと。
「エリスはどう思います?」
「そうね。ペットを全て解放して飼い主たちに謝れば良いんじゃない?」
「なるほど、誠意を持って謝罪と」
エリスもまともな意見を出してくれる。
さて、問題は彼らの方だ。
たとえ謝罪したとしても通報はされる筈だ。
そうなれば監獄行き。
ゆすりを働く奴も道連れに出来るが、さて悩む。
聞けば彼らのパーティーのランクは俺たちのFランクより上のDランク。
実入りの良い依頼を受注可能。
こっそり俺達と彼らの依頼を入れ換えて各自で達成。
報酬金だけ受け渡せば、ギルドに隠しながら稼げる。
でもそれは規約違反。
冒険者として失格だ。
そんなリスクは犯せない。
金は必要でも秩序を守れない者は、ただの無法者だ。
そうなればルイジェルドとの仲にも亀裂が走る。
ノコパラへの義理もある。
なら話は決まりだ。
「エリスの案でいきます。ジャリルさんとヴェスケルさんには牢屋に入って頂きましょう。運が良ければ誰も通報しないかもしれませんよ?」
「ぐっ……。ここまでか……」
そして彼らはあっさりと諦めた。
そして、彼らの背後で搾取していた男だが、すぐに逮捕されるだろう。
依頼のペットだけは、ちゃっかり保護して依頼主へ引き渡した。
初仕事の内容としては微妙な達成感。
後日、ノコパラは詐欺師紛いの連中を紹介して申し訳ない、と何度も頭を下げてきた。
風の噂じゃジャリルとヴェスケルは、刑事事件で執行猶予の判決。
民事事件では賠償金の支払いという結果だと耳にした。
牢獄には入らずに済んだらしい。
その後の反省の意識から、経営するペットショップの仕事に真面目に励んでいるとのこと。
被害に遭った人達には、しばらく無料でサービスを行うってさ。
しかし、この土地もアスラ王国並みの法治国家だったとは。
リカリス周辺を治める魔王の手腕といったところか。
たしか、知恵の魔王バーディガーディとかいう名前だったか?
さぞ聡明な御仁なのだろう。
さて、その後はコツコツと低ランクの依頼をこなし、FランクからEランクへと昇格。
無論、デッドエンドの名を積極的に名乗り、依頼者に善人と思わせる振る舞いを行い続けた。
そして、金に多少の余裕が出てきたので、俺とエリスの装備を整える事となった。
俺は魔術師用のローブで、エリスは剣士向けの胸当て防具。
俺については、耳付きフードは、しばらく封印だ。
3週間程で次はDランクへ昇格。
順調なものだ。
現ランクより1段階上の依頼を受けられるので、しばらくはCランクの仕事をこなし、更なる昇格を目指そう。
─アスラ王国・ミルボッツ領ノトス家邸宅─
パウロ・グレイラットの第二夫人リーリャは、夫の生家にて人質待遇で生活している。
幸い、愛娘が傍に居て、全くの孤独ではない。
ただ行動の制限は多くはあっても、戯れにノトス家の雑事を任されるという奇妙な生活だ。
しかし、侍女として娘のアイシャを教育中の彼女には好都合であった。
さて、リーリャは最近になって知り得た事がある。
ノトス家の兄弟の確執だ。
兄パウロと弟ピレモンの間柄は、実に溝が深い。
──
パウロが貴族の責務を放棄して生家を飛び出し、そのおこぼれに与る形で、ピレモンは家督を継いだ。
しかし、領内の家臣や民達は口を揃えてパウロの方が家督を継ぐに相応しい人物だと言う。
ピレモンとて貴族として責務を果たさんと努力し続けた。
少なくとも有象無象の中級下級貴族よりは、はるかに優秀で領地経営も上手い。
うだつの上がらない性格ではあったが、アスラ王国第二王女アリエル殿下からの覚えも良い。
されど誰も評価してくれぬ苦しみ。
唯一の救いは、彼の子である次男ルークの存在。
長男もピレモンを慕うが、ルークはそれ以上に父を尊敬していた。
そこに来て、パウロの子の噂。
ダリウス上級大臣経由でルーディア・グレイラットの詳細を知る。
5歳で水聖級魔術師となり、無詠唱魔術さえも扱う稀代の天才魔術師。
歴史に名を残すことを確実視されている。
そんな話を耳にすれば、ピレモンの劣等感は最高潮に達する。
自分の自慢の息子でさえ、放蕩生活を送ってきた兄の娘には及ばないのかと。
──
以上の話を、仕事の中でリーリャは知ったのだ。
そして先日の転移事件。
そこにパウロの身内である自分とアイシャが、偶然とはいえ、目の前に現れた。
さぞかし、彼の反感を買ったことだろう。
これからピレモンが自分たちを、どう使うかは不明。
パウロの弱味を握ったつもりでいるらしいが、もしや実の兄を殺そうというのだろうか?
「お母さん! お父さん、助けに来てくれるよね?」
「信じなさい、アイシャ。旦那様はきっと、私たちを見つけてくれます」
突然、家族が離ればなれとなり、アイシャも心細いのだろう。
不幸中の幸いで、実の母である自分が一緒に居てやれることに安堵する。
でなければ、5歳にも満たない幼子など泣くばかりで、劣悪な人質生活など堪えられまい。
「ピレモン様はいずれ、私たちを使って旦那様に行動を起こす筈です。その時はアイシャ……」
「なあに?」
「私が盾となり旦那様を……パウロ様をお守りします。だから貴女は、母亡き後はルーディアお嬢様に仕えなさい」
「ルーディアお姉さまに?」
「ええ。あの方は、私たち親子の命の恩人なのですから」
今でも思い出す。
パウロと不倫関係となり身籠ってしまった自分。
ただ侍女の仕事として身の回りの世話を見ていただけの自分をだ。
その懐の深さに救われ、今もこうして娘共々、命を繋いでいる。
この恩を返すまでは、死ぬに死ねない。
ルーディアへの恩返しとして、我が身を犠牲にしてでも、
そして愛娘を彼女に仕えさせ、自身の死後も報いたいのだ。
「うん、わかった! ルーディアお姉さまの為に頑張る!」
幼い娘は、母の死の意味を理解していないのか、それとも理解してなお母を心配させぬ為に、あえて気付かないフリをしているのか……。
恐らくは後者だろう。
アイシャは母親の自分から見ても賢い子なのだ。
「あぁ、ルーディアお嬢様……。どうか、ご無事で……」
苦難と不安の日々は続く。
─王都アルス・王城シルバーパレス─
ピレモン・ノトス・グレイラットは、ミルボッツ領に隠匿しているパウロの妻子の事を、常に心の片隅に置いていた。
自身の仕えるアリエル王女にさえ、現在はこの事実を隠し続けている。
兄パウロは、辺境の下級貴族であり、政治的観点からしても、ほぼ無縁の人間。
そんな男の身内を拘束しているとなれば、清廉な人格のアリエルに咎められかねない。
次期国王の座を争う戦いに利用出来るのなら、お目こぼしもあり得ただろうが、今のパウロにその効力は期待出来まい。
息子ルークにさえ、この件は秘匿している。
フィッツとかいう、最近になって保護した娘はパウロの知り合いでもあるというし。
リーリャへの聞き取りによれば、フィッツの本名は、ブエナ村のシルフィエットだ。
一時的に記憶喪失のようではあったが、下手に情報を漏らせば、どうなることやら。
諸々の事情で胸の内に留めていた。
「兄上……パウロ……」
幼い頃はそれほど嫌いではなかった。
身勝手な性格ではあったが、幼い頃に他の貴族の子に自分がイジメられた時には、代わりに仕返しをしてくれた。
ボロボロになりながらも弟である自分の為に、兄は身を挺して守ってくれた。
もし彼が家督を継ぐのなら、自分が生涯を掛けて支えてやろうとも夢を抱いていた。
しかし兄はそんな想いを露知らず、兄弟の父への反抗心から、ノトス家の名を捨て出奔してしまった。
裏切られた。
自分は尊敬していた兄に見限られてしまったのだと感じた。
あれほど兄の為に、経営も政治も学んだというのに……。
自分は兄の視界にすら入っていなかった。
その程度の関係でしかないのだと、心は泣いて震えた。
それからだ。
兄パウロを嫌悪するようになったのは。
死んでしまえとすら思う。
一方で、和解する道があるのなら……。
などと甘い心も、本心に寄り添っている。
だから現状は、リーリャとアイシャに危害を加える気にはなれなかった。
弱味を握るという言い訳で自身を誤魔化している節があるのだ。
いや、感情の天秤は常にどちらへにも傾く。
いざ兄を目の前にしたら憎悪が燃え上がることだろう。
自分はパウロを決して許せない。
思考が落ち着かない。
それでも王宮では日々、政争が繰り広げられ、心労は積み重なる。
先日もダリウスの奴に圧力を掛けられた。
パウロの娘ルーディアを執拗に狙っているとも噂を聞く。
ただ今は……何も考えたくはなかった。
「パウロは死んだ……のかもしれない」
フィットア領転移事件の被災者の1人が、兄パウロだ。
災害発生時、彼はボレアス家に預けていた娘ルーディアの下を訪れていたという。
災害の中心地ロアの街に居たのだ。
既に亡くなっている可能性も高い。
もしパウロがこの世に居ないのなら、あの母娘に適当な金銭だけを与えて解放してやっても構わないと、考え始めた。
そんな矢先のことだ──。
たった今、報せを受けた。
パウロ・グレイラットが被災後のフィットア領に姿を現したという報が入ったのだ。
「生きていたのか、パウロ……」
やがてピレモンは、兄への憎しみを再発させる。
そしてパウロ・グレイラットは、修羅となっていた。
未だ行方知れずのサウロスに代わり、フィットア領民捜索の指揮を執るボレアス家次期当主ジェイムズより──実権を掌握していた。