とある転生者の遊興日記   作:乾燥海藻類

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蛇足です。




第S話

凱旋門賞、そしてドバイワールドカップを制したエルコンドルパサーは、最後の大レースを勝つ為にアメリカへと渡った。

そこでエルコンドルパサーは、生涯で初めての経験をする。

 

同じ相手に二度負けるという経験を。

 

世界に羽ばたいた怪鳥は、アメリカのウマ娘たちも警戒するところだった。エルコンドルパサーの脚質は、基本的に差し先行よりではあるが、逃げだろうと追い込みだろうとやってのける器用さがあった。

 

そして高いスポーツIQとレースセンスは、変化する状況に対応できる柔軟さを持っていた。

要するに、隙が無い。それはもはや皇帝の域にまで達していた。

実際エルコンドルパサーは、渡米して出走した重賞レースを2連勝していた。そして3戦目のレースで、彼女に出会った。

 

アメリカ遠征中の、サイレンススズカに。

 

初対決はGⅡ毎日王冠。完敗だった。自分がまだ成長途中だったとか、相手が絶好調だったとか、そんな言い訳などしたくはなかった。

2戦目はGⅠ秋の天皇賞。結果から言えば、エルコンドルパサーは勝った。だが本人はそれを勝利とはカウントしていなかった。無効試合というのが正しいだろう。

 

そしてアメリカで行われた3戦目。それは毎日王冠の焼き直しだった。エルコンドルパサーが選択したのは、好位先行でレースを進め、最後の末脚で差し切るという、いわば王道的なプラン。

だが結果は、1バ身とどかずの2着だった。

 

その時、とどかない1バ身を追いながらエルコンドルパサーは思った。これは完成された強さだと。

他のウマ娘たちがレースをしている中で、サイレンススズカだけがタイムアタックをしている。

最初から最後まで先頭を譲らない。他者の介入を許さぬ絶対領域の中心に居座っているのだ。

 

そして4度目の対決を迎える。世界三大レース制覇という偉業のかかった本番レース。ブリーダーズカップ・クラシックというダートレース。

ちなみに、アメリカのダートは日本のダートが意味する『砂』とは違い『土』を意味する。コースは煉瓦を砕いた赤土のような路盤となっており、日本の芝レース並みの走破タイムが出る。

 

距離は10ハロン(約2012m)、さらにサイレンススズカの得意な左回り。そしてとどめとばかりに、枠順は1枠1番と、エルコンドルパサーにとっては不利の三重奏であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今回の渡米には、万全を期すために東条トレーナー自身が同行していた。リギルについては臨時にサブトレーナーを雇い、その総括をスピカトレーナーに頼んだらしい。

まあスピカトレーナーもそろそろベテランと言ってもいいトレーナー歴だし、大丈夫だろう。そもそも俺が心配すべきことではないがな。

 

その東条トレーナーだが、なかなか煮詰まらないブリーフィングに頭を抱えていた。それほどサイレンススズカという相手が厄介らしい。

まさかなぁ。サイレンススズカの続き(・・)が、ここまで凄まじいものだとは、予想もできなかったよ。

 

この世界でまことしやかに噂されている「ウマソウル」なるものの存在。根拠もなにもないが信じられている都市伝説のようなもの。

このウマソウルには《名前》が刻まれており、これを宿すウマ娘が競走ウマ娘になれる。そしてこれが活性化を始めることが本格化と呼ばれるらしい。

 

逆にこれが衰退を始めると、ウマ娘は引退を考え始める。おそらくだがこれは、競走馬の引退時期にも関係しているのではないかと思う。

競走馬の引退理由は大きく3つある。

 

まずは普通の引退だ。ピークを過ぎて、これ以上は苦しいだろうなと関係者が判断して引退させる。

 

次はセカンドライフを見据えた引退。まだまだ走れるが、元気なうちに引退させて、その血を次代に残してもらおうと考える。

エルコンドルパサー号はこれだ。

 

最後は怪我。怪我に泣かされた競走馬は多くいる。怪我から復帰できず、結局は引退することになった競走馬は意外に多い。

サイレンススズカ号はこの3つ目の、最悪のケースだった。レース中に怪我をして、そのまま眠りについた。

 

「あなたは何かある?」

 

東条トレーナーから水を向けられ、ハッとなって顔を上げる。

俺は凱旋門賞以降、レースに関しては口出ししていない。ドバイのレースとかアメリカのレースとか、一切知らないからな。

付け焼き刃で色々と勉強もしたが、所詮は付け焼き刃だ。本職のトレーナーとは比べることも烏滸がましい。

それでも意見を求める辺り、かなり行き詰っているようだ。

 

「策と言えるほどのものではないですが」

 

そう前置きして続ける。

俺の策とも呼べぬ策を聞いたふたりの反応は、まあ概ね予想通りだった。

 

「レイはマンガの読みすぎだと思うのデスよ」

 

まあそう思うよなぁ。東条トレーナーも眉を顰めている。

 

「確かに実現性は低い……が、成功した時の効果は大きいでしょうね」

「ええぇ……でもこんな作戦は、当たれば大ダメージデスが、命中率の低いハンマー武器みたいなもんデスよ?」

 

上手い喩えだな。失敗すれば大きな隙ができる。

 

「ハンマーね。言い得て妙だわ。パワーは問題ないと思う。問題なのはタイミングね。これだけは、エルの才覚に頼るしかないわ」

「本気でやるつもりデスか?」

「一番、当たれば大きい策ではある。それにこの策は、この枠順でしか成し得ない策よ。これは天の配剤ではないかと、私は思う。エルはそう思わない?」

「それは、そうデスが……走行妨害(反則)にはならないデスか?」

「ならない……はずよ。斜行でも押圧でもないわけだし。敢えて分類するなら、技術でしょうね」

「ムムム……」

「……気が乗らないならやめておく?」

 

東条トレーナーが気遣うように声をかける。まあこれは奇策というより博打のようなものだ。しくじれば大きく差をつけられる。

何より真っ向勝負を好むエルには承引し難い策だろう。

 

「いえ、やりマス。そのくらいやらないと、今のスズカさんはとめられそうにないデスから」

 

東条トレーナーが立てた策には王道もあれば奇策もあるが、言ってみれば常識の範疇ではあった。

本当にそれでサイレンススズカに勝てるのか? というのがエルの本心だったのだろう。そして東条トレーナー自身もいささか懐疑的に思っている節があった。

それほどサイレンススズカというウマ娘の能力は突出している。

 

例えるならシンボリルドルフが先攻で制圧盤面を構築するタイプなのに対して、サイレンススズカは初手でエクゾディア(勝利条件)を確実に揃えてくるタイプだ。

シンボリルドルフ(先攻制圧盤面)は己の手札次第でどうにかできるかもしれないが、サイレンススズカ(初手エクゾディア)に対抗するには、ルールに介入するしかない。

要するに「スズカさん、初期手札はお互いに4枚で開始しまショウ」と提案するわけだ。無論サイレンススズカにこれを受けるメリットはない。だが受けてもらう。無理矢理にでも押し通す。そうしなければ勝負自体が成立しないから。

繰り返しになるが、今のサイレンススズカはそれくらい極まった強さを持っている、ように思えた。

 

加えてこれは、あくまで俺の予想にすぎないが、彼女はまだ奥の手を隠しているような気がする。

そんな予感を掻き立てられるほど、彼女はミステリアスな雰囲気を持ったウマ娘だった。

 

「……そう。まあ、普通のトレーナーなら出てこないような策ではあるわね」

 

東条トレーナーが呆れたようにこちらを見る。

俺はそれに苦笑で返した。

 

「では作戦を詰めましょう」

 

そう言って、東条トレーナーはコースの描かれた白板に目を向けた。

サイレンススズカの未来(IF)とエルコンドルパサーの未来(IF)が、本来なら交差することのなかった道が、この世界では交わることになった。そのことに俺は、奇妙な高揚感を抱いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

渡米して少なくないレースに出走してきたサイレンススズカだが、スタートに失敗したことは一度もない。

逃げウマ娘にとってスタートの失敗は即座に敗北を意味する。それを見逃してくれるほど、アメリカの強豪ウマ娘たちは甘くない。

スズカがこれまで勝ち続けてこれたのも、一度もスタートを失敗しなかったということが大きな要因となっている。

 

スタート前の奇妙な静寂が、スズカは好きだった。

元より静謐を好む性分だということもあるが、水を打ったような静寂と緊張した空気が、得も言われぬ快感を与えてくれる。

 

スタートのタイミングはもはや間違えようがない。

ゲートの開く「ガシャコン」という音の。

「ガ」で脱力状態から加速を作るための準備を始める。

「シャ」で重心の移動を始め。

「コン」で飛び出す。

スタートの基本であり理想形。

 

そしてここからがスズカの強みというか癖というか、言うなればルーティーンの始まりである。

一歩目で助走をつけ。

二歩目で力を溜め。

三歩目で最高速に達する。

 

この加速の鋭さ、最高速に達するまでの早さが、スズカ最大の強みである。

そこを――狙い撃つ。

スズカのルーティーンは正確にして精緻だった。だが自己完結した世界は外圧によって崩れやすい。それは針の一刺しでいい。

 

スズカの隣に位置するゲートに収まったエルは、ゲートの音など聞いてはいなかった。今エルが全神経を傾けて聴いているのはスズカのリズム。

最高のスタートを切るスズカより早くスタートするのは、事実上不可能と言える。そしてスタートタイミングが同じなら、加速の鋭いスズカが前に出るのは当然の帰結だ。

 

だからまともに張り合うのはやめる。

狙い撃つのは、溜めの二歩目。そこに合わせる。

スズカの二歩目が接地する瞬間に合わせて、エルは一歩踏み出した。

踏み出すと言うよりは踏み込む。踏み込むと言うよりは踏み抜く。

ハンマーで地面を叩くイメージ。

異次元の逃亡者の出足を挫く、雷槌の一撃。

そこで発生したわずかな揺れがスズカを襲い、彼女はたたらを踏んだ。

 

(ごめんなサイ、スズカさん。でもこれはレース(勝負)なんデス。タイムアタック(ひとり遊び)じゃあないんデスよ)

 

内側にヨレるスズカを斜めに見ながら、エルは前に出た。スズカほどの加速力はないが、他のウマ娘よりは鋭い。

エルは最初の攻防を制し、先頭へと躍り出た。

そして策は第二章へと移る。ここから先は、エルの手を離れた運否天賦。上手くいけば良し。その程度の期待だった。

 

観客席から悲鳴が上がる。

内容は聞くまでもなく、サイレンススズカが出遅れた、だろう。

その状況は、他のウマ娘たちもすぐに気づいた。

ならどう考えるか。

 

――閉じ込めなきゃ!

 

と、そうなる。

 

言うまでもなく、スズカはこのレースの1番人気である。1番人気が1番強いということにはならないが、スズカに限って言えばそれはない。

アメリカのレースで無敗。

常に先頭でスタートし、先頭でゴールするウマ娘。

一度も追い抜かれず、一度も追い抜いたことはない。

そんな絶対的な強さを見せつけてきた。

 

このレースに出走するウマ娘たちはみんな考えていた。

サイレンススズカをどう攻略するか。

そんなところに異常が起きた。サイレンススズカの出遅れ(つまずき)。ありえない事態。正しく異常事態。

 

そんな異常事態に直面し、思考は一瞬フリーズするが、そこは一流のウマ娘たち。思考はとまっても、身体は反射で動く。

 

蓋をしなきゃ! 閉じ込めなきゃ!

 

これも一種の思考誘導と言えるだろう。そういう状況を、エルは構築したのだ。

これにて策は成った。

サイレンススズカを封殺した。

強靭無敵最強のサイレンススズカを、悪夢の鉄檻に押し込めた。

 

 

 

勝ったッ! BCクラシック完ッ!

 

 

 

とはならない。

エクリプスステークスを制したウマ娘がいる。

スーパーダービーを圧勝したウマ娘がいる。

それ以外のウマ娘も、いずれも劣らぬ強豪ばかり。

 

(重要なのはスタミナ配分デス。ハイペースを維持しつつも、最後の直線の末脚勝負に負けないだけのスタミナを残す!)

 

万事が上々吉の喜びと、先輩に対する申し訳なさがない交ぜになりながらも、エルは飛ぶようにして先頭をひた走った。

 

これはアメリカのコース全般に言えることだが、日本や欧州に比べて小回りなコースが多い。このチャーチルダウンズレース場も例外ではなく、内ラチ寄りでスムーズにコーナーを回る必要がある。

 

(さすがにチェックが厳しい。小さなミスが致命傷になりかねまセン。安穏と息を入れている場合ではなさそうデスね!)

 

軽やかにコーナーを2つ回り、向こう正面に入る。

レースは半分を過ぎた。ペースはやや速めだが、決して悪いものではない。脚は十分に残っている。

第3コーナーを回り、第4コーナーへ。

残すところは最後の直線のみ。そこにさしかかろうとしたところで、エルの視界の端に映ってはならないものが映った。

 

(なんでそこにいるデスかッ!?)

 

視界の端に映ったのは、白と緑の勝負服。大外を走るサイレンススズカの姿だった。

 

(あの鳥かごを脱出したデスか? 自力で脱出を?)

 

スタート直後、他のウマ娘たちが慌ただしく内に寄っていくのを、エルはしっかりと感じ取っていた。

一度構築された包囲網を脱するのは簡単ではない。

エルにしてみれば死人が蘇ったほどの衝撃だったが、実際に起こった出来事は、そう大したことではなかった。

 

全集中力をスタートに注ぎ込んでいたスズカは、死角からの一撃に脆くも崩れ去った。

勢い良くスタートした瞬間に強烈なはたき落としを食らったスズカは、それでもまだ余裕があった。

その後に構築された鳥かごに監禁された時も、特に焦った様子もなく、あぁこれからどうしようかしら、などと考えていた。

監禁されたまま、最初の直線を流されるままに走り続け、第1コーナーを曲がったあたりで、スズカは気づいた。

 

(隙間ができてる)

 

スズカを監禁していたウマ娘たちも、彼女を閉じ込めるためだけに走っているわけではない。当然ながら勝つために走っている。

先頭を行くエルを筆頭に、先行集団がスイスイ進んでいくさまを見れば焦りが生まれ、スピードは上がる。元々不格好だった包囲網は、第2コーナーにさしかかる頃には崩壊が始まっていた。

 

(あっち、こっち、そっち)

 

持ち前の観察眼と勘の良さで隙間に入り込む。最速の機能美とまで謳われた、極限まで空気抵抗を削ぎ落した身体と尻尾が風に乗るように、誰にも触れられずにスルリスルリと位置を押し上げていく。

柔軟な筋肉をしならせて走る独特のフォームは、ある種の神々しさすら生み出していた。

 

向こう正面の中間にさしかかる頃には、スズカは先頭集団に追いついていた。状況は最悪を脱し、悪くないものにまで持ち直している。それでもなお彼女は不機嫌だった。

 

(全然、楽しくない)

 

以前、彼女がまだ日本に居た頃、追い込みを得意とするチームメイトに聞いてみたことがあった。

 

――追い込みって何が楽しいの?

 

スズカをよく知らない者が聞けば、喧嘩を売っているのだろうか? と思うかもしれないが、彼女をよく知るチームメイトには分かっていた。彼女はマイペースなだけで、決して悪気があるわけではないということを。

だからキチンと答えてあげた。

 

――最後方から他のやつらをごぼう抜きして先頭に立つ瞬間がたまらねぇんだ!

 

それはスズカには理解できない感覚だった。

忘れもしない、大怪我をしてからの復帰戦。スズカは出遅れて最後方からのスタートとなった。

その時は落ち着いて脚を溜めて、最後の直線でごぼう抜きして優勝した。

 

だが楽しいとは思わなかった。トレーナーや友人たちとの約束を守れたという安堵はあったが、気持ち良さや楽しさといったものは全く感じなかった。

そんな不満を感じながら、スズカは先頭集団の後ろにつけて、第3コーナーへと突入した。

 

(さすがにみんな、上手ね)

 

内に切り込むのは無理と判断したスズカは、ロスを覚悟で大外に進路を取った。

 

(まだいける。まだ()れる)

 

サイレンススズカ。

好きなことは走ること。

得意なことは、走り続けること。

 

その走りは美しかった。ひたすらに真摯で、滑らかで、涼やかで。

絵画の中から飛び出してきたかのような走行美に、人々は夢を見た。

最後の直線380メートル。スズカは頭の中でスイッチを入れた。

 

 

 

――強襲加速(イグニッション・アサルト)

 

 

 

女の子がぬいぐるみに名前を付けるように、スズカはなんとなく必殺技(それ)っぽい名前をつけた。その方が上手くいきそうな気がしたから。

それが効力を発揮したかはともかくとして、スズカは風の牙となって前方の3人に襲い掛かった。

 

(きたッ!!)

 

ぞわりとした悪寒を感じて、エルは振り返ることなく大敵が動き出したことを悟った。

かつて凱旋門賞で覇を競ったブロワイエの気迫は、例えるなら荒れ狂う暴風を想起させるものだった。

対してサイレンススズカの気迫は、噴火を控えた火山を前にしたような、目に見えない脅威を彷彿とさせた。

 

(このままじゃ、とどかない)

 

ひとりかわしたスズカは瞬時に状況を把握した。思いのほか離されている。このままではとどかない。だからスズカはもう一度、頭の中でスイッチを入れた。

 

 

 

――瞬天加速(イグニッション・ドライブ)

 

 

 

秋の天皇賞では、ここの加減を間違えて骨折した。だからスズカは学習した。

出力120%で折れるなら、119.9%でセーブしようと。

聞くものが聞けばこう思うだろう。

 

そうはならんやろ。

数値化なんてできんやろ。

そこに気づくとは、やはり天才か。

 

スズカはそれほど勝敗に頓着するタイプではない。脚が折れても勝とうなどとは思わない。

スズカにとって、走れなくなる(骨折する)というのは、負けに等しいのだ。

 

(だからといって、手加減はしてあげません)

 

全力を出せば骨折する。だから全力は出せない。けれど本気は出す。つまりはそういうことだ。

 

 

 

――ブースト119.9%(ニア・アセンション)

 

 

 

蹴り上げた土塊(つちくれ)が天を舞う。稀代のスピードスター、サイレンススズカが、先頭の景色を奪うべく本格始動した。

 

その気配の変化をいち早く感じ取ったエルは、ざわつく心中に活を入れ、ほんの一瞬息を入れた。

その刹那の時間に、エルは乱れかけていたフォームを最適化し、再構築した。

できることはすべてやった。あとは、駆け抜けるだけだ。

 

逃げるエルコンドルパサー。追うサイレンススズカ。

常とは逆の構図に、観客は沸き立った。

ふたりの差が徐々に詰まり始めている。

 

その喧噪の中で、ふたりは無音の中にいた。

スズカは初めて、自分の絶対領域の中に踏み入ったウマ娘を認識した。

エルもまた、その牙城を崩さぬ限り、勝利はないと覚悟した。

 

(私にだって、負けられない理由はあります。トレーナーさん、スペちゃん、チームのみんなに、情けないところは見せたくない!)

 

(アタシだって負けられまセン! このレースに勝って、ワールド三冠ウマ娘になって、伝えるんデス! この想いを!)

 

互いに負けられない理由がある。いや、レースに臨むウマ娘全員がそうだろう。それでも、いつだって勝者はひとり。たったひとり。

 

ふたりの夢が、決意が、流星となって駆けて行く。

ただ一点を突き破る(きり)のように。

意志の発露は二筋の光を描き、勝負は一瞬で決着した。

 

 

 

ゴール板を通過したエルは緩やかに減速した。ゼェゼェと肩で息をし、たまらず内ラチに手をかける。

スズカは蹲って、脚を抱いていた。まさか怪我をしたのかと不安にかられたが、どうもそういう雰囲気ではなかった。

それは自分の脚に、よく頑張ったねと褒めているようにも見えた。

 

(負けた……デスか……?)

 

ゴールした瞬間のことはよく覚えていない。並んでゴールしたことは覚えているが、どちらが勝ったかは分からない。

掲示板に目を向ける。着順はまだ表示されていなかった。

それでもエルの目には、スズカが自身の勝利を確信しているように見えた。

 

鼻の奥がツンとなり、瞳から涙があふれた。泣き叫びたい衝動を抑え込み、歯を食いしばる。

 

(同じ相手に、3度も負けた!)

 

これほどの屈辱はない。

エルは無意識のうちに、爪が食い込むほど拳を握りしめていた。

とそこで、スズカがスッと立ち上がり、エルの方に向かって歩いてきた。

エルは涙を拭い、堂々とスズカと相対した。

 

「次は、負けません」

 

それだけを告げて、スズカは背を向けた。

エルはその言葉を呆然と聞いていた。

そして、観客席から怒涛の勢いである名前が叫ばれた。

 

エルコンドルパサー!

エルコンドルパサー!

エルコンドルパサー!

 

それが自分の名前だと気づいて、エルは再度掲示板に目を向けた。その最上段には、間違いなく自分の番号が記されている。

そこでようやく現状を把握したエルは、盛り上がり続ける声援に応えて大きく手を振った。

 

 

 




本編では反則にはならないと言ってますが、競馬にはそれほど詳しくないので実際にやったら反則を取られるかもしれません。
これで本当に終わりです。お読みいただきありがとうございました。
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