無職TS転生 ~異世界行ったら女の子です~ 作:三毛猫丸
店主イチオシの料理はどれだ?
と、訊く前にメニューに視線を落としてみるが、基本的には2種類しか品目が存在しない。
お好みで選ぶだけなので、そう迷う必要も無さそうだ。
主菜を2種類の内から選択すると、共通の副菜に汁物やデザートなどがセットとして付け合わされるようだ。
・ドラゴン肉のナナホシ焼き
・アルバーフィッシュの煮物
ナナホシ焼きとやらに興味をそそられ、全員が同一の注文をする。
水の無料サービスは、この世界では皆無なので、自前の土魔術でコップを、水魔術で飲料水を作り出す。
しばらくしてテーブルに運ばれてきたのは、いわゆる唐揚げ定食。
見た目は確かに唐揚げではあるのだが、表面がベチャってしてる。
香りも日本人好みとは程遠い。
無難な味付けを最低限やってみましたって感じだ。
まず一口。
固いな……。
不味くはない。
むしろ普通に美味しい。
けど俺の求めている唐揚げとは決定的に違う。
理想に対して喧嘩を売っているかのような紛い物な味わい。
生理直後で味覚が狂っているわけではなさそうだ。
食感の問題だな、これは。
油の温度にしろ、揚げる時間にしろ適切ではないのだろう。
揚げ物としての出来映えは採点するとしたら、65点といったところか。
唐揚げとはカレーライスと同じで、誰が作っても一定の旨味が保証されるのだ。
だから味自体はそこそこ旨いと感じた。
細かく批評してみる。
衣はカリッとした仕上がり──ではないし、すぐに剥がれ落ちてしまう。
ただへばり付いているだけの印象だ。
口に含んだ瞬間にベチョベチョとした不快感が口内へと広がる。
何の為に油で揚げたのか、調理法の無駄遣いに対する疑問への理解に苦しむ。
「なによこれ! スッゴく美味しいわ!」
「美味ですわね!」
エリスとエリナリーゼは絶賛。
ルイジェルドとタルハンドは黙々と食事を続けている。
ケチを付けない程度には及第点に達しているらしい。
うーむ、食文化の成熟した現代日本で生まれ育った俺と、未成熟なこの世界を生きる彼らとでは、食の価値観が異なるのだろう。
よって採点基準にもズレが生じる。
ナナホシ焼きを完食こそしたが……。
しかし、欲求は満たされなかった。
俺以外の全員も平らげて、空になった皿がテーブル上で乱雑に並ぶ。
食器を下げに来た店主が、客である俺らの顔色を窺っている。
評価を気にしているのか?
エリスとエリナリーゼは満足げ。
ルイジェルドとタルハンドは真顔。
そして俺は不満げに顔をしかめる。
「お客さん、どうやらご満足戴けていないようですねぇ。差し支えなければご感想を一つお聞かせ願えませんか?」
血色の悪い店主が、震えた声で感想を求めてきた。
体つきはガッシリしているので武術でも嗜んでいるのだろうか。
眼帯などを着けて、海の無法者かと言いたくなる。
さて、この怪しげな男に懇願されたのだ。
一個人の意見くらいはくれてやろう。
忌憚の無いやつを。
「スープとデザートは微妙……いえ、それなりに美味しかったです。しかし、メインのナナホシ焼きについては正直なところ──微妙でしたね」
評価を受け取った瞬間、店主は『やはりそうでしたか……』と、あらかじめ覚悟を決めていたかのように頷いてから呟く。
「お代は結構ですので。お客さんを満足させられなかった上にお支払いいただくなど……。料理人としての力量が不足していた私の責任です」
「いえ、客として来たんです。お金は払わせてください。完食もしましたし、ナナホシ焼き以外はむしろ絶品でしたから」
絶品というのは見え透いたお世辞だ。
このレベルの味なら、ギリギリ町の定食屋としてやっていけるんじゃない?
っていう程度。
不味い学食や社食に毛が生えたレベルだ。
低水準とはいえ客入りが悪すぎる。
近くに他に繁盛している店は無さそうだが、立地の問題か?
生気は薄いが柔らかな物腰の接待で、特に問題があるようにも思えない。
店内は少しボロっちいけども。
あぁ、メインとなる料理が微妙だから、客が寄り付かなくなったのか?
ナナホシ焼きは当たりメニューだからそれなりに食べられた物だが、それ以前に提供していた料理の出来映えが芳しくなかったんだな?
これまで築き上げてきた酷評が、客の定着化を逃していたのだと分析する。
「そうですか、私の料理の腕も捨てたものではないという事ですかねぇ」
自嘲気味に、そしてリップサービス程度にしか捉えていない声色。
嘆息し、ことさらに顔色を悪くする。
しまったな……。
追い詰める意図は無かったのだが。
フォローしてやるか。
「店主さんのお時間の都合が良ければ、ナナホシ焼き──いえ、唐揚げの正しい調理法をお教え致しましょうか?」
「正式名称は唐揚げと呼ぶのですか?」
「私の故郷ではそう呼びます」
さも地元土着の料理かのように説明する。
「そんな、お客さんの手を煩わせるわけには……」
「いいえ、私の自己満足ですよ。正しい唐揚げの作り方を広めたいんです。暖簾分けとでも考えてください」
「なるほど。貴女は料理人であり、その上、美食家というわけですか」
いいえ、食通気取りの迷惑な客です。
「ではご指導ご鞭撻の程をお願いいただけますか? 今のお言葉で、久々に料理人魂に火が点きました。俄然、興味が湧いてきましてね」
「やる気じゃないですか」
こちらとしても教え甲斐がある。
意欲的な生徒の成長は見ていて小気味良いものだ。
その生徒さんはニヤリと不敵な笑みを浮かべ、ただ者ならぬ香りを醸し出していた。
この人、ルイジェルドが話していた様に隠し事をしているみたいだ。
堅気でないのは確実。
厨房に招かれる。
他の皆には見物客もとい味見係を引き受けてもらった。
ちゃちゃっと店主へ、唐揚げの正しい調理手順を教えてやる。
引きこもりニート生活をしていたかつての俺は、夜食として大量の唐揚げを作ったものだ。
唐揚げの調理などお手の物で、目をつむっていても容易い。
火元には注意せんといかんけど。
大量の唐揚げをたった1人で消費した結果、100キロ超えの巨漢に肥えた過去がある。
思い出すだけで、苦悶の表情が出てしまう。
余談だが、今はドカ食いしても胸部へと脂肪が蓄積されていく。
魔力総量に次ぐ神様からのギフトだ。
そして店主は俺のお手本を参考に調理開始。
横から何度も口を挟み、失敗を重ねつつも、数度目のチャレンジで、俺も太鼓判を押す出来の唐揚げが完成した。
作りすぎたが、この人数なら食べきれる。
実食タイムに入る。
「さっきのより断然美味しいわ!」
まずはエリスの称賛。
「ホントですわね。ルーディアには料理を教える才能がありますのね」
エリナリーゼも認める。
「酒のツマミにええわい!」
「ルーディア、野営地でも作れるか?」
男性陣にもご好評。
無事に店主へと唐揚げの正当なレシピの伝授が叶った。
これでも俺はボレアス家で家庭教師を務めていたのだ。
物を教えることに関しては一家言を持っている。
「目から鱗が落ちますね。まさかナナホシ焼き改め唐揚げの調理法に良し悪しがあるとは」
「私の料理に関する知識と意識は浅いものですけれど、それでも唐揚げにだけはこだわりがありましてね」
「お客さん、なんてお礼を言えば良いのやら」
やつれたような頬骨の突き出た顔で、煌々と笑顔を灯らせていた。
頭を前へと垂れ、礼の姿勢を取る。
長めの髪が肩からこぼれ落ちていた。
「そういえば名乗っていませんでしたね。私はランドルフ・マリーアン。以後、お見知り置きを」
手を差し出し握手を求められたので握り返す。
ゴツゴツとした手の感触。
長いこと剣を握って来た名残りか──。
ルイジェルドの見立てた、北神流剣士という線は確からしい。
しかし、ランドルフ?
何処かで聞き覚えのある名前だ、はて?
「これは御丁寧に。私はルーディア・グレイラットといいます」
「ルーディア・グレイラット──ですか……。なるほど」
思わせ振りな反応をする。
七大列強であるパウロほど、通りの良い名前ではないはずだが……。
「貴女は剣などに興味はありますか? そして嗜んでおられます?」
「それなりには。剣神流で中級、水神流で初級程度の認可を得ています」
「結構なお手並みですなぁ。実は私、北神流でそこそこ腕の立つ男であると自負しておりましてねぇ。よろしければ、お礼代わりに指導して差し上げましょうか?」
「マジですか!」
「ご恩に対して釣り合うかは存じませんがね」
願ってもない申し出だ。
使える手は多いほど良い。
引き出しの多さは強さに直結するのだ。
と、その前にルイジェルド達にも確認だ。
俺個人の都合で付き合わせるのも忍びない。
先に宿へと戻ってもらおうか?
「皆さんは先に宿へお帰りになっても構いませんよ」
「いや、留まろう。ランドルフ・マリーアン直々の稽古など、そうは見られるものではあるまい。見学の立場とはいえ、その場に居合わせるだけの価値はある」
ルイジェルドにしては饒舌気味に語り出す。
この御仁、武芸者の界隈では高明な人物らしい。
外見的には四十代中盤。
切り抜けてきた修羅場の数も相応にあるのだろう。
百戦錬磨の強者か。
「お前はまだ気づいていないのか? この男、七大列強だぞ」
「え……?」
七大列強がこんな場末の飯屋を営んでるわけないじゃん。
冗談はよしてくれ。
疑いの目をランドルフへと向けると、『気づかれてしまった!』と言いたげな表情で、顔の半分を手で押さえていた。
え、列強ご本人なの?
「名乗ってしまえば分かる人には分かってしまいますなぁ。そうですとも、私が死神ランドルフ──。僭越ながら七大列強序列五位の地位に身を置かせて戴いております」
「そ、そんな大層な方が、なぜに飲食店の店主を?」
「
思わぬ大物との遭遇に狼狽する。
取って食われたりしないよな?
てか、列強相手に生意気にも料理の指導をしてしまった!
序列五位ってことは、パウロよりも強いの?
いや、七大列強の実力は順位通りでは無いとギースやパウロから聞いたような記憶もある。
多対一の戦闘でも、最後にトドメを刺した者が列強として入れ替わりに認識されるとも。
「貴女のお父上についても存じ上げてますよ。面識はありませんが、アレクを下した男を知らぬ筈がない」
アレクとは北神三世のファーストネームの略称だろうか。
そういやぁ、王竜王国とは北神二世英雄譚発祥国。
王都の方面には北神流の本拠地があった筈だ。
つまりパウロはその大英雄の実子である北神三世を倒した上に支配下に置いた。
一門の長へ屈辱を与えたことから、北神流そのものを敵に回した可能性が高い。
この国に居ちゃあ、俺の身も狙われて危険では?
「ご懸念があるようですね? ですが心配には及びませんよ。北神三世は龍滅パウロの身内に手を出した者には破門を言い渡すと御触れを出しています」
つまりなにか?
北神三世は武芸者としての面子などよりも、臣下としての誇りを優先していると──。
「私自身は北神流を破門同然の身ですのでご安心を。アレクに関しても親族ではありますが別段、思うところはありませんしねぇ」
情に薄いとは言うまい。
身内の確執というのはどこの家にもあるものだ。
ノトス家のあれこれとか。
ボレアス家でもフィリップとジェイムズが対立している。
「私の父をご存知とは聞きましたが、龍滅とかいう異名の由来って知ってます?」
龍を滅ぼす者という意味を表すのだろうが、パウロにそんな逸話があったのか疑問だ。
眉唾物である。
「北神三世は王竜王カジャクトと呼ばれる、かつてこの国の王竜山脈に存在した竜種の王を素材とした魔剣を振るっています。その彼を龍滅パウロは下したわけです」
竜と龍とで字面には差違はあるものの、それに準ずる存在を倒したという認識か?
「そして龍神オルステッドとの交戦歴があると聞く。かの龍神と遭遇する者自体極めて稀でしてね。敗けはしたものの、打倒龍神オルステッドを掲げ、破竹の勢いで急成長を遂げているそうです」
ランドルフの解説は続く。
フィットア領捜索団の活動を継続する中で、中央大陸各地の権力者の手から奴隷となった領民を解放すべく敵対勢力と衝突した。
豪族や貴族お抱えの用心棒などとの闘争へと発展なんていう事態も多々あった。
中には北神三世のように竜種由来の武具なり防具なりを装備する者が一定数居たらしく、彼らのことごとくを撃破した実績から龍を滅ぼす者──龍滅の異名で恐れられるようになったと……。
ややこじつけ染みた二つ名だ。
だが、権力者が生け捕りにした、
赤竜一匹でもAランク指定される魔物だ。
ギレーヌも過去に数人がかりで討伐したと話していたが、それをパウロは1人でやってのけたのだ。
その二つ名に偽りは無いと言える。
「こんなところですかねぇ。あの龍滅の御息女への剣術指南の栄誉に与れるとは、人生は分からないものです」
「父親が高名な人物だからといって、子どもまでもが秀才とは限りませんよ?」
「あなたの評判も悪くはありませんよ。水聖級魔術師にして聖級治癒術師。成人前の身でその実績は大したものかと」
褒めて伸ばそうとかいう魂胆か?
既に死神ランドルフによる北神流剣術指南は始まっているようだ。
「ルーディアが羨ましいわね。死神ランドルフがどれ程の剣士かは、よく知らないけど、あんた強いのよね?」
列強相手でも物怖じせずに疑問を投げ掛けるエリス。
彼女も死神の剣に関心を持つようだ。
「北帝及び水王程度の腕前です。長いこと実戦から離れていた身なので、多少は錆びついていますがね」
錆びついたとしても、一度は列強に名を連ねたのだ。
決して弱いというわけでもない。
「じゃあ、ギレーヌよりも強いの?」
更に踏み込んだ内容へ進む。
「ギレーヌ・デドルディア殿ですか? 彼女は確か
聞き捨てならない新事実を事も無げに言う。
あのギレーヌが
「序列の上では私が上位ですが、三流派最強とされる剣神流の長が相手ともなれば、私など数秒と持ちませんな」
「やっぱりギレーヌは強いんだわ!」
敬愛なる師匠の偉大さに歓喜する彼女は、我が事のように誇らしげに胸を張る。
「さ、時間は有限です。稽古の時間に移りましょうか」
詳しい話を問う時間も与えられず、押し切られる形で死神ランドルフによる剣術指導が口火を切った。
ことのほか、ランドルフの稽古は苛烈な物であったと言い残しておこう。
見た目にそぐわず彼はスパルタ教育であった。
──数ヵ月前・剣の聖地──
相対する2匹の猛獣。
片や、剣神の名を戴く当代最強の剣士と名高いガル・ファリオン。
片や剣王として最高位の域にあり、その技量は一門4番手とも言わしめるギレーヌ・デドルディア。
剣神は上段の構えを取る。
いかなる理合にも対応せしめる体勢。
攻守共に優れたその対応力は、他の流派の長すらも手を出すことを躊躇わせる。
対する剣王。
居合の構えだ。
相対者の剣に対して、神速の反射攻撃を繰り出す絶対防御。
優れた嗅覚と聴覚により、敵の攻撃の手をいち早く察知する獣族のギレーヌとは非常に相性が良い。
双方、無言。
会話など不要にして邪魔であると切り伏せる。
一秒ですら一分、一時間と引き延ばされるような感覚。
刹那の瞬間ですら、永遠へと転じさせた。
さりとて仕合は時間の経過と共に変化を生み出す。
機会を窺うに留まらず。
寝首を掻くか、はたまた強襲に転じるか。
命の与奪のみに互いの精神は没頭する。
奇っ怪な光景だ。
だが、場を見守るサウロスも、剣神流の門弟達も固唾を飲んで見届ける意思だ。
雑念など介在する余地すら無い。
剣神は嗤う。
目の前の弟子は己が期待以上に牙を研いで来たのだと理解して。
一時は腑抜けた女だと詰りはしたが、ただ男に尻尾を振って飼い猫に成り下がったわけではなかったのだ。
剣王は鋭い眼で己が師を見る。
嗤う理由などさして考えまい。
彼女のすべき事は最強の剣士を斬ることのみ。
余計な物は視界になど入れなかった。
やがて──戦局は動いた。
技の発生すら見えぬ剣神渾身の一撃。
光の太刀がギレーヌの首を刎ねんとして迫る。
剣王は察知した。
世界最高峰の剣技を五感が捉え、急速な命の簒奪に対応を迫られる。
自然と身体は反応し、奥義・光返しを以てして迎撃へと移行する。
間に合った。
最高速度に達する剣先より僅かに遅れる剣神の手首を切り払う。
光の太刀は不発に終わる。
が、剣神は止まらぬ。
持ち手を失っても、手首はもう1つある。
中空にある剣を握り直すと、続け様に光の太刀を繰り出す。
光返しを放ち終えて硬直の生まれたギレーヌ。
剣神の超反応に驚愕しつつも、戦闘に休息など与えられまい。
手負い覚悟で、更なる戦闘の続行へ臨む。
とはいえ光の太刀とは基本的に回避不可能とされる剣神流の必殺の技。
防御などには重点を置かぬ剣神流にとっては、同門こそが天敵。
数少ない防御技である光返しも効果を示したが、剣神の進撃を食い止めるには至らなかった。
であれば、敗北は如何なるものぞ──。
だが剣王は折れぬ。
敗北は死へと直結し、主へと立てた誓いも霧散する。
断じて許容出来ぬ無様。
なればこそギレーヌは、牙を剥き出しにする。
無謀にして果敢にも、手に握る剣神七本剣が一振‘平宗’を剣神の眼前へと放り投げる。
視界の遮られた剣神。
一瞬の隙を強引に作り出されはしたものの、標的は目の前に居る。
光の速度に達する挙動に変化無し。
だが、ギレーヌに対して次なる動作へと移る時間を与えた。
無手となった剣王は、手刀の形を取り剣神の愛刀‘喉笛’に対して応じる。
闘気の纏われたソレは古今東西あらゆる名刀もを霞む輝きを放つ。
その突拍子の無い行動に剣神の表情は歪む。
舐められたものだと歯噛みする。
愛弟子は阿呆者へと、やはり成り下がってしまったとかと落胆する。
ガル・ファリオンに雑念が生まれた──。
僅かな意識の隙間。
されどギレーヌは見逃さぬ。
身を屈め、一転して喉笛との衝突を避ける。
手刀は勢いを増して光返しを再現する。
素手で魔剣と打ち合うなど、ブラフであったらしい。
唐突な行動の変化。
剣神の顎下へと位置を取ると、残る手首へと打ち込む。
肉の絶たれる感覚。
血がギレーヌの頭上へと振りかかる。
剣神は喉笛を空へと放り投げることを余儀なくされ、得物を喪失する。
両手を失おうと、剣神流を極め、更に他の流派にも精通する彼ならば闘い様はいくらでもあった。
だがしかし……。
目の前に立つ剣王は五体満足の上に、床に刺さる刀剣を握り直したではないか。
その切っ先が剣神の首へと差し向けられる。
「あたしの勝ちだ──」
剣王が勝利を宣言する。
「俺様が敗けるとはな──」
勝負は決した。
釈明など無粋。
剣技ならば剣神が上回っていた。
けれど移ろいゆく戦局の中での技巧では、ギレーヌがその上をゆく。
敗因は其処に在った。
剣神の知るところではないが、剣王ギレーヌは主と共に一年近くもの期間を、あえて紛争地帯に潜伏していた。
サウロス生存の情報撹乱の意味合いもあったが、否でも応でも己が実力を鍛え上げんとして。
数々の傭兵や
「今日からはお前が剣神だ……」
「あぁ、謹んで拝命しよう」
「あ? てっきりお前は剣神の称号に興味が無えとばかり思っていたが、やけに素直に受け取りやがるなぁ」
治癒魔術での治療を受け、手首を取り戻すガルが問う。
「必要と感じた。剣神の名がな」
「必要だぁ? そりゃあ、剣神の称号にゃあ、有象無象の凡夫共は平伏すだろうがよ」
金も名誉も欲しいがまま。
しかし、ギレーヌはそんな俗物的な人間ではあるまい。
「剣神流をボレアス家傘下に加える──」
「アスラ王国の大貴族様の下につけってか?」
「正確にはサウロス様及び、ご子息のフィリップ様に仕えさせるのだ」
ギレーヌの物言いに周囲の門弟らが異議申し立てる。
吠える彼らは束となって、ギレーヌに詰めよった。
「ギレーヌ殿は何をおっしゃるかっ!」
「誇りある我々剣神流一門が貴族の下につくなど容認出来ぬ!」
幾らでもほざいていろ。
ただそう思う。
彼らの声に発言力など無いのだ。
「あたしが剣神だ。従わんのなら破門とする」
「な! 横暴が過ぎますぞ!
先代剣神へと発言も求める直弟子の剣帝。
だが、気乗りしない様子のガルに怪訝そうな目を向ける。
「みっともねぇ真似をさせんなよ。こいつは俺様に勝った正真正銘の最強の剣士。天下の剣神様は今やギレーヌ・デドルディアだぜ? 俺様はこの女に従う」
敗けはしたが、不思議と晴れやかな心境であった。
自身が求めて止まなかった領域に、ギレーヌは到達したのだ。
龍神オルステッドにも届くことを予感させる
悔しくはある。
己とて野望を打ち捨てたわけではないのだから。
だがしがらみによって雁字搦めにされていた。
剣神としての義務がガル・ファリオンの行動の全てを制限していたのだ。
門下の為に教えを説く日々。
剣士として最強の座に君臨し続ける重圧。
元来、我の強いガルには、堪えられぬ苦痛。
自由奔放に生きていたい。
かつて若い頃などは、醜聞など気にも留めなかった。
そして現在、在りし日の己を取り戻しつつある。
良き機会であり頃合いでもあった。
今こそガル・ファリオンという獣は、野生に帰る時なのだと。
今からでも遅くはあるまい。
もう一度、自身の剣術を磨き上げ、かつて敗れた龍神オルステッドへの再戦に臨むのも一考に値する。
とはいえだ。
剣神ギレーヌの言葉は絶対である。
今やガルは、ギレーヌに傅く門弟の1人に過ぎぬ。
彼女の口から放逐でも言い渡されぬ限り、しばらくの時を、顎で使われてやる意思だ。
さて、ガルの一喝で静粛となった当座の間。
剣王ギレーヌは剣神の座に本日を以て就任する。
改め──剣神ギレーヌとして。
「では師匠。早速だが勅命を下す」
「おう、申し付けやがれ。パシリでもなんでも、やってやらあ」
「龍滅パウロ・グレイラットへの接触を図れ。あの男は今や、ボレアス家を牛耳る実質的な最高権力者だ。ボレアス家の乗っ取りに際し、協力を仰ぎたい」
ギレーヌの目的とはボレアス家の再興。
ジェイムズの取り仕切るボレアス家に先は無い。
剣神流を私兵として抱えたギレーヌと、今やフィットア領民の英雄と名高いパウロを後ろ楯として、フィリップを新当主として擁立するのだ。
「サウロス様、これでいいか?」
主に意見を伺う。
「重畳だな。あとはフィリップを見つけ出し、エリスを救出する。ボレアス家復興はまだ遠い」
「あたしの力が至らず、申し訳ありません。エリスもフィリップ様も、捜しだすと言ったあたしの不徳の致すところ」
「貴様は十分やった! 儂は傍で見ておったぞ。ギレーヌよ、貴様は臣下としての責務を果たしておるわ!」
「過ぎたお言葉です。しかし、頂戴致しましょう」
頭を垂れ、片膝を突いて臣下の礼を取る。
そんな彼女を眼下に入れ、サウロスは主人としての充足感に浸る。
剣王──否、剣神ギレーヌを忠臣として認めた瞬間だ。
剣神ギレーヌ・デドルディアと──。
龍滅パウロ・グレイラットの再会の時は近い。