無職TS転生 ~異世界行ったら女の子です~ 作:三毛猫丸
─アスラ王国・ウィシル領─
龍神との遭遇戦より数日後、エリス達は赤竜の下顎を抜けてアスラ王国入りする。
何の感慨も無ければ、歓喜の声ひとつすら上がらない。
デッドエンドにとって、その存在自体が必要不可欠である人物が欠けているがゆえに。
彼女の笑顔なくして、旅の終着点への到達などなんら意味を成さない。
ルーディアの不在は悲愴を産み落とし、皆の心をキツく締めつける。
国境沿いに位置するエウロス家の統治下にあるウィシル領から、目的地であるフィットア領まで。
その移動に際して約1ヶ月もの期間を要する。
旅程全体で比すれば、進む道のりは残り僅か。
急ぐ必要などあるまい、本来であれば。
龍神オルステッドは言っていた──。
アスラ王国フィットア領で待つと。
人質として奪われたルーディアの身柄は其処に在るのだ。
目指すべき場所は変わらない。
されど向かう心は僅かな時間とて惜しみ、先を急がせる。
一度は精魂尽き果て、自らの弱さを責め立てたエリスであったが、その足取りは強く大地を踏みしめた。
悔いも哀しみも後回しだ。
いま優先すべきはルーディアの救出。
苦悩など振り切って、葛藤なども無視する。
ただひたすらに前進あるのみ。
「急ぐわよ、ルイジェルド」
戦士としての師ルイジェルドへ、自らの焦りをぶつける。
返答は無し、黙殺だ。
言われるまでもなく、彼とて焦燥感に気をはやらせている。
わざわざ目にせずとも、滲み出るオーラからエリスも肌で感じ取っていた。
だが彼は旅心を無理に急がせても、距離は縮まらないと判断したのか、エリスの言葉を無視していた。
ルイジェルド達よりも常に数メートル先を行くエリスへ、落ち着けと呼び掛けている。
しかし、エリスはその言葉を聞き入れない。
ルーディアを奪われた喪失感はあっても、余計な物を入れるスペースなど確保していないのだ。
常に彼女の戻って来た時場合に備えて、場所を空けておく。
「体力は温存しておけ。たどり着く前に潰れてしまうぞ」
「潰れないわよ。ルーディアが酷い目に遭ってるかもしれないのに、倒れてなんかいられない。見くびらないで」
「ならば尚更だ。ルーディアを助けたくば、身体を労れ。剣が鈍るぞ。お前を一人前の戦士と認めた俺の判断は誤りだったか──」
「そんな事無いわ! あなたは正しいわよ。……ごめん、少し先走ってたわ」
ルイジェルドの言葉に反省を促され我に返った。
冷静さを失えば、思考能力も低下する。
そうなれば敵の思うつぼだ。
龍神オルステッドは、ただでさえ最強の名を欲しいままにする極悪非道の猛者。
万全の体調、万全の装備を以て挑まねば、一太刀とて届くまい。
「わたくしたち、完敗でしたわね」
エリナリーゼの嘆き。
悲痛に歪んだ顔が、3日前の惨状を物語る。
やり場のない怒りを内に溜め込む。
「わしは壁にすらならんかったわい」
不甲斐なさを語るタルハンド。
顎髭を撫でつけ、手慰めとする。
「龍神オルステッドを絶対に殺すわっ……」
犬歯を露に狂犬の名を体現するエリス。
噛み殺したい獲物はフィットア領にて待ち構える。
身体から迸る闘気が大気を揺らした。
「だが策も講じずに仕掛けるのは無謀だ。いまの俺たちでは圧倒的に実力不足だ。挑めば今度こそ死ぬぞ」
ルイジェルドの意見はもっともであった。
むざむざと事実を突きつけられるが、しかし対策など降って湧いてくるものでもない。
妙案を渇望する。
「パウロを頼るしかありませんわね。あの男はルーディアの父親。知れば必ず助けに動きますわよ」
「じゃな。ならばフィットア領に向かう方針は変わらんのう」
七大列強序列七位──龍滅パウロ。
龍神オルステッドと同じく列強の座にあるこの世で最も強いとされる七人の一人。
列強同士でも四位以上と、五位以下の実力差は隔絶されているが、自分達のような列強に遠く及ばぬ弱者にとっては、どちらとも雲の上の存在。
彼らの打てる唯一の策は、パウロとの共同戦線を張ることだ。
エリスはパウロと面識がある。
エリナリーゼとタルハンドも言わずもがな。
協力を求めれば、彼はきっと応じてくれる。
自分等の力量でパウロの力添えになれるかも怪しいものだが、肝心なのは龍神オルステッドへの対抗手段。
サポートに徹して、戦況を有利に進めることも立派な戦いだ。
「3年前にね、彼の剣を目の当たりにしたの。パウロさんの剣術は神懸かってたわ」
転移災害発生の直前に起きた、甲龍王ペルギウスの従僕である光輝のアルマンフィとの戦闘。
ギレーヌとの共闘とはいえ、世界最高位の精霊を相手取って互角以上に渡り合っていた。
当時は単なる剣王に過ぎなかったパウロ。
まだ荒削りながらも、エリスの目を通して見ても、既に列強へと至る資質の片鱗を感じられた。
3年近く経過した現在、更なる飛躍を遂げていることだろう。
希望が湧いてきた。
見通しが不明瞭で甘いことは否定出来ない。
けれど龍神オルステッドを倒す意思は固まる一方。
足並みは揃った。
心をひとつにしたデッドエンド+αは、ルーディアを救うべく、未来へと繋がるフィットア領への旅を続ける。
──王都アルス・ボレアス家・本家──
ギレーヌ・デドルディアは王都に居を構えるボレアス家本家にて、現当主ジェイムズを値踏みするように視線を流していた。
そこでは怒号が飛び交い、騒然たる空気が作り出されていた。
サウロス・ボレアス・グレイラットもまた、息子ジェイムズに詰め寄り、とある要求を突きつける。
彼女と彼の周囲には剣の聖地から選抜した精鋭中の精鋭である剣士達の姿。
パウロの師であり、転移災害を生き延びた名も無き剣王を始めとして、新進気鋭の剣士──剣聖ニナ・ファリオン及びジノ・ブリッツ。
その他、腕利きの門弟を複数名、引き連れていた。
錚々たる顔触れだ。
そんな人材を伴ってボレアス家に押しかけているのだ。
事情を知らぬ者からすれば、威圧行為であり戦争をけしかけているようにも映ることだろう。
萎縮した様子のジェイムズのなんと憐れなことか。
さて、ギレーヌの目から見てジェイムズは、一言で言い表すと小者である。
サウロスの実子ゆえに容姿は似通っている。
反面、心の有り様は真逆。
政治力は高いが、基本的に警戒心の強い臆病者。
媚びへつらう事に長けており、アスラ王国内で幅を利かせるダリウス上級大臣にも取り入った。
その他、王都で権力を握る多くの貴族にも顔色を窺いながら、人脈を築いていった。
政界においては、ボレアス家当主を担うに相応しい影響力を有しているが、人望そのものは薄い。
貴族の大家を切り盛りするに際して、常に家臣らの心離れの可能性がちらつく。
元来のボレアス家が有する財力と人材を引き継ぐ形で、例の災害に至るまで力を維持してきた。
まさか彼一代で築き上げられる規模の家格ではあるまい。
もしも彼が当代ボレアス家で長子として生まれてこなければ、先んじて王都で繋いだ人脈を武器に振りかざせず、次期当主争いにおいて敗北していただろう。
でなければ、ボレアス家の強固な地盤と当主の座をフィリップへと譲り渡していた事は明白だ。
仮に一から貴族として家を盛り立てろと言われても、その器量ではまず武勲を立てられず、内政でも目立った成果など上げられまい。
すなわち盛り立てる手段すら持ちえない。
国に対してもこれといった貢献もできず、評価にすら値しないであろう。
ひとかどの実績を築き上げるに何かもが足りぬ。
つまるところ、ギレーヌは彼を小者であると断定した。
「
「その失った指、パウロにしてやられたな。ふん、あの男はクズだが、無辜な人間には手を出さん。貴様はそう……。潔白の身ではなかったということだ」
息子の言葉を無視してサウロスは自身の考えのみを告げる。
「何が言いたいっ……」
「ダリウスなぞにへりくだりおって。これまでに、どれ程の悪事に手を染めた! 貴様が奴に加担しておったことなど、とうに知れておるわ」
「はっ……! 指の欠損は因果応報とでも? そう言いたげですなぁっ……!」
「でなければなんとする。貴様の所業は目に余る。エリスにも手を出しおって。指を失う程度で済まされては儂の溜飲も下がらん。この儂の息子がこのような下衆とはな!」
突き放すような言葉。
親として子へ情が無いわけではない。
あるからこそ、余計に子の欠点が浮き彫りとなり、目について詰ってしまう。
何よりも看過出来ぬことは、やはり孫娘エリスを、ダリウスへ売ろうとした事だ。
「貴様は貴族として足りえん。ボレアス家当主たるもの惨めに地位や権力に縋りつかず、正々堂々と構えんか。卑劣な手に出おって」
制裁のつもりか。
サウロスはジェイムズの鼻っ面に拳を打ち込む。
鼻から血を流し、手で押えるジェイムズは、自身の父親の無茶な言い分に憤怒するも──。
その気迫に圧されて、反論する勢いを失う。
「サウロス様。暴力に訴えても、ジェイムズ殿には響かないかと」
ギレーヌをして、サウロスは理想ばかりを語る夢想家。
気持ちの良い人間ではあるし、かつて当主の座に在った頃には人々の尊敬を浴びていた。
されど貴族の策謀渦向く世界では、悪目立ちゆえか攻撃の対象にされがちであった。
一人の臣下として彼を諌めるべきだという思いを抱く。
かつては脳が筋肉で出来ていると称された自分だが、随分と様変わりしたものだ。
人に意見するほど、立派な人間ではないというのに。
尤も、彼の豪胆な人柄や、そして彼を支える家臣らの確固たる忠誠心が作用し、薄汚い貴族の妨害工作など、通じた事は無かったのだが。
「他に私の代わりが務まる者が居るというのか? フィリップは未だ行方不明。父上にしたって、領地消失の責任から逃れ、ほとぼりが冷めてから顔を出した。卑怯者の謗りは免れまい。死罪を恐れたのでしょう? あなたこそ当主に相応しくないのではないかっ!」
サウロス不在の状況が長引き、ジェイムズが正式にボレアス家当主を継いだ。
表向きにはほぼ死亡者扱いのサウロスでは、今さら当主の座には戻れまい。
「否定はせん。だが、儂はフィットア領の復興を見届けるまでは死ねんのだ。復興が済み次第、この首を以て責を果たす覚悟は既に出来ておる」
「よくもまあその口で言えたものですな。パウロを使って国王に直談判したのだろう! あなたには一切の責を追及せぬと国王陛下はおっしゃいだ!」
「パウロめ、勝手な真似をしおったわ……」
甥の仕業だ。
サウロスが王都に姿を現しても、何ら逮捕への動きや気配も感じられなかった。
逮捕状の発行や裁判所への請求もされておらず、無罪放免の扱いであった。
責任の在処について遡及しないということを意味する。
「儂を罵倒したければ好きにせい。このサウロス、逃げも隠れもせんわ。たとえ責任の所在が不明確であろうと、いずれは儂なりのケジメをつける心構えだ」
サウロスの矜持である。
亡き父、亡き祖父より受け継いだボレアス家当主としての誇りに誓う。
領民を守れず、アスラ王国へ損害を与えた大罪を必ずや償うのだと。
既に退いた身であっても、一度腹に決めた想いは消え去らない。
ただ、その前にひとつだけ心残りがある。
エリスとの再会だ。
せめて孫娘の笑顔を記憶に焼き付けてから、覚悟の時を迎えたい。
エリスの言葉次第では決意が揺らぎかねないが──。
それはまたいつか別の話。
「なんにせよ、私は当主の座を降りるつもりはない。まずはフィリップを引っ張り出してくることだ。そうでなければ話は始まらない。もはや父上では壇上には上がれんのです!」
最終的に怒鳴り散らすジェイムズ。
なるほど、サウロスは隠居の身。
現役世代に対して、口出ししても良い立場ではあるまい。
よって争いは泥沼化が予想される。
サウロスも自身の意見が素直に罷り通るとは考えていなかった。
剣神ギレーヌを付き添わせたところで、あくまでも脅しにしかなりえない。
意固地になったジェイムズには、効果薄であった。
お家騒動の解決は持ち越される。
「サウロス様。ここでの早期決着は無理でしょう。まずは、エリスお嬢様を迎え入れる準備を進めましょう。それまではその御命、大切にしてくだいませ」
「うむ……。貴様の言う通りだ、ギレーヌよ。まずはフィリップを待ち、態勢を整えるしかないか。こやつではボレアス家を衰退させる一方だ」
フィリップは生きている。
その勘が働いたのは親としての本能か。
「剣神様、たった急報が入りました。お耳に入れたい事があるのですが──」
ギレーヌへ報告の旨があると伝えるニナ。
門弟の1人がニナに耳打ちした直後のことであった。
ピンっと立つ、ギレーヌの猫耳。
「なんだ?」
深刻な顔でニナはどう説明しようか迷う。
幾らかの時間が経過して、考えが纏まったのか、口を開く。
その口調は、平静を保つのにやっとの思いといった具合で、要領を得られるか定かではない。
「その……ロアの町にて龍神オルステッド出没との報告です。龍滅パウロ殿が交戦したとか──」
10日前、ロアの町にて龍神オルステッド襲撃事件の発生。
交戦者はパウロ・グレイラット──ただ1人。
人々の寝静まった深夜に、フィットア領捜索団本部の設置されるロアの町へと襲来したのだとか。
重要な話があると持ち掛けられ、それに応じたパウロ。
どんな話し合いが行われたかは、詳細を省いての報せであった為に不明。
されど地形を変化させるほどの激闘が繰り広げられた事は、ロアの住人らにとって周知の事実であった。
その惨状が遅れて、王都アルスへ情報としてもたらされた。
「パウロはどうなった、無事か?」
「生きてはおられますが……その」
言い淀むニナ。
次の言葉を待てど出てこない。
「ハッキリしないか」
「は、はい! 意識不明の重体だそうです! 治癒魔術で一命は取り留めたそうですが」
「なに……?」
列強に名を連ねる者同士の生存競争。
双方、五体満足で居られるなど温い考えは、ギレーヌには無かった。
まだ細かな状況は判明していないが、腕の1本でも失っていてもおかしくはあるまい。
「パウロは龍神へ何か手傷ひとつでも負わせたのか?」
「いえ……。傷ひとつ付けられなかったと、意識を失う寸前に周囲の者が本人の口から耳にしたみたいです。龍神の本気を引き出すには至らなかったと……」
「っ……。そうか……」
龍神オルステッドにはパウロでも歯が立たぬのか……。
単独で勝ちを得られるとまでは思わない。
されど内容を聞く限りでは、柳に風と受け流された印象だ。
「龍神が言い残したようです。後日、再びロアの町へと訪れると」
「奴の狙いが解らんな。襲撃まで掛けておいて、なぜパウロを殺さずに生かしておく?」
疑問は絶え間なく続く。
パウロの存在が龍神にとって不都合であったが為に、強襲に及んだのだろう。
その行動の意図とは矛盾するように深手を与えたというのに、仕留めずに見逃した。
その上、日を改めての再戦を予告した。
不可解にも程がある。
「あたしが直接、ロアの町へと出向く。ニナはあたしに同行しろ。馬の準備も頼む」
「はい、そのように手配いたします」
「現地にはたしか
ギレーヌ、ガルの剣神流の神級剣士2人に加え、パウロ、北神三世の両名を含めた計4人の強者達。
新旧列強4人からなる連合の戦力だ。
以上の人員を以て、次なる攻撃に対する備えとする。
尤も、パウロの回復に結果は懸かっているのだが。
「サウロス様。あたしは
「相わかった。しかし龍神オルステッドと言ったな。奴が転移災害を引き起こした張本人であるとは真か?」
「憶測の域は過ぎませんが、どうやらパウロはそう信じている模様です」
どんな根拠を結び付けてパウロは、龍神オルステッドを下手人であると断定したのかは不明。
だが直接対峙した者だからこそ、見えてくる物もあるだろう。
いまだ龍神とは未接触のギレーヌには、判断出来ぬことだ。
「
「任された。ギレーヌこそ、わたしの不肖の弟子を頼む」
名も無き剣王とは──文字通り名を持たぬ剣士。
一族の習わしにより、個人としての名を持たない。
便宜的にネームレスを名乗ってはいるが。
ギレーヌとは同世代で、魔族の血を引く女性である。
「
「あいつは止めておいた方が良いと思うが……」
「ギレーヌはパウロに抱かれた事があるのだったな。あの腰抜けは、認めたくはないが男としての魅力に溢れている。クズだがな」
有り体に言えば、ネームレスはパウロに惚れている。
女として、強き男に惹かれるのは無理からぬこと。
彼は男としての本能ゆえにか、修行中であっても口説いてきたが、いざ床で体を重ねようという場面で、臆病風に吹かれて抱かずに逃げ出してしまった。
自尊心を傷つけられ、恨み節を言う。
「あまりパウロに入れ込むな。ゼニスが泣いてしまう」
「彼女にはブエナ村で良くしてもらった恩がある。ゆえにゼニスの目を忍んで、少しばかり夫の時間を分けてもらいたいだけだ」
「懲りない女だ……」
なんであれパウロへの加勢が決まった。
パウロには今後、ボレアス家の当主争いで力添え戴く予定だ。
持ちつ持たれつの関係性。
恩を売る絶好の機会であった。
程なくして、支度を済ませた剣神ギレーヌは剣聖ニナをお供に付けて、フィットア領ロアへ向けて馬を走らせた。
─フィットア領・ロアの町─
王都アルスでの一幕より10日前──。
開戦前の静けさに包まれた闇夜の深い時間帯。
パウロは1人、剣を振るい、型の流れや技の冴えなどコンディションの最終確認に励んでいた。
その機嫌はよろしくない。
すこぶる悪く、安易に声を掛ければ、視線のみで射殺されそうなほどに殺伐としていた。
いまいち捗らない。
技の乗りが甘い。
自覚してもなお、改善はされない。
神級剣士の目にしか判別のつかぬ技の良し悪しが、その剣にはあった。
「くそっ……」
悪態をつく。
今の心境で鍛練したところで、悪戯に体力を消費するだけだ。
しかし、どうにも寝つきが悪く、身体を動かしていなければ身体に溜め込んだ鬱憤を解消できない。
苛立ちは更なるストレスを呼び込んだ。
「……っ! なんだ……この気配は──」
そんな折だ。
ロアの町に新たに築かれた城壁の外縁部より、ただならぬ存在の来訪を察知する。
悪意や殺意などの負の感情がどっと押し寄せてきた。
敵襲……。
瞬時に警戒心を強め、闘気を練り上げた身体で、敵の居所へ急行する。
月明かりの照らす草原に、佇む男の姿。
銀髪、金色の瞳ときて、飾り気の無い白いコートに身を包んだ長身の男。
パウロの到着を視界に認めると、酷い三白眼がギロリと睨み付けてきた。
その風貌は知っている。
3年前に己を地獄の底へと叩き落とした悪鬼だ。
その殺気を知っている。
3年前に己を悪夢へと引き摺り込んだ悪魔だ。
「てめえはっ……」
緊迫感の中でパウロは、男の来訪を咎めるように声を上げた。
「3年振りだな、パウロ・グレイラット──」
奴が名を呼ぶ。
「龍神オルステッド──っ!」
パウロもその名を呼ぶ。
交わされた言葉は僅か。
が、既にパウロは臨戦態勢に突入していた。
剣神流における居合いの構えで、敵の先制を見定める。
「待て、妙な気を起こすな。お前を害するつもりはない。取り引きをしたいだけだ」
龍神の言葉を鵜呑みになど出来ようものか。
震える身体を叱責し、敵の動向に注視する。
全人類の天敵──。
一個人での相対など想定外。
なれど出逢ってしまったのだから、交戦は避けられまい。
戦わずして逃げる選択肢など端から用意されず。
背には守るべきロアの住人達だって居るのだから。
何よりも自分から家族を1人残らず奪い去ったこの男を、見てみぬフリして野放しなど有り得ない。
「受け取れ──」
「……はぁ?」
龍神が棒状の何かを放り投げてきた。
その物体に危険性は無さそうであった為、言われるがままに中空で掴み取る。
「こりゃあ……人間の腕か……?」
人族か獣族か判別には至らず。
しかし──総称的に人間と呼ばれる種族の左腕であることは確かだ。
それもまだ成人を迎えていない身であろう子どもの腕だ。
素人目で見ても解る。
なにやら魔術か何かで防腐処置を施されているようだが……。
「然り。喜べ、お前の娘ルーディアは生きているぞ」
「なん……だと……!?」
その言葉の意味を計りかねる。
否、ただ信じる事を拒絶したのだ。
龍神の発言が正しければ……。
ルーディアはこの男に片腕をもぎ取られ、身柄を押さえられているのだ。
「現在、ルーディア・グレイラットの身柄を預かっている。まだお前に返すわけにはいかんがな」
「てめえっ……。オレの娘に何をしたぁっ──!」
「殺してはいない。いや、殺し損ねたと言うべきか」
「殺そうとしたってのか……? ルディを」
「抵抗が激しかったからだ。だが、殊の外しぶとく生き残った」
激昂し殺意の高まりが身体に熱を生み出した。
居合いの構えは止めだ。
こちらから仕掛けねば。
先手必勝の精神で隙を窺う。
「いまはルーディアの身体を調べている最中だ。用が済めば返還しよう。ひとつ条件があるがな」
「まさかお前……ルディの身体を──」
「衣類の一切を
認めたくはかった。
最愛の娘ルーディアは恥辱の限りを尽くされているのだ。
「ルディは生きているのか……?」
怒りを抑えつつ、まず知るべきは命の有無だ。
「片腕を失いつつも生意気な口を利く程度には感情が残っている。流石はお前と、そしてゼニスの娘なだけあってか既に身体の具合も良い」
「身体の具合だとっ……」
ゼニスの娘なだけあってか──既に身体の具合が良い。
奴はそう言った。
ルーディアは母親譲り容姿を持つ。
おそらくは身体もゼニス同様に男好きのする魅力のある女性的なものへと成長を遂げている筈。
すなわち龍神オルステッドは、幼い娘に欲情し……。
あまつさえ年端もいかぬ少女の身体を凌辱したのだ。
己の欲望をぶつけ、抱いた女の感想を事も無げに語ってみせた。
あろうことか犯した少女の父親へ向けて……。
男の浮かべる微笑は、嘲笑にも思えた。
「俺の下につけ。さすればお前の娘は帰ってくる。色好い返事を期待している」
断ればルーディアを殺すとでも言いたげな表情だ。
「とはいえお前の事情も考慮しよう。たとえ拒否し、こちらの条件を呑めずとも、ルーディアは返してやる。あの娘も父親との対面を待ちわびている。可能ならば元気である内に帰してやりたいものだ」
物言わぬ亡骸となった状態で娘を返すと?
なんと冷血なことか。
非道極まりない龍神に対して敵愾心を向ける。
パウロの予告無き抜き打ちが放たれる。
神を殺す剣が、喉元を狙いに定め飛んだ。
技に冴えが乗った。
先ほどの剣の鈍りは、もはや消失した。
倒すべき敵を前に真に迫った一撃。
受ける龍神は、嘆息しつつも迎撃に立つ。
特殊な闘気──龍聖闘気を身に纏った彼は、掌から衝撃波を撃ち出す。
パウロの身は弾かれ、はるか後方へと吹き飛んだ。
「何故こうなるのか……。俺はどこで間違えた?」
オルステッドは自らの言動を省みるも、思い当たる節など見当たらぬ。
困惑の中、娘の左腕を手放して転がるパウロを見やる。
パウロは絶叫を上げながら、地に倒れ伏す。
最愛の娘ルーディアの腕は何処へ。
視線の及ぶ範囲には在らず。
「なんだってんだよ、ちくしょおぉっ……!」
立ち上がる。
何をされたのかは視認出来た。
かつての自分ならば、身に生じた現象の知覚すら叶わなかったことだろう。
成長はあったのだ。
「掌から衝撃波……。厄介な……」
距離を取るほどに不利。
剣士の間合いに持ち込まねば、同じ土俵にも立てない。
ならば次の一手は決まりだ。
駆ける──。
闘気の限り、大地を疾走した。
接敵を目前に、迎え撃つ衝撃波の弾幕。
見切り、避ける──。
避けられぬ衝撃波は斬り捨て、前進を続行した。
走りながらにして水神流奥義『流』を発動し、受け流しの末に距離を稼ぐ。
「見事なものだ。これまでの
龍神の呟きはパウロの耳には届かない。
ただひすたらに斬るのみ──。
特攻する人族の英雄は龍をも滅ぼさんと、光と成った。
剣神流奥義──光の太刀。
生涯最高の太刀が奔る──。
その後に待ち受ける敗北を知らずして……。
次回、ルーディア視点から開始です。