無職TS転生 ~異世界行ったら女の子です~ 作:三毛猫丸
腰を抜かす俺を見下ろす長身の男オルステッド。
俺を殺すつもりなのか、生かしておくのか、その心算は計れない。
「無用な抵抗をしないのであれば穏便に済ませよう。さて、お前はどう選択する……」
決まっている。
この男は殺さねばいけない。
ヒトガミの言葉が正しければ、オルステッドさえ倒せば、俺は父親との再会が叶うのだ。
そしてこいつは、パウロを痛めつけた存在。
いわば親の仇。
死せるとも、ここで掃滅しなければ明日の未来のさえも確約されない。
いや、死にたくはないが。
「は……!」
手が迫る。
胸元へ。
まさかセクハラではあるまい。
その打撃は決して受けてはならない。
後方へ下がる。
脚が動かなければ、魔術で。
風魔術で強引に身体を後ろへと下げた。
奴め、まだ本気を出してはいなかったのだろう。
あっさりと回避を許した。
「……ふむ。考えたな」
評するオルステッドを尻目に、必死に活路を模索する。
倒せ、いや、逃げろ、でも……倒せ。
グルグルと回る思考。
明確な答えは出ずとも、抵抗を続ける。
「ナナホシよ、下がっていろ。この娘、存外にやるようだ。巻き添えを受けたくはあるまい」
彼が同行者へと忠告する。
「その……。そんな小さな女の子をどうすつもりなのよ?」
仮面の女は困惑気味にオルステッドへ質問した。
「イレギュラーな人間だ。俺の気の済むまで調べる」
俺のいったいどんな要素が例外的なのか……。
実験台とでも思っているらしく、その扱い方は雑なものだ。
「殺してはダメよ……。可哀想でしょ?」
「こいつ次第だ。それに、パウロの件もある。一定の配慮はする」
やはりパウロを知っている?
そうか、間違いないようだ。
この男が3年前にパウロを潰した人間なのだ。
いや、そもそもこいつは何者だ?
種族は?
年齢は?
「ではいくぞ」
来ないでくれ。
だが男は止まらない。
俺を捕まえるべく、その手が接近する。
1度確保した距離は瞬く間にふいにされる。
その掌底が俺の胸部へと押し当てられた。
接触の瞬間、奴の手で乳房が押し込まれ、圧で沈む感覚が巡る。
パイタッチ──なんて生易しいものではない。
揉まれるだけであったなら、どれだけ幸せであったことか……。
やがて訪れる苦痛の時。
衝撃が体内で弾けた。
肺がズタズタに引き裂かれ、気道に血液が込み上げる。
「ごふっ……」
口から噴き出す多量の血。
致死量には達せずとも、重傷は免れない様相。
けれど
「即時回復──治癒魔術の応用か? 無詠唱魔術の類いではあるようだが……さて」
「はぁはぁ……」
息遣いが荒くなる。
分析をする男の声など、ろくに頭へ入ってこなかった。
「まだ何か隠し持っているのか? 見せてみろ」
余裕だな、この野郎……。
こっちは死ぬ思いでやっているというのに。
座標指定魔術でオルステッドの全方位を囲むように魔術を生成する。
思い浮かべるのは爆発。
純粋魔力による炸裂弾で包囲を固めた。
だがしかし、奴が手をかざすと、たちどころに魔力弾は霧散する。
順に極めて冷静に処理するオルステッド。
容易く俺の戦術は封じ込められた。
「なんだ今のは……!」
「『
ここにきて、はじめてまともな会話が成立する。
嬉しくない朗報だ。
「今のは肝を冷やされた。手を介さずに魔術の発動とはな。両腕を切り落としたところで、お前から魔術を奪えんか」
腕を切るつもりだったのか?
物騒な……。
どのみち俺の誘拐を企てている時点で、尋常な人間ではないだろうが。
予見眼に映る肉薄するオルステッドの身体。
読めたのはそこまで。
そこからどのような攻撃が放たれるかは不鮮明。
しかし、何もせずには終われない。
無駄撃ちになることなど承知の上。
水弾を連射し、身に迫る脅威の対処とした。
奴は止まる。
観察するように、視線を水弾へと向けた。
すぐに決断を下した。
「これでどうだ?」
言葉を終えるや否や、風変わりな窓が顕現する。
銀色の表面に龍が纏わりついてる。
趣味が悪い。
「開け『
水弾に対する盾のつもりなのだろうが、いささか耐久性に不安の残る見た目だ。
だが、俺の予想に反してソレは激しい吸引力を発揮する。
魔力のみを対象とした吸い込みは、魔術として完成していた水弾を呑み込む。
吸収する毎にひび割れる窓枠。
ピシャリと崩壊の時の近づきを音で知らせる。
全ての水弾の回収を終えると同時に、窓は粉々に砕け散った。
「申し分の無い魔力だ。何度も驚愕させられる。やはり使徒か?」
「くっ……」
使徒ってなんだよ。
先ほども彼が口に出していた言葉が妙に引っ掛かりを覚える。
「まあいい。お前を尋問し、その身体を見分さえすれば判明することだ」
まだ言うかっ……!
俺の身体目的なのは不変。
殺すつもりではないとは安易に決めつけられない、そんな読めぬ不透明さが奴にはあるが……如何に?
「しかし……。先程より、お前は俺から目を逸らさないな」
逸らしたいさ。
だが目を離せば何をされたものかわからない。
「只人であれば、視線すら合わせられぬというのにな。お前は稀有な人間だ。その謎を解き明かす必要がある。速やかに投降するのならば命までは獲らん」
生かしてどうする?
犯すつもりか?
凌辱して子種でも仕込むつもりなのだろうか……。
「私を孕ませるつもりですか……?」
つい口走ってしまう。
懸念を率直にぶつけた。
「子を成したところで俺には無意味だ……。それにお前のような小娘に何かしようとも思えん」
守備範囲外らしい。
だが、いずれにせよ狙われている事実に揺るぎはない。
状況の打破を望む。
「暴れるな。悪いようにはしない」
「あんたを信用できないっ……!」
まだヒトガミの方が信頼を寄せられる。
アイツは性格こそ薄汚いが、不幸な結果だけは生み出さなかった。
だが眼前に立つこの男はどうか?
俺の仲間を害し、あまつさえ俺の身柄の拘束を企てている。
歩み寄るオルステッド。
後退る俺。
距離は一定に保たれたものの時間の問題。
「あまり時間を取らせるな。長引く抵抗はお前も辛かろう。苦しむだけだ」
「あんたに連れ去られる方が、よっぽど悲惨だ……。頼む、見逃してくれ……」
命乞いという奴だろう。
口を割って出てきたのは懇願であった。
「ならん。俺はお前を逃がさん。お前自身にも、その特異な体質にも興味が尽きん」
関心を惹くらしい俺の肉体。
言葉では否定こそしているが、この身体をもてあそぶつもりか。
男の欲望の餌食など御免被る。
「なにか思い違いをしているようだな。案ずるな、お前の女としての尊厳を辱しめる意図などない」
どうだか。
この男は信用ならん。
詐欺師染みた胡散臭さこそ感じられないが、散々場を荒らしておいて、その言い分が通じるとは思わないことだ。
「オルステッド。あなたの発言の数々は、どうかと思うわよ? 変態そのものじゃない。怪しいわね……」
ナナホシと呼ばれた女が苦言を呈する。
「離れていろと言ったが筈だ。しかし、ふむ……。俺は怪しいのか?」
自身の言葉の数々を振り返って精査しているのか、顎に手を当てて思案する。
チャンスだ。
「何を目論む? まさか俺から逃げ切れるなどとは思うまい」
ビクリと肩が跳ねる。
お見通しってわけか。
でも硬直は解けてきた。
今ならば脚も動くし走れる。
尤も、この男はルイジェルドでさえ、振り切る速度を有しているが。
俺の走力じゃ追跡を振り切るなんて不可能だ。
さりとて不屈の精神で自身を奮い立たせる。
震える膝を叩いて、なけなしの勇気へ身を任せた。
助け船など望めない。
いまここで戦える者は俺しか居ないのだ。
俺がやらなければ誰がやる──。
魔力を練り上げる。
湯水のごとく、惜しむ気持ちなど放り捨てて。
持ち得る全ての技術・技能を総動員し、敵の排除を決める。
「ほう、これほどまでとは──」
感嘆するオルステッド。
先ほどは魔術を搔き消されたが、対抗手段として視界を覆い尽くす量の魔術生成で勝負に出る。
これが俺の底力だ。
座標指定魔術による広範囲に渡る攻撃魔術の大群。
この時ばかりは世界を支配する覇者の心持ちで、敵対者に対峙する。
奴は
幾らかの魔術を打ち消すと、そこで見切りをつけたのか、行動を終える。
「
焦りの色は含まれていない。
ただ面倒ごとに付き合わされているかのような、そんな苦笑を浮かべている。
「生け捕りのつもりでいたが、加減を誤るかもしれんな」
オルステッドが動き出す前よりも早く、中空に浮かぶ魔術の掃射を開始する。
奴の立ち回りを加味し、後方にも魔術を待機させておく。
「小賢しい」
涼しい顔で背後の魔術を優先して無効化する。
だが、防御もせずに不用心なことだ。
少しでも有効な一撃を加えるべく、射撃の勢いを加熱させる。
ひたひたと歩きながら接近するオルステッド。
着弾の寸前に腕を払い、魔術を散らせる。
僅かずつだが、歩みを進めている。
止まらない、止まっちゃくれない……。
近づく怪人。
物量攻撃など物ともせず。
もはや彼を押し留める手段など、このひ弱な身にはあるまいと、諦めの境地へと立たされる。
苦し紛れだった──。
常に身に付けていた剣帯から、パウロより贈られた剣を抜く。
学んだばかりの北神流の技に倣い、刀剣を投擲する。
魔術弾に紛れ込む形で、一直線に飛ぶ剣は上手く軌道を描き、オルステッドの顔面を捉えた。
「北神流の技か。だが──」
剣先は人差し指と中指で挟み込まれ、思惑は頓挫する。
「初級あるいは中級程度の腕前か? ともあれ、魔術一辺倒ではないのだな」
剣は放り投げられ、俺の足下を転がった。
返したつもりらしい。
回収はしない。
拾おうと屈んで視線を外した瞬間、致命的な一発を貰うと予感したからだ。
目眩がする。
何も通じない。
何も有効打を与えられない。
尽きぬ困難に胃が締め付けられ、呼吸も忙しくなる。
「腕を1本戴く──」
言葉の意味を一瞬、理解出来なかった。
さも当然のように軽い語調で彼は言ったのだ。
猶予は無かった。
オルステッドの姿が視界から消失する。
気配は希薄。
だが真横に立っていた。
覚悟する間もなく、左腕に焼けるような痛みが奔る。
視線をくれると……。
肘から先が消えていた。
認識した直後に、ことさらに痛みが増す。
「う、……あぁぁぁぁっ……!」
悲鳴──。
戦いの最中で起きた肉体の欠損。
切断された左腕の居所を目で探す。
繋げれば治る筈だ。
しかし、見当たらない。
なぜだ……?
「魔術の発生源までは潰せんが、思考が乱されては発動もままならんだろう」
左腕はオルステッドの手にあった。
再度、瞬間移動染みた速度を以て、数メートル先へと位置を取っていた。
「腕ならばすぐに繋げてやる。返して欲しくば、俺の言葉に従え」
それは脅迫。
片腕を対価に取引を持ちかけている。
「そんな腕はくれてやるっ……!」
時間は掛かるが、『自己流王級治癒魔術ノーブルヒーリング』を用いれば腕の欠損は再生可能だ。
ただ問題なのは、この戦況での腕の喪失。
即座の治癒は有り得ない。
応急措置として断面をヒーリングで塞ぎ、思考を乱す痛覚を遮断する。
「腕の喪失を許容し、その上を痛覚を遮断するか……。体質ゆえか、それとも既に王級治癒魔術を修めている?」
おおむね合っている。
だがまだまだ未熟なもので、擬似的な王級治癒魔術止まりだ。
さて、状況は仕切り直しだ。
ここまで長引く戦闘はこれまでに経験のないこと。
心身ともに積もる疲労。
でも敵は待ってくれない。
その気になれば瞬殺も可能だろうに、生け捕りにこだわるその方針に、微かな光明を見出だす。
なぜかコイツは俺の手の内をつぶさに観察しようという節が見受けられる。
つまり俺に隠し玉が残されている間は、既に倒された面々に対してのように峰打ちには及ばないと見る。
そこが奴の弱点であり、時間稼ぎ程度ならば望めるわけか。
まったく、ナメられたもんだ。
お陰で命拾いしてるけど。
「次はどう出るのか見物だ」
様子見は続くか。
いいだろう、精々そうやって手を抜いていろ。
その油断があんたに手酷い被害を及ぼす。
風魔術を活用する。
強風が吹きつけていた。
渓谷に吹き荒れるものではない。
俺が死に物狂いで魔力を制御し、大気の動きを操っているのだ。
支配権を得た俺は、奴の侵攻を阻む気概で殺傷力さえ付与された風を殺到させる。
風圧は倒れる仲間達を巻き込みかねない。
ゆえに風の制御を引き続き行いつつ、
並行してあらゆる攻撃魔術を放ち続けた。
目立った効果は確認出来ない。
けれど多重無詠唱魔術──試した事は無かったが、苦境の中でのぶっつけ本番に成功した。
「凄まじい風圧だ。それにこの魔術の多彩さ。たとえ使徒だとしても利用価値はあるか」
風音に紛れてオルステッドの声は聞き取りづらい。
だが、不思議と感覚が研ぎ澄まされ、奴の機微ひとつにも過剰なまでに敏感になっていた。
死線の中で俺の急成長が促されているような感覚。
神域にあるであろう男との交戦は、俺に思わぬ天恵をもたらす。
きっとパウロもこの男との戦闘で、後々に絶大な力を持つに至ったのだろう。
ここまでの強さと尋常ならざる風格から連想し、導き出される答えはひとつ。
コイツは七大列強二位──龍神オルステッドだ。
愕然とした。
その強大さに。
呆然とした。
その無情さに。
でも目の前に居る。
現実逃避しても状況は悪化するばかり。
意を決して継戦する。
オルステッドは足取りを止めること無く、力強い一歩を重ねて距離を詰めてくる。
鷹のように鋭い眼は、静かに俺の能力を観察し続けていた。
「パウロの子にこのような才能があったとはな。それはそれとして、奴への手土産になりそうだ。娘との再会が叶えば、奴も聞く耳くらいは持つだろう」
彼の中でどんな判断が下されたのかはわからない。
ここでパウロの名前が出たからには、何かしらの奸計を巡らせているのだろうか。
「訊こう、ルーディア・グレイラットよ。お前は
彼は俺を使徒とやらであると確信を持っているようだ。
その上で、再確認しているらしい。
「使徒が何なのかは解らないっ……! けど、あんたも
咄嗟に返す。
「使徒の自覚は無しか……。
どうしてこの男はヒトガミに固執する?
いや、アイツは言っていた。
明言は避けていたが、龍神オルステッドは悪人であると。
つまり敵対しているのだ。
人神と龍神──。
神々の抗争に俺は不覚にも飛び込んでしまったらしい。
こんな話、聞いちゃいない。
ヒトガミの奴、なぜ助言しなかった?
しかし……、アイツの目にも映らない存在も居るのだと話していたような気がする。
龍神はヒトガミの目を欺く。
なるほど、敵対者として厄介極まりない。
「あんたに話すことはないっ……。頼むから消えてくれ……。
「……ふむ。聞く耳を持たんか。ならば実力行使しかあるまい」
俺も奴も、もはや交渉のテーブルに着く考えは無い。
お互いに意見が通らないのであれば、力ずくで事に応じるだけだ。
オルステッドの侵攻に合わせて、周囲へ魔力による爆発を引き起こす。
爆音と熱風が奴の身を呑み込んだ。
だが、無傷。
体表に煤が生じてこそいるが、効いている様子は見受けられない。
阻むことすら思い通りにならない。
龍神の纏う闘気というのは特別仕様なのか。
高い防御力を検証するに留まる。
その脅威性を再確認した。
絶望は増す一方。
「もう終わりか? ならば俺も本腰を入れよう」
待って欲しい。
これまでオルステッドは手を抜いていた。
だからこそ俺は攻め手に欠けていたとはいえ生き長らえてこられたのだ。
だが、俺にもう打つ手無しと判断されてしまえば、奴は容赦なく意識を刈り取りにくるだろう。
そうなればバッドエンドだ。
奴の手に落ちれば、非人道的な実験の素体としての人生が待ち構えている。
「お前なんかに負けるかっ……」
吼える。
普段の俺であれば萎縮していた。
けれどパウロに手を出したこの男を、どうしても許せなかったのだ。
家族にもその手が伸びるかもしれない。
あのヒトガミでさえ敵視する極悪人。
別に正義を気取るわけじゃないが、ここが家族を守る正念場。
立ち向かう意思を確固たるものとする。
「往生際の悪い奴だ。ラプラス因子にそこまでの胆力など含まれていたか?」
ラプラス因子──聞きなれない単語だ。
いや、他ごとに気を取られるな。
敵から目を離すな……。
蹴飛ばされる。
予備動作は目視出来なかった。
肉体がバラバラになったのではと誤認する。
原形は保たれている。
けれど骨が折れた。
それも
余計な魔力を使わされた。
「魔力の枯渇も近いだろうに、なぜ粘る……。お前を殺すつもりはないというのに。俺は死に体の小娘をいたぶる趣味など持たん。尤も、歯向かうのであれば子どもとて容赦はしない」
指摘の内容は然り。
身体に力が入らない。
意識を失う寸前で綱渡り状態。
薄氷の上にかろうじて立つ、頼りない姿。
左腕も断たれ、体幹バランスが崩れる。
風の制御を失い、暴風は消え去った。
オルステッドの前進を止める手立ては無い。
だが……奴の油断は誘えた。
手負いのルディちゃんは狂暴だ。
噛みついてやろうか。
残された右手に魔力を束ねる。
手のひらに集束する魔力の渦。
闘気とは魔力だ。
俺は闘気を纏えないが、似た芸当であれば工夫次第で出来なくも無い。
背後に風魔術を発動。
風圧に押され、身体が宙を舞う。
推進力を得た身がオルステッドへと特攻を仕掛ける。
密かに右手の魔力の密度を高め続けた。
「来るか、パウロの娘よ──」
決死の一撃を予測した奴が迎撃態勢を取る。
このままじゃ、接触する前に撃墜される。
しかし、こちらにも薄っぺらいながらも策はあった。
死地を駆ける流星と成る──。
魔力を根こそぎ放出しながら、オルステッドの手から射出される空気の圧を押し切る。
勢いは殺がれない。
そして右手を突き出し、龍神の鼻先で故意に魔力を暴発させた。
閃光が起こる。
爆風もだ。
自爆覚悟でガード不可のゼロ距離からの爆発。
発生した衝撃に俺の肌は焦がされる。
風に巻き上げられた身体は、行き場も定めずに吹き飛んだ。
煙の中に消えた龍神オルステッド──。
無傷ではないと信じたい。
これでダメージが通らないのであれば、万策は尽きたということになる。
縋る気持ちで状況の把握に意識を尖らせた。
やがて煙は晴れた。
そこにオルステッドは居なかった……。
どこに消えた──?
殺気が押し寄せる。
不在の筈の奴の怒気が全身を叩きつける。
違う、怒りではない。
単なる苛立ちだ。
舌打ちが何処より聞こえる。
その音源は背後から。
振り返る。
彼はそこに健在だ。
微量の血を流していたが、治癒魔術でも発動したのか、傷口自体は見当たらなかった。
「直撃は免れたが──手傷を負わされたか」
どういういったカラクリかは理解の外だ。
けれど喰らえば深手必至の攻撃を、彼は不完全ながらも回避していた。
油断もあっただろう。
つけ入る隙もあっただろう。
それでも届かなかった。
俺の覚悟は、龍神オルステッドの前では無力だったのだ。
彼の着込んでいた白いコートが焼け落ちている。
俺が残せた傷跡は着衣を燃やす程度に過ぎなかった。
それ以外に攻撃の痕跡は無し。
上半身裸で寒空の下でも平然とした表情の彼は、深く溜め息をついて言葉を発する。
「説得の余地無しとあれば、ここで殺してしまおうか……。龍滅パウロを配下に加えるつもりでいたのだがな。その交渉材料に使おうにも──お前は危険すぎる」
しまった……。
俺は粘り過ぎたのだ。
彼の心変わりを招いてしまったようだ。
当初の目的が何だったのかは知らない。
それでも命を奪うまではいかなかったのだろう。
事態は悪い方向へと転じる。
「死ね──」
奴の手が伸びる。
時間の流れが鈍化し、命の終わりを知覚する。
一瞬が永遠に引き延ばされ、苦痛の時間が意識を占有した。
「うあぁぁぁっ……!」
その叫び声の出処は俺ではない。
彼女だ。
俺の姉だと言い張り、時々甘えてくる可愛らしい女の子──エリス。
いつからは分からないが、意識を取り戻していたのか。
龍神オルステッドへと立ち向かわんとして、虎視眈々と狙いを定めていたのだ。
敵になり得ないと認識したのか、一瞥だけして大した警戒を払わぬ龍神。
剣を握り締め、全速力で駆けるエリスに興味すら抱かない。
「ルーディアから離れろおぉぉぉっ……!」
光の太刀は放たれた。
疾風迅雷の勢いでオルステッドの首へと奔る。
「……む! 想定より速いな」
ある程度は予期していたのか、龍神は滑らかな手練で剣を受け止める。
手の平で斬撃を流し、勢いは打ち消された。
うん?
少し違う。
衝撃は反転し、エリスの全身へと跳ね返る。
アレは水神流奥義・流──。
「あがっ……!」
剣を手放し、吹き飛ぶエリス。
雪の上を何度も回転してから地面を横たわる。
純白の雪には痛々しい血痕の道。
「この娘が大事か?」
まだ意識を保つエリスへと奴は問うた。
「私の妹よ……。あんなみたいな下衆に殺されて良い子じゃないわっ……!」
「ほう? ルーディア・グレイラットは周りの人間に大切にされているのか──殺す判断は早計だったか」
二転三転する考えに、俺たちは振り回される。
思案顔の龍神が黙すること十数秒。
「いや、これ以上の様子見は危険だ。やはり、ここで殺していくか」
結局、殺処分を決定するのか……。
そして奴は俺の傍へと寄ると──胸を貫いた。
「が……はっ……」
心臓を潰された──。
見ずとも解る、解ってしまう。
これは致命傷だ、即死級の貫手だ。
受けてしまった、避けられなかった。
血液が滝となって身体から流れ落ちる。
ドボドボと音を立てて、生命の流出を物語っていた。
俺の治癒能力じゃカバーしきれない。
これは死んだ……。
「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁ……」
エリスの発狂。
嘘だろ……。
俺は死ぬのか……。
姉の目の前で殺されてしまうのか?
引き抜かれた手。
ぽっかりと空いた胸の穴。
前のめりに倒れ、立ち上がる力は微塵も残らなかった。
失われる一方の身体は骸へと成り果てようとする。
「嫌あぁぁぁっ……! 死んじゃダメえぇぇぇっ……!ルーディアあぁぁぁっ……!」
くそっ……俺はまだ死ねない。
俺が死ねば泣いて悲しむ人がいるのだ。
たとえば目の前の彼女だ。
あの子だけは何としても守ると誓った。
なのに俺は、無責任にもくたばって置いていくつもりか?
「不可解な……。確かに心臓は潰した」
オルステッドが妙な事を言う。
「これでも死なんとは……。何者なのだ、貴様は──?」
それは俺に向けての言葉か。
判別はつかない。
気が付けば俺は自分の足で立っていた。
朦朧とする意識の中、誰かに支えられるでもなくだ。
僅かばかりの魔力を感じられるが、それでも命を繋ぐ根拠としては薄い。
「…………がはっ」
気道に溜まった血を吐く。
呼吸は乱れ、視界も霞が掛かっている。
胸の穴は塞がっていた。
着衣の胸元辺りが破れている事から、殺されかけた光景は幻覚ではあるまい。
満身創痍である事実は覆らないが。
「心臓の再生……? あり得ん。不死魔族でもあるまいだろうに」
龍神の顔色が変わった。
驚愕に目を見開き、当惑している。
ザマァみやがれ、あんたの度肝を抜いてやったぞ。
「ナナホシ。この者をどう思う?」
闘いは決したのだと、そう早とちりしたナナホシが、オルステッドの傍らに立つ。
「あ、あなたが私に意見を求めるなんて珍しい……」
たったいま凶行に走った男に恐れをなしているのか、目を背けながら話すナナホシ。
「この子が何なのかは解らないわ。でも殺すのは……」
龍神オルステッドは人でなしだ。
だが、人族と思われるナナホシとやらには、人の情というものが備わっていた。
「お前はこの娘を殺すべきではないと?」
「当たり前でしょ。この子が強情なのは、あくまでも自衛の為だと思うのだけれど。あなたは口下手だから、人の誤解を招きやすいのよ」
「耳の痛い話だ。だが、俺としても前例の無い事態に処断を決めかねている。であれば、ナナホシ。この娘を生かしたまま連れていく。お前が世話を見てやれ」
好き勝手話し合う奴らの言葉の数々。
ぼんやりとした思考では、内容の半分も理解できない。
ただ解釈はした。
どうやら俺は、ナナホシのお陰で命拾いしたのだと。
立っているだけで精一杯の俺は、直後に訪れた龍神の一打に反応が遅れた。
鳩尾に一発、拳を受けただけで、すんなりと意識を手放す。
消える意識の間際、地面を這いつくばり、手を伸ばしながら泣くエリスの顔が見えた──。
くそっ……人生で何度目の誘拐だよ。
─エリス視点─
妹が殺される。
真っ先に感じた恐怖心に、エリス・ボレアス・グレイラットは激情に駆られて軋む身体を押す。
光の太刀は鮮やかな手捌きであしらわれた。
態度そのものはぞんざいな物であったが。
再び刃を向けんとして、手放した剣を探す。
地面を転がり、拾いに行くにはやや遠い。
されど四の五の言う暇は無い。
次の動作に移ろうとした矢先、ルーディアの胸が貫かれた。
絶叫する。
手の届く距離に自分は居ながらにして、最愛の妹──そして婚約者を殺されたのだから。
が、予想に反してルーディアは自力で息を吹き返した。
常々、妹の治癒魔術の腕前の高さや、治癒体質には目を見張るものがあると思ったいたが、この土壇場でその異常性を刮目した。
ましてその足でふらつきながらも立ち上がったのだ。
そうだ、妹は強い。
オルステッドと名乗った男にも引けを取らない。
確信は自信に変わり、自分も加勢に走らんと這いつくばりながらも剣を握り、ルーディアの下へと向かう。
不意に妹がオルステッドの拳を受けて気絶してしまう。
まずいっ……!
その思いから泣きながら手を伸ばし、連れ去られようとする妹の身を求めた。
けれど奴は、ルーディアを腕に抱えると踵を返して、何処へと去ろうとする。
「ま、……ちなさ……、い……よ……」
絞り出した声で呼び止める。
「ルーディアはっ……私の妹なの、……よ……返しなさいよ」
龍神は立ち止まった。
この世の悪を凝縮したような殺気と悪意に満ちた男。
世界滅亡を目論む悪の親玉と言われたら、何の疑いもなく信じるであろう姿かたち。
そんな異形が妹を
妹は無事では済まされない。
火を見るより明らかだ。
「大事な者だったか?」
なんて風に意外そうな声色で聞いてくる。
聞くまでの事でもない。
ルーディアはエリスの全てだ。
かつて誰の手にもつけられなかった乱暴な自分に、人としての生き方を示してくれた。
道に迷えば手を引いて導いてもくれたのだ。
大事な人だ。
大好きな人だ。
愛している。
たとえ女の子同士でも、この感情に嘘はつけない。
だからルーディアを欲した。
守りたいのだと、どの願いよりも優先して叶えたいのだと思ったのだ。
それなのにこの状況はなんだ?
妹を守るどころか、守られた。
ルーディアが抵抗したから、エリスは敵に見逃されたのだ。
無様に地を這いつくばり、見苦しくも言葉を吐く事しか出来ない。
守るべき者に守られてどうするというのか……。
「アスラ王国フィットア領にて待つ──」
唐突に龍神は語る。
何を企むのか。
「俺とて本意ではない。用が済めば返そう」
どこまでが真実か。
用というのは何であろうか。
返すというのはルーディアの身柄か。
「行くぞ、ナナホシ。ルーディアを調べ、その後パウロへと軍門に降ることを条件に引き渡す」
「え、ええ……。ホントに殺しちゃダメよ?」
「くどい。もう殺しはせん」
「そう、それなら良いけど。ごめんなさいね、そこの貴女。この子のことは、私が責任を持って世話を見るから」
ナナホシの声は優しげだ。
けれど、もう一方の男の存在が安心感などを打ち消す。
安堵はできない。
「ま、っ……て……」
待たなかった。
龍神オルステッドはルーディアを腕に抱きながら、アスラ王国の位置する方角へと消える──。
残されたエリスは喉が張り裂けるまで慟哭し、ルーディアの喪失を前に己の弱さを憎悪した。