無職TS転生 ~異世界行ったら女の子です~   作:三毛猫丸

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第7章 少年期 第一次オルステッド戦役編
49話 ターニングポイント2 前編


─水神流宗家・道場─

 

 水神レイダ・リィアは半年以上も前に送り出した直弟子を想起する。

 龍滅パウロ──。

 彼には水帝の位階を授けた。

 

 水神流の剣技を余すところなく伝授すべく、文字通り血反吐を吐く程の稽古を課したが、死を目前とするような苦痛にも忠実に耐え抜いた。

 初代水神の編み出した全五種の奥義の内、三種の習得に加え、レイダが新たな世に生み出した秘奥技・剥奪剣界までをも修める。

 

 既にその実力たるや次代の水神の域にある。

 されど彼の欲するものは水神の称号などではなく、継承の権利をあっさりと放棄した。

 パウロという人物はあくまでも家族を守りたいだけなのだと、事ある毎に漏らしていたのを朧気ながらにレイダは思い出す。

 

 しかしそれだけではなかった。

 龍滅の異名を真の物とすべく、龍神オルステッドの首を獲る事を、師である自身へと宣言してきたのだ。

 龍神在る限り、世に平穏は訪れず。

 家族と共に紡ぐ時も刻まれず。

 そう語る口が印象強く脳裏に焼きついている。

 

 

「死に急いでんじゃないだろうねぇ」

 

 

 当代の龍神は最強だ。

 この世に存在する数多の術技をその身に宿し、あらゆる状況に応じて最適の技を選択し、最小限かつ最速の動作で放ってくる。

 

 自身の研鑽の上に成り立つ究極の一。

 肉体と精神の頂を同調させ、高めに高めた剣ですら、龍神にとって児戯に等しい。

 事実、彼女の剣は彼に届く事すら叶わなかった。

 

 かつて水神レイダの名を引き継ぐ以前。

 当時は水王でしかなかった彼女は、先代剣神ガル・ファリオンと徒党を組み、龍神オルステッドへと挑み掛かった。

 

 挑戦時、ガルは剣聖で未熟者。

 されどレイダは技の面ではともかく、肉体面では全盛期を誇っていた。

 名誉を得る為などではなく、ただ己が力が最強に対してどこまで通用するのか見極めんとして闘った。

 

 結果は惨敗。

 地に這いつくばり、命乞いするまでもなく捨て置かれる。

 眼中にすら入れてもらえず、路傍の石の扱い。

 尤も、その石ころに躓く事すら無い。

 なぜなら、龍神の歩む先に自分は存在すら許されていたかったからだ。

 

 仮にだ。

 現在の技の冴えが、かつての血気に溢れた肉体に備わっていたとしよう。

 善戦はする──とは言い難いが、一泡吹かせる程度の展開の変化は望めただろう。

 けれど勝率には影響しない。

 結果はどう足掻いたところで、敗北の二文字だ。 

 

 彼の者は最強などという言葉では足りない。

 無敵だ。

 無敗の王者だ。

 神の名を冠する災厄だ。

 

 そんな超常的存在に、直弟子であるパウロがいずれは挑むというのだ。

 不条理に対して条理が通用するとは到底思えない。

 パウロが理の壁を超えでもしない限りは、傷ひとつ残せず、失意の内に沈むであろう。

 

 死にゆく結末に自ら導かれようとする者へ、剣技を教えたなど馬鹿げたものだ。

 失われる剣を知っていながらにして授けたなど、水神としての責務へ真っ向から反抗している。

 彼女の剣は易くは無い。

 後世に伝えるべくして、振るわれる事を良しとする誉れ在る剣だ。

 開祖レイダルより脈々と受け継がれし、水神流の名は重い。

 

 

「バカは死んでも治らないだろうね」

 

 

 ともあれ、口出ししたところで止まらぬ。

 元々、レイダが託した野望でもあるのだし。

 パウロに可能性を見いだした自分が止めようなどと思えなかった。

 愚直な弟子に呆れつつも、その末路を案じる水神であった。

 

 

 

 

 

─ミルボッツ領・ノトス邸─

 

 転移事件より約3年の月日が経過した。

 リーリャとアイシャ親子の軟禁生活は長引いたものの、屋敷内での仕事を割り振られ、他所を向く暇を置かずに没頭していられた。

 

 ただ無為に生きるのではなく、あてがわれた役割を全うする。

 空虚な心を満たし、気を紛らわせる一点については効力を発揮した事だろう。

 だが気持ちの誤魔化しに留まり、自身の置かれる状況の打破には一切結び付かない。

 

 次第に薄れていく。

 ブエナ村のグレイラット家に仕えていた頃の記憶が。

 このままでは、侍女として掲げていた使命感すら、手放してしまいそうだ。

 雇用主にして旦那であるパウロへ立てた忠誠、妻ゼニスへの深き友愛。  

 その2人の愛娘であるルーディアより受けた恩義に報いる精神すら靄が掛かってきている。

 

 忠義者で在らなければ。

 さもなくば、かつて及んだ姦邪を拭いされない。

 娘であるアイシャに対しても、不義にまみれた手で触れてしまう事になる。

 不倫の咎は、なおもリーリャを蝕み続けた。

 

 ピシッ──。

 

 音が鳴る。

 束の間の休息日。

 愛娘と共に、茶菓子などをつつきブレイクタイムに日々の疲れを癒していた。

 唇に触れる直前のティーカップにヒビが走る。

 

 

「不吉ですね……」

 

 

 カップの中身は溢れない。

 されど決壊を目前としている。

 つつけば脆く、崩壊は免れまい。

 そんな弱々しさが、鮮明に瞳へと映り込む。

 

 

「お母さん、ティーカップを取り替えよっか?」

 

「ではお願いします、アイシャ」

 

 

 アイシャが気を利かし、母のティーカップを取り替える。

 その様子を目で追いつつ、リーリャは物思いにふける。

 物は取り替えれば事足りる。

 けれど人の身は一つ。

 代替えという手段は取れまい。

 

 正体の見えぬ懸念。

 連想する厄難。

 尽きぬ不安が押し寄せる。

 

 

「何事も無ければ良いのですが……」

 

 

 気を揉みながらも、この屋敷から出る自由は認められない。

 無力ゆえに祈るばかり。

 

 

「どうしたの、お母さん?」

 

「顔に出ていましたかね……」

 

「うん、顔に書いてあるよ。誰かを心配してるって感じ」

 

 

 聡い娘には一目瞭然だったろう。

 ここで否定し、嘘で塗り固めたところで無意味だ。

 母である自分がこんな有り様では、娘に心労を掛ける一方である。

 時には弱さも見せる事も必要であろうか。

 偽りの自分などで娘に接するなど不誠実だ。

 であれば打ち明けよう。

 

 

「アイシャ、母は弱いです。それでもあなたは私を母と呼んでくれますか?」

 

「うん、もちろんだよ! あたしのお母さんは、人前では強がってはいても、時々物陰で泣き虫さんになる放って置けない人だよ! でも、それでこそお母さんだよ」

 

 

 人の目に留まらぬ場所で泣いていた事実を指摘される。

 隠し事をして強がる考えなど不要だと悟った。

 

 

「アイシャ。私は旦那様やルーディアお嬢様の身を案じているのです。あの2人に限っては……とは何度思い至ったことか」

 

「お父さんとルーディアお姉さまのこと?」

 

「あの方達は強い。そのように認知していても憂慮は尽きません」

 

「あたしはお姉さまとは、一度しか会ってないから的外れかもしれないけど。うん、きっと大丈夫だよ」

 

 

 根拠は?

 とは問い質すまい。

 娘のアイシャの言葉を疑うほど、母親としての目は曇ってはいないのだ。

 彼女には彼女なりの思慮があっての発言だろう。

 

 そうして母子は、いまだ再会の目処すら立たぬ家族を想い、ノトス家での生活を継続する。

 

 

 

 

 

─ラトレイア家─

 

 ゼニスは妙な胸騒ぎに不安を募らせていた。

 名状し難い脅威が娘の身に迫っている──。

 漠然と予感し、身震いをした。

 母に相談し、この言い知れぬ感覚の解消に努める。

 

 

「お母様……。ルディ、大丈夫かしら? あの子、危なっかしいところがあるから」

 

「子を想う母の気持ちは良く知っていますとも。であれば、あなたが母としてすべき事は、我が子を信じることではないでしょうか」

 

 

 クレアの言葉を素直に飲み込む事は出来る。

 しかし……悩みの種は植えつけられたままだ。

 見えぬ影に怯え、ことさらに不安心を強めた。

 ゼニスの切羽詰まった様子に困り顔をするクレア。

 言い回しに小細工を尽くそうと、ゼニスの悩みを排除するに至らないだろう。

 

 

「あなたの夫パウロに賭けてみては?」

 

 

 ゼニスという女性の心を支える最愛の人。

 転移災害により、別離を強いられこそしたが、その深愛に一切の翳り無し。

 

 信頼から想い描く夫の姿。

 パウロならば愛娘を、死力を尽くして護ろうとする筈だ。

 心の内に渦巻くのはやはり不安。

 けれどパウロならば全ての障害を取り払ってくれる。

 俄然、漲る希望。

 

 

「そうね、分かりましたわ。お母様。あの人(パウロ)にルディの行く末を託します」

 

 

 沈痛な思いは霧散した。

 明るさの灯った面持ちで、傍に居たノルンを膝に乗せて座らせる。

 不意に手繰り寄せられる形となったノルンは、ゼニスの双眸を覗き込む。

 

 

「お姉ちゃんのこと?」

 

 

 先ほどから交わされていた会話を、幼子は聞いていた。

 大人達の悲痛に満ちた声が動揺を誘ったものだが、一転して今は明朗な声のみが耳に届く。

 

 

「そうよ、ノルン。お姉ちゃんはきっと大丈夫。何も悪い事なんて起きないわ」

 

 

 パウロの存在が確信を持たせる。

 なぜああも自分は悲観的でいたのか。

 子どもにまで暗く沈んだ顔を晒しては、母親として失格だ。

 自身を戒める思いだ。

 

 

「会えると良いね。お姉ちゃんとお父さんに」

 

「ええ、そうね。きっともうすぐ会えるわよ」 

 

 

 ゼニスは膝の上の娘に微笑み、そして、遥か遠くの中央大陸を旅するであろうルーディアへと親心を向ける。

 少し見ない内に、驚きの成長を遂げているかもしれない。

 再び家族として集まる瞬間を待ちわびるばかり。

 

 かくしてグレイラット家の絆の存続は、家長パウロの双肩に委ねられた。

 

 

 

 

 

 

─再建の進むロアの町─

 

 

 国庫より追加予算が組まれたフィットア領捜索団。

 潤沢な資金と人材を得て、難民捜索は活動初期と比較して4~5倍もの成果を上げていた。

 惜しむらくはグレイラット家の人間の行方が、未だ掴めていない事実か。

 

 領民も戻りつつあることから、ロアの町を中心に再建活動が開始する。

 以前の姿には程遠いが、着実にかつての活気を取り戻しつつあった。 

 

 そんな中、捜索団本部では議論が繰り広げられていた。

 パウロ・グレイラットは、先代剣神ガル・ファリオンとの会合を連日に渡って重ね、やがてひとつの決断を下す。

 同席するロキシー・ミグルディア及び北神三世アレクもまたその判断に従う意思だ。

 

 

「ルディ達を捜す方針に揺るぎはねえ。だがその前にやらねえといけねぇ事がある」

 

 

 難民捜索の為に張り巡らせた情報は副産物としてある一報をもたらした。

 龍神オルステッド目撃の報せだ。

 アスラ王国南東部から赤竜山脈南部にかけての一帯を、この頃の奴は放浪するという。

 これまで目撃証言そのものが稀であっただけに、世間に激震が走る。

 とりわけ強く反応を示したのはガル・ファリオンであった。

 

 龍神の移動手段は不明。

 時間的な矛盾を孕みながらも、転々と各地を移動しているらしい。

 

 かの龍神はある特定の人物を捜している。

 近年になって不自然なまでに人前に姿を晒すようになったのも、人探しに起因するのだろう。

 捜索団内情報部による調査で判明した事柄がある。

 オルステッドはルーディア・グレイラットの素性や評判について各所に聞き込みを行っているそうだ。

 

 すなわち、パウロにとって最愛の娘ルーディアへ危害を加える意図があるのだ。

 その疑いは深まり、下手人の動向に過敏となる。

 娘の周辺を嗅ぎ回る理由など定かではないが、断じて看過出来るものではない。

 

 そして奴はフィットア領転移事件の首謀者でもある。

 討つなら今だ。

 娘をつけ狙う悪逆を滅する時が近い。

 

 たとえ家族全員の救助を成し得たとしても、諸悪の根源が跋扈する世などでは明るい世界は築けまい。

 我が子の将来に巨悪は邪魔だ。

 なればこそ、総力戦を覚悟で討伐を計画する。

 

 

「ほらよ、パウロ。鳳雅龍剣(ほうがりゅうけん)っつうんだがな」

 

 

 唐突にガルがパウロへと、鞘に納められた刀剣を投げ渡す。

 重量はさほどでもない。

 外見上は何の変哲もない剣であり、特異性などは感じられず。

 あくまでも、ひと目見ただけの感想ではあるが。

 わざわざガルが意味ありげに渡したのだから、何かしらの曰くでもあるらしい。

 

 

「これは魔剣か……。いいのか、ガルさん? オレなんかに貴重な剣神七本剣の一振なんてくれちまって」

 

「お前程の剣士がなまくら振ってたんじゃ、格好がつかねえだろ。俺様からの餞別だ。受け取れ」

 

 

 通常であれば剣王以上の位階を得た者に贈られる剣。

 パウロはその資格を3年以上も前より有していた。

 が、決まった流派に身を置くつもりなど毛頭無かった彼は、魔剣の受け取りを拒否。

 曖昧な立場である自身が振るうには誠実性に欠け、相応しくないのだと判断した。

 自己都合で一つの流派の伝統を汚し、顔を潰すわけにはいくまい。

 

 それが今になって先代剣神の手から譲渡された。

 意味するところは果たして。

 

 

「オルステッドを斬るってんならよ。そいつがオススメよぉ。見た目は其処らの刀剣とさして変わらないが、闘気を無効化する能力が秘められてる」

 

「闘気をか? スゴいな」

 

「ああ。龍神ってのはよ、バカげた防御力を持ってやがる。さすがに奴の闘気を完全無効化とまではいかないが、軽減くらいはするだろう」

 

「つまりあれか? 対龍神オルステッドに特化した武器ってわけか」

 

 

 無策ではないにしろ無謀な闘いに身を投じるつもりでいたパウロにとって、思いがけぬ戦力強化だ。

 

 

「ただし、くれてやる代わりに龍神討伐には俺様も参加させてもらう」

 

「むしろ願ったり叶ったりだが……。ギレーヌの意思に背く事にならないのか? 先代とはいえ、あんたは剣神流に必要な人間だ。後進の育成もあるだろうし、ここで死んじゃ不味いだろ」

 

「なあに。あいつからはパウロに協力しろとしか言われてねえんだ。好き勝手やるにしても、オルステッドを殺る分には文句は出ねえだろ」

 

 

 先代剣神の討伐作戦への参加。

 百人力どころではない。

 得られる物はあまりに大きい。

 神級剣士の加入の意味するところは──。

 一集団に収まる戦力の範疇からの逸脱。

 

 

「当然、僕も参加させてもらいますよ。僕はパウロ様の身を守護する剣だ!」

 

 

 北神三世アレクが威勢良く名乗りを上げる。

 

 

「わたしも微力ながら協力させていただきます!」

 

 

 直接、戦線には加わらないが、後方支援であれば自身にも役割を全うできる。

 熱意を帯びた強い心持ちで、ロキシーは申し出る。

 

 

「おう、2人とも。サンキューな!」

 

 

 両人の頭をガシガシと撫でる。

 照れ臭そうに笑う2人。

 

 

「ギレーヌのヤツはどうしてる?」

 

「さあな。サウロスの爺さんに付ききりだが、近くには来てるみてえだぞ。ボレアス家乗っ取りの仕込みだか知らんがな」

 

「そうか、アイツにもやることがあるんだよな」

 

 

 ギレーヌにも立場がある。

 彼女にも助力を願いたかったが、贅沢を言える状況でもない。

 ガルの派遣を決めてくれただけでも、その貢献度は計り知れない。

 

 

「こっちから打って出る。次に奴の目撃情報が入れば、現地へ急行だ」

 

 

 主な目撃範囲はアスラ王国内南東部。

 しかし、龍神は時間の制約無しに北部にも西部にも姿を現すという。

 王都やフィットア領にすら出没する可能性さえ浮上した。

 もしかすると行動範囲は世界中に展開しているかもしれない。

 

 であるならば、悠長に構えてはいられない。

 範囲の限定されているこの瞬間こそが好機。

 網を張って待ち伏せるのだ。

 出現ポイントは幾つかに絞り込んである。

 いずれも人目に触れぬ秘境。

 森林の奥地であったり、辺境の村であったり場所を選ばない。

 

 続報が入り次第、出没場所へ出立予定だ。

 

 かの有名にして勇名な魔神殺しの三英雄。

 彼らは魔神ラプラスを殺すに至らず封印に留まったにも関わらず、結果以上の身に過ぎた栄誉を得た。

 だがパウロは自分はそんな紛い物で終わるつもりはない。

 必ずや龍神オルステッドを討ち取り、龍滅の名を嘘偽りの無い正真正銘の物とするのだ。

 

 

「待ってろ、ルディ……。オレが悪い龍神から守ってやるからな」

 

 

 龍滅パウロは娘の永久(とわ)に続く笑顔を護らんとして、龍神を討つと魂に誓った──。

 

 

 

 

 

─王都アルス・王城シルバーパレス─

 

 第二王女アリエル側付き守護術師フィッツは、微かに記憶に残る想い人へ迫る危機を予感する。

 

 男装の麗人フィッツの元の名はシルフィエット。

 だが当人はその名を覚えてなどおらず、主より授かったフィッツの名で第二の人生を送る。

 

 さて、胸に残る違和感。

 その原因たる人物の顔も声も名前すらも曖昧。

 されど常に心の中に居座り、傍に居ない事実による喪失感に胸を焦がす。

 

 転移災害の発生は理解している。

 自身が記憶を失う契機となった厄災である。

 親も分からなければ、自身の過去すらも不明。

 アイデンティティの崩壊ですらなく、そもそも持たざる者。

 出自も知れぬ我が身。

 どこで暮らし、どんな両親に育てられたのか。

 まるで幻のように漂う記憶の欠片。

 

 そんな彼女の記憶の始まりはアスラ王宮の一角に在る。

 目に入った最初の人間は麗しき女性であった。

 彼女はアリエル・アネモイ・アスラ。

 現在、フィッツの仕える尊き人。

 

 アリエルは魔物に襲われていた。

 当時の記憶はフィッツをして不鮮明だが、無詠唱魔術を駆使して倒したらしい。

 その縁あってか、空っぽな自分を拾い上げ、守護術師として取り立ててくれた。

 

 過去を失くしたフィッツにとって寄る辺となる存在だ。

 が、そんな高貴な女性を押し退けてまで存在感を強める人物が、フィッツの自我に訴えかけてくる。

 何故私の事を忘れて、他者へ心を向けているのか──?

 

 そう責められている気がしてならない。

 忘れたくて忘れたわけでなくても、罵詈雑言を浴びせられているかのような心地。

 被害妄想でしかない。

 されども、平常心を保つ事すら覚束ない。

 

 

「ボクは何者で、キミは誰なんだ……?」

 

 

 独り言が漏れる。

 答えは出まい。

 

 

 やがて、職務にも影響が及んだ。

 次期王位争奪戦。

 第一王子グラーヴェルに与する貴族の手勢より継続的に送られる暗殺者。

 参加者たるアリエルを標的とした終わらぬ脅威。

 近頃、露骨に刺客の数が増加していた。

 苛烈化した事により、国外退避まで視野に入る始末。

もはや国内に留まり続ければ命の保証などあるまい。

 

 有力な貴族の大多数はグラーヴェル陣営についている。

 劣勢だ。

 そんな悪い流れの中で、フィッツは不覚を取る。

 アリエルに迫る魔の手をはね除けようと専念する日々。

 疲労も溜まる。

 気が休まらない。

 

 何よりも不明瞭ながら、フィッツの心中に根付く幼馴染みの顔がその行動を鈍らせた。

 絶えず耳元で囁き続ける懐かしさに満ちた声。

 感覚だけがやけに強く残る温もり。

 日常生活上で思考が途切れがちになってしまう。

 思い出せそうで、しかし決定的な何かが足りず、還ることのない、かつての自分と想い人が過ごした記憶。

 

 そこがつけ入る隙になってしまう。

 アリエルを害する敵を排除した。

 だが集中力を欠き対応が僅かに遅れ、力及ばず凶刃が王女の身を掠めてしまう。

 致命傷ではない。

 治癒魔術を施せば一瞬で完治するような軽傷。

 しかし、敵の攻撃をみすみす許した大失態。

 毒でも使われようものなら、既にアリエルは他界していたであろう。

 

 猛省した。

 けれど償い切れぬ罪科。

 腹を切る覚悟で、処罰を求めた。

 されど叱責のみで沙汰は済まされた。

 

 アリエルは言った。

 

 『贖罪として裁きを受けることを望むのであれば、自死を以て償うのではなく、命ある限り主へ忠義を尽くしなさい』

 

 そのような言葉で切って捨てたのだ。

 

 自身の浅慮な考えを恥じる。

 以後、フィッツは誠の忠臣であろうと心を決めた。

 戻りかけた記憶を封じ込め、笑顔の眩しい誰かの顔を忘れる事に努める。

 

 ただ、その間際に感じた言い知れぬ焦燥感。

 在りし日の幼馴染みの身に良からぬ不幸が振りかからぬか……。

 何も判明しないままに、多くのページが抜け落ちた思い出のアルバムを閉じる。

 

 そして間もなく、第二王女アリエルらと共にラノア王国シャリーアへと逃れる。

 後ろ髪を引かれるような気持ちで、幼馴染みとの日々を振り払って。

 

 

 

 

 

 

─ルーディア視点─

 

 吹き荒れる風に乗った粉雪が、睫毛に張りつき視界が遮られる。

 都合良く、防寒装備など持ち合わせていなかった為、極寒に震えて歯をカチカチと打ち合わせてしまう。

 俺とエリス、エリナリーゼとタルハンドは以上の状態で行軍する。

 

 唯一平然とした顔のルイジェルド。

 魔大陸出発より変わらぬ軽装。

 スペルド族というのは、種族そのものが寒冷地仕様なのだろうか。

 

 人族は暑さにも寒さにも弱い。

 エリナリーゼ達亜人も同様。

 早々にこんな場所など抜けてしまいたい。

 

 

「寒い……。ルーディア、手を繋ぎましょう!」

 

 

 人肌で温まりたいのか、そんな提案するエリス。

 よかろう、俺が人間カイロになってあげよう。

 

 

「構いませんけど、私の手はとっくに冷えきってますよ」

 

 

 彼女の狙いは外れる。

 冷気に包まれたこの身体には温もりなど残されていない。

 暖色系の髪の毛をしたエリスを眺めていた方が、よほど温まれそうだ。

 

 

「いいから繋ぐのよ!」

 

 

 冷えた俺の柔手を、エリスの剣ダコの出来た手が掴む。

 ヒンヤリとした感触は想定していたことだ。

 それでも欲求が満たされ微笑む様子を見るに、ただ妹とのスキンシップに飢えていただけのようだ。

 毎日添い寝してあげてるのに、その強欲さは留まるところを知らない。

 

 

「手袋をはめれば良いのでは?」

 

 

 たしかエリスは剣を振るう性質上、握りを良くする為に皮の手袋を所持していた筈だ。

 防寒具ではないので保温効果は望めないが、素手を吹きっさらしにするよりかはマシだろう。

 

 

「イヤよ」

 

 

 バッサリと提案を没にされる。

 

 

「私はルーディアと手を繋ぎたいだけなのよ。手が冷えるくらい、我慢するわよ」

 

 

 素直なことで……。

 思えばあの赤猿姫とか狂犬とか呼ばれた、このじゃじゃ馬姫を、よくもまぁ手懐けられたものだ。

 たぶん俺が男だったら、ここまで心の雪融けは早くはなかった。

 絶賛雪山通行中であっても、手を介してポカポカ陽気が流れ込んでくる。

 

 しかし……。

 その温かみは長続きはしなかった。

 

 前兆など無い。

 ましてや予告なんて親切なものもない。

 当たり前のように奴はやって来た。

 

 視線を動かす。

 前へとだ。

 雪を踏みしめながら進む足音。

 俺たちのものではない。

 

 雪道を行く何者かの気配。

 奴は1人ではなかった。

 2人組。

 奇妙な組み合わせだと思う。

 男女2人で、男の方は長身。

 もう片方の女はエリスと同じくらいの身長。

 やや低いか?

 

 男の外見ついて詳しく語ろう。

 まず銀髪だ。

 そして険しい顔つきで、やけに鋭い目が()()()を視線で貫いてくる。

 その眼光には、悪戯っ子を見咎めるような色を感じる。

 奴の視界には俺しか入っていないようで、他の皆には目もくれていない不自然さが目立つ。

 

 金色の三白眼による熱視線が身体を離してくれない。

 気分が悪い。

 ルーディアという人間の中身を見透かしているかのような、そんな不気味さが感じられる。

 

 もう一方の女について。

 この世界じゃ珍しい黒髪だ。

 俺としては馴染み深い色合いで、日本人であれば極ありふれた頭髪だ。

 黒髪ロングの少女といった風体。

 無機質な仮面を被っていて顔はわからない。

 けど、恐らくはそれなりに美人。

 纏う雰囲気から読み取れた。

 

 ふと、ルイジェルドの横顔を見る。

 奴から目を逸らし、ただでさえ色白な顔を蒼白とさせていた。

 具合でも悪いのか、ガタガタと震えている。

 やはりこの寒さで薄着は無理が祟ったか。

 

 続いてエリス。

 彼女は警戒心を露に、鞘に手を掛けていた。

 今にも抜き打ちの一撃を放ちかねない危険性を帯びている。

 彼女の中では奴は不審者であり、危害を加えてくる賊扱いらしい。

 

 エリナリーゼは顔を伏せ、タルハンドは口をパクパクとさせて、男への忌避感を全開にしていた。

 

 やがて怪しげな男とすれ違う瞬間、位置関係上、真横に並ぶ。

 そこで男は立ち止まった。

 

 

「ルーディア・グレイラットだな……? なるほど、噂に違わずゼニスに良く似ている」

 

 

 奴は俺の名前を知っていた。

 一度見たら忘れ様の無い特徴的な容姿をしているが、面識など無い。

 エリスの警戒は正しかった。

 コイツ、不審者だな?

 

 

「あなたは?」

 

「オルステッドだ」

 

 

 オルステッド……。

 どこかで聞き覚えがあるが……。

 うーん、誰だっけ?

 

 

「お前を探していたぞ」

 

「なぜ、私を探す必要があるんですか?」

 

 

 会話からオルステッド某の真意を引き出そうと試みる。

 

 

「お前に興味があるからだ」

 

「えぇ……?」

 

 

 なに、コイツ。

 ロリコンか何かですか?

 

 

「これまで──お前のような人間には会ったことなど無かった」

 

「いや、初対面ですし当然かと」

 

 

 何が言いたいのやら。

 

 

「少し質問をさせてもらう。いいな?」

 

「嫌ですと言ったら?」

 

「答えろ……」

 

 

 不機嫌そうな顔つきにしては、抑揚の無い声で恫喝される。

 

 

「まずお前の両親はパウロ・グレイラット、並びにゼニス・グレイラットで相違あるまいな?」

 

「個人情報です……。その質問には答えかねます」

 

 

 下手に回答はすまい。

 ヤバい奴であることは明白。

 変に情報を与えては、俺だけではなく家族にも被害が及びかねん。

 

 

「質問を変える。お前は何者だ……」

 

「ご存知の通りルーディア・グレイラットですが? 私のこと、調べたんですよね?」

 

 

 俺の名前を初見で言ってみせたのだ。

 身辺調査は済ませてあるのだろう。

 これでも俺はアスラ王国じゃ有名な人間だ。

 魔術の才能の非凡さが悪目立ちし、顔と名前が広く知れ渡っている。

 

 もっと俺個人の人柄だとか趣味だとか、そういった情報を求めるロリコンさんも数多くいる事だろう。

 何せ可愛いからな、俺は。

 

 

「パウロの子にルーディアなど存在しなかった筈。だが、お前はこうして生まれてきている。何故だ?」

 

「いや、意味が解らないのですが……」

 

 

 支離滅裂だ。

 思考回路が破綻しているのか、無茶苦茶な事しか言わない。

 気でも触れているのだろうか。

 

 

「ルイジェルド・スペルディア──エリス・ボレアス・グレイラット──エリナリーゼ・ドラゴンロード──タルハンド──妙な取り合わせだ」

 

 

「なぜ俺たちの名前を知っているッ!」

 

 

 口々に疑問を唱える中、ルイジェルドが代表してオルステッドとやらに問い詰める。

 微動だにせず、淡々とした口調で返答する。

 

 

「答える義理は無い」

 

 

 俺には質問に答えろと脅しておいてこの物言いだ。

 無礼な振る舞いをここまでくれば清々しい。

 

 

「さて、ルーディア・グレイラットよ。俺達に同行を願おうか」

 

「いや、そんな要求、聞き入れられませんよ!」

 

「ただ身体を調べるだけだ」

 

「変態じゃないですかっ!」

 

「俺は変態ではない」

 

 

 なんだこの男はっ……!

 美少女の体目的の真性の変態か?

 

 

「消えろ……。この子には手を出させんっ……!」

 

 

 オルステッドへ槍を突きつけながらルイジェルドは、俺を背に庇う。

 

 

 

「早く居なくならないと斬るわよっ……!」

 

 

 恐怖心に堪えながら、エリスは俺に目を配る。

 鞘から抜かれた剣がヤツを間合いに捉えていた。

 

 

「ゼニスの子はわたくし達が護りますわ!」

 

 

 エストックを構え、敵に立ち向かう姿勢を取るエリナリーゼ。

 冷えきった外気に包まれながらも、冷や汗を垂らしていた。

 

 

「立ち去れ……。さもなくば、わしらは本気でお主を殺すぞ?」

 

 

 逆らえば警告ではなくなる。

 魔術発動を控えたタルハンドからは、そんな強い意志がひしひしと伝わってくる。

 

 猛口撃を受けたオルステッドは、深く溜め息をついた。

 呆れているのか、一方的に嫌悪される事を嘆いているのか。

 変化に乏しい厳めしい顔からは窺い知れない。

 

 

「お前達に怪我をさせたくはない。この際だ。変態でも構わん。ルーディア・グレイラットよ。付いてこい」

 

 

 いや、変態相手だからこそ拒否したんだって!

 問題を履き違えてらっしゃるよ、この方は。

 

 

「お断りします──」

 

「荒事は避けたかったのだがな。やむを得んか……」

 

 

 言葉尻は消え入りそうで、しかし確固たる行動の原動力を匂わせた。

 訝しみ、予見眼を発動させておく。

 

 

【オルステッドは俺に掌打を放ち、気絶させる】

 

【オルステッドは俺の肺を潰し、魔術詠唱の阻害を図る】

 

【オルステッドは俺の心臓を貫き、殺害に及ぶ】

 

【オルステッドは────】

 

【オルステッドは………………】

 

【オルステッドは????】

 

 

 攻撃だ。

 だが──分岐が多すぎて読めないっ……!

 奴の姿がブレて幾重にも像が連なって見える。

 殺されるのか?

 それとも気紛れで生かされるのか?

 わからない、解らないっ……!

 

 オルステッドの攻め手を察知したルイジェルドが、俺を突き飛ばす。

 錐揉みしながら倒れ込みそうになるも、エリスが抱き止めてくれた。

 

 直後、ルイジェルドとオルステッドの間で衝撃波が発生する。

 轟音と火花が散り、矛同士の衝突が起きた事実を知らせる。

 

 三叉槍と貫手──。

 は?

 オルステッドの奴、素手で槍と打ち合っただと?

 

 

「邪魔立てするか、ルイジェルド・スペルディアよ」

 

「貴様は何がしたいっ……! ルーディアをつけ狙う動機は何だっ……」

 

「調べねばならん。この娘には不確定要素が多い。生かすにしろ殺すにしろ、1度持ち帰る必要がある」

 

「わけが解らんぞっ……!」

 

 

 つばぜり合う槍と、恐らくは闘気の纏われた素手が弾け飛ぶ。

 ルイジェルドは激しい振動に後退り、オルステッドはその場に留まり続ける。

 同じ状況下で二者に生じた差。

 理由は不明だが、戦士としての格の違いを見せつけられる。

 

 

「ルーディアを連れて逃げろっ……!」

 

「でもっ!」

 

 

 エリスが躊躇いの声を上げる。

 

 

「後で追いつく……! 生き残ることだけを考えろ!」

 

 

 戦士の叫び。

 戦闘眼から導き出された判断が逃げの一手。

 これにもさしものエリスも従う意思を固められる。

 

 

「絶対に合流しなさいよねっ!」

 

 

 エリスが俺の手を引いて、来た道を引き返す。

 その後方をエリナリーゼとタルハンドが警護を担う。

 

 

「ちょ、ルイジェルドさんを置いていくんですかっ!」

 

 

 迷う。

 ルイジェルドは仲間だ。

 大切な兄貴分なのだ。

 そんな彼を捨て石にするなど、断じて許されない。

 

 だが……アレには勝てない。

 あの歴戦の勇士が取り乱しながら絶叫するのだ。

 この場から退散しなければ、殺されるか連れ去られるか……。

 俺の一存では判断を覆せない。

 しかし──そんな迷いも一瞬にして砕かれる。

 悪い意味でだ……。

 

 

「逃がさん」

 

 

 その一言が絶望の始まり。

 オルステッドの身体が雪の上を駆け抜ける。

 ルイジェルドの警戒網を突破し、俺達の目前へと躍り出た。

 逃げ道を塞がれる。

 

 

「な、なによっ! やる気なのっ!」

 

「邪魔だ」

 

 

 斬りかかるエリス。

 刀身が容赦の無い斬撃を放つ。

 当たれば死。

 咄嗟の一撃は光の太刀であった。

 

 

 

「遅いな」

 

 

 剣先が受け止めれる。

 奴の素手が摘まんでいたのだ。

 グッと力を込めるエリスだが、びくともしない。

 直後、切っ先を掴むオルステッドが、エリスごと剣を放り投げる。

 

 岩壁に叩きつけられたエリスは吐血し、そのまま意識を落とす。

 おいおい、マジかよ……。

 彼女は剣聖クラスの実力者だぞ?

 文字通り片手間で片付けたというのか……?

 

 

「よくもエリスをっ……!」

 

 

 爆発的な加速を得て、距離を詰めるルイジェルド。

 その穂先がオルステッドの首を穿たんと走る。

 背後を突かれたオルステッドだったが、振り返りもせずに片手を頭の後ろに回し──穂先をいなした。

 

 狙いを失った槍はあらぬ方向に空振りをかます。

 隙の生じたルイジェルドは、思い切って槍を手放して大きく後退する。

 追撃は来なかった。

 距離を取った事が幸いしたらしい。

 

 

「さすがの判断だ。やはり貴様は強い」

 

 

 称賛するオルステッド。

 だが、その褒めた相手すらも技量で勝るこの男の底が知れない。

 正直、この男が怖い……。

 

 

「だが俺には勝てん」

 

 

 発言後、その言葉の意味の一端を理解させられる。

 奴がルイジェルドの方へ目掛けて槍を蹴飛ばしたかと思えば、後追いで拳を打ち込む。

 

 槍を掴み取ったルイジェルド。

 が、その瞬間を見計らうように狙いすましたオルステッドの拳が襲う。

 構えるよりも前の強襲。

 意図的に生み出された行動の切れ目。

 即座に回避行動へ移行するも──。

 

 

「無駄だ」

 

 

 拳が消えた。

 いや……違う!

 動体視力を置き去りにするほどの速度で、拳打ちがルイジェルドの鳩尾へと吸い込まれたんだ!

 

 

「……がはっ!」

 

「ん? これでも意識を保つとはな。大した気力だ」

 

 

 ルイジェルドは倒れない。

 踏ん張りにより、攻撃をもちこたえて槍を握り締める。

 そして一合、二合と繰り出される槍の猛攻。

 いずれもオルステッドの徒手空拳で防がれ、その上、間隙を縫うように手刀の雨をルイジェルドに降らせる。

 

 蓄積するダメージ。

 口から溢れだす血液が、負傷の度合いを表している。

 不味い、ヤバい。

 あのルイジェルドが、追い詰められている。

 見ているだけじゃ駄目だ。

 加勢しなければ!

 

 昏睡(デッドスリープ)じゃ……力不足だ。

 意識を奪うのでは軽すぎる。

 あの化け物染みた男には殺す気で掛からなければ通用しない。

 

 そして選んだ。

 俺の持ち得る最強の魔術を。

 

 

「ルイジェルドさん! 撃ちます、避けて!」

 

 

 何を撃つかなど言うまでもなく伝わった筈だ。

 死にかけの表情をしたルイジェルドは、頷きこそしなかったが、オルステッドから離れる。

 よし、これで巻き込まずに済む。

 

 そして放つ。

 傲慢なる水竜王(アクアハーティア)へ刹那の内に魔力を充填して射出された水弾(ウォーターボール)

 空気を切り裂く鋭さを伴って、男の下へ到達する。

 

 

「驚いたな、無詠唱魔術とは。それも『乱魔(ディスタブ・マジック)』を使う間もなく放つとは」

 

 

 虚を突かれた口振り。

 しかして──手の平から衝撃波が飛び出し、相殺される。

 アレは魔術なのか……?

 いずれにせよ俺の渾身の攻撃は不発に終わる。

 

 

 

「速度だけならラプラス並か。いいや、魔力量といい威力といい奴を超える素質が感じられる。だが、人族の身では理合の壁は超えられまい」

 

 

 易々と防いでおきながら、それなりの評価を下す。

 そんな事はどうでもいい。

 頼むから、消えてくれ──。

 

 

「時間の無駄だ。これで決める」

 

 

 宣告だ。

 奴は勝負を決めようと駆け足気味になる。

 ルイジェルドへと手刀が飛ぶ。

 槍先を叩き込み抵抗するも……ことごとくが被弾にまで至らず、無手のオルステッドに阻まれる。

 槍の連打は届かない。

 連撃は疲労を重ね、徐々にルイジェルドの動きを鈍らせていく。

 やがて攻撃の手数の差が開く。

 オルステッドは猛然と攻勢を強め、一打、二打とこれまでの比ではない高威力の貫手を浴びせた。

 仕留めの一撃は頭部へ。

 そこでルイジェルドは事切れたかのように倒れ伏す。

 

 

「うそ! あのルイジェルドがやられましたのっ!」

 

 

 エリナリーゼの困惑声。

 言いながらも、俺を守るように前へと踏み出す。

 

 

「殺してはいない。この男にはまだ役割がある」

 

「殺さなければ良いというわけではありませんわ!」

 

「使徒でないのなら、お前もタルハンドも殺さん」

 

 

 使徒?

 なんのことだ……。

 疑問は深まるばかり。

 この男の目的があやふやだ。

 

 

「倒れろ」

 

 

 オルステッドはポツリと囁くように漏らす。

 程なくして、彼の姿が目の前から掻き消える。

 違う、エリナリーゼの視界の外へと瞬間移動していた。

 魔術なのか特殊な体術なのか、判別はつかん。

 けれど確かなのは一つ。

 この敵は、これまで出会った者の中でも一際強い奴であると。

 以前、魔大陸に居た頃にヒトガミの話していた男こそが、オルステッドなのだ。

 すなわち倒すべき敵だ……。

 

 眼前ではエリナリーゼの身体が横たわっていた。

 何をされたのかは眼で捉えきれず、理解が及ばない。

 

 

「ルーディア! わしが時間を稼ぐ! 逃げろ!」

 

 

 タルハンドが叫ぶ。

 背に俺の姿を隠す様に位置取り、攻撃魔術の詠唱を開始する。

 しかし、一向に魔術は形を成さない。

 なにゆえか……?

 

 

「ルーディアより遅いな。お前では壁にすらならん」

 

 

 タルハンドが血を吐いて意識を喪失する。

 不可視の攻撃。

 手刀の一発でも叩き込まれたか、タルハンドの身は軽々と吹き飛ばされる。

 

 

「手間を取らせる……」

 

 

 

 事も無げにオルステッドは独り言をこぼす。

 その瞳が俺を捕まえる。

 身体中に駆け巡る危機感。

 脳内に鳴り響くアラート音。

 この男に対し、太刀打ちなど考えるな。

 ただ逃げろ──。

 

 窮地の中で意識へ指令が下されるも、身体は硬直し動いてくれない。

 恐れる心が全ての行動を縛り付けていた。

 唯一取れた行動は、魔眼による未来の観測。

 

 ヴィジョンを右目を通して認識する。

 生存が半分、死が半分。

 その死因は膨大。

 奴の手管一つで左右される人生の継続か終焉。

 

 そして俺はオルステッドを相手に──たったひとりの最終決戦を挑む。

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